2017年4月4日火曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 報告書 (1)  山岡大地 (上智大学総合グローバル学部2年・参加当時)  「人」と「文化」




「人」と「文化」


    上智大学総合グローバル学部2年(参加当時) 
山岡大地


  私がネパールを訪れるのは今回が二回目でした。さらに言えば、カトマンズ、ヌワコット、シークレス、ポカラの四カ所すべてを前回のプログラムで既に訪問しており、「新しい世界と出会ったときの衝撃」というものはほとんどありませんでした。しかし、だからこそ、より自然体で考え、議論し、楽しむことができたと思います。そして、プログラム中に出会った現地の人々や、旅を共にした学生達など「人」をより重視した体験をすることができました。
この報告書では今回のプログラムを通して私が感じた事柄について、「人」と「文化」をテーマに書きたいとと思います。

1. カーストという文化
 シークレスを訪問した私たちは「参加型農村調査」として現地の人々の家を周り、簡単なインタビューを行いました。シークレスは街から離れた山中にひっそりと営まれている村です。雄大なヒマラヤに臨み、車の騒音も聞こえません。すれ違う人に挨拶すると、必ず笑顔で「ナマステ」と返事をしてくれます。まさに天国を体現したような村ですが、そこに住む人々の生活を知り、私は衝撃を受けました。
 私たちはゲストハウスのオーナーさんの計らいで、生活水準の異なる三つの家庭を訪問しました。印象的だったのは経済的に最も貧しい家族の暮らしぶりです。足を悪くした老人と、その息子の元妻、そしてその赤ちゃんが暮らしていました。息子本人は家族を養うことを諦め、逃げてしまったそうです。取り残された家族は物乞いで生活していると言っていました。ここで注目すべきはカーストの存在です。シークレスのような小さなコミュニティーにも(というよりむしろこういった都市から離れたネパールの農村地域には)カーストが深く根付いています。貧困に苦しむこの家族は「低いカースト」とされて、周囲の人々からの支援を受けられないどころか、家に入ることすら拒否されるといいます。前述のとおり、シークレスは天国のような場所で、一見するとすべての人が協力し合って生活しているような印象を受けます。しかし、実際には差別や貧困の問題が残っており、驚きました。

 私たちはこの調査を終えた後、村の学校で長年教師として働いていた方をお招きし、村の生活の向上のための「提案」をすることにしていました。元教師の方は老人、という印象でしたが、流暢な英語で私たちと受け答えをしてくれました。ところが、話が進むにつれ、話題はあの家族のことに移っていきました。日頃からカーストについて問題視しているネパール人メンバーにとっては最も神経を尖らせる話題で、その教師の方との意見の対立が目立ちました。そして、「もしその家族が訪問してきたとしても、私は家に入れないだろう」と元教師の方がはっきりと言うと、ネパール人メンバーは呆れた様子で、以降ほとんどその方の話に耳をかさなくなりました。私自身もなぜこのような人が教師として子供達を教育していたのかと残念な気持ちになりましたが、日本人メンバーの関愛生は別の視点を私に与えてくれました。彼はネパールに住んでいた経験があり、カーストの問題についても客観的に、より深く考察していたのだと思います。彼によれば都市で育ち、高等教育を受けたネパールの学生が、農村の老人の主張を理解しようともせず、突き放す姿勢にも大きな問題があると言います。
 その通りだと思いました。カーストは深い歴史背景があり、あの場で元教師の方を責めることは何の意味もありません。例えばネパール人がみんなダルバートを好きなように、農村に暮らす人にとってカーストは当然のことであり「文化」だと考えられます。これを単に悪とし、それに加担する人を悪人とするだけでは、問題解決から遠ざかる一方です。どんなに理不尽だと思っても、まずは相手の文化を理解するという姿勢はどんな場面においても重要だと感じました。

2. 再会した人々
 二回目の参加で最も嬉しかったことは、私のことを覚えてくれている人がたくさんいたことです。前回、シークレスでは「フクロウ祭り」に飛び入り参加し、ソーラン節を何百人もの方々の前で踊りました。当時は訳も分からずとにかく踊っただけでしたが、一年経っても覚えてくれている方が大勢いらっしゃって、とても幸せな気持ちになりました。ポカラにあるシャムロックスクールの生徒たちも、前回、私とサッカーをしたことを覚えていて、再訪を喜んでくれました。今回は異なる形式での交流だったので、より深く彼らを知ることができました。また、私たち自身についても興味を持ってもらえたことが何よりも嬉しかったです。
 プログラムに参加することを決めた時、「なぜ自分はまたネパールに行くのか」を問い続けましたが、正直、明確な答えを出すことができていませんでした。しかし、彼らが喜ぶ姿を見て、「この人たちに会うために来た」というのが答えだと感じました。何か大きなことを成し遂げたわけではないけど、二回目の訪問に大きな価値を与えてくれた出来事でした。

3. 人と文化
 私は「文化」という言葉があまり好きではありません。定義が曖昧で分かりづらいからです。正直、異文化交流というこのプログラムの目的にも、当初は違和感がありました。どこか表面的で、奥行きの無い活動に聞こえます。法被をまとい、ソーラン節を踊り、日本食を作り、学校の子どもたちに「日本の文化」を伝えることが、本当に異文化交流なのか。
 しかし、今回のプログラムで私が感じたことは「人」それぞれが異なる「文化」を持っているということです。確かに、ネパール人メンバーにのみ共通する習慣はあります。食事などはその典型で、みんなダルバートが大好きです。しかし、その人にしかない性格や特徴の方がより大きな割合を占めるのも事実です。ギターが得意な人、踊りが好きな人、耳が不自由な人、意見をはっきり言う人、場を盛り上げる人、夢を持っている人、…。こうした様々な「人」という「文化」が交じり合って、一つのチームになっていくことが、真の意味での異文化交流なのだと思います。そして、「○○人」という概念が、実はあまり大きな意味を持たないことにも気づかされました。
 たった十数人の大学生が二週間共に旅をしたところで、世界が変わるわけではありません。でも、今の世界ではすべての「人」の「文化」が交じり合い、仲間になることが求められているわけであって、この点において私たちの行った異文化交流の方向性は決して間違っていないと、誇りをもって断言できます。このプログラムが今後も継続され、Mero Sathiの輪が広がっていくことを期待しています。

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