2020年9月15日火曜日

ベトナム CVJ 2020 (Connect Vietnam-Japan, 2020) 報告書(1)中島はな(関西学院大学3年)「虚無の味噌汁」

■CONNECT! VJ2020は大成功(?) 
 国際交流の意義とは、カルチャーショックを受け、言語の壁を乗り超え、価値観を超えた人々と出会い、自分の中の新しい側面に気づくことにあると思う。この点においてCONNECT! VJ2020は「大成功したオンライン国際交流プログラム」と言える。募集時からオンライン開催であることはほぼ決定していたし、オンラインということを前提において準備活動を進めていたこと、日本側ベトナム側どちらも柔軟にトラブルに対応できる素晴らしい運営・参加者ばかりであったことが幸いし、想像していた何倍もの達成感と充実感を得ることができた…が、 オンラインだからこその困難や素晴らしさについては他の参加者が詳細に報告してくれていると思うので、本報告書では国際交流の醍醐味を「食」に見出し、「やっぱ物足りな〜い!」となっている私なりの振り返りをしていきたいと思う。 

■食べることを諦めない 
 私は海外に行くと胃袋が際限なく広がっていくタイプの人間である。日本にいる時は普通の女子よろしくダイエットに日々励んでいるが、食への異様な執着と永遠に壊れない胃腸を持っているため、こうなる。「食わず嫌い」が一番この世で嫌いな言葉で、海外バックパッカーすると一日6食なんていうのはザラである。何故そうまでして食べたいのか?それは単に、日本ではできないことだからだ。ここに、本プログラムの惜しいポイントが詰まっている。
  文化を感じる手っ取り早い方法とは食べることである。食べることは生きることとも言われるように、人間の生活にとって食事は重要な意味を持つ。生命維持活動としての食事はもちろん不可欠だが、国際交流的意義からみてもその国々特有の文化が丸々現れているということから食について考える時間は必要だろう。食事内容だけでなく、価格設定や店の衛生状況、店員の態度や頼む順番、食べ合わせや飲み合わせなど、現地の人と一緒に食事をするだけで気付かされることは幾らでもある。それだけでなく、外国人としての我々がその文化に対して親しみを表す手段としても食事は有効である。一緒に料理するのも良い。1日3食、同じ釜の飯を食う。それだけで、異文化理解や親交も深まっていくのは神羅万象の理。という信念を持っていたのに、現実は朝10時から17時まで自室の机に向かい、お腹が空いたらミュートオン、ビデオオフにして納豆を取りにキッチンへ向かう。このように、食という武器を失った私にとってオンライン国際交流は挑戦だったとも言えよう。

 ■ワカメと豆腐と私 
 そんな私が心待ちにしていたアクティビティがFood ExchangeとCooking Contestである。先ず、Food Exchangeについて。日本・ベトナムの参加者が郷土料理やおすすめの店の紹介ビデオを流し、参加者同士がお互いの国の食べ物について質問、比較的和気藹々と進んでいった。朝一にフォーやステーキの映像が流れるなどしたこのアクティビティは、事前準備をバッチリしていたため難なく終了した。 
 午後に行われたのはCooking Contestである。コンテストと名の付くこのアクティビティは、日本・ベトナムが互いに料理のレシピを送り合い、それを実際に ZOOMを繋ぎながら料理するというものだった。評価基準は不明だったが、ベトナム側からは「バインミー(ベトナムサンドイッチ)とバンチャンヌン(ベトナムピザ)」、日本からは「味噌汁とおにぎり」のメニューが送付された。先攻は日本のキッチン。材料もバッチリ揃った、わからないことがあればベトナム人にも聞ける、意外とうまくできた、美味しい、今日のプログラムは全部楽しかったなー、となるはずだったが、オンライン国際交流では食の楽しみすらカオスに変わる。 
 突然だが、皆さんはこれまで、豆腐が漂うワカメに乗る瞬間を見たことがあるだろうか。明らかにおかしい量のワカメが入っているのは謎の水槽。水槽で泳がされる豆腐。ワカメの海に沈んでいく豆腐。次に映し出されたのは、米に酢を塗りこむベトナム人の姿。寿司か?寿司なのか…?「オニギリー」と楽しそうにする彼らを止められる人は一人もいなかった。「ノービネガー!」と叫んでも彼らの耳には届かない。モニター越しで行われるえげつない行為の連続。DASHIとはUMAMIとは、についての原稿はただの紙屑となった。 
 こんなの全然日本文化じゃ無い。


 ■この経験から考えたこと
  アクティビティ終了後、げっそりしていた自分がいた。謎の虚無感。味噌をお湯に溶かすだけなのに。米を丸い形にするだけなのに。おにぎりに酢はないだろ。なんで、どうして。という思いがぐるぐると頭の中を巡っていたが、当日の写真やビデオを見返してハッとさせられる。彼らはあんなにも楽しそうだったじゃ無いか。彼らなりに日本料理を再現しようとしてくれていたじゃ無いか。なんやかんや食べることができていたじゃ無いか。 
 先のアクティビティで感じたやるせなさは、日本文化(とされているもの)を日本人として手取り足取り教えることができなかったことに起因すると考えた。これまで数多の国際交流プログラムに参加してきた中で、日本を代表して日本文化を世界に紹介する機会が多くあった。日本には四季があります、日本食は寿司です、最近はクールジャパンに力を入れています、オリンピックに来てください。これらの文句を並べ立て、日本文化を表面化・形式化していたのは自分の方だったと気付かされた。本物の日本食とは、日本文化とは、日本人であるとはどういうことだろう。私は味噌汁とおにぎりのプロでは無い。日本人と言うだけで味噌汁やおにぎりの何がわかっていると言うのか。文化に対する向き合い方について考えさせられる出来事となった。 
 もう一つ、この経験から得たのは、オンラインだからこそのカオスを楽しむ力だ。これはプログラム中にも関先生が何度も仰っていたことだが、運営も参加者も皆手探り状態で最終的にどのようなプログラムになっていくかが未知数である以上、嫌でもこの力は養われたといえよう。ただ、不測の事態を受け入れる柔軟性が必要なのではなく、カオスは面白くなる余地があるだけで、受け流すことが重要だと言う考え方をしたほうが良い。何故なら、いちいち豆腐に対してツッコミを入れていたら一生国際交流は進まないからだ。でもいつかは一緒に味噌汁とおにぎりを作って、一緒に食べたいのでオンラインでは満足できないのだ。


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