ネパールで得られた学び
上智大学総合グローバル学部2年
斉藤花歩
10日間のネパールスタディーツアーに参加し、座学だけでは分からないネパールを知ることが出来た。今回、私がこのツアーに参加を決めた理由として、大学で学ぶ南アジアの文化に興味を持ち始めたことと、学生の間に多くの国へ行き自分の知らない世界を知りたいという思いがあった。また、国際交流ができることも魅力で参加を決めた。本報告書では、プログラムを通じて私が感じたこと、思ったことを述べていきたい。
私自身、途上国には在住歴もあるため、不安要素が一切ないまま、ネパールに入国した。しかし、そこで最初に驚かされたのは交通事情に関してである。まず何よりも、信号機がないこと。道路が一切整備されてないため、渋滞は日常茶飯事であった。今回のツアーではネパール人メンバーも驚くほどに大規模な渋滞に見舞われた。先の見えない長い道に、車の大行列。しびれを切らした運転手たちが車から降り、たばこを吸うなど、日本では考えられない光景だった。また、車線がないため、逆走する車もおり、さらに渋滞を悪化させていた。カトマンズなど市内に入ると大きな交差点に誘導員が立ち、誘導しているが、それを無視する車は少なくない。ここまで無秩序な交通事情を抱える国は初めて見たので驚きだった。しかし、そのようなときもネパール人は冷静で、ゲームをしたり歌を歌ったりたわいもない話をしてくれた。今思えば、渋滞も一つの楽しみになっていたと思う。
今回のツアーではパルパ県タンセンから車で3時間のマイダン村にホームステイをした。村では小学校へ訪問したり、村の家に調査に出向いたり、電気や水が当たり前に使える場所ではないところでホームステイが出来たのはとても貴重な経験だった。しかし、村に辿り着くまでの道のりもかなり大変だった。ジープに皆で乗り、細い山道を通るのだが、少しずれていればその下は崖というかなりスリリングなドライブだった。車1台しか通れない道なので、対向車が来ないよう必死で祈っていたのを覚えている。やっとの思いで到着しマイダン村では小学校で多くの子供たちが私たちをお出迎えしてくれた。この村では10年前に学校ができ、1~8年生まであり50人ほどの子どもが通っている。最初は照れて近づいてさえくれなかった子どもたちが、最後はぴったりと寄り添うまで打ち解けた。村の子どもたちは皆、優しくそして逞しかった。鶏を素手でつかんだり、早朝から水を組むために足場の悪い道を通りながら大きな水タンクを背負って何往復もしていた。蛇口をひねれば水がでて、スイッチを押せば電気がいつでもつくのが当たり前である私にとって、での光景はすべてが新鮮だった。また、村での調査は、彼らを知るうえでとても有意義な時間だった。私たちが調査した女性は、夫は元々姉の結婚相手であり、姉との子どもと自分の子ども合わせて6人を育てている。夫はマレーシアに出稼ぎにいっており、仕送りは不定期なため、ローンを組んでそのお金で子供たちを学校に通わせている。彼女は、子供たちには教育を受けさせたいと言っていた。その理由に、彼女の父親は、8歳のころから家が貧しかったために住み込みで他の家のお手伝いをし、ご飯を食べさせてもらう代わりに教育を受ける機会を与えられなかったそうだ。そのため、彼女は父の体験から、子供たちにはいい教育を受けさせ、よい職についてほしいと心から願っていた。
村での生活はとても穏やかだった。しかし、調査で村の人の話を聞くことで、どのような問題を村の人が抱えているのかを知ることが出来た。村に小学校ができて10年たったが、8年生までしかなく、ネパールでは10年生までの教育を受けた人を対象とするSEEとい国家試験を受けなければ大学どころか良い職にも就くことが出来ない。マイダン村の隣の村まで片道歩いて2時間かけたところに9、10年生の学校があるが、地理的にかなり遠いため通い続けるのが難しく、現実ではほとんどの子どもは8年生で終え、村の中で結婚をする。この村で問題とされるのが、貧困の連鎖が続いていることだ。教育を受ける環境が整っていないことと、村からでること自体が少なく、閉鎖的になっていること。そして、地理的に市場経済を持ち込むのが難しい。その結果良い教育を受けても、職が村の中にはないのが現実だ。
私は大学の講義で、南アジアに関する講義をいくつか受講をしていたためネパールについても触れることは多かった。しかし、内容はどれもアジア最貧国、男女差別、カースト制度など、かなり悪いイメージをもつようなものばかりだった。しかし、実際に渡航して感じたネパールは温厚な人が多く、穏やかでのんびりした国だった。そして何よりもホームステイをしたマイダン村の人々の優しさは忘れられない。また、今回いくつか学校を訪問したが、その際お茶を用意してくださり、もてなす心が印象的だった。ネパールに実際に行き、私は多くの人の優しさを感じることが出来、自分が普段当たり前に感じていたものが、この国では当たり前ではないことを何度も思い知らされた。そして、自分がどれだけ恵まれているか、そして何をすべきか自分自身を見つめなおすきっかけになった。