2019年4月13日土曜日

ネパールMero Sathi Project 2019 2月プログラム 報告書(5)望月千里(筑波大学社会・国際学群国際総合学類3年)

「幸せの形」

筑波大学社会・国際学群国際総合学類3年次
望月千里

「あなたは今幸せですか?」
 唐突にこう聞かれたとき、何人の人が自信をもって「はい」と答えられるだろうか。少なくとも私はこの質問を投げかけられた時、黙り込んでしまった。おそらく、何をもって自分が幸せだと定義づけてよいのかわからなかったからであろう。実際、幸せの定義は人それぞれである。生きているだけで幸せだと感じられる人もいれば、お金があれば幸せな人、家族と過ごしている時間が幸せな人など様々だ。幸せは、目に見えない。でも感じること、言葉にすることはできる。ただし、幸せそのものの意味について考えてみるとそう簡単ではない、複雑な概念なのだ。

 ネパールに渡航する前の私は、幸せを「物理的幸福」と「精神的幸福」の2つに分けて考えていた。一般的に言われるように、日本はモノに溢れた豊かな生活を送りながらも自殺や過労死など精神面の課題に直面している。その現実をみると、国として発展し知識や情報を得やすい環境にいることが、幸せを感じにくい環境を作り出しているように感じ、何とも言えない気持ちになった。でも本当にそうなのだろうか。ネパール人が持つとされている精神的幸福を、我々日本人が感じるにはどうしたらいいのだろうか。渡航前の私は、この点に疑問を抱えながら悩み続けていた。

 2月某日、ついにプログラムがスタートした。まさか学生のうちに2回もネパールに来ることになるなんて思いもしなかった私は、リーダーというポジションでプログラムを遂行していくことに責任や不安を感じながらネパールの地に足を踏み入れた。私たちはプログラム中、首都のカトマンズをはじめ、そこから8時間ほど離れたGhaleguan村、第2の都市ポカラなど様々な土地を訪れた。プログラムでは多種多様な人と交流し、そこで得た経験を参加メンバー間で議論することで、ネパールのあらゆる地域に住む人々の幸せについて考え続けていた。

 様々なアクティビティを経ていく中で、現地で出会った人に共通している考え方を見つけた。それは、「現状満足」であった。村で4泊のホームステイをした際に、村の人々にインタビュー調査を行った。都市部で生活する子どもたちと離れて暮らす年配の女性、村のマネジメントを行っている男性、家族でホームステイを仕事にしている家庭など様々なバックグラウンドの人たちにお話を聞いた。その中で印象的だったのは、自分が生まれ育った地を離れたいという人が1人もいなかったことだ。中にはカトマンズや海外など、外の世界を知っている人もいたが、それでも皆自分の故郷をとてつもなく愛していたのである。
またある日は、ポカラで老人ホームに訪問する機会があった。そこで施設長の方が紹介してくれた女性は、自身をHappiest womenと名乗っていた。彼女は、そこでの生活をこう語った。「ボランティアの人たちが私たちのためにいい服や食事をくれるけど、私は今自分が持っているもので十分幸せなの。ここにあるもの、ここでみんなと住めることが私にとっての幸せ!」彼女の無垢な笑顔から、その言葉がいかにまっすぐなものかが心底感じられた。

 一方で、私たちはどのように生活を送っているであろうか。日本は事実、ネパールよりも自由度が高く、選択肢が多い。その中で私たちは、自分の立場に関わらず会いたい人に会うことができ、行きたいイベントがあれば参加し、そこから多くのことを得ることができる。つまり、自分の自由意志により貪欲に人生を選択していくことができるのだ。可能性が無限大にある分私たちは現状に満足しづらく、人と比較し自分に足りないところを見て、その穴埋めをしようと努力する傾向にある。考えてみれば、自分より経験や知識が豊富な人に会った時、自分がいかに能力不足か思い知るのは当たり前である。ただそんなときこそ、一度立ち止まって自身の置かれている現状を見直してみてほしい。刺激をもらえる人に会えたこと、やりたいことをしてそこから学べること、20歳そこらで海外への切符を手に入れることができたこと。それら1つ1つに与えられた機会は、自分だから得られた貴重で尊いものであることを実感し、その現状に満足することも時には必要であると感じる。

 渡航前、私が悩んでいた疑問についてもう一度考えてみる。知識や選択肢が溢れた日本社会で生きることで、私たちは幸せを感じにくくなっているのだろうか?いいえ、決してそんなことはない。形は違えど、私たちの周りには幸せが溢れている。ただ、「幸せ」かどうか決めることができるのは環境や周囲の人ではなくいつも「自分自身」であることをわかっておく必要がある。コップに入っている水を見て、「半分”も”入っている」と思うのか、「半分”しか”入ってない」と思うのかの違いだと思う。そこに優劣はないが、どちらの生き方が自分を豊かにし、HAPINESSにより近いか考えてみてほしい。
 
 結局、物理的幸福や精神的幸福と分けて考えられているけど、そんなもの実際どうでもいい。それよりも、可能性のありふれた社会で貪欲に生きながらも、自分が今置かれている現状にどれくらいありがたみを感じられるか。それが自身の幸せへの大きな一歩となるのだと私は自信をもって言える。

ネパールMero Sathi Project 2019 2月プログラム 報告書(4)大熊美結(筑波大学生命環境学群生物資源学類2年)

「十人十色 ~ネパールで考えた幸せについて~」

筑波大学生命環境学群生物資源学類2年
大熊美結

 ネパールに行く前、「なんでネパールに行くの?」と何人に聞かれたことか。その度に、「途上国に行ってみたかったから。」と返答していた。でも、途上国に行きたいのなら、ネパールである必要はない。ましてや、英語が苦手な私にとって、今回のような議論型のプログラムは学びが浅くなることが目に見えていた。それなのになぜ、ネパールという土地を選んだのか。帰ってきた今でも思うが、それに対しての明確な答えはない。ただ、そのプログラムと出会ったときに縁を感じたからというだけだ。若干20年も生きていると様々な出会いがある。一つ一つの縁を大事にするかどうか、つかみ取って離さないことがどんなに大切か。私は、このネパールでの経験を通じて、特に人と人とのつながりがいかに重要か、身をもって感じさせてもらった。この報告書では、彼らと幸せについて考え、交流し、特に大切だと感じたことをここに挙げようと思う。

~積極的な姿勢と好奇心を持つこと~
 積極的な姿勢を持ち、自ら行動を起こすことが他者との交流や深い学びに繋がっていく。英語力が足らないからと言って消極的にならずに、いかにコミュニケーションを図るか。ネパール人は言葉足らずな私にわかりやすく詳しく、色々教えてくれた。小さなことでもいいから、これは何?、なぜ?と疑問を持つこと、興味をもつこと、それがとても大切。EDU farm(上図)という農場ではネパールの農業の実情を知ることができた。事前準備の段階では、ネパールの食料自給率はほぼ100%であったが、現地のネパール人に聞けば半分にも満たないという。その理由は、雨季が2ヵ月しかないこと、そしてなにより山がちで機械も入りにくい段々畑と、この土地特有の土の乾燥状態が収穫率を下げているのだという。これは現地に行かなければ実際にわからなかったことであったし、聞かなければそこまで詳しく教えてもらえなかったであろうことの一例である。
 私は、ネパールに行くまでは、乾燥地域でなければ、どんな地域でも農業を推し進めることができるのではないか?と思っていた。けれど、効率の悪さがゆえに、みんな出稼ぎに行ってまで、農業をしない現実が目の前にあって、復興させるにはたくさんの難題があって、安易に考えていた自分が恥ずかしくなった。無知の恐ろしさに改めて気づかされた瞬間であったと同時に、自分はこの土地をどうしたいんだろう、と考えさせてもらえた時間でもあった。このように考えると、少しの疑問をネパール人に聞くことで、その背景や現状を知ることができるとわかった。だからこそ、ちょっとしたことでも頭に引っかかったことは解決すべきだし、何にも興味をもって接することはとても大切なのだと感じた。
 無知はこれから知っていけばいいが、無関心はすべてを閉鎖してしまう。そして、何よりこのことが幸せを考えるうえでとても重要だと感じた。現地の人の立場になって幸せを考える。そうすると、環境的に社会的には決して恵まれていない人たちでもそれが不幸であると決めつけてはいけないのだと強く感じることができた。ガルガンという山で暮らす人々は、その土地の文化と生活をとても楽しんでいて、好きだと言っていて、私たちが勝手にその暮らしが不便だから、大変だから幸せではないんじゃないかと決めつけてはいけないのだと知った。そう思う理由はいくつかあるだろうが、私たちの固定観念のようなものは取り払って、相手の話に興味をもって疑問をもって聞くことが、幸せとは何かを探す情報源になった。

~幸せとは何か~
 このプログラムを通して分かったことは、幸せは目の前にあるということ。もちろん一人ひとり置かれている立場や状況は違う。家族がいる、大切な友人がいる、自分のしたいことに取り組めている、毎日が平和に暮らせている、ご飯がたくさん食べられる、何でもいい、自分の身の回りをもう一度確かめること。そうすることで、自分の置かれている立場に少しでも感謝出来たら、その幸せを感じることができるのではないか。今、もし幸せを感じられないのだとしたら、自分が抱えているストレスや不安がとても大きいのだと思う。日本人がハードワーカーでストレスを感じやすいのは、幸せを感じる前に抱えていることが大きすぎること、そう捉えてしまっていることが考えられるのではないかと思った。ガルガン地域に暮らす人々の情報の少なさや利便性の低さは否めないが、それでも彼らは彼らの暮らしの中に幸せを見出している。
 また、訪れた3つの学校(上図はそのうちの一つ)での子供たちの笑顔を見ていると、それぞれの学校の存在する意味に違いはあるものの、幸せはその子たち自身が見出していて、その時を楽しんでいるように感じた。幸せは掴むものではない、いかに見出して感じられるか。そのために、まず自分自身を好きになること。そうすることで、自信を持ってあらゆることに取り組める積極性を持つことにもつながるし、物事をポジティブに捉えるようにもなれる。そういった意味で、幸せとは自分を肯定して、どんな小さなことにも感謝を忘れずに、一瞬一瞬を大切に生きていく中で感じられるもののように思う。

AAEEネパールMero Sathi Project 2019 2月プログラム 報告書(3)佐久間彩果(上智大学総合グローバル学部3年)

「心の感度を研ぎ澄ませ」

上智大学 総合グローバル学部
総合グローバル学科3年
佐久間彩果

 

 メロサティプロジェクトFeb 2019、このプログラムは私に強烈なエネルギーを与えてくれた。寂れきった自動車にやっとエンジンがかかり始めたような、そのガソリンが今回の経験である。はじめに参加前の私について説明したい。
 今回のプログラムに参加する前の私は、将来が不安だが一体今何を頑張るべきで自分は何をしたいのか分からず、結局何も行動を起こせないままでいる蹌踉めいた大学生だった。頻繁に自分と誰かを比べ、その度に襲われる劣等感と焦燥感に悩まされていた。(参加前の私は幸せではないだろう。)自分の足で立てていない自分を変えたくて、ずっと行ってみたかったネパールに行くことを決めた。ネパールに行ったら何か変わると信じていた。根拠は特にない。重たい腰を持ち上げ勇気を出して参加を決めたは良いものの、事前ミーティングを終え出発が近づいてくるにつれ内心どこか憂鬱な自分がいた。他の日本人メンバーと比べ私は圧倒的に力不足であると感じ不安が勝ってしまったからだ。そもそも大学生になってから私は心の開き方を忘れていた。その上語学力も十分でないのに、これから2週間寝食を共にする参加メンバーと果たして仲良くなれるのだろうか。尽きることのない不安をいっぱいに抱えた出発前の私は完全に「戦闘モード」で、友人から「ネパール楽しんでね」と言われるたびに違和感さえ覚えていた。
 そんな戦闘モードの状態でプログラムを迎えた私は、いよいよカトマンズの空港に降り立った。空港のこじんまりさに驚きつつ、出国手続きを終え外へ出るとネパール人メンバーが満面の笑顔で温かく出迎えてくれた。ホテルまでの道中では、目に飛び込んでくる景色、鳴り止むことのないクラクションの音、舗装されていない道を走っている感覚など、全てが新鮮で胸が高まった。このようにして、私にとって掛け替えのない愛おしい2週間の日々が始まったのであった。
 さて、今回のメロサティプロジェクトのテーマは「幸せ」であったが、漠然としたその言葉の意味について私はうまく消化できていないままこのプロブラムを迎えていた。プロブラムには学校や老人ホームへの訪問、村でのホームステイなど様々なアクティビティが組み込まれており、アクティビティを通して多様なコミュニティを対象に幸せに関するフィールドワークの実践が行われた。どのアクティビティからも幸せについて考えさせられた出来事に遭遇したが、ここではアクティビティの中で最も印象に残っている村でのホームステイとそこで実施した村人インタビューについて書こうと思う。
 ネパールの首都であるカトマンズから8時間ほど車を走らせた場所に、私たちが4日間滞在したガルガンという村がある。ヒマラヤ山脈の麓にあるガルガン村の標高は2070m、グルン族が多く居住する地で、ホームステイをビジネスとして行っている。カトマンズとは景色も気候も全く違っていた。村には動物があちこちで見られ、丘を少し登ればそこには美しいヒマラヤ山脈の大パノラマの絶景が広がっており、いつも見上げていた雲は見下ろせてしまう。ひんやりした綺麗な空気を肺いっぱいに溜め込むと体の中まで浄化されたような気分になってくる。そんな美しい景色の村で、私たちは2つの家庭に分かれてホームステイを体験した。村人は主にグルン語とネパール語を話すため、意思疎通を図るにはネパール人メンバーの通訳を必要としたが、ホームステイ先の方たちの人柄の良さやホスピタリティの心は言葉が通じなくても十分に感じられた。
 ガルガン村での滞在を振り返るとアクティビティの時間もアクティビティ以外の時間も、全ての時間が特別で貴重な瞬間であった。滞在した4日間のうち中3日はずっと悪天候で、雹が降ることも珍しく無く、部屋に籠って慣れない寒さをみんなで耐え凌いでいた。しかし、このついていないと思える状況は参加メンバーとゲームを楽しんだりダンスをして温まったり、他愛ない会話からアカデミックな話までじっくり話せる絶好の機会となった。ここで私は、間違いなくメンバー間の絆を深めた。それぞれの関心やこれからの進路、将来の夢、恋愛観など多くの話をネパール人学生と話せた時間はとても贅沢な時間であったと今振り返り強く思う。
 ホームステイ期間に実施した村人インタビューは3人ずつのグループに分かれて行われた。私のグループでは、主に職と食の観点に焦点を当て村人の幸せ観を探った。大雪の中朝から始めたインタビューで計6つの家庭に協力してもらうことができた。食の幅が狭く(ほぼ毎日ダルバート)、職がほぼ無い村に住む村人の方達に事前に作成していたいくつかの質問を投げかけた。驚くことにインタビューに答えてくれた全ての村人が村での生活に満足しており、幸せであると答えてくれた。そして回答の傾向をまとめている過程で村人は、自分たちの村での生活と他の環境を比べるということをしていないことに気づいた。彼らの物差しで彼らは幸せで、今に満足していた。幸せを感じるためには自分の中での満足度を高めることが必要であることをこの村人インタビューから学んだ。他人と比較して自分に落胆してばかりいる私に欠けていた村人のこの精神は、これからの私の状況や物事の捉え方に大きく影響を及ぼすだろう。
 幸せという広く深いテーマについて私たちは二週間という時間をかけてそれぞれ考えを巡らせてきた。幸せの形は人それぞれ違い、同じ経験をしていてもそれぞれ着眼点が異なるため、違った結論に辿りつくこともある。各々がそれぞれたどり着いた結論は全て素晴らしく価値があり、私は幸せを感じるためのメソッドをたくさん知れた。
参加メンバーと2週間という時間をみっちり共にし、支えられ、引っ張られ、いつのまにか私の心はすっかり開いていた。多くの刺激を与えてくれた参加メンバーには感謝しても仕切れない。振り返るとプログラム期間中の私はここ数年で最も心の感度を研ぎ澄ませて過ごしていたように思う。だからこそ恥ずかしくなるほど多くの刺激を受け、それをエネルギーに変えることができた。プログラム中に参加メンバーや様々な経験から得た刺激の数々は確実に、私の残された学生生活、そしてこれからの人生をも彩らせる材料となるだろう。最後にこのプログラムに関わる全ての人に感謝の意を込めて、報告書を終えたい。ありがとうございました。

2019年4月12日金曜日

AAEEネパールMero Sathi Project 2019 2月プログラム 報告書(2)旗手有菜(筑波大学社会・国際学群国際総合学類1年)

幸せとは―最も身近にあるのに最も遠く感じるものー」

筑波大学
社会・国際学群国際総合学類1年
旗手有菜
 
 「幸せについて考える」- 今回のネパールでのMero Sathiプロジェクトのテーマだ。私はこのプロジェクトのテーマの「幸せ」について、当初ぼんやりとしか考えていなかった。それは、幸せの定義付けが難しく、何を幸せと呼んでいいのかがあまり分かっていなかったからだ。そのため、このプロジェクトの中で「幸せ」について考えていくことができるか不安だった。
 私は今までの生活で、「幸せ」とは何か、どこに「幸せ」があるのかということを、あまり考えてこなかった気がする。このプロジェクトに参加する前「幸せ」とは、大好きなアーティストのコンサートに行ったときや、美味しい食べ物を食べたとき、好きな人に久しぶりに会えた時、旅行に行った時など、非日常的な一瞬に触れたときに訪れるものだと思っていた。
  

  ネパールに着いて現地人メンバーに初めて会った時、とてもフレンドリーで明るく、話しやすい人達だと思った。彼らは私たちに気さくに話しかけてくれた。それゆえ、私たちは一瞬の間に仲良くなり、それからも常に一緒にいて、話すようになった。
私がこのプロジェクトで最も印象に残っている瞬間がある。それは、皆でバスに乗って別の地域に長距離移動しているときだった。私たちは長距離の移動を全てバスで行い、長いときで1日がかりで移動した。一般的に、日本人が長距離バスに乗るとき、寝たり静かにしていることが多い。しかし、ネパール人メンバーは常に「みんなで歌おう!」と言って皆で一人一人歌を披露しあったり、「言葉遊びをしよう!」と言って皆でゲームをしたり、質問をしあったり、話し合ったりしていた。つまり、常に喋っていた。もちろんこれはネパール人全員がそうだというわけではないが、比較的よく喋る人が多い。とても陽気な人達だった。
 
 私がこのプロジェクトで最も感動したことがある。それは、ネパール人は家族をとても大切にするということだ。事前アンケートでも、村でのインタビューでも、人々は家族といるときに最も幸せを感じる、最も大切にしたい人は家族であると述べていた。ネパールの主要産業は農業で、家族で農家を営むため3世代が共に暮らす家庭が多い。また、日本でいう親戚もネパールでは家族として扱っている。そのような点から、ネパール人は多くの時間を家族と過ごしている。反対に、現在の日本では核家族化が進み、家族と過ごす時間が減っていることが問題視されている。自分を振り返ってみると、今私は一人暮らしをしている。私は今まで、家族を大切にしてきただろうか。最も大切にしたい人は誰かと聞かれたときに、真っ先に家族だと言えるだろうか。確かに家族は大切だが、一緒に暮らしていたときは家族がいる日常にあまり幸せを感じてこなかった気がする。いつも当たり前のように感じていた気がする。


 そういった意味で、ネパール人は日常の日々を大切にしていた。それゆえ、日常の出来事や周りの人々を大切にし、そこに幸せを見出していた。私が今回のプロジェクトで気付いたことは、日常の日々、そして周りの人々に感謝すべきだということだ。特に、最も身近な存在である家族は大切にしなければならない。家族がいなければ私は存在しない。家族がいるからこそ私は生きられる。私の背後には常に家族の存在がある。日々それを感じていたはずなのに、家族を大切にし、感謝することを忘れていたような気がする。なぜ非日常にしか幸せを感じなかったのか。なぜ日常を大切にしなかったのか。今ではそれが不思議でたまらない。もっと家族と共に過ごしたい。もっと家族を大切にしたい。そんなことを、このプロジェクトは教えてくれた。そして、私はこれからの日々をもっと大切にしたいと思った。日々の一瞬一瞬をもっと大切にしていれば、周りの人々に優しくなれる。勉強ももっと頑張れる。今日1日が楽しかったと思えるようになる。そんな素敵な日々を、私は送っていきたいと思った。

 最後に、あるネパール人メンバーが最終プレゼンで述べていた言葉を紹介して終わりたいと思う。「LOVE YOURSELF」自分自身を愛しなさい。自分を大切にし、相手も大切にする。そんな愛すべき日常を、私は送っていきたい。


AAEEネパールMero Sathi Project 2019 2月プログラム 報告書(1)永島郁哉(早稲田大学文学部文学科1年)

「しあわせってなあに?」

早稲田大学文学部文学科1
永島郁哉

 
 読者諸君は幸せの価値観が捻じ曲げられた経験はあるだろうか。否、その様な人はほぼいないであろう。さて、今報告書は私の「幸福論の崩壊と再構築について」である。簡単に言えば「しあわせってなあに?」だ。少々馬鹿っぽくし過ぎた感は拭えないが、幸せとは何か考えたことも無かったそこの君には是非に、この報告書を読み通して貰いたい。ちなみに、今回ネパールの国内事情について話すことはしない。過去の参加者の報告書に詳細で秀逸な著述があるので、興味のある方はそちらを参照して頂きたい。
 そのテーマの特性上、本著は比較論の形式を取る。渡航前の幸せの価値観と帰国後のそれである。変化をもたらした経緯や具体例も述べていくので、退屈なレポートでは無く、体験記のように読み進められるだろう。
 私は自由を愛する。束縛、制約、拘束、抑留、制限、収容、抑圧。そんなものは糞食らえだ。元来、自由の利かない環境に耐えられない性格の私は、それを幸福論にも当てはめた。次が1か月前の私の幸福論である。「幸福とは、何にも縛られていない心理状態であり、それは社会(会社・学校・コミュニティ)、人間関係(家族・友人・恋人)、自己(過去・現在・未来)の観点で語られるべきものである。」要するに、会社で上司にプレッシャーを懸けられたり、友人関係で思い悩んだり、将来に対して不安を募らせたりしていない心理状態である。以上、私の旧幸福論を、「消極的幸せ」と呼ぶことにする。即ち、自らを拘束し得る物を避けることで獲得できる、ネガティブな幸せのことだ。
 ネパールでは、ネパール人学生との寝食を共にした交流、農場での滞在、Ghalegaun村でのホームステイ等を行った。ネパール人学生はお喋りが大好きであった。プログラム中には寝る間も惜しんで、我々と会話を楽しみ、家族や友人と頻繁に電話していたことが至極印象的である。ある日、私は学生の一人に質問してみた。「なぜそんなに話すことが好きなの?」彼女はこう答えた。「何言ってるの。私達はそう簡単に会えないのだから、今話さないでどうするの。」私は疑問であった。帰国後だってメールで会話出来るじゃないか。しかし、彼女はこう続けるのである。「私達が友人や家族とメールでは無くて、電話をする理由がわかる?それはオーラルコミュニケーションこそが大事だから。」この瞬間、私はテクノロジー社会でのうのうと生きる自分を猛省した。文学部だからこそ、文字というツールで如何に読者の情緒に訴えるかを常に考えてきた。しかし考えてみれば、そう、文字は実に味気ないツールなのである。(実際、対面や電話で話している時の方が、笑顔が多いことは言うまでもないだろう。)そして、コミュニケーションをSNSに依存していた自己が崩壊し、オーラル(口頭)に価値を認める自己に気づいた。
一方で農場やGhalegaun村では自然が私の対話相手であった。私が、広大な畑や、連なる山脈、早暁の鳥のさえずりと対面した時、私の脳は確かにそこに「対話」を見出した。それは抽象的で一般的な例えとしての概念では無く、事実として、自然と人間の間で情報やアイデアの交換が行われる。これはネパールでの強力な体験に裏打ちされているということを言わなければならない。LalitpurEdu farmで迎えた二日目の朝、鶏の声に起こされた私は棚田が一望出来る小さな丘に登った。私は口をあんぐり開けたまま動けなくなった。天晴、見事な朝焼けであった。自然は私に、太陽と緑の無作為な美々しさを教え、私は自然に、信仰心(あれは自然神に触れた瞬間かもしれない)と感謝を伝えた。また、Ghalegaun村でヒマラヤ山脈を望んだ時も同様の対話をした。ヒマラヤは私に大地の強大さと唯一無二のパワーを示し、私はヒマラヤに、白旗を掲げた。(私はその対象に諦めや恐怖ではなく、親近感や安心感を抱いた。それは一般に言えば奇妙なことだが、対象が自然の場合は当たり前のことかもしれない。)要するに、自然は対話を通して、私に、私がこれほど自然を愛し、信仰し、感謝していることを気づかせた。
以上、私が繰り返し「話」という言葉を使ったのは、そう、正にそれこそが現在の幸福論を形成しているからである。そして、誰かと「話」をする時、私はいつも知らない自分を知れる。諸君は「ジョハリの窓」をご存じだろうか?それは、「自分が知っている自己」「自分が知らない自己」「他人が知っている自己」「他人が知らない自己」の関係から作られる4つの自己領域である。(表を参照)
自己
自分が知っている
自分が知らない
他人が知っている
開放
盲点
他人が知らない
秘密
未知
「盲点」や「未知」を知ることは、新しいことにチャレンジする動機となる。新しいことにチャレンジすれば、そこには新しい出会いがあるだろう。新しい出会いがあれば、そこには自ずと「会話」が生まれる。そして私は気づいた。この連鎖は、間違いなく私を「正の向き」に連れていく。ここに新幸福論「積極的幸せ」が構築された。
 思い返せば、消極的幸せを完全体として達成することは至難の業であった。如何にして、先輩に指図されず、好きな人に振られず、将来に楽観的になる、なんてことを同時に出来るだろうか。外的要因が絡む以上、幾ら自分だけが完璧人間を目指しても、消極的幸せを掴むことは不可能だ。では、積極的幸せはどうだろうか。「話す→幸せ」以上。「え?」と思ったであろう。(私も思った。)しかし、簡潔に言えばそういうことだ。私は物事を難しく考えすぎていたのかもしれない。家族と話す。友人と話す。ご近所さんと話す。店員さんと話す。街行く人と話す。自然と話す。実に単純明快である。話すことで幸せは感じられたのだ。学生との会話、自然との対話。気づくと、私の気持ちは前向きになっていた。

 もちろん、私の幸福論が万人に当てはまるわけではないし、読者の価値観を大転換したいわけでもない。しかし、今プログラムが一人間の人生観までもを変えてみせた、その事実は揺るがない。読者も幸せとは何か、自身に一度問うてみては如何か。

2018年10月10日水曜日

ベトナムVJEP2018 報告書(10)松本遥陽(上智大学 総合グローバル学部1年)

松 本 遥 陽 (VJEP2018 日本学生リーダー)
(上智大学総合グローバル学部1年)

 

 私は海外に行くことが基本的に好きである。というのも、新しい国についた時の衝撃や興奮、発見や交流、それと異国でしか味わうことができないスリルがたまらなく好きだからである。高校生の間、様々な休みを見つけては奨学金やお年玉を使ったり、企業のイベントなどに応募して無料で行ったり、あの手この手を使って7カ国ほど旅をした。高校三年生の夏、受験生、誰もが塾に行ってる間、8月の1ヶ月間、私は台湾に滞在していた。誰もが私の浪人を覚悟していたが、根拠のない自信に満ち溢れていた私は第一希望に合格した。いわゆる奇跡である。とにかく、異国に行くことを何よりも優先してしまうほど、私は異文化体験が大好きなのだ。時には、ボラレた嫌な思い出だったり、受け入れられないようなマナーに悩まされたり、ましてや銃口を向けられスラム街に置き去りにされたこともあったが、それでも好きなものは好きなのである。

 今回このプログラムに参加したのは、同じ参加者である友人からの勧めだった。国はベトナム、テーマは教育と貧困、ちょうど一人定員が余っている。これはもう、私を待っているのだ、と確信し、親に確認を取る前に応募フォームを書き始めた。「ベトナム行ってくる」と母親に言うと、「気をつけてね」との返事が来た。今回の国はベトナム。この国にはどんな衝撃が待ち構えているのだろうか、と胸が高鳴った。

 まず、一番最初に私に衝撃を与えたのは、バイクの交通量である。東南アジアは基本的にバイク社会であることは、他のアジア諸国に行った経験からなんとなく想像はできたが、ベトナムは桁違いであった。空から降り掛かる矢のごときバイクの数。道を渡るのは命がけだった。横断歩道を渡るだけで命がけというのもなんだか面白いが、 横断歩道の途中で躊躇しようもんなら、轢き殺されてしまいそうだった。私が一つ言えることは、ベトナムの横断歩道で大切なことは、1手をあげること、2左右確認、3タイミング、4度胸、である。下手に歩みを止めてはいけないのだ、下手な迷いは禁物、人生と同じである。現地の人は「ホーチミンは事故が多いけど、スピードを出さないから死亡事故は少ない」と言ってた。そういう問題ではない気がするが。実際に車とバイクの衝突事故を目の前で見てしまったことはトラウマであるが、何事もなかったかのようにバイクの運転手も車の運転手も会釈して走り去って行ったこともまたトラウマである。ベトナムでの都市鉄道の実現化が先遅れになっていることもベトナムに実際に来てみてよくわかった気がする。鉄道普及による渋滞の緩和、二酸化炭素排出などの環境問題へのアプローチがあるが、それだけでなく、バイクよりも鉄道が圧倒的に人々の暮らしを豊かにできる確信を具体的に国民に表示しなければ、これほどまでのバイク文化が浸透しているベトナムで、鉄道の革命がこの国にもたらせるメリットは少ないような気もした。

  次に、私が一番忘れられない体験となった、戦争証跡博物館について話す。
この博物館は、ベトナム戦争で実際に使用された戦車や大砲、爆弾などの戦争遺物、写真などを展示している。目を覆いたくなるような凄惨なパネルや、枯葉剤による被害状況の記録、ホルマリン漬けの奇形胎児などの展示は、戦争の傷跡を生々しく証明していた。私はこういった負の歴史を残した場所が、とても苦手である。その理由は、負の事実を目の当たりにして、心が重くなるからではない。正直に言うと、その逆で、負の歴史を目の当たりにした時に、もしも自分が何も感じなかったらどうしようと考えると怖いからである。 誰もが何かを感じ取れる場所で、私ひとりだけ変に冷めてしまったらどうしようと怖いのだ。しかし、私は逃げ出したくなるくらいの衝撃をこの博物館で受けた。惨すぎて目が離せられないような写真がたくさん展示されていた。ベトナム戦争の現実を受け止めるのには時間がかかった。学校の歴史の授業で見たことのある写真も展示されていた。学校の授業の時は何も感じなかった一枚だったが、ベトナムという地を知り、ベトナム人の優しさを知ってしまった後にその写真をみるとでは、こみ上げてくる思いが違う。私は記録として何枚か写真を撮りたかったが、写真を見つめることしかできなかった。記録には残せなかったが、記憶には生々しく残っている。これらの写真は信じたくない現実であるとともに、これが現実だと受け止めるにはあまりにも人間が怖すぎると感じた。プログラム中には孤児院にも行く機会があったのだが、そこにいる奇形児や障害を持った人々をみて、博物館での写真を思い返してしまい、心が締め付けられる思いになった。戦争の残した爪痕をリアルに感じた。このような場所に行くことは、向かうまでは憂うつだし、決して面白いことではないし、帰りもずっしり心が重くなる。それでも、知ることに意味があるんじゃないかと思う。知ることは大切、忘れないことは大切、語り継ぎ繰り返さないことが大切、未来に・子どもたちにつなげることが大切だと感じる。

 最後に、私はこのベトナムでのプログラムのリーダーだった。私は本当に何にもしないリーダーだったと思う。自分のできることは全てやったつもりだが、特に何もしてなかった。周りの参加者に度肝を抜かれ、ずっと見つめていたような気もする。自分が最年少だったこともあって、なめられないようにそれっぽく振舞ってみたが、終始周りの参加者に圧倒されていた。私は根っからの負けず嫌いなため、この二週間ずっと悔しい思いをしていた。みんなに刺激をもらっては、自分もそれに食いつこうと必死だった。私はずっとみなさんに引っ張っていってもらったように感じる。引っ張られるリーダー。リーダーとしては何もしていないのに、周りから数え切れないほどの刺激をもらった。本当に素晴らしいチームだったなあ、と感謝の気持ちで一杯である。ありがとうございました。

 私にとってこの2週間のベトナムでの異文化交流は、楽しいことだけではなく、様々なことに気づかせてくれた最高の機会だった。ベトナムという国を知れば知るほど学ぶことは多く、知れば知るほど国が抱える深刻な問題を肌で感じることもあった。
 また、人と人とのつながりを広げる上で、自分の意見をどのように主張すればいいのか、また、思わぬところで偏見や差別をしてしまわないように的確な知識を持つことがどれだけ大切なのかということを改めて学ぶことができた。
 そして、日本を恵まれた国だという指標を自分の中でつくってはいけないと感じた。幸せの指標は人によって異なるのだし、幸せだと感じる大きさも人それぞれであると私は思う。置かれた場所で咲くことのできている人間こそ豊かなのだと、今は亡き私の高校の時の校長先生が言っていた。今はよくこの言葉を理解することができる。こころの豊かさは、決して物の豊かさとは比例しない。これは私が確信を持って言えることである。最後に、人種、言語、宗教、価値観などの壁から一歩を踏み出すことによって得られるものは多い。ここでの出会いや学びを次に生かさないと勿体無い。これからも私らしくいろんなことへの興味や探究心を忘れないでいたい。

2018年10月7日日曜日

ベトナム VJEP 2018 報告書 (9)木間香苗 (筑波大学 社会・国際学群 国際総合学類3年)

「VJEP2018を振り返って 学んだこと」

筑波大学 社会・国際学群 国際総合学類3年
木間香苗

 
ホストマザーと彼女の英語教室に通う子どもたちと
   私にとって2週間海外に滞在することは初めての経験でした。また英語でのコミュニケーションに自信がない私にとって英語でベトナム人学生と寝食を共にし、“Poverty and Education”という特定課題に向き合うという2週間はまさにチャレンジでありました。私がこのプログラムへの参加を決めた理由はこのチャレンジを自分に課したかったためです。VJEP2018が学生交流のみを目標としたプログラムであったり、1日のうち限られた時間のみしか現地の学生と交流できないプログラムであったりしたら私は参加しなかったでしょう。プログラムは大成功に終わり、私自身も自分に課したチャレンジに精一杯取り組めたと感じており、夏期休暇をVJEPに捧げることができてよかったと思っています。

 振り返るとハードかつ充実した毎日でした。毎朝6時台に起き、身支度をし、午前中のプログラム会場に行きました。2週間のうち始めと終わりの5日間はホーチミンに、中盤の5日間はホーチミンからバスで3時間ほどのところに位置するビンフック省に滞在しました。ホーチミンでの移動にはほとんど「Grab」という配車サービスアプリで手配したタクシーを使いました。通常のタクシーより割安なのだとベトナム人学生に教えてもらいました。6人ほどで乗る車の中では車窓から見える観光スポットを教えてもらったり、ラジオから流れる日本の歌について話したり、自撮りアプリで遊んだり、ベトナム語や日本語を教え合ったりとさまざまなことをして過ごしました。プログラムが進むにつれ“Poverty and Education”についての調査やプレゼンの話をしつつも、仮眠をとることが増えてきました。私はこのホーチミン最初の疲労ピークを迎えていて、体調も気分も優れませんでした。そのためいつものように明るく振る舞えない場面があり、他の参加者に心配をかけて申し訳ないと感じると共に皆の優しさに感謝しました。
 5日間ホーチミンに滞在した後はビンフック省に移動しました。たくさんの大きなキャリーバッグと共に人数の割に小さすぎるバスに詰め込まれて数時間揺られたことは忘れられません。
 ビンフックで滞在した5日間はかけがえのない時間だったと感じています。人との出会いを楽しみ、貴重な経験をたくさんしました。今回のプログラムのコア部分でもある少数民族が暮らす集落でのインタビュー調査や、小学校でのオリジナル授業を行いました。 
   現地家庭にベトナム人学生とペアでホームステイすることは私が最も楽しみにしていて、一方で不安にも思っていたことのひとつでした。しかし、私の不安はすぐにどこかに吹き飛んでしまいました。ホストマザーは覚えたてのベトナム語でたどたどしく挨拶した私を笑顔で出迎えてくれました。彼女は学校と自宅で英語教師をしているため、幸いにも英語でコミュニケーションを取ることができました。彼女は私たちと会うことをとても楽しみにしていてくれたようです。クローゼットから次々とアオザイを出しては私に着せ、写真を撮ってくれました。アオザイを着ることに憧れていた私にとって幸せな時間でした。ホストマザーに家の奥にある部屋に行くよう言われて行ってみると、教室になっていました。彼女の英語教室に通う子どもたちが、日本人が来るということで集まってくれたようです。子どもたちに質問攻めにされながら、日本の文化やベトナムについて、それから好きな韓国人アイドルの話で盛り上がりました。
 しかし後悔したことがあります。子どもたちは日本についてたくさんのことを知っていて、私は驚きましたし嬉しく思いました。それなのに私はベトナムの言葉や文化などについて知っているか聞かれてもあまり答えられませんでした。そのことで「あなたの国に興味を持っていない」というメッセージとして子どもたちに伝わってしまったような気がしました。自分で決めてベトナムを訪れたのに、この国を理解しようとする気持ちが欠けていたことに気づかされ、子どもたちに対して申し訳ない気持ちになりました。
 その日はその後、リクエストに応えて浴衣に着替え、写真を撮るなどして楽しい時間を過ごしました。次の日も小学校での活動を終え家に帰ると子どもたちが待っていてくれ、中にはプレゼントを持ってきてくれた子どもたちもいて感激しました。日本の文化をさらに詳しく教える授業をしてほしいというリクエストにより意気込んで話したのですが、後になって少し後悔しました。ただ日本の話をするよりベトナムとの違いを踏まえた上で説明した方が、子どもたちもより心を開いて安心して聞いてくれるしわかりやすかったのではないかと。ホームステイ先での子どもたちとの出会いは、私が日本人であることに誇りを持たせてくれましたし、あたかも芸能人のように人気者気分にさせてくれました。同時に、英語でコミュニケーションは取れても、相手の国についての興味を示すことを欠かすと深い交流に辿り着くのが難しくなることを学ばせてくれました。

   ビンフック省のゲストハウスやホテルに滞在した数日間で、ベトナム人学生との心理的距離が一気に縮まりました。眠くなるまでゲームをしてそれぞれの秘密を暴露したり、表面上の付き合いだけでは知り得ないような本音の部分も打ち明けてくれたりしました。さらに日中の活動についての裏事情を教えてくれたりと話題に事欠かず非常に充実していました。彼らから見ると私たち日本人学生は恥ずかしがり屋に見えたそうで、もっと仲良くなりたいのに思うように話せないと悩んでいるベトナム人学生もいたようでした。それに比べるとベトナム人学生は非常にフレンドリーで自信に満ちていました。そしてプログラム期間中何度も驚かされたのが彼らはエネルギッシュでタフであるということです。とてもかっこよかったです。私たち日本メンバーとの温度差を感じることもありましたが、彼らからたくさんの愛を受け取りましたしたくさんの刺激をもらいました。私がプログラムをここまで楽しむことができたのは彼らがいてこそだと思っています。
 私は英語に自信がなく、日本語でコミュニケーションを取っている普段に比べると口数が少なかったし、“Poverty and Education”について議論している時も自分の考えをうまく伝えられず悔しい思いをしました。だからといって「改めて英語をもっと頑張らないといけないと思いました」という感想で終わりたくありません。このような感想を持つことは行く前からわかっていたからです。それよりも、プログラムで出会ったベトナム人学生やビンフック省の子どもたちや政府の関係者との交流を通じ、相手の国の言葉や文化に興味を持つこと、それを示すことで心を開いてくれるのだということを、身をもって学ぶことができました。これは私にとって大きな収穫だと思います。

 これらの学びは慣れない環境でたくさんの新しいことに一生懸命取り組んだからこそ得られたと思いますし、もがいたからこそ自分の成長を感じることができたのだと思います。多くの期間と労力を費やし、愛と熱意を持ってVJEP2018という学びと成長のフィールドを作ってくださったAAEE代表理事の関昭典先生をはじめ、日本・ベトナム両国の学生オーガナイザーに心から感謝しています。そして多くの時間を共有した両国の学生参加者のみんな、大好きです。このようなすばらしい人たちとVJEP2018の大成功に貢献できたことを誇りに思います。ありがとうございました。
ビンフック省のホテルで夜更けまで語った時