ベトナムを発って二日後の今日、私はパソコンに向かってこの文章を書いている。関教授のここを離れて一週間後にはもうこのプログラムは思い出の中の出来事になっている、という言葉を到底信じられなかったので、一週間待ってやろうと思っていたのだけれど、どうやらそれは正しかったらしい。私の人生の中で一番中身の詰まった十四日間は、あっけなく風化していきつつある。せっかちな私は、記憶が薄れるのに気がつきながら一週間も待つなんてことができずに、書き始めたというわけだ。
飛行機で六時間のフライト。映画を二本見るとか、ちょっと満足できるくらいの睡眠をとるとかってことくらいはできる時間をかけて、私はベトナムへ行った。文化も言葉も違う人々と過ごす日々は、楽しくて、驚きに満ちていて、ずっとどこか緊張感が漂っていて、永遠に続くようにも瞬きする間に過ぎ去ってしまいそうにも感じる、不思議な時間だった。ベトナムの学生七人は、英語を使いこなす力だけでなく、満足な英語を話せないこちらを待つ忍耐力も、足りない内容を補填する洞察力も、圧倒的に優れていた。彼女たちはまた、個人的な問題や考えについて話すことも躊躇わなかった。話しにくいかもしれないけどと私が前置きすれば、そんなこと気にしないでと笑う強さを持って、私の個人的な意見も真正面から受け止めてくれた。私たちを理解しようとする姿勢を全身で示し続けていてくれた彼女たちに、けれど私は自分の考えを十分に説明することができなかった。語学の勉強を怠ってきた自分をこれほど恥じ入る気持ちになったのは初めてだ。日本を発つ前に、母国語で話す時と同じくらいベトナムに住む人々とも分かり合えたら、などと考えていた自分の浅はかさを身にしみて感じたし、自分の無力さが悔しくて仕方がなかった。異文化交流に留まらず、互いに理解し合うために超えなければならない壁は、びっくりするほど高い。身振り手振りを交えつつ、足りない英語で何とか自分の考えや気持ちを伝えようと格闘した経験は大切に抱えていこうと思う、なんて綺麗なまとめ方ができないくらいに、悔しかった。今でも悔しい。不甲斐なさでお腹の底がジリジリ焼けるような感覚が、ずっと続いている。でも、こうやってぼやいているだけじゃ仕方がないから、未来で同じことを繰り返さないように、この後悔をできる限り噛み締めてこれからに活かそうと思う。
さて、私がベトナムで目にしたのは、教育格差そのものだった。十に満たない頃から英語学習を始める小学生や、通常の科目に加え特に優れた一科目を専門で学ぶことができる高校生と、日中は外に出て働き、夜は年齢の別なくチャリティークラスで学習する子どもたちの断絶は凄まじい。後者の子どもたちは、様々な理由から正規の教育にアクセスすること自体ができないそうだ。彼らの現状を打破する方法を見つけることすら難しい中、今プログラムの主題である持続可能な教育を実現するのは気が遠くなるほど長い道のりだろう。けれど、きっと実現できる。チャリティークラスを運営するMs.Baを見て、私はそう思った。彼女は自ら路上に立ち、宝くじを売って得たお金でチャリティークラスを運営なさっている。九十歳を超えられた今でもご自身で稼いだお金で子どもたちに教育の機会を提供されている姿、子どもたち一人ひとりに寄り添うように立ち、声をかける姿から、私にはMs.Baの強い意志が感じられた。
子どもたちに少しでも多くの可能性を、今より少しでも幸福な未来を。
私が持続可能な教育を実現するために必須だと思うことは、まさにこの願いだ。そしてこれは、私たち大人が果たすべき責任でもあると思っている。Ms.Baはこの願いを叶えるために、現在進行形で行動なさっているのだ。私はMs.Baのようにはなれないかもしれないけれど、彼女の真摯な姿勢に倣いたいと強く思った。そして、私が彼女の姿に心を動かされたように、この文章を読んだ人が、これから私が何らかの形で働きかける人が、あるいははるか4,000キロ離れた場所で触れ合った人々の誰かが同じ願いを抱いてくれるよう、その輪がますます広がっていくよう、子どもたちに対し誠実な姿勢を取り続けたい。
とはいえ、世の中には色んな考え方があって、誰かにとっては私の願いは押し付けがましくうざったいものである可能性だってある。話の腰を折るようだが、このこともまた、ベトナムに行って私が強く感じたことの一つだ。ベトナムで二週間過ごす中で、私がどうしても納得できなかった文化や思想があったように、ベトナム側の参加者も私に対してそう感じることがあっただろう。例えば、私はその場の空気感で予定がくるくる変わってしまう性質に最後まで慣れることができなかったけれど、ベトナムに住んでいる人からすれば珍しいことでもなかったりする。裏を返せば、何でも予定通りに進めて欲しい私の方が、彼女たちから見たら異様だったかもしれないということだ。この世界に生きる人全員が、色んなことを見て感じて考えて、生きている。文化圏の違いがあってもなくても、各々経験してきた出来事が違うのだから、人によって価値観が異なることは当たり前のことだ。でも、異文化に晒され、相手から自分がどう見えるかについて考えざるを得ない状況に置かれて、私はそんな当然のことを鮮烈に実感したのだった。このことを認識していなければ、自分の願いを他の人にも伝播させる、なんてことは果たしようがない。誰かと話していても大抵の文化的背景を共有している母国に住んでいると、私はいつも当たり前を忘れて一元的な見方をしてしまう。他者の価値観に想像が及ばない自分を戒めるためにも、何度もこのプログラムで得た経験を反芻しよう。そうして、子どもの笑顔が今より溢れる未来を形作る方法を模索し続けよう。
異文化交流の難しさを理解することも、教育に対するこれからの展望を持つことも、これまでの内省を行うことも可能にしてくれるなんて機会は、そうそうない。このプログラムに携わってくれた全ての方々の力添えに報いるためにも、日々に溢れる成長の機会を取りこぼさないよう丁寧に過ごしたいと思う。
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