2024年11月1日金曜日

VJEP2024報告書「『教育格差』とは何か」亀田 青空 (筑波大学社会・国際学群国際総合学類1年)

 


 私の夢は戦争のない世界に生きることだ。気づけば私はこのフレーズを何度も何度も言い続けている。筑波大学を受験したときも、VJEPに応募したときも、VJEPのオープニングセレモニーでも、ビンズオン省のオーペニングセレモニーでも、だ。「戦争」や「平和」といった言葉が私をうずうずさせるのだが、それと同じくらい、「教育」という言葉も私の心に刺激を与えるのだ。それはなぜか、その答えがVJEP 2024を通して明らかになった。

 私はこのプログラムでリーダーを務めたのだが、副リーダーを務めていたひなさんが、プログラムの最終日のスピーチで、“Education, I believe, includes everything a child receives from others from the moment they are born(教育とは、子供が生まれた瞬間から、他者から受け取るもの全てを含む).”と述べていた。この言葉が、私がふんわりとしたイメージを持ちつつも言語化することを怠っていた教育に対する考えをそっくりそのまま体現していた。教育とは、他者から受け取るもの全てのものを指す、つまり他者から受け取るものが変化すればその人の価値観や考え方、人格ですら変化する。だから教育というものは戦争のない社会を実現するための重要な要素であり、そのために私は「教育」というものにも突き動かされるのだ。

 一瞬はスッキリしたようにも思えたが、帰国後、私は一つの矛盾と向き合った。教育が、子供が生まれた時から受け取るもの全てを指すのであれば、今回のVJEPでテーマとされた「教育格差」とは何なのだろう?ということだ。格差があるということは、「良い教育」と「悪い教育」が存在するということで、その二つの間に大きな乖離があるということである。しかし、そういった「良い教育」と「悪い教育」があると評価してしまうと、子供が他者から受け取ったものを「良い」「悪い」と評価してしまうことになり、それは個人の人格や価値観や考え方までもを測ることになる。例えば、VJEPでは、教育格差の上位の現場としてHigh School for the GiftedViet Anh Schoolを見て、教育格差の下位の現場として、Ms. Ba Volunteer Schoolを見た。しかし、それはHigh School for the GiftedViet Anh Schoolの子供達が他者から受け取ったものを「良い」ものとし、Volunteer Schoolの子供達が他者から受け取ったものを「悪い」ものとしているわけではないことは明らかである。High School for the Giftedは、ある一つの学問分野に対し非常に長けた能力を育成する教育機関であり、クラスは英語や日本語、科学や数学といった専門分野に分かれ、自らの専門とする領域における高い実力を身につけることで社会で活躍することを目標とする場所である。そのため、専門領域以外に関しては、普通の高校に通う生徒と同程度かそれ以下の能力を持つ生徒がほとんどであるというのだ。

 High School for the Giftedでディベートのアクティビティを行った時、非常に頭がいいという印象を受けたのは事実だが、この教育システムは現在日本で流行している幅広い学問を学び視野を広げていくリベラル・アーツと正反対のシステムであることもまた事実であり、高校生の時点で専門に絞った学習を推進する教育システムには議論の余地がある。High School for the Gifted で学ぶ生徒を一言で「良い教育を受けている」と評価するほど短絡的になってはいけない。反対に、Volunteer Schoolでは、使われる教材の質や学習環境といった面で考えると子供達が受けている教育のレベルはHigh School for the GiftedViet Anh School よりも低いと言わざるを得ないが、教育を人から受け取る全てのもの、と考えたときに、Ms.Baから受け取る愛情によって育てられた子供達が受け取る「教育」というものは本当に「悪い教育」と評価できるのだろうか?

 そういったことを考えていくうちに、「教育格差」とは、学問選択への自由度のギャップを示すものではないかと考えるようになった。つまり、教育格差の上位に属する人々は、学びたいことを学ぶことができる環境に属し、自分が好きな学問を障壁なく追求することができ、その下位に属する人はその選択の自由度が低い、ということである。このように考えると、Ms. BaVolunteer Schoolを卒業した子供たちは、皆職業訓練校にいくことが多いという事実があるなど、将来の選択の幅が限定されているということを受け、やはり教育格差の下位に属しているのだと納得がいく。反対に、High School for the Giftedの生徒は奨学金や海外大学へのアクセスがしやすく、将来の選択肢として国内大学ではなく海外大学への進学も考えやすいという点で相対的に高い教育を受けていると評価することもできるのだ。

 その一方で、私はベトナムにおいてある違和感を感じた。 

 将来の夢は何?と聞くと、自分が就きたい職業ではなく、真っ先に「海外の大学で学ぶこと」「自分の能力を高めること」との返答が返ってくること。

 ベトナムでは理系に進学する女子の割合が1割にも満たないことを受け、ベトナム人のメンバーに理系に進学する女子が少ないのはなぜか?という質問を聞いて回った時に複数人の口から平然と発される「女子は弱い」「論理的思考力に劣るので難しい学習についていけない」「その点経済は簡単だから女子学生が多い」といった女性の能力を過小評価しているような言葉たち。

ディベートの際に当たり前のように発される「女子は精神的にも身体的にも弱い」という表現。

ホーチミン経済大学の学生になぜ経済を学んでいるのか?と聞くと返ってくる答えが経済学の面白さではなく、「お金を稼ぐ方法を実践的に学ぶことができるから」という非常に現実的なものである点。

 参加者との交流が深まり、さまざまな対話を重ねるにつれ、ベトナムにおいては俗にいう教育格差の上位の環境で学んできたであろうVJEPのベトナムの参加者の人たちにとっても、学びたい学問を何でもかんでも追求できるといった環境はベトナムにはまだ完全に整っているとは言えないのかもしれないと少しずつ感じるようになってきた。大学に入学して学ぶ学問が、今後の収入の確保、国内で安定した職に就くため、女子学生への偏った評価など、さまざまなことが原因で限定され、学問が好奇心を満たすためではなく、お金を稼ぐための踏み台となり、知的好奇心に基づいた学問選択が阻害されているという現状がある。もっと多くの学生が自分の興味関心に沿った学問選択ができるよう、どんな学問を学んでもそれを活かすことのできる職業へのアクセスを設けることや、幅広い分野における学問の発展など、多くの側面での国家としての発展が必要となってくるのかもしれないと感じた。

 このプログラムに参加した多くの方とは違い、異文化交流を通じて感じたことではなく、これまで全く違う経験をしてきた彼らの何気ない会話を通じた違和感から、「教育格差」について感じたことを報告書にまとめることにした。こういったことを考えることができたのは、日本人の参加者やベトナムの参加者と友人として交流し、友人として彼らの素直な言葉を受け取ることができたからに違いない。

 報告書では、まるでベトナムの教育が日本に比べて劣っているというような書き方をしているように思えるかもしれないが、決してそういう意図はない。日本でも学歴至上主義や都市と地方の格差、海外大学へのアクセスの少なさなど、学問選択の自由度が決して高いとは言えない。また、ベトナムの学生は私よりも遥かに頭が良く、学びに貪欲で、優秀であり、の自らの能力を高めることへの圧倒されるほどの高いモチベーションは決して真似することができないものであった。

 そんな彼女たちから得た学びを今後も大切に心に抱いておきたい。




VJEP2024 報告書 「越南回顧録」(東京大学教養学部理科二類2年 中崎 日向)

  


ベトナムを発って二日後の今日、私はパソコンに向かってこの文章を書いている。関教授のここを離れて一週間後にはもうこのプログラムは思い出の中の出来事になっている、という言葉を到底信じられなかったので、一週間待ってやろうと思っていたのだけれど、どうやらそれは正しかったらしい。私の人生の中で一番中身の詰まった十四日間は、あっけなく風化していきつつある。せっかちな私は、記憶が薄れるのに気がつきながら一週間も待つなんてことができずに、書き始めたというわけだ。

 飛行機で六時間のフライト。映画を二本見るとか、ちょっと満足できるくらいの睡眠をとるとかってことくらいはできる時間をかけて、私はベトナムへ行った。文化も言葉も違う人々と過ごす日々は、楽しくて、驚きに満ちていて、ずっとどこか緊張感が漂っていて、永遠に続くようにも瞬きする間に過ぎ去ってしまいそうにも感じる、不思議な時間だった。ベトナムの学生七人は、英語を使いこなす力だけでなく、満足な英語を話せないこちらを待つ忍耐力も、足りない内容を補填する洞察力も、圧倒的に優れていた。彼女たちはまた、個人的な問題や考えについて話すことも躊躇わなかった。話しにくいかもしれないけどと私が前置きすれば、そんなこと気にしないでと笑う強さを持って、私の個人的な意見も真正面から受け止めてくれた。私たちを理解しようとする姿勢を全身で示し続けていてくれた彼女たちに、けれど私は自分の考えを十分に説明することができなかった。語学の勉強を怠ってきた自分をこれほど恥じ入る気持ちになったのは初めてだ。日本を発つ前に、母国語で話す時と同じくらいベトナムに住む人々とも分かり合えたら、などと考えていた自分の浅はかさを身にしみて感じたし、自分の無力さが悔しくて仕方がなかった。異文化交流に留まらず、互いに理解し合うために超えなければならない壁は、びっくりするほど高い。身振り手振りを交えつつ、足りない英語で何とか自分の考えや気持ちを伝えようと格闘した経験は大切に抱えていこうと思う、なんて綺麗なまとめ方ができないくらいに、悔しかった。今でも悔しい。不甲斐なさでお腹の底がジリジリ焼けるような感覚が、ずっと続いている。でも、こうやってぼやいているだけじゃ仕方がないから、未来で同じことを繰り返さないように、この後悔をできる限り噛み締めてこれからに活かそうと思う。

 さて、私がベトナムで目にしたのは、教育格差そのものだった。十に満たない頃から英語学習を始める小学生や、通常の科目に加え特に優れた一科目を専門で学ぶことができる高校生と、日中は外に出て働き、夜は年齢の別なくチャリティークラスで学習する子どもたちの断絶は凄まじい。後者の子どもたちは、様々な理由から正規の教育にアクセスすること自体ができないそうだ。彼らの現状を打破する方法を見つけることすら難しい中、今プログラムの主題である持続可能な教育を実現するのは気が遠くなるほど長い道のりだろう。けれど、きっと実現できる。チャリティークラスを運営するMs.Baを見て、私はそう思った。彼女は自ら路上に立ち、宝くじを売って得たお金でチャリティークラスを運営なさっている。九十歳を超えられた今でもご自身で稼いだお金で子どもたちに教育の機会を提供されている姿、子どもたち一人ひとりに寄り添うように立ち、声をかける姿から、私にはMs.Baの強い意志が感じられた。

 子どもたちに少しでも多くの可能性を、今より少しでも幸福な未来を。

 私が持続可能な教育を実現するために必須だと思うことは、まさにこの願いだ。そしてこれは、私たち大人が果たすべき責任でもあると思っている。Ms.Baはこの願いを叶えるために、現在進行形で行動なさっているのだ。私はMs.Baのようにはなれないかもしれないけれど、彼女の真摯な姿勢に倣いたいと強く思った。そして、私が彼女の姿に心を動かされたように、この文章を読んだ人が、これから私が何らかの形で働きかける人が、あるいははるか4,000キロ離れた場所で触れ合った人々の誰かが同じ願いを抱いてくれるよう、その輪がますます広がっていくよう、子どもたちに対し誠実な姿勢を取り続けたい。

 とはいえ、世の中には色んな考え方があって、誰かにとっては私の願いは押し付けがましくうざったいものである可能性だってある。話の腰を折るようだが、このこともまた、ベトナムに行って私が強く感じたことの一つだ。ベトナムで二週間過ごす中で、私がどうしても納得できなかった文化や思想があったように、ベトナム側の参加者も私に対してそう感じることがあっただろう。例えば、私はその場の空気感で予定がくるくる変わってしまう性質に最後まで慣れることができなかったけれど、ベトナムに住んでいる人からすれば珍しいことでもなかったりする。裏を返せば、何でも予定通りに進めて欲しい私の方が、彼女たちから見たら異様だったかもしれないということだ。この世界に生きる人全員が、色んなことを見て感じて考えて、生きている。文化圏の違いがあってもなくても、各々経験してきた出来事が違うのだから、人によって価値観が異なることは当たり前のことだ。でも、異文化に晒され、相手から自分がどう見えるかについて考えざるを得ない状況に置かれて、私はそんな当然のことを鮮烈に実感したのだった。このことを認識していなければ、自分の願いを他の人にも伝播させる、なんてことは果たしようがない。誰かと話していても大抵の文化的背景を共有している母国に住んでいると、私はいつも当たり前を忘れて一元的な見方をしてしまう。他者の価値観に想像が及ばない自分を戒めるためにも、何度もこのプログラムで得た経験を反芻しよう。そうして、子どもの笑顔が今より溢れる未来を形作る方法を模索し続けよう。

 異文化交流の難しさを理解することも、教育に対するこれからの展望を持つことも、これまでの内省を行うことも可能にしてくれるなんて機会は、そうそうない。このプログラムに携わってくれた全ての方々の力添えに報いるためにも、日々に溢れる成長の機会を取りこぼさないよう丁寧に過ごしたいと思う。


VJEP2024報告書「たった二週間、されど二週間」遊佐 望 (東京理科大学理学部化学科3年)

 

 そもそも本プログラムを知ったきっかけは、他の参加者は主に過去参加者の紹介であるのに対し一味異なる。GoogleマップからJICA地球ひろばを発見し、JICAのホームページへ遷移すると、「外務省・JICA後援AAEE」のような文字が飛び込んできた(ような気がする)。結果的に自身の調べ癖が幸いして辿り着いた。たしかに夏休みを利用して何かしらのプログラムには参加したいと思っていたり、友人たちも短期留学を検討していたり、と様々なことが起因して非常に興味が湧いたのは事実である。しかし、普段英語に触れる機会がかなり少なく、英会話のラリーがスムーズに続くかさえ不安だったため、応募すること自体をかなり躊躇った。どのような選考状況か、適性があるかを応募締切2日前に直接問い合わせ、そのまま応募。そこから気づけば3ヶ月が経過し、817日。私はベトナム・ホーチミンに降り立っていた。私にとって二度目のベトナムである。昨年2月に友人と訪れたのだが、今回は全く異なる感情を抱いて帰国することとなる。帰国から二週間経過した今もなお、余韻が残る。

参加する決め手となった最大の目的、それは「コンフォートゾーンからの脱却」である。本プログラムの魅力は旅行代理店等を介することなく、大学や自治体との直接的な連携により、私たち日本人参加者も直にベトナムの人々と関われる点である。一見、素晴らしいことのように聞こえるが、同時に各参加者には創意工夫を凝らし、積極的に人々とコミュニケーションをとる姿勢が求められる。つまり、参加すること自体で私の目的はおおむね達成されるものの、達成度は14日間の過ごし方に委ねられる訳だ。また、本プログラムの意義が「交流(exchange)か協働(collaboration)か」のどちらか。この問いを念頭に置き、次にどんな行動を取るべきかを考えながら臨んだ。

私にとって「交流(exchange)か協働(collaboration)か」という問いは、非常に難しかった。本プログラムは” exchange” programであるが、「持続可能な開発のための教育(Education for sustainable development)」という根本的な活動テーマがある。交流を行った上で、教育という大きなテーマをベトナムの学生とともに議論しなければならないのだ。しかし、参加後気づいたことがある。そもそも二択ではなく、交流→協働という順に作用するものであり、協働を行うには交流が必要不可欠であるということ。ベトナムの学生たちと教育について議論する以前に、親睦を深めなくては事が進まない。拙い英語で積極的に話しかけ、交流を行った。時間が経過していく中で、初めは日常会話から始まり、日本とは全く異なる教育のシステムや価値観、宗教の話題まで会話は広がった。協働へ移ったと初めて感じたのはディベートの準備の時間である。英語でのディベートはおろか、日本語での本格的なディベートさえ経験したことのない私に親身になって教えてくれ、「あなたはどう思うの?」と双方の意見を統合することで、協働へと繋げていた。

 最も驚いたかつ刺激になったことは、7人の参加者やオーガナイザー含め参加したベトナムの全学生たちのエネルギーである。無論、元気やパワフルのように一言で表すことはできない。このエネルギーの原動力は、物事に対する意欲に違いないと肌で感じた。こう感じた場面をいくつか挙げる。初対面の際は、笑顔でたくさん話しかけてくれた。日本のように人見知りという文化は存在しないのか、はたまた偶然明るいメンバーが集められたのかと疑ってしまうほど私たちと積極的にコミュニケーションをとる姿勢が伺えた。戦争についての博物館を訪問した際には、「インターネットにもどこにも載っていない情報を教えてあげるから!」と自国の歴史を流暢に説明してくれた。特にディベートや模擬国連などの活動の前夜には、夜遅くまで準備に注力している姿が印象的だった。割り当てられたチームのメンバーが別部屋ならノートパソコンを片手に部屋まで赴き、別のホームステイ先なら画面通話で共有しながら準備を進める。これらの一つ一つの活動に対する意欲の高さは、一体どこから来ているのか。そして、自分とどこで決定的な違いを生んでいるのか。自分なりに考察した結果、決して私自身の意欲が低いという訳ではなく、彼女たちはどんなに些細なことも吸収したいという貪欲さに満ちていると気づいた。ディベートの準備の際、忘れられない出来事が起きた。ディベートは3人チームで、私以外の2人はベトナム人メンバーであった。ここで、一方の学生の意見をもう一方の学生は全く理解できないと反発し、真っ向から衝突した。私はその状況に驚くばかりか、むしろ感銘を受けてしまったのである。双方が自分の意見を確立しており、各々の根拠には深みがある。そして、芯を持っているからこそ意見を曲げない。幼い頃から他人の意見を尊重するように、と言われてきたためかこのような場面に遭遇するのは稀であった。気を遣わずに、良いものは良い、悪いものは悪い、とはっきり意見をぶつけられる感性が羨ましくなった。

ベトナム人学生らが何事にも貪欲で、芯を持っているという気づきから発展し、私自身がどれだけ受け身で教育を享受してきたかを思い知らされた。受験や試験のために勉強する。能動的に勉強に向き合ってきたと思っていたが、彼女たちに比べれば過去の自分の姿勢はあまりにも受動的であった。また、教育についての自分自身の明確な考えをあまり確率できていなかったため、いざ「あなたはどう思うの?」と聞かれると言葉に詰まってしまうことが多かった。

ただ、ベトナム人の参加者7名はいずれもHigh school for giftedと呼ばれる優秀な高校を卒業しており、ある程度恵まれた環境で育ったのは間違いない。ある会話の中で大学進学率を聞いてみると、ベトナムのほとんどの生徒が大学に行く、と言うのである。実際に調べてみると53%であった。彼女らの高校では大学進学率はほとんど100%というが、こんなにも差が開いていること、そして彼女たちもこの事実をこれまで全く知らなかったという事実に素直に驚いた。しかし、日本の大学進学率も57.7%であり、私自身も彼女たちと全く同じ状態であると気づかされた。教育の格差が囁かれていても、実際はその現状について全くの無知であることに恥ずかしくなった。さらに、ビンズオン省では3つの教育現場を実際に訪ねた。教育現場はインターナショナルスクールの小学校、High school for gifted、ボランティアクラスと三者三葉である。特に、インターナショナルスクールの小学校とボランティアクラスに通う生徒は同年代の子供たちだが、前者は活発で挙手が絶えないのに対し、後者はかなり静かで英語が全く話せない。両者で授業を行ったが、英語の理解度が全く異なるため敢えて授業内容は違うものにした。前者ではベトナム語↔英語↔日本語と3か国語を介してスライドを用いた授業を行ったが、後者ではモニターなどの設備がないためベトナム人の学生に翻訳してもらう形で折り紙を一緒に工作した。もちろん「持続可能な開発のための教育」の実現に向けて大躍進をしたわけではないが、学生たちとの会話だけでは見えてこなかったベトナムにおける教育格差の全体像が教育現場を訪れたことで少しだけ見えた。学生たちとの会話、そして実際に足を運んで、どの国にも教育格差の根本には無知があると痛感した。もちろん、世界各地で教育の不平等が問題になっていることの事実も知っている。しかし、私はその事実や現状のみの表面的な側面を知っているだけで、何をすべきか、どうすべきか、いつまでにすべきかといった実践的な側面には全くもって無知であると自覚させられた。自分にできることは何かを模索したい。

14日間の経験から体得した教育についての見解を記す。まず、教育は人種、性別、経済状況に関わらず、全ての人がアクセスできるものであることが大前提である。これはベトナムの学生と帰国後に交わした言葉を借りたものだが、「持続可能な開発のための教育」を実現するには、教育がこれを満たしていないといけない。特にボランティアクラスを訪ねたことで、経済状況による教育の壁に関心が高くなった。貧困を減らせば、教育の場が増え、貧困や教育問題を理解する人々が増える。教育の場を増やすことと、貧困を解決することは表裏一体であるという結論には至ったが、まだまだ教育について知らないことが多く、そう単純な問題ではないのだろう。

振り返れば、意思疎通においてこんなにももどかしい思いを経験したことがなかったと思う。積極的に話しかけに行ったことで数多の交流ができたが、「もっと英語がわかれば理解できるのに…」「この表現がわかれば伝えられるのに…」という後悔を何度もした。言語の壁が災いして、せっかくの貴重な活動も100%の力を注げなかったことがあった。しかし、これらの苦い経験により私の言語学習に対するモチベーションは高まり、さらに言語自体への認識が改まった。以前まで、言語は単なる意思疎通の手段という認識に過ぎなかった。毎日、これはベトナム語(日本語)で何と言うの?という類いの会話が絶えなかった。ベトナム人メンバーにスラングや乾杯の挨拶を教えてもらい、逆に日本語でも同様のことを教える。日本語とは抑揚も発音の方法も全く異なるベトナム語を通して打ち解けられた。ホームステイ先のベビーシッターの方に英語が通じず、翻訳アプリを用いて必死に伝えようと試み笑いあったのもとても良い思い出である。すなわち、言語の役割が意思疎通の手段である以上に、人同士を繋げるためにあると実感した。

最大の目的であった「コンフォートゾーンからの脱却」について考察したい。環境の側面では水シャワーやドライヤーがない等、普段の環境とは全く異なるためいかに恵まれた環境で過ごしているかを再認識した。ある意味、コンフォートゾーンから脱却できたと言えるだろう。設備的な環境を除外した側面から目的の充実度を再考する。やはり、国籍が異なっても話しやすい人と行動を共にしたくなってしまうものだ。英語が障害になり、なおさらその傾向が強くなってしまったと感じる。そのため、ベトナム人メンバー全員と満遍なく、かつ同じ話題について話せたわけではない。また、英語しか話せなく、お手洗い以外は常に隣に誰かがいるという状況は窮屈に感じたことが多々あった。特に最後のホテル滞在の部屋割りではベトナム人メンバー2人に対し、日本人は私1人であった。だが、思い返せば彼女たちはあらゆることに気を遣っていてくれた。私たちの街散策やカラオケに行きたいという要望、部屋での過ごし方、フリータイムのスケジュールまで、ありとあらゆることに甘えてしまっていた。ベトナムで開催されたということもあり、日本側の学生はややお客様のような扱いを受け、両国の学生は完全に対等ではなかったかもしれない。それでも、常に笑顔でいる事だけは忘れないようにした。言語が通じなくても、どれだけ疲れていても、彼女たちに最低限の敬意は伝えたかった。

感想を端的に表すなら、楽しかった。これに尽きる。学んだことは数え切れないが、既に記憶から抜けていることもあり、全てを書き記せないことが残念である。たった二週間、されど二週間。人間関係が垣間見えたり、異国の地に住む同世代の子が自分の長所に気づかせてくれたり、国民性に触れたり、旅行ではできない貴重な経験をさせてもらった。良い面も、そうでない面も。特に、今回の活動テーマに沿った様々な教育へのアプローチは一生忘れないはずだ。しかしながら、未だ「持続可能な開発のための教育」に対する理解も具体的な方策も曖昧というのが正直なところである。

最後に、本プログラムに関わってくださった方々に改めて感謝の意を示したい。4,000 km離れた遠い地ベトナムで、この瞬間も貪欲に学ぶエネルギッシュな友人たちにまた会える日まで、私自身も学びを続けたい。あのとき、参加を決めて本当に良かったと心から思っている。



VJEP2024 報告書 「2週間で得た探求心」山﨑柚葉 (獨協大学外国語学部交流文化学科1年) 

 2週間で得た探求心

獨協大学外国語学部交流文化学科1年 山﨑柚葉

 

 「ベトナムで何したの?」帰国後掛けられたこの言葉に、何も答えられない自分がいた。ベトナムメンバーとの交流、様々な学校への訪問、集大成としてのMUNなどやったことを言い並べることは出来るが、このプログラムで得たものは何か、これから時間をかけて考えていく必要があるだろう。しかし、この経験がとても濃く貴重なものであったことは確かだ。そんな私の2週間を、少しずつ振り返っていきたい。

 出発前日、私は何度も「行きたくない」と口にしていた。というのも、これまで海外に行ったことがなく、気候や食事、生活習慣などに大きな不安を抱いていた。その上、テーマに関する知識や英語力が圧倒的に足りていないことも自覚していた。なぜこんな私がこの選考を通ったのか、答えが出ることなく始まったこのプログラムでいちばん大きかったものは、異文化交流だったかもしれない。

 Education for Sustainable Development”というテーマがあったものの、ベトナムでベトナムメンバーと共に過ごしたことは特別だったと思う。例えば、国旗が至る所に掲げられていたり、多くのバイクが通っている道を渡ったり、外で食事をしていたりと、街を歩くだけでも様々な驚きがあった。また、互いの文化を、日常や伝統的なものから少しアカデミックなところまで話す中で、私自身が日本についてあまり知らないことにも気付かされた。ベトナムメンバーからは私が1つ質問すると何倍にもなって答えが返ってくるが、私は「なんで?」と聞かれても答えられないことが多々あった。さらに、宗教やジェンダー問題など慎重に扱うべきトピックについても、「シリアスじゃないよ、普通だよ」と言ってたくさん教えてくれた。ベトナムメンバーは学ぶことに対しての喜びが大きく、それは見習うべき点だろう。「一生新しいことを学び続けると思う」と言ったベトナムメンバーもいて、ある特定の分野に縛られず学び続けることは素晴らしいと感じた。

ビンズオン省へ移り学校への訪問をする中で、教育格差の現状を目の当たりにした。特にボランティアクラスへの訪問は、テーマについて考える上でとても大きな役割を果たすと思う。日本メンバーでの振り返りで、インターナショナルスクールの小学校ではほとんどの生徒が元気よく積極的に発言していたが、ボランティアクラスでは言語の壁があるものの、控えめな子が多かったというものが挙がった。教育環境の差が、知識量だけでなく態度にも表れていると考えられる。このような格差をなくすためには、持続的に教育の場を提供しなければならない。質の高い教育、適切な学習環境、学生への支援制度などを確保し続けることで、教育を受けられない子供が減っていくのではないだろうか。しかし、私たちがビンズオン省で行ったのは、たった1ヶ所に対してのたった1度きりの支援だ。アクティビティ後、鉛筆などをクラスに寄付した。もちろんそのクラスにとって貴重な資源で、役に立つことは間違いないが、これが持続可能な解決をもたらすわけではない。では、そもそも“Education for Sustainable Development”とは何だろうか。持続可能な開発を達成するための教育。子どもたちに深く考えさせ、問題を解決させ、物事のつながりを理解させ、何が正しくて何が間違っているのかを考えさせることで、持続可能性に関する考えを教育に取り入れるのだ。子どもの時から持続可能性に関する考えを学ぶことで、成長してから解決に向けて動くことができたり、次世代の子どもたちに受け継ぐことができたりと、持続可能な開発を達成できるだろう。例えば、ビンズオン省で私たちが訪問した高校では、SDGsのウォールペーパーを作成した。特に3枚目には、1つのゴールをイメージして自由にイラストを描いたことで、そのゴールについて深く調べ、考えることができただろう。このように身につけた知識は、その後の社会問題に対する関心にもつながり、持続可能な開発の達成に近づく。しかし、私たちが小学校やボランティアクラスで行った活動は、文化的な供給に留まるものだった。折り紙を中心とした日本文化をテーマに授業を行ったが、持続可能な開発に関する知識の提供はできていない。では、なぜ私たちは小学校やボランティアクラスに訪問したのか。私たちが授業を行った意義は何だったのだろうか。私は、子どもたちにただ喜びをもたらしたかったのだと思う。小学生にとって日本人(外国人)との交流は滅多にない経験である。幼いころに非日常体験を通して楽しさを感じることも大切だろう。また、このような国際交流の経験が国際社会への関心につながり、長期的に見たら持続可能なのかもしれない。少なくとも小学生にとって、そして私たちVJEP参加者にとっては、貴重な経験となった。

このプログラムは、“Education for Sustainable Development”というテーマで行われたが、結局未だ答えは出ていない。ただベトナムへ行って終わりではなく、これからもずっと考えるであろう、考えるべき問だ。この2週間で何をしたのか聞かれても、簡単には答えられない。それでも2週間の渡航を終えて、自信を持って言えることが1つある。「行って良かった。」



VJEP2024 報告書 「ベトナムでの学びを追いかけて」 (筑波大学 国際総合学類1年 小島莞子)

  今夏の渡越は私にとっては初めての海外経験ではなかったが、確実に他ではできない貴重な経験ができたと自信を持って言える。序盤は二週間の滞在期間が本当にいやらしいほど長く感じた。個人的に、プログラム開始4日目の夜に(おそらく食事のせいで)体調を崩したということもあって、このまま後10日間日本に帰ることもできず、思っていたよりも食事が合わないベトナムで過ごさなければならないと考えると気が遠くなった。ホームシックになったことはなかったし、海外にも慣れているのだ、という根拠のない自信を抱いていたのも追い打ちとなった。しかし、途中から体調不良と共存しながらもなんとかビンズオン省での小学校・ギフテッドの高校・チャリティークラスの訪問をやり通し、集大成である模擬国連を完遂し、最終日に空港では日本に帰りたくないとまで思えたベトナムでの二週間は波瀾万丈であったが自己成長につながる鍵となる経験でもあった。

 ベトナムは人も街もにぎやかで活動的で絶えず前進をしている、そんなイメージを持った。ベトナム人参加者の第一印象は、日本人メンバーがきっと口をそろえて言うと思うが、本当に明るくフレンドリーであることだ。彼女たちのいる空間は活気があり、いつも楽しそうに振る舞っているのを見るとこちらも自然と笑顔になる。ベトナムにいる間でかなりそのノリに慣れたので日本でも明るい盛り上げ係になろうかと思ったが、いざとなるとやはり難しい。加えて、彼女たちは必然的に自分を異なる視点から見てくれて思ったことは正直に伝えてくれた。私は無意識のうちに眉毛をしかめてしまう癖があることに気づかされたり、自分の表情や仕草について新鮮なコメントをもらえたりと、日本ではなかなかできない経験ができて面白かった。また、彼女たちと日常会話する中でお互いの文化や教育制度の違い、それぞれの国の社会問題について少しではあったが語り合うことができた。英語でのコミュニケーションはアクセントの違いがあって思った以上に苦労したが、このプロセスを通じて自国に対する自分の知識不足を痛感したり、当たり前だと思っていたことに対して「なぜ?」と聞かれると自分には意見がないことに気づかされたり、日本の話題についてベトナム人の視点を教えてもらったり、一瞬一瞬にたくさんの学びがあった。

 さて、二週間に渡る学術的な活動を通して、私は何を学んだのだろうか。帰国直前に日本人だけで振り返りをしたときに、私は14日間で何を得られて何を残せたのかが正直わからなくて内容のあることをほとんど話せなかった。確かに私たちは現地でビンズオン省の学校に赴いて異文化交流のための授業をしたり、エリート教育を受けてきた高校生と一緒にディベートをしたり、ホーチミンに戻ってからは模擬国連も行ったが、これらの活動が一体どのような意味を持つのかあまり理解できていなかった。これらは単発的な活動であって本プログラムのテーマであった「持続可能な開発のための教育」とは違うのではないかとも思っていた。もやもやした気持ちを解消するために、帰国してからもしばらくこのことについて考えを巡らせてみた。

 「持続可能な開発のための教育」を実現するにはどうすれば良いのか。少し話が飛躍してしまうが、現在私が考えていることは次の通りである。一人一人(もしくは数人グループ)の行動は、それ単体で見たときには意味がないほど微々たるものであるかもしれない。例えば、VJEP2024の活動ならば、ビンズオン省の富裕層の子供たちが通う小学校と生活が困難な家庭の子供たちが通うチャリティークラスでそれぞれ日本文化を紹介する授業を行ったことや、ギフテッドの高校で生徒たちと一緒にアカデミックなアクティビティをしたことが当てはまる。これらは一度きりの活動であって持続可能性を問いただされたら反論は難しいが、そこは問題ではないと私は思う。世界に大きな影響力をもたらすムーブメントは、もとをたどれば一人の人間の行動に行き着く。だから、一人一人の行動・意識は決して無意味ではない。自分一人で抱え込んでいてはせっかくの行動・意識はそこで途絶えてしまうけれど、それを他人と共有すれば課題意識は広がるし、ドミノ倒しとなって社会が大きく動くきっかけになる可能性を秘めている。重要なのは個々の小さな活動を共有すること、問題意識をたくさんの人に発信すること。互いに共有することで学べることは無限大だ。私たちに今求められているのは、活動自体の成果ではなく、その活動を通して学んだこと、考えたこと、疑問に思ったことをありのままに共有することではないだろうか。そう考えるから私は自分がベトナムで行った活動を報告会などの機会を通じてたくさんの人に知ってもらい、日本とベトナムの教育問題や価値観の違いなどを発信したい。これも教育の一つの形なのではないか、とも思う。

 VJEP2024で知り合いたくさんの時間をともに過ごした13人の仲間たちには様々な場面で助けられ、今後のモチベーションとなる刺激も山ほどもらった。両国の参加者がそれぞれ7人ずつで人数比がちょうど良く、様々なアクティビティを協力してこなしていったことで短期間でも私たちは確実に関係性を深められた。高校生の時の海外研修では国際交流の観点からは満足いく経験ができなくて、悔しい思いをした。だからこそ、VJEPで築けたベトナム人学生との国境を越えた友情と信頼、そして同じ日本にいると雖も普段はあまり会うことのない日本人メンバーたちとのかけがえのないつながりは私にとって格別で、これからも決して絶やしたくない。これほど中身の詰まった二週間は私の生涯の特別な宝物となる。

 最後になりますが、VJEP2024の企画・運営に携わっていただいた関先生、オーガナイザーの皆様、ともにプログラムを走り抜けた13人の参加者のみんな、このプログラムに参加する上で様々な面で支えてくれた家族には感謝の気持ちでいっぱいです。この夏ベトナムで得られた経験と学びをここで終わらせるのではなく、自分なりに分析して今後の人生の糧にしていけるよう頑張ります(きれい事ではなく)。今まで本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。



VJEP2024 報告書 「教育活動と交流を通して」 (筑波大学 国際総合学類2年 大山 陽)

   


 ベトナムで過ごした
14日間は、私にとって苦楽に満ちた濃い毎日であった。スケジュール通りにも思い通りにもいかないことばかりの連続で、オーガナイザーの方々や様々な教育機関、ベトナム政府等によって支えられ作られたプログラムであることを感じながら、時間やら周囲の人々やらに置いて行かれないよう必死だったことを覚えている。こうした多くの人々の尽力によって成り立ったこのプログラムにおいて、参加者として私が何を得てこれからどう活かそうと考えているのか書き記そうと思う。 

 まず私には、国際開発に携わるという人との関わりや語学力がなければ成立しないような夢があり、その夢が今の自分では到底叶えられないことを自覚していることと、その視野を広げるために参加を決めた。結論を述べると私という人間は渡航前と後で大して変わっていないのだが、本プログラムのテーマである教育とベトナム人との交流を通して得たことは間違いなく視野を広げてくれたと感じている。

プログラムのメイン活動であった小学校とボランティアクラスにおける授業を担当した私は、この体験から教育の重要性を考えた。最初に授業を行った小学校では、子ども達が皆エネルギッシュでこちらの質問に対して自信を持って回答し、授業終わりには私達にサインを求める等外からやって来た人間に積極的に関わろうとする姿勢が見てとれた。一方、小学校に比べ設備が不十分な環境で授業をしたボランティアクラスはとても静かだった。私達は小学校訪問時よりも近い距離で生徒達と交流をしたが、活発さや外から来た人間に対しての好意的に関心を持っている様子はあまり感じ取れなかったように思う。生徒が緊張しやすい環境であったにしても、同年代の子ども達の置かれた教育環境を比べた際の差というのは明らかで、幼少期に受ける教育とそれが子どもに与える影響について考えさせられた。環境が全てと言うつもりはないが、この二か所を比較した際、少なくとも自分の力では学ぶ場所を選択出来ない幼少期において受ける教育は質の高いものであるに越したことはないと感じた。どこにでも教育格差というのは存在していて、質の高い教育が必要であることは自明である。しかし、現場での授業を通し実際の状況や格差がどれだけ深刻で、ましてや今ある教育システムを改革しそれを持続させるなんてことがいかに困難なのかを思い知らされたのに加え、一回きりの授業が生徒にとっては思い出くらいにしかならないのかもしれないと考えると、テーマであった「持続可能な開発のための教育」に沿った活動をしたとは言えない。ただ、ここで他のアプローチをすることも今すぐ解決できるようなアクションを提案することも容易ではないと感じたし、結局は地道に改善策を探りながら教育の重要性を訴えていくことが不可欠であるという結論に至った。同時に、国際開発に関連する人間開発の面で、質の高い教育が重要であることと教育現場の改善にどうアプローチするのか等についての視野が広がった気がしていて、この体験は私に新たな発見と興味をもたらしてくれた。

 ここまでテーマに着目して話を進めてきたが、今度はベトナム人との交流について触れていきたい。彼らは一貫して活気に満ちた人達で、段々と距離を詰めたというよりも常にオープンマインドな姿勢に引っ張られるようにして仲を深めた印象がある。共に生活する中で、彼らが非常に広い視野を持ち好奇心を抱いていることと、与えられた場所で様々なことを学び吸収してやろうという気概を強く感じた。特に、最後に行った模擬国連は準備時間が少なく課題も複雑であったが、彼らは担当する国の政策や問題意識を深く学び、終始勢いを落とさずに遂行していたのだ。母語でも困難な議論を第二言語である英語を用いて積極的に自分の国の意見を主張する姿には本当に驚いたし、これからの国際社会を生き活躍するのに何が必要なのかを改めて認識できた。時に、日本人とベトナム人との間にある大きな価値観の差を目にしてそれを受け入れ難いと感じることもあり、異なるバックグラウンドを持つ人々との交流は常にポジティブなものとして捉えられるわけではなかった。しかし、受け入れられないと思うこともまた知らない自分の価値観を知ることに繋がっていて、違いを受け入れる必要があるように思いこんでいたがそうした違いを認めることに意識を傾けてみたいと思う。

プログラムでは、ここまで記してきたこと以上に新たな発見があり全てが貴重な経験であったとともに反省している部分も多くあり、活動を通して自己成長した気でいても日本というComfort Zoneにいながら内気な自分がいることは変わっていない。ただ、こうした活動の経験を伝えることや自分の意見を共有するにあたりこの14日間で得た学びと、そこから派生していく発見や物事の見方を念頭に置きながら今後の取り組みに繋げていきたいと考えている。

2024年10月31日木曜日

VJEP2024 報告書 「交流を通じた学びがもたらす新たな視点」岩切優空(上智大学文学部哲学科1年)

 

VJEP2024は、私にとって初めての海外であり、留学であり、異なる文化に属する他者と協働する経験であった。そのような私が初めてベトナム人参加者らに対して抱いた印象は、彼女らが非常にパワフルであるということであった。彼女らは、ダンスや歌が大好きで、たくさん写真を撮り、常に陽気で明るい子たちであった。またこのような性格的な面のみならず、学業や自分自身に対してもパワフルで、プログラム中私たちはベトナムにいる間の時間は殆どプログラムのために使っていたのにも関わらず、彼女らはVJEP2024に参加しながら普通に大学で授業を受けていたり、インターンに行ったり、塾の講師をしていたりと、彼らにとって母国での開催であったにしても、プログラムと普段の生活を同時におこなっていたことに非常に驚いた。

 そのような私自身に刺激を与えてくれるような彼女らと共にした経験は私にとって、普段の生活では得られることのできない新たな学びを得られる2週間であった。

 

 この2週間を振り返ってみて、私は2つはき違えて解釈していたことがあるように感じた。グローバル化によって国を越えた人と人との関わりが増えてきて、このような異文化プログラムが増えている中で、多文化共生が謳われるようになった。私はプログラムが始まってからは、正直ベトナムという違う国に行ったという実感無しにプログラムがスタートし、あまりカルチャーショックや心理的な不安などを感じることが無かった。それに対して私は、ベトナムに関する知識が事前にあまり持っていなかったいうことも要因としてあるかもしれないが、ベトナム人参加者たちと接する際に、同じ人間として接することができたため、日本とベトナムで何か違いがあった時に、日本人はこうだけど、ベトナム人はこうであると善悪を付けずに受け入れることでカルチャーショックを感じなかったのではないか、つまり、同じ人間として接することこそが多文化共生におけるあるべき姿勢であるのではないかと考えていた。だだ、プログラムでベトナムの文化について自分の目で知ることによって、かえって日本への理解を深まり、必ずしも多文化共生・異文化理解において「同じ人間として接すること」が良いことではないと感じた。同じ者ではなく、異なった文化に属する者として、ベトナム人として、接することが、彼らに対する敬意であると感じた。

 

そして二つ目は、交流にとどまらず、共生し協働するためには、まず英語力ではなく姿勢が重要であるということである。ベトナムに行く前の私は、自分の英語をコンプレックスに思っており、その2週間をより良いものにするためにはまず英語力の向上が重要であると考えていた。ただお互いについて知る交流のためではなく、協働を達成するためにはコミュニケーションが非常に重要であり、そこに英語力が必要不可欠であるのは事実である。その事実にとらわれ過ぎていた私は、特に初めの方は、ベトナム人や他の日本人参加者は高い英語力を持っているのにも関わらず、私はそれを十分に持っていないことから、自分から話せずにいた。しかし、実際に英語で話す時間が増えるにつれて、でも一番に必要なのは英語力ではなく、姿勢であることに気が付いた。彼女らは私より英語ができる子たちばかりであるからこそ、自分が彼女らと話したいという姿勢を見せることで、それに対してちゃんと自分が何を言いたいのか感じとろうとしてくれていた。また、あなたについて知りたいとという能動的な姿勢によって、より深い内容についても語り合える。そのため、自分の中の協働への手順が間違っており、まず英語力ではなく、姿勢であると感じた。

 

 このように、私はVJEP2024を通して、多文化共生において他者を人間としてではなく、ある特定の文化に属する他者として接することの重要性や、交流から協働の達成における姿勢・意識の重要性を新たに気づくことができた。二つの解釈の変化は、論理的に立てられていた自分の考えでも、異文化交流といった新たな経験によって新しい解釈の観点が生まれることを示唆しており、これこそが私がVJEP2024に参加して良かったと思える点である。