2020年10月24日土曜日

バングラデシュ BJEP 2020 (Bangladesh-Japan Exchange Project 2020) 報告書(3) 鈴木ありさ(上智大学総合グローバル学部総合グローバル学科2年)「 BJEP 報告書」

“もどかしい”

 この感情のむず痒さが伝わるだろうか。BJEPが終了した時、私の中にはこの感情が残された。



 BJEPはオンラインを介してバングラデシュの大学生と日本の学生を繋ぎ、「貧困と教育」について議論を交わす8日間の革新的なプログラムだ。私は、新型コロナウイルスによって夏休みの予定がなくなりこのままだと何もせずに大学2年の夏休みを終えることになる、と言った焦燥感に駆られていたところ、BJEPの話を聞き、興味を持ち参加を決めた。オンラインでのイベントというコミットの難しさ、周囲の学生のレベルの高さ、などを感じながら始まったプログラムではあったが、楽観的な性格からこの状況を楽しむことができた。他の優秀なメンバーのおかげでグループワークに苦戦することもなく、大きなトラブルも起きることなく、非常に楽しく有意義な時間を過ごすことができた。プログラムを通して知識を得られただけでなく、バングラデシュの学生との仲を深めることもできた。


 ここまでを見ると、いい思い出として終わっているように思えるが、一度冒頭に戻りたいと思う。


 私はこのプログラムを終えて、率直に“もどかしさ”を覚えた。確かに8日間のアカデミックなプログラムを終えた達成感があった一方で、どこかやりきれなかったような思いを感じざるを得なかった。このもどかしさはどこから来ているのだろう。どうすればもっと達成感やコミット感を感じることができたのだろう。

 それは、自分の伝えたいことを伝えることができなかったが故のもどかしさだった。

ディスカッションは元々嫌いな方ではなかった。授業でのディスカッションにもどちらかと言うと積極的に発言をするタイプであったため、自分の意見を言うことに躊躇いはなかった。しかし、自分の使い慣れない英語でのディスカッションを通して自分の弱みが見えてきた。英語でディスカッションをするのは今回が初めてだった。また、予備知識がほとんどないバングラデシュの話題となると困難を極めた。自分の言いたいことを予め台本のように用意して議論に臨んだ。しかし、ディスカッションと言うのは自分の意見を言うだけでは意味をなさない。相手の意見を聞いてさらに考えたことや疑問を投げかける。この言葉のやりとり、感情のキャッチボールを通して新しい気づきを得る。これは今の私には難易度が高かった。バングラデシュの学生は非常にディスカッションに積極的だった。相手が話したことに対してすぐに自分の意見を返す。活発な議論を交わしたことがあまりなかったために毎日圧倒された。自分も言いたいことが内にはたくさんある。ただそれらをまとめて英語に訳し簡潔に相手に伝えるにはもっと時間が必要だった。言いたいことがあるのにも関わらず伝えられない、この歯痒さを痛感する時間だった。自分がみんなのキャッチボールから取り残されたかのような悔しい、やるせない、そのような思いでいっぱいだった。これは何も英語だったからではないように感じる。もちろん日本語だったらある程度は伝えることができただろう。しかし、思ったことを簡潔にすぐにまとめて話すことは日本語でも難しいことだと初めて思った。

 当たり前のことだが、どれだけ立派な意見を持っていても伝えなくては存在しないのと同じである。日本では自分の意見を持っているだけで評価されることがあり、議論をする機会はほとんどない。これまで気がつかなかったが、他国の学生に比べて伝える力が圧倒的に足りていないのではないか。私も自分の意見を言うだけで満足して他人の意見に耳を傾けられていなかったことに気づいた。あまりに当たり前でたいしたことではないかもしれないが、私にとっては非常にショッキングで自分の成長につながる大きな気づきであった。


 この時まさに国際交流の意義を感じた。他国の人と関わることでこれまで気づかなかった自分や世界と出会い、当たり前の価値観に疑問が湧いてくる。

湧いてくる感情1つ1つに敏感になって自分を見つめ直す。BJEPはそのような機会を私に与えてくれた。この貴重な機会を作ってくれたBJEPに関わった全ての人にこの場を借りて感謝の気持ちを伝えたい。


そして、

これからも私は

“もどかしさ“を感じながら、同時にそれがなくなる日を目指して国際交流を続けていこうと思う。


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