2020年10月30日金曜日

バングラデシュ BJEP 2020 & ベトナム CVJ 2020 参加報告書 野澤葉奈(慶應義塾大学法学部2年)オンライン国際交流から考える「個人と共有」

   コロナ禍で迎えた夏休み、私はAAEE初のバングラデシュとの国際交流プログラム、BJEPに参加した。AAEEが主催するプログラムに参加するのは二度目であったが、今回は前回と大きく違う点が三つあった。一つは、プログラムがオンラインで開催されたこと。「二週間の間ほぼすべての時間を共に過ごす」という従来のAAEEプログラムとは打って変わり、初めて知り合う人々に囲まれて、直接会わないまま一週間のプログラム期間が過ぎ去った。一日に五時間ほどのセッションを終えたら、それぞれ自分の日常に戻っていく。現地開催のプログラムと比較すると、「共有」が実に少ない。また、オンライン化に伴い、プログラムのコンテンツも全く新しいものだった。現地に行ったプログラムでは友情の構築や文化交流がメインであったが、今回のBJEPはディスカッションやリサーチ詰めのアカデミックな内容になっていたのだ。二つ目に、私自身がAAEEの学生アシスタントに加わったことも大きな変化であった。今年の二月にネパールプログラムに参加したことをきっかけに、学生アシスタントメンバーとしてこの七ヶ月間AAEEの活動に多くの時間を費やしたことで、プログラムの目的、内状、背景などをある程度理解した上で参加した。「学生主体」で作られるが故に、初めて参加する際は自分がしていることやするべきことが掴みにくいが、今回は冷静にその判断ができたようにも感じられる。最後に、相手国が変わったことも当然重要な要素である。イスラーム教が生活に強く根付いていたり、絶対的貧困に悩まされていたり、日本とは相違点も多いバングラデシュの人々とは、初めての交流であった。

 

オンラインでの開催、AAEE学生アシスタントとしての参加、バングラデシュの人々との初めての交流、このような違いがあるなかで、本報告書においては、自分の経験についてと言うよりオンラインプログラムについて自分なりに分析して考えたことについて書いていきたいと思う。

キーワードは、「個人と共有」である。先に述べたように、一つのチームとして共有する雰囲気や時間が少ないオンライン上の学生交流においては、同じプログラムに参加したはずの学生たちが全く異なる期待やモチベーションを持っていて、その違いが互いに伝わらないままプログラム中も潜在し続け、結果、本音の感想は参加者の間で全く異なるものになる。このことは、八月に開催した日越オンラインプログラム、CVJのオーガナイザーをしたことからも感じ取っていた。影での相当な紆余曲折を経て五ヶ月がかりのプログラムを終えた自分と、多忙ななか生活の一部としてプログラム期間である一週間を過ごした参加者とでは、全く異なるストーリーを持っていたのだ。学生アシスタントとして参加した二回目のプログラムということで、私には今回その個人間の違いや全体の中の個々の立ち位置などを少し観察してみようという気持ちがあった。しかし、結局自信のない予想しかできなかった。たった一週間、一日五時間だけ画面越しに会っても、人の本音など到底分からないし、プログラムの時間中にそこまで踏み込んだ話をする機会もない。

しかし、プログラムの時間外に皆で親睦を深めるために通話をした時間では、少しだけでもその人を知れたかな、と思う瞬間があった。例えば、プログラムが始まる前々日、私はバングラデシュのメンバーの一人と宗教について数時間話した。彼女は慣習的にイスラーム教の儀式に参加していたが、数年前まで信仰はしていなかったという。彼女はある時から「公平とは何か」という事について考え悩んだ末、現世では真の公平は存在しないから、イスラーム教が説く通り終末期や審判があるはず、いやなければいけない、と「真のムスリム」になったという。彼女が言うことには、いくらムスリムのような格好をしても、いくらイスラームの教えを守っていても、心からそれを信じていなければ信仰しているとは言えないということだった。これはあくまで彼女の見方であるのだが、それこそが重要で、彼女と話したことで日本人には掴みづらい信仰のあり方、それぞれの過程というものがどれだけ個人によって異なるのか、彼女の信仰はどんな形か、ということを直接的に学ぶことができたのだった。

 

このように、互いの本当の気持ちや雰囲気が分かりにくいオンライン上の交流でも、一対一など少人数で、軽い話から重い話まで語り合えば、現地開催のプログラムのように人間関係・信頼関係を築くことは不可能ではないと考える。そしてこれが全体の雰囲気の共有、つまり団結力にも繋がりうる。なぜこれが重要なのか、完全にアカデミックな内容で知識を深めることに集中しても良いのではないか、という意見もあるだろう。勿論そのような考え方に沿ったプログラムも大切だろうが、現地開催のプログラムとオンラインのプログラム両者に参加した者として、やはり「一人一人を知ること」の影響力を忘れてはいけないと思った。文献やインターネットからあらゆる情報が得られる今、社会人でも子供でもない大学生が大学外・国外から集まって、事実に触れて終わりで良いのだろうか。意見交換をするにしても、その人がどうしてそんな価値観を持つのか、その人がどうしてこんな言い回しをするのかといったことも理解すれば、より広い知識も得られるのではないか。また学生国際交流では、仕事仲間でもクラスメイトでもない、プロフェッショナルと友情のバランスが絶妙に保たれるのも貴重で、将来まで続く関係を築くことで社会貢献や国際協力も実現しうるのである。

私はやはり、まさに社会に出ようとしている大学生が、その構成員である各個人と対話し、理解した上で課題に取り組む大切さを学べるようなプログラムを重視する。今後しばらくオンライン開催が続くようであれば、人との関わり方が激変した世界でも各国の学生たちが深い信頼関係を築けるようなプログラムの新しいあり方を考えていきたい。

 

最後に、夏休みをかけてこのプログラムを企画・運営してくださった関先生とオーガナイザーの皆さん、その他関係者の方に感謝の意を表します。ありがとうございました。

バングラデシュ BJEP 2020 & ベトナム CVJ 2020 参加報告書 中臣亜美(国際基督教大学1年)

 東京五輪延期、入学式中止・オンライン授業完全移行、全面的な海外渡航の禁止。

  突然訪れた未曾有のコロナ禍と共存する道を必死に探す、2020年夏。国際交流に対し諦めの空 気が蔓延する中、握手もハグもできない私たちの最終手段はオンラインでの対話なのではない か、そう気づいたConnect! Vietnam-Japan (CVJ)とBangladesh Japan Exchange Program (BJEP)の体験について記す。 

 例年通りのプログラムであれば、自分の足でベトナム・バングラデシュへ赴き、様々な都市を 回り、異文化に触れることでそこに住む人の暮らしを感じることができた。また、両国の参加 者と長期にわたり交流活動に専念しながら、共同生活・濃密な交流ができる空間に身を置くこ とができた。しかし、オンライン上で自を魅せ、異を知る方法はあるのだろうか。両プログラ ムに参加するにあたって、いかにオンラインの壁を乗り越えて自分とは異なったものや違いを 受け入れ、いかに自分や自文化を相手に魅せるかを考える必要があった。 

 私は対面での交流からオンラインでの交流に変わって、交流の場がより業務的になったことを 感じた。例年通りであれば、プログラムの合間に参加者同士で気軽に会話をすることができた が、オンラインとなると時間通りに全員がZoomに集まり、オンラインならではのコミュニケー ションの違和感と不自由さを感じながら淡々と業務的にプログラムが進め、時間が来れば皆が Zoomから離れる。効果的な対面での異文化理解や異文化コミュニケーションを図るために自己 開示が大きな要素になるのだが、オンラインでの対話を活性化するにおいても自己開示を促す 工夫が必要不可欠だ。自己開示をすることによって、少しでも先入観から生じる誤解や差別、 そして偏見をなくし、お互いが対等な関係を築くことに繋げることができる。オンラインでお 互いの文化や価値観に触れる機会を作り出し自己開示を促すことで、日本とベトナム・バング ラデシュの参加者双方の視野を広げ、対等な関係を築くことが欠かせなかった。 

 両プログラムで、人と人が実際に交流し、文化の一側面だけでなく、多様な側面について伝 え、受け入れることができたと思う。私は、イスラム教と聞いて真っ先に連想するのがヒジャ ブだった。そして、私の中でのヒジャブのイメージは女性の抑圧の象徴であった。 

「ヒジャブは女性抑圧の象徴なのか」私は一歩踏み込んだ質問をぶつけてみた。 

 「自分はヒジャブの着用を自ら選択し、ヒジャブを通してムスリムとしてのアイデンティティ を示している」と返答したダッカ大学に通う女子学生が印象的だった。宗教的・文化的価値観 や家族の影響を多少は受けながらも、ヒジャブは女性自身で選択をすることができるのであっ て、強制されている訳ではないのだ。当然、バングラデシュでは様々なジェンダーの問題が存 在し男女平等が完璧に成立している社会ではないが、ヒジャブが女性を抑圧しているというイ メージとは全く違う現状があった。実際にバングラデシュでムスリムとして生きる女性との対 話を通して、私は自分の持っていた固定観念がメディアのイスラムに関する一般化によって形 成されたものだと認識をした。よって、「抑圧されている可哀想な女性たちに私たちの進んだ 文化を伝えることで助けなきゃ!」というような論理は自分の価値観の押し付けに過ぎず、相 互理解を深めるためには人同士の直接的な価値観の共有こそが重要だとひしひしと痛感した。 事前準備と1週間に渡るプログラムを通じ、私をはじめとする参加者は日本中、ベトナム・バン グラデッシュ中の想像を超えた多様性を持つ者と対話し、自分の内にあった「当たり前」を壊 す時間を過ごすことができた。両プログラムは、「人」に近く関わることができ、かつ文化芸 術交流・知的交流といった多様なフィールドからアプローチをすることができる点で、真の相 互理解を達成できると実感した。プログラムの時間外も深夜まで人生について、学校につい て、社会について、恋愛について、好きな本について真剣に語りあって、よく笑った。両プロ グラムには、たとえオンラインであっても自分の全てをさらけ出し、それを受け容れてくれる 環境があった。オンラインであっても、最終日に皆で名残惜しみ、「人生に一度の経験」とし て参加間に国や距離を越えて生涯の絆を形成することができたのだ。 

 CVJとBJEPでの経験から、オンライン国際交流はこれまで行われてきた形式の国際交流が困難 な状況下で新しい価値を生み出していると確信する。コロナ禍により「オンライン」という手 段が私たちにとってより一層身近なものになった今、この手段を活用すれば気軽に国内外の 人々の世界観や視野を広げ、相互理解を促進することができるという気づきを得られたこと は、私にとって大きな糧になった。

バングラデシュ BJEP 2020 (Bangladesh-Japan Exchange Project 2020) 報告書(6) 山中麻衣(立命館大学国際関係学部4回生)「 BJEP2020を振り返って」

 目次

1. 参加したきっかけと理由

2. 総括

3. 国際交流における『サードプレイス』としてのオンラインの可能性

4. オンラインでの国際交流から得た学び

5. 終わりに

 

参加したきっかけと理由

実は私はこのプログラムとAAEEの存在を、プログラム応募締め切りの前日に知った。きっかけは、参加予定であった留学プログラムのLINEグループで、同じプログラムに参加する予定であったAAEEのメンバーが、知らせてくださったことだった。偶然が重なり、このようなひょんなことから、しかも応募締め切り前日に知ったプログラムであったが、私はLINEで告知を見た瞬間に参加を決めていた。理由としては、『本プログラムのテーマが、「教育と格差」という大学生活で興味を持ってきたこと内容であったこと』、『高校時代陸上一筋だった私が、大学では国際関係を学びたいと志すきっかけとなったバングラデシュとのプログラムであったこと』が挙げられる。しかし何よりも、3回生の夏に交換留学から帰国してからこの1年間、社会との接点から自分自身の生き方や価値観と向き合い、自分の将来を考える過程で、これまでの人生で最も悩み、苦しくも感じるうちに、出口の見えない暗いトンネルの中でどこか悲観的で閉鎖的になってしまっていた状態から、「未来志向で自分の意志を持って可能性を見出していく突破口としたい」という想いと期待からだったように思う。

 

総括

 上記のような経緯で参加したプログラムであったが、プログラム終了から1ヶ月近く経過した今振り返って、結論としては、BJEP2020は私が立ち止まっていた暗闇の中に光を差し込み、私を前に向かせてくれたと思う。

 プログラム中に感じたこと、学んだことは数多くあるが、ここでは主に昨今のパンデミックの状況を学部生として経験しているからこそ巡り合えたであろう「オンラインでの国際交流プログラム」に焦点を当て、振り返りたい。

 

国際交流における『サードプレイス』としてのオンラインの可能性

 『実際に現地に行くこと』。

これは国際交流において醍醐味の1つであると思う。このように感じるのは、これまでの経験で実際に現地にいったからこそ得られたであろう学び、発見、感情があることを実感し、そのことに国際交流の意義を見出していたからであると思う。振り返っての答え合わせのような形にはなるが、実際に現地に行くことに国際交流の意義を見出していたのはなぜなのかと考えると、それは、その土地に入ることで初めて自分事として考えられるからだと思う。その土地で、環境や制度などのシステム、その元でそこにいる人達が織りなしている価値観、正義、生活様式などを、自分自身もその空間に身を置くことで当事者として捉えることができるということだ。新しいものを自分なりに捉える過程で共感したり、違和感を認識したりする壁打ちを、その空間の中でそこにいる人としているうちに、自分の考えを認識し、アップデートすることに成長を感じていたのだと思う。特に「心から理解したいと努めているのにもかかわらず全く共感できないと感じた時に、自分の現在スタンスとしては異なる感情や意見を持つけれども、相手のこととして理解はできる」と自分なりにどこにいけばいいのかわからない感情を処理した瞬間が強烈に心に残っている。これこそが私が国際交流に関心を持っている理由でもあるように感じる。

前置きが長くなってしまったが、上記のように実際に現地に行くことに国際交流の意義を感じていた私が、世界中が主にそしてコントロールできない外部環境によって移動すること自体困難な状況下で初めてオンラインでの国際交流プログラムに参加して、もちろん難しく感じた点もあった一方で、完全に予想外だったのは、対面とは異なる評価軸での可能性を感じたことだ。それは『サードプレイス』としてのオンラインの可能性である。非日常的な空間に入り、そこにいる人々と対話し、作りだされ、共有されているものに触れることで違いを認識し、「外部者」としての自分を意識している状態で、無意識のうちに自分が想像するその空間、人々にとっての「ふつう」を想定し、もっと言えば相手とそこでの文化を尊重したいと思うばかりに、目の前にいる相手のみならず、その場所とその人を通して想像した「ふつう」に寄せにいっていたことに気づいた。だが実際には私にとっての日常空間と同様に、その空間・そこでの人々の中にも「ふつう」というものは実在せず、むしろ想定した「ふつう」が現実から飛躍したものである場合さえ少なからずあると思う。これは国際交流でなくとも、地方から東京への上京、高齢者と若者など異なる世代間でのコミュニケーション、異なる学校・大学からの学生間でのなどのある意味での「異文化交流」においても起こり得ることで、言い換えればその空間に入ることで初めて自分事として考えられることのもう一つの側面であるともいえると思う。自分事として考えて、意見をもっていたと思っていた自分は、想像する「ふつう」という虚像に引っ張られていた自分と、そこから出てくる考えや意見であったり、または相手を知ろうとする過程で、傷つけてしまうことを恐れて慎重になり、相手を尊重することを強く意識することで「ふつう」を通して人や景色をみていたことで、みれなかったこともあったと思う。このことに気づいたと同時に、やはりその空間に入るからこそわかることも多くあると強く感じた。本プログラムの充実感の裏でカルチャ―ショックを感じなかった自分にすら気づかなかったことも、空間に入らないとわからないことがあると考えれば納得がいく。それでも私は、フラットな空間で、虚像としての「ふつう」に頼らない尊重をベースとした人と人の間の対話を、場所や費用、個人が抱える事情などの前提条件を取っ払った状態で可能にしてくれるという点で、ホームでも、アウェイでも、はたまた双方にとっての第三国、いわゆる外国でもない、「サードプレイス」としてのオンラインでの国際交流に大きな可能性を感じると同時に、ここに交際交流の本当の意味での意義が詰まっているように感じた。

 

オンラインでの国際交流から得た学び

 ここでは、少しスキル的な話になってしまうが、国際交流をオンラインでやってみて、オンラインであるからこそ重要度が増すと感じたことについて記述したい。

     チャットがきちんと機能するか

 話している内容を明確化するだけでなく、コミュニケーションを生み出す共通基盤を持つ。言語情報とコンテンツ以外共有しているものがないため、共通認識を持ち、そこから議論を展開していくために、対面で行う場合よりも重要度がますと感じた。

     「話す力」、「聴く力」以上に「問う力」

 会話では、基本的に話す・聞く(聴く)ことがメインになるが、オンラインでの会話で難しいのは基本的に1つの空間で同時に話すことができるのは1人で、さらには余白がないため、雑談も生まれないということだ。その結果、対面での会話以上に極端に特定の人が一方的に話す一方で、特定の人一方的に聞いているという状況が生まれやすいと思う。壁打ちをする中で議論を深めいくことなく、時間が過ぎてしまうこともプログラム中に経験した。その時に重要であると感じたのは話す力・聞く力以上に、議論の趣旨は何なのか、相手が意味していることは何なのか、その上で発散も収束もしながら趣旨から浮いた空中戦になることなく、議論を深めるためには何を知りたいのかを考えて「問う」力だった。

 

終わりに

ふと立ち止まった時に今まで自然にできていたことができていなかったことに気づいた時、自分の不甲斐なさに落ち込んだとしても、そのことに気づくことができたこと自体が自分自身をまた次の世界に向かわせてくれること、人に対しても物事に対しても、同じものに触れたときに長所に目がいくか、短所ばかりにとらわれるかで見出せる可能性やそこから描けるものが変わってくることなど、ここには書ききれないほど多くのことを本プログラムを通して学んだ。

最後になってしましましたが、このような機会をくださった関先生、オーガナイザーの方々、参加者の皆さん、協力してくださった全ての方にこの場をお借りして、心から感謝申し上げます。皆さんとこのプログラムに出会えて本当に光栄です。ありがとうございます。



 

 

2020年10月24日土曜日

バングラデシュ BJEP 2020 (Bangladesh-Japan Exchange Project 2020) 報告書(5) 田中朝(立命館アジア太平洋大学アジア太平洋各部1年)「 苦しかった8日間」

 今回のBJEPでは、日本からの参加者、バングラデッシュからの参加者どうしで決まったテーマについて熱く語り合った。毎日5時間、合計40時間以上それもオンラインで時を共にした。振り返ると、こんな貴重な経験は誰もができることではないと感じた。と同時にこの8日間は自分にとって苦しい8日間であったのは、確かである。その理由は後に話そうと思う。まず、自分がこのプロジェクトに参加するのを決めた理由を話したい。実を言うとBJEPに参加した理由は、自分はただ単に他大学と学生と交流したかったのと要項を読んでバングラデッシュという国に少し興味を持ったからだ。言わなくてもよかったけれど、せっかく書く報告書、全部自分の全てを書きたいと思う。参加動機が薄っぺらだったこともあり、貧困と教育について真剣に話し合った8日間は、少し苦しかった。


 とは言ったものの、自分は貧困と教育にまったく興味がないと言うわけでもない。今いる大学に入る時は、面接で「一人でも多くの、子供を幸せにしたい」と言ったし、真剣に幸せになって欲しいと思っていた。でも、なぜかその思いは時間が経つに連れて薄れていった。こんな心情の変化が起り、大学で授業を受けつつ、遊びつつの生活をしている時にBJEPに出会った。最初に要項を見た時は、参加するつもりはなかった。でも、「貧困」「教育」と言うテーマにひかれた。前に興味があった分野でもあったため、軽い気持ちで参加した。最初は順調だった、日本の相対的貧困やバングラデッシュの絶対的貧困について、リサーチをし、バングラデッシュの参加者と議論を交わした。でも、最終プレゼンテーションが近づくに連れ、自分は自分とかけ離れた問題に何を「善い人」のふりをして話しているのだろうと思うようになった。それどころか、バングラデッシュや日本の問題について議論している時にふと「実際、どうでもいいんじゃないか」「自分がよければそれでいいじゃないか」とさえ思ってしまった。

 私は、この報告書を読んでいる方に質問したい。この様なプロジェクトに本気で世界で起こっている問題を変えたいと思っている人はどれほどいるのか?自分の様な人間は、参加するべきではなかったのか?世界中で起こっている問題について我が身になって、真剣に考えるにはどうしたら良いのか?


バングラデシュ BJEP 2020 (Bangladesh-Japan Exchange Project 2020) 報告書(4) 匿名(上智大学外国語学部英語学科3年)「BJEPを振り返って」

オンラインプログラムに参加する価値はあるのか?言語が完璧に伝わらない外国人と一週間関わり、そこから学ぶことはあるのか?BJEPのような新しいプロジェクトについて疑問を持つ人は多いと思う。正直、私自身、あまり期待を感じていたわけではなかった。オーガナイザーのインスタグラムのストーリーでプロジェクトを見たこと、コロナで海外に行けないことがきっかけでプログラムに参加することを決めた。しかし、BJEPは想像を超える体験となった。私の経験をベースに、オンライン上のAAEEのプログラムに参加するメリットとデメリットについてシェアをしたい。

 

メリットとしては、

1.繋がりができること

 BJEPはわずか一週間のプロジェクトである。参加者とは一日数時間しか関わることができない。しかし、短期集中型プロジェクト、参加者がプレッシャーと戦いながら同じ目標を持って進んでいくからこそ、仲は深まる。オンラインであったにも関わらず、友達やたくさんの思い出が出来た。様々なバックグラウンドをもった学生からインスピレーションも得られる。海外の参加者はもちろん、国内で他の大学に通っている学生とも知り合える。感動的な一週間だった。

 

2.短期間で協力する力が伸びること

時間が限られていて、多国籍なチームで活動するからこそチームワークは不可欠である。例えば、自分が前向きな姿勢を見せれば、グループの応答もよい。言語の壁があって当然だが、協力してみんなで乗り越えるしかない。プレッシャーに負けず、自分の役割はもちろん、チームメートをサポートしなければいけない状況があるのである。私のチームメートはもうタスクを終えたか、何が難しいと感じているか、と常に考えながら進んでいくようになった。

 

3.リーダーシップを発揮できること

 インターナショナルだからこそ言語の壁がある。異なった考え方も、異なったペースもある。そして、たくさんの予想もつかない問題が起こる。その場合、リーダーが不可欠である。グループの人数も限られてるので、まずは自分がなってみるしか選択肢がない。そうすると、活動もスムーズになり、無駄なく目標に至る。私が属していたチームでは役割がはっきりしており、みんなの意見をできるだけ参考にしながら、プレゼンテーションを予定通りに行うことができた。

デメリット

1.時差やインターネットでの問題があること

 東南アジアの国を主なターゲットにしているAAEEのプロジェクトでは時差もインターネットの問題もある。特に、プロジェクトの最中にバングラデシュ側に何度も停電があり、参加者と連絡が取れなくなったり、プレゼンテーションの準備が進まなかった。しかし、流れが思い通りに進まないからこそ成長できたのかもしれない。今まで向き合ったことのないような問題の解決策を探したり、目標を達成するためにみんなが納得できるプランを考えたりする必要があった。バングラデシュとオンラインのこの状況だったからこその問題の数々だった。しかし、適用性があれば人生での可能性も広がるということを学ぶきっかけとなった。

 

2.時間が短く、具体的な知識を得ることは難しい事

 BJEPでは学生同士が貧困と教育について事前リサーチとディスカッションを通し知識を増やし、一週間でその成果を発表する。貧困と教育と言う大きな分野の中に細かいトピックが8個あり、それぞれ担当の学生に振り分けられ、担当がシェアした情報をベースにディスカッションのベースを作り上げていく。時間が限られているなかのにも関わらず、事前のリサーチでは代替な情報、話し合いでは個人の感想や体験と言ったアカデミックから離れた知識が主となってしまったことも多々あった。このプラグラムは、貧困と教育について知りたい人ではなく、他の学生の意見、もしくは自分の意見をシェアしたい人にお勧めだと考える。浅い知識しか持っていなかった私にとって、BJEPで得た情報が多すぎたこともあり、整理が追い付かなかったときがあった。もったいないと思う一方、短期集中型だからこそ限りがあって当然だとも思う。事前知識で入るのが前提で、プログラム中は主に力を合わせてプランを考えて、それぞれのアプローチを理解すると言った自分一人でできないような活動に価値があると考える。

 

総合的な感想

 一言でいうと、忘れられない1週間になった。大学生になって初めての国際プログラム、人生で初めての東南アジアとの体験だった。大変なことはたくさんあったが、学びが多くあった。それはセッションのテーマ、教育と貧困とは全く異なったところである。例えば、違う環境で育った人の考え方、発展途上国と先進国の関係性、環境が人の性格に与える影響などだ。これらの学びは私がこのプログラムに参加する前に抱いていた期待をはるかに上回るものとなった。また、これからのBJEPの発展が楽しみだ。学生が主体で自由にプログラムの流れや雰囲気を変えれるような場なので、一回一回の参加者、それぞれのやる気、興味、バックグラウンドによって手ごたえが変化していくところが興味深い。BJEP2020は初めてだったにもかかわらず、参加者が全員プレゼンテーションまで進み、いいプログラムとなった。学び、繋がりや思い出の面では特に充実している一週間なので大学生活で参加してみると後悔はないだろう。


バングラデシュ BJEP 2020 (Bangladesh-Japan Exchange Project 2020) 報告書(3) 鈴木ありさ(上智大学総合グローバル学部総合グローバル学科2年)「 BJEP 報告書」

“もどかしい”

 この感情のむず痒さが伝わるだろうか。BJEPが終了した時、私の中にはこの感情が残された。



 BJEPはオンラインを介してバングラデシュの大学生と日本の学生を繋ぎ、「貧困と教育」について議論を交わす8日間の革新的なプログラムだ。私は、新型コロナウイルスによって夏休みの予定がなくなりこのままだと何もせずに大学2年の夏休みを終えることになる、と言った焦燥感に駆られていたところ、BJEPの話を聞き、興味を持ち参加を決めた。オンラインでのイベントというコミットの難しさ、周囲の学生のレベルの高さ、などを感じながら始まったプログラムではあったが、楽観的な性格からこの状況を楽しむことができた。他の優秀なメンバーのおかげでグループワークに苦戦することもなく、大きなトラブルも起きることなく、非常に楽しく有意義な時間を過ごすことができた。プログラムを通して知識を得られただけでなく、バングラデシュの学生との仲を深めることもできた。


 ここまでを見ると、いい思い出として終わっているように思えるが、一度冒頭に戻りたいと思う。


 私はこのプログラムを終えて、率直に“もどかしさ”を覚えた。確かに8日間のアカデミックなプログラムを終えた達成感があった一方で、どこかやりきれなかったような思いを感じざるを得なかった。このもどかしさはどこから来ているのだろう。どうすればもっと達成感やコミット感を感じることができたのだろう。

 それは、自分の伝えたいことを伝えることができなかったが故のもどかしさだった。

ディスカッションは元々嫌いな方ではなかった。授業でのディスカッションにもどちらかと言うと積極的に発言をするタイプであったため、自分の意見を言うことに躊躇いはなかった。しかし、自分の使い慣れない英語でのディスカッションを通して自分の弱みが見えてきた。英語でディスカッションをするのは今回が初めてだった。また、予備知識がほとんどないバングラデシュの話題となると困難を極めた。自分の言いたいことを予め台本のように用意して議論に臨んだ。しかし、ディスカッションと言うのは自分の意見を言うだけでは意味をなさない。相手の意見を聞いてさらに考えたことや疑問を投げかける。この言葉のやりとり、感情のキャッチボールを通して新しい気づきを得る。これは今の私には難易度が高かった。バングラデシュの学生は非常にディスカッションに積極的だった。相手が話したことに対してすぐに自分の意見を返す。活発な議論を交わしたことがあまりなかったために毎日圧倒された。自分も言いたいことが内にはたくさんある。ただそれらをまとめて英語に訳し簡潔に相手に伝えるにはもっと時間が必要だった。言いたいことがあるのにも関わらず伝えられない、この歯痒さを痛感する時間だった。自分がみんなのキャッチボールから取り残されたかのような悔しい、やるせない、そのような思いでいっぱいだった。これは何も英語だったからではないように感じる。もちろん日本語だったらある程度は伝えることができただろう。しかし、思ったことを簡潔にすぐにまとめて話すことは日本語でも難しいことだと初めて思った。

 当たり前のことだが、どれだけ立派な意見を持っていても伝えなくては存在しないのと同じである。日本では自分の意見を持っているだけで評価されることがあり、議論をする機会はほとんどない。これまで気がつかなかったが、他国の学生に比べて伝える力が圧倒的に足りていないのではないか。私も自分の意見を言うだけで満足して他人の意見に耳を傾けられていなかったことに気づいた。あまりに当たり前でたいしたことではないかもしれないが、私にとっては非常にショッキングで自分の成長につながる大きな気づきであった。


 この時まさに国際交流の意義を感じた。他国の人と関わることでこれまで気づかなかった自分や世界と出会い、当たり前の価値観に疑問が湧いてくる。

湧いてくる感情1つ1つに敏感になって自分を見つめ直す。BJEPはそのような機会を私に与えてくれた。この貴重な機会を作ってくれたBJEPに関わった全ての人にこの場を借りて感謝の気持ちを伝えたい。


そして、

これからも私は

“もどかしさ“を感じながら、同時にそれがなくなる日を目指して国際交流を続けていこうと思う。


2020年10月18日日曜日

バングラデシュ BJEP 2020 (Bangladesh-Japan Exchange Project 2020) 報告書(2) 高橋雨川(上智大学外国語学部英語学科3年)「バングラデシュ、日本、自身について学びを深めた2週間」

 

はじめに

 
最初にこのプログラムを知ったきっかけは、大学で私が所属するゼミのメンバーの宣伝だった。正直なところを言うと、直感で、ほとんど反射的に応募した。バングラデシュの繊維業界、そして貧富の格差や労働条件の問題点についてはドキュメンタリー”The True Cost”を視聴して少しだけ知識があったこと、そして春学期の大学の講義でバングラデシュにおける女の子の家事労働者について調べたことも関係していたのかもしれない。が、とにかく「面白そう!」と言う好奇心だけで応募フォームを埋めた。今振り返って考えてみれば、そんな自らの心の声に純粋に従ったことが、大きな学びを得るきっかけになったのではないだろうか。このプログラムの実りは計り知れないものがあった。貧困、教育問題がテーマとして挙げられていたが、実際に話し合われたことは、その2つのメインテーマをはるかに超えるものだった。ジェンダー、格差、価値観、社会情勢、国際政治。改めて、社会問題はそれ単体で存在しているものではなく、他の要素や事象と複雑に絡み合っているものだということがわかった。またディスカッションを通じて学べたと同時に、遠く離れたバングラデシュにたくさんの友人を作ることができたのも大きな収穫だ。改めて、このプログラムの主催者である関先生、オーガナイザーの皆様、そしてすべての参加者に感謝したい。

 

日本とバングラデシュにおけるジェンダー問題について

 私が最も印象に残っているディスカッションは、2日目のジェンダーに関するトピックを取り扱った回だ。知識として、私は南アジア諸国における世界ジェンダー指数が年を追うごとに小さくなっている(つまりジェンダー平等達成に近づいている)こと、そして日本よりもずっと高い順位についている国が多いことを知っていた。しかし、世界経済フォーラムが行っている男女格差指数2018年において、日本の男女平等達成度が149カ国中110位なのに対し、バングラデシュが48位と、日本と比較してかなりのジェンダー先進国であることに驚いた。実際にバングラデシュのランキングはアジア諸国の中でも上位にあり、ジェンダーや性差別に対して人々の関心がかなり高いことがうかがえる。その証拠にディスカッションの中でも彼ら、彼女らはとても積極的に発言した。例えば、バングラデシュの政治界において女性の活躍はかなり保証されてきているという。現に2009年から首相を務めるシェイク・ハシナ氏は女性だ。しかし、日常生活レベルにおいては未だに女性が被害となる犯罪は絶えない。レイプ、ストーカーなどの性犯罪だけではなく、女性を狙って硫酸をかける(acid attack)といった残忍な事件もニュースで耳にすることがあるという。特に感銘を受けたのは、バングラデシュの学生たちが自国の問題を明確に理解し、その課題についてどのように取り組んでいこうか真剣に考えている様子だったことだ。私は現状について危機感を抱いてはいるものの、彼らのように当事者意識を持ち、主体的に問題を解決していこうという意欲に欠けていた。しかし、様々なディスカッションを重ねる事で、自分自身も行動を起こせる一人の「市民」として行動していく必要があると感じた。


自分の「特権」について考え直したきっかけ

 私は最終日のイベントの際、参加者の一人であるRajuさんのスピーチを聞いた上で発言をする、ディスカションチームに選ばれていた。そのため彼のスピーチを特に注意深く、丹念に聞いた。そして改めて、自分がいかに恵まれた立場にいるかという事が身に沁みた。今振り返れば恥ずかしい話なのだが、今まで私は、自分は周りの上智大生と比較し、不利な環境の中から受験を勝ち抜いてきたと思っていた。私の故郷である淡路島には塾や予備校といった勉強を支援する環境が薄く、通っていた公立高校の周りの生徒の勉強に対する態度はお世辞にも良いとは言えなかった。そんな中でもほぼ独学で上智に合格し、上京できたことは自分の中で一種の誇りだったのだ。しかし、Rajuさんの話を聞いてみると、彼の半生は私のそれよりも数倍壮絶だった。私も決して豊かな家庭に育ったわけではない。しかし、彼のように進学のために必要な試験の受験料がないということはなかったし、経済的理由で進路を変更しなければならないということも経験しなかった。つまり私は、自分自身が思っていた以上に恵まれた環境と家庭環境を持ち、周りからの応援や支援を受けて進学したのだ。ある種の「特権」を持っていたのである。この大きな気づきは、自分を見つめ直すきっかけとなった。自分が持っている特権を認識することで初めて、それを持っていない人に対して思いを馳せられる。他者のことを考えられるようになるということは、自分の世界が広がるのと同じことだ。このプログラムに参加して、私の世界はまた、一段と大きくなった。

 

[参考資料]

MEMORAVA 世界経済フォーラム 男女格差指数2018年度版

https://memorva.jp/ranking/world/wef_global_gender_gap_report.php