ベトナムメンバーは、私たち日本メンバーを「外から来た人」ではなく「新しい友人」として受け入れた。英語力の高さはもちろん、他者を理解して受け入れる努力を惜しむことのない人間性を持っていた。そんな環境で、人見知りが激しい性格の私がリーダーの役割を担ったことは大きな挑戦だった。Opening Ceremonyやビンズオン省のリーダーとの会議でスピーチをする機会を得たことも貴重だったが、日本・ベトナムメンバーたちに重要事項を伝える役割を果たすだけでも国際交流の壁を実感する大切な経験となった。当然のことだが一つの物事を私が捉えているように相手が捉えてくれるわけではない。英語という共通言語であっても、私のスキル不足もあり、言語の壁は思ったよりも高く、分厚いものだということを突きつけられた。相手の目を見て、身振り手振り、絵を描きながら、少しずつ、私が見ているものを伝えていく。とてつもないエネルギーが必要だし、伝わったと思ったら、実は全然違かったみたいなオチも待っている。それでも彼らは粘り強く私の話を聞いてくれたし、必死に伝え続けたあの夜中の議論は、私のこれからの糧になると確信を持って言える。うまく伝えられないもどかしさや不甲斐なさも含めて、彼らは私にたくさんのモチベーションを与えてくえた。そして、私たちは次第にプロジェクトを成功させることへの情熱を持つようになった。私が、リーダーとして気付けば最終的に循環型経済に関連した成果物を発表する場を作るためのスケジュール変更交渉を現地の大学の先生にしていたのも、彼らの姿勢に突き動かされたからだと思う。これらの経験から私が学んだことは、私はなにも知らなかったと言うことだ。異文化交流が初めからうまくいかないものだと言うことはセオリーとして渡航前から知ったつもりでいた。しかし、実際に他国に行って、他者と関わってたくさん影響を受け、自分で見て考え、感じて想ったことこそが「本当に」知るということだと、私は学んだ。異文化交流の中で戸惑い、驚き、喜びを感じるのは、それまで知らなかった自分を知って向き合う必要があるからなのだと思う。
私がベトナムで一番考えたのは、「社会を良くするとはどういうことか」という問いである。例えば、大きな通りから少し離れた市場では使用済みの濁った水が直接排水溝に流される光景があった。これに対して誰がどのような態度でこの習慣をどう変化させることができるのだろうか。このプログラムのテーマは循環型経済だった。ベトナム・日本に関わらず、いくらそれについて部屋の中で議論しても、少し街に出れば環境悪化につながる行動が日常化していることを私たち知っていた。私たちは尽きることのない社会課題を作り出す存在でもあり、たくさんの課題の上に成り立つ地面に支えられて私たちは生きている。私たちは私たちを悩ます課題の一部だということから目を背けすぎていると、プログラムを通して強く感じた。そして、その課題に本質的にコミットするということは、不快感や不安定さを感じながらもそれから逃げないことだと思う。良い社会とはなんだろうか。私たちが心地よく過ごせる社会だろうか、悩みなどなく過ごせる社会だろうか。そんな考えるだけで疲れる問いと出会ったのも、それに向き合う覚悟ができたのも、Comfort zoneから脱出したこのプログラムでの経験だからこそだ。正直、14日間で心の底から休めた瞬間はなかった。数え切れない違和感も、乗り越えるどころか連なっていく壁たちも、言語化しきれないたくさんの不安定感も、全ての経験と素晴らしい仲間との出会いが私に私自身を教えてくれた。今、私は自分のComfort Zoneに帰ってきた。家でなにもせず過ごしていると、最後の日のバスでルームメイトが話してくれた話を思い出す。ベトナムメンバーは夜遅くまで友人と話しマーケットに出かけ、朝早くに起きてくる。そのエネルギー源は何かと聞くと、「今この瞬間を全力で楽しみながら1日を生きると、その喜びが明日を生きる糧になる。」と教えてくれた。非常に高い英語力やプレゼン力はもちろん、彼らなりの生き方は、私にとってこれから一生懸命に生きるモチベーションになった。好きになれそうな自分の姿も、真っ直ぐ向き合うのが辛い自分の姿も、とにかく自分は自分でしかないということ。それを受け入れて努力しながら全力で人生を楽しむこと。私がベトナムで過ごした14日間で学んだのは、人生のレッスンのようだ。私は日本についた瞬間から、このレッスンを忘れないようにと必死である。そして、それを糧に自分の人生に無関心だった自分と別れ、新たな旅を計画し始めている。