2017年5月10日水曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 報告書 (6) 関愛生(上智大学総合グローバル学部2年)「ネパールスタディーツアー2月報告書」

「ネパールスタディーツアー2月報告書」

                  上智大学総合グローバル学部3年
                                      関 愛生

 2017年2月、スタディーツアーに参加する日本人学生一同はネパールの首都カトマンズに降り立った。高校時代の一年間をネパールで過ごした私は、大学入学後も度々ネパールを訪れていたが冬のネパールは久々だった。思っていたほど寒くなく、照りつける太陽の日差しが心地よかった。今回のスタディーツアーではどのようなドラマが生まれるのかと、ワクワクすると同時に少しばかり緊張していたことをよく覚えている。
 私は今回のスタディーツアーが始まる前、これまでのスタディーツアーとは比べものにならない程不安を感じていた。これまでは、日本人とネパール人両国の学生合わせて20名程であった。大人数ゆえに毎日みんなでワイワイ楽しく過ごせていたし、その雰囲気こそ、学生交流を目的とする私たちのツアーにとって何より重要なことだと思っていた。それに対して今回は、日本人学生とネパール人学生がそれぞれ5名ずつ参加し、全員合わせて10人程である。私がこれまで経験してきたスタディーツアーのなかで最も少ない人数だったが、果たして両国の学生は上手く交流を深めることが出来るのだろうか。そのことを何より心配していた。しかし、その私の心配は良い意味で裏切られることとなった。むしろ、大成功であった。この報告書では、スタディーツアー中に起こった出来事から二国間の学生交流における課題とその成果を私なりに考察したいと思う。
 今回のスタディーツアーの成功の要因は二つある。一つは、全ての参加者が高いレベルの語学能力を持ち、更に積極的にコミュニケーションを取ることを強く意識していたことである。言語の異なる二国間の学生が交流する際、最も大事なことは言語能力ではなく、コミュニケーションを取ろうとする姿勢であると私は考えている。その上で、ある程度の語学能力を兼ね備えていると、議論の際に内容をより正確に理解し、自分の伝えたいことをしっかり伝えることが出来るため、結果的により深い関係性を築くことが出来ることは容易に想像がつくだろう。今回に関して言えば、両国の学生全員が英語でのコミュニケーションを得意としていたため、何か議論が始まるとかなり深い内容まで掘り下げて話をすることが出来た。
 二つ目の要因は、少人数でのスタディーツアーとなったため、必然的に両国のメンバーが共に過ごす時間が多くなったことである。上でも述べたが、今回は私のこれまでの経験上最も少ない参加者でのスタディーツアーだったのだが、結果的には少人数だからこそ一人一人との交流の時間が増え、ツアーが終わる頃にはそれぞれのメンバー同士が深い関係を築くことが出来た。これまで私は数多くのスタディーツアーに参加してきたが、ここまでネパールの学生たちと関係を深めることが出来たことは初めてだったかもしれない。これは、少人数という恵まれた環境があったからこそだと私は思っている。しかし、常に皆が仲良く過ごしていたわけではなかった。毎日深い議論をしているからこそ、互いの意見が衝突し、議論を通り越し言い合いになってしまったこともあった。その中でも、私にとって特に印象に残っている出来事を紹介したい。
 それは、プログラムの醍醐味でもある農村地域(シックレス村)でのホームステイを行っている最中だった。シックレス村は、グルン族という民族が多く暮らしている村である。3日間の滞在期間中、私たちはネパールについての理解を深めることを目的に、村人へのインタビューを通じた調査活動を行っていた。インタビューに応じてくださった村人には、カーストが低いために職に就けず差別的な扱いを受けてきたという男性や、同じくカーストは低いが夫が国外へ出稼ぎに行っているため裕福な暮らしを送っている女性、先祖代々この村で暮らすグルン族のご家族など、様々な背景を持った村人のお話を伺うことが出来た。調査活動の最終日、村の学校の校長を20年以上勤められている男性を集会所にお招きして最後のインタビューを行った。
 英語が堪能な校長先生に対して、私たちはこの数日間に渡るインタビューを通じて感じたことをお伝えさせていただいた。やはり私を含め、参加者の多くの印象に残っていたのはカースト制度についてであった。カーストの違いによって差別を受けたり、職が制限されるという私たちにとって不条理な現実に怒りを感じている者もいた。意外かもしれないが、カースト制度に最も敏感に反応するのは、いつもネパール側の参加者だった。このスタディーツアーに参加するネパール人学生は、ネパールのなかで相当優秀な大学生ばかりが集まっている。英語が堪能なだけではなく、高い学力と幅広い知識を兼ね備えていた。大学などでカースト制度について相当勉強している彼らは、ネパールにおけるカースト制度は様々な問題の根源的な要因であり、カーストそのものをなくすべきだと考えている人も多いようだ。そんな彼らネパール人学生は、シックレス村に暮らすカーストの低い人々の生活について、そして村人による差別がいかに人権を踏みにじった行動かを校長先生に訴えた。しかし、それを聞いていた校長先生はその意見を即座に否定。村には昔から根づいてきた文化があり、カースト制度は簡単に変えられる問題ではないと主張した。さらに本人はカースト制度に賛成で、カーストの低い村人に対する差別的な待遇もある程度容認する考えだとも言っていた。
 私は校長先生の話を聞きながら、ネパールに遥か昔から根付いてきたカースト制度の根強さを感じるとともに、カースト制度の悪い面ばかり見るのではなく、現地の文化を今後も尊重しながらいかにカーストの低い人々の人権を守ることが出来るか考えていた。しかし、校長先生の考えに対して、カースト制度に反対するネパール人学生たちは激怒していた。その後、私と一部のネパール人学生との間で激しい議論が始まった。私は、ネパール人学生たちのカースト制度をなくすべきという極端な意見に対して、それがいかに難しいことかを農村地帯の現状を例に話をした。その私の意見に対して、「お前にネパールの何が分かるんだ」と言わんばかりに反論された。その後2時間に渡り、カースト制度について私たちは激しく議論し続けた。

 結局この議論は終着点を失ったまま終わってしまった。今でも当時の光景を鮮明に覚えているが、あの熱く議論を交わした時間こそ、学生交流の目指すべきところだったのではないだろうかと今は思っている。学生交流を目的としたスタディーツアーの目的について聞かれたとき、私はいつもこのように答えている。「学生である私たちは、まだ出来ることは少ないかもしれない。それでも、このスタディーツアーを通じて出会った学生たちが20年後、30年後、それぞれの国を引っ張るリーダーになったときに一緒に世界の問題を解決するために再び手を取り合う。そんな未来を作りたい。」私はあの議論をしている時に、まさに将来私たちが社会を引っ張るリーダーになったときに、同じように議論をしている姿を想像していた。異なる文化を持った二つの国の人間が協力して何かを成し遂げるためには、表立った関係だけではなく、心の底から信頼しあえる関係を築き上げることが重要だ。今回私たちは様々な出来事と議論を通じて、お互いを理解するだけでなく、真の意味で友人になることが出来たと確信している。たった2週間弱のスタディーツアーだが、私が出会った仲間たちから学んだことは計り知れない。

2017年5月8日月曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 報告書 (5) 大平啓太(近畿大学4年)「学生の行う支援の難しさと、それへの挑戦」

「学生の行う支援の難しさと、それへの挑戦」

近畿大学4年(2017年3月卒業)
大平啓太

まず、私がこのプログラムを通して考えた学生の行う支援の在り方について述べる。私の答えがあっているかはさて置き、『学生は知恵を絞り、それが出来なければ汗をかくこと』だと思う。お金はないし、人のためになんて到底出来ない学生が出来ることはそれぐらいだろう。ネパールの村をネパール人の学生に通訳をしてもらいながら、村に必要な支援をリサーチする。それをディスカッションして一つの答えを出すために知恵を絞ることは、ネパールの地域にも自分自身にも非常に有益なものだと思う。また、それが困難な学生は村人と共に導き出した支援を形にするために汗を流せばいい。語学がなくても同じものを食べ、同じ汗を流し、国境も人種も宗教も関係なく多くのことを学べばいいと思う。そこにお金は必要ない。人のためにとか出来たらいいなあ、とは思うが人のための前に未熟な自分と向き合い自己研鑽に励む方が有益だと思う。

学生は社会人から見て間違いなく未熟だ。ならば、未熟な自分を受け入れ必死に挑戦して自分を磨けばいい。そのツールに支援とかボランティア、学生交流があると思う。これこそが学生らしさなのではないか。その学生らしさを求めているなら、是非このプログラムに参加するべきだ。私は英語が大の苦手なのに、泥臭くも挑戦して行く過程で多くのことを学んだ。それが私をこれだけの笑顔にさせた。



この考えに至るまでに時間はかかった。今回のネパールへの渡航は3度目だ。なんなら、今回はヌワコットの視察を終えた後、他団体のプログラムに合流しネパール地震で大きな被害を受けた村で水道を作る計画だ。
私は、渡航中に毎回考えるのは、『学生の分際で、人のためなんて出来るはずがない』ということだ。私は両親のスネをかじりながら22歳まで生きてきた。生きていると言うより、生かされているという表現が適切だ。その学生に一体何が出来るのだろう。その疑問が常に私の心をモヤモヤさせた。
ヌワコットという被災地に訪問し、感じたことは多くあった。ヤギ小屋プロジェクトは素晴らしいもので、私自身がインフラ整備のボランティアを経験している分、ヤギ小屋の持続可能な支援の追及の仕方には共感できる部分も多い。ただ、肝心の村人への還元がどの程度進んでいるのか、本当にヤギ小屋がこの村に必要だったのかが分からない。もしかするとヤギ小屋プロジェクトよりも素晴らしい手法があったのではないかと思ったりする。
ただ、そんなモヤモヤを一緒に共有してくれる日本人もネパール人もいた。人のために出来たらいいなあと考え続けることはしんどい。しかし、同じ人間として支えてくれた仲間がいた。だからこそ、自分のモヤモヤが解消され、正解かどうか分からないが自分なりに納得のいく学生の行う支援の在り方にたどりついた。
最高の経験を積ませてくれた関先生には感謝しかないし、少しの期間だったが過ごした仲間は忘れられない。来年度から社会人になる私だが、この経験は必ず辛い時やしんどい時の支えになる。ネパールの学生も素敵な笑顔で頑張っているのだから、私も笑顔と元気さを忘れず負けないようにしたい。だって、ネパールの学生はこんなにも笑顔なんだから。

2017年5月6日土曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 報告書 (4) 比嘉海斗(東京経済大学4年)「私が学生生活を捧げた多文化間学生交流と、そこから得た学び」

「私が学生生活を捧げた多文化間学生交流と、そこから得た学び」
  
                          比嘉海斗(東京経済大学4年)


2017222日から35日までの約2週間、私は再びネパール学生交流研修に参加した。2016年途中より、日本では学生と言う身分を持ちながらもベトナムの現地会社で正社員として勤務していた私は、最初参加するか否か悩んだ。しかし、またネパールに行ける喜びがあり、さらにこれが私の日本での学生生活を締めくくる最高の機会だと確信し、参加を決意した。ベトナムの会社には相当無理を言って休みをいただいた。
 本報告書では、私が今回の研修の振り返り一番印象的であったシックレス村のカースト制度の問題に触れる。また、今回の研修も含め私が学生時代に参加してきた数々の学生交流研修の共通テーマであった「多文化間学生交流」に焦点を当てて述べていきたい。

 まずはシックレスの村におけるカースト制度である。シックレスという村は、首都のカトマンズからバスで8時間、さらにジープで7時間上った地にある標高3000メートルに位置するの小さな村である。この村は私が過去に行ったことのあるさらに離れた辺境の村とは違い、村には地図やゲストハウスが設置されわずかではあるか発展しているようだった。ヒマラヤの絶景のおかげであるという。観光客も多数訪れていたが、しかしそこに住む村人はひっそりと昔ながらの伝統的な暮らしをしていた。
 しかし、活動の一環で取り組んだ「参加型農村調査」(Participatory Rural Appraisal から、一見のどかなで楽しそうな村からは想像もつかないような問題がこの村を支配していることを知らされた。カースト制度である。カースト制度とはインドから伝わる階級制度であり、下流階級から生まれた人は一生下流階級というのがこの制度の特徴である。この調査を通じ、カースト制度が今のネパールにも根強く残っているということを初めて思い知らされることとなった。
我々は、村に住む様々な階級の家庭を訪問調査する機会をいただいた。概して上流階級の人々は高い土地に住んでいて、下に下がるにつれて階級も引くなる。我々はその中でも特に低いと言われる階級の家庭を訪問した。その家には70歳を超えたおじいちゃんと小さい子供を抱えた20歳くらいの若い女性がいた。話を聞くと、彼にはたくさんの子供がいたが、皆、差別される家庭環境に絶えられず逃げてしまったようだ。そこに住む若い女性の旦那である彼の息子も、ずいぶん前に奥さんと子供を置いて逃げてしまったらしい。取り残された彼らは、仕事もないため、毎日物乞いをしながら生きているという。
しかし、彼らが他の家庭に物乞いをしても、上流階級の人々は彼らに食料を与えないどころか、家にも入れさせてくれないため、毎日食べる食料すらままならいと泣きながら嘆いていた。私はこの状況を目の当たりにして、言葉を失った。こんな小さな村でも階級により人々が差別されていることに驚き、同時に生まれながらに身分を決められ運命が決まってしまう身分制度がどれだけ深刻な問題であるのかを気付かされた。
私からすれば、単純にこんな小さな村なのだからお互い助け合いながら生活したほうがよっぽど楽ではないかと考えてしまう。しかし、これはこの地域そして民族に根付いたずっと昔からの伝統、文化であり、私のような外者が数日間の滞在だけで判断できるものではない。共に活動に取り組んだネパール学生メンバーは都会部で育ち安定した学校教育を受けておりカースト制度の影響を受けて来なかったそうだ。このような不公平な制度はすぐにでもなくなるべきだと主張し、カースト制度を肯定するような長老に憤っていた。
この問題について、我々に今できることは何か。それは、単に「こんな差別はひどい!」と批判するに留まらず、皆で問題を共有し、問題解決に向けた指針を検討していくことにあると考える。基本的にはその国の問題はその国の人々が考え改善していくことであるはずである。しかし、今や一国の問題をその国のみの力だけで解決できる時代ではなく、多角的視点から解決を図るグローバルな時代である。この問題でもネパールメンバー、日本メンバーが激論を交わしたように外部者である我々との交流により、新たな道筋も見えてくるかもしれない。(余談であるが)私は関先生のゼミ生として先生に学ぶことが多かったので、関先生がこのようなことを意図して活動を継続していることをよく知っている。
 次に、私は大学生活のほとんどを捧げたと言っても過言ではない多文化間学生交流について述べたい。
 私はこの4年間でベトナム、タイ、ネパールなど様々な国にAAEEや大学のゼミでの研修を通して訪れ、ただ訪れるだけでなくその国の学生と実際に交流し、英語で会話をし、そして真の友情関係を築いてきた。今まで日本の中で生活し、日本の価値観の中だけで生きてきた私であるが、外の世界を知ることで日本の当たり前は他の国では当たり前でないことを気づき、物事を以前よりも客観的・相対的に考察できるようになった。さらに異文化に触れることで、日本の文化、自然そして日本人の優れた点にも気付かされた。
 多文化場面で交流をする上で欠かせないのは、まず英語力である。私は大学2年次にベトナム研修に参加した時、英語ができなくてせっかくの研修が苦い思い出に終わってしまった経験があり、そこで英語の必要性を強く感じた。英語ができなくても、笑顔があれば通じあえるというのはうそではないが、その人、その国を本当に知ろうと思ったら笑顔だけでは足りない。実際に言葉を交わして語り合わなければ、真の異文化交流はできないだろう。
 しかし、英語力よりも知っておかなければならない大事なことがある。それは違いを受け入れ尊重する心である。世界には様々な国があり、それぞれがその国特有の文化、風習、価値観を備えている。それらに遭遇したときに、「日本とは違うから理解できない」 と思うのか、「日本とは違うが、みな違っていい」と思えるのかには大きな違いがある。グローバル化という言葉にも表せられるように、これからは他国、他文化とのつながりがより強固なものになろうとしている。このような時代には、自国、自文化のことばかりに目を向けるのではなく、他国、他文化に目を向け、関心を持たなければならない。一人一人が個人レベルで異文化に触れ、自国の外ではどのような人が住み、どのような物を食べ、どのような暮らしをしているのか。そのような他国の現状を把握し、そして違いを受け入れ尊重する心を養うために多文化間交流があるのだ。

私の心の成長に関わってくださった多くの皆さま、私に新たな視点を与え続けてくださった関先生、そして何よりも私の自由気ままな行動を温かく見守ってくれた家族に心から感謝の意を表し、本報告書の結びとしたい。ありがとうございました!

2017年4月11日火曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 報告書 (3)  北野 宏晃(東京経済大学3年)「ネパール研修を通じて学んだこと」

「ネパール研修を通じて学んだこと」
東京経済大学3年
北野 宏晃

 20172月下旬~3月上旬までの2週間ネパール研修に参加した。私はこの研修多くの経験をし、たくさんのことを感じた。その中でも私は「現場の大切さ」と「異文化受容の大切さ」に焦点を当てて報告書をまとめた。
日本人メンバーとネパール人メンバーでパートナーシップの輪を築けた瞬間

1.現場の大切さ
私は先入観に囚われやすい人間である。だから、私はどこか訪れる前には必ず本を読んだり、インターネットで調べたりして最低限の知識や常識を頭に叩き込む。それでも、毎回現場へ赴くと、私の知識とのギャップに驚かされる。例えば、去年ミャンマーへ訪れた際、本では①宗教は日本と同じ仏教②ミャンマー急成長中といった事が書かれていた。しかし、実際に現場へ訪れると①については、現地の方はほぼ毎日寺院に行き、小学生の頃から仏教経典を唱えたりなどと、同じ仏教でも明らかに日本と異なるほど信仰心が熱かった。②については急成長中と書かれていながら、都市部でさえも建設中の建物などなく、明らかに発展途上国を彷彿とさせる外観であった。現場に訪れて本物を見ることで、1冊の本では収まりきらないたくさんの事実や発見を目の当たりにした。
今回のネパールも同じである。
そもそも私は、ネパールについて(1)とにかく貧しくてかわいそうな国。(2)後発発展途上国だから、教育のレベルも非常に低い。といったマイナスのイメージしか持っていなかった。また、本やインターネットで調べてもあまりプラスの情報を得られなかった。
しかし実際に現場へ訪れてみた結果、やはり私の常識を覆された。例えば、(1)はシックレス村という貧しい村へ行ったときだ。お世話になった現地の小学生やホストファミリーは、貧困で困っているとは思えなかった。むしろ、みんな温暖な性格で笑顔に溢れており、平和な日常に感謝していた。言葉で表現するのは難しいが、私は、ネパールに赴いて貧困を目の当たりにした。しかし、それと同時に「目に見えない心の豊かさ」を教えてもらった。(2)についても同様のことが言える。関わった現地の学生は全員流暢な英語を話す。それだけではない、自国の文化や習慣、さらには国際情勢などの時事ネタもしっかりと理解しており、それに対する自分の考えも持っている(英語で)。私は研修中、一緒の部屋になったネパール人学生に、ネパールの国歌について質問したら、私が理解するまでわかりやすく(もちろん英語で)説明してくれた。逆に、相手から日本の文化について質問されても、私は答えられないことが多く、ひたすら「Sorry」と言い続けていた。私は非常に惨めな気持ちになった。
実際に現場へ訪れることで、はじめに持っていた「貧しい」「かわいそう」などの固定観念が壊されていった。それどころか、「贅沢を求めすぎず日常に感謝すべき」「もっと勉強しないと取り残されてしまう」という考えに変わった。
先入観や固定観念に囚われてはいけない。しかし、本やインターネットで読んで調べて、原理原則を暗記するだけでは理解できたとは言えない。現場へ赴いて現実を目で見て肌で感じることが大切であると改めて考えさせられた。
交流した小学生に合気道を教えている風景

2.異文化受容の大切さ
現在、日本のみならず世界規模で多くの問題が起こっている。SDGsはこれらの諸問題を17個に分けたものである。もちろん、これらの問題は自分一人では解決できない。また、日本人だけで協力して解決することも不可能である。これら「世の中の課題」を解決するために、我々は国境・言葉・文化・宗教・価値観の壁を越えて全世界の人達と協力しなくてはならない。私は、SDGsの17項目の中で「パートナーシップの輪を築こう」は最も重要な課題だと思う。しかし、同時にこれは最も達成するのが困難な問題かもしれない。なぜなら、パートナーシップを形成する人は自分とバックグラウンドが異なる人である。だから、自分と異なる価値観、種族の人達とパートナーシップを結ばなくてはならない。
今回の研修でも、現地でカルチャーショックを受けた。それは時間の使い方であったり、食文化であったり、議論の仕方であったり、人との接し方であったりと多々ある。つまり、2カ国間でもこれだけの違いがある。しかし、こういった違い(カルチャーショック)を受けたとき拒絶をしたり、批判をしたり、自分の文化を押し付けていると、パートナーシップの輪を築けないだろう。大切なのは、相手の文化や習慣を差別せず、しっかりと尊重することである。そのうえで、礼儀をわきまえて相手のことを理解しようとすることが重要だと思う。
この研修中、私はネパール人メンバーに自分の行動や価値観、嗜好を一度もバカにされたことがない。それどころか、皆私に興味を持ってくれて、尊重してくれたのだ。また、私もネパール人メンバーの行動や価値観を批判することはなかった。むしろ、自分の意見を持っているところや、相手のことを家族のように接するなど、とても尊敬できる部分が多かった。
私は決して英語が堪能なわけではない。また、日本文化について聞かれてもうまく答えられないことが多々あった。それでも別れ際、私は涙を流しそうになった。そして、帰国後も彼らと連絡のやり取りが続いているパートナーシップを築くことに成功した。これはやはり「互いに相手の違いを尊重し合う」ことが起因していると思う。この研修を通じて改めて学べた。

私は今後もネパール人のみならず様々な国籍の人と交流していきたい。もちろん、その時は日本の常識では考えられない多くの異文化に衝突すると思われる。それでも、拒絶せずにしっかりと尊重して向き合いたい。そして、その人たちとパートナーシップの輪を築いて「世の中の困った」を解決できるように日々勉強しようと思う。
お世話になったホストファミリーへ日本からのプレゼント

2017年4月4日火曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 報告書 (2)  望月千里 (筑波大学1年・参加当時)  「考え、学ぶことの重要性」

「考え、学ぶことの重要性」

望月千里(筑波大学1年)

 きっかけは偶然だった。大学入学当初の私は、まさか自分が発展途上国と呼ばれる国、「ネパール」の地に足を踏み入れる日が来るとは思いもしなかっただろう。今、2週間のMero Sathi Projectを無事終了し、日本に帰国した私の心の中には様々な想いが立ち込めている。この報告書では私がネパールでの2週間を通して学んだことや心境の変化について述べていく。
 準備段階での一番の懸念材料は、日本人メンバーで女子が私ひとりであったということだ。出発前までは昨年ネパールに渡航された先輩や、大学内にいるネパール人留学生からアドバイスや注意すべき点を聞くことができたものの、日本を出発してからは自分1人で様々な壁を乗り越えなければならない、というプレッシャーと不安を感じていた。しかし、それらの感情は現地に着いてからさっぱりと私の心から消え去っていた。確実に言えることは、私を周りから支えてくれた日本人メンバー、そしてネパール到着後から帰国するまで暖かく私を迎え入れてくれたネパール人メンバーに助けられたからである。私は、今回のプロジェクトはこの人々の暖かさに助けられたおかげで成功したと言えるくらい、言語の壁を乗り越えた人との心のつながりが重要なものであったと感じる。
 この2週間の経験を経て、私は大きく2つのことを学んだ。
 まず、国際協力という言葉の重みについてだ。私は今まで日本で何不自由なく平和な生活を送ってきた。その一方で世界では貧困や紛争、人権搾取などで日々の生活を苦しめられている人がいる。いつからか私はこの現状にもどかしさを感じていた。今回、シクレス村に数日間滞在し、村の人たちへのインタビューを行うことで、「国際協力」という言葉自体に疑問を感じるようになった。村の人々に話を聞くことで村の実情を理解することは簡単だが、果たして自分たちに何ができるのかを考えたときに、私の頭には何も浮かばなかった。ネパールに色濃く根付いているカースト制度。それを根本から変えることは私たちのような外部から来た人間には不可能に近い。また、シクレスのような都市から離れている場所で、村の住人たち何かを始めることも簡単ではない。そう考えたときに、先進国である日本から来た私が、直接この国に何らかの形で支援をしようなどと考えること自体、あまりに安易な考え方であると気が付いた。
また、政府からの支援が本当に生活に困窮している人の手に届かないという実態を知ったときに、支援とは何なのか、誰のために行っているのか、果たしてそれが本当に必要なことなのか、様々な想いが頭をよぎった。このインタビューを通して、現地の人々の声に耳を傾けることは必ずしも解決策を導くものではなく、私にとってそれは現地に介入することをより慎重にさせるものとなったのだ。しかし、そういった答えの見えない問題について現地の学生と頭を悩ませ、議論する機会が与えられたことは非常に貴重な経験だと感じている。日本とネパールという違った視点からある問題について共に考えることで、現地の人だからこそ浮かんでくるアイディアや、逆に客観的にネパールを見ることのできる私たちだからこそ見えてくる新たな課題などを共有することができた。
 次に、Deaf organizationへの訪問だ。この活動は当初プロジェクトに含まれていなかったが、ネパールの社会事情について直接聞く良いきっかけとなった。Deaf organizationではAAEEのメンバー、そして通訳の方以外は耳が聞こえず話すこともできない。そのため、私たち日本人メンバーは現地の人とコミュニケーションをとる際に、ネパール語や手話を通訳してくれる人が欠かせなかった。今までこの通訳という立場を特別意識したことはなかったが、この時私は2回の通訳を経てやっと相手の言っていることが理解できる、というこのプロセスにもどかしさを感じた。もちろん、異国の地では誰かの手を借りなければ相手の伝えたいことを理解できないのは仕方がないことである。ただ、耳が不自由であること、ネパール人であること、というこのたった2つの差異がコミュニケーションをいかに複雑にしているのかを実感し、通訳の存在が今回のプロジェクトにおいていかに重要であるのかを再認識した。
 その一方で、同時にDeaf schoolに訪れたことで耳が聞こえなくとも、言葉を発せずとも心は通じ合えるのだということを学んだ。学校に着いた瞬間、興味津々に駆け寄ってくる子どもたち。普通の子どもたちと何ら変わりない様子で学校生活を送っていた。ただ、彼らは耳が不自由なだけなのだ。この学校へ訪れたことで私は耳が不自由なのは社会的に見ると一見大きな弊害のように感じるが、実際個人として関わるとそこまで大きな壁ではないのだと気が付いた。子どもたちのあふれんばかりの笑顔、異国の地から突然訪れた私たちをなんのためらいもなく受け入れてくれた暖かさ、耳の障害をもろともせずたくさんの質問を投げかけてくれたその姿勢。私がネパールで目にしたかったものとはこういうものであったに違いない。ここでの経験は、自分の今までの考え方を大きく変えてくれるものとなった。そしてDeaf schoolに訪問したことで、私たちが目を向けるべき対象は社会的弱者と呼ばれる人たちなのだと改めて気づかされた。今まで私は当たり前かのようにそれを認識しているつもりであったが、実際に社会で不自由な生活を送っている人々と触れ合うことで、本当の意味でこの大切さを理解できたような気がする。直接会い、話をすることで彼らの苦労や悩みを知り、それと共に彼らの団結力や困難な状況においても立ち上がる強さを目の当たりにした。
 今回、このプロジェクトに参加したことで得られた経験は、他の何にも変えることのできない貴重なものである。それを今後に生かすためには、学生の本望である自身の学びへ取り入れていく必要がある。答えのない問題に取り組み、頭を悩ませながら考えることで、その経験自体が今後自身の将来を決定するにあたり大きな影響を与えるものとなるかもしれない。
 そして最後に、今回プロジェクトに携わったすべての日本人、ネパール人に心からの感謝を伝えたい。

ネパール Mero Sathi Project 2017 報告書 (1)  山岡大地 (上智大学総合グローバル学部2年・参加当時)  「人」と「文化」




「人」と「文化」


    上智大学総合グローバル学部2年(参加当時) 
山岡大地


  私がネパールを訪れるのは今回が二回目でした。さらに言えば、カトマンズ、ヌワコット、シークレス、ポカラの四カ所すべてを前回のプログラムで既に訪問しており、「新しい世界と出会ったときの衝撃」というものはほとんどありませんでした。しかし、だからこそ、より自然体で考え、議論し、楽しむことができたと思います。そして、プログラム中に出会った現地の人々や、旅を共にした学生達など「人」をより重視した体験をすることができました。
この報告書では今回のプログラムを通して私が感じた事柄について、「人」と「文化」をテーマに書きたいとと思います。

1. カーストという文化
 シークレスを訪問した私たちは「参加型農村調査」として現地の人々の家を周り、簡単なインタビューを行いました。シークレスは街から離れた山中にひっそりと営まれている村です。雄大なヒマラヤに臨み、車の騒音も聞こえません。すれ違う人に挨拶すると、必ず笑顔で「ナマステ」と返事をしてくれます。まさに天国を体現したような村ですが、そこに住む人々の生活を知り、私は衝撃を受けました。
 私たちはゲストハウスのオーナーさんの計らいで、生活水準の異なる三つの家庭を訪問しました。印象的だったのは経済的に最も貧しい家族の暮らしぶりです。足を悪くした老人と、その息子の元妻、そしてその赤ちゃんが暮らしていました。息子本人は家族を養うことを諦め、逃げてしまったそうです。取り残された家族は物乞いで生活していると言っていました。ここで注目すべきはカーストの存在です。シークレスのような小さなコミュニティーにも(というよりむしろこういった都市から離れたネパールの農村地域には)カーストが深く根付いています。貧困に苦しむこの家族は「低いカースト」とされて、周囲の人々からの支援を受けられないどころか、家に入ることすら拒否されるといいます。前述のとおり、シークレスは天国のような場所で、一見するとすべての人が協力し合って生活しているような印象を受けます。しかし、実際には差別や貧困の問題が残っており、驚きました。

 私たちはこの調査を終えた後、村の学校で長年教師として働いていた方をお招きし、村の生活の向上のための「提案」をすることにしていました。元教師の方は老人、という印象でしたが、流暢な英語で私たちと受け答えをしてくれました。ところが、話が進むにつれ、話題はあの家族のことに移っていきました。日頃からカーストについて問題視しているネパール人メンバーにとっては最も神経を尖らせる話題で、その教師の方との意見の対立が目立ちました。そして、「もしその家族が訪問してきたとしても、私は家に入れないだろう」と元教師の方がはっきりと言うと、ネパール人メンバーは呆れた様子で、以降ほとんどその方の話に耳をかさなくなりました。私自身もなぜこのような人が教師として子供達を教育していたのかと残念な気持ちになりましたが、日本人メンバーの関愛生は別の視点を私に与えてくれました。彼はネパールに住んでいた経験があり、カーストの問題についても客観的に、より深く考察していたのだと思います。彼によれば都市で育ち、高等教育を受けたネパールの学生が、農村の老人の主張を理解しようともせず、突き放す姿勢にも大きな問題があると言います。
 その通りだと思いました。カーストは深い歴史背景があり、あの場で元教師の方を責めることは何の意味もありません。例えばネパール人がみんなダルバートを好きなように、農村に暮らす人にとってカーストは当然のことであり「文化」だと考えられます。これを単に悪とし、それに加担する人を悪人とするだけでは、問題解決から遠ざかる一方です。どんなに理不尽だと思っても、まずは相手の文化を理解するという姿勢はどんな場面においても重要だと感じました。

2. 再会した人々
 二回目の参加で最も嬉しかったことは、私のことを覚えてくれている人がたくさんいたことです。前回、シークレスでは「フクロウ祭り」に飛び入り参加し、ソーラン節を何百人もの方々の前で踊りました。当時は訳も分からずとにかく踊っただけでしたが、一年経っても覚えてくれている方が大勢いらっしゃって、とても幸せな気持ちになりました。ポカラにあるシャムロックスクールの生徒たちも、前回、私とサッカーをしたことを覚えていて、再訪を喜んでくれました。今回は異なる形式での交流だったので、より深く彼らを知ることができました。また、私たち自身についても興味を持ってもらえたことが何よりも嬉しかったです。
 プログラムに参加することを決めた時、「なぜ自分はまたネパールに行くのか」を問い続けましたが、正直、明確な答えを出すことができていませんでした。しかし、彼らが喜ぶ姿を見て、「この人たちに会うために来た」というのが答えだと感じました。何か大きなことを成し遂げたわけではないけど、二回目の訪問に大きな価値を与えてくれた出来事でした。

3. 人と文化
 私は「文化」という言葉があまり好きではありません。定義が曖昧で分かりづらいからです。正直、異文化交流というこのプログラムの目的にも、当初は違和感がありました。どこか表面的で、奥行きの無い活動に聞こえます。法被をまとい、ソーラン節を踊り、日本食を作り、学校の子どもたちに「日本の文化」を伝えることが、本当に異文化交流なのか。
 しかし、今回のプログラムで私が感じたことは「人」それぞれが異なる「文化」を持っているということです。確かに、ネパール人メンバーにのみ共通する習慣はあります。食事などはその典型で、みんなダルバートが大好きです。しかし、その人にしかない性格や特徴の方がより大きな割合を占めるのも事実です。ギターが得意な人、踊りが好きな人、耳が不自由な人、意見をはっきり言う人、場を盛り上げる人、夢を持っている人、…。こうした様々な「人」という「文化」が交じり合って、一つのチームになっていくことが、真の意味での異文化交流なのだと思います。そして、「○○人」という概念が、実はあまり大きな意味を持たないことにも気づかされました。
 たった十数人の大学生が二週間共に旅をしたところで、世界が変わるわけではありません。でも、今の世界ではすべての「人」の「文化」が交じり合い、仲間になることが求められているわけであって、この点において私たちの行った異文化交流の方向性は決して間違っていないと、誇りをもって断言できます。このプログラムが今後も継続され、Mero Sathiの輪が広がっていくことを期待しています。

2016年12月1日木曜日

ネパール NJEP 2016 報告書 (12)  藤本沙織 (上智大学文学部2年)  「ネパール≠途上国」

「ネパール≠途上国」

   上智大学文学部2年 
藤本沙織

 
 
 
 私はこの夏、ネパールスタディツアーに参加して、人生で初めて「途上国」を経験した。このスタディツアーに参加した一番の理由は、尊敬する友人が企画・実行しているプログラムであったことだ。Facebookで参加メンバー募集という彼の投稿を見て、何も考えずすぐに「行きたい!」とメッセージを送った。二つ目の理由は、途上国に行ってみたいという好奇心からである。「国際協力」に漠然とした興味を持ち、何か自分にできることがないか考えていた私が途上国でどんなことを感じるのか知りたいと思った。そして三つ目の理由は渡航前にメンバーとの勉強会を通して気付いた後付けの理由であるが、私のもう一つの関心テーマ「教育」にアプローチする方法として途上国の教育を知るためである。「途上国の子どもたちは、学習環境が悪くても、勉強しようという強い気持ちを持っている」というイメージがあったので、典型的な日本人の教育に対する受け身の姿勢と比較するヒントを得たいと思った。
 
 私はこのスタディツアーを通して、「途上国は○○」「ネパールは△△」と一般化することはできないと気付いた。ネパールという1つの国の中でさえ、全く異なるバックグラウンドで育ち、様々な価値観を持って生活する人々がいた。また、ネパールに存在する社会問題は日本にも存在し、“より良い社会”を実現するには途上国や先進国といった線引きをすることは本質的でないと感じた。
 
 アジア最貧国と言われるネパールでも、生活水準は上から下まで様々であった。例えば、一緒にスタディツアーに参加したネパールの学生たちは、私たち日本人メンバーと何も変わらないように感じた。スマホを持ち、毎日好きな服を着て、バスの中ではお気に入りの洋楽を聴き、大学に通いながらそれぞれの目標に向かう姿を見て、私の中の「ネパール=途上国」という固定概念が音を立てて崩れていった。一方でマイダンという村で出会った子どもたちは、同じネパールに住む彼らとは対照的にとても質素な暮らしを送っていた。村では全くお金を使わず、家の周りで農作物を育て、部屋にシャワーはなく電気もほぼ使わない生活を送っていた。日本での暮らしと全く異なる生活に驚きショックを受けたが、それ以上に同じネパールでもこんなにも格差があるということの方が衝撃だった。

 途上国というと「貧しさ」を思い浮かべる人が多いと思う。私もそのようなイメージを持っていたが、途上国“だから”貧しさが存在するのではなく、途上国にも日本にも、同じように貧しさが存在するのだと思った。私はこのツアー中に初めてストリートチルドレンに出会った。観光地で写真を撮っている時に子どもが近くに来たので、一緒に写真を撮って楽しんでいたのだが、帰り際にお金を求められた。私はどうすれば良いか分からず、お金を求められたという恐怖心と、私が今数百円のお金をあげても、目の前の子の現実は変わらないのではないかというある種の諦めの気持ちから、何もせずにその場から立ち去ってしまった。貧困という大きな問題を直視するのが怖くて、見て見ぬ振りをしてしまった。あの時どうすれば良かったのか、ホテルに戻ってメンバーと話し合い、自分でも何度か考えてみたが、まだわからない。しかし、日本に戻って気付いたことは、日本にも駅の周りや公園にはホームレスの人々は存在すること、そして途上国の貧しい人々を助けようという声は多く聞くのに、実際に日本で自分のすぐ近くにいる貧しい人々に意識を向け行動している人が少ないことである。貧困問題を、途上国だけの問題と考えてはいけないと思った。

 このスタディツアーは私に、「途上国」という便利な一言で表すこと自体が本質的でないことを教えてくれた。参加した理由の一つの「教育」というテーマについても、「途上国の子どもの、学習環境が悪くても勉強しようという姿勢を日本が学ぶべき」という前提に疑問を抱くようになった。確かに学習環境が悪くても、家族のため、生きるために必死に勉強する学生は途上国にはいる。しかしそれはネパールの学生全員に当てはまるわけではない。マイダンで一生を過ごす子どもにとっては、英語を勉強することに何の価値もないのかもしれない。そう考えると、そもそも教育とは何なのか、私は日本の教育を良くするためにどんなアプローチを取るべきなのかという新しい視点を持つことができた。

 最後に、初めての経験と新しい価値観の発見に溢れた二週間のスタディツアーに参加できて本当に良かったと思う。ここには書ききれない多くの気付きを得たこと、そして尊敬する仲間たちと出会ったことは私の価値観に大きな変化を与えてくれた。私の文章を読んで少しでもネパールスタディツアーに興味を持ってくださったあなたに、今すぐよしきにメッセージを送ることをお勧めしたい。