2017年5月10日水曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 報告書 (6) 関愛生(上智大学総合グローバル学部2年)「ネパールスタディーツアー2月報告書」

「ネパールスタディーツアー2月報告書」

                  上智大学総合グローバル学部3年
                                      関 愛生

 2017年2月、スタディーツアーに参加する日本人学生一同はネパールの首都カトマンズに降り立った。高校時代の一年間をネパールで過ごした私は、大学入学後も度々ネパールを訪れていたが冬のネパールは久々だった。思っていたほど寒くなく、照りつける太陽の日差しが心地よかった。今回のスタディーツアーではどのようなドラマが生まれるのかと、ワクワクすると同時に少しばかり緊張していたことをよく覚えている。
 私は今回のスタディーツアーが始まる前、これまでのスタディーツアーとは比べものにならない程不安を感じていた。これまでは、日本人とネパール人両国の学生合わせて20名程であった。大人数ゆえに毎日みんなでワイワイ楽しく過ごせていたし、その雰囲気こそ、学生交流を目的とする私たちのツアーにとって何より重要なことだと思っていた。それに対して今回は、日本人学生とネパール人学生がそれぞれ5名ずつ参加し、全員合わせて10人程である。私がこれまで経験してきたスタディーツアーのなかで最も少ない人数だったが、果たして両国の学生は上手く交流を深めることが出来るのだろうか。そのことを何より心配していた。しかし、その私の心配は良い意味で裏切られることとなった。むしろ、大成功であった。この報告書では、スタディーツアー中に起こった出来事から二国間の学生交流における課題とその成果を私なりに考察したいと思う。
 今回のスタディーツアーの成功の要因は二つある。一つは、全ての参加者が高いレベルの語学能力を持ち、更に積極的にコミュニケーションを取ることを強く意識していたことである。言語の異なる二国間の学生が交流する際、最も大事なことは言語能力ではなく、コミュニケーションを取ろうとする姿勢であると私は考えている。その上で、ある程度の語学能力を兼ね備えていると、議論の際に内容をより正確に理解し、自分の伝えたいことをしっかり伝えることが出来るため、結果的により深い関係性を築くことが出来ることは容易に想像がつくだろう。今回に関して言えば、両国の学生全員が英語でのコミュニケーションを得意としていたため、何か議論が始まるとかなり深い内容まで掘り下げて話をすることが出来た。
 二つ目の要因は、少人数でのスタディーツアーとなったため、必然的に両国のメンバーが共に過ごす時間が多くなったことである。上でも述べたが、今回は私のこれまでの経験上最も少ない参加者でのスタディーツアーだったのだが、結果的には少人数だからこそ一人一人との交流の時間が増え、ツアーが終わる頃にはそれぞれのメンバー同士が深い関係を築くことが出来た。これまで私は数多くのスタディーツアーに参加してきたが、ここまでネパールの学生たちと関係を深めることが出来たことは初めてだったかもしれない。これは、少人数という恵まれた環境があったからこそだと私は思っている。しかし、常に皆が仲良く過ごしていたわけではなかった。毎日深い議論をしているからこそ、互いの意見が衝突し、議論を通り越し言い合いになってしまったこともあった。その中でも、私にとって特に印象に残っている出来事を紹介したい。
 それは、プログラムの醍醐味でもある農村地域(シックレス村)でのホームステイを行っている最中だった。シックレス村は、グルン族という民族が多く暮らしている村である。3日間の滞在期間中、私たちはネパールについての理解を深めることを目的に、村人へのインタビューを通じた調査活動を行っていた。インタビューに応じてくださった村人には、カーストが低いために職に就けず差別的な扱いを受けてきたという男性や、同じくカーストは低いが夫が国外へ出稼ぎに行っているため裕福な暮らしを送っている女性、先祖代々この村で暮らすグルン族のご家族など、様々な背景を持った村人のお話を伺うことが出来た。調査活動の最終日、村の学校の校長を20年以上勤められている男性を集会所にお招きして最後のインタビューを行った。
 英語が堪能な校長先生に対して、私たちはこの数日間に渡るインタビューを通じて感じたことをお伝えさせていただいた。やはり私を含め、参加者の多くの印象に残っていたのはカースト制度についてであった。カーストの違いによって差別を受けたり、職が制限されるという私たちにとって不条理な現実に怒りを感じている者もいた。意外かもしれないが、カースト制度に最も敏感に反応するのは、いつもネパール側の参加者だった。このスタディーツアーに参加するネパール人学生は、ネパールのなかで相当優秀な大学生ばかりが集まっている。英語が堪能なだけではなく、高い学力と幅広い知識を兼ね備えていた。大学などでカースト制度について相当勉強している彼らは、ネパールにおけるカースト制度は様々な問題の根源的な要因であり、カーストそのものをなくすべきだと考えている人も多いようだ。そんな彼らネパール人学生は、シックレス村に暮らすカーストの低い人々の生活について、そして村人による差別がいかに人権を踏みにじった行動かを校長先生に訴えた。しかし、それを聞いていた校長先生はその意見を即座に否定。村には昔から根づいてきた文化があり、カースト制度は簡単に変えられる問題ではないと主張した。さらに本人はカースト制度に賛成で、カーストの低い村人に対する差別的な待遇もある程度容認する考えだとも言っていた。
 私は校長先生の話を聞きながら、ネパールに遥か昔から根付いてきたカースト制度の根強さを感じるとともに、カースト制度の悪い面ばかり見るのではなく、現地の文化を今後も尊重しながらいかにカーストの低い人々の人権を守ることが出来るか考えていた。しかし、校長先生の考えに対して、カースト制度に反対するネパール人学生たちは激怒していた。その後、私と一部のネパール人学生との間で激しい議論が始まった。私は、ネパール人学生たちのカースト制度をなくすべきという極端な意見に対して、それがいかに難しいことかを農村地帯の現状を例に話をした。その私の意見に対して、「お前にネパールの何が分かるんだ」と言わんばかりに反論された。その後2時間に渡り、カースト制度について私たちは激しく議論し続けた。

 結局この議論は終着点を失ったまま終わってしまった。今でも当時の光景を鮮明に覚えているが、あの熱く議論を交わした時間こそ、学生交流の目指すべきところだったのではないだろうかと今は思っている。学生交流を目的としたスタディーツアーの目的について聞かれたとき、私はいつもこのように答えている。「学生である私たちは、まだ出来ることは少ないかもしれない。それでも、このスタディーツアーを通じて出会った学生たちが20年後、30年後、それぞれの国を引っ張るリーダーになったときに一緒に世界の問題を解決するために再び手を取り合う。そんな未来を作りたい。」私はあの議論をしている時に、まさに将来私たちが社会を引っ張るリーダーになったときに、同じように議論をしている姿を想像していた。異なる文化を持った二つの国の人間が協力して何かを成し遂げるためには、表立った関係だけではなく、心の底から信頼しあえる関係を築き上げることが重要だ。今回私たちは様々な出来事と議論を通じて、お互いを理解するだけでなく、真の意味で友人になることが出来たと確信している。たった2週間弱のスタディーツアーだが、私が出会った仲間たちから学んだことは計り知れない。

2017年5月8日月曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 報告書 (5) 大平啓太(近畿大学4年)「学生の行う支援の難しさと、それへの挑戦」

「学生の行う支援の難しさと、それへの挑戦」

近畿大学4年(2017年3月卒業)
大平啓太

まず、私がこのプログラムを通して考えた学生の行う支援の在り方について述べる。私の答えがあっているかはさて置き、『学生は知恵を絞り、それが出来なければ汗をかくこと』だと思う。お金はないし、人のためになんて到底出来ない学生が出来ることはそれぐらいだろう。ネパールの村をネパール人の学生に通訳をしてもらいながら、村に必要な支援をリサーチする。それをディスカッションして一つの答えを出すために知恵を絞ることは、ネパールの地域にも自分自身にも非常に有益なものだと思う。また、それが困難な学生は村人と共に導き出した支援を形にするために汗を流せばいい。語学がなくても同じものを食べ、同じ汗を流し、国境も人種も宗教も関係なく多くのことを学べばいいと思う。そこにお金は必要ない。人のためにとか出来たらいいなあ、とは思うが人のための前に未熟な自分と向き合い自己研鑽に励む方が有益だと思う。

学生は社会人から見て間違いなく未熟だ。ならば、未熟な自分を受け入れ必死に挑戦して自分を磨けばいい。そのツールに支援とかボランティア、学生交流があると思う。これこそが学生らしさなのではないか。その学生らしさを求めているなら、是非このプログラムに参加するべきだ。私は英語が大の苦手なのに、泥臭くも挑戦して行く過程で多くのことを学んだ。それが私をこれだけの笑顔にさせた。



この考えに至るまでに時間はかかった。今回のネパールへの渡航は3度目だ。なんなら、今回はヌワコットの視察を終えた後、他団体のプログラムに合流しネパール地震で大きな被害を受けた村で水道を作る計画だ。
私は、渡航中に毎回考えるのは、『学生の分際で、人のためなんて出来るはずがない』ということだ。私は両親のスネをかじりながら22歳まで生きてきた。生きていると言うより、生かされているという表現が適切だ。その学生に一体何が出来るのだろう。その疑問が常に私の心をモヤモヤさせた。
ヌワコットという被災地に訪問し、感じたことは多くあった。ヤギ小屋プロジェクトは素晴らしいもので、私自身がインフラ整備のボランティアを経験している分、ヤギ小屋の持続可能な支援の追及の仕方には共感できる部分も多い。ただ、肝心の村人への還元がどの程度進んでいるのか、本当にヤギ小屋がこの村に必要だったのかが分からない。もしかするとヤギ小屋プロジェクトよりも素晴らしい手法があったのではないかと思ったりする。
ただ、そんなモヤモヤを一緒に共有してくれる日本人もネパール人もいた。人のために出来たらいいなあと考え続けることはしんどい。しかし、同じ人間として支えてくれた仲間がいた。だからこそ、自分のモヤモヤが解消され、正解かどうか分からないが自分なりに納得のいく学生の行う支援の在り方にたどりついた。
最高の経験を積ませてくれた関先生には感謝しかないし、少しの期間だったが過ごした仲間は忘れられない。来年度から社会人になる私だが、この経験は必ず辛い時やしんどい時の支えになる。ネパールの学生も素敵な笑顔で頑張っているのだから、私も笑顔と元気さを忘れず負けないようにしたい。だって、ネパールの学生はこんなにも笑顔なんだから。

2017年5月6日土曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 報告書 (4) 比嘉海斗(東京経済大学4年)「私が学生生活を捧げた多文化間学生交流と、そこから得た学び」

「私が学生生活を捧げた多文化間学生交流と、そこから得た学び」
  
                          比嘉海斗(東京経済大学4年)


2017222日から35日までの約2週間、私は再びネパール学生交流研修に参加した。2016年途中より、日本では学生と言う身分を持ちながらもベトナムの現地会社で正社員として勤務していた私は、最初参加するか否か悩んだ。しかし、またネパールに行ける喜びがあり、さらにこれが私の日本での学生生活を締めくくる最高の機会だと確信し、参加を決意した。ベトナムの会社には相当無理を言って休みをいただいた。
 本報告書では、私が今回の研修の振り返り一番印象的であったシックレス村のカースト制度の問題に触れる。また、今回の研修も含め私が学生時代に参加してきた数々の学生交流研修の共通テーマであった「多文化間学生交流」に焦点を当てて述べていきたい。

 まずはシックレスの村におけるカースト制度である。シックレスという村は、首都のカトマンズからバスで8時間、さらにジープで7時間上った地にある標高3000メートルに位置するの小さな村である。この村は私が過去に行ったことのあるさらに離れた辺境の村とは違い、村には地図やゲストハウスが設置されわずかではあるか発展しているようだった。ヒマラヤの絶景のおかげであるという。観光客も多数訪れていたが、しかしそこに住む村人はひっそりと昔ながらの伝統的な暮らしをしていた。
 しかし、活動の一環で取り組んだ「参加型農村調査」(Participatory Rural Appraisal から、一見のどかなで楽しそうな村からは想像もつかないような問題がこの村を支配していることを知らされた。カースト制度である。カースト制度とはインドから伝わる階級制度であり、下流階級から生まれた人は一生下流階級というのがこの制度の特徴である。この調査を通じ、カースト制度が今のネパールにも根強く残っているということを初めて思い知らされることとなった。
我々は、村に住む様々な階級の家庭を訪問調査する機会をいただいた。概して上流階級の人々は高い土地に住んでいて、下に下がるにつれて階級も引くなる。我々はその中でも特に低いと言われる階級の家庭を訪問した。その家には70歳を超えたおじいちゃんと小さい子供を抱えた20歳くらいの若い女性がいた。話を聞くと、彼にはたくさんの子供がいたが、皆、差別される家庭環境に絶えられず逃げてしまったようだ。そこに住む若い女性の旦那である彼の息子も、ずいぶん前に奥さんと子供を置いて逃げてしまったらしい。取り残された彼らは、仕事もないため、毎日物乞いをしながら生きているという。
しかし、彼らが他の家庭に物乞いをしても、上流階級の人々は彼らに食料を与えないどころか、家にも入れさせてくれないため、毎日食べる食料すらままならいと泣きながら嘆いていた。私はこの状況を目の当たりにして、言葉を失った。こんな小さな村でも階級により人々が差別されていることに驚き、同時に生まれながらに身分を決められ運命が決まってしまう身分制度がどれだけ深刻な問題であるのかを気付かされた。
私からすれば、単純にこんな小さな村なのだからお互い助け合いながら生活したほうがよっぽど楽ではないかと考えてしまう。しかし、これはこの地域そして民族に根付いたずっと昔からの伝統、文化であり、私のような外者が数日間の滞在だけで判断できるものではない。共に活動に取り組んだネパール学生メンバーは都会部で育ち安定した学校教育を受けておりカースト制度の影響を受けて来なかったそうだ。このような不公平な制度はすぐにでもなくなるべきだと主張し、カースト制度を肯定するような長老に憤っていた。
この問題について、我々に今できることは何か。それは、単に「こんな差別はひどい!」と批判するに留まらず、皆で問題を共有し、問題解決に向けた指針を検討していくことにあると考える。基本的にはその国の問題はその国の人々が考え改善していくことであるはずである。しかし、今や一国の問題をその国のみの力だけで解決できる時代ではなく、多角的視点から解決を図るグローバルな時代である。この問題でもネパールメンバー、日本メンバーが激論を交わしたように外部者である我々との交流により、新たな道筋も見えてくるかもしれない。(余談であるが)私は関先生のゼミ生として先生に学ぶことが多かったので、関先生がこのようなことを意図して活動を継続していることをよく知っている。
 次に、私は大学生活のほとんどを捧げたと言っても過言ではない多文化間学生交流について述べたい。
 私はこの4年間でベトナム、タイ、ネパールなど様々な国にAAEEや大学のゼミでの研修を通して訪れ、ただ訪れるだけでなくその国の学生と実際に交流し、英語で会話をし、そして真の友情関係を築いてきた。今まで日本の中で生活し、日本の価値観の中だけで生きてきた私であるが、外の世界を知ることで日本の当たり前は他の国では当たり前でないことを気づき、物事を以前よりも客観的・相対的に考察できるようになった。さらに異文化に触れることで、日本の文化、自然そして日本人の優れた点にも気付かされた。
 多文化場面で交流をする上で欠かせないのは、まず英語力である。私は大学2年次にベトナム研修に参加した時、英語ができなくてせっかくの研修が苦い思い出に終わってしまった経験があり、そこで英語の必要性を強く感じた。英語ができなくても、笑顔があれば通じあえるというのはうそではないが、その人、その国を本当に知ろうと思ったら笑顔だけでは足りない。実際に言葉を交わして語り合わなければ、真の異文化交流はできないだろう。
 しかし、英語力よりも知っておかなければならない大事なことがある。それは違いを受け入れ尊重する心である。世界には様々な国があり、それぞれがその国特有の文化、風習、価値観を備えている。それらに遭遇したときに、「日本とは違うから理解できない」 と思うのか、「日本とは違うが、みな違っていい」と思えるのかには大きな違いがある。グローバル化という言葉にも表せられるように、これからは他国、他文化とのつながりがより強固なものになろうとしている。このような時代には、自国、自文化のことばかりに目を向けるのではなく、他国、他文化に目を向け、関心を持たなければならない。一人一人が個人レベルで異文化に触れ、自国の外ではどのような人が住み、どのような物を食べ、どのような暮らしをしているのか。そのような他国の現状を把握し、そして違いを受け入れ尊重する心を養うために多文化間交流があるのだ。

私の心の成長に関わってくださった多くの皆さま、私に新たな視点を与え続けてくださった関先生、そして何よりも私の自由気ままな行動を温かく見守ってくれた家族に心から感謝の意を表し、本報告書の結びとしたい。ありがとうございました!