2017年5月8日月曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 報告書 (5) 大平啓太(近畿大学4年)「学生の行う支援の難しさと、それへの挑戦」

「学生の行う支援の難しさと、それへの挑戦」

近畿大学4年(2017年3月卒業)
大平啓太

まず、私がこのプログラムを通して考えた学生の行う支援の在り方について述べる。私の答えがあっているかはさて置き、『学生は知恵を絞り、それが出来なければ汗をかくこと』だと思う。お金はないし、人のためになんて到底出来ない学生が出来ることはそれぐらいだろう。ネパールの村をネパール人の学生に通訳をしてもらいながら、村に必要な支援をリサーチする。それをディスカッションして一つの答えを出すために知恵を絞ることは、ネパールの地域にも自分自身にも非常に有益なものだと思う。また、それが困難な学生は村人と共に導き出した支援を形にするために汗を流せばいい。語学がなくても同じものを食べ、同じ汗を流し、国境も人種も宗教も関係なく多くのことを学べばいいと思う。そこにお金は必要ない。人のためにとか出来たらいいなあ、とは思うが人のための前に未熟な自分と向き合い自己研鑽に励む方が有益だと思う。

学生は社会人から見て間違いなく未熟だ。ならば、未熟な自分を受け入れ必死に挑戦して自分を磨けばいい。そのツールに支援とかボランティア、学生交流があると思う。これこそが学生らしさなのではないか。その学生らしさを求めているなら、是非このプログラムに参加するべきだ。私は英語が大の苦手なのに、泥臭くも挑戦して行く過程で多くのことを学んだ。それが私をこれだけの笑顔にさせた。



この考えに至るまでに時間はかかった。今回のネパールへの渡航は3度目だ。なんなら、今回はヌワコットの視察を終えた後、他団体のプログラムに合流しネパール地震で大きな被害を受けた村で水道を作る計画だ。
私は、渡航中に毎回考えるのは、『学生の分際で、人のためなんて出来るはずがない』ということだ。私は両親のスネをかじりながら22歳まで生きてきた。生きていると言うより、生かされているという表現が適切だ。その学生に一体何が出来るのだろう。その疑問が常に私の心をモヤモヤさせた。
ヌワコットという被災地に訪問し、感じたことは多くあった。ヤギ小屋プロジェクトは素晴らしいもので、私自身がインフラ整備のボランティアを経験している分、ヤギ小屋の持続可能な支援の追及の仕方には共感できる部分も多い。ただ、肝心の村人への還元がどの程度進んでいるのか、本当にヤギ小屋がこの村に必要だったのかが分からない。もしかするとヤギ小屋プロジェクトよりも素晴らしい手法があったのではないかと思ったりする。
ただ、そんなモヤモヤを一緒に共有してくれる日本人もネパール人もいた。人のために出来たらいいなあと考え続けることはしんどい。しかし、同じ人間として支えてくれた仲間がいた。だからこそ、自分のモヤモヤが解消され、正解かどうか分からないが自分なりに納得のいく学生の行う支援の在り方にたどりついた。
最高の経験を積ませてくれた関先生には感謝しかないし、少しの期間だったが過ごした仲間は忘れられない。来年度から社会人になる私だが、この経験は必ず辛い時やしんどい時の支えになる。ネパールの学生も素敵な笑顔で頑張っているのだから、私も笑顔と元気さを忘れず負けないようにしたい。だって、ネパールの学生はこんなにも笑顔なんだから。

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