2016年10月31日月曜日

ベトナムVJYE 2016 報告書(15) 吉田梨乃 (上智大学総合グローバル学部1年)「異文化交流で学んだ大切なこと」

「異文化交流で学んだ大切なこと」

上智大学総合グローバル学部1年
吉田梨乃


 タンソンニャット空港で日本人学生メンバーの登場を待つこと4時間。私の心は、疲労感ではなく、期待感でいっぱいだった。日本人メンバーの中でわたしは唯一、東京経済大学の学生ではない上に、彼らとの活動歴が少なかったせいか日本で仲良くなる機会を作ることがなかなかできなかった。もちろん、溶け込めるか不安で仕方なかったわけだが、緊張感はあまりなかった。むしろ、これから始まる2週間のプログラムで日本人・ベトナム人を含め、どれだけの多くの人たちに出会えるのか、私自身楽しみでならなかった。空港で感じた期待感は、新しい出会いへの楽しみが疲労や緊張を勝った結果、そのものであった。
 私は8月のAAEE、アジア教育交流研究機構主催の学生交流プログラムに参加していたため、早くからホーチミンに駐在していた。そのため、プログラム前からベトナム人学生メンバーと会う機会を設けることができ、早くから交流し、親睦を深めることができた。今回の9月のVJYE研修での私の役割は参加者であると同時に、日本メンバーをサポートすることであった。そのために、早くからベトナム人学生メンバーとプログラムの準備に関しての打ち合わせをしたり、どうしたらより円滑に日本人・ベトナム人学生がお互いに交流することができるかについての策を考えたりなど。私自身、多くのベトナムメンバーが優しくそしてフレンドリーに接してくれたことを本当に嬉しく感じた。本稿では、異文化の人と交流を通じて学んだ大切なことを自身の経験談を通じて気づき、学んだことを記すと同時に、ベトナムゼミ研修の活動報告としたいと思う。
第一に、私が学んだのは「笑顔の大切さ」である。笑顔は世界共通だ、そんな言葉がグローバル化における現代ではよく飛び交っているが、このプログラムが始まる前は、実は私はただの辛気臭い言葉と思い、全く信じていなかった。幼い頃から、インターナショナルスクールで英語を学んできた身として、英語ができなければ異文化の人と対話することは不可能であると信じていて、むしろ今まで最も重視してきたものは、英語力がどれだけ秀でているか、それだけであった。しかし、私は今回のVJYE研修でどんなに英語ができていても、笑顔がなければ異文化交流はうまくいくものではないと思い知ったのである。
実を言えば、私は昔から夜更かしが好きな上に、早寝早起きが大の苦手で、さらに表情が硬く、第一印象はいつも「怖そう」「話しかけにくそう」とマイナスなイメージしか抱かれたことがなかった。そのため、どんなに英語を話すことができようとも、積極的に外国人から話しかけられたことは今まであまり体験してきたことがなく、日本人だけに限らず、外国人にでさえ、怖がれることがほとんどであった。もちろん、そのことを自分でもよく理解していたので、私はベトナム人学生と交流する際、徹底していつでもどんな時でも笑顔で親しみやすい人でいるようにした。そうすれば、得意とする英語を存分に使う機会が増えるし、サポーターとしてプログラムを作るベトナムの学生と気持ちよくコミュニケーションが取れなければ役割を担うことなど到底無理だと考えたからだ。
さらに言えば、朝起きるのが苦手な私は、夜更かしをやめ、しっかりと睡眠と食事をとることで笑顔を作りやすいように努めてみた。すると、笑顔が増えた私に、気付いたらベトナムメンバーが話しかけてくれたり、親しみやすく気軽に声をかけてくれた。私は非常に単純なことだが、異文化交流をする際、英語の重要性の他に笑顔やどれだけ親しみを持ってもらえるように接するかが非常に大切になってくるのだということを身をもって学ぶことができた。少なくとも私が見る限り、多くの日本人は異文化交流を図る際、自らの英語力のなさに失望し、異文化交流には英語力がどんなに必要か思い知らされたと述べることがある。しかし、たとえ英語力がどんなに秀でていようと相手に自分とコミュニケーションをとりたいと感じさせる能力が足りない場合、異文化交流を気持ち良く進めることはとても困難になってしまうのである。もちろん、英語がしゃべれることは有利であるが、それはただの特権に過ぎず、むしろ英語力が秀でていなくとも、積極的に相手と笑顔で接し、気軽に話しかけやすい人である方が異文化交流において必要とされるのではないだろうか。



2016年10月30日日曜日

ベトナムVJYE 2016 報告書(14) 石井 侑登 (東京経済大学経済学部4年)「ベトナム研修を通じて新たに学んだこと」

「ベトナム研修を通じて新たに学んだこと」


東京経済大学経済学部4年
石井 侑登

私は昨年関ゼミ生としてネパール・タイでの海外研修へ参加し、水道も電気もほとんどない山村に滞在する中で「英語に限らず相手に通じる言語の大切さ」と「相手の文化を尊重し、理解しようとする姿勢の大切さ」を学びました。2週間という短期間でしたが、現地の学生と朝から晩まで行動を共にし、お互いの習慣や人格を尊重しながら交流を進めたことで、自身の異文化適応力を高めることができました。
今年のベトナム研修では、昨年学びえた上記のことを意識しながら交流をし、新たな気づきを得ました。
一つ目は、両国の学生たちがお互いの言語を教え合っていたことです。英語を介した交流がメインの本プログラムにおいては貴重な英語を話す時間が減少してしまいますが、お互いがお互いの言語に興味を持ち、さらにその知識を深めていこうとしている点では、異文化理解が出来ていたと思います。相手の言語を覚える際には、「ありがとう」や「こんにちは」などのありきたりな言葉も重要ですが、それよりも大切だと感じたのは相手が思わず笑ってしまうような言葉を覚えることです。その笑いから英語での会話が続いたことがしばしばあったからです。例えば「僕すごくかっこいいけど、さすがに知っていたよね?」。外国人が片言でこんなこと言ってきたら面白いですよね。
二つ目は、自分から話題を作り話しかける積極性が必要だということ。これは多文化交流に限ったことではありませんが、いくら英語が流暢な人でも発信しなければコミュニケーションはとれません。今回の私の反省点は、交流に関してやや消極的になってしまっていたことです。ベトナム人とも共有できるような話題を見つけることに苦労し、当初は自分から話しかけるということが他のメンバーと比べて少なかったです。それに2週間あればいずれ自然と打ち解けていくだろうと心のどこかで思っていました。話す人とは話しますが、話さない人とはあまり話さないという状態のままプログラムの折り返しに差し掛かったところで積極性の大切さを痛感しました。そこでなんとか話題を見つけようとして思い立ったのが、上記でも述べたように、面白いベトナム語を教えてもらい他のベトナム人メンバーに実践するということです。これは非常に効果的で、すぐに打ち解けることが出来ました。
三つ目は、ホーチミン市についてです。想像していた以上に高層ビルが多く、至る所で建設が進んでいました。地下鉄も数年以内に開通するそうです。日系企業も多く進出しており、今後さらなる経済発展が見込まれます。しかし、建設現場の労働者たちに着目した私は言葉を失いました。きらびやかに彩られた完成予想図の前で、それとは対照的に憔悴していた彼らは、顔や肌の色から推定し外国からの出稼ぎ労働者です。ここで事前に学習していたベトナムの経済格差を実感しました。今後はこの経済格差是正への取り組みも重要になってくると思います。私はセキュリティに興味があり、街中にいる数多くいる警備員に注目したり防犯カメラのタイプなど観察したりしていましたが、ホーチミン市を離れた村ではそのようなセキュリティをほとんど見ませんでした。セキュリティの需要について疑問を抱いたので、ベトナム人メンバーに通訳を依頼して村の家やお店に話を伺ったところ、セキュリティはあれば便利で助かるが、生活するのに精いっぱいで、導入するお金がないと答えてくれました。ここでも都市と地方間の経済格差を実感しました。
最後は、人のつながりの大切さです。研修期間中の自由行動時間を利用し、ベトナムに進出している日系企業のオフィスを訪問し、現地で勤務する日本人社員の方から貴重なお話を聞くことが出来ました。さらに同じベトナムオフィスで東京経済大学の卒業生が勤務しているとのことでその方を紹介してくださりました。そもそもベトナムで働く日本人社員の方を紹介してくださったのは、私がオーストラリア留学中に出会った方です。どこでどのような出会いがあるかわかりませんが、人との出会いは大切にしていきたいと改めて思いました。また、今回のベトナム人メンバーも今後私たちがベトナムについて知りたいことがあったときなどに協力してくれます。海外の情報は誰でもジャーナリストの記事から得ることが可能ですが、実際に現地に住んでいるネイティヴを友人に持つということは、より詳細な情報を得ることができ、特権です。

結論として、昨年のゼミ研修では発見しきれなかった新たな気づきを今回のゼミ研修を通して発見できたことで、多文化交流における自身の振る舞いや行動を見直すきっかけとなりました。私は10月からオーストラリアへ行きますが、この研修で学んだことを活かして異文化適応力をさらに高めていきたいと思います。

2016年10月29日土曜日

ベトナムVJYE 2016 報告書(13) 高橋 侑汰 (東京経済大学経済学部2年)

「“交流する”ということ」

東京経済大学経済学部2年
高橋 侑汰


今回、私は関昭典ゼミナールの一員として、VJYE2016 (Vietnam Japan Youth Exchange 2016)に参加しベトナム・ホーチミン市にて2週間、主に現地大学生との交流などの活動を行った。この研修は93日から同月16日まで行われた。
今回の研修は成田空港でのミーティングによりスタートした。ミーティングでは、到着後の予定、注意事項等を事細かに確認し、当ゼミ3年山田悠貴より編成された日替わりの責任者の発表もあった。日ごとに3人一組のユニットが組まれ、日替わり責任者の仕事内容は点呼、各場所を離れる際の忘れ物確認、翌日の責任者へ翌日程の情報伝達などというものだった。我々は成田にて万全の体制を整え、飛行機に搭乗したのであった。
機内では特別、研修についての話をすることはあまりなく、ゼミ生一人一人がリラックスし、それぞれの時間を過ごした。到着後に対面する学生たちに疲れた表情を見せないために、ということだった。機内で揺られることおよそ6時間、飛行機は無事、タンソンニャット国際空港に着陸し、我々はベトナムに到着した。
タンソンニャット空港にて初対面。まだ誰の名前も分からない。

空港を出ると、夜も更けて日付が変わっているにも関わらず、これから行動を共にするHoasen大学の学生メンバーがロータリーにて出迎えてくれた。そこで挨拶を交わし、彼らとバスでホテルへと向かった。まだ会話の少ないバスで不安と期待が交錯する中、およそ30分でホテルに到着した。私はホテルに到着し部屋に入るや否や、ベッドで眠りに入った。ここまで。まだ“交流”はさほどなされなかった。

朝起きてホテルで朝食を食べてからロビーへ降りると、現地学生メンバーが来ていた。彼らに案内され私たちは彼らの通うHoasen大学のビルに辿り着いた。そこで彼らは我々のために歓迎式を催してくれた。そこではまずメンバー全員が自己紹介をした。そして現地学生メンバーがパフォーマンスを披露してくれた。実は我々もパフォーマンスの準備をしていたため、そこで披露させていただいた。両方のパフォーマンスは共に自国の風土や伝統を表したものであった。“文化交流”がそこでは行われた。
その歓迎式の後、我々は現地学生メンバーとともにコーヒーショップに行き、茶話会が開かれた。そこで我々は初めて真面に“会話による交流”が行われた。その後全員にバディが発表され、バディが街を案内してくれた。その間私はバディとたくさん話をした。会って間もないので、趣味、国についての話、大学の話、将来の夢の話、アルバイトの話、家族の話など話題はたくさんあったので会話が詰まることはなかった。
ホーチミン市内で公園の清掃活動や別大学への訪問など様々な活動を終えた後、我々は910日より3日間を人里離れた小さなタライ村という村で過ごした。そこでは、現地学生メンバーと様々な活動を行った。中でも村内のごみ箱設置活動は印象的である。現地学生メンバーと4,5人のグループを組み、村に共用のごみ箱を設置した。その過程では現地学生メンバーと協力して完遂することができた。またそこで現地学生メンバーがとても真面目であるという印象を受けた。
タライ村での3日間で現地学生メンバーとの心の距離がすごく縮まったと実感したのは、タライ村を出てホーチミンのホテルに戻る際のバスの中である。それまではバスに乗る際は日本人学生とベトナム人学生が隣同士で席に座ることはほとんどなかったのだが、そのバスでは、日本人同士が隣同士にはならず、かつ車内が会話で賑わっていた。

タライ村にて撮影。意図せずとも服の色が揃ってしまう一体感

しかし別れというものは惜しい時にやってくるもので、タライ村からホーチミンに帰ってきてはすぐに帰国準備に追われ始めそのときはすぐにやってきた。最終日、空港に向かうバスの中、またそれ以前のホテルを出る際にも、別れの惜しさに涙を流してしまう学生も少なくはなかった。そこで私は改めて、この2週間で築いた現地学生メンバーとの親密さを実感した。搭乗時間ギリギリまで空港のロータリーで会話をした。ベトナムへの名残惜しさを感じる時間であった。
別れの時。「また会おう」と皆で誓い合った。
日本に帰国した今も、彼らとは連絡を取り続けており、メンバーの中には再度ベトナムへ行く、またベトナム人学生の中にも、来日を予定しているという者もいる。この研修で出会ったVJYEベトナム人メンバーは今後も良き友人として大切な存在になることは間違いない。


研修を終えて
今回の研修で私は“交流”というものについて考えさせられることが多かったと感じている。今まで“交流”というのは、いわば会話することであり、その手段でもって相手のことを知っていくことだと思い込んでいたが研修を終えた今、“交流”は単に会話で相手を知ることではなく、体験、実経験でもって相手のことを知っていく、また自分のことを知ってもらうことも“交流”のうちではないかと思っている。会話がなくても“交流”はできる、ということを思い知らされた研修であった。

最後に、この研修に参加する機会を与えてくださった関昭典先生をはじめ、大学関係者様方、家族等に感謝したいと思う。

2016年10月28日金曜日

ベトナムVJYE 2016 報告書(12) 池田 滉志朗 (東京経済大学経済学部2年)


「研修を通じて変わったこと」
 
         東京経済大学経済学部2年
 池田 滉志朗
                    
 この12日間のベトナム研修は異文化交流と持続可能な開発目標(SDGs)について学ぶというものであった。これは私にとって初めての海外渡航ということもあり、期待よりも圧倒的に不安が勝った。それは、以前から興味を持っていた国際交流はどのようなものかという期待と、コミュニケーションと文化の違いに対しての不安だ。本稿では、研修を通して特に印象に残ったことと感じたこと、考えたことについて述べようとおもう。
はじめ、まだベトナムに来たという実感が湧かないまま10数名のベトナム人学生のいるカフェに案内された。私は国際交流が楽しみであったはずであるのに、いざ顔を合わせると不安でいっぱいになったのを覚えている。勉強してきたはずの英語もほとんど聞き取れず、周囲が楽しそうにコミュニケーションを取っている中、私は一人黙っていた。すると、あちらからゲームをしないかと誘われた。私は思ったようにコミュニケーションが取れない相手とゲームができるのかと疑問に思ったが、笑顔で一緒にゲームをしていると、いつの間にか緊張はほどけて英語も口から出るようになっていた。以前から耳にしていたことではあるが、人それぞれのバックグラウンドに関わらず笑顔は共通のコミュニケーションツールであるということを、来て早々に体感できた。
そして、ベトナムと日本の文化交流が行われたときは、互いの文化の素晴らしいところを認め合うことができた。私達は文化や考え方の違いをストレスに感じるようなことは一切なく、その時間は異文化の背景や宗教について考え、知ることができて充実したものとなった。ベトナムの文化紹介の次は、私達が事前ゼミ合宿やゼミ授業の時間外での話し合いなどで修正に修正を重ね造り上げてきたパフォーマンスを発表する番となった。最初はそれがベトナムの人に受け入れてもらえるか不安だった。しかし、ベトナムの方々はただ観ているだけではなく、私達と一緒になって踊るなど、パフォーマンスを体験してくれたため非常に有意義な時間となった。異文化交流は互いの国の文化に興味を持ち、価値を理解し、共有し合うことに意味があると思った。
また、シティツアーの中で訪れたベトナム戦争の歴史を綴る「戦争証跡博物館」では、枯葉剤が与える影響などの、日本では目にすることのできない生々しい資料をみて、この研修で最も衝撃を受けた。後日、研修の一環としてグエン・ドクさんと食事をさせていただいたときも、ベトナム戦争が及ぼした甚大な被害について聞くことができた。相手の国の文化に関心を持たず、価値を無視した悲惨な戦争は二度と起きてほしくないと強く思った。
SDGsについても同じようなことが言えると思う。SDGsの講義を専門家から受け、私は、現在SDGsのことを認識し、関心を持っている人はどれだけいるだろうかと疑問に思った。社会の無関心は問題解決の先延ばしへとつながる。私は、全ての問題の解決に向けて最も重要なのは、関心を持ち続けることであるし、無関心は罪だと改めて思った。
そして、今回のベトナム研修で最も予測不可能で過酷であったのが、4日間のフィールドトリップである。それまでの活動範囲であったホーチミンを出て数時間後、私は周りを見渡して驚いた。コンビニは見当たらず、近くにスーパー等の施設が全く見当たらなかったである。ホーチミンでは感じなかったが、ベトナムは発展途上国であるということをそこで初めて実感した。そのような場所で過ごす日は、日本では想像できないものであった。しかし、このフィールドトリップが、面倒なことを避け、予測できる範囲内のことしかやらない私を打ち砕いてくれたと思う。この研修を通じて、予測のつかないことが起こったときでもベストを尽くし、最良の結果に導く努力と対応力を得ることができた。

今回の研修の反省点は、英語の学習が足りなかったことただ一つだけである。日本人とベトナム人と英語で11の会話をしたときも、会話は途切れ途切れだった。深い内容に入ろうとすると英語でどう伝えるべきかわからず、もっと話したいのに話せないという非常に悔しい思いをすることとなった。この思いは研修が終わるまで続くこととなった。これらの後悔の原因は全て英語力にある。英語力があったなら、さらに良い研修にすることができたであろう。このような思いを二度としないためにも、英語の学習により一層の力を注ぐことを決意した。そして、英語のレベルが決して高くはない私でもこのような充実した日々を過ごすことができたのは、ベトナム人のあたたかい心遣いと笑顔のお蔭だと今になって強く思う。これから先、どこの国に行ったとしても、相手の国の文化を尊重し、笑顔で交流していきたい。

2016年10月27日木曜日

ベトナムVJYE 2016 報告書(11) 金子 舞 (東京経済大学経営学部2年)「ベトナム研修報告書」

「ベトナム研修報告書」


東京経済大学経営学部2年
金子 舞

私は、9/3から9/16で行われたVJYE(ベトナム研修)に参加し、約2週間ベトナムのホウセン大学の生徒たちと行動を共にした。私が、この研修で得たものはSDGsの更なる理解の他に大きく分けて積極性、英語学習へのモチベーションだ。これらを得られた経緯をピックアップして述べたいと思う。
まずは、前期の授業を使いベトナム研修に向け学習、準備をしてきたSDGsの更なる理解についてだ。私たち日本メンバーは、SDGsの中でも環境に焦点を置いた日本における対策について、ベトナムメンバーはベトナムの環境問題について英語で発表を行った。
発表を聞く前は、発展途上国であるベトナムの抱える環境問題は、きっと日本にはない問題ばかりなのだろうと考えていたが、洪水などの水害は近年の日本にも見られる問題であった。環境問題は、その国ごとで原因、対策を考えることが必要であると共に各国が世界的に考え対策を練ることが大切だと感じた。
また、ホーセン大学に観光を学ぶ学科もあることから、観光に関するSDGsについてディスカッションをした。内容は、観光客が増えることによって起こりうるプラスの影響とマイナスの影響だ。グループごとに意見を出し合ったのちに、それらは全て影響を与えるのは環境、社会、経済のどれかに当てはまることが分かった。何事にもプラスとマイナスの面があるわけだが、もしかしたらSDGsの17個の目標のうち1つにはプラスの影響になるが、他の1つにはマイナスの影響を与えるということが起こりうるのではないかと考えると、この17の目標を達成するのは、容易いことではないと感じた。
私がベトナムの環境の面で感じたのは、モーターバイクと路上に捨てられたごみの多さである。私たちは大学周辺の公園でゴミを拾い、タライではごみ箱を設置した。これらのことは、とても大変な労働であったが、ベトナム全体から見ればほんの少しの変化だ。だが、これらを見た人たちの変わるきっかけになればいいなと思う。
次に積極性と英語学習へのモチベーションについてだ。実は私が関ゼミに入ったのは、この2つを得られるのではないかと思ったからだ。結果的には思惑通りとなったが、なかなか私としてはたどり着くまでは困難であった。私の考えとしては、伝えたい相手ができることで英語学習へのモチベーションが得られるというものだ。私の考えが正しいのかを調べるためには、まず伝えたい相手をつくらなくてはならない。もともと、人に話しかけるのが苦手な私は最初ベトナムメンバーとうまく話しができず、自然に日本人メンバーの横に行くようになっていた。ホーセン大学での講義の日、日本人メンバーの横に座った時に、これでいいのかという思いが残り「ベトナムメンバーの横に座れば良かったかなぁ」と口に出していた。すると「今からでもいけるよ!Let’s try!」と横の先輩が言ってくれた。そして私は背中を押されベトナム人メンバーの横に座り話しかけた。これが自分からの初めての行動だった。これをきっかけに話をたくさん出来るようになったし、この時話しかけたサラとは一番仲良くなれたと私は思っている。一歩を踏み出すのは、なかなか勇気がいるが、そのあとは以外にも簡単なのだなと分かった。これからは、もっと様々なことに挑戦できるのではないかと感じている。
私がこのプログラム中に自分の英語学習不足で聞き取れない、伝わらないということはたくさんあった。ディスカッション、ゲームの説明、課題への話し合い、本当に何回ももどかしい思いをした。いきなりみんなの前で話せというものも私の英語能力は明らかに不足していた。でも、日々のコミュニケーションは簡単な文や単語を使いベトナムの友達と話せていたし、楽しかった。しかし別れは必ずやってくる。別れのとき、思い返すと2週間は本当に2週間なのかと疑うほどに濃い時間を過ごしていた。泣くなんて思ってもいなかったのに、この楽しい時間がこれで終わりだと感じたら自然と涙がでた。2週間で1番今の気持ちを伝えたいと思った。でも、私の英語力では、その時の複雑な気持ちは英語にできなかった。それがとても悔しかった。しかし同時に、そこで私は伝えたい相手ができたのだと感じた。海外の友達は、私の英語学習へのモチベーションだ。次に、またベトナムの友達に会うときは、再会の喜びを英語でうまく伝えたい。 

私は、この研修でたくさんの良い経験をしたと言える。強く印象に残ったのはタライである。ジャングル、たくさんの虫、蚊帳の中で寝る、蠍、水のシャワー、筏つくり。すべてが初めての体験であった。だが、特に印象に残ったのは、ゴミ箱設置の時一人になるシーンがあり、その時にベトナム語しか話せない地元の人に話しかけられたことだ。私の目を見て私の知らない言語で話しかけてくる。本当に初めての経験だった。英語を使って海外の人と話すと自分の世界が広がったように感じていたが、英語を話せる人としか会話は出来ないと気づかされた。日本語と少しの英語しか話せない私の世界はひどく狭く感じた。だから私は、英語をもっと完成させた後、他の言語も習得したい。

2016年10月26日水曜日

ベトナムVJYE 2016 報告書(10) 曽 子傑 (東京経済大学経済学部2年) 「発見」

「発見」

東京経済大学経済学部2年
曽 子傑

ついに待ちに待った人生初の海外研修を迎えることになり、期待半分、不安半分でこの研修に臨みました。期待というのは、初めてベトナムに訪ねて、本格的なベトナム料理を食べられることです。不安というのは、果たして今まで勉強してきた英語は100%出しきれるのかのというものと、ベトナム人と友達になれるのかというものです。9月3日から16日までに14日間も亘るベトナム海外研修を終え、大きく分けて二つのことに気づきました。
一つ目は英語の重要さを改めて感じることができたことです。今までは何となく英語は言われるままに、はっきりした目的もなく勉強してきました。しかし、今回の研修で言葉の大切さを知ることができました。私たちが訪れたのはホーチミン市です。ベトナムの空港に着いてからは、日本語を書かれている看板などが一切なく、ベトナム語と英語しかありません。現地の人で日本語を分かる人はもちろんおらず、コミュニケーションをとる手段はもう英語しかないのです。今回の研修ではベトナム人メンバーはおおよそ12名おり、私たちの共通言語は英語しかないので努力して英語で会話していました。そこで私が思ったことは、ベトナム人学生は全員、日本人メンバーより英語がはるかに上手だということです。なぜ、私たちは彼らと同じく小学校や中学校から英語を勉強してきていたのに、こんなに大きな差があるのかと疑問を抱きました。日本人は確かに英語に対して苦手意識を抱える人がとても多いです。今、日本では小学校五年生から英語を学び始め、高校までの8年間ずっと授業を受けています。しかし、その結果、実際どれぐらいの人が英語を喋られるのでしょうか。自己紹介や簡単な単語ぐらいは大丈夫と思いますが、いざ外国人と英語で話す時にしっかりとコミュニケーションを取れる人はどれぐらいいるのでしょう。日本の学校では文法が中心となっている授業が多く、読み書きに特化してインプットに力を入れるのが日本の英語教育の主流です。確かにインプットした知識は持っているが、それを口に出して人に伝えるアウトプットの訓練が不足している気がします。それに加え、日本は島国であるので日本語だけでも就職に困らないことが多いです。一方ベトナムはまだ発展途上国ですが、彼らにとって英語ができない場合には他に高いスキルを持っていない限り良い仕事が見つかりません。彼らは生活がかかっているので、日本と比べてプレシャーが違います。
私は昔から読み書きが不得意ですが、スピーキング力だけには自信あります。初日は自己紹介をし、そのあとベトナム学生と日本学生一人ずつでペアを組んでホーチミン市を観光しました。その間、私とパートナ―はずっと英語で些細なことから深い内容のことまで話し続けていました。しかし、何度か会話を続けていくうち、もう日常的な話題や、知っている単語も使い切ってしまい、それ以上の話はできませんでした。もっといろいろなことを話したい気持ちはありましたが、今、自分の英語力ではまだ伝えることが難しかったのです。今回の研修でグローバル人材になるにはまだまだ英語力が全然足りないことに気づきショックを受けました。しかし、きっとその悔しさはこれから勉強するための良いエネルギーになったと思います。
二つ目に気づいたことはベトナムの発展です。普段日本ではあまりベトナムについて触れる機会がなく、授業でベトナム戦争を勉強したのと、物価が安いこと、あとは料理がおいしいということぐらいしか知りませんでした。空港から出て外の町を見たとき、高層ビルや整備された街並みが目に入ってきて、以前ベトナムに対して抱いていた貧困のイメージが全部ひっくり返されました。ホテルからすこし歩けば、日本でも有名な高島屋やマルイなどの大きなショッピングモールもあり、高級ブランドの専門店も数々ありました。
ベトナムは発展途上国ですがASEANに加盟して海外への輸出にも力を入れています。ベトナムの平均月収は二万円程度で、日本の十分の一以下です。人件費が安いため、日本からも味の素、富士通、キャノンなど多くの大企業がベトナムに進出をし、工場を置いています。ホーチミン市ではファミリーマートとコンビニエンスストアも見かけました。ベトナム人の主な交通手段は車とバイクですが、町中にトヨタとホンダの車とヤマハのバイクが使われているのを見ました。ある日メンバー全員で夜ご飯を終えてシティーのナイトツアーがあり、町を歩いていたら目の前にある工事現場に英語でVietnamJapanの旗の模様が貼られておりました。そのことについてベトナム学生に聞いたら、それは日本が支援してベトナム政府と一緒に地下鉄を作っていると教えてくれました。ホーチミン市ではあちこちに日本の影響を受けているところが見られました。
時が経つのはあっという間で、皆がやっと仲が良くなってきたばかりですが、もう別れを告げる時が来てしまいました。この12日間、肌で現地の雰囲気や民族性などを感じることができました。いろいろ貴重な体験をさせていただき、多くの発見をすることができました。日本にはないにぎやかさと元気があふれていて、毎日新しいことを発見できることに生きがいを感じ取れました。しかし、もうここから離れると考えると非常に残念な気持ちでいっぱいになりました。ベトナム学生のリーダーはこう言いました
it’s not goodbye, this is start of something new!”

これは終わりではありません、きっと私たちがここで出会えたのは一つの縁であり、それをきっかけにお互いの文化や言葉を知ることができた、これからもお互いのことを励まし合い成長し、また次会えるのを楽しみに待っています。