「南越にて」
早稲田大学 文学部文学科
1年 永島郁哉
目を覚ましました。いつもの天井ですが、昨日までの天井とは違うことが感ぜられてなりません。心地良い感触のベッドが居心地悪く感じるのは何故でしょうか。いえ、おかしいのです。自分はあの散らかったままの部屋に戻ってきたらしいのです。自分は、自分が恋しかったはずのあらゆる物が部屋に横たわっているのに、ちっとも嬉しくないと思いました。ベトナムという、四千キロも離れた土地は、この日本人を祖国から引きはがしてしまったのか、と思うくらいでした。そうこうベトナムについて考えを巡らしていると、自分はこのプログラムから実に多くの財産を、それはまた、自分という奇怪な生き物をそうせしめるために必要なエナジーを得たと思いました。この、記憶を辿る作業は、謂わば自分の、この部屋のように散らかった心情を整理整頓する過程の様なものでした。
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そして、所謂不真面目な部分は、毎晩開かれた言葉遊びや、あの例の、魔法のメロディの初演となった人形劇等々、要するにプログラムから真面目な部分を切り離した余剰であります。毎日腹を抱えて過ごしたなんてことは自分のちっぽけな人生でありましたでしょうか。幼稚園にいた頃、あの馬鹿の雄大君と、幾人かの先生に茶々を入れたその時の可笑しさ以上でしょうか。ともあれ、腹の底からハッハと笑うということは簡単なようで難しいのです。狙って出来るものでもありはしないのです。では何故彼らとの起居はそうも世の中(こう言うと、時たまいくつかの人間は文句を垂れますが、この「世の中」は自分の世界の「世の中」であって貴様たちの「世の中」ではないと言っておきます)の定説を無視したのでしょうか。実は、彼らの「大人の童心」がそれを誘起したのだ、と勘付くのには実に長い時間を要しました。「大人の童心」とは自分自身もよく理解してはおりませんが、その答えのようなものに名前を貸し出すなら「大人の童心」という口回しが、どんぴしゃりだと思います。彼らは、大人ながらに子供なのでした。子供遊びというのは、無責任に遊び散らかす刹那行為ですが、しかし、彼らとの遊びはいつもどこか、アブノーマルな瞬間という意識を孕んでいて、地に足をつけて暴れまわるのでした。それでも、こちらが呆れ倒す程に、尚且つさらに、全てに覆いかぶさって、実に愉快でした。

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以上が、この八月の出来事でありました。整理を始めると、いかんいかん、とばかりに、写真アルバムを見返してしまうように、この場合も、遅々として整序活動は前に進みませんでしたが、しかし、アルバムを一通り眺めた後には、清清しくなるものです。自分はこの余韻たちと抱擁して、また深い眠りにつきました。
追記(九月二十五日)
今でも、ベトナム・日本の参加者と連絡を取り合っております。駿馬のように流れる生活を、それぞれが持っているのにも関わらず、こうしてお互いを気に掛ける様子を見て、大変嬉しく思います。最後に、代表の関大先生には仰山お世話になりましたので、この場で御礼申し上げたく思います。有難う御座いました。
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