2026年2月21日土曜日

BJEP2025 バングラデシュプログラム 報告書(4)「非日常の中で見つめなおした『当たり前』」 獨協大学外国語学部交流文化学科2年 山﨑柚葉

 「ダッカディズニーランド」

帰りの空港へ向かう車の中で、関先生が仰ったこの言葉に、私は強く共感した。私が目にしたこの10日間は、一体何だったのだろうか。日本で生まれ育った私にとって、それはまさに「非日常」であり、異世界の夢物語のような時間だった。

 

貧困と教育をテーマにしたBJEP2025Bangladesh-Japan Exchange Project)では、さまざまな学校や職場を訪問し、インタビュー調査を行った。その中で、豊かな暮らしを送る人々と、貧困に苦しむ人々の姿を目の当たりにし、社会に存在する大きな格差を実感した。中でも印象に残っているのは、小学生へのインタビューである。

Holy Penという私立のインターナショナルスクールでは、非常に恵まれた環境での学びがあった。ある男の子に「教育は大切だと思うか」と尋ねると、彼は迷うことなく “Of course” と即答した。先生方もまた、教育は人生を豊かにするために必要なものだと話していた。大学院に通いながら教壇に立つ先生や、大学院留学のためにIELTSの勉強をしている先生もおり、学びへの意欲の高さを強く感じた。そして、その意欲を実際に行動へと移せる環境が整っていることも印象的だった。

しかし、学びへの意欲は、決して恵まれた環境にいる子どもたちだけが持っているものではなかった。Switch Schoolという、今回のプログラムをオーガナイズし、共に活動してくださったSwitch Bangladesh Foundationが運営する学校には、比較的学費が抑えられており、貧困層の子どもたちも多く通っていた。また、NGOBRAC」が運営するフリースクールでは、家庭の経済的理由から、1年前に初めて教育を受け始めたという5年生の生徒もいた。

これらの学校は、小さな教室に多くの生徒が集まっていたり、机や椅子がなく、薄い絨毯が敷かれただけの教室だったりと、決して恵まれた環境とは言えないかもしれない。それでも子どもたちは、「勉強できて嬉しい」「ここに通い始めて人生が変わった」と語り、学びに対する喜びや将来への期待に満ちていた。

さらに、正式な学校ではなく、シェルターで学ぶスラム街の子どもたちとも出会った。彼らはとてもまっすぐで輝いた目をしていた。“Are you happy?” と聞くと、皆が “Yes” と即答し、他者への感謝や尊敬、未来への希望をたくさん話してくれた。日本の私立大学に通う私は、その環境を思わず「可哀想」と捉えてしまう。しかし、そこで暮らす子どもたちは、その「日常」の中で、強く、そして純粋に生きていた。


バングラデシュでは、人々のあたたかいおもてなしにも何度も触れた。プログラム中、複数回家庭に招いていただき、その度に食事や飲み物を振る舞ってくださった。家庭訪問に限らず、インタビューで訪れた先々でも、私たちは温かく迎え入れられ、お茶や軽いスナックを用意していただくこともあった。異文化交流の一環として、お互いにパフォーマンスを披露し合う場面もあった。

外国人観光客がほとんどおらず、外国人に会ったことがない人も珍しくないバングラデシュで、日本という異国の地から来た私たちに興味を持ち、明るくもてなしてくれたことは、純粋に嬉しかった。「おもてなし」という概念は日本特有の文化だと思っていた。実際、日本のおもてなし文化は世界でも有名だろう。しかし、裕福とは言えない生活の中でも、人と人とのつながりを強く、大切にする文化が、そこには確かに存在していた。そしてそれが、彼らにとっての「当たり前の日常」だった。

 私は、その社会の中に10日間、身を置いた。シャワーはお湯が出なかったり、ベッドは固かったり、食事のスパイスが口に合わないこともあった。それでも、辛くないよう配慮してくれたり、コーヒーやミルクティーを用意してくれたり、たくさん話しかけてくれたりと、現地の人々は常に私たちを気にかけてくれた。そんな社会・文化の中に没入したこの10日間は、3回目の海外渡航であった私にとって、間違いなく最も充実した経験だった。

 

 そんな生活を終えて帰国し、自宅でのんびり過ごした大晦日。温かいシャワー、年越しそば、ふかふかな布団。「当たり前の日常」に戻ったとき、まだバングラデシュを離れて1日しか経っていないはずなのに、あの10日間が夢のように感じられた。本当に私はあの地へ行ったのだろうか。あの「日常」は現実だったのだろうか。言葉に表し難い、不思議な感情に苛まれた。

調査を通して身をもって感じた、途上国支援の重要性。そして、私にとっては過酷に思える環境が、誰かにとっては当たり前の日常であり、その中で人々が幸せに生きているという現実。それと同時に、日本での日常を当たり前のように過ごしてしまう自分。同じ空の下にあるはずなのに、まるで異世界の夢物語のように感じられた。


それでも、この経験を通して、自分の「日常」や自分自身をより深く知ることができた。AAEEが大切にしている理念である「交流する他者を跳ね返りにして自分を見つめ直し、自己を理解していくこと」とは、まさにこの経験そのものだったと思う。きっちりとスケジュールが組まれたプログラムではなく、曖昧さが残り、自分たちで作り上げていくプロセスがあったからこそ、この学びが得られたのだろう。

私は2025年、ディズニーランドのように、あるいはそれ以上に価値のある締めくくりを迎えた。


BJEP2025 バングラデシュプログラム報告書 (3) 「他者の世界から教育を考える」 上智大学文学部哲学科2年 岩切優空

  


バングラデシュから日本に帰る飛行機の中で、私は言葉にしがたい空虚感に包まれていた。ただ「楽しかった」というだけでは説明できないような、胸の奥がぽっかりと空いたような感覚。BJEPでの10日間は、私にとって刺激的で温かく、学びに満ちた日々であった。BJEPで出会った仲間たちと過ごした時間、何気ない会話のすべてが、終わってしまうのが本当に悲しかった。

バングラデシュという国は、日本で、日本人と生きてきた私にとって、何もかもが新鮮で、もはや夢のようであったと同時に、「教育とは何か」を根底から揺さぶる場所だった。

貧困問題が大きな問題の一つであり、雇用機会も十分ではなく、宗教学校や大学を出ていても、仕事がない人普通にいる。そんなバングラデシュで出会った学生たちのハングリーさには本当に驚かされた。本当にパワフルで、色んな活動に参加していたり、学部生で論文を発表していたりと、彼らの姿勢から学べることが多くあった。

 BJEP2025のテーマは貧困と教育であり、このテーマに関連したリサーチ活動を行った。私たちは、子供たちに学校教育を無料で提供するフリースクールや、私立高校、宗教学校などの様々な教育機関に加え、リキシャドライバーや縫製工場の労働者、Dhakaにあるスラムエリアでは、早婚を経験した方や学校に行けていない子供たちにインタビューをさせていただいた。対話型のインタビューをすることで、ただインターネットで事実としてしか知ることができなかったことを、なぜこういうことが起こるのか、この事実について現地のひとたちはどう考えているのかという彼らの中で共有されている文化的な価値観まで感じることができた。

 貧困地域での教育現場を観察することで、「教育」に関する視野がより広がった。BJEPへの参加が決まり、貧困と教育というテーマについて考えていた時、どうしても教育=貧困からの脱却の手段であることを前提として考えていた。なんとなく教育が大切、教育はみんなが受けるべき、学校に行けてない子たちがいるなら教育を平等に提供できる制度があればいいよね、と。

しかし、あるフリースクールを訪れた際、私から見れば決して整った環境とは言えない教室で、子どもたちが心から楽しそうに過ごしている姿を目にした。彼らは口をそろえて「楽しいから来ている」「他の学校よりもたくさん遊ばせてくれるから通っている」と言っていた。ただ、私はそれを聞いた時、他にも学校に通えない子がいるのに、そんな理由?それでは教育に意味があるのか?と思ってしまった。しかし同時に、その反応が、私が教育を一義的に貧困脱却の手段として捉えていたことに気づいた。

これに加え、「教育」という前提を揺さぶったのに続き、Madrasah(宗教学校)の訪問は、教育の意味をさらに別の角度から問い直す機会となった。Madrasahでは信仰と倫理を中心にした教育であり、そこでの学生たちの生活の基盤となっていた。信仰は、論理的に証明した上で信じるものではなく、彼らの生活の中に自然に受け入れられていた。まさに、Madrasahでの教育は生活の土台を作る営みとなっていた。 イスラム教の信仰は、「誰も見ていなくても正しく行動する」ことが重視され、神は常に見ているという意識が内面的な道徳的規範になるそう。つまり、学生たちの内面の倫理を育てている教育であると言える。貧国地域で労働者にインタビューを行った際、今の生活について、「貧困だけど、神様に感謝しているから満足している」 と答えていた。イスラム教の考えが内面にない私にとっては、初めは論理だけでは理解できなかった。しかし、Madrasahでイスラム教の教えについて聞いて、宗教学校での教育は貧困という状況の中でも人として生きる力を支えるものであるように感じた。

バングラデシュでの経験を通して、私が無意識に抱いていた「教育=貧困脱却」という前提を揺さぶった。幸せそうなフリースクールの子供たちから、教育が子供たちの安心、居場所の一つでありうることを示し、宗教学校での観察からは、教育が信仰と強く結びついており、人の尊厳や倫理を支える営みであることを教えてくれた。また、このように異なる文化に触れた時に、自分の価値基準を一度保留し、相手の世界から物事を見る姿勢(エポケー)が不可欠だと感じた。色んな教育の在り方があり、教育の意味は一つではないからこそ、支援や国際協力を考える際には、相手の世界から物事を見るべきである。私はこれからも、この姿勢を大切にしながら教育と貧困について考え続けたい。


BJEP 2025 バングラデシュプログラム報告書(2)「貧困と格差─自分と違う環境の受けとめ方を考える」 筑波大学 社会・国際学群 国際総合学類1年 野澤 沙奈

 はじめに

 今回の研修を振り返ってまず思うことは、とにかく楽しかった、ということ。新しい自分を見つけて、次の一歩を踏み出すのに十分な刺激に満ちた11日間だった。でも同時に、充実した気持ちに包まれる自分は、本当にこの国に向き合えたのだろうかと考えてしまう。14歳で結婚し、小さな部屋の中で相手の家族と一緒に暮らし、スラムの外にほとんど出ることがなく人生を終える人がいる。街頭でインタビューをしていると、その日の出費を日の稼ぎだけで賄う暮らしをしている人も少なくない。圧倒的な貧困。そしてイスラム教の信仰がもたらすカルチャーショックにさらされ続け、すべてを受け止められたのか、私には分からない。

 バングラデシュにいる間、私はある種の興奮状態だった。もともと、体力はある方だが、この期間は少し異常だった。10時から16時までの共通のスケジュールをこなし、17時から個人的な調査にでかける。19時に帰り、突然告げられる予定の変更に対応して24時過ぎまで翌日の準備を他のメンバーと行い、個人調査のデータまとめと論文執筆を3時ごろまで行う。大学の課題をおわらせ、4時に眠る。3日目は体調を崩したが、共通のスケジュールを欠席することはなかった。

個人調査中の私
現地語の回答を訳してもらっている様子


 今思うと、この時に感じていたエネルギーの所以は、新しい物事への出会いに体が驚いていたからだと思う。疲れを全く自覚できないほど。ただ、すべてに全力で楽しく日々を過ごす反面、冷静に物事を観察できていなかったかもしれない。だから今、見たこと、感じたことを落ち着いた頭で振り返りたい。


格差について

 バングラデシュでは、明らかな格差を見た。バラックのような家に住み、明日をも知れぬ暮らしをする人がいる一方、もてあますほどの資産を持ついわゆる富豪もいる。11日という短い期間でその両方に会って話をし、あまりの非日常感にふわふわした気持ちを抱いた。日本で19年間生活した自分の人生を振り返ると、格差を感じる機会はすぐに思いつかなかったが、よく思い出せば意外とあった気がする。例えば、中学受験のために塾に通っていた時、私学を受ける子たちは電動の自転車に乗り、かわいい文房具をたくさん揃えていた。私が通っていた大阪市西成区の公立小学校の友達とは少し違っていた。しかし、そういう日々見る格差にはだんだん慣れてきて、ちょっとずつ感じなくなっていった。当人にとって当たり前になってしまえば、格差に気が付けるのは外からやってきた人だけかもしれない。今回、私自身が「外からやってきた人」になったことで、バングラデシュの中の格差をはっきりと捉えることができた。


とある富豪の家のプライベートプール

スラム地域の家


では、この格差の解消のためには、何が必要か。これを考えるにはバングラデシュの文化をもっと知らなければならない。私の価値基準では、例えば金融サービスやビジネスの形にすることで、財産を持つ者も持たない者もwin-winな関係のまま、富を分配することが望ましいと考えていた。なぜなら、資産の分配もやりようによっては経済的な格差がそのまま社会的地位の格差を生み出すことになってしまいかねないからだ。特に、持つ者が持たざる者に対して一方的に与えるやり方は、かえって、経済的に苦しい人に対する差別を助長するのではないか。しかし、バングラデシュの金融サービスについての個人調査中、多くの人がローンの利子を「حرام(ハラーム:避けるべきこと)」として捉えていたことに驚いた。イスラム法では経済的な援助は個人の善意によって行われるべきであり、収益を生むべきではないという考え方があるのだ。実際にイスラム金融では利子は厳格に取り締まられており、投資に対する配当は、その事業の利益からのみ出され、利益が発生しなかった場合、投資をしても利子を得てはいけないとされている。これは、私の中で望ましい解決策として持っていた考え方がひっくり返った経験であり、「格差」とその解消法についてより考えさせられるきっかけになった。

ハラームについてとりわけ強い語気で話してくれた男性、お茶をごちそうしてくれた


貧困と自分について

 私が貧困問題に関心を持ち始めたのは、中学2年生からである。私の生まれ育った大阪市西成区は、戦後に職業斡旋所が作られたことが由来して、バブル崩壊の時期から現在まで多くの日雇い労働者が生活する。また、労働環境の改善を求めて地元警察と何度も衝突した「西成暴動」の報道をきっかけに全国に野蛮なイメージが広がった。そして今も生活保護受給率が高く、ホームレスが生活する三角公園はたまにテレビで取材される。Youtubeには、倫理観に欠けた人が興味本位で面白可笑しく西成区を取材する動画が蔓延っている。

しかし私は、幼いころは地元について関心がなかった。例えば、私の自宅横の公園で生活していたホームレスの女性がいた。彼女は、登校と下校中で見かける場所が変わるので、さっさと移動するおばさん、通称「ササおばさん」と近所の子どもの間で呼ばれていた。彼女はある時から高速道路の高架下に拠点を変え、警官から注意を受けているところを見たのを最後に、全く見かけなくなった。当時小学生の私は、彼女に対してただ、かわいそうだなと思うだけだった。それどころか、私にとって「ササおばさん」の存在は日常であり、彼女がどんな人で、なぜ路上で生活しているのかを想像することすらなかった。

関心が芽生えたのは、受験して入学した中学で他地域の子と関わり、西成区に対する中傷を自分のこととして捉えるようになってからだ。社会科の授業で、あるグループの「日本のスラム、西成」というタイトルの発表を聞いたとき、初めて強く憤りを感じた。同時に、たしかに貧困に苦しむ人を見てきたのに、ずっと無関心でいた自分が情けなく思えた。私は地域のボランティアを始め、町を知って、無関心でいることをやめようとした。留学生のダークツーリズムに翻訳係として参加したり、ホームレスの方と一緒に花壇整備の作業をしたり、様々な活動をした。この活動では多くの得るものがあった。ホームレスの人に対する偏見を自覚し、平等に接そうと意識すること自体が差別ではないかと悩み、よく考えた。いつの間にか、私は貧困問題を知った気になっていたかもしれない。

 

 バングラデシュで見た絶対的貧困は、西成区の貧困とはまた違っていて、とにかく衝撃を受けた。一面に広がるごみと強いにおい、不衛生のせいか顔にできものがある子供たちがいて、こちらを警戒して見ている大人たちに対しては少し怖いとすら感じてしまった。でも話してみると、子供たちはとても人懐っこく好奇心旺盛で、大人の方もこちらに微笑みかけてくれたり、話しかけてくれたりと、とても優しかった。個人調査の際にも、多くの人が快く協力し、たくさん話をしてくれた。

幼い弟の面倒をみる女の子、たくさん話をしてくれた

スラム地域の入口の様子


そして、月の稼ぎや出費を教えていただき、その暮らしぶりの苦しさを知るごとに、今の自分には何もできないという無力感をおぼえるようになった。また、国を超えて人の気持ちを理解する難しさにも直面した。ある人は、「貧しさは苦しいが、神様を信じているから幸せだ」と話してくれた。この回答の捉え方として、まず現実逃避ではないかと思った。苦しい現状から逃げるのでは、何も改善しないじゃないかとも思った。でも、実際はどうだろうか。この人にとっての幸福と、私の思う幸福な生活は全く違うはずである。ましてや、信教も国籍も、性別も年齢も全く違う人の価値基準を私には到底理解できないだろう。貧困問題を少し知った気になっていた私は、鼻を折られたというか、いい意味で自分の小ささを認識させられた。これから先も、まずは相手を知ろうとする姿勢を忘れず、断定をせず、貧困問題に向き合える人でいたいと思う。そしてゆくゆくは、相手の幸福とは何かを具体的に捉え、大きな変化を与えられるようになりたい。

調査に協力してくれた方のお店

ジェスチャーだけで仲良くなれた子どもたち


教育について

 このプログラムで私の知る教育の意味がまた広がった。印象深いのは、イスラム教式の学校である「مدرسة(マドラサ:学校)」への訪問である。インタビューを受けてくれた生徒たちは、とても利発的で聡明だった。なぜ学ぶのか、という問いかけに対して、イスラム教への理解を深め、Muslim scholarに近づくことで家族にも幸福をもたらすことができるからだと話す子がいた。私は大学生になってから、自分がなぜ学んでいるのかを考える機会が増えた。大学での学びは完全に自分のモチベーションに委ねられている。やらなくても誰にも咎められないし、正直それほど熱心に勉強せずとも卒業できてしまうだろう。それでも勉強を続けるには自分なりの理由を持つことが大事だと思う。マドラサの生徒たちは、朝は4時に起き、夜は23時に眠る。たくさんのことが制限された寮で規律正しく暮らし、毎日11時間勉強をする彼らは、自分たちそれぞれの確固たる理由をもって学んでいた。そんな彼らに刺激されるだけではなく、私がなぜ学ぶのかということを考えされられた。

マドラサでのインタビュー中、生徒たちは非常に熱心に受け答えをしてくれた


 貧困問題という点では、教育は貧困を解決する手段として捉えられる。しかし、教育はバングラデシュでインタビューをした人たちには、あまり重要視されていないようだった。教育を通じて手に職をつけるためのスキルを身につけることや、ひたすら勉強し奨学金を得て国外で稼ぐ力を得ることもできる。私はずっと、教育によって子供たちの未来の選択肢を広げることが重要だと考えてきた。教育を受けて様々な可能性を知ることで、貧困から抜け出すことができるだろうと考えていた。けれど実際の貧困とは、それほど甘い問題ではない。家族や地域の人からの目を気にして、年端もいかぬうちに結婚してしまう女の子や、家族の貧困のために学校をやめて働きに出る子に、未来の可能性を感じさせるのはどれほど難しいだろうか。今日、明日も知れぬ生活をしている人に、十年後の自分を想像してもらうのは容易ではない。彼らにとっては、生活に直結しない学校での教育はさほど重要ではない。現に、インタビューをした子どもたちや、縫製工場の労働者、リキシャの運転手は、学校で学んだ知識が今の生活に役立っているか、という問いに対して答えに詰まっていた。そんな人たちに、勉強は役に立つからと言って、学校をつくったり、勉強道具を渡したりする支援は本当に必要か、ということすら疑問に感じてしまう。

スラム地域にて17歳で結婚をした女の子にインタビューをしている様子

彼女は自分の結婚を「Love marriage」だと言っていたが、近所の人や家族からのプレッシャーも感じていたと話してくれた



例えば、私たちが訪問した現地のNGOが運営するフリースクールでは、年齢の違う子供たちが同じ教室で同じ内容の授業を受けているようだった。学校は学ぶ場所、というより子どもが集う場所となっていた。それが悪いことだとは思わないが、正直勉強する環境が整っているとは言えなかった。この学校に通う子たちに勉強する意味を感じてもらうには、まず良い環境を整備しなければならない。生活に直結する知識を教えたり、関心ある内容を取り入れたりすることで、彼らにとっても教育が意味あるものとして捉えられるようにする必要がある。私たちの価値基準の押し付けは良くないが、何もしないままでは現状はよくならない。教育が重要だと理解させるのではなく、彼らにとっても自然に重要性を感じられるようにする姿勢を持てば、意味のある支援になるのではないだろうか。

NGOが運営するフリースクールにて、インタビューを受けてくれた子供たちは少しシャイだったが私たちと話すことに関心がある様子だった



総括

 今回のプログラムでは、たくさんの刺激を受けて自分の生い立ちや今の自分のことについて、考えさせられた。改めて、他文化に触れる大切さを思い知った。自分と異なる文化に身を埋めることで初めて自分の輪郭が見えてくる。自分の中の固定観念に気づくと、なぜその考えを持っているのかを辿り、また一つ自分について知ることができる。今回出会えたすべての出会いと経験、そして調査に協力してくれたすべての人に感謝したい。

毎日一緒に調査に出かけてくれた二人、とても優秀な方たちでたくさん助けられた

分かりやすくはしゃいでいる私

朝の5時半、作業中に聞こえてきた祈りの音楽を聴きながらスマホをのぞき込む私


 

 

 

 



BJEP2025 バングラデシュプログラム 報告書(1)「呼吸のような信仰に出会って」 東京経済大学大学院 現代法学研究科2年 和 蘇丹(ワ・スタン)


 実のところ、私の海外経験は非常に限られており、大学院に進学するまで一度も外国を訪れたことがなかった。日本へ留学するという計画でさえ、学部卒業後になって初めて具体化したものである。南アジアの国々についても、私は長らく漠然とした遠いイメージしか持っていなかった。しかし今回、BJEPプロジェクトを通じて実際にバングラデシュの地を踏むことができた。私にとってそれは、非常に貴重な経験であった。現地を訪れたことで、多くの予想外の体験を得ると同時に、南アジア諸国に対して抱いていたいくつかの固定観念が打ち砕かれた。そして何よりも、本活動を通じて、互いの文化を尊重することの意味を、これまで以上に深く実感することができた。

 私は中国の自然環境に恵まれた地方都市で生まれ、東京での留学生活においても、日々青空と白い雲を目にする環境で暮らしてきた。そのため、バングラデシュに降り立った瞬間、地面や空気中に漂う埃やスモッグに強い衝撃を受けた。この旅は、決して想像していたように容易なものではないだろうと直感した。

 実際、その予感は的中した。到着して間もなく、一本の青唐辛子を口にしただけで涙が止まらなくなり、また、食器を使わずに手でカレーとご飯を食べる習慣にもなかなか慣れることができなかった。しかし、現地の学生たちは自ら進んで私たちをバングラデシュの生活へと案内し、言語や宗教について丁寧に教えてくれた。そうした小さくも誠実な善意の積み重ねが、初めに感じていた不安や距離感を静かに溶かしていった。それによって私は、尊重とは単に差異を「我慢」することから生まれるのではなく、先入観を手放し、相手の眼差しの中にある光を真に見つめることから始まるのだと理解するようになった。

バングラデシュを訪れる前、私が最も関心を抱いていたのは、当地の宗教であった。中国で生まれ育った私にとって、宗教はどこか遠い存在である。もちろん、中国に宗教が存在しないわけではなく、実際にはあらゆる宗教信仰が法律によって保護されている。しかし、中国は無神論を基調とする国家であり、日常生活において宗教が会話の中心となることはほとんどない。それに対してバングラデシュでは、モスクのアザーンが一日に五度、朝夕を切り裂くように響き渡り、街角の屋台ではスカーフを巻いた商人がパイナップルを売りながら静かに祈りの言葉を唱え、子どもたちは下校途中にベンガル語で『クルアーン』の一節を暗唱している。そこでは、信仰は神棚に飾られる象徴ではなく、呼吸や食事、挨拶の中に溶け込んだ温度として存在していた。私はそのとき初めて、自分が宗教を説明され、鑑賞されるべき異国の風景として捉えていたことに気づいた。しかしここでは、宗教は人々が差し出した掌に陽光を受け止めたときに自然に落ちる影のようなものに過ぎない。それは名付ける必要も、正当化する必要もなく、ただ当然のものとしてそこにあった。

 同行したメンバーとの間でも、宗教についての議論が交わされた。今回のチームは、私以外はすべて日本人学生であった。宗教との距離感という点で、中国と日本にはある種の共通性がある。神社参拝や寺院での祈願は、主に祭礼や人生の節目に行われる儀礼的行為であり、日常における信仰は慣習のひだに隠れて存在している。道徳についても、中国では家族倫理や国家意識と結びつくことが多く、日本では「義理」や「恥」の感覚、繊細な人間関係の距離感として内面化されている。一方、バングラデシュでは、それが宗教の日常的実践を通して根付いているように感じられた。

 私たちがバングラデシュの宗教学校を訪問した際、通訳を務めてくれた学生たちは次第に厳かな表情を見せるようになった。学校の関係者は、自分たちが学んでいる内容を私たちに紹介してくれ、その中で一人の男子学生が静かに賛美歌を詠唱した。その様子を見て、私は通訳の学生にこう尋ねた。「あなたたちは、信仰心から経典を読むのですか。それとも、そうしなければならないからですか。」すると彼らは笑顔でこう答えた。「呼吸と同じです。あなたは、自分がなぜ呼吸をするのか考えたことがありますか。」

 その瞬間、私はその「日常性」の力に打たれた。これまでの私の認識では、宗教とは支配階級が人々を統制するための道具であり、行動を規範化するために高所から与えられる戒律に過ぎなかった。しかし、宗教が社会の主旋律ではない世俗国家で生まれ育った私にとって、信仰が単なる権力者の装飾や歴史の遺物ではなく、普通の人々が日々実践する呼吸そのものであるという発想は、これまで持ち得なかったものである。

 あるとき、アザーンが響く中、私たちは一つのモスクの前を通りかかった。中では多くの人々が地面にひれ伏し、額をひんやりとした床に触れさせ、詠唱に合わせて背中が潮の満ち引きのように揺れていた。決して裕福には見えない人々も多かったが、誰もが深い敬虔さをもって祈っていた。私は通訳の方に、なぜこれほどまでに人々が信仰に忠実なのかを尋ねた。彼女は、イスラームにおける来世観について熱心に説明してくれた。彼らが日々祈り、善行を積むのは、現世の利益のためではなく、より良い来世のためなのだという。

 そのとき私は、日本で頻発する鉄道への飛び込み自殺や、中国で後を絶たない未成年者の飛び降り自殺のニュースを思い出した。もし宗教的信仰が人々に心の避難所を与えることができるのなら、絶望の波が押し寄せたときにも、掴むべき一本の浮木を失わずに済むのではないだろうか。宗教信仰は、確かにバングラデシュの人々に精神的・心理的な支点を与えているように感じられた。

 十日間に及ぶ調査の中で、私たちは現地の貧困や教育の実情を自分たちの目で直接見た。ぬかるんだ小道の脇には低いトタン屋根の家々が立ち並び、真昼の太陽の下で白く眩しく光っていた。裸足の子どもたちは、暗い小屋の中に集まり、地面に座って授業を受けていた。しかし意外なことに、そこに生きる人々は、私たちが想像していたほど重苦しい表情をしておらず、むしろ明るい笑顔を浮かべていることが多かった。それは、信仰が現実の困難を超える軽やかな力を彼らに与えているからではないかと思われた。まるで痩せた土壌に根を張った蔓が、かえって鮮やかな花を咲かせるかのようであった。

 このような、私のこれまでの認識とは大きく異なる生命のあり方を前にして、私は他者文化への理解をさらに深めることができたと感じている。バングラデシュの人々にとって宗教とは、生き抜くための知恵であると同時に、心を支える拠り所なのだろう。そして私たちもまた、そこから学ぶべきものが多くあるのではないだろうか。


2025年10月20日月曜日

AAEEネパールプログラム2025報告書(5)「幸福と教育の間にみえたもの〜ネパールでの経験から得た学び〜」東京外国語大学 言語文化学部英語科1年 舘山佳歩

  
去年までの私は、受験生として典型的な日本の教育を受けてきた立場にあった。大学に行くことしか考えず、行けなければ自分の価値は証明できないと思っていた。英語教育学に興味はあったものの、学力やテストの点数、日本全体の英語力にばかり意識が向き、「教育」そのものの意味や教育と幸福、教育と社会の関係について深く考えたことはほとんどなかった。今回のネパールプログラムを通して、教育は必ずしも個人の幸福に直結するものではないという現実を目の当たりにした一方で、その価値や重要性を実感する経験となった。このプログラムは、私の教育観を大きく揺さぶるものになったと感じている。

 プログラムを経て私が考える教育の定義は、単に勉強することではなく、社会の中で生活を営むための方法を伝え、文化を継承する営みも含むものである。ネパールは、多くのコミュニティを含み、コミュニティごとに独自の文化を持つという点で、一種の多文化社会であるとも捉えられる。2週間の滞在を通して、その土地や共同体の価値を理解し、生活を支える力を育むことも教育の一部であると感じた。教育は学力向上だけを目的とするものではなく、社会や文化の未来に関わる行為だということを、今回の研修で痛感した。

 都市部の私立学校クムディニホームズでは、ダンスルームや美術室、ホテルマネジメントのコースなど、多様な学びを通して生徒の視野を広げる教育が行われていた。都市部の教育は、すでにある生活の質を前提として成り立ち、学ぶことは人生の充実や自己実現のための手段と位置付けられていた。つまり、教育は幸福な暮らしをより豊かにする存在である。しかし、私たちが発表を行った際、生徒たちはあまり話を聞いてくれず戸惑いを覚えた。発表者としてどのようにプレゼンテーションを行うべきか考えさせられたと同時に、知識や経験を与える教育が必ずしも生徒自身の幸福感と直結するわけではないことも実感したことを覚えている。

 一方、マイダン村の学校では、電気もなく天候次第で学校が閉まることもあり、5年生までしか学べないため高学年になるには村を離れなくてはならない。生活基盤自体が脆弱であり、学ぶこと自体が幸福に直結するわけではない。しかし、訪問して実際に授業をしてみると、子どもたちが私語を慎んで真剣に話を聞く姿があった。また、村の人々に教育についてインタビューをしていくと、教育をどれほど受けてきたかには大きく個人差があれど、誰もが教育を受けることの重要性を語っていた。都市部の教育が幸福を前提に学びの質を高める「ケーキの上のイチゴ」のような存在であるとすれば、農村部の教育は生活や社会の基盤を支える「皿」のような存在であり、長期的には社会や共同体の未来を支える力となることを実感した。

 Bandipurの公立学校では、教育と幸福の関係の複雑さをより痛感した。高校に通う生徒たちは、多くが大学に行きたいと考えておらず、わずかに希望する者も海外志向だった。「学ぶため」ではなく「海外に行きやすくなるから」という理由で学ぶ生徒が多く、中には「どれだけ学んでもNepalでは意味がない」と語る者もいた。英語で授業を受けることが当たり前の環境で、国際的活躍を視野に入れた教育が行われていても、学ぶこと自体が必ずしも幸福につながるわけではない現実を痛感した。私は日本で過酷な労働に直面する外国人労働者の状況を知っていたため、「日本に行きたい!」と希望を語る生徒に対して、心から「ぜひおいで!」とは言えなかった。教育と幸福が単純に結びつかないことを改めて認識した瞬間だった。

 この研修を通して得た最大の学びは、教育自体が幸福と必ずしも一致しないことを理解したうえで、その重要性を再認識できたことである。教育は選択肢や可能性を広げ、社会や文化、共同体の未来を支える力を育む営みであり、目先の幸福に直結しなくとも深い意味を持つ。正直なところ、私にとっては典型的な教育そのものの意味や教育と幸福に関して考え方が大きく変化する経験でもあり、「教育とは何か」という問いに対する明確な答えがわからなくなり困惑したのも事実である。しかし、その困惑の中にこそ教育の本質を考える契機があったように思う。教育は個人の学力向上だけでなく、社会全体の未来を支える行為であり、幸福に直結しない教育の存在を理解することは、教育の本質を再定義する第一歩だと考えた。目に見える成果や幸福だけに縛られない教育の意味を考え続けることにこそ意義があると知り、今後も教育の本質について考え続けたいと改めて感じた。


AAEEネパールプログラム2025報告書(4)「異文化理解とは何だろう」 筑波大学 国際総合学類1年 野澤沙奈

  異文化理解とは何だろう。そもそも、何のために文化を学ぶのか。アメリカを筆頭に、保守主義が世界中に広がっている。日本も例外ではない。自国中心的な考え方が勢いづく中で、他国、ひいては多文化を理解することに価値があるのか。ネパールに行き、短期間の生活を通して、自分なりに考えた。

    ネパールで出会った人は自分とあまりに違いすぎて、到底理解できないと諦めそうになった。私と比べて、遠慮や躊躇がなく、そして人との壁を作らない。例えば、毎夜ギターをかきならし、歌ったり踊ったり、肩がくっつきそうな距離で話しては大きな笑い声をあげる。私の心が折れそうになったのは、マイダン村での歓迎会のダンスで、他の人に気圧されながら一生懸命参加していたとき、ネパール人学生の一人が私を押しのけて輪の中心に入っていったことだ。私が努力して踊っても、本気で楽しめる他の人と同じ熱量ではないし、同じ経験はできない。それでも努力する意味があるのか、よく分からなくなった。

      考えが変わったのは、OKバジさんの話を聞いてからだ。バジさんが教えてくださった、相手との信頼の大切さは強く響いた。ネパールの人と一緒に活動するとき、バジさんは取り付けた約束を証明するポストカードを手渡すという。資金の用途、期日など、相手との信頼がなければ、一緒に活動できない。気になったのは、ネパールの人の時間の感覚と日本人との違いだ。例えば、学生の一人は集合の5分前に出発する私を引き留めて、自前のアクセサリーを紹介してくれるといった具合で、スケジュールが正しく運ばない。私は正直、時間を守らない人を信用するのは難しい。しかし、バジさんは、村の家の昼食が予定から30分以上遅れても動じず、村の人を信用して「もうすぐできると言っていますから待ちましょう」と私たちに声をかけた。その後、学校を訪ねるとバジさんが村の子供たちと手遊びをしていた。私たちには恥ずかしそうにしていた子供たちが、声をそろえて歌い、バジさんの一挙手一投足に注目し、笑っている。その姿が感動的で印象に残った。そして、他者を信頼することは、自分が他者から信用を得ることに繋がるのだと感じ、まずは自分から心を開いてみようと思った。翌日、学校を訪ねたとき、私は子供たちに変顔をしたり、追いかけっこをしたりと行動で示した。子供たちは少しずつ慣れてきて、構ってほしそうに何度も私の名前を呼んでくれた。このことを自信にして、ネパール人参加者に対しても、違和感を覚えたことを自分で吞み込まずに、共有するようにした。最後に贈ってくれた手紙に書いていた私の人物評価を見て、相手を信頼して自分を表現してよかったと思えた。

     今回のテーマは教育だったが、多文化共生教育はこれから特に重要になると考える。ネパールの学生と一緒に歌い踊り、村のダルバートを手で食べて、訪問した学校の子供たちと遊んだり話したりすることで得たものは、日本の学校では手に入らない。一方で、ネパールの教育現場では、文化の多様性を感じさせるものが多くあった。自分の民族の伝統衣装を着ている生徒や、校舎にネワール族の彫刻を飾る都市部の学校、参加者の学生も公用語のネパール語、英語以外に、自分の民族の言葉を話すトリリンガルだった。村には、目に見える形の文化多様性はなくても、文化的に豊かだった。例えば、農村部出身の参加者が、村で炊飯に使う道具について、都市部では圧力鍋を使うそうだが、それより美味しいと嬉しそうに教えてくれた。親から子へ、生活を通じて継承される「教育」が、村の文化の豊かさを作り出していた。このように、国家の中に多様な文化を含む国であるから、他人との壁をつくらず、他人に頼り、頼られるという関係性を築くことが容易なのだと考える。

     ネパールプログラムを通じて、相手を信頼し、また信頼してもらうために、他文化を理解するという異文化理解の価値を再認識した。近年の政治トレンドである自国の過ちを外国人のせいにせず、互いに信頼しあうには、多文化共生教育が不可欠であり、ネパールの教育現場や生活環境で見た文化的な豊かさの伝え方を私たちは考えるべきではないだろうか。


AAEEネパールプログラム2025報告書(3)「異国の地で起こった自分の進化」筑波大学 医学類3年 西村奈緒

 

「お願いだから邪魔しないで。まだこの余韻に浸っていたい。」

これはある映画のセリフであり、まさに、微分のずれもなく、今の気持ちを表してくれる。ネパールから帰国して二日後、私は、大学の固い椅子に座って、胎児循環、とかいう今の私にとっては無意味な単語を聞きながら、この文章を書いている。心がまだ何かを感じ続けているのに、感情はまだ過去にとどまっているのに、周りの全てが私を日常に引き戻そうとしてくる。昨日だけでも、写真とともに12日間の日々を思い出せたことを心からよかったと思う。

このプロジェクトで出会った人々から一つ、学んだことがある。

それは、何か行動を起こし、成し遂げるには、そしてそれを継続していくには、自分の内発的な動機付けによる信念と、人との信頼関係が不可欠であるということ、だ。

ネパールで学生寮を営み、学生の支援をしている岸さん、全てを投げうってネパールに200以上の学校を建設したOKバジさん、このプロジェクトを長年続け、準備してくださった関先生、シティーズさん。彼らは口をそろえて、こう言う。

「この活動は自分の幸せのためにやっていることだ。」

「協力してくれる人がいるから、活動できている。彼らには本当に感謝している。」

他人のためを思って行動することはいいことかもしれない。しかし、期待通りの反応が得られなかったとき、行動したことにすら気づいてもらえなかったとき、その動機を他人に委ねていたら、行動を続ける意味がそこにはもうなくなる。

行動すること自体に自らがモチベーションを感じ、心から楽しんでいるということ以外に、純粋で力強い動機はない。利己的であること。利己的であると同時に利他的であること。そこには真の意味で、お互いの幸せが成り立っていることを彼らとの出会えたことで深く理解できた。 


このプロジェクトのテーマは「教育」であった。小学校、中学校、高校と学校の勉強をがむしゃらに頑張って来た私にとっては、テストでいい点を取る、いい成績を取る、偏差値の高い大学に入ることが目標であった。このプロジェクトに参加して人生で初めて、教育とはなにかという問いに向き合った。

学校教育は教える事、育てる事を目的とした明確な場であるから、注目されやすい。しかし、人が学ぶのは学校だけではない。ネパールのマイダン村を訪れたときにそのことを強く感じた。村の様子を説明するならば、安定した電波がほぼないことを知ってもらえれば少し想像しやすくなるだろう。そこで人々はとても幸せそうに日々の暮らしを送っていた。全く文字を読み書きできないおじいさんも、学校に行かず家業を手伝っている子供も、高等教育のために2時間もかけて隣町まで通う学生もみんな、料理をすること、片づけをすること、食卓を囲むこと、一緒に歌ったり踊ったり、会話をしたりすることに積極的で、楽しんでいた。私は、周囲との関わりが深い日々の生活そのものによって、彼らにとっての幸せの意味が形成されていくのを感じた。彼らは、「教育」を通して、自分の生き方を学んでいるのだった。

つまり、「教育」とは、学ぶ者が、何も持たない「無」の状態から、何かを得て「有」の状態へと変化する過程を支えることではなかろうか。「有」とは、人の生き方の指針「価値観」となっていくもので、それを支えるのは、学校教育をはじめとして、家庭、地域、また、私たちが認識できていない様々なものであると考える。 

人は、「教育」を通してなにかしらの影響を受けて進化する。私が、このプロジェクトを通して、未知の環境で人と出会い、知らなかった考え方に触れ、新たな経験をしてそれらを自分自身の一部として加えたこの過程はまさに、「教育」が私にもたらしてくれた変化であると思う。


文章を書いている今から思い返すと、あの12日間が本当に現実だったのかさえ疑いたくなるほど、あっという間で、言葉にできないほど濃い時間だった。ただ、今、私自身が感じているこの気持ちは確実で、それはこの経験を証明してくれる十分すぎるほどの価値を持つ。これもまた、私だけは認めることができるのである。