「変われなかった」
新潟県立大学 国際地域学部 国際地域学科 1年
上松 蒼波
このネパール研修は私に今までにない経験と、自分と向き合う機会を与えてくれた。このプログラムに応募したのは、今の自分を変えたい、いつもと違う場所に行って、何か違うことをしたいと思ったことが主な理由だった。その目的が達成されたかというと、正直ノーだ。新潟に戻れば、その場所の生活に戻り、特に変化なし。しかし、ネパール研修中に自分の弱点を見つけ、克服しようとトライした。そして、日本人、ネパール人メンバーからたくさんの刺激をもらった。
ここからは、ネパール研修やネパール研修の前後の出来事から感じた、ネパール人の心の距離と、貧富の基準の二点を述べたい。
ネパール人は人との心の距離が近いと感じた。ネパール人はとにかく思いやりがあって、優しい。これを、ネパール研修中に起きた出来事を通して伝えたい。
研修初日、日本からネパールに行く途中、日本に留学していた一人のネパール人と席が隣だった。彼は「日本人ですか?」と私に話しかけ、会話が始まり、私たちは経由地の香港に着くまでずっと話していた。ネパールに行くのが初めてだと言うと、彼と、同じ飛行機に乗っていた5人の友達が一緒にネパールまでついて来てくれた。その一人は、携帯電話の充電がゼロで絶望的だった私に、彼も充電が少なかったにもかかわらず充電器を貸してくれた。なぜこんなにも親切なのかと彼らに聞くと、「人を助けることが好きなんです、だから」と返ってきた。
ネパール人メンバーと約10日間過ごしていて驚いたのは、ほぼ全員が両親と毎日電話をしていたことだ。なぜなら、私はネパールにいてもLINEのメッセージ機能で連絡を取り合うくらいで、電話するという考えが頭になかったからである。さらに、両親と電話をしていた日本人は二人のみでそれぞれ一度だけであった。私は何を話すのかネパール人メンバーに聞くと、「朝ごはん何を食べた?」「今何している?」といった簡単な内容だと言う。ネパール人メンバーとは今でも連絡を取り合っている。彼らが「元気にしている?」「今何している?」といったメッセージを三日に一度のペースで送ってくれる。日本人とネパール人の連絡の頻度の差、メッセージはいつもネパール人から来て、私が返信するという流れはなぜ起こるのだろうと疑問に思った。もちろん、日本人でもマメな人はいるが、実際にネパールに行ってマメな性格だからといって起こることではないと思った。私は心の距離が近いから起こるのだと思った。ネパール人は相手と交流したい、良い関係を築きたい、困っている人を助けたいというように、周りにいる誰かを視野に入れて行動していると感じた。一方、日本人は他者との関わりが少なく、一人一人が個々に生活しているように感じた。ネパールに来る前、私は積極的で相手との関りを大事にしていると思っていたが、人前で手を挙げて発言するために頭の中で自問自答を繰り返すし、バスでの移動中は英語での会話に疲れ、寝たふりをする自分本位な所があった。ネパールに来て、ネパール人の心の距離の近さとともに自分の弱さも相対的に知ることができた。
次に貧富の基準について。このプログラム中にずっと考えていたことである。私たちは、4日間シクレスという村にホームステイをした。私は正直、この村の生活は貧しいと思った。村では蛇口をひねってもお湯は出ない、寒くてもヒーターはない、毎日毎食ダルバートという名前のネパールカレーを食べる生活である。この村で一生涯暮らしていくのはかわいそうとさえ思ってしまった。しかし、村の人たちに「経済的に、自分の家族は社会的においてどの位置にいると考えますか?」と聞いたところ、質問した二組の家族が平均以上の位置にいると答えた。驚いた。貧しいなんてこれっぽっちも思っていなかった。私は、村の人たちにとって、その生活が当たり前で、村の人たちの中に基準ができているのだと感じた。例えGDPや収入の低さから貧しいと言われても、その人が貧しさを感じていなければ、その人は貧しくないのだと分かった。貧しいか裕福かどうかは一人一人の価値観の中にあり、数字では表せないのだと気づかされた。シクレスでのホームステイは、今回のテーマである「ダイバーシティ」について深く考えさせてくれた。
ネパール研修の最後のプレゼンテーションが終わると同時に、私は頭痛と身体の熱さで倒れそうだった。解熱剤を飲んで少し良くなったので昼食を食べ、みんなと最後の夕食をとった。その夜高熱を出し、カトマンズで3日間入院をした。日本にいるときでさえ入院したことがなかった私が、ネパールという異国の病院に泊まることに不安とわくわくでいっぱいだった。入院中、面白いことがたくさん起こったので二つ紹介したい。一つは、看護師さんについて。私の高熱は細菌が原因で起こったそうなのだが、“What kind of bacteria?”と尋ねると、“general bacteria”と言われた。聞き方に問題があったのかもしれないが、細菌の名前が知りたかった。また、看護師さんが持ってきてくれる病院食には私が選んだメニューに、必ず頼んでいないものがついてきたり、熱を下げるからと言って、スプライトを持ってきてくれたり、何でもアリな病院だった。もう一つは、お見舞いに来てくれたネパール人について。彼は、私が入院中、毎日数回ずつお見舞いに来てくれた。しかし、いつも5分くらい部屋の中を歩いて、“Aoba, are you ok?”と体調を確認して帰る。彼は、私が入院中、毎日数回ずつお見舞いに来てくれた。しかし、いつも5分くらい部屋の中を歩いて、“Aoba, are you ok?”と体調を確認して帰る。彼は、忙しいのに毎日来てくれて、疲れているはずなのに顔に出さなかった。想定外の入院生活は奇妙で面白く、周りの人の支えや愛情を感じた。
最後に、私は自分を変えたくてネパール研修に参加したが、変われなかった。しかし、ネパールでたくさんの人と出会い、笑って、泣いて、怒って生活してきた中で、今の自分に満足している人はほとんどいないと思った。みんなもっとこういう風になりたいと一生懸命なのだと気づかされた。この旅で自分の決めた目標に貪欲に一生懸命に挑戦していこうと決めた。