コロナ禍で迎えた夏休み、私はAAEE初のバングラデシュとの国際交流プログラム、BJEPに参加した。AAEEが主催するプログラムに参加するのは二度目であったが、今回は前回と大きく違う点が三つあった。一つは、プログラムがオンラインで開催されたこと。「二週間の間ほぼすべての時間を共に過ごす」という従来のAAEEプログラムとは打って変わり、初めて知り合う人々に囲まれて、直接会わないまま一週間のプログラム期間が過ぎ去った。一日に五時間ほどのセッションを終えたら、それぞれ自分の日常に戻っていく。現地開催のプログラムと比較すると、「共有」が実に少ない。また、オンライン化に伴い、プログラムのコンテンツも全く新しいものだった。現地に行ったプログラムでは友情の構築や文化交流がメインであったが、今回のBJEPはディスカッションやリサーチ詰めのアカデミックな内容になっていたのだ。二つ目に、私自身がAAEEの学生アシスタントに加わったことも大きな変化であった。今年の二月にネパールプログラムに参加したことをきっかけに、学生アシスタントメンバーとしてこの七ヶ月間AAEEの活動に多くの時間を費やしたことで、プログラムの目的、内状、背景などをある程度理解した上で参加した。「学生主体」で作られるが故に、初めて参加する際は自分がしていることやするべきことが掴みにくいが、今回は冷静にその判断ができたようにも感じられる。最後に、相手国が変わったことも当然重要な要素である。イスラーム教が生活に強く根付いていたり、絶対的貧困に悩まされていたり、日本とは相違点も多いバングラデシュの人々とは、初めての交流であった。
オンラインでの開催、AAEE学生アシスタントとしての参加、バングラデシュの人々との初めての交流、このような違いがあるなかで、本報告書においては、自分の経験についてと言うよりオンラインプログラムについて自分なりに分析して考えたことについて書いていきたいと思う。
キーワードは、「個人と共有」である。先に述べたように、一つのチームとして共有する雰囲気や時間が少ないオンライン上の学生交流においては、同じプログラムに参加したはずの学生たちが全く異なる期待やモチベーションを持っていて、その違いが互いに伝わらないままプログラム中も潜在し続け、結果、本音の感想は参加者の間で全く異なるものになる。このことは、八月に開催した日越オンラインプログラム、CVJのオーガナイザーをしたことからも感じ取っていた。影での相当な紆余曲折を経て五ヶ月がかりのプログラムを終えた自分と、多忙ななか生活の一部としてプログラム期間である一週間を過ごした参加者とでは、全く異なるストーリーを持っていたのだ。学生アシスタントとして参加した二回目のプログラムということで、私には今回その個人間の違いや全体の中の個々の立ち位置などを少し観察してみようという気持ちがあった。しかし、結局自信のない予想しかできなかった。たった一週間、一日五時間だけ画面越しに会っても、人の本音など到底分からないし、プログラムの時間中にそこまで踏み込んだ話をする機会もない。
しかし、プログラムの時間外に皆で親睦を深めるために通話をした時間では、少しだけでもその人を知れたかな、と思う瞬間があった。例えば、プログラムが始まる前々日、私はバングラデシュのメンバーの一人と宗教について数時間話した。彼女は慣習的にイスラーム教の儀式に参加していたが、数年前まで信仰はしていなかったという。彼女はある時から「公平とは何か」という事について考え悩んだ末、現世では真の公平は存在しないから、イスラーム教が説く通り終末期や審判があるはず、いやなければいけない、と「真のムスリム」になったという。彼女が言うことには、いくらムスリムのような格好をしても、いくらイスラームの教えを守っていても、心からそれを信じていなければ信仰しているとは言えないということだった。これはあくまで彼女の見方であるのだが、それこそが重要で、彼女と話したことで日本人には掴みづらい信仰のあり方、それぞれの過程というものがどれだけ個人によって異なるのか、彼女の信仰はどんな形か、ということを直接的に学ぶことができたのだった。
このように、互いの本当の気持ちや雰囲気が分かりにくいオンライン上の交流でも、一対一など少人数で、軽い話から重い話まで語り合えば、現地開催のプログラムのように人間関係・信頼関係を築くことは不可能ではないと考える。そしてこれが全体の雰囲気の共有、つまり団結力にも繋がりうる。なぜこれが重要なのか、完全にアカデミックな内容で知識を深めることに集中しても良いのではないか、という意見もあるだろう。勿論そのような考え方に沿ったプログラムも大切だろうが、現地開催のプログラムとオンラインのプログラム両者に参加した者として、やはり「一人一人を知ること」の影響力を忘れてはいけないと思った。文献やインターネットからあらゆる情報が得られる今、社会人でも子供でもない大学生が大学外・国外から集まって、事実に触れて終わりで良いのだろうか。意見交換をするにしても、その人がどうしてそんな価値観を持つのか、その人がどうしてこんな言い回しをするのかといったことも理解すれば、より広い知識も得られるのではないか。また学生国際交流では、仕事仲間でもクラスメイトでもない、プロフェッショナルと友情のバランスが絶妙に保たれるのも貴重で、将来まで続く関係を築くことで社会貢献や国際協力も実現しうるのである。
私はやはり、まさに社会に出ようとしている大学生が、その構成員である各個人と対話し、理解した上で課題に取り組む大切さを学べるようなプログラムを重視する。今後しばらくオンライン開催が続くようであれば、人との関わり方が激変した世界でも各国の学生たちが深い信頼関係を築けるようなプログラムの新しいあり方を考えていきたい。
最後に、夏休みをかけてこのプログラムを企画・運営してくださった関先生とオーガナイザーの皆さん、その他関係者の方に感謝の意を表します。ありがとうございました。