2023年11月6日月曜日

VJEP2023 報告書 「ヘンテコで、不安定で、特別で」(筑波大学社会・国際学群 国際総合学類1年 下田京香)

 


 私にとっての初めての海外渡航となったこの2週間は、楽しかったとか、面白かったとか、そういった言葉だけでは形容できない。ヘンテコで安定感のない、だけど特別なもの。そんな私の経験を少し紹介したい。

ベトナムメンバーは、私たち日本メンバーを「外から来た人」ではなく「新しい友人」として受け入れた。英語力の高さはもちろん、他者を理解して受け入れる努力を惜しむことのない人間性を持っていた。そんな環境で、人見知りが激しい性格の私がリーダーの役割を担ったことは大きな挑戦だった。Opening Ceremonyやビンズオン省のリーダーとの会議でスピーチをする機会を得たことも貴重だったが、日本・ベトナムメンバーたちに重要事項を伝える役割を果たすだけでも国際交流の壁を実感する大切な経験となった。当然のことだが一つの物事を私が捉えているように相手が捉えてくれるわけではない。英語という共通言語であっても、私のスキル不足もあり、言語の壁は思ったよりも高く、分厚いものだということを突きつけられた。相手の目を見て、身振り手振り、絵を描きながら、少しずつ、私が見ているものを伝えていく。とてつもないエネルギーが必要だし、伝わったと思ったら、実は全然違かったみたいなオチも待っている。それでも彼らは粘り強く私の話を聞いてくれたし、必死に伝え続けたあの夜中の議論は、私のこれからの糧になると確信を持って言える。うまく伝えられないもどかしさや不甲斐なさも含めて、彼らは私にたくさんのモチベーションを与えてくえた。そして、私たちは次第にプロジェクトを成功させることへの情熱を持つようになった。私が、リーダーとして気付けば最終的に循環型経済に関連した成果物を発表する場を作るためのスケジュール変更交渉を現地の大学の先生にしていたのも、彼らの姿勢に突き動かされたからだと思う。これらの経験から私が学んだことは、私はなにも知らなかったと言うことだ。異文化交流が初めからうまくいかないものだと言うことはセオリーとして渡航前から知ったつもりでいた。しかし、実際に他国に行って、他者と関わってたくさん影響を受け、自分で見て考え、感じて想ったことこそが「本当に」知るということだと、私は学んだ。異文化交流の中で戸惑い、驚き、喜びを感じるのは、それまで知らなかった自分を知って向き合う必要があるからなのだと思う。

 私がベトナムで一番考えたのは、「社会を良くするとはどういうことか」という問いである。例えば、大きな通りから少し離れた市場では使用済みの濁った水が直接排水溝に流される光景があった。これに対して誰がどのような態度でこの習慣をどう変化させることができるのだろうか。このプログラムのテーマは循環型経済だった。ベトナム・日本に関わらず、いくらそれについて部屋の中で議論しても、少し街に出れば環境悪化につながる行動が日常化していることを私たち知っていた。私たちは尽きることのない社会課題を作り出す存在でもあり、たくさんの課題の上に成り立つ地面に支えられて私たちは生きている。私たちは私たちを悩ます課題の一部だということから目を背けすぎていると、プログラムを通して強く感じた。そして、その課題に本質的にコミットするということは、不快感や不安定さを感じながらもそれから逃げないことだと思う。良い社会とはなんだろうか。私たちが心地よく過ごせる社会だろうか、悩みなどなく過ごせる社会だろうか。そんな考えるだけで疲れる問いと出会ったのも、それに向き合う覚悟ができたのも、Comfort zoneから脱出したこのプログラムでの経験だからこそだ。正直、14日間で心の底から休めた瞬間はなかった。数え切れない違和感も、乗り越えるどころか連なっていく壁たちも、言語化しきれないたくさんの不安定感も、全ての経験と素晴らしい仲間との出会いが私に私自身を教えてくれた。今、私は自分のComfort Zoneに帰ってきた。家でなにもせず過ごしていると、最後の日のバスでルームメイトが話してくれた話を思い出す。ベトナムメンバーは夜遅くまで友人と話しマーケットに出かけ、朝早くに起きてくる。そのエネルギー源は何かと聞くと、「今この瞬間を全力で楽しみながら1日を生きると、その喜びが明日を生きる糧になる。」と教えてくれた。非常に高い英語力やプレゼン力はもちろん、彼らなりの生き方は、私にとってこれから一生懸命に生きるモチベーションになった。好きになれそうな自分の姿も、真っ直ぐ向き合うのが辛い自分の姿も、とにかく自分は自分でしかないということ。それを受け入れて努力しながら全力で人生を楽しむこと。私がベトナムで過ごした14日間で学んだのは、人生のレッスンのようだ。私は日本についた瞬間から、このレッスンを忘れないようにと必死である。そして、それを糧に自分の人生に無関心だった自分と別れ、新たな旅を計画し始めている。


2023年11月1日水曜日

VJEP2023 報告書「ベトナムで得た濃い経験と深い友情」(早稲田大学文化構想学部文化構想学科1年 堀之口 詩)  

ホーチミン空港からホテルに向かうタクシーに乗り込んだ瞬間からベトナムを肌で感じました。見慣れない文字とバイクであふれる道路に急に降り出す雨。久しぶりの海外渡航にワクワクする心と、いよいよ始まるという緊張感で車窓から見える景色を目で追うのが精一杯だったことを覚えています。そこからの2週間は飛ぶように過ぎていきました。ビンズオン省の高官の目の前で学生の目線から見たこのプログラムに対する思いや成果、目標などをスピーチをしたことをはじめ、ベトナムで得た濃い経験と最終日に全員でsee you againを熱唱した深い友情は一生忘れることはないでしょう。


この2週間は毎日が非日常で、その中で起こる問題をどのように乗り越えるかという学びの連続でした。それには最年少のプログラムリーダーという立場を通して多くの経験を得たことが最も影響を与えていると感じます。閉会式が終了するまで、全てを無事に成功させたいという思いとは裏腹に、周りの参加者は全員年上というプレッシャーと、期待に沿えるのかという不安が四六時中付きまとっていました。しかし、リーダーとしての役割を果たしていく中で、得た学びや苦労はかけがえのない貴重なものであったと断言できます。一例として、「既に決まっていることも変えることのできる選択肢があること」に気づいたということが挙げられます。日々のリフレクションや参加者の声を聞く中で、当初決まっていたプログラム内のアクティビティでは今回のテーマである「循環型経済」に関して議論や講義を通して学習したことを十分に生かすことができないと感じるようになりました。しかし、事前に決まっていた活動内容を変更するなど最初は頭にありませんでした。今までの自分は与えられた内容に不満があったとしても、自分にはどうしようもないことだ、と割り切ってしまっていたのです。しかし、先生やオーガナイザーの方と多くの協議を重ね、プログラムの内容を自分たちのアイデアやコミュニケーションで全員がより達成感を得られるものに変えていくことができました。このことから、丁寧な対話の大切さを学んだと同時に、受け身の姿勢では自分の可能性や行動の範囲を閉ざしてしまっていることに気づきました。これまでは自分の目の前に用意されたレールをまっすぐ歩くことしか行ってきませんでした。それは決して悪いことではありませんが、思い切って脱線して自分たちでレールを作ることで、さらに上を目指せることが分かりました。

また、私たちのアイデアを一生懸命聞き入れて、なんとか取り入れようとしてくれた「ベトナムの人たちの温かさと誠実さ」に心を動かされました。ベトナムのメンバーも、私たちを、異なる国から来た自分たちとは違う人、という接し方ではなく新しい友達として受け入れてくれました。初日から全員を巻き込んで交流をし、大きな声でしゃべり続けるエネルギッシュさにも圧倒されました。最初は戸惑ったものの、レストランの中であろうと、人前であろうと関係なく、堂々と歌ったり踊ったり、思うままにリアクションがとれる姿を間近に見て、まっすぐな姿勢を内心うらやましく思うこともありました。同時に、日本社会は空気を読むことを大事にしすぎるあまり、個々人が心の思うままには生きにくい社会なのではないかと改めて感じました。些細なことまで考えて行動する高コンテクストの日本社会はむしろ良い面もありますし、私は別に嫌いなわけではありません。しかし、純粋に生きるベトナムの人たちに影響を受けて自分もここでは少しは大胆な行動ができたような気がします。

 激動の2週間を今改めて振り返ってみると、日本を飛び出して様々な価値観をもつ人と関わる機会を得られたこの旅で、私は大きく成長することができました。それは、関先生やプログラムのメンバーをはじめ、VJEP2023に関わっていただいたすべての方の支援があったからこその結果であると強く感じています。プログラムの変更に関して短期間で試行錯誤するなど、多くの困難や壁に立ち向かってぶつかり、精神的にも体力的にも疲弊した際に話を聞いていただいたり、的確なアドバイスをしていただいたり、自分を上へ上へ引っ張り上げてもらっている感覚を常に感じていました。この場を借りて感謝申し上げます。また、同時に、自分の成長の伸びしろ、未熟なところがまだまだあると痛感しました。今回のプログラムで学んだことを活かし、これからも新しいことへの挑戦を続け、経験を積み、成長していきたいと思います。



「VJEP 2023に参加して」 (京都外国語大学 国際貢献学部グローバルスタディーズ学科4年 若井倭)

  空港に着き感じた異国の雰囲気、目につくもの、におうもの、食べるもの、すべてが初めてで胸が躍ったことを昨日のように覚えています。空港でのタクシー、ホーチミンで利用したバイクタクシー、市場の雑貨屋さん、時には過剰な料金を請求されることはありましたが、今となればいい思い出です。


プログラム終盤に行われた日越合同3チームで行ったcircular economyを用いたビジネスプランを発表するプレゼンテーションでは特に学びが多かったです。ベトナムチームの意見はいつも私の想像を超え驚きました。1つは可能性の違いです。例えば、私が考える実現可能性とベトナムチームの考える実現可能性は全く異なるものでした。私の「できる」は「(日本なら)できる」であって日本から離れたらそれは常識ではなく、それはベトナムチームのメンバーも同様です。プログラムを通して経験から生まれる可能性の差、文化から生まれる可能性の差の2種類があると感じ、当たり前のことではあるけどグローバルスタンダードを持っていることの重要性と、日々の生活に疑問を持つ重要性に気づきました。2つは異国のメンバーと作業する際のマネジメント力の重要さです。時間の調整をするタイムマネジメント、相手の気持ちや健康を保つために必要なヘルスマネジメント、一人一人がリーダーシップを持って作業する重要性を痛感しました。特に日本人の多くはタイムマネジメントの能力が国際的にみても高いといわれており、日々の練習と実践が大切だと感じた場でもありました。また、マネジメント能力が必要であると感じた理由の一つに前述した日本人としての常識や文化が関係していると考えました。物事は〇から始まって×で終わるべきだという文化的な思想が意識していないだけで既にあり国際的な場に出て互いがそれを出すことで会議が進まない、結論が出ない、などの問題が起こりやすくなっていると感じました。そのため、上記の内容と重複しますが、リーダーシップとマネジメント能力が重要であると感じました。

生活、食事、勉学を10日間ともにしアカデミックな内容はもちろん文化についても学ぶことができました。同じ部屋で生活することにより、同じタイミングで食事し、睡眠をとり、より深く文化を学ぶことができました。その中で私が一番感銘を受けた内容が、礼儀に関してです。日越ともに中国の影響を受けているという事もあり、似ている点が多く、勤勉さや礼儀正しさに毎日驚きました。その中で食事のマナーへの影響に驚きました。年長者を大切にする文化があるため、年長者が食べるまで箸を持たない、下座、上座などのルールも日本と同様で文化の相違性に気が付きました。ですが、ここで興味深いのは日越の文化の相違性だけではなく、中国ではそれが「古いマナー」であると言われている点です。文化が発祥した地域で廃れていく文化が受け入れる側の国で続いているというのはすごく興味深く、他にもこのような例が文化だけではなく政治や国民性などにも出ているかもしれないと思うと文化が人に与える影響の大きさを学べたと感じました。

プログラム中、奨学金の授与で現地の中学校を訪れた際、金銭面で通学、進学が難しい生徒と会い、会話は少なかったものの、学びたいという意欲がすごく伝わりました。あるアンケートによれば、ベトナム人1万5千人中の8割は自己の努力により、未来は豊かになると回答しており、ベトナムで育った環境、おかれていた境遇が勤勉で真面目な彼らの一面を作ったのではと考えました。比較的恵まれた場所で生活し大学にも通い自身のやりたいことができる今の環境に感謝し、物事をより真摯にアグレッシブに精力的に取り組まないといけないと感じました。彼らの見ている世界は私には見ることができないかもしれないが、その情熱を見習いまねる必要があると感じました。大学で貧困や飢餓などを学んでいるため、実際にふれあい同じ目線に立つ機会があり、すごくいい経験であったと考えています。

最後にこのプログラムに参加するにあたって、おそらく最年長での参加という事もあり自分の役割を模索していた時期がありました。最年長である分、バックアップや裏方に徹し、問題があれば裏から手助けをしたほうがいいのではないか、逆に経験がある分、先頭に立って議論を回すべきなのか、というようなことを渡航前に考えていました。ですが、参加し、年齢での役割分けは得策ではないのではと考えました。社会人になってからでも年齢を気にせずアグレッシブに議論に参加するその姿勢が重要なのではないかと考えました。

今回のプログラムで個人的な反省点は山のようにありますが、同時に多くのことを学ぶことができました。私にとっては学生生活の集大成となるイベントがVJEP 2023で本当に良かったと思っています。今回のプロジェクトに関わってくださった多くの皆様方に、深く感謝いたします。ありがとうございました。



VJEP帰国レポート (国際基督教大学3年 渡邉凜)

今回VJEP2023に参加して今こうして振り返ると、「反省」に尽きる。自分自身への戒め、これからの自分の人生に生かすための記録として、これから参加するであろう後輩のためにここに記したいとおもう。


まず、申し込むにあたって、参加するべきかもっと熟考するべきだったと反省している。ベトナムに行ってみたい、夏をどうにか充実させたいというように、思いつきで新しい世界へ飛び込むことは決して悪くないことだと思う。しかし、振り返ってみると、そのような軽い期待・動機だからこそ、結果や成果が軽いもので終わってしまうのかもしれないことに気付かされた。つまり何が言いたいかというと、今回のプログラムで得られたものが単なる「思い出」で終わってしまったことを今一番悔やんでいるのだ。また、矛盾してしまうかもしれないが、団体の活動理念や今までの歴史を十分に調べる前に決断したことで、自分でプログラムに対して勝手な期待を膨らませ、こうして活動を終えて得られた結果との大きな乖離にまた勝手に自分で自分を苦しめてしまった。私は今まで勢いのある決断で新しいことに挑戦してきて、当時の自分を咎めたくなるような大きな失敗や感謝したくなるほどの有意義な時間を経験してこられた。しかし、今回は何かスキルを身につけたわけでもなく、直面した苦難はこれからの糧にするには不十分な苦悩で、やるせない気持ちでしばらく悶々としている。この初めての感覚を体験できたことには十分価値を見出せて、これからの選択場面において必ず活きることには間違いない。しかし、もし勢いでこれから何か決定しようとしている人がいるならば、これからはストッパーとして応援したいと思うようになった。

次に、人に期待を寄せずに信頼することの自分自身の塩梅に反省している。これは私の永遠の課題である。グループ活動にて、役割分担をした後にその仕事が遂行されていないと大きな不安に駆られる。私が代わりにやろうか、待ったらいつかやってくれるよね、代わりにやったら嫌な気持ちになるかな、そもそも仕事の説明不足だったのかな、と仲間に期待したい自分と期待できない自分が常に対峙していた。今回は今までの反省から、声をかけながらも決して助けないことを心に留め、色々な感情を巡らせながら粘り強く待つ方法をとった。過程は置いといて、結果何とかうまく収まったと今は評価できている。私は今まで役割やタスクを与えられることで自分が必要とされていると認識し、それが安心材料になっていたので、正直その相手の気持ちがよくわからない。人が私に寄せる期待など図ることが出来ないにも関わらず、私はそれに応えようといつも必死にもがく。しかし、大抵の場合、相手はそこまで私に期待していなかったことに最後に気づき自分で傷つく。ただ、相手の期待に応えられなかったときのダメージの方が大きいからとりあえず仕事にすぐ手をつける、その繰り返しで今まで生きてきた。

「頑張らなくていいよ、そんな皆があんたに期待してないのだから。」

姉が、こんなことを思う私を見透かして先日手紙をくれた。ほっとした。すっきりした。でもふと思う。相手からの期待がないことに気づいたいま、私に頑張りたいことはあるのだろうか。そんな哲学的なことを考えなくても楽しく生きられるような健康な暮らしをすること、そして勉強がタスクとして機能している学生生活を謳歌することが今の私にできる唯一のことだと思う。話がだいぶ脱線してしまったが、期待と信頼はそう簡単にはコントロールできないけれど、今回のように鍛えることはできると思う。社会人になってこんな悩まなくてもよくなるように学生のうちにあえて集団に飛び込んで悩んでみるのは良い経験かもしれない。

最後に、自分の持つ知識がいかに偏っているか、欠けているかを反省している。異文化交流をするといつも、もっと歴史を学んでおけばよかった、故郷のことをもっと調べておけばよかったと痛感させられる。今回はそれに加えて、自分の持っている知識がいかに浅薄であるかを思い知らされた。言い換えれば、知識だけで知った気になってはいけないことを教えてもらった。ルームメイトの徴兵制の話になった際、徴兵制の性差別問題や性暴行などの大学で習った内容を彷彿とさせた。私が抱えていた女性への徴兵制のイメージはネガティヴだった。しかし、ルームメイトの彼女はまるで修学旅行の思い出話をするかのように、写真を見せながら楽しそうに物語っていた。国家を守るための訓練が楽しいもので良いのかといったらそれはそれで問題ではあるが、自分が思っていた印象を180度覆してくれた。そして昨夏ケニアに赴いた際に出会った旅行好きのイラン人の男性の言葉を思い出す。

“The more you travel around the world, the less your prejudice will be.”

行ってみなければわからない、話してみなければわからない。たとえ徴兵制に関する私の知識が信頼できる大学の先生の講義で得られたとしても、それが100正しいかといったらそうではない。実際に知ろうとすること、学ぶことの永続性について考えさせられた。また同時に、自分の外国での知見を友人や家族の人に伝える際の責任も私のルームメイトが気づかせてくれたのだった。

思い出で終わってしまったこのプログラムをこのような形で分析してみた結果、もしかしたら思い出以上のものになっているのかもしれないと思えるまでに至った。同じような境遇をまたも迎えてしまった未来の自分やいつかの後輩にとって少しばかり励ましになりますように。




VJEP2023活動報告書 (筑波大学社会・国際学群国際総合学類2年 岡本みもり)


今回のプログラムは明らかに大きな力に支えられて実現された。ここに全てを挙げてみようと努力する。先生、オーガナイザーや現地の大学の方々、参加者、それに加えて、ベトナムビンズオンの政府の支援もかなりあったと聞いた。日本で支えてくれていた家族・友人・先輩も忘れてはいけない。先生方やオーガナイザーの方が期間中私たちと行動を共にし、プログラム完遂のため力を尽くしていただいた。参加者自身は全力で対話し、交流し、学んだ。今回のプログラムはベトナム日本外交樹立50周年記念の事業として認定され、政府の力をここぞとなく感じた。今回のプログラムで最も大きな力だっただろう。参加者を送り出す人たちは、金銭面はもちろん、不安の中それでも背中を押すことで私たち参加者に力を分け与えた。

これらの多方面の協力のおかげで、約2週間のプログラムを無事に終え、たくさんの学びを得た。テーマであったサーキュラーエコノミーについて深く考え議論することができた。それは大きな成果であり、サーキュラーエコノミーを専門としていない学生がそれをなし得たことの意味はかなり大きいものだと私は考える。サーキュラーエコノミーというテーマは難しかった。高校や大学での研究内容は、先行研究が多くあるものがほとんどだった。しかしサーキュラーエコノミーはほとんどの参加者にとって馴染みがなく、世間にもあまり知られていない概念であったため、お手本が少なく最初はお手上げ状態だったように思う。それでも、自分たちでサーキュラーエコノミー実現のための教育モデルを考えることができた。様々な社会問題の改善策として挙げられる教育について考えることができたのは、私にとって大きな力となった。

しかし、私の夢のことを考えよう。世界への貢献の実感ゼロだった。私自身幼いころから、不平等、貧困、差別が嫌いで、小学生にして世界平和とはどうしたら成し遂げられるんだろうかなんて考えていた。その結果、現在大学で国際開発を学び、国際支援に携わる人間になろうと道を選んできた。ただ、今回のプログラムの中で、自分が世界の安寧に寄与できているなという実感がなかった。苦しかった。参加者との別れのときを除いて、プログラム中私が一度だけ心砕け泣きそうになったことがあった。多分ほとんど泣いていた。それは、この努力の先に私が目指す世界があるのかと不安になったときだった。未だにその答えは出ていないのだが、あのときの私には、この頑張りが世界に貢献する人間になるための基盤だと信じてその場に留まることしかできなかった。頑張りの先に自分の目指すものがあると信じて努力を続けられる辛抱強い人間こそが夢を叶えるのかと思った。短い人生の中で、無駄に思える努力はせず近道だけを通っていくべきなのかとも思った。ただ、私には、自分の使える限りの力、縁、時間を使って、全ての経験を自分の血肉とするというポリシーがある。なんとしてでも今回の経験から自分の将来につながる学びをと、もがいた。

そこで考えたのが、国際協力×サーキュラーエコノミーである。プログラム中に議論することは叶わなかったが、サーキュラーエコノミーと地域発展を同時に実行できるのではないかと考えた。先進国よりも後進国のほうがサーキュラーエコノミー実現に近いのではないかと考えたことがきっかけであった。考えとしてはまだまだ浅いが、この考えに帰着することでようやく今回のプログラムから旨味を得ることができそうである。

プログラムが終わった今、自分自身がもっと大きな力を持ちより多くの人の生活を支えるべきなのか、それとも無力感に駆られながらも支援の現場に立ち目の前の人を支援すべきなのか、進むべき道がわからない。多少の犠牲をはらみながらも大きな力を動かす人間になるか、微力だとしても確実に力を届ける人間になるか、つまり力の使い方である。力を持ったとしてもその使い方次第では、誰かを救い、誰かを殺すのだと思った。

今回のプログラムで、自分の中で多くの変化があった。変化は常に力を生み出す。ここで手にした力を今後どのように使っていくかである。「微力」とは、決して私含め世界の全ての個人が微力であっても無力ではないということである。ただ、無力ではないといいつつもあまりに微力な私は、力を蓄えていかなければならないことは自覚している。

活動報告がこのような迷いに満ちたものになって良いのかと思ってはいるが、学生にとって経験を通して得た葛藤ほど価値あるものはないと信じて、これを活動報告とする。