「ネパールスタディーツアー2月報告書」
上智大学総合グローバル学部3年
関 愛生
2017年2月、スタディーツアーに参加する日本人学生一同はネパールの首都カトマンズに降り立った。高校時代の一年間をネパールで過ごした私は、大学入学後も度々ネパールを訪れていたが冬のネパールは久々だった。思っていたほど寒くなく、照りつける太陽の日差しが心地よかった。今回のスタディーツアーではどのようなドラマが生まれるのかと、ワクワクすると同時に少しばかり緊張していたことをよく覚えている。
私は今回のスタディーツアーが始まる前、これまでのスタディーツアーとは比べものにならない程不安を感じていた。これまでは、日本人とネパール人両国の学生合わせて20名程であった。大人数ゆえに毎日みんなでワイワイ楽しく過ごせていたし、その雰囲気こそ、学生交流を目的とする私たちのツアーにとって何より重要なことだと思っていた。それに対して今回は、日本人学生とネパール人学生がそれぞれ5名ずつ参加し、全員合わせて10人程である。私がこれまで経験してきたスタディーツアーのなかで最も少ない人数だったが、果たして両国の学生は上手く交流を深めることが出来るのだろうか。そのことを何より心配していた。しかし、その私の心配は良い意味で裏切られることとなった。むしろ、大成功であった。この報告書では、スタディーツアー中に起こった出来事から二国間の学生交流における課題とその成果を私なりに考察したいと思う。
今回のスタディーツアーの成功の要因は二つある。一つは、全ての参加者が高いレベルの語学能力を持ち、更に積極的にコミュニケーションを取ることを強く意識していたことである。言語の異なる二国間の学生が交流する際、最も大事なことは言語能力ではなく、コミュニケーションを取ろうとする姿勢であると私は考えている。その上で、ある程度の語学能力を兼ね備えていると、議論の際に内容をより正確に理解し、自分の伝えたいことをしっかり伝えることが出来るため、結果的により深い関係性を築くことが出来ることは容易に想像がつくだろう。今回に関して言えば、両国の学生全員が英語でのコミュニケーションを得意としていたため、何か議論が始まるとかなり深い内容まで掘り下げて話をすることが出来た。
二つ目の要因は、少人数でのスタディーツアーとなったため、必然的に両国のメンバーが共に過ごす時間が多くなったことである。上でも述べたが、今回は私のこれまでの経験上最も少ない参加者でのスタディーツアーだったのだが、結果的には少人数だからこそ一人一人との交流の時間が増え、ツアーが終わる頃にはそれぞれのメンバー同士が深い関係を築くことが出来た。これまで私は数多くのスタディーツアーに参加してきたが、ここまでネパールの学生たちと関係を深めることが出来たことは初めてだったかもしれない。これは、少人数という恵まれた環境があったからこそだと私は思っている。しかし、常に皆が仲良く過ごしていたわけではなかった。毎日深い議論をしているからこそ、互いの意見が衝突し、議論を通り越し言い合いになってしまったこともあった。その中でも、私にとって特に印象に残っている出来事を紹介したい。
それは、プログラムの醍醐味でもある農村地域(シックレス村)でのホームステイを行っている最中だった。シックレス村は、グルン族という民族が多く暮らしている村である。3日間の滞在期間中、私たちはネパールについての理解を深めることを目的に、村人へのインタビューを通じた調査活動を行っていた。インタビューに応じてくださった村人には、カーストが低いために職に就けず差別的な扱いを受けてきたという男性や、同じくカーストは低いが夫が国外へ出稼ぎに行っているため裕福な暮らしを送っている女性、先祖代々この村で暮らすグルン族のご家族など、様々な背景を持った村人のお話を伺うことが出来た。調査活動の最終日、村の学校の校長を20年以上勤められている男性を集会所にお招きして最後のインタビューを行った。
英語が堪能な校長先生に対して、私たちはこの数日間に渡るインタビューを通じて感じたことをお伝えさせていただいた。やはり私を含め、参加者の多くの印象に残っていたのはカースト制度についてであった。カーストの違いによって差別を受けたり、職が制限されるという私たちにとって不条理な現実に怒りを感じている者もいた。意外かもしれないが、カースト制度に最も敏感に反応するのは、いつもネパール側の参加者だった。このスタディーツアーに参加するネパール人学生は、ネパールのなかで相当優秀な大学生ばかりが集まっている。英語が堪能なだけではなく、高い学力と幅広い知識を兼ね備えていた。大学などでカースト制度について相当勉強している彼らは、ネパールにおけるカースト制度は様々な問題の根源的な要因であり、カーストそのものをなくすべきだと考えている人も多いようだ。そんな彼らネパール人学生は、シックレス村に暮らすカーストの低い人々の生活について、そして村人による差別がいかに人権を踏みにじった行動かを校長先生に訴えた。しかし、それを聞いていた校長先生はその意見を即座に否定。村には昔から根づいてきた文化があり、カースト制度は簡単に変えられる問題ではないと主張した。さらに本人はカースト制度に賛成で、カーストの低い村人に対する差別的な待遇もある程度容認する考えだとも言っていた。
私は校長先生の話を聞きながら、ネパールに遥か昔から根付いてきたカースト制度の根強さを感じるとともに、カースト制度の悪い面ばかり見るのではなく、現地の文化を今後も尊重しながらいかにカーストの低い人々の人権を守ることが出来るか考えていた。しかし、校長先生の考えに対して、カースト制度に反対するネパール人学生たちは激怒していた。その後、私と一部のネパール人学生との間で激しい議論が始まった。私は、ネパール人学生たちのカースト制度をなくすべきという極端な意見に対して、それがいかに難しいことかを農村地帯の現状を例に話をした。その私の意見に対して、「お前にネパールの何が分かるんだ」と言わんばかりに反論された。その後2時間に渡り、カースト制度について私たちは激しく議論し続けた。
結局この議論は終着点を失ったまま終わってしまった。今でも当時の光景を鮮明に覚えているが、あの熱く議論を交わした時間こそ、学生交流の目指すべきところだったのではないだろうかと今は思っている。学生交流を目的としたスタディーツアーの目的について聞かれたとき、私はいつもこのように答えている。「学生である私たちは、まだ出来ることは少ないかもしれない。それでも、このスタディーツアーを通じて出会った学生たちが20年後、30年後、それぞれの国を引っ張るリーダーになったときに一緒に世界の問題を解決するために再び手を取り合う。そんな未来を作りたい。」私はあの議論をしている時に、まさに将来私たちが社会を引っ張るリーダーになったときに、同じように議論をしている姿を想像していた。異なる文化を持った二つの国の人間が協力して何かを成し遂げるためには、表立った関係だけではなく、心の底から信頼しあえる関係を築き上げることが重要だ。今回私たちは様々な出来事と議論を通じて、お互いを理解するだけでなく、真の意味で友人になることが出来たと確信している。たった2週間弱のスタディーツアーだが、私が出会った仲間たちから学んだことは計り知れない。