2018年5月3日木曜日

ネパール Mero Sathi Project 2018 2月 報告書(2) 宮尾直哉 (東京理科大学基礎工学部 材料工学科 2年) 「異文化、異分野での交流」

『異文化、異分野での交流』

東京理科大学基礎工学部
材料工学科2年 宮尾直哉
 今回このプログラムを知ることになったのは前回の参加者に友人がおり、その友人に発表を見にこないかと誘われ見に行ったことに端を発している。合縁奇縁なもので、この時にはまさか私が次に参加する立場になるとは夢にも思っていなかった。ネパールに行く前の私が知り言えるネパールについてのことといえば山勝ちで山羊が多く、あまり裕福な国とはいえないというような表面をなぞるようなことのみであった。今後訪れる機会も早々ないような異国の地の雰囲気や文化を肌で感じるまたとない機会であると考え、私はこのプログラムに参加することを決めた。
 私は初めこのプログラムは、今まで温室で育ってきた私には未曾有の苦労を強いられるのではないだろうかと思っていた。まず何よりも、畑違いな分野への単身の参加ということが非常に気がかりであった。誰一人とも面識もなく、おそらくこのプログラムが存在しなければ交わることもなかったような人間と10日間も行動をともにするということは、気苦労の種であろうと考えたのだ。他にはこのプログラムを共にするメンバーはネパール人と日本人の6人ずつであり、ネパール人との会話には英語が用いられる。しかしながら私の英語を話す能力といえば赤子にも満たないほどの拙さであり、コミュニケーションを取る上では重大な課題となり得た。さらには異国の地であるネパールとは大きく文化が違うということも非常に気がかりなことであった。特に食べるものである。彼らは熱心なヒンドゥー教徒であり、牛を食すと行ったことはありえない。さらにはヒンドゥー教の教えに不殺生があるがゆえに菜食主義者が多いといったようなことであった。このようの言語の違いや文化の違いといったものは、おそらく大きく人間関係を左右するものであると考えていたのである。
 しかしながら、この心配が必要のないものであったと気づいたのはとても早い段階でのことであった。ネパールでは道路の舗装が追いついておらず、それゆえに車の動きはのろのろとしたものなるために渋滞が起こりやすい環境であり、そのためにバスの移動では長時間にならざるを得なかった。そのおかげでバスの車内ではメンバーと話をし、仲を深める機会となっていた。この時にネパール人との会話をする際は何度か私が聞き返したり逆にこちらが聞き返されたりし、拙いながらもなんとかコミュニケーションを重ねることができた。ある日本人メンバーから言われた、コミュニケーションは言葉じゃなくて話したいと全身でぶつかることが一番大事なことだ、という言葉は今でも胸に残っている。
 食事なども心配することは何もなかった。菜食主義者は日本と違い向こうではありふれているものであるため、それを受け入れ譲り合うことでうまく成立しているように思えた。この譲り合いは何もネパール人同士に限ったことではないだろう。私たちの方がより文化的に遠いところに位置しており、その私たちとも譲り合いをすることでこのプログラム中の良好な関係は保たれていたのではないだろうか。
 さらに私たちは、ネパールの中でも貧困層に位置するマイダン村と言う村にも足を運んだ。初め村人は、おそらく村人以外の人間と接する機会が少ないためか非常にシャイな振る舞いを見せていた。だが子供達と接することを皮切りにだんだんと村人たちに私たちは受け入れられていったように思う。彼らは英語は話せず自分たちの民族の言葉とネパール語のみ話すことができると言うものではあったが、子供達は万国共通なもので会話よりも体を動かして共に遊ぶと言うことに比重をおいており、ともに遊びつつ交流を深めることができた。
 7日目の食事の際、あるネパール人メンバーから言われたことがある。あなたは英語で拙いにもかかわらずに交流しようと言う姿勢を持ち積極的に関わってくれる。それはとても誇らしいことだ、と。兎角自分の殻にこもりがちであった私にこのような言葉が投げかけられると言うのは、非常に喜ばしいものであった。その言葉はそこまでに重ねたコミュニケーションでは多くの言葉を用いずとも、例えて言うのなら心の交流のようなものを多く重ねられていたことの証左であるように思うことができた。
 私はプログラムを通して異文化交流を行うことができたと確信を持って言うことができる。図1のように夜通しトランプをして盛り上がるなどは出発前の自分には全く想像もつかないことであった。ともに語り、ともに笑うということが何よりも重要なことなのだと肌で感じた夜であった。

          



          図1 夜通しでのトランプ


 文化は違えど譲り合い、話そうと言うような姿勢を保つことができればどのような人とも話をし、理解し合えるのではないかといったことを体感することのできたプログラムであったように思う。初めは見知らぬ文化を肌で感じ、その文化について学ぶことを目的に参加したプログラムであったが、プログラムを通して私が感じたことといえば最も大事なものはその文化を形成している人ではないだろうかと言うことである。ここから学んだある種の異文化交流に必要な視点のようなものは今後の自分の人生に何か大きな影響を及ぼすものになるであろうと期待せずにはいられない。

            
            図2 出発前の記念写真

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