2017年10月8日日曜日

ベトナム VJEP 2017 報告書 (5) 挾土沙詠(上智大学総合グローバル学部1年)「コミュニケーションと協力」

VJEP 2017-ベトナムプロジェクト報告書(5)
「コミュニケーションと協力」

上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科1年
挾土 沙詠


プログラム初日、成田空港で初めて日本人メンバーが全員集合した際、私は期待で胸を膨らませていた、とは言えない。心の中は不安で支配されていた。理由は、準備が予定通りに進まず、渡航前に終わらせなければならない準備を追われないまま初日を迎えてしまったこと。そしてその結果、本来渡航前にすべきことをプログラム開始後に取り組まねばならず、プログラムを壊してしまわないだろうかと心配していたことにある。私の不安は的中し、最初の数日間はとにかくドタバタの連続であった。しかし、今こうしてプログラム全体振り返ってみると、わずか2週間にしてはとてつもなく多くの体験をし、正直、限られた字数では書ききれないほどの学びを得た。本報告書においては、私が特に強く感じたことに絞り、3つ取り上げて述べようと思う。
 
1. 異文化交流を通じたコミュニケーションについて
 ベトナムメンバーと初めて対面した際、特に2日目の夕食時、改めて自分自身の英語力の乏しさを痛感したと同時に、対話能力が乏しいことに気づいた。というのは、英語が喋れるか否かという問題以前に、会話を長く続けなければならない状況になったとき、会話を続ける力や弾ませる力、話題を作る力が欠けていた。そのために、会話に微妙な間ができてしまったり、そもそも何を話せばいいんだろうということを考え込んでしまうことも珍しくなかった。振り返ってみると、私は日本でも初対面の人と会話を続けることが苦手であるし、電話をかけることも好まないなど思い当たる節はいくつもある。しかし、これまではいつも楽で居心地のいい空間にいたために気づかなかっただけだ。今回、自分が得意としない英語で話さなければならないという状況に陥って、自分自身の問題点を露骨に感じることとなった。英語で自分のことを表現する力に加え、相手を楽しませる力や、ちょっとした配慮やユニークさが重要だと感じた。
 その一方で、自分の弱点を補うために、非言語表現や感情を共有することによるコミュニケーションの可能性を強く感じた。それは例えば、歌やダンス、楽しさ、怒り、むなしさのような感情を共有する体験である。特に私はダンスが好きで、このプログラムに向けて力を入れて準備してきたこともあり、対人コミュニケーションにおいてダンスが果たす力にの大きさには驚いた。日本人メンバー間でも、ダンスが得意な人も苦手な人もいる中で、最初は見るも無残な状況であったが、現地で練習を重ねる内に上達した。嬉しかったのは、私たちが練習する様子を見たベトナムメンバーが本当に喜んでくれ、私たちのの歌やダンスパフォーマンスを覚えて一緒に参加してくれたことである。さらに、私たちもベトナムで有名な歌の踊りを踊ったり、夜に一緒に歌ったりしたことを通して、言語以外の方法で心が解放され、一気にベトナムメンバーとの距離が縮まるような感覚がした。そこに私は異文化間における表現を通した交流の可能性を感じた。活動中に意見が分かれたり、日常とかけ離れた体験の中で様々な問題も発生し、複雑な雰囲気が漂ったこともあった。そんな時にも歌やダンスの力は大きかった。私自身心の支えとなったし、何よりもその時間はメンバー皆の心がつながった感覚になった。表現によるコミュニケーションは、直接心に響く即効性のある共感を生み出し、大きな効果があるように思う。私は、最終的に一番交流の中で大切なものは互いに互いを表現しあい、共感、共有することなのではないかと感じた。

2. チームワーク
 プログラムではチームで活動する場面がたびたびあった。ベトナムメンバーとの共同活動をうまく行うためにも、まずは日本人同士の連携が重要であった。プレゼンテーションや劇、パフォーマンス、その他にも普段生活を送ることでさえチームで動く必要があったからだ。このプログラムを通して、どうすればチームがうまく動くのか、自分の役割は何か、またその責任について考える機会が多くあった。特に、ベトナムメンバーのチームワークや、パフォーマンス力がとても素晴らしかったため、考えさせられることは多くあった。
 プログラムが始まる前の準備段階では、なかなか皆が集まれず、それぞれが忙しい中で仕事を分担し各自でこなす必要があったが、冒頭にも書いたようにプログラム開始までに十分な準備を終えることができなかった。そして、プログラム中に準備不足が浮き彫りになり、やりきれなさや未熟さをとても感じた。私自身も自分のことでいっぱいになってしまい、自分の中にあるみんなに伝えたいことや素直な気持ちを他のメンバーにうまく伝えられなかったし、さらに、与えられたプログラムを「こなしている」感覚があり、それについての不安や違和感を抱えたまま過ごしてしまっていた。今になってこのことを少し悔やんでいる。この経験から学んだことは、チームワークよく動くためには、当たり前のことではあるが、互いのことを気遣い自分の役割をしっかりと認識し、且つその役割に責任を持つ必要性があるということである。そのためには互いの信頼関係が欠かせず、さらにその信頼関係は十分なコミュニケーションを通して築かれるのだろう。
 私はプログラム中、雰囲気を壊してしまうことを恐れて自分の意見を言わなかった。今思えば、もっと自然体で、思ったことを率直に言えばよかったと思う。さらに言えば、皆が自分の正直な意見を言い合い、互いの意見を尊重し合える集団こそがどの分野においても必要なのだと思う。

3. 協力の難しさ
 ビンフック省での滞在中、ベトナムオーガナイザーとビンフック省の政府の方々が対立するという場面があった。それはスケジュールの変更やベトナムメンバーに対する待遇に対してのものであった。そのトラブルを通して、私は立場の違う人々が協力してプログラムを作り上げることの難しさ、複雑さを知った。今回のトラブルにおいては、すべての関係者がプログラムを成功させるために行動したが、立場や考え方に相違があったことから対立が生まれたというのが私の見解である。
 政府の方々はよりよいプログラムを作り上げるために決定したと思うし、オーガナイザーの学生たちは私たち日本メンバーやベトナムメンバーのことを第一に考えて行動していた。プログラムをよりよいものにしたいという目的が同じであっても、その人の社会的背景や立場によって考え方は異なり、最優先事項も異なる。人々は様々な視点を持っていて、重要だとみなすことも異なる。今回はそれに加えて、プログラムの関わってきた人々がこれまで培ってきた「価値観」という心の奥底までがかかわっていた。様々な価値観を持つ異なる集団が協力して同じ目的を果たすためには、相手の考え方を受け入れる寛容さ、違う立場の人々を尊重する態度、柔軟に物事を考えること、そして信頼関係が必要だと感じた。同時にそれがいかに難しいことかということもを痛感した。これは、多くの国際協力の場面でも当てはまり、私はこれからこのことを真剣に考えていかなくてはならないと思った。日本とは異なる政治体制、社会主義であるベトナムから学んだことは私に様々な課題を与えてくれたような気がしている。

 以上の三点を振り返って改めて思うのは、コミュニケーションの多様さ、重要さ、難しさについて学ぶことが多くあったということである。「交流」という言葉は、概念が明確でなく、このプログラムに参加する前まであまり注目していなかった。しかし、この「交流」を目的としたプログラムを通して、間違いなく貴重な経験をし、大切な人々に出会うことができた。また何よりも大きな収穫は、やさしさとパワフルさ、賢さを備えた素晴らしいベトナムメンバーとオーガナイザー、日本メンバー、サポートしてくれた方々、訪問した学校の生徒、出会うことができ、時間と様々な体験や想いを共有することができたことである。多くの刺激を受け、自分について見つめ直すことができ、今後学ぶべきことを明確化することができた。これからも彼らを通して学ぶことは多いだろう。
 終わりに、このような場を作ってくださった関先生や、日本のAAEE学生アシスタントの先輩方、ベトナムのオーガナイザー、メンバー、日本のメンバー、すべてのサポートしてくださった方々に感謝申し上げます。

2017年10月6日金曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 8月 報告書 (4) 安蔵啓(成蹊大学法学部政治学科3年)

Mero Sathi Project 2017 8月 報告書(4)

「ネパールスタディーツアー報告書」

成蹊大学法学部政治学科3年 安蔵啓

「ナマステ」この言葉を発するときに、私はいつも笑顔であった気がする。それが「こんにちは」でも同じであろうか。2017年8月は総じて笑顔が多かった。それは私がネパールに居たからなのかもしれない。そう思えるほど私はネパールに恋をした。本報告書において、私がネパールに滞在して感じたことを基に考えたことを記す。

ネパールと日本の差異
 「異文化交流」「多文化共生」これらは近頃話題の言説である。以前と比べて日本に居ても海外の人を多く見かけるし、私たちが海外へアクセスすることも容易になった。ネパールにおいてもそれは同様である。大学生活では上記の言説について学ぶ機会も多い。「多文化共生」「多文化主義」はカナダやオーストラリア、ドイツで盛んに議論されている。今後日本でもよりそのことについて考えなければならない状況になるのは自明である。多文化共生について考えるにあたり、私は日本とネパールの相違点について考えた。特に食事と言語に着目して考えた。
 ネパール人は一日に二度食事をとることが多く、ダルバートを主食とすることが多い。その際にスプーンなどではなく、手で食べることも多い。また1つの皿で盛り付けられることも特徴である。日本では三回食事をとることが基本である。また現代の日本人は米食以外に麺類やパンなどをはじめ小麦を主食とすることも多くなった。食事の際には箸、スプーンなどを用いる。
 私には、食事は日本もネパールも本質的には同じである様に感じられた。しかし、小さな違いの与える影響の大きさも痛感した。それは日本食を食べた時である。あるネパール人メンバーが天丼のつゆを「甘辛い」と表現したのだ。彼らにとって、甘いと辛いが一つの料理の中に共存することが不思議な様だ。普段私が意識したことのないことに気が付かされた一コマであった。実は、味付けの繊細さや複雑さ、或は細々とした食事作法は生活習慣を含めた文化、伝統に結びつくのである。味にせよ作法にせよ細かく規定されることで、食事や料理に目には見えない風味であり、見た目の美しさであり、バラエティーをもたせるのである。私にはその様に感じられた。
 しかしこのバラエティーに何かの意味があるわけではない。例えば米粒を残さない事は「もったいない」という観点から日本で大切にされる。しかし、そこに価値があるというわけではないのだ。習慣として「それはそれである」ということに過ぎない。即ち、ネパールにおいてそれがなされていなくとも私たちがその行為を評価するに値しないのだ。重要なのはどちらかが優れているとか素晴らしいとかではく、その違いを単に認識することである。無意識のうちに自分の尺度で測るのではなく、ありのままを脚色せずに受け付けることが大切だと考えた。
 次いで言語についても考えた。ネパールで話される言語は多数存在する。私の知る限りでも「ネパール語」「グルン語」「ヒンズー語」「英語」など多岐に渡る。多民族国家であるネパールでは言語も民族と同じく多数存在するのだ。それの良しあしについてここでは問題にしない。私が着目したのはヘゲモニー言語としての「英語」や「ヒンズー語」の存在がネパールにどう影響しているのかということである。私たちはネパール人メンバーと英語でコミュニケーションを図った。不十分な英語でも何とか意思疎通することができた。しかしネパールの現地人との会話には難儀した。英語が通じず、英語の質問にネパール語で返事をされることもあった。不便である。英語話者が来日した際に「日本では英語が通じない」とよく言う。きっと日本も私がネパールで感じたような不便を非日本語話者に感じさせる社会なのであろう。
 しかし、非ネパール語話者に不便であるその状態は「克服」されなければならない社会課題なのであろうか。私は必ずしもそうだとは考えない。「グローバル社会に英語は不可欠」だとよく言われる。そこへの賛否は分かれるが、英語が話せる方がコミュニケーションを取りやすいことは事実である。容易なコミュニケーションを目指すことは否定しない。しかし、そのことによって固有の言語が衰退することは避けなければならない。ネパールではヒンズー語のテレビ番組を見ることが当たり前だそうだ。「これは由々しき事態ではないか」私にはそう思われた。娯楽へのアクセスに母語ではない言語を要することが、果たして健全であろうか。このままだとネパール語の価値が否定されてしまうのではないだろうか。ビジネスには英語、娯楽はヒンズー語という状態を野放しにすることはネパール語の衰退を招きかねない。ネパールに滞在して貴重な言語・文化を残すことが重要だと感じた。その合理的方法は存在しないかもしれない。それでもネパール語の衰退が起こらないように気を付けなければならないと考える。

 「40年前のカトマンズを見たい。」その一言は私の手に目頭を覆わせた。ないものねだりではあるが、時間に逆らうことはできない。時間だけでなく、金や権力にまで束縛される人間はもう「ヒト」ではなくなったのかもしれない。なぜ生きるのか、何をするのか、何でいるのか。改めて考えるいい機会であった。
本プロジェクトに携わった全ての方に「笑顔」でありがとうを伝えたい。そう思えるツアーであった。

2017年10月5日木曜日

ベトナム VJEP 2017 報告書 (4) 畢暁慧(上智大学総合グローバル学部1年)「AAEE VJEP 報告書」

VJEP 2017-ベトナムプロジェクト報告書 (4)

「AAEE VJEP 報告書」 

上智大学総合グローバル学部
1年 畢 暁慧 

初めてのベトナムへの渡航。このプログラムにおけるベトナムでの二週間にわたる生活は、終始忙しく、想像を絶する疲労を参加者全員が感じていたと思う。だがしかし、一緒に渡航した仲間や現地の参加者と共に、充実した日々を過ごすことができ、またベトナムでの生活を満喫することができたということも事実である。ベトナム側の参加者、そして日本側の参加者が共に生活をし、親睦を深め、この企画をやり遂げたということはこれから国際社会への参加を志している者にとって重要な糧となると信じている。今回の渡航でわたしたちは、ホーチミンとビンフックの二つの地域に滞在し、この地でわたしたちは、わたしたちの企画を超えた驚くべき体験をした。わたしたちが、この二週間なにをして生活していたのか、またこの生活の中でなにを学び、その学びに対してどう思いを抱き、どう感じたのか。細かく明確に、そして正直に述べていこうと思う。
 今回、このプログラムに参加し、特に印象に残った経験。それは、ベトナムが社会主義国家であるということを肌で感じたことである。大抵、旅行程度では感じることはないが、ベトナム政府との連携のあるプログラムであったため、特別でとても貴重な経験をすることができた。 また、この経験により、わたしは民主主義の国、社会主義の国での生き方の違いをしっかり身をもって理解することができた。彼らの様子がどこか変だということは気づいていたが、わたしが思いを巡らしていたようなことではなかった。ビンフック省での滞在中、わたしたち日本 人の知らないところでベトナム参加者たちはベトナム政府に対して、怒りを覚えていた。彼ら が怒りを覚えていたのは、あらかじめ決められていたスケジュールの変更を繰り返し行ったからである。わたしたち参加者が準備をしていたプレゼンテーションの実施が危うくなったことや、ホストファミリーとのクッキングコンテストの時間の短縮など、様々な要因が挙げられる。 日本人参加者がこの事実を知ったのは、ビンフック省での滞在の終盤にさしかかったところだった。わたしは、なにか慰めの言葉をかけることができたわけでもなく、ただただベトナム参加 者の言葉を聞くことしかできなかった。これが、社会主義国家での生活なのだと感じた。
 現在、ベトナムは発展途上国として大きな成長を遂げているが、公共の交通機関が発達していないように見受けられた。ベトナムでの移動中最も驚いたこと。それは、道路を埋め尽くす大量のバイクである。朝の通勤の時間と重なると、大量のバイクの群れが車を囲い、すれすれを走っている。発展した都市では多くの人が集まっている。そして、その人口増加により、交通渋滞の問題が深刻化しているのだ。さらなる発展・飛躍を遂げることで、この問題を解決に導いてくれるのではないかと思う。
 そして、わたしが最も不安を抱えていた面。それは、英語での会話やプレゼンテーション、 ディスカッションである。はやり英語での会話を強いられた生活のあとに感じるのは、自分の英語力がどのくらいであろうが、英語を話せる話せないということも関係なく、どれだけ自分 が積極的に相手に話しかけるか、そして、その際にどれだけ自分が相手と話を続けたいという意思表示ができるかが大切であるということである。自分が相手に対して積極的に話しかけることで相手が自分に興味を持ってくれているということが認識でき、同時に相手が自分に興味 を持ってくれるようになる。この相互の意欲が、お互いの英語力(英語力には限らない)を伸ばすきっかけとなると思っている。今回のプログラム中、大勢で盛り上がっている場で楽しく英語を話すことはできたが、マンツーマンでシリアスな話の内容になると途端にわたしは言葉がでなくなってしまった、そして、その話を軽く受け流すしかなかった。加えて、わたしには何 度か発言をする機会が回ってきたのだが、積極的に話しに参加することができなかった、これは、わたしの苦手な面を克服すべく行動にうつすことができなかったということである。これらは、今回の渡航の間で最も反省した部分でもあり、これからこのような場を多く設けていき、他の参加者のように自分の思ったこと、感じたことをその場でしっかり伝えていけるような人材になる必要があると再確認させられ、より明確な目標をわたしにもたせてくれた経験でもあった。
 最後に、ベトナムでの二週間の生活はわたしにとって、とっても有意義なものになった。なぜなら、今までわたしの知らなかった世界を見せてくれたからである。なにもかもが新鮮な経験で、わたしは狭い世界を見ていたのだと気付かされた。日本というとても恵まれた国に住み、恵まれた環境で育ち、先進国へとしか渡航経験がなかったわたしは、このプログラムに参加し、実際にベトナムで生活を送ることが原点となり、東南アジアに強く興味を抱くことができた。 このプログラムでしかできなかった経験ができた。そして、ここでの経験が少なからずわたし を成長させてくれ、わたしの経験値を得たのは事実である。この経験を無駄にしないために、伝えるだけでなく、このアジアで起こっているローカル問題、グローバル問題への取り組みに携われるような人材となれるよう日々精進していきたい。
 今回のプログラムにおいての情報が少ないなか、わたしの成長のため渡航を認めてくれた両親、そして一緒に渡航した仲間、ベトナム現地でわたしたちを支えてくれていた参加者、そしてわたしをこの二週間で一回り大きく成長させてくれたプログラムを設立した関教授、全員に 感謝の気持ちを伝えたい。
尊敬できる人に出会えて良かったです。
本当に有難うございました。

2017年10月4日水曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 8月 報告書 (3) 大瀬朝楓  (上智大学総合グローバル学部1年) 「ありのままで」

Mero Sathi Project 2017 8月 報告書(3)
「ありのままで」

上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科1年
大瀬朝楓

 ネパールで学生交流ができる魅力に参加を決意し、現地での約2週間は経験した全てのことが楽しかった。ネパールの環境や空気、出会う人々の不思議な魅力に引き込まれた。しかし、「ネパールに行って何をしてきたの?」と聞かれた時にうまく答えられないのは、一歩引いて行動してしまう私が、何もできず、自分自身を変えられなかったからだと思う。日本に帰国し、2週間を振り返ると、あの時こうすれば、こんなことを話したかったと後悔することがたくさんある。お互いのことをよく知らないネパール人と日本人とずっと一緒にいながら、変わらなければと思い、自分の壁を壊そうとする反面、壊すのが怖い自分と葛藤しながら日本に帰って来てしまった。
 私と誰かでは全く異なるパーソナリティをもち、日本人同士でさえ違いを理解することは難しい。国が異なれば、生きてきた道はもっと違う。自分の当たり前は、当たり前ではない。理解してくれるだろうという思いだけでは伝わらないし、先入観から自分の価値観でしか物事を判断できなくなってしまう。そうならず、相手の魅力を引き出すためには、何よりも自分の壁を壊し、相手にありのままの姿を知ってもらうことが必要だったと、ツアーを通じ、またネパールメンバーからのメッセージを読み返して痛感している。
 ネパールに行ったことで学んだことは数え切れないが、異なる環境の子ども達に出会って受けた衝撃とその子ども達の将来の夢について書きたい。
   Deaf school(聾学校)に通う子ども達と交流した際、音は聞こえるし、喋ることもできる社会的にはマジョリティのはずの私は、Deaf schoolにいる間は圧倒的なマイノリティだった。ネパール語を流暢に話せない私にとっては、珍しい日本人である私たちに必死に伝えたいようとすることを、表情や行動の全身から読み取ろうとした良い環境だった。ダンスやスポーツをしている時は言葉なしにコミュニケーションができて、本当に楽しかった。同年齢くらいの男の子たちと遊び、丁寧にサッカーのコツまで教えてくれた。言葉がなくても繋がることができる。笑顔で一緒に遊んでいる彼らは、私と変わらない学生である。しかし、聴覚に問題があり、ネパールで生活しているという差異が将来を左右してしまっている現実を感じたのが、将来の夢の話である。「将来の夢は何?」と聞くと、「わからない」「そんなものないよ」と自分の将来をどこか諦めたような表情をして、勉強しないと他の人には勝てないから、もっと勉強を頑張りたいと訴えてくれた。それでも中には、「サッカー選手になりたい」と紙に書いてくれた男の子もいた。自分で質問していながら、この後にうまく言葉をかけられないもどかしさを痛感した。Deaf schoolで出会った子供達の夢は、翌日に行ったShamrock Schoolで出会った、素晴らしいプレゼンをし、英語も堪能な優秀な子ども達とは対照的なものだった。(※Shamrock Schoolは外国人の支援によって運営されている小規模私立学校。経済的に恵まれないが学習意欲旺盛な子どもを選抜し全寮制で教育している。)
 時計がなく、自然と一体となったような生活を送ったシクレスでの3日間のホームステイ。JEEPで何時間もかけて登って来た場所にあるこの村では、全てがオーガニック、自給自足の生活である。ママとパパと一緒に暮らすホストシスターとブラザーの幸せそうな姿に何度もほっこりした。子ども達は、村の学校に通っているが、学校に行く前にはトーシャンクラスという学校に行く前にエキストラクラスに通っていることを知り、私は驚いた。そんなホストシスターの夢は、「研究者になること」。本当になれるかわからないと漏らしていた彼女であるが、私が同じ言葉を言う意味と訳が違う。シクレスでの生活の中で、貧困の苦しさを感じることはほとんどないくらい人々は温かく、素敵な村である。しかし、彼女のこの一言が、私の心を打った。ホストシスターの将来の夢も、ネパールで出会い、私に夢を語ってくれた子ども達の夢が叶うことを心から祈っているが、今は祈ることしかできない自分の無力さを痛感している。生まれた環境に関係なく、子ども達が将来の夢をもち、叶えられる社会を目指したいと改めて思った。
 「幸せとは何だろうか?」私はいつもこの問いについて考える。自分の幸せと人の幸せの尺度を測ることは難しいし、比べるものでもない。そう感じる瞬間が人によって様々であり、絶対的なものがあるわけではない。
 経済的に発展した環境で、手に入れようと思えば、欲しいものは手に入れられる今の私の生活。当たり前がいかに幸せなことかを見失い始め、今あるものには目を向けられずに、満ち足りない気持ちだけが増えていく。些細な幸せに、幸せを感じず感謝できなくなってしまってはいないだろうか。ネパールのスタディツアーでは、出会えた人々と、毎日に幸せを感じられる場所だ。笑顔で接してくれたネパールの人々、子ども達は本当に幸せなのだろうか。笑顔でいるから、幸せなのだろうか。次は私の壁を壊し、ありのままの私で、アクションを起こせるようになりたい。笑顔の先にある、人々の本当の気持ちの部分に寄り添えるようになりたいと感じた。

ベトナム VJEP 2017 報告書 (3) 中里咲季(上智大学総合グローバル学部1年)「初めて触れたリアルな東南アジア」

VJEP 2017-ベトナムプロジェクト報告書


「初めて触れたリアルな東南アジア」

上智大学 総合グローバル学部
総合グローバル学科1年
中里 咲季

1、参加を決意するにあたって
 私にとってこのVJEPのプログラムで訪れたベトナムは5か国目の外国であった。さらに、東南アジアに限ると3か国目である。カンボジアとタイへ訪れたときは、旅行会社や高校の研修を利用しての渡航であったが、その国で生活をする同じ世代の人と交流する機会はほとんどなく、せいぜい高校訪問をして数時間歌やパフォーマンス、伝統的な遊びや衣装を着せてもらったくらいだった。それでも、ボランティア活動や国際協力の現場を目にしたり観光をしたりする中で人々が熱く発展に向かっている様子などを肌で感じて東南アジアが大好きになった。
 しかしその一方で、旅行会社が企画したプログラムでは孤児院訪問をしてカンボジアに存在する貧困を「見せられている」と感じることがあった。高校のプログラムも同様だ、どちらも学ぶことは沢山あったのは事実であるが「作られている、あるいは私たちが求めているものに合わせた現場」を見せられたのであって、本当の現場を見たのではないと違和感を持った。もちろん、その現場には解決しなければならない課題もたくさんある。高校時代の2回の東南アジアへの渡航やその他の活動を通じて私は、国際問題の根やその問題が解決しない構造を見つけ出せる人になりたいと考えるようにもなった。
 そこで、自身が東南アジアにおいて課題だと考えていることを現地の同世代はどう考えているのか知りたいと強く思い、まずは彼らと友達になりたいと考えた。なぜなら、日本で生活をしている私が考えられることやできることは限りなく0に近くて本当に状況を変えていくのはその国の次世代を担っていく学生だと考えるからである。さらに、親しくなることによってよりリアルな本音で話しあうことができるのでないかと考えたからである。私がこのプログラムに参加することを決めたのは、昨年参加した信頼する先輩の紹介があったという事とこの思いに尽きる。(実際はVJEPが今年度も開催されると耳にして、その場で参加をほぼ決めたのでただ「面白そう」というのが理由で、この理由は後付けかもしれないが。)

2、ベトナムから見た日本
 空港を出て一番に目に飛び込んできたのは、日本企業の広告だった。また空港からホテルへ向かう途中で日系のデパートや、日本からの国際協力をもとにして建設している途中の建物、日本食のレストランなど日本に関連しているものが多くあった。ベトナムで日本を感じられるのは、街並みだけではなかった。ベトナムの参加者のうち2人は、日本語検定で一級を取得していた。さらにほとんど半数の参加者は日本語を学習していた。訪問先の高校でも、日本語で話しかけられることも多く驚いた。 
 私は東南アジアでは日本が戦後、急速に経済発展する様子を見て再び植民地化されることを恐れて反日の動きがあったと耳にしたことがある。それは、日本が東南アジアと友好関係を築こうとして行なっている事業での出来事であるが、石を投げつけられたこともあったそうだ。それでも、あくまでも私の主観でしかないが、ベトナムで出会った学生たちは日本人である私たちに興味を持ってくれたのではないだろうか。
 昔の状況からどのようにして現在の日本に対する印象が変わったのか、はっきりとは分からない。それでも、これからも急速に経済発展をする日本とも地理的に近いベトナムという国、東南アジアという地域は私たちにとってとても重要になってくると強く感じている。そんな国の同世代の学生とともに過ごした2週間で学んだことはあまりにも多すぎて、うまく文章にすることは出来ない。しかし「見せられて」いる表層的なベトナムではなく、ともに生活をともにして肌で感じたベトナムであり、そこで生活をしている人との交流でしか知ることの出来ない「リアルな」ベトナムを体験できた。

3、ともに生活をして目にしたベトナム
 私たちが2週間をともに過ごしたのは、ホーチミンの大学に通っていてとても優秀な学生たちだった。彼らの方が英語力に長けていて、説明の英語が分からないときも学生に聞いたら分かりやすく簡単な英語で説明をしてくれた。また何度もあったスケジュールの変更にも柔軟に対応してプレゼンテーションの方法を1日で改善してしまうなど驚かされた。それでいて、日本に関する経済や政治などの知識も豊富で学習意欲がとても高かった。しかし、彼らの中で留学をしたことのあるメンバーはほとんどいなかった。ベトナムでは、英語が話せなければ良い職に就くことができないから、日本語が話せるとさらに給料が高くなるからと彼らは話してくれた。私は、日本にいて異文化交流や留学、インターンシップなど様々な課外活動の機会に恵まれていたり、英語力も高めたりする時間も環境もあるさらに、学問的な本も日本語でいくらでも勉強できるからうらやましいと言われた。そんな環境にいるのにも関わらず大学に入ってからただ平然と時間を過ごしてきた自分が情けなくなった。
 彼らの目指している先には日本があって、それに向かって日々大学で学んでいたり英語を学ぶためにクラブや学校に通ったりしている。さらに、就職ではインターンシップや学生交流など課外活動が重視されるためそれらの活動も盛んにしていた。2週間を通じて、ただただ彼らに圧倒され続けていた。そんな勉強熱心で社交的でいてさらに明るい、尊敬するベトナムメンバーとオーガナイザー(このVJEPのプログラムに向けて、仕事をしながらも準備を進めてくれた)であったが、ビンフックでの活動では様々な困難があった。
 ビンフックでの活動では、ベトナム政府の人がアレンジした活動が主に行われた。あらかじめオーガナイザーと政府の人が話し合ってスケジュールが日本人メンバーのために組み立てられていたのだが、このプログラムが始まる寸前から何度も変更が行われた。さらに、訪問先の高校や活動場所でも日本人メンバーの席しかないことや、ベトナムメンバーが練習していたパフォーマンスが削られてしまうことが続いた。さらに、政府の人と会議をすることが突然決まったこともあった。ベトナムメンバーはこれらに関して、不満を口にすることがだんだんと多くなった。そうした中で、社会主義国と分類される国であるベトナムで生活をしていく上での、特有の文化についてまた彼らが持つ個人的な悩みや葛藤についてもリアルな話を聞くことが出来た。話を聞いたからといって、特に何かが自分に出来るなんて到底思わないが、なかなか実際に体験できない貴重な機会だった。

 最後に、ここで文字に起こしたことだけでなく日々友達と体験したことを共有したり、本を読んだりしたりする中で考えさせられる体験をたくさんしてきた。このプログラムの一番の目的は「仲良くなる」ことだ。仲良くなることで築いた強い友好関係をもとに、少し難しいテーマについて話しあったり国際問題について議論したりすることで少しでもそれらの解決や改善に近づけると考える。
 このような素敵な機会を与えてくださった関先生、大変なこともたくさんあったけれど私たち参加メンバーを支えてくれたオーガナイザー、私の尊敬する大切な友達であるベトナムメンバー、日本メンバー本当にありがとうございます。

2017年10月2日月曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 8月 報告書 (2) 岡山千紗(上智大学神学部1年)「宗教と文化の視点からの考察」

Mero Sathi Project 2017 8月 報告書(2)
「宗教と文化の視点からの考察」

上智大学神学部1年
岡山千紗

 今回、Mero Sathiプロジェクトを通して沢山のことを肌で吸収しました。その中でもネパールで一番日本との違いを感じたことは、宗教に対する認識でした。人々が宗教と共に生きることに対してある種の誇りを抱いていることが伝わる場面に何回も遭遇することができました。また、「文化」というつかみどころのない概念にとらわれている自分自身を見つめなおすことができました。今回の報告書では、「宗教」と「文化」の二点の視点から私なりに今回のプロジェクトを考察したいとおもいます。
1)宗教と共に生きる
 はじめに「宗教」をネパールで感じたのは、ネパール人メンバーと食事を共にしたときでした。食事を頼む際に、隣に座ったネパール人メンバーが「今日、ベジタリアンの人~?」とメンバーに呼び掛けているのを聞いたときに、確かにヒンディー教やイスラーム教、仏教のメンバーがいるのは当たり前だと納得すると同時に、少しの違和感を覚えました。それは、「今日」という言葉に対するものでした。私のヒンディー教やイスラーム教、仏教に対する理解は、「豚肉や獣肉を食べてはいけない。また、殺生を嫌う。」というものでした。それは、とても教科書的なものであり、現実は少し違いました。ヒンディー教のネパール人メンバーの女の子は、火曜日と木曜日はベジタリアンの日として親などによって決められた訳ではなく、自らの信仰に基づいた意思で決めたそうです。
 日本では、宗教と共に生きることは人生をかけたとても大きな決断であるように感じますが、彼らにとっては宗教なしで生きることは想像がつかないことである様子でした。特定の宗教を信仰していない旨や、現在神学部でキリスト教について学んでいることを伝えると、どんな内容を学んでいるのか興味津津で沢山の質問をしてくれました。また、私の学んでいることに深い理解を示してくれたように思います。日本で、神学部において宗教を学んでいることを人に伝えると、宗教は洗脳である。とか、宗教を学んだところで役に立たないと否定されることがしばしばあるので彼女の反応は新鮮なものでした。
 そして、彼女には何度も特定の宗教を持つことを強く勧められました。私の宗教に対する認識は、大学で宗教を学んでいる身でありながらも、人々の心を癒し平和な世界に導くものであるとともに恐ろしい一面も持っているというものでした。特定の宗教を持つことで視野が狭くなってしまうのではないかと思っていたのです。しかし彼女にその思いを伝えると、特定の宗教を持ち信仰をするからこそ、相手の宗教を信仰する心を理解し、尊敬することができると伝えられました。日本人は、特定の宗教を持っていないからこそ公平な目で多くのものを吸収することができると思います。しかし、生きる理由や、人生の指針を宗教においている人々を真の意味で理解するためには、彼女の言うことも一理あると感じました。この視点を持っている日本人は非常に少ないのではないでしょうか。宗教に対する新たな視点を与えてくれた彼女には感謝しています。

また、小学校でこいのぼりプロジェクトを行った時、子供たちが、「ブッタはネパールで生まれた」や、「ジ―ザス」、「仏」等の言葉を日本語で書きたいと言ってきたことにとても驚きました。彼らの土地に根付く宗教信仰は決して恐ろしいものではなくて、心や生活にそっと寄り添うものであると感じました。宗教を一言で語ることはできませんが、今回肌で感じたことはこれからの学びに活かしていきたいと思います。

2)一国の中にある異文化
 今回ネパールと日本の学生間の異文化交流が一番の目的だったと思いますが、12日間ネパール人メンバーと生活して強く感じたことは、ネパールの中に多々存在する異文化でした。都市に住むネパール人メンバーにとっては、シックレスでの生活はほとんど異文化であり、デフスクール(※デフスクール=聾学校)への訪問も彼らにとっては異文化空間であったのだと感じます。異文化交流と聞くと少し身構えてしまいますが、生きてきた世界(世間)が違う人同士が交流することもある種の異文化交流であると感じました。そのため、都会育ちの彼らもシックレスの村での暮らしになじむことができずに、アンマー(ネパール語でお母さんの意)がダルバートを、火をおこして作ってくれるのを見ながら語り合うこともあまりしませんでした。ネパール人メンバーがアンマーのダルバートをよく残したので、ダルバートが大好きな彼女になぜ残したのかと聞くと、家の中で火をおこすことで煙が肺に入って病気になってしまうことや、見たことのない青草が入っているからという理由でした。
 デフスクールにおいても行きのバスでネパールの障害者がおかれている状況について私たちに語るとともに、自分はあくまで健常者であり今まで障害を負った方と触れ合うことを避けていたと語ってくれました。デフスクールで障害を負った方と触れ合うことはネパール人メンバーにとっても新たな文化圏を知る一歩であったのだと感じます。
 日本においても、私たちが主体的に農村での暮らしの状況やろう学校の様子を知るために訪問し、触れ合うことがあるでしょうか。私たちは、異文化交流と言うと多くの場合外の世界との交流を思い浮かべます。しかしながら、異文化は私たちのすぐ隣に広がっているのです。確かに、ネパールを初めとする海外の状況を見て肌で感じることも必要であると思います。しかし、それに付け加えて自分の国にある小さな異文化圏に気付き、自ら歩み寄り知ろうとすることもまたこの国に生きるものとしての義務なのではないでしょうか。
 グローバルな時代になり、グローバルな人材が求められている今だからこそ「外へ外へ」と歩みを進める前に、自国に存在する多くの異文化に気付ける人間になりたいと思います。ネパールでネパール人メンバーと過ごす中で見えた様々な文化を通して日本を見てみるとまた新たな発見があってとても面白かったです。

2017年10月1日日曜日

ベトナム VJEP 2017 報告書 (2) 坪井友里香(東京大学文科三類1年)「人として」

VJEP 2017-ベトナムプロジェクト報告書

「人として」

東京大学文科三類1年 坪井友里香

 
写真右が坪井友里香さん
とても沢山のことを学んだが、もっと多くのことを学べたはずだった。それが今回のプログラムを終えて抱いた、認めなければならない感想である。なぜこの機会を十分に生かしきれなかったのか、それは全て私の責任感の欠如から来る事前準備の不足やプログラム期間での軽率な行動のせいだった。とにもかくにもこのプログラムは、学べたことも、学べなかったことの原因も振り返るにつけ、とにかく「人として」ということを考えさせられた2週間だった。
 まずは、私がこのプログラムを通じて学べたことを述べていきたい。私がこのプログラムに参加した目的は、ベトナムという異文化に触れることで自分の視野を広げたい、というものだった。確かに、社会主義とその中に生きる人々(正確に言えば知識人だが)を肌で感じることが出来たのはとても貴重な体験だった。オーガナイザーさん達が何ヶ月もかけて練り上げてくれた計画を踏みにじって抵抗を許さないビンフック政府、身も心もすり減らして限界まで政府と交渉してくれたオーガナイザーさん。日本では今の所考えられない事態に、ベトナムメンバーが渇望していた民主主義や言論の自由を、私たちは持っているにも関わらず当然のものとして受け取り、その多くを無駄にしてしまっていると非常に申し訳ない気持ちになった。高度な知的水準を誇る大学もそうだ。ベトナムの友人達が渇望し、そして自ら作ろうとしているもの達を、私たちは何の努力もなしに得て使うことが出来るのだから、自分たちの恵まれた環境に感謝してそれを最大限行使しなければいけないと、非常にモチベーションの高まる体験であった。
 しかし、実のところ私がもっと痛切に感じたことは、そういった日本とベトナムという国の違いによる社会制度的な「異」の部分ではなく、そのもっと手前にある普遍的な「人」の部分だった。
 このプログラムを通じての1番の収穫は何と言っても、何につけても尊敬できる、とにかく優しく、明るいのに真面目で聡明なベトナムメンバー達と知り合い、心から信頼出来る友達となれたことだ。このプログラムを通じ感じたことは正直言語化することが難しいのだが、ただ一つ明言できることは、私はあのベトナムメンバー達のことが大好きで絶対にまた会いに行きたいということだ。日本メンバーが疲れを隠せない時も、彼らも同じだけ疲れていただろうに、常に私たちを気遣い優しく明るい笑顔を見せてくれた。オーガナイザーのみんなは、無給にも関わらず私達のために身も心もすり減らし政府との交渉を続け、夜遅くまで限界まで努力してくれた。そして私が「大丈夫?」と聞くと必ず「大丈夫」と答え、「無理しないで」と言うと必ず「これは私の責任だから」と答えるのだ。年もほとんど変わらない彼女らが、強い意志と責任感、そして何より私達のことを思って限界まで努力してくれる優しさをもってこのプログラムを作ってくれたことに、本当に感謝してもしきれず心から尊敬すると共に、決して同じことが出来ないであろう自分が恥ずかしくて、途方に暮れるような気持ちになることもあった。
 ここで私が強く思うのは、私は彼らがベトナム人であったから好きになったのではなく、彼ら一人一人の人としての魅力にとりつかれて好きになったのだということだ。日本とベトナムという国の差はあれど、そういう国・ましてや先進国か途上国かという「異」の問題の前に、個人個人の人としての美しさというものが、何よりも重要で決定的な意味を持つものなのだと、当たり前のことながら身にしみて実感することとなった。私達はとかく「国民性」などというもっともらしい言葉、そして国内的には大学名などで、人の性質をその人の所属組織に帰する形で先入観をもって人と接してしまう。そのような凝り固まった考えがなんと未熟なものだったのかと、目から鱗が落ちるような心地がした。
 さて、私は冒頭で「とても沢山のことを学んだが、もっと多くのことを学べたはずだった」と述べた。結論から言えば、これはすなわち、このどこまでも濃い2週間の体験の中で、私の人としての欠点がまざまざと露呈し、私自身がベストのパフォーマンスを行えなかっただけでなく、多くの人に迷惑と心配をかけてしまったということだ。
 まずは準備不足。私は日本のジェンダー問題についてプレゼンする予定であったが、そのプレゼンの提出期限を過ぎてしまった。それだけではない。学校のレポートがベトナム出発までに終わらずベトナムで作業しなければならなくなり、その結果いくつかの企画に参加できなくなってしまったのだ。自分の責任感のなさ、計画性のなさに本当に自分が嫌になったし、何よりもそのことで日本人・ベトナム人の双方のメンバーに迷惑と心配をかけてしまった。人としてあまりにも欠けたことだったと、心の底から申し訳ない思いでいっぱいだ。
 また、集団行動であるにも関わらず、自分のことで精一杯になってしまい、周りのことを考えて行動できなかった。例えば具合が悪くなってしまった時にいきなり体調不良を訴えて周囲を混乱させたり、なぜだか分からない涙が出てきて急に泣き出してしまい周囲の雰囲気を悪くしてしまったり…。もう自分でも自分が嫌すぎて、周りに申し訳なさ過ぎて、後悔してもしきれない。この文章を書きながらも、振り返りたくなくて仕方なくもういっそのこと忘れてしまいたいとすら思うのだ。
 しかし逃げてしまっては本当に何の意味もない。私はこのプログラムで「人として」本当に尊敬できる友達に沢山出会えた。この友たちを宝に、未熟な自分を乗り越え「人として」成長しなければならない。変わらなければならないと強く辛く心に刻み込んだ2週間であった。