2017年4月11日火曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 報告書 (3)  北野 宏晃(東京経済大学3年)「ネパール研修を通じて学んだこと」

「ネパール研修を通じて学んだこと」
東京経済大学3年
北野 宏晃

 20172月下旬~3月上旬までの2週間ネパール研修に参加した。私はこの研修多くの経験をし、たくさんのことを感じた。その中でも私は「現場の大切さ」と「異文化受容の大切さ」に焦点を当てて報告書をまとめた。
日本人メンバーとネパール人メンバーでパートナーシップの輪を築けた瞬間

1.現場の大切さ
私は先入観に囚われやすい人間である。だから、私はどこか訪れる前には必ず本を読んだり、インターネットで調べたりして最低限の知識や常識を頭に叩き込む。それでも、毎回現場へ赴くと、私の知識とのギャップに驚かされる。例えば、去年ミャンマーへ訪れた際、本では①宗教は日本と同じ仏教②ミャンマー急成長中といった事が書かれていた。しかし、実際に現場へ訪れると①については、現地の方はほぼ毎日寺院に行き、小学生の頃から仏教経典を唱えたりなどと、同じ仏教でも明らかに日本と異なるほど信仰心が熱かった。②については急成長中と書かれていながら、都市部でさえも建設中の建物などなく、明らかに発展途上国を彷彿とさせる外観であった。現場に訪れて本物を見ることで、1冊の本では収まりきらないたくさんの事実や発見を目の当たりにした。
今回のネパールも同じである。
そもそも私は、ネパールについて(1)とにかく貧しくてかわいそうな国。(2)後発発展途上国だから、教育のレベルも非常に低い。といったマイナスのイメージしか持っていなかった。また、本やインターネットで調べてもあまりプラスの情報を得られなかった。
しかし実際に現場へ訪れてみた結果、やはり私の常識を覆された。例えば、(1)はシックレス村という貧しい村へ行ったときだ。お世話になった現地の小学生やホストファミリーは、貧困で困っているとは思えなかった。むしろ、みんな温暖な性格で笑顔に溢れており、平和な日常に感謝していた。言葉で表現するのは難しいが、私は、ネパールに赴いて貧困を目の当たりにした。しかし、それと同時に「目に見えない心の豊かさ」を教えてもらった。(2)についても同様のことが言える。関わった現地の学生は全員流暢な英語を話す。それだけではない、自国の文化や習慣、さらには国際情勢などの時事ネタもしっかりと理解しており、それに対する自分の考えも持っている(英語で)。私は研修中、一緒の部屋になったネパール人学生に、ネパールの国歌について質問したら、私が理解するまでわかりやすく(もちろん英語で)説明してくれた。逆に、相手から日本の文化について質問されても、私は答えられないことが多く、ひたすら「Sorry」と言い続けていた。私は非常に惨めな気持ちになった。
実際に現場へ訪れることで、はじめに持っていた「貧しい」「かわいそう」などの固定観念が壊されていった。それどころか、「贅沢を求めすぎず日常に感謝すべき」「もっと勉強しないと取り残されてしまう」という考えに変わった。
先入観や固定観念に囚われてはいけない。しかし、本やインターネットで読んで調べて、原理原則を暗記するだけでは理解できたとは言えない。現場へ赴いて現実を目で見て肌で感じることが大切であると改めて考えさせられた。
交流した小学生に合気道を教えている風景

2.異文化受容の大切さ
現在、日本のみならず世界規模で多くの問題が起こっている。SDGsはこれらの諸問題を17個に分けたものである。もちろん、これらの問題は自分一人では解決できない。また、日本人だけで協力して解決することも不可能である。これら「世の中の課題」を解決するために、我々は国境・言葉・文化・宗教・価値観の壁を越えて全世界の人達と協力しなくてはならない。私は、SDGsの17項目の中で「パートナーシップの輪を築こう」は最も重要な課題だと思う。しかし、同時にこれは最も達成するのが困難な問題かもしれない。なぜなら、パートナーシップを形成する人は自分とバックグラウンドが異なる人である。だから、自分と異なる価値観、種族の人達とパートナーシップを結ばなくてはならない。
今回の研修でも、現地でカルチャーショックを受けた。それは時間の使い方であったり、食文化であったり、議論の仕方であったり、人との接し方であったりと多々ある。つまり、2カ国間でもこれだけの違いがある。しかし、こういった違い(カルチャーショック)を受けたとき拒絶をしたり、批判をしたり、自分の文化を押し付けていると、パートナーシップの輪を築けないだろう。大切なのは、相手の文化や習慣を差別せず、しっかりと尊重することである。そのうえで、礼儀をわきまえて相手のことを理解しようとすることが重要だと思う。
この研修中、私はネパール人メンバーに自分の行動や価値観、嗜好を一度もバカにされたことがない。それどころか、皆私に興味を持ってくれて、尊重してくれたのだ。また、私もネパール人メンバーの行動や価値観を批判することはなかった。むしろ、自分の意見を持っているところや、相手のことを家族のように接するなど、とても尊敬できる部分が多かった。
私は決して英語が堪能なわけではない。また、日本文化について聞かれてもうまく答えられないことが多々あった。それでも別れ際、私は涙を流しそうになった。そして、帰国後も彼らと連絡のやり取りが続いているパートナーシップを築くことに成功した。これはやはり「互いに相手の違いを尊重し合う」ことが起因していると思う。この研修を通じて改めて学べた。

私は今後もネパール人のみならず様々な国籍の人と交流していきたい。もちろん、その時は日本の常識では考えられない多くの異文化に衝突すると思われる。それでも、拒絶せずにしっかりと尊重して向き合いたい。そして、その人たちとパートナーシップの輪を築いて「世の中の困った」を解決できるように日々勉強しようと思う。
お世話になったホストファミリーへ日本からのプレゼント

2017年4月4日火曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 報告書 (2)  望月千里 (筑波大学1年・参加当時)  「考え、学ぶことの重要性」

「考え、学ぶことの重要性」

望月千里(筑波大学1年)

 きっかけは偶然だった。大学入学当初の私は、まさか自分が発展途上国と呼ばれる国、「ネパール」の地に足を踏み入れる日が来るとは思いもしなかっただろう。今、2週間のMero Sathi Projectを無事終了し、日本に帰国した私の心の中には様々な想いが立ち込めている。この報告書では私がネパールでの2週間を通して学んだことや心境の変化について述べていく。
 準備段階での一番の懸念材料は、日本人メンバーで女子が私ひとりであったということだ。出発前までは昨年ネパールに渡航された先輩や、大学内にいるネパール人留学生からアドバイスや注意すべき点を聞くことができたものの、日本を出発してからは自分1人で様々な壁を乗り越えなければならない、というプレッシャーと不安を感じていた。しかし、それらの感情は現地に着いてからさっぱりと私の心から消え去っていた。確実に言えることは、私を周りから支えてくれた日本人メンバー、そしてネパール到着後から帰国するまで暖かく私を迎え入れてくれたネパール人メンバーに助けられたからである。私は、今回のプロジェクトはこの人々の暖かさに助けられたおかげで成功したと言えるくらい、言語の壁を乗り越えた人との心のつながりが重要なものであったと感じる。
 この2週間の経験を経て、私は大きく2つのことを学んだ。
 まず、国際協力という言葉の重みについてだ。私は今まで日本で何不自由なく平和な生活を送ってきた。その一方で世界では貧困や紛争、人権搾取などで日々の生活を苦しめられている人がいる。いつからか私はこの現状にもどかしさを感じていた。今回、シクレス村に数日間滞在し、村の人たちへのインタビューを行うことで、「国際協力」という言葉自体に疑問を感じるようになった。村の人々に話を聞くことで村の実情を理解することは簡単だが、果たして自分たちに何ができるのかを考えたときに、私の頭には何も浮かばなかった。ネパールに色濃く根付いているカースト制度。それを根本から変えることは私たちのような外部から来た人間には不可能に近い。また、シクレスのような都市から離れている場所で、村の住人たち何かを始めることも簡単ではない。そう考えたときに、先進国である日本から来た私が、直接この国に何らかの形で支援をしようなどと考えること自体、あまりに安易な考え方であると気が付いた。
また、政府からの支援が本当に生活に困窮している人の手に届かないという実態を知ったときに、支援とは何なのか、誰のために行っているのか、果たしてそれが本当に必要なことなのか、様々な想いが頭をよぎった。このインタビューを通して、現地の人々の声に耳を傾けることは必ずしも解決策を導くものではなく、私にとってそれは現地に介入することをより慎重にさせるものとなったのだ。しかし、そういった答えの見えない問題について現地の学生と頭を悩ませ、議論する機会が与えられたことは非常に貴重な経験だと感じている。日本とネパールという違った視点からある問題について共に考えることで、現地の人だからこそ浮かんでくるアイディアや、逆に客観的にネパールを見ることのできる私たちだからこそ見えてくる新たな課題などを共有することができた。
 次に、Deaf organizationへの訪問だ。この活動は当初プロジェクトに含まれていなかったが、ネパールの社会事情について直接聞く良いきっかけとなった。Deaf organizationではAAEEのメンバー、そして通訳の方以外は耳が聞こえず話すこともできない。そのため、私たち日本人メンバーは現地の人とコミュニケーションをとる際に、ネパール語や手話を通訳してくれる人が欠かせなかった。今までこの通訳という立場を特別意識したことはなかったが、この時私は2回の通訳を経てやっと相手の言っていることが理解できる、というこのプロセスにもどかしさを感じた。もちろん、異国の地では誰かの手を借りなければ相手の伝えたいことを理解できないのは仕方がないことである。ただ、耳が不自由であること、ネパール人であること、というこのたった2つの差異がコミュニケーションをいかに複雑にしているのかを実感し、通訳の存在が今回のプロジェクトにおいていかに重要であるのかを再認識した。
 その一方で、同時にDeaf schoolに訪れたことで耳が聞こえなくとも、言葉を発せずとも心は通じ合えるのだということを学んだ。学校に着いた瞬間、興味津々に駆け寄ってくる子どもたち。普通の子どもたちと何ら変わりない様子で学校生活を送っていた。ただ、彼らは耳が不自由なだけなのだ。この学校へ訪れたことで私は耳が不自由なのは社会的に見ると一見大きな弊害のように感じるが、実際個人として関わるとそこまで大きな壁ではないのだと気が付いた。子どもたちのあふれんばかりの笑顔、異国の地から突然訪れた私たちをなんのためらいもなく受け入れてくれた暖かさ、耳の障害をもろともせずたくさんの質問を投げかけてくれたその姿勢。私がネパールで目にしたかったものとはこういうものであったに違いない。ここでの経験は、自分の今までの考え方を大きく変えてくれるものとなった。そしてDeaf schoolに訪問したことで、私たちが目を向けるべき対象は社会的弱者と呼ばれる人たちなのだと改めて気づかされた。今まで私は当たり前かのようにそれを認識しているつもりであったが、実際に社会で不自由な生活を送っている人々と触れ合うことで、本当の意味でこの大切さを理解できたような気がする。直接会い、話をすることで彼らの苦労や悩みを知り、それと共に彼らの団結力や困難な状況においても立ち上がる強さを目の当たりにした。
 今回、このプロジェクトに参加したことで得られた経験は、他の何にも変えることのできない貴重なものである。それを今後に生かすためには、学生の本望である自身の学びへ取り入れていく必要がある。答えのない問題に取り組み、頭を悩ませながら考えることで、その経験自体が今後自身の将来を決定するにあたり大きな影響を与えるものとなるかもしれない。
 そして最後に、今回プロジェクトに携わったすべての日本人、ネパール人に心からの感謝を伝えたい。

ネパール Mero Sathi Project 2017 報告書 (1)  山岡大地 (上智大学総合グローバル学部2年・参加当時)  「人」と「文化」




「人」と「文化」


    上智大学総合グローバル学部2年(参加当時) 
山岡大地


  私がネパールを訪れるのは今回が二回目でした。さらに言えば、カトマンズ、ヌワコット、シークレス、ポカラの四カ所すべてを前回のプログラムで既に訪問しており、「新しい世界と出会ったときの衝撃」というものはほとんどありませんでした。しかし、だからこそ、より自然体で考え、議論し、楽しむことができたと思います。そして、プログラム中に出会った現地の人々や、旅を共にした学生達など「人」をより重視した体験をすることができました。
この報告書では今回のプログラムを通して私が感じた事柄について、「人」と「文化」をテーマに書きたいとと思います。

1. カーストという文化
 シークレスを訪問した私たちは「参加型農村調査」として現地の人々の家を周り、簡単なインタビューを行いました。シークレスは街から離れた山中にひっそりと営まれている村です。雄大なヒマラヤに臨み、車の騒音も聞こえません。すれ違う人に挨拶すると、必ず笑顔で「ナマステ」と返事をしてくれます。まさに天国を体現したような村ですが、そこに住む人々の生活を知り、私は衝撃を受けました。
 私たちはゲストハウスのオーナーさんの計らいで、生活水準の異なる三つの家庭を訪問しました。印象的だったのは経済的に最も貧しい家族の暮らしぶりです。足を悪くした老人と、その息子の元妻、そしてその赤ちゃんが暮らしていました。息子本人は家族を養うことを諦め、逃げてしまったそうです。取り残された家族は物乞いで生活していると言っていました。ここで注目すべきはカーストの存在です。シークレスのような小さなコミュニティーにも(というよりむしろこういった都市から離れたネパールの農村地域には)カーストが深く根付いています。貧困に苦しむこの家族は「低いカースト」とされて、周囲の人々からの支援を受けられないどころか、家に入ることすら拒否されるといいます。前述のとおり、シークレスは天国のような場所で、一見するとすべての人が協力し合って生活しているような印象を受けます。しかし、実際には差別や貧困の問題が残っており、驚きました。

 私たちはこの調査を終えた後、村の学校で長年教師として働いていた方をお招きし、村の生活の向上のための「提案」をすることにしていました。元教師の方は老人、という印象でしたが、流暢な英語で私たちと受け答えをしてくれました。ところが、話が進むにつれ、話題はあの家族のことに移っていきました。日頃からカーストについて問題視しているネパール人メンバーにとっては最も神経を尖らせる話題で、その教師の方との意見の対立が目立ちました。そして、「もしその家族が訪問してきたとしても、私は家に入れないだろう」と元教師の方がはっきりと言うと、ネパール人メンバーは呆れた様子で、以降ほとんどその方の話に耳をかさなくなりました。私自身もなぜこのような人が教師として子供達を教育していたのかと残念な気持ちになりましたが、日本人メンバーの関愛生は別の視点を私に与えてくれました。彼はネパールに住んでいた経験があり、カーストの問題についても客観的に、より深く考察していたのだと思います。彼によれば都市で育ち、高等教育を受けたネパールの学生が、農村の老人の主張を理解しようともせず、突き放す姿勢にも大きな問題があると言います。
 その通りだと思いました。カーストは深い歴史背景があり、あの場で元教師の方を責めることは何の意味もありません。例えばネパール人がみんなダルバートを好きなように、農村に暮らす人にとってカーストは当然のことであり「文化」だと考えられます。これを単に悪とし、それに加担する人を悪人とするだけでは、問題解決から遠ざかる一方です。どんなに理不尽だと思っても、まずは相手の文化を理解するという姿勢はどんな場面においても重要だと感じました。

2. 再会した人々
 二回目の参加で最も嬉しかったことは、私のことを覚えてくれている人がたくさんいたことです。前回、シークレスでは「フクロウ祭り」に飛び入り参加し、ソーラン節を何百人もの方々の前で踊りました。当時は訳も分からずとにかく踊っただけでしたが、一年経っても覚えてくれている方が大勢いらっしゃって、とても幸せな気持ちになりました。ポカラにあるシャムロックスクールの生徒たちも、前回、私とサッカーをしたことを覚えていて、再訪を喜んでくれました。今回は異なる形式での交流だったので、より深く彼らを知ることができました。また、私たち自身についても興味を持ってもらえたことが何よりも嬉しかったです。
 プログラムに参加することを決めた時、「なぜ自分はまたネパールに行くのか」を問い続けましたが、正直、明確な答えを出すことができていませんでした。しかし、彼らが喜ぶ姿を見て、「この人たちに会うために来た」というのが答えだと感じました。何か大きなことを成し遂げたわけではないけど、二回目の訪問に大きな価値を与えてくれた出来事でした。

3. 人と文化
 私は「文化」という言葉があまり好きではありません。定義が曖昧で分かりづらいからです。正直、異文化交流というこのプログラムの目的にも、当初は違和感がありました。どこか表面的で、奥行きの無い活動に聞こえます。法被をまとい、ソーラン節を踊り、日本食を作り、学校の子どもたちに「日本の文化」を伝えることが、本当に異文化交流なのか。
 しかし、今回のプログラムで私が感じたことは「人」それぞれが異なる「文化」を持っているということです。確かに、ネパール人メンバーにのみ共通する習慣はあります。食事などはその典型で、みんなダルバートが大好きです。しかし、その人にしかない性格や特徴の方がより大きな割合を占めるのも事実です。ギターが得意な人、踊りが好きな人、耳が不自由な人、意見をはっきり言う人、場を盛り上げる人、夢を持っている人、…。こうした様々な「人」という「文化」が交じり合って、一つのチームになっていくことが、真の意味での異文化交流なのだと思います。そして、「○○人」という概念が、実はあまり大きな意味を持たないことにも気づかされました。
 たった十数人の大学生が二週間共に旅をしたところで、世界が変わるわけではありません。でも、今の世界ではすべての「人」の「文化」が交じり合い、仲間になることが求められているわけであって、この点において私たちの行った異文化交流の方向性は決して間違っていないと、誇りをもって断言できます。このプログラムが今後も継続され、Mero Sathiの輪が広がっていくことを期待しています。