「ネパール≠途上国」
上智大学文学部2年
藤本沙織
私はこの夏、ネパールスタディツアーに参加して、人生で初めて「途上国」を経験した。このスタディツアーに参加した一番の理由は、尊敬する友人が企画・実行しているプログラムであったことだ。Facebookで参加メンバー募集という彼の投稿を見て、何も考えずすぐに「行きたい!」とメッセージを送った。二つ目の理由は、途上国に行ってみたいという好奇心からである。「国際協力」に漠然とした興味を持ち、何か自分にできることがないか考えていた私が途上国でどんなことを感じるのか知りたいと思った。そして三つ目の理由は渡航前にメンバーとの勉強会を通して気付いた後付けの理由であるが、私のもう一つの関心テーマ「教育」にアプローチする方法として途上国の教育を知るためである。「途上国の子どもたちは、学習環境が悪くても、勉強しようという強い気持ちを持っている」というイメージがあったので、典型的な日本人の教育に対する受け身の姿勢と比較するヒントを得たいと思った。
私はこのスタディツアーを通して、「途上国は○○」「ネパールは△△」と一般化することはできないと気付いた。ネパールという1つの国の中でさえ、全く異なるバックグラウンドで育ち、様々な価値観を持って生活する人々がいた。また、ネパールに存在する社会問題は日本にも存在し、“より良い社会”を実現するには途上国や先進国といった線引きをすることは本質的でないと感じた。
アジア最貧国と言われるネパールでも、生活水準は上から下まで様々であった。例えば、一緒にスタディツアーに参加したネパールの学生たちは、私たち日本人メンバーと何も変わらないように感じた。スマホを持ち、毎日好きな服を着て、バスの中ではお気に入りの洋楽を聴き、大学に通いながらそれぞれの目標に向かう姿を見て、私の中の「ネパール=途上国」という固定概念が音を立てて崩れていった。一方でマイダンという村で出会った子どもたちは、同じネパールに住む彼らとは対照的にとても質素な暮らしを送っていた。村では全くお金を使わず、家の周りで農作物を育て、部屋にシャワーはなく電気もほぼ使わない生活を送っていた。日本での暮らしと全く異なる生活に驚きショックを受けたが、それ以上に同じネパールでもこんなにも格差があるということの方が衝撃だった。
途上国というと「貧しさ」を思い浮かべる人が多いと思う。私もそのようなイメージを持っていたが、途上国“だから”貧しさが存在するのではなく、途上国にも日本にも、同じように貧しさが存在するのだと思った。私はこのツアー中に初めてストリートチルドレンに出会った。観光地で写真を撮っている時に子どもが近くに来たので、一緒に写真を撮って楽しんでいたのだが、帰り際にお金を求められた。私はどうすれば良いか分からず、お金を求められたという恐怖心と、私が今数百円のお金をあげても、目の前の子の現実は変わらないのではないかというある種の諦めの気持ちから、何もせずにその場から立ち去ってしまった。貧困という大きな問題を直視するのが怖くて、見て見ぬ振りをしてしまった。あの時どうすれば良かったのか、ホテルに戻ってメンバーと話し合い、自分でも何度か考えてみたが、まだわからない。しかし、日本に戻って気付いたことは、日本にも駅の周りや公園にはホームレスの人々は存在すること、そして途上国の貧しい人々を助けようという声は多く聞くのに、実際に日本で自分のすぐ近くにいる貧しい人々に意識を向け行動している人が少ないことである。貧困問題を、途上国だけの問題と考えてはいけないと思った。
このスタディツアーは私に、「途上国」という便利な一言で表すこと自体が本質的でないことを教えてくれた。参加した理由の一つの「教育」というテーマについても、「途上国の子どもの、学習環境が悪くても勉強しようという姿勢を日本が学ぶべき」という前提に疑問を抱くようになった。確かに学習環境が悪くても、家族のため、生きるために必死に勉強する学生は途上国にはいる。しかしそれはネパールの学生全員に当てはまるわけではない。マイダンで一生を過ごす子どもにとっては、英語を勉強することに何の価値もないのかもしれない。そう考えると、そもそも教育とは何なのか、私は日本の教育を良くするためにどんなアプローチを取るべきなのかという新しい視点を持つことができた。
最後に、初めての経験と新しい価値観の発見に溢れた二週間のスタディツアーに参加できて本当に良かったと思う。ここには書ききれない多くの気付きを得たこと、そして尊敬する仲間たちと出会ったことは私の価値観に大きな変化を与えてくれた。私の文章を読んで少しでもネパールスタディツアーに興味を持ってくださったあなたに、今すぐよしきにメッセージを送ることをお勧めしたい。
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