2026年2月21日土曜日

BJEP 2025 バングラデシュプログラム報告書(2)「貧困と格差─自分と違う環境の受けとめ方を考える」 筑波大学 社会・国際学群 国際総合学類1年 野澤 沙奈

 はじめに

 今回の研修を振り返ってまず思うことは、とにかく楽しかった、ということ。新しい自分を見つけて、次の一歩を踏み出すのに十分な刺激に満ちた11日間だった。でも同時に、充実した気持ちに包まれる自分は、本当にこの国に向き合えたのだろうかと考えてしまう。14歳で結婚し、小さな部屋の中で相手の家族と一緒に暮らし、スラムの外にほとんど出ることがなく人生を終える人がいる。街頭でインタビューをしていると、その日の出費を日の稼ぎだけで賄う暮らしをしている人も少なくない。圧倒的な貧困。そしてイスラム教の信仰がもたらすカルチャーショックにさらされ続け、すべてを受け止められたのか、私には分からない。

 バングラデシュにいる間、私はある種の興奮状態だった。もともと、体力はある方だが、この期間は少し異常だった。10時から16時までの共通のスケジュールをこなし、17時から個人的な調査にでかける。19時に帰り、突然告げられる予定の変更に対応して24時過ぎまで翌日の準備を他のメンバーと行い、個人調査のデータまとめと論文執筆を3時ごろまで行う。大学の課題をおわらせ、4時に眠る。3日目は体調を崩したが、共通のスケジュールを欠席することはなかった。

個人調査中の私
現地語の回答を訳してもらっている様子


 今思うと、この時に感じていたエネルギーの所以は、新しい物事への出会いに体が驚いていたからだと思う。疲れを全く自覚できないほど。ただ、すべてに全力で楽しく日々を過ごす反面、冷静に物事を観察できていなかったかもしれない。だから今、見たこと、感じたことを落ち着いた頭で振り返りたい。


格差について

 バングラデシュでは、明らかな格差を見た。バラックのような家に住み、明日をも知れぬ暮らしをする人がいる一方、もてあますほどの資産を持ついわゆる富豪もいる。11日という短い期間でその両方に会って話をし、あまりの非日常感にふわふわした気持ちを抱いた。日本で19年間生活した自分の人生を振り返ると、格差を感じる機会はすぐに思いつかなかったが、よく思い出せば意外とあった気がする。例えば、中学受験のために塾に通っていた時、私学を受ける子たちは電動の自転車に乗り、かわいい文房具をたくさん揃えていた。私が通っていた大阪市西成区の公立小学校の友達とは少し違っていた。しかし、そういう日々見る格差にはだんだん慣れてきて、ちょっとずつ感じなくなっていった。当人にとって当たり前になってしまえば、格差に気が付けるのは外からやってきた人だけかもしれない。今回、私自身が「外からやってきた人」になったことで、バングラデシュの中の格差をはっきりと捉えることができた。


とある富豪の家のプライベートプール

スラム地域の家


では、この格差の解消のためには、何が必要か。これを考えるにはバングラデシュの文化をもっと知らなければならない。私の価値基準では、例えば金融サービスやビジネスの形にすることで、財産を持つ者も持たない者もwin-winな関係のまま、富を分配することが望ましいと考えていた。なぜなら、資産の分配もやりようによっては経済的な格差がそのまま社会的地位の格差を生み出すことになってしまいかねないからだ。特に、持つ者が持たざる者に対して一方的に与えるやり方は、かえって、経済的に苦しい人に対する差別を助長するのではないか。しかし、バングラデシュの金融サービスについての個人調査中、多くの人がローンの利子を「حرام(ハラーム:避けるべきこと)」として捉えていたことに驚いた。イスラム法では経済的な援助は個人の善意によって行われるべきであり、収益を生むべきではないという考え方があるのだ。実際にイスラム金融では利子は厳格に取り締まられており、投資に対する配当は、その事業の利益からのみ出され、利益が発生しなかった場合、投資をしても利子を得てはいけないとされている。これは、私の中で望ましい解決策として持っていた考え方がひっくり返った経験であり、「格差」とその解消法についてより考えさせられるきっかけになった。

ハラームについてとりわけ強い語気で話してくれた男性、お茶をごちそうしてくれた


貧困と自分について

 私が貧困問題に関心を持ち始めたのは、中学2年生からである。私の生まれ育った大阪市西成区は、戦後に職業斡旋所が作られたことが由来して、バブル崩壊の時期から現在まで多くの日雇い労働者が生活する。また、労働環境の改善を求めて地元警察と何度も衝突した「西成暴動」の報道をきっかけに全国に野蛮なイメージが広がった。そして今も生活保護受給率が高く、ホームレスが生活する三角公園はたまにテレビで取材される。Youtubeには、倫理観に欠けた人が興味本位で面白可笑しく西成区を取材する動画が蔓延っている。

しかし私は、幼いころは地元について関心がなかった。例えば、私の自宅横の公園で生活していたホームレスの女性がいた。彼女は、登校と下校中で見かける場所が変わるので、さっさと移動するおばさん、通称「ササおばさん」と近所の子どもの間で呼ばれていた。彼女はある時から高速道路の高架下に拠点を変え、警官から注意を受けているところを見たのを最後に、全く見かけなくなった。当時小学生の私は、彼女に対してただ、かわいそうだなと思うだけだった。それどころか、私にとって「ササおばさん」の存在は日常であり、彼女がどんな人で、なぜ路上で生活しているのかを想像することすらなかった。

関心が芽生えたのは、受験して入学した中学で他地域の子と関わり、西成区に対する中傷を自分のこととして捉えるようになってからだ。社会科の授業で、あるグループの「日本のスラム、西成」というタイトルの発表を聞いたとき、初めて強く憤りを感じた。同時に、たしかに貧困に苦しむ人を見てきたのに、ずっと無関心でいた自分が情けなく思えた。私は地域のボランティアを始め、町を知って、無関心でいることをやめようとした。留学生のダークツーリズムに翻訳係として参加したり、ホームレスの方と一緒に花壇整備の作業をしたり、様々な活動をした。この活動では多くの得るものがあった。ホームレスの人に対する偏見を自覚し、平等に接そうと意識すること自体が差別ではないかと悩み、よく考えた。いつの間にか、私は貧困問題を知った気になっていたかもしれない。

 

 バングラデシュで見た絶対的貧困は、西成区の貧困とはまた違っていて、とにかく衝撃を受けた。一面に広がるごみと強いにおい、不衛生のせいか顔にできものがある子供たちがいて、こちらを警戒して見ている大人たちに対しては少し怖いとすら感じてしまった。でも話してみると、子供たちはとても人懐っこく好奇心旺盛で、大人の方もこちらに微笑みかけてくれたり、話しかけてくれたりと、とても優しかった。個人調査の際にも、多くの人が快く協力し、たくさん話をしてくれた。

幼い弟の面倒をみる女の子、たくさん話をしてくれた

スラム地域の入口の様子


そして、月の稼ぎや出費を教えていただき、その暮らしぶりの苦しさを知るごとに、今の自分には何もできないという無力感をおぼえるようになった。また、国を超えて人の気持ちを理解する難しさにも直面した。ある人は、「貧しさは苦しいが、神様を信じているから幸せだ」と話してくれた。この回答の捉え方として、まず現実逃避ではないかと思った。苦しい現状から逃げるのでは、何も改善しないじゃないかとも思った。でも、実際はどうだろうか。この人にとっての幸福と、私の思う幸福な生活は全く違うはずである。ましてや、信教も国籍も、性別も年齢も全く違う人の価値基準を私には到底理解できないだろう。貧困問題を少し知った気になっていた私は、鼻を折られたというか、いい意味で自分の小ささを認識させられた。これから先も、まずは相手を知ろうとする姿勢を忘れず、断定をせず、貧困問題に向き合える人でいたいと思う。そしてゆくゆくは、相手の幸福とは何かを具体的に捉え、大きな変化を与えられるようになりたい。

調査に協力してくれた方のお店

ジェスチャーだけで仲良くなれた子どもたち


教育について

 このプログラムで私の知る教育の意味がまた広がった。印象深いのは、イスラム教式の学校である「مدرسة(マドラサ:学校)」への訪問である。インタビューを受けてくれた生徒たちは、とても利発的で聡明だった。なぜ学ぶのか、という問いかけに対して、イスラム教への理解を深め、Muslim scholarに近づくことで家族にも幸福をもたらすことができるからだと話す子がいた。私は大学生になってから、自分がなぜ学んでいるのかを考える機会が増えた。大学での学びは完全に自分のモチベーションに委ねられている。やらなくても誰にも咎められないし、正直それほど熱心に勉強せずとも卒業できてしまうだろう。それでも勉強を続けるには自分なりの理由を持つことが大事だと思う。マドラサの生徒たちは、朝は4時に起き、夜は23時に眠る。たくさんのことが制限された寮で規律正しく暮らし、毎日11時間勉強をする彼らは、自分たちそれぞれの確固たる理由をもって学んでいた。そんな彼らに刺激されるだけではなく、私がなぜ学ぶのかということを考えされられた。

マドラサでのインタビュー中、生徒たちは非常に熱心に受け答えをしてくれた


 貧困問題という点では、教育は貧困を解決する手段として捉えられる。しかし、教育はバングラデシュでインタビューをした人たちには、あまり重要視されていないようだった。教育を通じて手に職をつけるためのスキルを身につけることや、ひたすら勉強し奨学金を得て国外で稼ぐ力を得ることもできる。私はずっと、教育によって子供たちの未来の選択肢を広げることが重要だと考えてきた。教育を受けて様々な可能性を知ることで、貧困から抜け出すことができるだろうと考えていた。けれど実際の貧困とは、それほど甘い問題ではない。家族や地域の人からの目を気にして、年端もいかぬうちに結婚してしまう女の子や、家族の貧困のために学校をやめて働きに出る子に、未来の可能性を感じさせるのはどれほど難しいだろうか。今日、明日も知れぬ生活をしている人に、十年後の自分を想像してもらうのは容易ではない。彼らにとっては、生活に直結しない学校での教育はさほど重要ではない。現に、インタビューをした子どもたちや、縫製工場の労働者、リキシャの運転手は、学校で学んだ知識が今の生活に役立っているか、という問いに対して答えに詰まっていた。そんな人たちに、勉強は役に立つからと言って、学校をつくったり、勉強道具を渡したりする支援は本当に必要か、ということすら疑問に感じてしまう。

スラム地域にて17歳で結婚をした女の子にインタビューをしている様子

彼女は自分の結婚を「Love marriage」だと言っていたが、近所の人や家族からのプレッシャーも感じていたと話してくれた



例えば、私たちが訪問した現地のNGOが運営するフリースクールでは、年齢の違う子供たちが同じ教室で同じ内容の授業を受けているようだった。学校は学ぶ場所、というより子どもが集う場所となっていた。それが悪いことだとは思わないが、正直勉強する環境が整っているとは言えなかった。この学校に通う子たちに勉強する意味を感じてもらうには、まず良い環境を整備しなければならない。生活に直結する知識を教えたり、関心ある内容を取り入れたりすることで、彼らにとっても教育が意味あるものとして捉えられるようにする必要がある。私たちの価値基準の押し付けは良くないが、何もしないままでは現状はよくならない。教育が重要だと理解させるのではなく、彼らにとっても自然に重要性を感じられるようにする姿勢を持てば、意味のある支援になるのではないだろうか。

NGOが運営するフリースクールにて、インタビューを受けてくれた子供たちは少しシャイだったが私たちと話すことに関心がある様子だった



総括

 今回のプログラムでは、たくさんの刺激を受けて自分の生い立ちや今の自分のことについて、考えさせられた。改めて、他文化に触れる大切さを思い知った。自分と異なる文化に身を埋めることで初めて自分の輪郭が見えてくる。自分の中の固定観念に気づくと、なぜその考えを持っているのかを辿り、また一つ自分について知ることができる。今回出会えたすべての出会いと経験、そして調査に協力してくれたすべての人に感謝したい。

毎日一緒に調査に出かけてくれた二人、とても優秀な方たちでたくさん助けられた

分かりやすくはしゃいでいる私

朝の5時半、作業中に聞こえてきた祈りの音楽を聴きながらスマホをのぞき込む私


 

 

 

 



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