2016年11月21日月曜日

ネパール NJEP 2016 報告書 (11) 関愛生(上智大学総合グローバル学部2年) 「心の壁を崩す」

               「心の壁を崩す」

上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科2年
関 愛生


 2016年夏のNJEPスタディーツアーは、生涯忘れることの出来ないほどよい思い出となった。高校時代の一年間をネパールで過ごした私にとって、ネパールという国は人生の原点とも言える場所だ。中学3年時、高校受験前の最後の夏、受験勉強に勤しむ周囲の人々をよそにネパールに旅行に出かけ心底ネパールに惚れ込んだ私。帰国したその日に両親に頼み込みネパールの高校に進学することを認めてもらった。今考えてみると、当時の私はとんでもない決断をしたと我ながら驚いてしまうが、そこでの経験こそが私の人生を大きく変えた。
毎日長時間停電し、水不足で水道がほとんど使えなかったりなど、日本で生まれ育った私にとって生活面で苦労したこと多々あったが、それ以上にネパールの人々と毎日一緒に過ごし、語り合う中で多くのことを学ばせてもらった。毎日が忙しく時間との戦いである日本とは対照的に、ネパールでの生活は緩やかで時間に追われることはほとんどなかった。そんな環境だからか、ネパールにいると私は毎日のように人生を振り返り、自分自身についてゆっくり考えることが多い。不思議なことに、日本では全く気づくこともなかった私の心の奥底にある想いにふとした時に気付けたりするのだ。そういった意味では、私にとってネパールという国は自分に一番正直になれる場所で、だから日本に帰国してからも毎年のように通っているのかもしれない。 
 大学生になってからは、スタディーツアーの企画者、そして一参加者としてネパールを訪れている。私たちの企画するスタディーツアーの最大の特徴は、日本の大学生と現地の学生との交流に最も重きを置いているということである。ネパールに到着した日から帰国日まで、約20人の両国の学生から成る私たちのチームは、ツアー中はどんなことがあっても一緒に過ごす。朝起きる時も、ご飯を食べる時も、真剣に話し合う時も、冗談を言い合うときもいつも一緒だ。ここまで学生交流を重視しているスタディーツアーだからこそ、仲間の存在が何よりも重要となる。私にとって、企画段階から中心的に関わるのは大学生になってから2度目だったが、幸運なことに今回も最高の仲間に恵まれた。日本側のメンバーは、メンバー募集開始からなんと2日も経たずに決まり、高校生から大学生まで驚くほどに個性豊かなメンバーが集まった。ネパール側からは、壮絶な受験戦争を勝ち抜いてきた優秀な大学生がメンバーとして顔を揃えていた。
 ツアー初日、ネパールの空港で初めて顔を合わせた両国学生は、最初はぎこちない雰囲気になるかと思いきや、空港から宿泊先に向かうバスの中ですでに、みんなで日本やネパールの歌を歌って大騒ぎするほどになっていた。そんな最高の仲間たちと過ごした2週間で出来た思い出は星の数ほどあるが、その中でも私にとって一生忘れることのないだろう思い出をここに書きたい。
 ツアーの最中、日本人学生の一人が誕生日を迎えた。その時私たちは、2日間をかけて辿り着いた山奥の村でホームステイをしていた。その日の朝、村の公民館に集まってきたメンバーのひとりが今日がその日本人学生の誕生日であること、そして何かしらの方法で祝いたいということを誕生日である本人にバレないようにみんなに伝えた。すると、ネパール人学生たちが「ネパールで誕生日を迎えたのだからネパール式の誕生日の祝い方をしたい」と言い出し、リーダーシップをとって私たち日本人に指示を出しながら壮大なサプライズパーティーの準備を進めてくれた。誕生日である本人にバレないように、両国の学生が一体となって何時間も夢中になって準備したそのサプライズパーティーは、絵に描いたように上手くいき見事大成功に終わった。その瞬間、日本とネパール両国の学生の間にあった壁が一気に崩れ、私たちは本当の意味で一つのチームの仲間になれたと感じることができた。
   全く違う環境で育ち、全く違う文化や習慣を持った人同士が心の底から打ち解けられるようになるのは簡単ではない。今回のツアーでは両国の学生が出会ったばかりの頃から一緒に歌い、多くのことを話して表面的には仲良くなったように見えても、やはり最初は、お互いの違いを受け入れることが出来ず衝突することもあった。それでも長い時間を共に過ごし、様々な喜びや苦悩を共有することで初めて「心の壁」を崩すことができたのだと私は考えている。サプライズが成功したあの感動の瞬間にこそ、計り知れない価値があるのだ。一度心と心で繋がった友情は、国境や時間を超えて繋がり続ける。 
 日本で生活していると、グローバル人材という言葉を聞かない日はない。ではグローバル人材とは何か。私の知る限り、日本ではグローバル人材=語学力と単純に結びつける風潮があるように思う。確かに国際社会で活躍する上で語学力が重要であることは間違いない(例えば僕の場合、ネパール語を介せることのメリットは計り知れない)。しかし、語学力だけでは不十分である。私のこれまでの経験からグローバル人材になるために最も重要だと思うことは、世界の人と触れ合う時にその人と自分との差異を感じ取り、受け入れ、その上でその人を尊重できるようになるということだ。それが出来て初めて、相手の心に入り込み互いの気持ちを共有できるようになるのだと思う。 私を含め今回のツアーに参加した両国の学生は、このことを見事に体得出来ていた。そして今回の経験は参加者にとって、今後、国際協力ビジネス、政治、どの道に進むにしても大いに役立つだろうと信じている。
 私自身は、今回のツアーを通じ、企画者の観点でいくつかの改善点も見出したので、次回に向けて構想を練り直し、さらにレベルアップしたプロジェクト実現したいSNSで世界中の誰とでも情報交換できる今の時代だからこそ、世界で活躍することを志す多くの若者にこのツアーの存在を知らせ、参加してほしいと願っている。そして世界中の仲間と切磋琢磨しながら、よりよい世界を目指し自分たちにできるアクションを起こし続けいきたい。




2016年11月14日月曜日

ネパール NJEP 2016 報告書 (10) 北原咲希(東京家政大学こども学部1年)「私にできること」

「私にできること」

東京家政大学こども学部1年
北原 咲希


写真を見返すたび、心の奥がぎゅーっと締め付けられる。キラキラ笑顔の子どもたち、エネルギーに満ちた仲間たち、生を感じさせてくれた美しく荘厳な自然、クラクションの鳴り響く道路、目を背けたかったあの光景…。ネパールでは、当たり前に続いている日常であるのに、一つひとつが“思いで”に変わってしまうことが怖くてたまらない。
「私にできることってなんだろう」ネパールでも常日頃考え続けていたことだ。目の前にある、変えていかなければならない現実と、変わってほしくない現実とが入り混じり、結局、私は無力であり、自分にできることはないのかも知れない…。そんな結論に至ってしまっていた。
   そんな私を変えてくれたのが、村の子どもたちである。このツアーで唯一胸を張っていえるのが、誰よりも子どもたちと思いっきり遊んだということだ。この村の子どもたちの為に、自分だったら何ができるか。そんな苦しい問いと無力感から逃れ、全てを忘れたくて無我夢中で遊んだ。シャイな彼らが一瞬見せる笑顔と、賢そうな眉をクイッとあげて私を見つめる瞳がまた愛おしくて、時間と我を忘れ、一緒になりはしゃいだ。
  子どもたちの無邪気な笑顔を見つめているうちに、ふと気づいた。これでいいのかも知れないと。私は、「自分にできること」を支援という枠組みの中で、形式的な型にはめ込もうとしていた。正解なんてないのだとわかっているつもりであったが、無意識のうちに求めてしまっていた。答えがないことは、確かに辛いことだ。しかし、目の前の子どもを笑顔にできなくて、何の支援ができるのだろうと考えると、これこそが今の自分にとっての最高の支援の仕方であって、それが始まりなのだと思う。言語の違う子どもたちとどのようにコミュニケーションをとったらよいか悩んでいたが、一緒に同じ目線になって遊ぶことが、こんなにも言語の壁を越え、心の距離を縮め、お互い笑顔になれる魔法なのだということをも、彼らが教えてくれた。素敵な笑顔と、大切なことを教えてくれた子どもたちに、心から感謝したい。
 また、私はこのツアーで、幸運にもネパールのCBROCommunity Based Rehabilitation Organization)の施設を特別に見学させて頂ける機会を頂く事ができた。障がいをもつ子どもたちの通うDay care centerである。

    私は、大学で特別支援教育を学んでおり、途上国の障がい児教育に大変興味がある。しかし、途上国の障がい児支援を本やインターネットで探してみても、あまり情報はなく、どういう支援を行っているのかというよりは、障がい児・者の状況や、問題点が多く語られていた。なので支援団体や施設があっても実際にどのような人が関わり、支援や教育をしているのか全くわからなかった。
 今回施設に実際にお邪魔し、一番感じたことは、とにかく先生方があたたかい、ということだ。途上国の障がいを抱えている人に対しての周りの目線は、ひどいものである。そんな思い込みが脳裏に張り付いていたが、CBROの先生方は、一人ひとりの能力を把握し子どものしたい、やりたい、という主体性を尊重し、向き合っているように思えた。
 もちろん、全ての人が同じ考えではないし、支援の仕方や環境に問題点や改善点も見られたが、それ以上に、障がいをもつ子どもにかかわる人々のあたたかさを感じられたことが、実際にお邪魔させて頂けたからこそ感じられたことであると思う。これまで、脳裏にあったネパールのマイナスイメージが完全になくなり、希望に変わった。私が見たのは彼らの生活のほんの一部であるが、もっともっと関わり彼らの未来を一緒につくりたいと本気で思った。
最後に、これらの経験は、ただただ、「行きたい!」「分からないので、全て感じて見てきたい!」という私の思いに、関先生を始め、青年海外協力隊の隊員さんや元隊員の方、ネパールで実際に活動されていた方…多くの人がたくさんのアドバイスやサポートをして下さり、実現できたことである。初めての地で、不安なく充実した時間をすごせ、私のこれからの人生に、大きくつながるような学びを得られたことは、多くの方々の協力があってこそ経験できたことで、決して自分ひとりでは得られなかった。だからこそ、支えてくださった方々の思いを無駄にはしたくない。これらの学びを“思いで”にするのではなく「今、自分にできること」「これから自分がしていきたいこと」を常に考え行動し、繋げていけるように、これからも学びを深めていこう。

2016年11月12日土曜日

ネパール NJEP 2016 報告書 (9) 笹川千晶(上智大学総合人間科学部教育学科1年)「見つめる」

「見つめる」
                     
 上智大学総合人間科学部
                      教育学科
                    1年 笹川千晶

  今年の8月、約2週間、私はネパールスタディーツアーに参加した。ご縁があって今回のツアーに参加することとなったが、初めはネパールが地図上でどこに位置するのかさえ定かではなかった。だが、ネパールで過ごすうちにどんどんネパールに惹かれていった。何を得たのかときかれると、正直答えに困ってしまう。スタディーツアーだからといって、何かを得なければいけないという決まりなどはないと私は思う。ただ、そこに行って暮らすことで必ず自分にとって大切な「何か」は感じることができる。かの有名なサン•テグジュペリがいった、まさに、「本当に大切なことは、目には見えない」のだ。
 私がネパールで感じた大きなものは、「愛」と「豊かさ」だった。ネパールには、ものの充足ではない、なにか他の幸せの視点が存在しているのだと実感した。そのことについて、ネパールでの日々を振り返りながら、この場をかりて伝えたい。都会で育った私にとって異国すぎるその国は、私を常に「考える」人間にさせた。「幸せ」とは?「生きるとは」?「愛」とは?難題を突きつけられたときその答えはいつも、ネパールにあった。カトマンズは様々なものであふれ、立ち止まることさえ許されない。一瞬たりとも鳴り止まない車のクラクションはそこにあるすべてのものの指揮者のようで、私の思考を疲れさせるには十分すぎた。だが、同時に居心地の良さを感じた。複雑なものに溶け込むことに、自由を感じたのかもしれない。ネパール人メンバーとの共生にも戸惑った。異なる背景を持っている人とうまく折り合いを付けていけるだろうと思っていたが、価値観や文化の違いを前に無気力になってしまうことさえあった。そこから生じる問題を「文化の違い」と簡単にまとめてしまうことはできる。だが、それはあまりにも浅はかな考え方なのではないか、と実際に異文化の背景を持つ仲間と共生する中で実感した。人はそれぞれ違うのに、お互いの違いを享受することは苦手だったりする。それは人間である以上、様々な感情があるわけで、仕方のないことであるが、大切なのは、自分は相手に対して先入観やある決まった価値観を抱いているということの認識を前提にそれらの人と向き合うことだと思う。そうすることで、相手を受け入れる自分の中の袋に余裕を与えてあげられるのだ。そして、異なる部分ではなく、共通した部分また、差異から得られる新しいものさらに、相手の持つ良さや魅力に気づくことができるのだとツアーを通じて実感した。
 心が豊かなことは、気持ちが豊かなことである。東京の騒がしく、めまぐるしく、そして自分中心な街で生活をしていると、時の早さに追いつかなくなってしまうことがある。心の安らぎ、小さなことへの気遣い•感謝も気づかぬうちに消え去っていく。だからこそ、人は「豊かさ」を求め、外へ出るのかもしれない。少なくとも、私はそうだ。3日間ホームステイをしたマイダン村での日々は特に「豊かさ」に溢れていた。朝はニワトリと子どもたちの声で目が覚める。小さなドアを開けると、太陽の光と子どもたちの笑顔が真っ暗だった部屋を照らす。そして、お母さんが温かいバッファローのミルクとビスケットを届けに来てくれるのだ。それを食べたら、歯を磨きに、顔を洗いにいく。山の絶景を見渡せるその場所は私のお気に入りの場所だった。ついつい太陽に向かって伸びをしたくなる。植物になったみたいに。目を覚ましてからの時間をこれほどまでに味わい尽くせたのはいつぶりだろうかと思った。確かに村での生活は過酷であった。だが、それ以上に魅力的であり、美しかった。私のホームステイ先のお母さんは「愛することに理由はない。ただ、そうしたいと思っているからそうしているだけ」と言った。私たちは「愛」について考えるとき、どうしたら愛されるのかについて考える。「愛する」よりも「愛される」ことを望む。「愛する」ことは時に大きな辛さを背負い、時に負担になってしまうと私たちは知っているからだ。しかし、「ただ、そうしたいからそうしているだけだ」と素直に真っすぐに言ったお母さんの心に涙がでそうになった。私は「愛する」人になれているだろうか。
 このツアーで最も自分にとって大きかった出来事がある。それは、生きているブタの首を切ったことである。これを聞いた人は一体どう思うだろうか。残酷だと思うだろうか。たしかに、残酷である。生きているブタの首を自分の手で切って殺すなんて生きている中でするとは思っていなかった。だが、実際、私はなんの躊躇もなくそれをした。小さなナイフでブタの首をきったときのブタの悲鳴や感触や感覚は今でも鮮明に覚えている。生き物の「生」と「死」を自分の手で、目で感じ、見たのだ。これこそ、文明の格差だ。あまりにも、原始的なやり方だった。かわいそうと嘆く声もきこえるが、今日もどこかで私たち人間が生きるために動物が殺されているのだ。「生きるとは、こういうことなのだ」と痛いくらいに突きつけられ、考えさせられた。私がしたことは残酷だ。だが、あの頃の私にとっては必要な経験だった。自分の強さを知った。そして、弱さを知った。


 ネパールスタディーツアーを通して、人の温かさを知った。これ程までに最高のメンバーに恵まれている自分が幸せだった。どこまでも「愛」に満ちた人たちなのだ。そして、自分の無力さも知った。私は無力だ。ちっぽけだ。だが、こんな私にもできることがある。そう教えてくれたのもこのツアーだ。知らないことは怖いこと。だが、知らないことを知ろうしないことはもっと怖いことだ。この世界は無情で、自分らしさなど守りきれない、なんて生きづらい世界なのだろう、そう感じることもある。だが、そんな世界にも、見つめれば、たしかに「豊かさ」は存在しているのだ。だからこそ、私はそんな世界には負けず、強い私でいたい。そして、今の私がこれから歩く未来はきっと誇れるものにしたい。「真っすぐな幹に、美しい花は咲く。」そんな真っすぐな自分で在り、移ろいやすく、儚く、ささやかなものを捉え見つめることのできる、そんな豊かな心でいたい。本当に大切なものはその先にある、と私は思っている。

2016年11月10日木曜日

ネパール NJEP 2016 報告書 (8) 小笠原杏佳(上智大学総合グローバル学部1年) 「私は私でしかない」

「私は私でしかない

上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科1年
小笠原杏佳



ネパールとタイでの暮らしは、毎日が驚きと発見の連続で、心臓が止まるくらいドキドキとワクワクでいっぱいだった。何をするにも自己判断で、自己責任そして、常に危険と隣り合わせだった。正直、私はこのスタディ・ツアーに参加して、明確に何が変わったかはわからない。だが学んだことは数え切れないほどある。
その中で最も大きな学びは「私は私でしかない」ことに気づけたことだ。そのことについて以下に述べる。

私には、小学生の頃から国際協力をしたいという夢がある。それを実現するために、留学、高校受験、大学受験、プロジェクトなど様々なことに挑戦してきた。だが「そもそも私はなぜ国際協力がしたいのか」という根本的な問いに自分で答えることができないでいた。また優柔不断で、周りの目を気にするし、自信がない自分が嫌いだった。そして、このままでは誰からも認めてもらえず、大切にしてもらえないと思い、変わりたかったし、変わらなければならないと思っていた。
今回のスタディ・ツアーを通して、私にとっての国際協力の意味を知りたかったし、これをきっかけにして自分の嫌いな部分を変えたかった。しかし、実際に参加して様々な経験をしたり、メンバーと交流したりしたが、国際協力することの意義は見出せすことはできなかったし、私自身が大きく変わったと感じることもなかった。この観点では、「分からないし、変わらない。」それが自分の出した答えだった。
一方で、自分は誰かの笑顔が大好きなこと、自分のことは嫌いではないこと、そして感謝すべきことがたくさんあること、に気づいた。また、今までは批判されたり、傷つけられたりしない「誰もが思う普通」でいることが最も良いと考えていたが、ネパールやタイでの様々な体験を通じ、誰もが思う普通など存在しないことに気づかされた。さらに、私たち人間には「自分には価値があり、特別な存在となり、認められたい、愛されたい」と思う自己承認欲求があるが、私にはその欲求が高いという新たな発見をした。
以上のことから、他人にどう思われるかを気にしすぎず、自分のやりたいと思うことをまっすぐに、全力で取り組んでいきたいと考えられるようになった。今の私には、自分の目標を実現させるのに必要な十分な知識や経験も、時間、資金も足りない。しかし、だからこそ自分には成長の伸びしろがあり、絶対にやってやる!というハングリー精神を強くもてるのだと考えている。正直、完璧だと思ったら、それ以上の成長はないと思うし、また、自分のやりたいことをはっきりと伝えなかったり、遠慮したりして謙虚になりすぎては何も変わらない。
人生はストーリー作り。これからは、やりたいと思ったことは、とりあえず挑戦し、成功したり失敗したり試行錯誤しながら必死に努力し、思わず手にとって読んでみたくなるようなページを日々作っていきたい。私は今回のスタディ・ツアーを通じ、これから生きていく上で大切なことに気づかされ、大切な仲間たちに出会うことができた。お世話になったすべての皆さんに心から感謝したい。





2016年11月9日水曜日

ネパール NJEP 2016 報告書 (7) 東未久(上智大学総合グローバル学部2年) 「私には何ができるのだろうか」

「私には何ができるのだろうか」

上智大学総合グローバル学部
                     総合グローバル学科2年                      東 未久



  はじめに、私は19年間生きていた中で、まだまだ知らない世界が広がって いるとしてもそれがどこまで続くのか、広さはどれくらいなのか全く想像がつかなかった。そんな小さな世界で生きてきた私にとって、今回のネパールは、 限りなく無限に世界を広げられ、綺麗なマイダン村の星空の下、同じ世界にこんなにも日常からかけ離れた素敵な世界が広がっているのかと心が踊り、身が 震えた。そんな15日間のネパールの旅を振り返るにあたり、私の心の中に強 く残ったことをこの場にて報告させてもらう。
  ネパールでは様々な場所に行ったが、中でも印象的だったのは、マイダン村であった。この場では語り尽くせないほどの、私にとっては衝撃的な世界がそこには広がっており、人々の生活、食事、学校、家、どれも実際に訪れてみなければ分からない想像もつかない世界であった。
 そんな土地で滞在をし始めて二日目、私たち日本人が鯉のぼりプロジェクトをしていた時ことである。絵の具の管理を担当し、屋外で手に絵の具をいっぱいつけていた私は、汚れた自分の手を見 つめ、「汚いから後で洗おう。」と考えていた。
 その時のこと、ふと私の手よりもはるかに小さな手が私の手の上に舞い降りてきてきた。そして私の名前を可愛い声で呼びながら、手を取り、その小さな手の小さな爪で私の手を掻きはじめたのである。少し痛くて、こそばゆい感覚に驚いたが、みるみるうちに私の手についた絵の具が取れていった。私の大きな 2 つの手に小さな手が8つもあり、取り合うように私の手を綺麗にしてくれ、反対に小さな爪には絵の具の汚れがついていく。私はされるがままその小さな手を見つめて、子供たち の手が動き回る感覚を感じていた。
  しばらくして小さな手の動きは止まり、私の手を撫でながら「beautiful」といって くれた。手を撫でられるという慣れない感覚にまたこそばかったが、青空の下、 私は自分の手を太陽の光にかざしてみた。ところどころに絵の具が残っており、 爪には土が詰まっている。日本では「洗ってきなさい」と言われる「汚い手」な のであろうが、子供たちが掻いてくれている感覚が抜けていない私の手は、普段の手よりもずっと綺麗に輝いて見えた。
  この子たちに私ができることは何であろうか。その時、初めて真剣に考え、答えを求めた。しかし、授業でも国際協力を学んできたはずなのに私にはすぐ思いつかなかった。国際協力というものは、私たち先進国といわれる国に住む人が途上国の人々に何かをしてあげるものだと考えていたが、今回のネパールでは、私が子ども達からしてもらってばかりであった。必ず何かをしてあげなければならないと強い思いに駆られたが、何をすべきなのか、何をしたらベス トなのか、全くわからなかった。もしかしたらそこに、正解はないのかもしれ ない。
  マイダン村から去った後、私のジーンズのポケットに子供たちにプレゼントとして持って行った風船が3枚渡しそびれて入っていた。もしこの風船 を渡せたら3人の子ども達に楽しみを与えられたかもしれない。しかし、渡しそびれた風船はその役目を果たせず、私のポケットの中でゴミとなってしまっ た。その3枚の風船をみて、私には何ができるのだろうか考え続けたが答えはそう簡単には見つかりそうになかった。だからこそ、私はこれからも学んでいかなければならないことがたくさんあり、学ぶことができ、考え続けられるのであろう。もしかしたら、そのことが子ども達の幸せを考える上で、国際協力 を学ぶ上で一番大切なものかもしれないと思った。 

2016年11月8日火曜日

ネパール NJEP 2016 報告書 (6) 阿部充紘(上智大学総合グローバル学部2年)「求めよさらば与えられん」 

「求めよさらば与えられん」

上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科2年
 阿部 充紘



 ネパールで何をしたのか。報告書という時、そこに書くべきものは僕自身にあったのか。考えた結果なし。
 たった2回目の渡航にもかかわらず、一歩引いたところでメンバーを支えていようといき過ぎた経験者面をした私は、そこで起こる事にただ浸り、流された。私の姿勢は、「そこにネパールがある。ネパールの文化や世界観があり、ネパール人がいる。」それだけだった。どの瞬間にも、新しく刺激的なものがあるのにそれらは自分からは隔絶された世界の中にある玩具でしかなかったのだろう。
そしてこうしてネパールでの経験を振り返ると、今年のネパールで何も出来なかったことを知り愕然とする。それはきっと上述のように私の虚栄心によって作り出された、いき過ぎた経験者面によるものだろう。一歩引くあまり、そこにあるリアルを食べて自分の血肉とすることをしなかった。
 このスタディツアーはなんだったのだろう。もちろんリーダーを任された私はその役目に対する自らの未熟さ、一方である程度の手応え、それらが今後の課題となっていること、幸福と発展の意味についての考察、自らの生活への懐疑などを得ることはできた。つまり全くの手ぶらで帰ってきたわけではないが、それでもなおネパールでのあの十日間を思い出すたびに掴み所のない虚無感?迷い?恐怖?のような感情が自分の中を曇らせるのを感じていた。
 私は特別な何かを望んでいたようだ。それも「自分の価値観を変えてくれるような壮大な何かをネパールという刺激に満ちた世界なら無条件に与えてくれる」と、無意識のうちに考えていたようなのだ。いき過ぎた経験者面をして目の前で起こっている出来事の味だけを確かめて吐き出していた。全く馬鹿馬鹿しいだろう。自分を大きく変えるまでのものが空からポっと落ちてくるはずもないのだ。
 「求めよさらば与えられん」という言葉があるが、全くその通りだと思う。求めるとはこの場合ただ指をくわえて待つのではなく、自ら進んでいくことを言う。自ら進んでいかなければ欲しいものは手に入らないのだ。
 やや逆説的だがこのことを考えてみると、このスタディツアーでは何も学ばなかったということから学べたのだろう。這いつくばって、しがみついて、悩んで、そうして欲しいものは手に入るのだろう。そうして目の前の出来事から何かが得られるのだろう。八月の私はかなり怠け者だったようだ。
 そうしてみると私が欲するその漠然とした何かはきっと日本のそこら中に転がっているのかもしれない。「求める」かどうか。

 また、ネパールに渡ってみようと思う。その時は本当に「求めて」みようと思う。

2016年11月7日月曜日

ネパール NJEP 2016 報告書 (5) 中村渚(上智大学総合グローバル学部2年) ~ネパールという地で~

          ~ネパールという地で~


上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科2年
中村渚


"Dhanyabaad."
「ありがとう」を意味するこのネパール語は、今でも私の口から無意識のうちに出てしまう。それくらい強烈な印象を与えた約2週間のスタディーツアーを通して、自分が何を学び、考え、感じたのかということを、正確かつ自分の言葉で人に伝えることがいかに難しいことかをひしひしと感じる日々を過ごした。今回のツアーのテーマは学生交流。ネパールと日本の学生が10日間共に過ごす中で、異文化理解や同世代の横のつながりを大切にしていくことが最終目標であった。私にとっては初めてのアジア。海に囲まれた島国の日本とは異なり、山に囲まれた内陸の国ネパールで、自分の目で見たこと、自分の鼻で嗅いだもの、自分の口で味わったもの、自分の耳で聞いたこと、自分の手で触ったもの、その全てがネパールでどれもが私にとって初めての連続だった。「人間が人間らしくいられる場所」と言うには大げさにしても、私にとってはまさに非日常の日々であったことは事実である。このレポートではそのいくつかを紹介したい。
まず、なんといってもネパールの街。これは、どの街に行ってもそれぞれ異なる魅力に溢れていた。ネパール到着直後に滞在した首都のカトマンズは、日本にいては体験することがないであろうほどの吹き荒れる砂ぼこりと、脳裏にこびりつくくらいの鳴り響くクラクションの音に包まれた街だった。建物同士も近く、まさに「ごちゃごちゃ」という言葉がぴったりな場所だった。一方で、ネパールでも特にオリジナルなライフスタイルが人々の生活に今なお息づいているマイダン村では、日の出とともに活動し日の沈みとともに休まるという生活を送っていた。村の長老たちのおしゃべりや家畜の鶏の鳴き声で目覚め、外に出ると、寝起きの体をキーンと包み込む朝のさわやかな風と太陽の光に包まれるだけで心が豊かになっていくのを感じた。そして街全体をゆっくりと時間が流れているポカラでは、映画のセットのようなハイカラな雰囲気を醸し出している店や雄大なヒマラヤ山脈を一望できるスタンドなど、個人的に最も好きな街だった。目の前に広がるヒマラヤ山脈を一望しながらのサンライズは、まさに格別だった。島国に生まれ、海から名前の由来を受け継ぎ、両親の影響でマリンスポーツばかりやっている私にとって、普段から山に行く機会が少なかったため今まで山に対しての興味がさほど湧いていなかったが、今回生まれて初めて雄大なヒマラヤ山脈を目の前にして、なにか話しかけたくなるような、自分が心から相談したくなる兄のような存在に思えた。毎回海に行ったときは波の音を聞いて心を落ち着けて物事の整理をしているが、山に対して前述のような気持ちに自然となれたことには自分でも驚きだった。

日本では忙しさに駆られて過ごす日々。自分が思う「素の生活」をこのツアーの中で過ごせていた。個性的な雰囲気を持つ街、と普段では気づくことができないかもしれない自然への感情を発見できたネパールという場所は、そこに行くたびに自分に何かを問いかける、もしくはヒントを見つけられる場所となるかもしれない。目に見えない小さな幸せを、心から喜び愛おしいと思える日々を過ごせた今回のスタディーツアー。きっとここでの経験はこれからの私の生活の中で、ふとその時の自分に何かしらのサインとなるものになるであろう。そう気づいた瞬間が、今回得た学びが活かされたことを意味するのかもしれない。

2016年11月6日日曜日

ネパール NJEP 2016 報告書 (4) 志牟田まりな(上智大学総合グローバル学部2年)「ネパールがもたらしてくれた出会いと幸せ」

「ネパールがもたらしてくれた出会いと幸せ」               


上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科二年

志牟田まりな
  
  
  
  何が決め手かわからないけれど、NJEPへの参加を決めたのは私の人生において大きな 成功の一つになったことは間違いない。私は周りの参加者のように途上国に対する意識が高いわけでもなく、国際協力にも無縁な私だったので、特別な目的意識を持っていたわけではな かったが、ここでの 10 日間は実に濃かった。もともと私は人と関わることが大好きな人間 なため、今回のメインが国際交流であったことはとても参加しやすい要因だった。人との関わり、またネパールでの10日間が私の心にもたらしてくれたものは今の私の考え方や生 活に影響を与えている。 
 ネパールでの 10 日間、多くの人や景色など様々な出会いがあった。シャムロック学校、マイ ダンの村の子供たちをはじめ、ポカラにステイしていたバックパッカーの人々、もちろん NJEP メンバーの全員。彼らの笑顔は底知れぬ美しさで、温かくて私に本当の「幸せ」とは 何かをつくづく考えさせた。これについては、またあとで触れる。そして、はじめて自然の偉大さを本当に感じさせてくれたヒマラヤ山脈やバス移動の窓の向こう側に見える山々や夕焼けなど、多くの自然との出会いがネパールにあった。これらは日本でも感じられることなのかもしれない。しかし、生活を朝から晩まで共にしている仲間と不安や期待の繰り返しの日々の中で、「完全ではないネパール」だったからこそ、物理的な豊かさ以外のところに目が行き、感動する心 が敏感になり、その美しさも日本にいるとき以上に濃い感動に結びついていたのだと思う。  
 先述したが、NJEP メンバーでもよく話し合う「幸せ」について。人間は死ぬまで「幸せ」 を求めて生きていく。決してこれが絶対に幸せなんだ!!と述べるつもりはないし、様々な 見識や経験を積むことで考え方も変化していくものだと思う。しかし、幸運なことに、私はたった 10 日間 ではあるが、「幸」について毎日考える機会をネパールで得た。OK バジさんの言葉を借りれば、「無いものに目を向け始めると、不足に対して文句を言うようになり、幸福感が薄れる」ということを身を持って感じた。「足るを知る」という言葉があるが、まさに私は我々日本人のような先進国に住む人々において薄れている感覚をネパールで自分の中に落とし込めたと思う。 「自然がこの地球にもたらしてくれる一瞬一瞬の美しさに敏感になり、それを体と心で目いっぱい感じること(大袈裟ではなく)。 」また、「 自分のいるコミュニティや毎日訪れる出会いに対して感謝の気持ちと幸せを感じること。」挙げればきりがないが、この2つの感覚を自分の中で大切にするようになったことで、物事をものすごくシンプルに捉えられるようになり、自分の気持ちにより一層向き合えるようになった。もちろん複雑な問題は山ほどあるが、自分の身の回りで起きている1つ1つの小さなことへの感動や感謝ができるようになり、自分の生活がさらに明るくなった。この感覚を覚えたとき、私はなん だかぞっとしたのを覚えている。この感覚を薄れさせたくない。  
 綺麗なものや便利なものばかりを追い求めるのではなく、そこら中に溢れているようで少ない人間くささ、人としてのアツさが自分は大好きなんだということを知れた。そして、そこからあふれ出てくる真の楽しさや仲間と共に生み出す「心に残る幸せ」「心の底から湧き出てくる幸せ」を大切に、自分の近い目標とその先にある目標のためにさらなる体験をす るべく、自分から一歩踏み出していきたい、今回 NJEP に参加したように。そのように日々 過ごしていった結果、気づいたら、人として女性として成長していたらいいなと思う。こう思えたのもこのツアーのおかげだ。ここで出会えたすべての人に感謝してもしきれない。
 来年の春には、ラオスにて職業技術教育の分野でのフィールドワークが決定している。NJEP と はまた一味違った刺激を求めて行ってきます!!

2016年11月5日土曜日

ネパール NJEP 2016 報告書 (3) 奥山りつ(立命館大学国際関係学部2年)「文明と心の豊かさの綱引き」

「文明と心の豊かさの綱引き」

立命館大学国際関係学部2年
奥山りつ

 本レポートでは、ネパールツアーから二か月経った今、一番頭の中に鮮明に残っているツアー中盤で訪れたマイダン村での3日間のホームステイでの自分の中の「幸せ」の認識の変化について記したい。
 マイダン村にはお風呂はもちろんシャワーはなく、トイレは何軒かで共有していた。それに加え、動物のフンがそこら辺中に落ちていたりしてお世辞にも衛生的とは言えなかった。ではなぜそんな場所にいて幸せを感じたのか。それは夜日が暮れると家に帰り、朝は鶏の鳴き声で起きるといったように自然と同居して暮らすといういわゆる原始的な生活に自分が癒されていたからだ。村の中で生活している限り、多くの部分は物々交換で賄える点や、家畜を屠殺した際も血や気管に至るまで無駄にすることなく食べ尽くし、村中に均等に配分する点で、金銭ではなく、生死のサイクル・人の繋がりがよく活用されているのを実感した。
 普段日本でかなり恵まれた生活を送っている私にとって、もしくはカトマンズやその他の都市で大学まで通って教育を受けているネパールメンバーにとっては、このような村での生活は十分非日常だといえる。私に限らず、このような非日常には多くの人が魅力を感じるだろう。ではその魅力を感じる心の根底にあるものは何なのか。マイダン村での生活に惹かれるのには、自分の日本での生活への不信や疑問が少なからずある。物質的な豊かさに恵まれ、さほど苦労せずに育ってきた私にとって、思い描く「幸せ」な生活の送り方は一つの決まったモデルがあった。しかし、その生活を実践しているにも関わらず、どうも精神的に満たされておらず、常に時間と追いかけっこしているような感覚に陥って焦っている。そこで全く違った環境に身を置いてみると案外精神的に安心している自分に気づいたのだった。疑いもしなかった自分の「幸せ」な生活のモデルが必ずしも絶対的なものではないということを自覚した瞬間だった。自分で自分を一つのモデルに縛り付け、気づかないうちにそれ以上考えるのを放棄していたのだった。
 私はネパール行きを決めた際に、この村でのステイを心待ちにしていたが、その理由を自分でもはっきりとは理解できなかった。今振り返ると、マイダン村には日本での生活では得られない癒しの要素が存在していたのだった。1つには、住んでいる人達の温かさだった。現地の言葉を理解できない私に対して、伝わらずとも話しかけ、挨拶してくれる村人たちは無条件によそ者の私たちを受け入れてくれただけでなく、おもてなしの精神に溢れていた。2つ目に、連絡取ることが全くできないことが大きかった。いつもアイフォンを持ち歩いていることで少なからず意識がそちらに向いていたが、マイダン村にいる間は全く使うことができず、鎖から解き放たれたような気持ちになっていた。つまり、自分が図らずも享受している物質的な幸せから一旦距離を置き、違った生活様式を持つコミュニティに飛び込んでしまうことで、その贅沢から一時的に解放され、実は自分もそれを切に望んでいることに気づく機会を得たのだ。
 これはOK Bajiさんの言葉を借りれば、文明と心の豊かさの綱引きといえる。物質的に豊かすぎると、ない方に不満を感じることが多くなりがちになる。一方で、小さいことに幸せを感じることができると幸せを感じる回数が自然に多くなるために幸せな気持ちでいる間が長くなるという話だ。これは実際にマイダン村滞在のあとに訪れた他の町のホテルでシャワーや洋式のトイレがあることに対してメンバーの何人もがとても幸せな気持ちになったことからもわかる。
 ただ、私が幸せだけを感じることができたのは、あくまでも3日という短期間であったからという可能性もある。山奥の村ならではの問題点が数多くあった。警察も病院もなく、一度けがなどしようものなら何時間もかけて山間の道をゆっくり進んでいくしかないという不便さは、心の豊かさがどうこうで済まされる話ではない。
 おそらく日本での生活に慣れ親しんだ私が、こうした「非日常」を「日常」にするのは容易なことではない。大切なのは、彼らの「日常」をこちら側の視点で勝手に「非日常」にしてしまうのではなく、「日常」の延長線上で心の豊かさを失わずに彼らの目線で発展していくことだ。



2016年11月4日金曜日

ネパール NJEP 2016 報告書 (2) 蓑島周(上智大学総合グローバル学部1年)「異文化交流の先にある、わたし」

「異文化交流の先にある、わたし」
                            
上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科一年
蓑島周


やりきれなかった。そしてやりきった。二つの思いが今も私を取り巻いている。次々と現れる困難を乗り切れるか否かは、きっとほとんどがそこに至るまでの準備で決まるのだな、と思った。
最初にそう感じたのはネパール人との会話においてである。日本人の中には日常会話程度なら難なくできる者もいたが、海外旅行経験さえなかった私は、拙い英語と大袈裟なボディランゲージでおどけることしかできなかった。どうやって気の許せる仲をつくることができるか考えた結果であった。ネパールメンバーは優しく応対してくれたし、自身も安堵感があったが、実のところは満足できていなかった。異文化交流において本当に相手を理解するためには、お互いの政治や経済、ひいては関心の深い分野まで話をするべきだと考えていたために、そのレベルの交流ができるだけの準備をしなかったことを悔やんでいた。
 ツアー全体を通してもそうであった。私はツアー全体の活動日程や構成、さらには現地の情勢等の情報さえ把握しようとせず、期待に胸を膨らませた状態でネパールへと渡った。結果は一目瞭然。ポカラで記者会見が開かれた際には、緊急に代表が不在となった私たちは満足に質問に答えることができず、おそらくほとんどの記者にはNJEPの活動意義を伝えきれずに終わってしまったように思えた。私はNJEPの一員であるにもかかわらず、どこかで他人任せにしていたのである。
そんな私にも良い出来事があった。首都から車で一日半かけ山の上にあるマエダン村に行き、村唯一の小さな学校に訪れると、そこには村中の人々が集まっていた。話しかけると照れてしまうシャイさを持つ、なんとも可愛らしい子供や大人がそこにはいた。言葉が通じない彼らと仲良くなりたい一心で、私はこれ以上ないほどにふざけた。思いつく遊びをとことん導入し、近づく私を嫌がる子供を容赦なく追いかけていく。後先も考えず全力でぶつかったことが功を奏し、のちに村人は私を「スー」と呼ぶようになった。なんだか認められたような気がして、素直に嬉しかった。それが“小便”を意味すると気づいたのは次の日だったが。
しかし仲良くなってしまえばこっちのもので、それから三日間は私が何もしなくとも向こうから寄ってきて、自然豊かな村を案内してくれるようになった。こんなところがあるよと、目をキラキラさせて寄ってくる彼らが愛おしくてたまらなかった。そして私は、こういう場所で子供と触れ合う時間が私にとって真の幸せなのかもしれないと思うようになった。今では子供と関わることまで視野に入れ、将来を見据えるようになった。

 ネパールという異土で五感を通して学んだこと、感じたことは、心の内に秘め、先の人生に生かしていかねばならない。そして失敗は、二度と繰り返してはならない。そのためには自覚と覚悟をもった“準備の鬼”になることが必至である。そしてそう気づかせてくれた仲間たちに心から感謝したい。

2016年11月3日木曜日

ネパール NJEP 2016 報告書 (1)  田中和磨 (埼玉県立本庄東高校2年) 「またネパールへ⾏く」


「またネパールへ⾏く」

 埼玉県立本庄東高校2年 
田中 和磨

  
マイダン村の子どもたちと
   現地での2週間は、私に『またネパールへ⾏く』という決意を固めさせてくれ る経験だった。それは、⼼温まる体験、考え⽅についての⼤事な発⾒、得たいことを得きれなかった不完全燃焼による決意だ。
 まず、不完全燃焼である理由は、⾔語と期間だ。ネパール⼈メンバーとの英語 での会話で、⾔われることを全ては分からなかったので当然⾃分の考えを表現 しきれなかった。だから、彼らが伝えてくれるリアルなネパールの⼈々の慣習や ⽂化を理解しきれなかった。また、異⽂化同⼠の会話で⽣まれるであろう、新た な考えも少なかった。英語だけでなくネパール語もだ。メンバー以外のネパール ⼈との関わりの中で得たいことがあるなら、現地の⾔葉を知らないと気持ちま では分からないからだ。さらに、そうした気持ちまで理解したいなら、かなりの 期間も必要だと感じた。現地の⼈々との関係を少しでも密にしながらでないと、 良いことも悪いことも本質は⾒えてこないと思う。ただ事前にいくつものネパ ール語の表現を覚えたこと、英語が分からなければ別の表現を求めて分からな いふりをしなかったことで、⾯⽩い発⾒や良い関係作りに繋がったのは良かっ た。そうした経験から次回はネパール語をある程度学んでから、もっと⻑い滞在 をしようと思うし、これからは必須の英語については、⾃分なりに努⼒していく。
 話は変わるが村では⼤きな発⾒があった。というより、これは違うのではない かと思っていたことが、やはり違ったと⾔ったほうが正しいかもしれないそれ は、。⽇本の⼈々からすると村の⼈たちは”恵まれない”と⾔う部類に判断されて しまうことだ。この考え⽅は⾃分の中にある意識や数値などで全く知らないこ とを結論付けてしまうことから起きると思う。私は村の⽅々と過ごし、幸せであ ろう部分をたくさん⾒つけた。確かに、直接お互いが分かる⾔語で話せなかった 分、潜在的な問題は発⾒できなかったかもしれないが、安易に恵まれないと⾔え るわけではないと感じた。街を歩けば他国の⽅がいる今の世の中では、⼀度⾃分 の価値観や基準を疑ってみることが⼤事だと思う。そこから新たな考えが⽣ま れてくるだろう。そう思える経験だった。
 最後に1つエピソードがある。⾃分はメンバーの中で唯⼀怪我をし病院へ⾏っ た。しかし、この怪我は⼤事な怪我だった。結論から⾔うと、ネパールメンバー との距離を縮めることができたのだ。  海外で初めての病院であり、⾻折かもしれないという不安もあった。 (結局⾁離 れだった)。そんな私に、付き添ってくれたネパールメンバーたちが『何も⼼配 するな俺たちがついてる』と何度も⾔ってくれた。ネパールでは終始、仲の良い⼈を家族のように扱う温かさを感じていた。ここでも、彼らのおかげで安⼼でき た。また、⽇本⼈、ネパール⼈メンバーの中で最年少だった⾃分は完全には⼼の 距離を縮めることが出来ないでいたが、それ以来ネパールメンバーとより多く の会話をした。
NJEPのメンバーたち
現地で『経験が⼈を⼤⼈にする』と⾔われたことがあったが、まさしくネパー ルでのすべての経験が私を成⻑させてくれた。この最⾼の経験が様々な形で最 ⾼の結果を⽣むように⾏動していこうと思う。すでに学校ではプレゼンをした。 さらにこれから新たな経験へと向かい、いつか社会に、⼈に影響を与えられるよ う努⼒したい。