2020年9月19日土曜日

ベトナム CVJ 2020 (Connect Vietnam-Japan, 2020) 報告書(7)津軽りさ子(国際基督教大学教養学部アーツ・サイエンス学科1年)「お酢(または油)を使った、世界一おいしそうなおにぎり」

私がこのプログラムに参加した一番大きな理由は、単に自分が東南アジアファンだったからだ。東南アジアに最初に魅せられた瞬間を、私ははっきりと覚えている。それは、母と父とインドネシアのビンタン島に3人で旅行に出かけた時。ビンタン島の無限に続いて見える砂浜で寝転んで海を見つめると、私が当時抱えていた家族、進路、友人に関しての悩みが、ちっぽけなものに思えて、もやもやとした気持ちがすうっと消えて無くなった。東南アジアのゆっくり流れる時間と、大きな空と、青い海と、優しさでいっぱいの現地の人たちのおかげで、私の心が溶かされたのだと思う。その後、多くの東南アジア諸国を訪れ、近い距離に位置する国々の、宗教、文化上での多様性を再認識し、魅せられた。そんな大好きな東南アジアという存在、その一部であるベトナムの大学生たちと交流をすることで、今度はどんな変化を私にもたらしてくれるのかな?と期待し、VJEPに参加した。

私がVJEPにおいて、非常に記憶に残っている出来事は、プログラム内の文化交流部分、特にそれぞれの国が相手の国のソウルフードや、伝統的な食べ物を作った時である。その時、私はベトナム人たちが、本当に日本の文化や日本人たちに興味があってこのプログラムに参加したのだと、強く感じた。このフードエクスチェンジと呼ばれるアクティビティでは、オンライン上でグループに分かれ、それぞれが食べ物の作成方法を口頭で教える、というものであった。そこで、びっくりしたのが、私は「いぇーいバインミー食べれるぞー」と喜び、昼食を作るような気持ちでバインミーを作成していた一方で、ベトナム人チームは、全身全霊でおにぎり、みそしるを作っていたことである。日本人チームが作成方法を教え、それにベトナム人チームが倣っている最中も彼らは、どうやって作るのか、お互いにディスカッションをし(かなり盛り上がっているように見えた)、楽しみながらも真剣な顔で作っていた。しかも、一番驚いたのは、おにぎりを作ろうとしても、どうしても米と米がくっつかないという理由で、お酢(ベトナムの参加者の一人はOil、油であると発言していたので、お酢なのか油なのかは未だに明らかではない)を使っていたと言うことである。それもそうだ。東南アジアの米は日本の米と違い、粘り気がすくない。にぎっても米と米がくっつかないのは当然である。それに対し、私たちがなにか言ったわけでもないのに、自らお酢(油)を使い(果たしてそれが正解なのかは疑問が残るが、それは私にとって世界一おいしそうなおにぎりにみえた)、いかなる手段を使っても相手国に根付いている食文化を体現しようとするところに、全てに対して真剣なベトナム人大学生の姿が見えた。


みなさんは覚えがないだろうか?中学生の時、合唱祭を真剣にやるのをどこか恥ずかしがって駄弁っている男子たちを叱りつける女子たちの光景を。このような日本での「あるある」はベトナムでは起こらないのではないだろうか、と感じた。「頑張ること」や、「真剣になること」は、ベトナム人にとっては「気恥ずかしいこと」では絶対になく、あたりまえのこと。もし問題が発生したら(今回はそれが粘り気の少ない米の種類であったのだが)、頭を使って、それを解決する。彼らの強い意思を強く感じた。

私は、今までの人生で何事も「なんとなく」こなしてきた。全力を出さず、なんとなく勉強し、小中高一貫校に入り、英語の勉強も、受験勉強も、何に対しても全力を出した記憶がない。「要領いいよね」とよく友達に言われ、それでも、特に嬉しい気持ちにはならなかった。むしろ頑張り方がわからなくて、他の友達が、どのくらい頑張っているのかもわからなかったからだ。でも、今回のVJEPで、頑張る学生を目の前にし、私ってなんてのらりくらりと雰囲気で生きてきたんだろう?と思った。私だったら、もしできないことがあれば、言葉は少し汚いが、「もうやらなくてよくね?」と言ったり、うんざりした気持ちになったり。よく考えてみると、私は合唱祭で頑張っても結果がでないことを恐れて、気恥ずかしく思って頑張らない学生と同じだったのかな、と考えて、少し反省した気持ちになった。

二度も東南アジアの雰囲気、または人に、自分を見直す機会をあたえられた私は、3年次には専攻として、アジア研究学を取ることも考えている。上記に述べたことだけではなく、今回のVJEPでは様々なことがあった。バディが私が粘土で作ったブサイクなミッキーを、こんなに可愛いものはみたことがないといってくれたり、ベトナムチームが作成した米津玄師のLemonPVの完コピを見て人生で一番笑ったり、直接会えない分、自分を含めた参加者の間でモチベーションの問題が出てきたり。良いことだけではなかったけど、自分のなかで新しい発見があったり、間違いなく私の今後の人生の糧になることは、言うまでもない。

 オーガナイザーのみんな、参加者のみんな(特にバディのタオ)、関教授、影でこのプログラムを支えてくれた方達、ほんとうにありがとうございました。 


2020年9月18日金曜日

ベトナム CVJ 2020 (Connect Vietnam-Japan, 2020) 報告書(6)石橋侑子(早稲田大学政治経済学部政治学科2年)「参加者報告書」

  1. 参加した理由


私は幼い頃から新宿区で生活している為、常にアジア圏の外国人を身近に感じていました。その中で草の根レベルで現れる文化摩擦等による異文化包摂社会形成の難しさを肌で感じ、どうすればこうした生活習慣・常識の違いから生まれる文化摩擦を解消できるのか考えたいと思っていました。そして高校時代には欧州随一の移民大国であるドイツに留学し、自身が「移民・外国人」として扱われる経験をしました。受け入れる側のみならず移住する側の視点をも得たことで、双方の納得できる包摂社会形成のプロセスを研究したいと思い、大学では政治学を中心に経済学、国際関係、公共政策、文化人類学等を勉強しています。

そして、その様な私のバックグラウンドを知る旧友が紹介をしてくれたことで、今回AAEEコネクトジャパン・ベトナムプログラムに参加するに至りました。日本における移民を含めた包摂社会形成プロセスを研究したい私にとって日本に移住している外国人の中でも多くを占める、アジア圏の方と交流し、その文化や考え方を知ることができるのはとても貴重な機会でした。前述した通り、異文化衝突の主な原因は文化の齟齬である為、その解消にはまず相手国の「当たり前」、即ち文化を知ることが効果的だからです。そういった意味で、今回プログラムは私にとって魅力的な内容で、参加を決めました。


  1. プログラムについて



学生主導の交流プログラムとあってか、各々やりたい企画を自身で提示して実行に移せるところが最も良かったと思います。皆、日本人もベトナム人も双方が能動的に活動していました。私は今回のオンラインプログラムのみの参加でしたので、オフラインで行われる本来の活動雰囲気は分かりませんが、それでも積極的に学生がプログラムにコミットする、土台の雰囲気は感じることができました。

特にベトナム側の本プログラムにかける熱意の大きさはひしひしと伝わってきました。そうした高いモチベーションのある生徒に対し、彼らが国外の生徒(今回は日本人)に自身の価値観、意見、文化を発信できる機会を提供することはとても有意義だと思いました。彼らの様な熱意ある生徒が自分の考えを発信できないことは非常にもったいないです。AAEEはそうした生徒たちにとっても貴重な機会であり、そしてそれを受け取る側にとっても勉強になるプログラムだと思います。


  1. オンライン開催について


今回全オンライン実施プログラムに参加した事で、いくつかオンライン開催の利点と改善点を私なりにピックアップしましたので、報告致します。


  1. 利点


・国内参加者が出身地を問わずに参加することができる

→今回東京近郊のみならず、関西地域に住む参加者とも共にプログラムに参加できたことが面白かったです。「日本人」代表としてベトナム側と意見交換するにあたり、東京近郊住人のみでの参加だと日本チーム内の意見も似たり寄ったりしてしまうと思います。そして、その意見は果たして本当に「日本人」の意見として発信すべきものなのかという疑問が残ります。本来のオフライン開催だと距離的な難しさから、やはり東京近郊の生徒が参加者となってしまう事はしょうがないと思います。そうしたオフラインの弱点を、今回オンラインは克服していました。次回またオンライン開催がありましたら今度はもっと日本国内の色々な地域から参加者が集まれば面白いと思いました。


・費用がかからない

→プログラム参加に際し、最もネックとなるのは費用面での負担の大きさです。その為、元々ベトナムや国際交流に対し興味のある人しかそもそも本プログラムに参加しない、という参加者の偏りが出ていたと思います。その面、オンライン開催は現地に行く必要がない為安価で済みますし、参加自体のハードルが格段に下がっています。現地に行かずとも、ベトナム、海外、又は教育に興味が湧いたという生徒が1人でも増えれば本プログラムの意義はあると思います。参加のハードルが低い事で、あまりそういった領域に興味がない生徒も気軽に本プログラムに参加し、国際交流や文化理解に対して理解を深めることが出来ます。そして結果的に理解者が増えれば社会全体の国際理解意識向上に一歩近づきます。オンライン開催を通して元々理解のある生徒のみならず、興味のない生徒も巻き込んで活動の幅を広げることが社会全体の利益につながると考えます。


  1. 改善の余地有りな点


・プログラム内容の簡易化

→今回はオフラインで行われるはずだった内容をほぼそのままオンラインで行ったと聞きました。円滑なコミュニケーションが難しい中でオフラインと同様の活動をする事は困難でしたし、参加者の負担も大きかったです。オフラインの内容をオンラインで行っても、従来の二番煎じになってしまいます。次回からは参加者の負担が軽減され、且つ想定されうる機材トラブル等が発生しても落ちついて履行できるプログラム内容を実行した方が結果的に参加者の満足度が高まると思いました。具体的には、料理等の「確実に一緒にやった方かいいもの」をプログラムに盛り込む事は諦め、その分ディスカッション等オフラインでもオンラインと同等の満足度を得られるプログラムに重点をおく等の対策があります。例えば、従来よりもディスカッションに時間を多く割き、トピックも幅広く多様なものを設定する等です。教育や文化、政治についてなど、アカデミックな内容のみならず、好きなものや、恋愛観などといったカジュアルなトピック設定を行う事で参加者同士も楽しくお互いを知ることができると思います。


・ベトナムチーム、日本チームで独立してしまっていた

→実際に顔を合わせないので、自然によく準備段階でzoomをする日本人同士、ベトナム人同士で仲良くなっている雰囲気がありました。原因は準備段階で国間の交流が少なかったことだと思います。対応策として事前のビデオ作成企画などに、日本人とベトナム人共同で行うものを盛り込むことを提案します。例えば、今回は日本人は日本人、ベトナム人はベトナム人で劇・ダンス動画などを作成しましたが、それを共同で行っても面白かったと思います。


  1. 最後に


今回のプログラムではベトナムの文化やベトナム人生徒の考え方を知ると共に、様々な魅力ある日本人学生とも知り合うことが出来、とても楽しかったです。またオンラインでのグループワークの大変さなども学ぶことが出来ました。この様な機会を提供してくださった関教授、運営の方々、携わってくださったベトナム側の方々、そして7人の参加者の皆様、本当に有難う御座いました。特に運営の方や参加者リーダーは多くの困難に悩まされたと思いますが、常に参加者やプログラムの為に尽力してくださったこと、本当に感謝致します。



ベトナム CVJ 2020 (Connect Vietnam-Japan, 2020) 報告書(5)加藤みなみ(立教大学文学科英米文学専修4年)「自分にできることは?」



今回、CVJ2020には、“ベトナム”と“キャリア教育”に興味があって応募した。

ベトナムに興味を持ったのは、これまで見たことのあるベトナム人の顔が、百発百中で丸い優しさを持ち合わせていたからだ。
もしかしたら色メガネで見てきたのかもしれないが、その顔立ちの裏には何かあると思っていた中、初めてのベトナム航空で見たベトナム国内の観光のPRを見て、ビデオの中のあたたかい笑顔のベトナム人と、同じ国とは思えないほど様々な顔を持つベトナムに引き込まれた。完全に私にとってベトナムは夢の国と化した。

 教育については、国内で教育に関わる活動をしてきていたものの、そもそも“キャリア教育”がどんなものなのか日本でさえも理解できていなかったため、一度広い視野で考えたいと思っていた。そのためこのプログラムの、ベトナム×キャリア教育は、私にとってはこれ以上ない組み合わせだった。

しかし、すぐに壁にぶち当たった。
こちらで、壁とそこからの学びを3つにまとめて紹介する。

<英語力>
もともと大きな懸念点だったが、”全て”が初めてだったことで大きな壁になった。
日越の4人グループの中でも、会話についていくことに必死で、自分の意見を持っても英語すら危うい私の意見は危ないと思い、何も言えなかった。
そうしているうちにどこからアプローチしたらいいか完全にわからなくなってしまった。
MTGを重ね、早い段階からグループの案に疑問があったものの、いつかきちんとまとまるはずだとアクションを起こさず、自分からは生み出せずに提出した。
厳しいフィードバックで文字数が提出時よりもはるかに増え、そのほとんどが私の頭にあったものばかりだった。
これをきっかけにもっと自分の意見を言わなければならないと痛感し、自信のない英語コミュニケーションの中でも、自分のペースで思ったことを伝えられるテキストは私にとっていいツールだった。
LINEを使ってリーダーに直接提案をしたところ、私の意見を聞いて訂正や代替案を送ってくれたのだ。
彼女とやり取りをする中で、言わなかったのは自己責任だったとようやく知った。
私の意見は私が言わなければならない。
誰も私の頭の中の意見を言うことはない。
言わなかった後悔も私だけのものだ。
オンラインで物理的に一人でいることも相まって、完全に自己責任で進んでいく。
思いついたアイデアがあり、うまく英語にまとめられずMTG中の発言に自信がないならば、テキストで連絡をすればいい。
グループメンバーは必ずレスポンスをくれると分かり切っていたからこそ、なおさらだった。
自己責任ならば、自分のできることを丁寧に探し、”自分のやるべきことをやる”、だけであることにようやく気が付いた。

<時間制限>
オンラインならではの準備の中に、ビデオの撮影があった。
見ているだけなら、1度しか流れないうえにただカメラを置いて撮っているだけに見えるが、何度も練習と撮り直しをしている。
就職活動も並行していたため、準備に時間を取れない時期があった。
これまで撮影経験がほぼない私にとって、少しハードルの高い準備だった。
しかし、ベトナムメンバーを楽しませる工夫と撮りやすい工夫をし、細かい役割分担をしてくれたメンバーたちがいる。
それ以前に、アシスタントメンバーの細かい気遣いやサポート、そして想像もつかない膨大な準備期間があってこのプログラムは成り立っている。
私の25カ月目の就活は全く別の話である。
このプログラムで私のやるべきことは、私がやるべきことをやることだった。
ここでは、私が撮るべきところのシュミレーションをし、確認し、必要があれば撮影し直す、の3つだけだ。
自分のパートも同じだ。
やることをまとめるためにMTGをし、メンバーに協力を依頼するためにテキストを送信すし、それらをまとめるスライドを作成する。文言を考える。
ただそれだけのことだった。
準備だけではなく、プログラム中も同じだ。
恥ずかしいと思う前にわからなかったら質問する。
できないことはお願いする。
考えていることは言う。
私は全メンバーの中で最年長なのにも関わらず、英語力にも自信がないうえ自分の意見を言うのが極度に苦手なタイプだ。
正直、最年長なのに何も出来ない自分が恥ずかしく、悩んでいた時期があった。
しかし、悩んでいても全く何も進まないうえ、悩むことと考えること、そして学ぶことは全く別の話である。
英語力が苦手ならば、就活の合間を縫って英語に触れる時間を増やす、アイデアが出ないならば文献や教育関連のボランティア活動や教育のシステムについて学べばいい、大学生歴が長いからこその経験や学びは伝える、それだけのことだった。
パソコンと椅子と机しかないからこそ、対面で会うための移動時間が何時間もカットされたからこそ、一人での作業時間が増えたことを存分に活かせる状況もあったことから、自分にできることが明確になった。
あとは、”自分のやるべきことをやる”のみだった。

<これから>
当たり前のことだったのかもしれないが、今回の経験で、私情を持ち込まず”自分にできることをやる”、ということを学んだ。
この経験を活かして、一層興味を持ったベトナムやキャリア教育を深めていくこと、一期一会で知り合ったメンバーとオンライン上の関わりを守っていくこと、いつか会う努力をすること、そして”自分にできることをやる”努力を続けていくのは自分次第である。
私は自分が日本人であることに誇りを持ち、日本の良さを世界に発信していきながら、海外の良さを日本に持ち込みたい、という目標がある。
海外と関わる時だけでなく、日常生活でもこの軸を大切にしている。
今回のプログラムでも、日本の良さを知ってもらうため、チャットで送られてくる質問への回答や自分のパートは出来る限り工夫した。
ベトナム人の優しい顔立ちの裏を知るために質問やリサーチを怠らないよう心掛けた。
 今後も自分のテーマを大切にし、楽しみ続け、いつか社会に還元していくのも私次第だ。
このプログラムで学んだ、”自分のやるべきことをやる”ことを軸に加え、これからも学び続けたい。


ベトナム CVJ 2020 (Connect Vietnam-Japan, 2020) 報告書(4)沼澤青葉(筑波大学 生命環境学群 生物学類2年)「ベトナム交流会で学んだこと」

  1. 自分について理解が深まった

    1. 違いを認識することができる。

「正しい」が文化や教育背景によって大きく異なることを認識できた→受け入れることに苦労した。

  1.   2.相手の意見を否定するのが怖い。

考え方の違いから価値観が合わないことがあったが、人の価値観を否定することに抵抗があった。→裸の王様になっていたのではないかと思う。

    1. 仕事を振るのが下手。

どうしても自分ですべて背負い込めばいい、自分さえわかっていればいいと思い、説明が足りない状態で人に自分の考え、意見、やり方を押し付ける場面があった。これではやる側は納得ができず、かつ私の思っていたもの、あるいは私が求めているものを理解しにくい。説明を丁寧にするべきであった。

    1. やる必要性がわからないこと、納得できないことがすごく苦手。ダンスを録画して提出するように言われたが気が乗らなかった。気が乗らないが、参加してすぐのことで非常に嫌とはいいがたかった。また、これは慣れないことをして自分の「できる」を増やすいい機会かもしれない、とも思ったため、できることを増やす、自分の価値を高める、そういった目的でやってみることにした。しかし、やったあとに気づいたことだが、それは結局「できる」ではなく、「耐えられる」という段階でしかなかった。しかも、終わった後にどっと心労が押し寄せてきて結構しんどかった。そういう点を踏まえると、「できる」を増やすこととして始めた取り組みとしてはいささかストレスが大きすぎたのではないかと思う。得られた広がりに対してストレスは見合っていないように感じられた。この学びは、今後できないと感じたことを素直に言いやすくすることにつながった。また、どうしてやらなければいけないのか、何が求められているのかという意味をただ与えられるだけでなく、与えられた情報を基に自分で意味を見出す、自分で活用する道を探求する、という力が身についた。結構辛かったけど無駄じゃなかったよ。過去の自分、よく頑張った。君の努力は明日の自分の糧になったよ。どんまい。

  1. 私は多対一のコミュニケーションが苦手である。理由は2つある。第一に、聴衆が増えることで各自の発言にかかる責任が重くなり、話すべきなのかということに悩んでしまうからだ。私は基本的に話すのが好きなので、話したい!という気持ちがあっても話すべきか悩んで話せないことはストレスだった。第二に、どう伝わっているか、誰に伝わっているか、説明は足りているかなどといった相手の反応を確認する際、聴衆の人数分の情報を認識する必要があり、処理が間に合わないからだ。どうしても全員に伝わっているか、どう伝わっているかがわからず不安になり、説明を追加して冗長になったり、逆にあまり長く話しても困らせるに違いない、と考え情報量を最小限に抑えたりした。これらの不安はさらにオンラインであるということにより増幅されたように思う。

  2. オンラインについて

    1. 表情が見えない。

    2. 温度差が大きい。

    3. すべての発言が基本的に全員に発信されてしまう。→隠れた発言(チャット機能や別のアプリを用いたもの)は見えない。→人同士のつながりが見えない。

    4. 反応が得られにくい→ラグや接続不良のため、反応すると話を邪魔しうる。

    5. 沈黙の時間がしんどい。→一度しらけると厳しい。


2020年9月15日火曜日

ベトナム CVJ 2020 (Connect Vietnam-Japan, 2020) 報告書(3)沓名彩花(上智大学文学部英文学科2年)「オンラインという障壁を武器に」 


  
オンラインプログラムと聞くと、感動が生まれない、深い関係が築けないとイメージする人が多いかもしれない。大学のオンライン授業への移行によって「孤独感」「不安感」を訴える学生が急増したなどという報道を耳にすることが多い今日では、尚更そのようなイメージを抱きやすいだろう。実際私もオンラインプログラムでどれほどの学びを得ることができるのか、親睦は深まるのか、未知数だと感じていた。しかしプログラムを終えた今となっては、本プログラムは、2020年で最も印象的で学びの多い出来事であると断言できる。本報告書では、オンラインプログラムが成功に至った3つの理由に焦点を当て、これらを踏まえた上でオンラインプログラムの可能性について述べる。

 まずオンラインプログラムが成功に至った3つの理由について述べる。1つ目は、オンライン授業を経験した参加者がオンラインのデメリットを十分に把握していたので、事前に起こりうる事態を予測し、対策を練ることができたということ。2つ目は、プログラムによって拘束される時間が現地に赴くよりも少ないため、各自で時間を捻出し、プログラムの質の向上のために割り当てることができたこと。3つ目は、オンラインだからといって印象の薄いものにしたくないという思いが参加者全員にあったということだ。次にこれらの3点について具体的なエピソードを述べる。


 初めに、オンラインのデメリットを把握している参加者が多数いたことで未然にトラブルを防止できたことについて述べる。コロナ禍でオンライン授業でのデメリットは複数回メディアによって取り上げられ、オンライン授業内でそれらをテーマとして話し合う機会が与えられることもあった。主なデメリットとしては、コミュニケーションが希薄になることやオンラインの接続状態に不具合が生まれることへの懸念が挙げられる。これらのデメリットを把握した上で、一人一人がその障壁を越えようと行動した。例えば、プロフィール帳のような多数の項目が書かれた自己紹介テンプレートを用いて、自己紹介をした。そしてzoomを使って雑談トークルームを開き、プログラムの内容以外のプライベートな一面を見せ合うことで距離を縮めようと歩み寄った。ベトナムからの参加者ともプログラム前からS N Sを通じて頻繁に連絡をとり、距離を縮めた。オンラインの障壁をオンラインのメリットを駆使して対処することで、対面で同じ空間を共有できないギャップを埋めようとしたのだ。このような試みは見事成功し、その証拠にプログラム終了後も毎週プレゼンテーションのグループで定期ミーティングを行なっている。オンラインの接続状態の不具合も起こったが、過去に同じような不具合を経験した参加者がアドバイスをしたり、なぜそのような不具合が起こるのか状況から原因を分析したりして事なきを得ることができた。


 次に、各自の時間の使い方に柔軟性が生まれたことについて述べる。オンラインプログラムは拘束時間が現地に赴くよりも少ないため、各自の自由時間はいくらでもプログラムの質の向上に割り当てられた。環境の変化がないため、体調管理がしやすく、体力的にも余裕が生まれたことも一つの理由と言える。体力に限界を感じることがなかったため、睡眠時間を削り納得するまでプレゼンを作り続けたり、次の日の計画の作戦を立てたりすることができた。またプログラム中に得た新しい知識をより深めようと、その日中にリサーチすることもでき、一人でじっくりと向き合う時間が必要な私にとっては有意義な過ごすことができた。私は少人数のディスカッションでベトナムの参加者から聞いた山奥で暮らす少数民族の子供が学校に行けないという話が特に印象深かった。政府が少数民族のもとに出向き、親に子供に教育の機会を与えることの重要性を話しても、その重要性が理解されなかったり、貧困なために出稼ぎに行かせることを優先させてしまったりするという現状を聞き、教育と貧困は相互的に影響を及ぼすことを学ぶと同時に、富裕層であるベトナムの参加者との貧富の差を感じ、根深い問題の解決策をその日のプログラムが終わった後もしばらく考えていた。すぐに解決策が見つかった訳ではないが、その日話し合ったことをその日のうちにゆっくりと考える時間は大変実りの多い時間だった。現地に行けず、様々なものを目でそして肌で感じることができなかったことは悔やまれるが、このような時間の使い方ができたことはオンラインのメリットと言えると思う。


 最後にオンラインプログラムを印象の薄いものにしたくないという強い思いが参加者全員にあったことについて述べる。オンラインプログラムを充実したものにするために、参加者は様々な工夫を拵えた。ベトナムの参加者は、ホーチミン市に位置する大きい市場Bến Thành Marketやfloat market、水上人形やランターン通り、ストリートフードなどベトナムを代表するあらゆる場所を、プレゼンまたビデオを通じて発表してくれた。Bến Thành Marketでは値段交渉をすることが常識などベトナムの文化や慣習も学ぶことができた。対面で伝えられない分、発表はどれも手の込んだもので、まるで現地にいるかのような臨場感があった。日本ではベトナムよりもコロナの感染拡大が著しかったため、日本人の参加者同士で集まる機会がなかったが、プレゼンの中で、日本の伝統的な歌をバックミュージックとして使ったり、各自で恋するフォーチューンクッキーを撮って編集で繋げたり、関西出身の参加者が関西弁を教えたりと、それぞれの才能を存分に発揮し、日本の魅力を伝えることができた。日本の伝統衣装を担当した私も涼しい顔をして浴衣の着方ビデオを披露したが、実はこの発表のために一人で浴衣が着られるよう練習した。各国2名ずつの計4名で構成されるアウトカムプレゼンのグループでは、『ベトナムの高校生が将来の方向性を見据えるために私達ができること』というテーマをもとに約一ヶ月間ミーティングを重ね、より良いものを作り上げようと意見を出し合い、納得するまで質問をし合うという非常に貴重な経験ができた。オンラインだと英単語が出てこない際、近くの人に助けを求めることができないという障壁があるが、言葉が出てこない時にはゆっくり待っていてくれたり、言おうとしていることを予想して「こういうこと?」と言ったり、周囲の人の温かな心遣いのおかげでその壁は乗り越えることができた。


 このようにオンラインプログラムでは、障壁を武器に変え、その過程までも楽しむことによって最高のものが作り上げられる。この障壁は誰でも超えられる容易なものではなく、他ならぬ、輝いた才能と思いやりを持ち、影よりも光に焦点を当てる参加者、関先生、運営の方々、その他プログラムに関わってくださった全ての方々のおかげであり、感謝を送りたい。





ベトナム CVJ 2020 (Connect Vietnam-Japan, 2020) 報告書(2)木村奏(上智大学理工学部機能創造理工学科2年)「CVJを振り返って」 

  Connect Vietnam-Japan、通称CVJが終わって2週間が経った。たった一週間のプログラムであったが、国際理解・自己成長、二つの側面において、学ぶことの多いプログラムであった。そして、zoomという新しい形式での国際交流の可能性を感じさせる、そんなプログラムであったと思う。終了から2週間というこのタイミングで、改めてCVJ全体を振り返りたい。


ベトナムメンバー
ベトナムの学生はオフライン参加、うらやましい。

私がCVJに参加を希望したきっかけは、まぎれもなく、Covid-19によるパンデミックである。大学の授業がオンライン化され、緊急事態宣言でアルバイトがほとんどできなくなるなったことにより、私は多くの自由時間を手に入れることができた。この自由時間をどのように消費していくか、そこで考えたのが国際交流系のイベントへの参加である。高校一年生の時に留学した経験から、国際交流にはとても興味があり、高校時代にはそのようなイベントに積極的に参加していた。しかし、大学に入ってからは、授業に追われるあまり、そちらには手を出せていなかった。手を出すには今しかない、その様な思いから国際交流系のイベントへの参加を決意し、たまたま姉から紹介されたCVJに申し込みをした。偶然にも、一年生の前期にベトナム語の授業を選択しており、そこでの授業を通してベトナムに興味を持っていたが、そのベトナムとZoomを使って交流をするとはいったいどんなものなのか、キックオフ前は不安と興奮でいっぱいだった。



6月末、日本人参加者が全員決まり、初めてミーティングが行われた。そこで本番までに用意するよう出された課題が、日本紹介に関する8つの企画である。伝統衣装紹介や日本の童話に基づいた劇、日本語紹介などが含まれていた。CVJは毎年行われているが、Zoomでの開催は今年が初めて。言うまでもなく8つの企画をオンラインで行うのも初めてであり、前例がないものをいかにやりきるか、参加者全員で頭をフル稼働し考えた。中でも印象的だったのが、オンラインで商店街ツアーを行う“バーチャルフードツアー”という企画である。Zoomをつないだ状態で商店街に出向き、その映像を共有することを通して、ベトナム人参加者に日本の商店街の雰囲気を味わってもらう、という内容が想定されていた。しかし、そのディテールを決めなければならなかったのはまさに緊急事態宣言が解除された直後。外出すらためらわれる状況の中、そもそもなぜそのような企画が用意されているのか、そのような疑問が参加者の間で交わされた。そのさい浮かび上がってきたのが、ベトナムと日本のコロナウィルスの状況の違いである。日本が外出もままならない状況であった一方、ベトナムは当時、日本ほど事態はひどくなく、バーチャルフードツアーを行える状況にあったという。自国の状況だけですべてを決定できないこの事実に、改めて、国際交流の難しさを感じさせられた。国の状況の違い、という点については、コロナウィルスのみならず、教育についての話し合い中にも似たような体験をした。


今回のプログラムは、テーマが“教育”と設定されていた。そして、ベトナム人・日本人それぞれ2名、合計4名のグループを作り、チーム内で“高校生にキャリアを考えさせるためにはどのようなプログラムが必要か”を話し合い最終日にプレゼンをするという課題が与えられた。私たちの班はまず、各々が感じる高校教育に対する問題を共有したが、ここで出てきたのが各国の教育状況の違いである。私のグループでは、日本の問題として、塾などにより発生する教育格差を問題として取り上げようとした。学校があるにもかかわらず、塾という機関が存在してしまっている状況、そして、その存在により情報格差が存在してしまっていることを具体的に取り扱おうとしたが、ベトナムでは塾が一般的でないこともあり、深い議論に発展しなかった。ある国で問題にされていることが他国では全く問題とされていない、当たり前といえば当たり前のことであるが、このCVJの交流を通して改めて、その事実、そしてそれを乗り越えることの難しさ思い知らされた。


このようにCVJを振り返ってみて驚くのが、私に起こった主要な問題は、国際交流だから起こった問題であり、決してオンラインだから起こった問題ではない、ということである。オンラインだから起こった問題はほとんどないといっても過言ではない。通信状態の悪化により音声が乱れることなどもあったが、チャットボックスの活用で乗り越えることができた。おそらく日本で初めてのZoomを介した日越オンラインの国際交流は大成功であったのである。私はこの事実から、改めてZoomの可能性、そしてZoomを介した国際交流の可能性を感じた。もう誰だっていつだって世界とつながることはできる、あとは私たちのやる気と勇気だけ。そんな時代が来たことにとても興奮した。


5Gが実用化され、情報が今まで以上に大量、高速で送られるような時代になれば、上記にあげた音声の乱れの問題も解決されていくだろう。世界がオンラインで強く結びつく時代ももうすぐそこまで来ている。そのとき、私たちが行ったCVJプログラムは、様々な国際交流プロジェクトの手本となるだろうし、私はそのようなプログラムに参加することができたことを心から嬉しく思う。プログラム後、私はAAEEの学生ボランティアとしてこれからもAAEEと活動を共にすることを決意した。国際交流の体系が今後どのように変化していくか、AAEEとともに考え続けていきたい。





ベトナム CVJ 2020 (Connect Vietnam-Japan, 2020) 報告書(1)中島はな(関西学院大学3年)「虚無の味噌汁」

■CONNECT! VJ2020は大成功(?) 
 国際交流の意義とは、カルチャーショックを受け、言語の壁を乗り超え、価値観を超えた人々と出会い、自分の中の新しい側面に気づくことにあると思う。この点においてCONNECT! VJ2020は「大成功したオンライン国際交流プログラム」と言える。募集時からオンライン開催であることはほぼ決定していたし、オンラインということを前提において準備活動を進めていたこと、日本側ベトナム側どちらも柔軟にトラブルに対応できる素晴らしい運営・参加者ばかりであったことが幸いし、想像していた何倍もの達成感と充実感を得ることができた…が、 オンラインだからこその困難や素晴らしさについては他の参加者が詳細に報告してくれていると思うので、本報告書では国際交流の醍醐味を「食」に見出し、「やっぱ物足りな〜い!」となっている私なりの振り返りをしていきたいと思う。 

■食べることを諦めない 
 私は海外に行くと胃袋が際限なく広がっていくタイプの人間である。日本にいる時は普通の女子よろしくダイエットに日々励んでいるが、食への異様な執着と永遠に壊れない胃腸を持っているため、こうなる。「食わず嫌い」が一番この世で嫌いな言葉で、海外バックパッカーすると一日6食なんていうのはザラである。何故そうまでして食べたいのか?それは単に、日本ではできないことだからだ。ここに、本プログラムの惜しいポイントが詰まっている。
  文化を感じる手っ取り早い方法とは食べることである。食べることは生きることとも言われるように、人間の生活にとって食事は重要な意味を持つ。生命維持活動としての食事はもちろん不可欠だが、国際交流的意義からみてもその国々特有の文化が丸々現れているということから食について考える時間は必要だろう。食事内容だけでなく、価格設定や店の衛生状況、店員の態度や頼む順番、食べ合わせや飲み合わせなど、現地の人と一緒に食事をするだけで気付かされることは幾らでもある。それだけでなく、外国人としての我々がその文化に対して親しみを表す手段としても食事は有効である。一緒に料理するのも良い。1日3食、同じ釜の飯を食う。それだけで、異文化理解や親交も深まっていくのは神羅万象の理。という信念を持っていたのに、現実は朝10時から17時まで自室の机に向かい、お腹が空いたらミュートオン、ビデオオフにして納豆を取りにキッチンへ向かう。このように、食という武器を失った私にとってオンライン国際交流は挑戦だったとも言えよう。

 ■ワカメと豆腐と私 
 そんな私が心待ちにしていたアクティビティがFood ExchangeとCooking Contestである。先ず、Food Exchangeについて。日本・ベトナムの参加者が郷土料理やおすすめの店の紹介ビデオを流し、参加者同士がお互いの国の食べ物について質問、比較的和気藹々と進んでいった。朝一にフォーやステーキの映像が流れるなどしたこのアクティビティは、事前準備をバッチリしていたため難なく終了した。 
 午後に行われたのはCooking Contestである。コンテストと名の付くこのアクティビティは、日本・ベトナムが互いに料理のレシピを送り合い、それを実際に ZOOMを繋ぎながら料理するというものだった。評価基準は不明だったが、ベトナム側からは「バインミー(ベトナムサンドイッチ)とバンチャンヌン(ベトナムピザ)」、日本からは「味噌汁とおにぎり」のメニューが送付された。先攻は日本のキッチン。材料もバッチリ揃った、わからないことがあればベトナム人にも聞ける、意外とうまくできた、美味しい、今日のプログラムは全部楽しかったなー、となるはずだったが、オンライン国際交流では食の楽しみすらカオスに変わる。 
 突然だが、皆さんはこれまで、豆腐が漂うワカメに乗る瞬間を見たことがあるだろうか。明らかにおかしい量のワカメが入っているのは謎の水槽。水槽で泳がされる豆腐。ワカメの海に沈んでいく豆腐。次に映し出されたのは、米に酢を塗りこむベトナム人の姿。寿司か?寿司なのか…?「オニギリー」と楽しそうにする彼らを止められる人は一人もいなかった。「ノービネガー!」と叫んでも彼らの耳には届かない。モニター越しで行われるえげつない行為の連続。DASHIとはUMAMIとは、についての原稿はただの紙屑となった。 
 こんなの全然日本文化じゃ無い。


 ■この経験から考えたこと
  アクティビティ終了後、げっそりしていた自分がいた。謎の虚無感。味噌をお湯に溶かすだけなのに。米を丸い形にするだけなのに。おにぎりに酢はないだろ。なんで、どうして。という思いがぐるぐると頭の中を巡っていたが、当日の写真やビデオを見返してハッとさせられる。彼らはあんなにも楽しそうだったじゃ無いか。彼らなりに日本料理を再現しようとしてくれていたじゃ無いか。なんやかんや食べることができていたじゃ無いか。 
 先のアクティビティで感じたやるせなさは、日本文化(とされているもの)を日本人として手取り足取り教えることができなかったことに起因すると考えた。これまで数多の国際交流プログラムに参加してきた中で、日本を代表して日本文化を世界に紹介する機会が多くあった。日本には四季があります、日本食は寿司です、最近はクールジャパンに力を入れています、オリンピックに来てください。これらの文句を並べ立て、日本文化を表面化・形式化していたのは自分の方だったと気付かされた。本物の日本食とは、日本文化とは、日本人であるとはどういうことだろう。私は味噌汁とおにぎりのプロでは無い。日本人と言うだけで味噌汁やおにぎりの何がわかっていると言うのか。文化に対する向き合い方について考えさせられる出来事となった。 
 もう一つ、この経験から得たのは、オンラインだからこそのカオスを楽しむ力だ。これはプログラム中にも関先生が何度も仰っていたことだが、運営も参加者も皆手探り状態で最終的にどのようなプログラムになっていくかが未知数である以上、嫌でもこの力は養われたといえよう。ただ、不測の事態を受け入れる柔軟性が必要なのではなく、カオスは面白くなる余地があるだけで、受け流すことが重要だと言う考え方をしたほうが良い。何故なら、いちいち豆腐に対してツッコミを入れていたら一生国際交流は進まないからだ。でもいつかは一緒に味噌汁とおにぎりを作って、一緒に食べたいのでオンラインでは満足できないのだ。