そもそも本プログラムを知ったきっかけは、他の参加者は主に過去参加者の紹介であるのに対し一味異なる。GoogleマップからJICA地球ひろばを発見し、JICAのホームページへ遷移すると、「外務省・JICA後援AAEE」のような文字が飛び込んできた(ような気がする)。結果的に自身の調べ癖が幸いして辿り着いた。たしかに夏休みを利用して何かしらのプログラムには参加したいと思っていたり、友人たちも短期留学を検討していたり、と様々なことが起因して非常に興味が湧いたのは事実である。しかし、普段英語に触れる機会がかなり少なく、英会話のラリーがスムーズに続くかさえ不安だったため、応募すること自体をかなり躊躇った。どのような選考状況か、適性があるかを応募締切2日前に直接問い合わせ、そのまま応募。そこから気づけば3ヶ月が経過し、8月17日。私はベトナム・ホーチミンに降り立っていた。私にとって二度目のベトナムである。昨年2月に友人と訪れたのだが、今回は全く異なる感情を抱いて帰国することとなる。帰国から二週間経過した今もなお、余韻が残る。
参加する決め手となった最大の目的、それは「コンフォートゾーンからの脱却」である。本プログラムの魅力は旅行代理店等を介することなく、大学や自治体との直接的な連携により、私たち日本人参加者も直にベトナムの人々と関われる点である。一見、素晴らしいことのように聞こえるが、同時に各参加者には創意工夫を凝らし、積極的に人々とコミュニケーションをとる姿勢が求められる。つまり、参加すること自体で私の目的はおおむね達成されるものの、達成度は14日間の過ごし方に委ねられる訳だ。また、本プログラムの意義が「交流(exchange)か協働(collaboration)か」のどちらか。この問いを念頭に置き、次にどんな行動を取るべきかを考えながら臨んだ。
私にとって「交流(exchange)か協働(collaboration)か」という問いは、非常に難しかった。本プログラムは” exchange” programであるが、「持続可能な開発のための教育(Education
for sustainable development)」という根本的な活動テーマがある。交流を行った上で、教育という大きなテーマをベトナムの学生とともに議論しなければならないのだ。しかし、参加後気づいたことがある。そもそも二択ではなく、交流→協働という順に作用するものであり、協働を行うには交流が必要不可欠であるということ。ベトナムの学生たちと教育について議論する以前に、親睦を深めなくては事が進まない。拙い英語で積極的に話しかけ、交流を行った。時間が経過していく中で、初めは日常会話から始まり、日本とは全く異なる教育のシステムや価値観、宗教の話題まで会話は広がった。協働へ移ったと初めて感じたのはディベートの準備の時間である。英語でのディベートはおろか、日本語での本格的なディベートさえ経験したことのない私に親身になって教えてくれ、「あなたはどう思うの?」と双方の意見を統合することで、協働へと繋げていた。
最も驚いたかつ刺激になったことは、7人の参加者やオーガナイザー含め参加したベトナムの全学生たちのエネルギーである。無論、元気やパワフルのように一言で表すことはできない。このエネルギーの原動力は、物事に対する意欲に違いないと肌で感じた。こう感じた場面をいくつか挙げる。初対面の際は、笑顔でたくさん話しかけてくれた。日本のように人見知りという文化は存在しないのか、はたまた偶然明るいメンバーが集められたのかと疑ってしまうほど私たちと積極的にコミュニケーションをとる姿勢が伺えた。戦争についての博物館を訪問した際には、「インターネットにもどこにも載っていない情報を教えてあげるから!」と自国の歴史を流暢に説明してくれた。特にディベートや模擬国連などの活動の前夜には、夜遅くまで準備に注力している姿が印象的だった。割り当てられたチームのメンバーが別部屋ならノートパソコンを片手に部屋まで赴き、別のホームステイ先なら画面通話で共有しながら準備を進める。これらの一つ一つの活動に対する意欲の高さは、一体どこから来ているのか。そして、自分とどこで決定的な違いを生んでいるのか。自分なりに考察した結果、決して私自身の意欲が低いという訳ではなく、彼女たちはどんなに些細なことも吸収したいという貪欲さに満ちていると気づいた。ディベートの準備の際、忘れられない出来事が起きた。ディベートは3人チームで、私以外の2人はベトナム人メンバーであった。ここで、一方の学生の意見をもう一方の学生は全く理解できないと反発し、真っ向から衝突した。私はその状況に驚くばかりか、むしろ感銘を受けてしまったのである。双方が自分の意見を確立しており、各々の根拠には深みがある。そして、芯を持っているからこそ意見を曲げない。幼い頃から他人の意見を尊重するように、と言われてきたためかこのような場面に遭遇するのは稀であった。気を遣わずに、良いものは良い、悪いものは悪い、とはっきり意見をぶつけられる感性が羨ましくなった。
ベトナム人学生らが何事にも貪欲で、芯を持っているという気づきから発展し、私自身がどれだけ”受け身”で教育を享受してきたかを思い知らされた。受験や試験の”ために”勉強する。能動的に勉強に向き合ってきたと思っていたが、彼女たちに比べれば過去の自分の姿勢はあまりにも受動的であった。また、教育についての自分自身の明確な考えをあまり確率できていなかったため、いざ「あなたはどう思うの?」と聞かれると言葉に詰まってしまうことが多かった。
ただ、ベトナム人の参加者7名はいずれもHigh school for giftedと呼ばれる優秀な高校を卒業しており、ある程度恵まれた環境で育ったのは間違いない。ある会話の中で大学進学率を聞いてみると、ベトナムのほとんどの生徒が大学に行く、と言うのである。実際に調べてみると53%であった。彼女らの高校では大学進学率はほとんど100%というが、こんなにも差が開いていること、そして彼女たちもこの事実をこれまで全く知らなかったという事実に素直に驚いた。しかし、日本の大学進学率も57.7%であり、私自身も彼女たちと全く同じ状態であると気づかされた。教育の格差が囁かれていても、実際はその現状について全くの無知であることに恥ずかしくなった。さらに、ビンズオン省では3つの教育現場を実際に訪ねた。教育現場はインターナショナルスクールの小学校、High
school for gifted、ボランティアクラスと三者三葉である。特に、インターナショナルスクールの小学校とボランティアクラスに通う生徒は同年代の子供たちだが、前者は活発で挙手が絶えないのに対し、後者はかなり静かで英語が全く話せない。両者で授業を行ったが、英語の理解度が全く異なるため敢えて授業内容は違うものにした。前者ではベトナム語↔英語↔日本語と3か国語を介してスライドを用いた授業を行ったが、後者ではモニターなどの設備がないためベトナム人の学生に翻訳してもらう形で折り紙を一緒に工作した。もちろん「持続可能な開発のための教育」の実現に向けて大躍進をしたわけではないが、学生たちとの会話だけでは見えてこなかったベトナムにおける教育格差の全体像が教育現場を訪れたことで少しだけ見えた。学生たちとの会話、そして実際に足を運んで、どの国にも教育格差の根本には”無知”があると痛感した。もちろん、世界各地で教育の不平等が問題になっていることの事実も知っている。しかし、私はその事実や現状のみの表面的な側面を知っているだけで、何をすべきか、どうすべきか、いつまでにすべきかといった実践的な側面には全くもって”無知”であると自覚させられた。自分にできることは何かを模索したい。
14日間の経験から体得した教育についての見解を記す。まず、教育は人種、性別、経済状況に関わらず、全ての人がアクセスできるものであることが大前提である。これはベトナムの学生と帰国後に交わした言葉を借りたものだが、「持続可能な開発のための教育」を実現するには、教育がこれを満たしていないといけない。特にボランティアクラスを訪ねたことで、経済状況による教育の壁に関心が高くなった。貧困を減らせば、教育の場が増え、貧困や教育問題を理解する人々が増える。教育の場を増やすことと、貧困を解決することは表裏一体であるという結論には至ったが、まだまだ教育について知らないことが多く、そう単純な問題ではないのだろう。
振り返れば、意思疎通においてこんなにももどかしい思いを経験したことがなかったと思う。積極的に話しかけに行ったことで数多の交流ができたが、「もっと英語がわかれば理解できるのに…」「この表現がわかれば伝えられるのに…」という後悔を何度もした。言語の壁が災いして、せっかくの貴重な活動も100%の力を注げなかったことがあった。しかし、これらの苦い経験により私の言語学習に対するモチベーションは高まり、さらに言語自体への認識が改まった。以前まで、言語は単なる意思疎通の手段という認識に過ぎなかった。毎日、これはベトナム語(日本語)で何と言うの?という類いの会話が絶えなかった。ベトナム人メンバーにスラングや乾杯の挨拶を教えてもらい、逆に日本語でも同様のことを教える。日本語とは抑揚も発音の方法も全く異なるベトナム語を通して打ち解けられた。ホームステイ先のベビーシッターの方に英語が通じず、翻訳アプリを用いて必死に伝えようと試み笑いあったのもとても良い思い出である。すなわち、言語の役割が意思疎通の手段である以上に、人同士を繋げるためにあると実感した。
最大の目的であった「コンフォートゾーンからの脱却」について考察したい。環境の側面では水シャワーやドライヤーがない等、普段の環境とは全く異なるためいかに恵まれた環境で過ごしているかを再認識した。ある意味、コンフォートゾーンから脱却できたと言えるだろう。設備的な環境を除外した側面から目的の充実度を再考する。やはり、国籍が異なっても話しやすい人と行動を共にしたくなってしまうものだ。英語が障害になり、なおさらその傾向が強くなってしまったと感じる。そのため、ベトナム人メンバー全員と満遍なく、かつ同じ話題について話せたわけではない。また、英語しか話せなく、お手洗い以外は常に隣に誰かがいるという状況は窮屈に感じたことが多々あった。特に最後のホテル滞在の部屋割りではベトナム人メンバー2人に対し、日本人は私1人であった。だが、思い返せば彼女たちはあらゆることに気を遣っていてくれた。私たちの街散策やカラオケに行きたいという要望、部屋での過ごし方、フリータイムのスケジュールまで、ありとあらゆることに甘えてしまっていた。ベトナムで開催されたということもあり、日本側の学生はややお客様のような扱いを受け、両国の学生は完全に対等ではなかったかもしれない。それでも、常に笑顔でいる事だけは忘れないようにした。言語が通じなくても、どれだけ疲れていても、彼女たちに最低限の敬意は伝えたかった。
感想を端的に表すなら、楽しかった。これに尽きる。学んだことは数え切れないが、既に記憶から抜けていることもあり、全てを書き記せないことが残念である。たった二週間、されど二週間。人間関係が垣間見えたり、異国の地に住む同世代の子が自分の長所に気づかせてくれたり、国民性に触れたり、旅行ではできない貴重な経験をさせてもらった。良い面も、そうでない面も。特に、今回の活動テーマに沿った様々な教育へのアプローチは一生忘れないはずだ。しかしながら、未だ「持続可能な開発のための教育」に対する理解も具体的な方策も曖昧というのが正直なところである。
最後に、本プログラムに関わってくださった方々に改めて感謝の意を示したい。4,000 km離れた遠い地ベトナムで、この瞬間も貪欲に学ぶエネルギッシュな友人たちにまた会える日まで、私自身も学びを続けたい。あのとき、参加を決めて本当に良かったと心から思っている。
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