2020年4月13日月曜日

ネパールMero Sathi Project 2020 2月プログラム 報告書(1)野澤葉奈(慶應義塾大学・法学部法律学科1年)

「異文化理解と助け合い」

 慶應義塾大学・法学部法律学科 1年
野澤葉奈

 春休み始めの十二日間をネパールという国で過ごした経験は、渡航前の期待を上回る、人生の大きな糧となった。馴染みのない景観、文化、生き方に次から次へと触れ、圧倒されていたらあっという間に過ぎたようにも感じるが、一生心に残る出会いと彼らと過ごした時間は濃いもので、その期間が二週間にも満たないなんて信じられないとも思う。全く馴染みのなかった国にいながら、ネパール、日本、ベトナムから集まった学生十五人や行く先々で関わった現地の人々と交流したことで私が感じたことは、違いを認め合った上で友情を育み、問題解決のため協力することの美しさである。ここでは、始めに私が経験した異文化とそこから学んだことついて、次に、その学びを得て助け合うために他者と交流することについて、書き述べていきたい。
 ネパールと日本の違いには、空港に降り立ってすぐに気づく。国際空港がこじんまりしているのも、パスポートをチェックしたスタッフが「ハナ、調子は良い?ようこそ!」とフレンドリーに笑いかけてくれるのも、日本では経験しないことだ。ここから十二日間、一つ一つの違いに毎回大きな、または小さな衝撃を感じたわけだが、私が特に強くに感じた違いは、「柔軟性」と「繋がり」という二つのキーワードでまとめられる。
 まず、「柔軟性」については、人々の生活の仕方からよく見てとれる違いだ。例えば、ひとつ道を渡るにしても東京とカトマンズでは風景が全く異なる。東京では、広い道路を高級車やタクシーが走るところを赤信号が止めると、歩行者たちは残りの秒数を確認しながら渡る。道が広過ぎて時間内に渡りきれない高齢者などのために、真ん中に歩行者が留まるスペースを設ける道路も少なくない。一方、カトマンズでは信号は使われない。車線のある道路も少なく、自由に走り飛ばす車やバイクをくぐり抜けるように、歩行者たちはタイミングを計って道路に出て行くのだ。するとバイクがスピードを落としたり、止まったりしてくれて、それで成り立っている。これは、日本人からすると相当スリリングだし、この話を聞いて危険だからきちんと整備をした方が良いと指摘する人もたくさん出てくるだろう。初めの数日間は、私にとってもこの光景はネパールが後進国ということの表れだった。しかし、ネパールの人々の穏やかさや温かさ、そしておおらかな所を知ったり、彼らから特に事故はないと聞いたり、一度導入されたものの使われ続けないまま廃れた一機の信号機を見かけたりした後で、このカトマンズの人々には、今の譲り合いのシステムの方が適しているのでは、と思うようになった。一見混沌としている交通事情にこのような感想を持ったことは、自分でもとても驚くべきことだが、人々と関わりその世界に触れることで、自分の常識とは正反対の現実も、また貴重な文化だと気づくことができた。また、このようなネパールの混沌とした所や、自由、多様性は、柔軟性と繋がるわけだが、これが規律により実現されている日本の秩序や整然性の良い所も悪い所も映し出す。シクレスという村で学校を訪問した際、同学年のクラス内に生徒の歳の差が五歳もあることが分かった。これは、飛び級をした子と進学が遅れたり復学したりした生徒が混じっているからであるが、個々の生徒の学力や事情に対応せず年齢と学年が規則で固定されていることへの違和感に、ここでやっと気づく人も多いのではないか。日本の規律や秩序を重んじる文化は保証的だし整理しやすい。一方で極端にシステマチックな環境では個人や自由が見失われ、息苦しく感じてしまう。ネパールの人々との文化交流から、このバランスの測り方に関して日本人が学べることは多いなと感じた。
 「繋がり」に関しても、日本とネパールには大きな違いがある。両国の学生とも互いの文化を知ること、伝えることには同じくらい熱心であったが、自文化との繋がりの強さには差が見られた。ネパールでは、伝統衣装は頻繁に身に纏うものだし、百以上の民族が共存するネパール文化では、自民族の代表的な料理を楽しみながら、母語としてネパール語ではなく各民族の言葉を話す人が多い。宗教に関しては、ネパールの学生たちは個々の神々や彼らの神話、儀式やお祭りについて、その数の多さにも関わらず幼少期から自然と基礎知識として文化を受け継いでいる。学生たちの間でも宗教をはじめとする文化への向き合い方はそれぞれだった。無神論者という子もいたし、神話は実際に起きたことを誇張していて、現実ともいえると考えている子もいた。このように考えていながらどうして年に幾度も宗教祭に参加するのだろうか。答えは人と人との繋がりにあると私は思う。私たちのリサーチテーマは「家族観」であったが、いとこやはとこも「兄弟、姉妹」と呼び、一日に何度も両親と電話で話し、一人暮らしなど考えにないネパール人メンバー達と寝食を共にしていれば、家族観が異なることなど明らかだ。日本の自殺率や高齢者の孤独死のデータは、ネパールの人々のフィルターを通して見るとき一層にショッキングで、深刻だ。上京してきてより強くなった所属意識への欠乏感はネパールを知った後では自然なことに思えたし、伝統衣装を着て美しくパフォーマンスするネパール人メンバー達を見て初めて、一度も着物を着たことがないことを悲しく思った。現代の日本人がどれほど「繋がり」に欠けるかは深刻な問題で、ネパールの学生とも話し合っていたが、家族が地理的にも近くに住むネパールと日本では状況や背景が異なるため、ただ家族と連絡を頻繁にとるようにすれば良いという単純な話ではない。ネパールの人から学べる事は沢山あるが、そのまま真似は出来ないのだ。

 これらの気付きや学びは、すべてメンバー達と交流し、議論する中で深まったものだ。プログラムを通して、私達は悩みを打ち明け合い、お互いの支えになり、友情を深めることができた。ネパールで異文化に触れて感じたことはまだまだ書ききれない程あるが、一つ一つの疑問や違いについて丁寧に話し合い、聞き合うことができなければ、人生に影響を与える程の旅にはならなかっただろう。小さな疑問をきっかけに同年代の学生が集い、話すと、他文化への疑問や憧れ、そして自文化への誇りや不満が明らかになり、互いの国が抱える社会問題をどう解決できるかまで議論をすることができた。信号が不要かもしれないと、正反対の価値観を受け入れられたのも、先進国だからと正当化とされがちな日本のシステムに疑問を持てたのも、「後進国」から見て日本が繋がりに欠ける可哀想な国になりうると気付けたのも、異文化と向き合うにあたってそこに生きる人々と深く交流したからだ。信頼できる人々ときちんとコミュニケーションをとった後では、ただ自分達と比較して相手の欠点を指摘し、見習った方が良いと言うのではなく、問題の文化的背景まで話し合って、その文化に他方の文化から改善策として「適応」させる方法はあるかを考える慎重さが持てた。ネパールの日本大使館を訪問したこともあり、自分たちが国を代表する存在になることや、ネパールと日本という二つの国が協力し助け合うことを意識した会話もあった。私たちはただの学生と言われればそれまでだし、このプログラムが両国の外交を代表しているわけでもない。内輪の議論で完結しており、社会問題に実際に取り組んではいない為、将来本当に国を代表して他国の人々と問題解決のために協力するための予行練習になったとも言える。しかし、同時に学生同士二十四時間ずっと過ごし、一生の経験を共にした彼らとの純粋な友情は、実際に社会に出てからではかなわない、今しか築けない関係だったとも思う。いずれにせよ、異文化を理解し助け合うことの力強さを教えてくれたこの十二日間は、人生において大切な時間となった。

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