2017年9月30日土曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 8月 報告書 (1) 小林里実(上智大学文学部英文学科1年)「ありのままの自分であること」

Mero Sathi Project 2017 8月 報告書(1)
「ありのままの自分であること」

上智大学文学部英文学科1年
小林里実

2017年8月16日から27日までの12日間、ネパール研修に参加した。きっかけは単純で、私が上智大学に入学するきっかけにもなった関愛生さんに誘われたからだ。高校生の頃からこのメロサティプロジェクトの存在は知っており、オープンキャンパスの時に話を聞きに行ったこともあった。もともとアジアの国々を訪れたいと思っていたのだが、それは私が韓国とのミックスであることや、シンガポール航空に就職したいことが要因であると思う。今回私にとっては初めてのネパールだったため、未知の世界というのがよく当てはまる場所だった。私は今までに韓国、中国、アメリカ、シンガポールへ行ったことがあるのだが、どの土地も発展しているためカルチャーショック等驚くことは少なかった。だが、ネパールに降り立った瞬間の衝撃はどの国にもないものだった。飛行機を降りた瞬間の空気のにおい、空気の色、照り付ける太陽はどれも日本のものとは違った。だが、どこか懐かしさも感じた。空港の職員のフレンドリーさから、荷物持ちを職とする人を避けながらコーディネーターのシティズが待つ車まで歩く道も異国の地ということを感じさせた。
 私がこのスタディーツアーで強く感じたことがいくつかある。まず、彼らはありのままの自分を大事にしていた。一般的に日本人は謙遜をしがちだ。褒められても否定をする。否定をしないとナルシストだとか自分大好きと言われてしまう。だが、果たしてそれは悪いことなのだろうか。私は自分のことが好きだ。それは自分が人より優れていたり美しいと言うわけではなく、悪いところも含めた上で好きなのである。そういうわけで私は日本で生まれ育ったが、日本での生活に息苦しさを感じている。ネパールの人々はというと、自分のことを客観的に見て良いものは良い、悪いものは悪いと言う。謙遜をあまりしないところに私は非常に惹かれた。もしかしたら日本よりネパールに住むほうが居心地はいいのも知れない。
 私はものをはっきり言う性格で、日本の友人からはあまり良くないことだと言われていた。しかし今回のネパールでのスタディーツアーで、日本での常識が大きく変わった。ネパール人メンバーは私のことを「強くて美しい」と褒めてくれた。今までにない経験で非常に驚いた。また、彼らは自分自身のことを大事にしていると感じた。
 次に感じたのが、お金で買えないものがある、ということだ。日本、特に東京という大都会に住んでいると、お金の流れが速く、お金で買えないものはないと錯覚していた。実際東京ではそうなのかもしれない。しかしネパールでは違った。ポカラで泊まっていたホテルの下にあるレストラン青空にあるベンチに座り、何もせずただ空を見ていたあの瞬間は忘れることはないだろう。東京にいたら時間があるとついスマホを見ていたりするが、そんなものはいらなかった。そして何より、大事な友人と出会えたことが大きい。私は日本では友人は少ないほうだ。特に日本人との友人関係の築き方が下手なのかもしれない。だが、今ではネパールにたくさんの友人ができた。これはお金では代えられない大切なものだと気づいた。帰国して一か月が経つ今でも、相談に乗ってもらったり、電話をしたりする。このツアーで私の人生が潤いを増したのは明らかだ。

 これはポカラに着いた初日に撮った写真だ。そして次の写真がシクリス村からポカラに帰ってきたときの写真だ。初日はぎこちなさが見て取れるが、二枚目には写真を撮られることにも慣れ、信頼する友人に囲まれた自分の姿がある。

 実の兄弟姉妹のような関係になれて心から嬉しく思う。
 そして最後に、障害を持つということについて感じることがあった。私の妹は重度の自閉症を患い、現在14歳だが脳年齢は1歳にも満たない。よって言葉を話すことができない。私はこれまでの人生で障害について考えることが多かったのだが、今回訪れたdeaf school での体験は今までの考えを変えるものになった。まず彼らは私たちと非常に積極的にコミュニケーションをとろうとしていたことに驚いた。私はネパール語の手話は知らなかったので、メモ帳を使い会話をした。彼らは私のメモ帳を使い、私の名前、出身、年齢、親の職業、兄弟の有無、Facebookのアカウントを聞いた。私が今まで出会ってきた障害を持つ人の大半は引っ込み思案だったため、彼らの積極性には驚かされた。また、彼らの優しさには感動させられた。人の痛みを知る人はそうでない人より優しくなれるのは本当なのだなと感じた。そしてdeaf schoolが全寮制なのは素晴らしいことだと思った。日本の特別支援学校は基本的に全寮制ではなく、自宅から通うか、施設から登校する。私の母はずっと妹を施設にいれるのをかわいそうだからと拒んでいた。だが、昨年末、母は持病の甲状腺障害が悪化し入院することになってしまった。そのことがあり母は妹を施設にいれることを考え始めた。だが、学校が全寮制であれば母はここまで悩まなかっただろう。特別支援学校の全寮制を日本も増やすべきである。
 今回このツアーで得られた経験は本当に貴重だ。この経験を生かすために、まず行動を起こさなければならないと感じ、9月22日に東京ビックサイトにて行われたツーリズムEXPOジャパンのセミナーにてパネリストとして参加した。そこで今回のスタディーツアーで感じたことを、セミナーのテーマである「若者のアウトバウンド政策」と絡めて述べた。今回のツアーの参加者のような学生は海外に対して意識の高い人が多かったと思うが、若者のボリューム層はそれに当てはまらない。その理由を私なりに考えると、まず若者のリスク回避の傾向があげられる。失敗を極度に恐れるがゆえに、リスクがあることには挑戦しなくなったのではないかと考えられる。海外に行くリスクとは、例えば①海外に行く「意識高い系」は痛い存在と言われることがあること、そして②海外で就職する人より国内に目を向けている人のほうが出世する傾向にあることがあげられると思う。だが、海外に行くというのはそんなリスクよりもはるかに収穫があることだと私は思っている。それがスタディーツアーであっても、旅行であっても変わらないが、違う価値観、違う文化に触れることで自分自身や日本についてよく見えてくる。逆に日本という国に閉じこもってしまうと、自分自身さえも見えづらくなってしまうのだ。そして次に海外に対して敷居の高さを感じている人が多いように感じる。私の友人たちにも話を聞くと、必ずと言っていいほど「何か壁がある」と言う。
 私にも同じように感じる出来事があった。私が高校2年生の時、トビタテ留学ジャパンという文部科学省が留学費を出すプロジェクトに応募した際、志望理由は「語学を学ぶため」ではいけないと教わった。語学を学ぶのは当然で、+αで学ぶものを理由としなければならないと言われたが、私は納得がいかなかった。日本は立派な先進国で、日本で学べないから海外に行くというものはほとんどないだろう。それなのに理由を作らなければ海外に行けないなら海外には行きづらいと感じていた。私以外の若者にも、「海外に行く」ということに壁があるのは、何か理由をつけなければいけないという義務感があるからなのかもしれない。しかし、そんな理由はなくても海外には行けるし、一度海外に行くと自分が変わることを実感できる。その感覚を現代の若者のボリューム層に伝えたいと思うようになった。今回のスタディーツアーに参加したことで、私はこのようなアウトバウンド政策について非常に興味を持つようになった。まだ構想段階だが、中高生に向けた出張授業を行う団体に所属し、積極的に伝えていこうと思っている。
 最後になるが、私の人生を変えるきっかけになったこのツアーに勧誘してくれた関愛生さん、コーディネーター、関昭典先生、メンバーのみんなに感謝したい。

2017年9月29日金曜日

ベトナム VJEP 2017 報告書 (1) 田村彩音(中央大学総合政策学部1年)「心を通わせるむずかしさ」

VJEP 2017-ベトナムプロジェクト報告書

「心を通わせる難しさ」


中央大学総合政策学部政策科学科
1年 田村彩音

 私がこのすばらしいプログラムに参加できたのは、奇跡に等しかったといえる。ほかのメンバーのように経験者の先輩から誘われたわけではなく、たまたま高校時代一緒に海外渡航した友人がその時のグループメンバーに向けて参加者を募集していたのが目に留まったことがきっかけだった。そのときすでに募集期限が過ぎていたため、私はこのプログラムの存在を知ってから二日で参加することを決めた。プログラムが終わった今、私は詳細もあまりわかっていない中参加を即決した自分を褒めたい。それまでの私は、英語圏またはヨーロッパなどの先進国にしか興味がなかった。しかし父親がよくタイに出張に行くこと、また大学に入ってから東南アジアに関する授業と合わせて第二外国語にマレー・インドネシア語を履修したことによって大学に入ってから一気に東南アジアへの関心が高まっていた。そのため今回のVJEPは私の初めての東南アジアないしは途上国訪問であった。最初は100%好奇心で応募し、期待を胸に膨らませていたものの、他の日本人メンバーに比べ英語力が乏しいことに加え、当日が近づくにつれ課題も増え、期待より不安の方が大きくなっていった。プログラムが始まると、毎日がせわしなく、幾度となくスケジュールが変更された。そんな二週間の中で私はたくさんのことを学んだ。その中でも特に伝えたい「心を通わせる難しさ」をこれから述べたい。
 まず私が言いたいことは、コミュニケーションツールは英語だけではないということだ。ベトナムに行く前、最初に日本人メンバーや関先生と顔合わせ・自己紹介をした時、他のメンバーに比べて学歴はあまり優れていないが、高校時代部のバンド活動を一生懸命やってきたという私に関先生は大きな期待を寄せた。英語が得意なわけでもなく歌が得意なだけなのになぜ先生は私にそんなに期待を向けているのだろうとその時は思った。確かに事前準備の段階において歌やダンスの練習をする機会はあったが、それだけではないと思った。出発する直前に、歌やダンスのような学習以外のツールは後々重要になると言われ、パフォーマンス係として、気を引き締め直した。実際ベトナムに行ってみると、私たちのパフォーマンスは最初グダグタだったものの、想像以上にベトナムの方々が盛り上がってくれて、もっと練習しないと、と日本人メンバー全員がそう思った。日付が超えるまでダンスの練習をし、なんとか形にすることができた。私たちの練習をベトナム人メンバーが見ると、自分たちも一緒に踊りたい、と個人的に練習している人も見受けられ、最初は合間の時間に一緒に踊っているだけでしたが、プログラムも後半に迫ると、どうせならベトナムメンバーも含めてみんなで一緒に舞台で踊ろうという話になり、全員で踊った。それは強く心に残る思い出の一つである。みんなで一緒に踊っている時は本当に楽しくて、全員が一つになった気がして、ダンスってすごいと思った。
 また、前述したように私は英語力が乏しく、ベトナムメンバーと話す時に自信が持てず、最初積極的に会話ができずにいた。初めて両国メンバーで顔合わせした時も、ベトナムメンバーはみんなフレンドリーだったにもかかわらず、うまく話せるか変なことを言ってしまわないかなどいろいろ考えて緊張してしまい、多分私の顔は引きつっていたと思う。後にあるベトナムメンバーに、彩音の第一印象はあまり喋らない静かな子だと思ったと言われた。実際、私の性格は真逆なのだが、そう見えていても納得できるほど自分がその時固まっていたのは今でも覚えている。しかしそんな私を素に戻した瞬間があった。両国メンバーが一緒にゲストハウスに泊まっていた時のことだ。夜みんなで集まって、ベトナムメンバーが弾くギターを囲んで一緒に歌った。歌が好きな私にとってこの時間は本当に楽しくて、笑顔でみんなと歌い合っていた。その時自信を持ってベトナムメンバーと接することができたからか、それ以来心のわだかまりが解けて、彼らと向き合う勇気が持てた。
 コミュニケーションツールは英語だけじゃない。私はこの経験を通して強くそう思った。ダンスや歌など、一つ何か突出して好きなことがあれば、共通の趣味を持った相手と話が盛り上がるし、一緒に歌ったり踊ったりして心を通じ合わせることができる。私の場合、歌で心を通わせることができた。先生が言っていた意味がその時わかった。この経験を元に、これからも英語を伸ばしつつ、歌も伸ばしていきたいと思った。
 また私がベトナムの人たちとの間の壁を取り除くために必要だと思ったことは、相手の言葉や文化をもっと知りたいと意思表示することだと思った。ベトナムメンバーといる時会話に困ったら、とにかく「これはベトナム語でなんていうの?」と聞けば嬉しそうに答えてくれたし、英語が喋れないホストマザーやホストファザーに積極的にベトナム語を使っているとき、彼らはいつも笑顔で返してくれた。きっと彼らは自分の国を愛しているからこそ聞かれると嬉しいのだなと思った。特に一番思い出に残っているのは、ベトナム語の歌をメンバーに教えてもらったことだ。私がメロディーや発音を聞きに行くのをみんな喜んでくれて、頑張って習得しようと思えた。最後にはベトナムメンバーとみんなでその曲を歌うことができた。
 ベトナムから帰ってきた一週間後に、大学のプログラムで異文化交流を目的にインドネシアへ渡った。同じ東南アジアということで、似ているところもあったがやはり異なるところもたくさんあった。しかし何においてもベトナムの方がよかったと感じてしまうのは一重にあの二週間が自分にとってかけがえのない思い出となり、またかけがえのない友達ができたことにあると思う。また私は今までにオーストラリアとイギリスに行き、異文化交流と合わせて短期間のホームステイも行ってきたが、これほどお互いの壁をなくして打ち解けたのは初めてである。その時と今回とで私の何が違ったかと聞かれれば、積極的に相手の文化に触れようとし、また英語を使おうとしたかどうかである。心の壁をなくすには自分でその壁にぶち当たりに行くことが大切だと私はこのプログラムから学ぶことができた。