今回のプログラムは明らかに大きな力に支えられて実現された。ここに全てを挙げてみようと努力する。先生、オーガナイザーや現地の大学の方々、参加者、それに加えて、ベトナムビンズオンの政府の支援もかなりあったと聞いた。日本で支えてくれていた家族・友人・先輩も忘れてはいけない。先生方やオーガナイザーの方が期間中私たちと行動を共にし、プログラム完遂のため力を尽くしていただいた。参加者自身は全力で対話し、交流し、学んだ。今回のプログラムはベトナム日本外交樹立50周年記念の事業として認定され、政府の力をここぞとなく感じた。今回のプログラムで最も大きな力だっただろう。参加者を送り出す人たちは、金銭面はもちろん、不安の中それでも背中を押すことで私たち参加者に力を分け与えた。
これらの多方面の協力のおかげで、約2週間のプログラムを無事に終え、たくさんの学びを得た。テーマであったサーキュラーエコノミーについて深く考え議論することができた。それは大きな成果であり、サーキュラーエコノミーを専門としていない学生がそれをなし得たことの意味はかなり大きいものだと私は考える。サーキュラーエコノミーというテーマは難しかった。高校や大学での研究内容は、先行研究が多くあるものがほとんどだった。しかしサーキュラーエコノミーはほとんどの参加者にとって馴染みがなく、世間にもあまり知られていない概念であったため、お手本が少なく最初はお手上げ状態だったように思う。それでも、自分たちでサーキュラーエコノミー実現のための教育モデルを考えることができた。様々な社会問題の改善策として挙げられる教育について考えることができたのは、私にとって大きな力となった。
しかし、私の夢のことを考えよう。世界への貢献の実感ゼロだった。私自身幼いころから、不平等、貧困、差別が嫌いで、小学生にして世界平和とはどうしたら成し遂げられるんだろうかなんて考えていた。その結果、現在大学で国際開発を学び、国際支援に携わる人間になろうと道を選んできた。ただ、今回のプログラムの中で、自分が世界の安寧に寄与できているなという実感がなかった。苦しかった。参加者との別れのときを除いて、プログラム中私が一度だけ心砕け泣きそうになったことがあった。多分ほとんど泣いていた。それは、この努力の先に私が目指す世界があるのかと不安になったときだった。未だにその答えは出ていないのだが、あのときの私には、この頑張りが世界に貢献する人間になるための基盤だと信じてその場に留まることしかできなかった。頑張りの先に自分の目指すものがあると信じて努力を続けられる辛抱強い人間こそが夢を叶えるのかと思った。短い人生の中で、無駄に思える努力はせず近道だけを通っていくべきなのかとも思った。ただ、私には、自分の使える限りの力、縁、時間を使って、全ての経験を自分の血肉とするというポリシーがある。なんとしてでも今回の経験から自分の将来につながる学びをと、もがいた。
そこで考えたのが、国際協力×サーキュラーエコノミーである。プログラム中に議論することは叶わなかったが、サーキュラーエコノミーと地域発展を同時に実行できるのではないかと考えた。先進国よりも後進国のほうがサーキュラーエコノミー実現に近いのではないかと考えたことがきっかけであった。考えとしてはまだまだ浅いが、この考えに帰着することでようやく今回のプログラムから旨味を得ることができそうである。
プログラムが終わった今、自分自身がもっと大きな力を持ちより多くの人の生活を支えるべきなのか、それとも無力感に駆られながらも支援の現場に立ち目の前の人を支援すべきなのか、進むべき道がわからない。多少の犠牲をはらみながらも大きな力を動かす人間になるか、微力だとしても確実に力を届ける人間になるか、つまり力の使い方である。力を持ったとしてもその使い方次第では、誰かを救い、誰かを殺すのだと思った。今回のプログラムで、自分の中で多くの変化があった。変化は常に力を生み出す。ここで手にした力を今後どのように使っていくかである。「微力」とは、決して私含め世界の全ての個人が微力であっても無力ではないということである。ただ、無力ではないといいつつもあまりに微力な私は、力を蓄えていかなければならないことは自覚している。
活動報告がこのような迷いに満ちたものになって良いのかと思ってはいるが、学生にとって経験を通して得た葛藤ほど価値あるものはないと信じて、これを活動報告とする。
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