2018年10月4日木曜日

ベトナム VJEP 2018 報告書 (3)備瀨美優 (筑波大学 社会・国際学群国際総合学類2年)


「互いを深く理解すること、そこから得るもの見つけるもの」


筑波大学 社会・国際学群国際総合学類2年
備瀨美優
私は2週間のこのプログラムを経て、非常に多くのことを体験し、貴重な経験をさせてもらった。その中でも特に得たことが2つある。
まず1つ目に、大きな達成感を得たことである。その達成感を与えてくれたのはプロジェクトの1つであった「リサーチ」である。5月12日に初めて日本人の参加メンバーに対面してからいくつものプロジェクトを並行して日本で準備をしてきた。現地で実際にどこまで実現可能かを考え、そのプロジェクトを実施する目的がしっかりと果たせるためにどのような内容にするのかなど、それぞれのプロジェクトをメンバー全員で毎回のミーティングやオンラインでの準備で真剣に行ってきた。その中で、リサーチは、私を含めたメンバー3人が中心となって取りまとめていたプロジェクトであった。
「リサーチ」は、ベトナムの貧困地域において住民にいくつかの質問を行い、そこからその地域がどの程度貧困なのか自らの調査で判断した上で、貧困の度合いと幸福の関係性について考え結論を出すというものだった。日本では、どのような質問なら貧困と幸福を繋げられるような回答を得ることができるか、どのような質問ならインタビューを受ける住民の方が不快な思いをせず答えることができるのか、どのような回答方法が良いか、質問形態はどうするか、現地でのリサーチ以外により回答を得るために他に方法はあるかなど、このプロジェクトを成功させるために非常に多くの可能性や選択肢をメンバーで考えていた。
 このプロジェクトが最も難しかった点は、当日、住民へのインタビューが終わるまでどのような結論に結びつくか全く予想がつかないことである。そのため、日本で最大限に準備をしたつもりでも、プロジェクトが終了するまで安心することができなかった。実際、当日インタビューの対象となる住民の方達を目の前にした時、これまで真剣にメンバー全員で考えてきたインタビュー内容を全く違うものに変えたくなった。それは、自分が抱いていたイメージと対象の方が異なったからだ。外見から想像以上に貧困であることが伝わり、「このような質問をするのは過酷ではないか」「もっと違う質問があるのではないか」など不安だらけになった。最終的には、英語からベトナム語に通訳をしてくれたベトナム学生10人の助けもあり無事これらの質問の回答を得ることはできたが、インタビュー中は緊張と不安でいっぱいだったことを覚えている。
 このリサーチプロジェクトはこの2週間のプログラムの中で私の中で最も気にかかるもので、不安要素なものであった。実施当日、予測不可能なことが起こったり自信を無くしたりもしたが、このプロジェクトの成果に私は100点をつけたい。日本で準備が始まり他のメンバーが中心のプログラムが徐々に形になっていく中、ベトナム側との交渉もつまずいたり具体的なゴールが見えずなかなか進まないリサーチに、自分に責任を感じたり、どのように進めたらうまくいくのか悩んだりすることが多くあった。それでも関先生やアシスタントの大瀬さんに助けていただいて少しでも内容をよくしたり、共にこのプロジェクトの中心で活動した河面さん、山戸さんと諦めずに最後まで取り組んだりした過程に私なりではあるが十分に満足しているからである。もちろん改善点や至らなかった点はある。しかしそれは今回の経験を通してこそ気づけたことであり、このプロジェクトを最後までやり遂げたことで自分に大きな自信を持つことに繋がった。
 得たものの2つ目は、「新たな興味のある分野の発見」である。そもそも私がこのプログラムに参加したのはテーマが貧困と教育という、自分の関心が最もあるものだったからである。しかし2週間を通して新たな関心分野を見つけた。「LGBTと周囲の環境」である。きっかけは自らがゲイであることをオープンにしているベトナムの学生が2名このプログラムに参加していたことである。周りのベトナムの学生もその2人を当たり前のように受け入れており、その信頼関係の上でその内容を絡めたジョークを言ったりしていた。このようにベトナムでLGBTが日本に比べて受け入られていることを肌で感じ、心をオープンにしていることで生き生きと周りに溶け込んでいる2人と共に過ごした2週間を通して、私の中でLGBTの問題について関心が強くなった。ベトナムではどのような背景がこのような社会の環境を作っているのか、同じ東南アジアでも他の国はどのような認識なのか、日本でLGBTの人はどのような息苦しさの中で生活しているのだろうか、などこれまで考えたことのない疑問が浮かびあがってきた。
 このような新たな関心のある分野の発見ができたのもVJEPならではのプログラムの良さがあったからだと感じている。他国での文化や社会的な環境を理解するのに大切なのは、何よりも現地の人と多くのことを話し、互いを深く理解し合うことだと私は考えている。実際このプログラムでの2週間、現地の学生と一日中プロジェクトを行うだけではなく、「おはよう」から「おやすみ」まで、時には同じベッドで仲良く就寝するという生活を続け、これまで海外で経験したことのない友好関係を築くことができた。このような関係が構築できたからこそ、旅行客としてこの国にいるだけでは気づくことのできないベトナムを感じ、得るものも非常に多かったと感じている。
 貴重な出会いと時間を与えてくれたこのプログラムに感謝するとともに、このようなプログラムの運営に関心が湧き、今後AAEEのメンバーとして活動していくことを決意した。より多くの学生にこのようなプログラムに参加してほしいという思い、そして自らをさらに成長させたいという思いを大切に、今後の活動に携わって行きたいと思う。

ベトナム VJEP 2018 報告書 (2)加藤さわね (上智大学 総合グローバル学部2年)

「交流を通して得られたもの」

上智大学総合グローバル学部2年
加藤さわね

 
 私は国際交流が好きであったこと、大学に入り東南アジア地域に興味を持ったこと、さらに今回のテーマである「貧困と教育」についての学びを深めたいと思い、VJEP2018への参加を決めた。しかし、私にとってベトナムは未知の国であり、少し前の私はこの夏にベトナムに行くことになるなんて考えてもいなかった。社会主義国ということは知っていたが、現地の生活はどのようで、ベトナム人とはどんな人々なのか、全然想像することができなかった。しかし、そんな未知の国であったからこそ全てを自分の感じるままに見てこようと思い、期待を胸に渡航した。そして、2週間という短い期間であったが、多くのことを学び、経験した。全ては書ききれないし、自分の中でまだ整理しきれていないことも多くある。しかしこの旅を振り返ると、やはり私にとって一番大きかったものは2週間共に過ごした仲間から得たものであった。
 
私たち日本人メンバー10人とベトナム人メンバー10人はまる2週間同じ宿舎に泊まり、朝から夜まで共に生活した。異国の地で、しかも初めて会う人と2週間も一緒に生活するのは私にとって初めての経験であり、ワクワクと同時に不安もあった。8月16日の夜、私たち日本人メンバーはホーチミンに到着した。空港には何人かのベトナムメンバーとオーガナイザーが「Welcome to Vietnam」や「VJEP2018」と書かれたたボードを持って歓迎してくれ、ホステルに着くと他のメンバーたちも私たちの到着を待っていた。彼らはフライトで疲れきっていた私にも気遣って声をかけてくれ、また、三日前に誕生日だった日本人メンバーの一人にバースデーソングを歌ってくれたことには驚いた。とても初対面とは思えなかった(笑)こんな感じだったので、私の彼らの第一印象はまさに”親切でフレンドリー”であった。そんなベトナムメンバーのおかげで私の中の不安は消し去られ、彼らと過ごすこれからの2週間がもっと楽しみになった。
 チームビルディングから始まり、文化パフォーマンス、ベトナム語クラス、ホームステイなど、私たちは多くの活動を共にした。一日一日が過ぎるごとにベトナムメンバーとの絆と友情が深まっていくのを感じた。そして、一緒に過ごす時間が長くなるにつれ、彼らは”何事にも全力で取り組める人たち”であると分かった。
  最も印象に残っているのが「貧困と教育」に関する活動の彼らの取り組みである。私たちはディスカッションやプレゼンテーションを通し、日本とベトナムそれぞれの貧困・教育問題について考え、さらにビンフック州では貧困家庭へのインタビュー調査を行った。そこでのコミュニケーション能力といいプレゼンテーションスキルといい、彼らの能力の高さには終始驚かされていた。
 また、ある日私はルームメイトと寝る前にベッドで語り合っていた。その時彼女は「私はベトナムを変えるんだ。これは大きな夢だけど、そのために今頑張っている」と言っていた。今まで国を変えるなんて1ミリたりとも考えたことがなかった私は、同じ年代でこんなことを考えている人がいるんだと非常に衝撃を受けた。彼女の熱い思いを聞き、なんとなくで大学に入学し、それに満足していた自分自身をとても未熟に感じた。
 たったの2週間であったが、ベトナムの学生との交流を通して学んだこと、得たものはとても大きかった。自分の力不足を感じることもあったが、ベトナムの学生の何事にも本気で取り組む姿から多くの刺激をもらい、私ももっと前に進んでいこうという気持ちになれた。時には思いっきり楽しみ、時には真剣に語り合い、そして最後には涙を流し、2週間で築いた深い友情と絆は私にとってかけがえのないものとなった。

  VJEP2018を成功に導いてくださった全ての方に感謝を伝えたい。本当にありがとうございました。

ベトナム VJEP 2018 報告書 (1)永島郁哉 (早稲田大学 文学部文学科1年)

                  「南越にて」

早稲田大学 文学部文学科 
1年 永島郁哉
  

目を覚ましました。いつもの天井ですが、昨日までの天井とは違うことが感ぜられてなりません。心地良い感触のベッドが居心地悪く感じるのは何故でしょうか。いえ、おかしいのです。自分はあの散らかったままの部屋に戻ってきたらしいのです。自分は、自分が恋しかったはずのあらゆる物が部屋に横たわっているのに、ちっとも嬉しくないと思いました。ベトナムという、四千キロも離れた土地は、この日本人を祖国から引きはがしてしまったのか、と思うくらいでした。そうこうベトナムについて考えを巡らしていると、自分はこのプログラムから実に多くの財産を、それはまた、自分という奇怪な生き物をそうせしめるために必要なエナジーを得たと思いました。この、記憶を辿る作業は、謂わば自分の、この部屋のように散らかった心情を整理整頓する過程の様なものでした。

*

彼らのおかしな点は真面目で不真面目な点だと思います。自分はこれが矛盾だと言うことを知っていますが、彼らは否定しようもなく、そうでありました。例を挙げると限がないのですが、彼らが大真面目だということは言うまでもありません。ベトナム国内の約六百という学生の中から選りすぐられた十人は、英語運用能力も然ることながら、教養やプレゼンテーション能力までもが、日本人のそれを上回っていまして、自分はこれに何度も脱帽を強いられましたが、その都度、それがエナジーとなりました。彼らに追いつこうと必死になっていた、おっかない顔の自分は幾許か滑稽に映っていたでしょうが、この未熟者を成熟させるのは正にこの瞬間だと言えようと思います。ここで例を挙げるとすれば、やはり、ビンフック省の小学校で行ったティーチングアクティビティが好かろうと思います。この時の自分は感嘆の余り、目を見張って、兜を脱いだ挙句、舌を巻いた、と言っても決して過言ではないのでした。(正に滑稽な顔とはこのことでしょう)彼らの提供する教育は、児童の視線を集める虫眼鏡ような役割をして、アメリカの国道六十六号線か、ドイツのアウトバーンほどの、直進の続く道路といった感じで、視線が注がれるのでした。彼らは道化の達人でもありましたので、どらんどらんと揺れ動く箱の中で、自分は取り残されて、この空白の目には、彼らが伝道師か何か、未だ知らぬ、アウラの塊の様に映ったのでした。
そして、所謂不真面目な部分は、毎晩開かれた言葉遊びや、あの例の、魔法のメロディの初演となった人形劇等々、要するにプログラムから真面目な部分を切り離した余剰であります。毎日腹を抱えて過ごしたなんてことは自分のちっぽけな人生でありましたでしょうか。幼稚園にいた頃、あの馬鹿の雄大君と、幾人かの先生に茶々を入れたその時の可笑しさ以上でしょうか。ともあれ、腹の底からハッハと笑うということは簡単なようで難しいのです。狙って出来るものでもありはしないのです。では何故彼らとの起居はそうも世の中(こう言うと、時たまいくつかの人間は文句を垂れますが、この「世の中」は自分の世界の「世の中」であって貴様たちの「世の中」ではないと言っておきます)の定説を無視したのでしょうか。実は、彼らの「大人の童心」がそれを誘起したのだ、と勘付くのには実に長い時間を要しました。「大人の童心」とは自分自身もよく理解してはおりませんが、その答えのようなものに名前を貸し出すなら「大人の童心」という口回しが、どんぴしゃりだと思います。彼らは、大人ながらに子供なのでした。子供遊びというのは、無責任に遊び散らかす刹那行為ですが、しかし、彼らとの遊びはいつもどこか、アブノーマルな瞬間という意識を孕んでいて、地に足をつけて暴れまわるのでした。それでも、こちらが呆れ倒す程に、尚且つさらに、全てに覆いかぶさって、実に愉快でした。

今回のプログラムでは「貧困と教育」というテーマが設けられておりました。我々がこれに、いかにアプローチしたのか、これもまた興味深い成分だろうと思います。ホーチミン経済大学での講義に始まり、ビンフック省でのフィールドワーク、ホームステイ、少数民族へのインタビュー等、多角的に知識を経ていく過程は実に天晴れでありました。この時に、自分は、何と見事に仕組まれたプログラムに飛び込んだのだろうと思いました。テーマそのものが大変不確実で、朝靄のような朧げさが付きまとっておりましたが、いや、そうだからこそ、実体の無いそれを「掻く」難しさに向き合い、苦悩し、時に克服し、また試行錯誤することが出来たのではないか、と思うのです。(しかもそれを、異国の学生とやってのけたなんて、如何に貴重な時間であったのだろう!)自分自身、このテーマに深い関心を寄せていただけに、得たものは計り知れません。「世界が広がる」とは正にこのことなのかと驚いております。プログラムテーマの余韻は、随分と、この体に纏わりついて離れません。かく言う自分も離れたくないと感じています。

*

以上が、この八月の出来事でありました。整理を始めると、いかんいかん、とばかりに、写真アルバムを見返してしまうように、この場合も、遅々として整序活動は前に進みませんでしたが、しかし、アルバムを一通り眺めた後には、清清しくなるものです。自分はこの余韻たちと抱擁して、また深い眠りにつきました。


追記(九月二十五日)

今でも、ベトナム・日本の参加者と連絡を取り合っております。駿馬のように流れる生活を、それぞれが持っているのにも関わらず、こうしてお互いを気に掛ける様子を見て、大変嬉しく思います。最後に、代表の関大先生には仰山お世話になりましたので、この場で御礼申し上げたく思います。有難う御座いました。


2018年5月4日金曜日

ネパール Mero Sathi Project 2018 2月 報告書(4) 斉藤花歩 (上智大学総合グローバル学部2年)「ネパールで得られた学び」

ネパールで得られた学び

上智大学総合グローバル学部2年
斉藤花歩

  10日間のネパールスタディーツアーに参加し、座学だけでは分からないネパールを知ることが出来た。今回、私がこのツアーに参加を決めた理由として、大学で学ぶ南アジアの文化に興味を持ち始めたことと、学生の間に多くの国へ行き自分の知らない世界を知りたいという思いがあった。また、国際交流ができることも魅力で参加を決めた。本報告書では、プログラムを通じて私が感じたこと、思ったことを述べていきたい。
 私自身、途上国には在住歴もあるため、不安要素が一切ないまま、ネパールに入国した。しかし、そこで最初に驚かされたのは交通事情に関してである。まず何よりも、信号機がないこと。道路が一切整備されてないため、渋滞は日常茶飯事であった。今回のツアーではネパール人メンバーも驚くほどに大規模な渋滞に見舞われた。先の見えない長い道に、車の大行列。しびれを切らした運転手たちが車から降り、たばこを吸うなど、日本では考えられない光景だった。また、車線がないため、逆走する車もおり、さらに渋滞を悪化させていた。カトマンズなど市内に入ると大きな交差点に誘導員が立ち、誘導しているが、それを無視する車は少なくない。ここまで無秩序な交通事情を抱える国は初めて見たので驚きだった。しかし、そのようなときもネパール人は冷静で、ゲームをしたり歌を歌ったりたわいもない話をしてくれた。今思えば、渋滞も一つの楽しみになっていたと思う。
 今回のツアーではパルパ県タンセンから車で3時間のマイダン村にホームステイをした。村では小学校へ訪問したり、村の家に調査に出向いたり、電気や水が当たり前に使える場所ではないところでホームステイが出来たのはとても貴重な経験だった。しかし、村に辿り着くまでの道のりもかなり大変だった。ジープに皆で乗り、細い山道を通るのだが、少しずれていればその下は崖というかなりスリリングなドライブだった。車1台しか通れない道なので、対向車が来ないよう必死で祈っていたのを覚えている。やっとの思いで到着しマイダン村では小学校で多くの子供たちが私たちをお出迎えしてくれた。この村では10年前に学校ができ、1~8年生まであり50人ほどの子どもが通っている。最初は照れて近づいてさえくれなかった子どもたちが、最後はぴったりと寄り添うまで打ち解けた。村の子どもたちは皆、優しくそして逞しかった。鶏を素手でつかんだり、早朝から水を組むために足場の悪い道を通りながら大きな水タンクを背負って何往復もしていた。蛇口をひねれば水がでて、スイッチを押せば電気がいつでもつくのが当たり前である私にとって、での光景はすべてが新鮮だった。また、村での調査は、彼らを知るうえでとても有意義な時間だった。私たちが調査した女性は、夫は元々姉の結婚相手であり、姉との子どもと自分の子ども合わせて6人を育てている。夫はマレーシアに出稼ぎにいっており、仕送りは不定期なため、ローンを組んでそのお金で子供たちを学校に通わせている。彼女は、子供たちには教育を受けさせたいと言っていた。その理由に、彼女の父親は、8歳のころから家が貧しかったために住み込みで他の家のお手伝いをし、ご飯を食べさせてもらう代わりに教育を受ける機会を与えられなかったそうだ。そのため、彼女は父の体験から、子供たちにはいい教育を受けさせ、よい職についてほしいと心から願っていた。


 村での生活はとても穏やかだった。しかし、調査で村の人の話を聞くことで、どのような問題を村の人が抱えているのかを知ることが出来た。村に小学校ができて10年たったが、8年生までしかなく、ネパールでは10年生までの教育を受けた人を対象とするSEEとい国家試験を受けなければ大学どころか良い職にも就くことが出来ない。マイダン村の隣の村まで片道歩いて2時間かけたところに9、10年生の学校があるが、地理的にかなり遠いため通い続けるのが難しく、現実ではほとんどの子どもは8年生で終え、村の中で結婚をする。この村で問題とされるのが、貧困の連鎖が続いていることだ。教育を受ける環境が整っていないことと、村からでること自体が少なく、閉鎖的になっていること。そして、地理的に市場経済を持ち込むのが難しい。その結果良い教育を受けても、職が村の中にはないのが現実だ。
 私は大学の講義で、南アジアに関する講義をいくつか受講をしていたためネパールについても触れることは多かった。しかし、内容はどれもアジア最貧国、男女差別、カースト制度など、かなり悪いイメージをもつようなものばかりだった。しかし、実際に渡航して感じたネパールは温厚な人が多く、穏やかでのんびりした国だった。そして何よりもホームステイをしたマイダン村の人々の優しさは忘れられない。また、今回いくつか学校を訪問したが、その際お茶を用意してくださり、もてなす心が印象的だった。ネパールに実際に行き、私は多くの人の優しさを感じることが出来、自分が普段当たり前に感じていたものが、この国では当たり前ではないことを何度も思い知らされた。そして、自分がどれだけ恵まれているか、そして何をすべきか自分自身を見つめなおすきっかけになった。


ネパール Mero Sathi Project 2月 報告書(3) 浦江香菜子 (上智大学 総合グローバル学部1年) 「ネパールで学んだ人の温かさ」

ネパールで学んだ人の温かさ

上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科1年
浦江 香菜子

 このスタディーツアーを友人から紹介されるまで、私は自分がネパールに行って現地の学生と交流するなんて思ってもみなかった。しかし、私は大学入学時から児童労働や子どもの教育などに関心があった。授業で一方的に聞くことしか出来なかったネパールの生活を実際に見て体験するというのは非常に貴重な経験であり、このチャンスを逃してはいけないと直感的に感じすぐに参加を決意した。ツアーを終えた今、私はこのツアーに参加してよかったと心から思っている。また、この素晴らしいツアーを企画・運営してくださった方々をはじめ、共に2週間を過ごした仲間たち、そしてネパールで出会った全ての人々に感謝したい。
 ツアーのなかで様々な場所を訪れ色々な人と交流したが、その中で最も印象深いのがマイダン村でのホームステイだ。マイダン村に向かうジープの想像を絶する揺れに生命の危機を感じつつ、私は村でのホームステイへの期待と不安を膨らませていた。水も電気も十分ではない生活とははたしてどのようなものなのか、村の食事は口に合うだろうか、トイレはちゃんと使えるのだろうか。心配事も多かったが、結論から言えば何も問題はなかった。懐中電灯(できればヘッドライト)とペットボトルの水さえあれば村の生活は何の支障もなく、むしろ村人同士で協力しながらゆったりと過ぎていくマイダン村の生活は、慌ただしく過ぎ去っていく東京での生活よりもずっと豊かなように感じたほどだ。


 村でのホームステイで強く感じたのが人との交流が生活にもたらす喜びである。最もそれを感じたのが村の学校の子ども達と遊んだときだ。世界のどこであっても子どもは明るくどこまでもピュアであり、その笑顔は人を幸せにすると私は考える。村の子ども達も最初は私たちを警戒して、近づいても逃げられてしまったが、だんだんと心を開いてくれて、2日目には何人もの子供たちに囲まれて逆に離してもらえないほどだった。女の子たちはとても手先が器用で私の髪をきれいに結んでさらに花を編み込んでくれたり、手遊びやネパール式の鬼ごっこを教えてくれたりした。男の子たちは元気でいたずら好きな子が多く、手の中に虫やゴミや生の唐辛子を隠し持って私に渡してきたり、木の枝を銃に見立てて撃つマネをしてきたり、カメラに興味津々で撮ってほしいといった様子で近づいてくる子もいた。子ども達はもちろんネパール語を話し、英語さえほぼ通じない。私が知っていたネパール語は「Namaste (こんにちは)」「Dan’nyabado(ありがとう)」「Mero Sathi (私の友達)」の3つだけだったが、これで十分コミュニケーションをとることができた。子供たちが私の腕や手を触りながら繰り返し「Mero sathi」と言って笑顔を向けてくれたことはかけがえのない思い出となった。この体験は、英語が苦手でネパール人メンバーとの会話にくじけそうになっていた私を勇気づけ、「もっと交流を楽しまないと!」と気持ちを奮い立たせてくれた。他者と交流することの喜びや温かさは生きていくうえで 非常に重要であると再認識させられた。
 村の子ども達と遊んだ時間はとても楽しく癒されたが、子ども達と近い距離で交流したからこそ見えてくる課題もあった。多くの子ども達は学校の制服を着ていたが、服はボロボロでところどころ破けていた。また、多くの子の肌は乾燥し手荒れをしている子も目立った。風邪が流行っていたのか鼻水を垂らしたままの子も多く、健康管理をはじめとする衛生面の問題を実感した。ネパールの学生さんたちが手の洗い方を子ども達に教えるプログラムを用意してくれていたが、そのような基本的な衛生管理が村では徹底されていないということがわかり、何か私たちもサポートできることがないかと日本に帰ってきた今でも考え続けている。マイダン村のように都市から切り離された自給自足の生活を行う村に継続的な支援をすることは非常に難しい。それは地理的問題から経済的問題まで様々な要因が絡み合っている。私のような一大学生にできることなどあるのかと悲しくなるが、そもそも貧困からくる諸問題の解決策について時間をかけて考えるというのが大学生活における私の目標であり、現在の学部を選んだ理由である。今すぐに答えが出なくても、今回のツアーで学んだことを常に心に留め、大学での残りの3年間を意義のあるものになるよう努めたい。
 今回のツアーによって、自分自身の課題についても見えてきた。それは語学力と積極性だ。私は海外で暮らした経験もなく英語は何とか日常会話が出来る程度だったため、つい英語が堪能な日本人メンバーに頼ってしまった。また自分からネパール人メンバーに話題を提示することができず、相手からの質問にも何度も聞き返して何とか答えるという完全に受身な状態であった。ネパール人メンバーとはお互いの国の文化などをたくさん話したが、自分にもっと語学力や積極性があればさらに深い話や意見交換が出来たはずだと思うと、もっと英語を勉強して行くべきだったと後悔している。次回このようなプログラムに参加する機会があれば、現地の学生とより深いコミュニケーションをとれるように英語の勉強に加えてお互いの国の歴史や政治などについてしっかりと勉強して行きたい。語学力も積極性もこれから生きていくうえで必ず必要となる力であり、ネパールで学んだことを
決して忘れずに今後の経験に役立てていきたい。

2018年5月3日木曜日

ネパール Mero Sathi Project 2018 2月 報告書(2) 宮尾直哉 (東京理科大学基礎工学部 材料工学科 2年) 「異文化、異分野での交流」

『異文化、異分野での交流』

東京理科大学基礎工学部
材料工学科2年 宮尾直哉
 今回このプログラムを知ることになったのは前回の参加者に友人がおり、その友人に発表を見にこないかと誘われ見に行ったことに端を発している。合縁奇縁なもので、この時にはまさか私が次に参加する立場になるとは夢にも思っていなかった。ネパールに行く前の私が知り言えるネパールについてのことといえば山勝ちで山羊が多く、あまり裕福な国とはいえないというような表面をなぞるようなことのみであった。今後訪れる機会も早々ないような異国の地の雰囲気や文化を肌で感じるまたとない機会であると考え、私はこのプログラムに参加することを決めた。
 私は初めこのプログラムは、今まで温室で育ってきた私には未曾有の苦労を強いられるのではないだろうかと思っていた。まず何よりも、畑違いな分野への単身の参加ということが非常に気がかりであった。誰一人とも面識もなく、おそらくこのプログラムが存在しなければ交わることもなかったような人間と10日間も行動をともにするということは、気苦労の種であろうと考えたのだ。他にはこのプログラムを共にするメンバーはネパール人と日本人の6人ずつであり、ネパール人との会話には英語が用いられる。しかしながら私の英語を話す能力といえば赤子にも満たないほどの拙さであり、コミュニケーションを取る上では重大な課題となり得た。さらには異国の地であるネパールとは大きく文化が違うということも非常に気がかりなことであった。特に食べるものである。彼らは熱心なヒンドゥー教徒であり、牛を食すと行ったことはありえない。さらにはヒンドゥー教の教えに不殺生があるがゆえに菜食主義者が多いといったようなことであった。このようの言語の違いや文化の違いといったものは、おそらく大きく人間関係を左右するものであると考えていたのである。
 しかしながら、この心配が必要のないものであったと気づいたのはとても早い段階でのことであった。ネパールでは道路の舗装が追いついておらず、それゆえに車の動きはのろのろとしたものなるために渋滞が起こりやすい環境であり、そのためにバスの移動では長時間にならざるを得なかった。そのおかげでバスの車内ではメンバーと話をし、仲を深める機会となっていた。この時にネパール人との会話をする際は何度か私が聞き返したり逆にこちらが聞き返されたりし、拙いながらもなんとかコミュニケーションを重ねることができた。ある日本人メンバーから言われた、コミュニケーションは言葉じゃなくて話したいと全身でぶつかることが一番大事なことだ、という言葉は今でも胸に残っている。
 食事なども心配することは何もなかった。菜食主義者は日本と違い向こうではありふれているものであるため、それを受け入れ譲り合うことでうまく成立しているように思えた。この譲り合いは何もネパール人同士に限ったことではないだろう。私たちの方がより文化的に遠いところに位置しており、その私たちとも譲り合いをすることでこのプログラム中の良好な関係は保たれていたのではないだろうか。
 さらに私たちは、ネパールの中でも貧困層に位置するマイダン村と言う村にも足を運んだ。初め村人は、おそらく村人以外の人間と接する機会が少ないためか非常にシャイな振る舞いを見せていた。だが子供達と接することを皮切りにだんだんと村人たちに私たちは受け入れられていったように思う。彼らは英語は話せず自分たちの民族の言葉とネパール語のみ話すことができると言うものではあったが、子供達は万国共通なもので会話よりも体を動かして共に遊ぶと言うことに比重をおいており、ともに遊びつつ交流を深めることができた。
 7日目の食事の際、あるネパール人メンバーから言われたことがある。あなたは英語で拙いにもかかわらずに交流しようと言う姿勢を持ち積極的に関わってくれる。それはとても誇らしいことだ、と。兎角自分の殻にこもりがちであった私にこのような言葉が投げかけられると言うのは、非常に喜ばしいものであった。その言葉はそこまでに重ねたコミュニケーションでは多くの言葉を用いずとも、例えて言うのなら心の交流のようなものを多く重ねられていたことの証左であるように思うことができた。
 私はプログラムを通して異文化交流を行うことができたと確信を持って言うことができる。図1のように夜通しトランプをして盛り上がるなどは出発前の自分には全く想像もつかないことであった。ともに語り、ともに笑うということが何よりも重要なことなのだと肌で感じた夜であった。

          



          図1 夜通しでのトランプ


 文化は違えど譲り合い、話そうと言うような姿勢を保つことができればどのような人とも話をし、理解し合えるのではないかといったことを体感することのできたプログラムであったように思う。初めは見知らぬ文化を肌で感じ、その文化について学ぶことを目的に参加したプログラムであったが、プログラムを通して私が感じたことといえば最も大事なものはその文化を形成している人ではないだろうかと言うことである。ここから学んだある種の異文化交流に必要な視点のようなものは今後の自分の人生に何か大きな影響を及ぼすものになるであろうと期待せずにはいられない。

            
            図2 出発前の記念写真