2024年10月31日木曜日

VJEP2024 報告書 「交流を通じた学びがもたらす新たな視点」岩切優空(上智大学文学部哲学科1年)

 

VJEP2024は、私にとって初めての海外であり、留学であり、異なる文化に属する他者と協働する経験であった。そのような私が初めてベトナム人参加者らに対して抱いた印象は、彼女らが非常にパワフルであるということであった。彼女らは、ダンスや歌が大好きで、たくさん写真を撮り、常に陽気で明るい子たちであった。またこのような性格的な面のみならず、学業や自分自身に対してもパワフルで、プログラム中私たちはベトナムにいる間の時間は殆どプログラムのために使っていたのにも関わらず、彼女らはVJEP2024に参加しながら普通に大学で授業を受けていたり、インターンに行ったり、塾の講師をしていたりと、彼らにとって母国での開催であったにしても、プログラムと普段の生活を同時におこなっていたことに非常に驚いた。

 そのような私自身に刺激を与えてくれるような彼女らと共にした経験は私にとって、普段の生活では得られることのできない新たな学びを得られる2週間であった。

 

 この2週間を振り返ってみて、私は2つはき違えて解釈していたことがあるように感じた。グローバル化によって国を越えた人と人との関わりが増えてきて、このような異文化プログラムが増えている中で、多文化共生が謳われるようになった。私はプログラムが始まってからは、正直ベトナムという違う国に行ったという実感無しにプログラムがスタートし、あまりカルチャーショックや心理的な不安などを感じることが無かった。それに対して私は、ベトナムに関する知識が事前にあまり持っていなかったいうことも要因としてあるかもしれないが、ベトナム人参加者たちと接する際に、同じ人間として接することができたため、日本とベトナムで何か違いがあった時に、日本人はこうだけど、ベトナム人はこうであると善悪を付けずに受け入れることでカルチャーショックを感じなかったのではないか、つまり、同じ人間として接することこそが多文化共生におけるあるべき姿勢であるのではないかと考えていた。だだ、プログラムでベトナムの文化について自分の目で知ることによって、かえって日本への理解を深まり、必ずしも多文化共生・異文化理解において「同じ人間として接すること」が良いことではないと感じた。同じ者ではなく、異なった文化に属する者として、ベトナム人として、接することが、彼らに対する敬意であると感じた。

 

そして二つ目は、交流にとどまらず、共生し協働するためには、まず英語力ではなく姿勢が重要であるということである。ベトナムに行く前の私は、自分の英語をコンプレックスに思っており、その2週間をより良いものにするためにはまず英語力の向上が重要であると考えていた。ただお互いについて知る交流のためではなく、協働を達成するためにはコミュニケーションが非常に重要であり、そこに英語力が必要不可欠であるのは事実である。その事実にとらわれ過ぎていた私は、特に初めの方は、ベトナム人や他の日本人参加者は高い英語力を持っているのにも関わらず、私はそれを十分に持っていないことから、自分から話せずにいた。しかし、実際に英語で話す時間が増えるにつれて、でも一番に必要なのは英語力ではなく、姿勢であることに気が付いた。彼女らは私より英語ができる子たちばかりであるからこそ、自分が彼女らと話したいという姿勢を見せることで、それに対してちゃんと自分が何を言いたいのか感じとろうとしてくれていた。また、あなたについて知りたいとという能動的な姿勢によって、より深い内容についても語り合える。そのため、自分の中の協働への手順が間違っており、まず英語力ではなく、姿勢であると感じた。

 

 このように、私はVJEP2024を通して、多文化共生において他者を人間としてではなく、ある特定の文化に属する他者として接することの重要性や、交流から協働の達成における姿勢・意識の重要性を新たに気づくことができた。二つの解釈の変化は、論理的に立てられていた自分の考えでも、異文化交流といった新たな経験によって新しい解釈の観点が生まれることを示唆しており、これこそが私がVJEP2024に参加して良かったと思える点である。