2024年11月1日金曜日

VJEP2024 報告書 「こうするしかない」(東京大学教養学部理科二類2年 中崎 日向)

  

 ベトナムを発って二日後の今日、私はパソコンに向かってこの文章を書いている。関教授のここを離れて一週間後にはもうこのプログラムは思い出の中の出来事になっている、という言葉を到底信じられなかったので、一週間待ってやろうと思っていたのだけれど、どうやらそれは正しかったらしい。私の人生の中で一番中身の詰まった十四日間は、あっけなく風化していきつつある。せっかちな私は、記憶が薄れるのに気がつきながら一週間も待つなんてことができずに、書き始めたというわけだ。

 飛行機で六時間のフライト。映画を二本見るとか、ちょっと満足できるくらいの睡眠をとるとかってことくらいはできる時間をかけて、私はベトナムへ行った。文化も言葉も違う人々と過ごす日々は、楽しくて、驚きに満ちていて、ずっとどこか緊張感が漂っていて、永遠に続くようにも瞬きする間に過ぎ去ってしまいそうにも感じる、不思議な時間だった。ベトナムの学生七人は、英語を使いこなす力だけでなく、満足な英語を話せないこちらを待つ忍耐力も、足りない内容を補填する洞察力も、圧倒的に優れていた。彼女たちはまた、個人的な問題や考えについて話すことも躊躇わなかった。話しにくいかもしれないけどと私が前置きすれば、そんなこと気にしないでと笑う強さを持って、私の個人的な意見も真正面から受け止めてくれた。私たちを理解しようとする姿勢を全身で示し続けていてくれた彼女たちに、けれど私は自分の考えを十分に説明することができなかった。語学の勉強を怠ってきた自分をこれほど恥じ入る気持ちになったのは初めてだ。日本を発つ前に、母国語で話す時と同じくらいベトナムに住む人々とも分かり合えたら、などと考えていた自分の浅はかさを身にしみて感じたし、自分の無力さが悔しくて仕方がなかった。異文化交流に留まらず、互いに理解し合うために超えなければならない壁は、びっくりするほど高い。身振り手振りを交えつつ、足りない英語で何とか自分の考えや気持ちを伝えようと格闘した経験は大切に抱えていこうと思う、なんて綺麗なまとめ方ができないくらいに、悔しかった。今でも悔しい。不甲斐なさでお腹の底がジリジリ焼けるような感覚が、ずっと続いている。でも、こうやってぼやいているだけじゃ仕方がないから、未来で同じことを繰り返さないように、この後悔をできる限り噛み締めてこれからに活かそうと思う。

 さて、私がベトナムで目にしたのは、教育格差そのものだった。十に満たない頃から英語学習を始める小学生や、通常の科目に加え特に優れた一科目を専門で学ぶことができる高校生と、日中は外に出て働き、夜は年齢の別なくチャリティークラスで学習する子どもたちの断絶は凄まじい。後者の子どもたちは、様々な理由から正規の教育にアクセスすること自体ができないそうだ。彼らの現状を打破する方法を見つけることすら難しい中、今プログラムの主題である持続可能な教育を実現するのは気が遠くなるほど長い道のりだろう。けれど、きっと実現できる。チャリティークラスを運営するMs.Baを見て、私はそう思った。彼女は自ら路上に立ち、宝くじを売って得たお金でチャリティークラスを運営なさっている。九十歳を超えられた今でもご自身で稼いだお金で子どもたちに教育の機会を提供されている姿、子どもたち一人ひとりに寄り添うように立ち、声をかける姿から、私にはMs.Baの強い意志が感じられた。

 子どもたちに少しでも多くの可能性を、今より少しでも幸福な未来を。

 私が持続可能な教育を実現するために必須だと思うことは、まさにこの願いだ。そしてこれは、私たち大人が果たすべき責任でもあると思っている。Ms.Baはこの願いを叶えるために、現在進行形で行動なさっているのだ。私はMs.Baのようにはなれないかもしれないけれど、彼女の真摯な姿勢に倣いたいと強く思った。そして、私が彼女の姿に心を動かされたように、この文章を読んだ人が、これから私が何らかの形で働きかける人が、あるいははるか4,000キロ離れた場所で触れ合った人々の誰かが同じ願いを抱いてくれるよう、その輪がますます広がっていくよう、子どもたちに対し誠実な姿勢を取り続けたい。

 とはいえ、世の中には色んな考え方があって、誰かにとっては私の願いは押し付けがましくうざったいものである可能性だってある。話の腰を折るようだが、このこともまた、ベトナムに行って私が強く感じたことの一つだ。ベトナムで二週間過ごす中で、私がどうしても納得できなかった文化や思想があったように、ベトナム側の参加者も私に対してそう感じることがあっただろう。例えば、私はその場の空気感で予定がくるくる変わってしまう性質に最後まで慣れることができなかったけれど、ベトナムに住んでいる人からすれば珍しいことでもなかったりする。裏を返せば、何でも予定通りに進めて欲しい私の方が、彼女たちから見たら異様だったかもしれないということだ。この世界に生きる人全員が、色んなことを見て感じて考えて、生きている。文化圏の違いがあってもなくても、各々経験してきた出来事が違うのだから、人によって価値観が異なることは当たり前のことだ。でも、異文化に晒され、相手から自分がどう見えるかについて考えざるを得ない状況に置かれて、私はそんな当然のことを鮮烈に実感したのだった。このことを認識していなければ、自分の願いを他の人にも伝播させる、なんてことは果たしようがない。誰かと話していても大抵の文化的背景を共有している母国に住んでいると、私はいつも当たり前を忘れて一元的な見方をしてしまう。他者の価値観に想像が及ばない自分を戒めるためにも、何度もこのプログラムで得た経験を反芻しよう。そうして、子どもの笑顔が今より溢れる未来を形作る方法を模索し続けよう。
 異文化交流の難しさを理解することも、教育に対するこれからの展望を持つことも、これまでの内省を行うことも可能にしてくれるなんて機会は、そうそうない。このプログラムに携わってくれた全ての方々の力添えに報いるためにも、日々に溢れる成長の機会を取りこぼさないよう丁寧に過ごしたいと思う。

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 以下、年が変わって2025年2月下旬から書き始め、3月中旬に書き終えたものを追記した。  先日、関教授と次回のベトナム渡航プログラムについて話していた時、ある言葉が口から出た。 「VJEPは、学生がプログラムを通じて学んだこと、考えたことを自分の中で発酵させることが大事だと思う」  事前に準備していたというわけではなく、話している拍子にぽろっと出た言葉だった。教授と話しながら、私ってこんな風に考えてたんだ、と自分でも新たな発見をした気分になった。思考を発酵させる。ベトナム渡航プログラムを経て半年強、私がしていたことは正にそれだった。  発酵という言葉が好きだ。何となく「良いもの」を想像させるから。ではなぜ良いイメージを持つかというと、私の中にある「発酵」と書かれたカードの裏に、「腐敗」の二文字があるからだろう。微生物の働きによって物体の状態が変化するという現象を、人間にとって有益か否かで評価して分別することで、一つの現象に発酵と腐敗という二面性が生まれる。発酵という言葉は、同じ現象を色んな方向から眺めてみることの面白さも教えてくれるのだ。 
 ある物事を考える時、多角化することが大事だ、とはよく言われることのように思う。「発酵」について考えるのと同じように、表と裏を確認することに始まり、上下から見る、左右から見る、斜めから見る。そうすると今まで見えなかったものが見えてきて、より深い議論が可能になる。  私の中では、物事の多角化と聞くとある立体の面をを増やしていく様子が浮かぶ。最も面の少ない立体である四面体から始めて、四方向から眺められるようになったら、その頂点を切り取ってさらに面を増やす。そうやって新しい視点を獲得していくと、それぞれの視点に立った時に得られる思考が互いに影響しあって変容し、より良い形をとるようになる。微生物が食物に影響を与えて変えていく様に、少し似ているようなこの方法を、「思考の発酵」と呼んでも差し支えはないのではないだろうか。  閑話休題。  プログラムに参加する前は、私の中で、物事はいつも表側しか見えない面だった。新聞紙だったり、テレビやスマホの画面だったり、面がある場所は変わっても一つの視点から物事を見るばかりだった。それを不思議に思ったことはなかったが、面の上に存在する様々な物事に対して、憤ったり喜んだり思考を巡らせたりするものの、結局深い理解を得られることはなかった。  実際に渡航する前はベトナムについても同様で、ベトナムという国についてのっぺりとした浅い知識しか持っていなかった。東南アジアの国の一つで、今経済成長期にあり、社会主義を掲げる国。大変失礼だが、本当にこの程度の知識量で向かったのだ。酷い話である。正直なところ、向こうに行って活動している間も、日本に帰ってきた時もまだ私の見方は変わっていなかった。だから、私はまだ自分の書いた報告書を読み返すことができない。恥ずかしさに耐えられなくて。  けれど、帰国して時間が経ち、ある時突然自分の思考が変化しているのに気がついた。VJEPというプログラムの中の、具体的にどんなことが影響を与えたというわけでもないように思う。強いていうならば、最も大きかったのはほぼ初対面の人々10数名の中で二週間を過ごすという経験そのものだろう。違う歴史を、文化を、言葉を持って想像もできないような思考を持つ人々。同じ歴史、文化、言葉を持ちながら全く異なる思考を持つ人々。恐らくは、そんな人々と共同生活をしなければならない状況に陥って初めて、“自分”が輪郭を帯び始めたに違いない。  変化の原因はわからなくても、それに気がついたきっかけははっきりと書くことができる。報告会を開いた後、ある学生メンバーと一人のベトナム側の参加者について改めて話し合っていた時のことだった。ベトナムで出会った彼女は、英語が堪能で、愛国心が強く、誰かに伝えたい意見をはっきりと持つ人だった。彼女の声は大きく、だから多分、日本人側で話題に挙がる機会も多かった。特に印象的なのはホーチミンで訪れた博物館でのことだ。少し薄暗く、ひんやりとした館内に展示されている戦争の遺物を、彼女は一つひとつ解説してくれたのである。とても詳細に、戦いの痕が残る銃や軍服に刻まれる歴史を。彼女について話す時、博物館でのその出来事が思い返されるのは当然で、何度も「本当にすごかったよね」と言い合ったものだ。けれど、どうしてだろう。報告会が終わって少しした後話した、その一回だけが、びっくりするほどの後悔と気づきとを私にもたらしたのだ。  彼女は本当にすごかった、その通り。じゃあ私は?  問いが頭の中に浮かんだ時感じた驚愕は、徐々に、恥ずかしさと綯い交ぜになって直視するのが耐えられないような後悔に形を変えた。ベトナムの学生たちの協力を仰いで学ばせてもらっている立場でありながら、彼女が話してくれた歴史をほとんど知らなかった。知らないままでベトナムへ向かったことをまるで恥じていなかった。そのことを、帰国してから三ヶ月以上省みることもなくそのため後悔することもまるでなかった、なんて。なんて不誠実で不遜な態度だろう。彼女から見た私は、どれだけ敬意を欠いた人間だったろうかと、考えれば考えるほど恥ずかしく、ひどい後悔に苛まれた。  そして同時に、一元的にしか見ていなかった渡航前の自分、もとい彼女から見た時の自己の姿を想像もしなかった自分と、不完全ながらも今とは異なる視点に立って眺めようとしていた渡航後の自分、もとい彼女の立場から考えることができた自分に気がついたのだった。  誰に対してもどんなものに対しても誠実でありたいという自分の思いに真っ向から背いてしまったこと、国の歴史というそこで生きる人々の根幹をなす事柄について不誠実だったという事実は、後悔してもし足りない。だが、その時の発見は、後の思考に多大な影響を与えた。面が立体に組み変わった瞬間だった。  以来、ある社会問題について考える時、色んな考えが錯綜するようになった。ごちゃごちゃと絡まった有線イヤホンのコードみたいな思考回路は、正直言って窮屈で扱いにくい。誰かに意見を伝える時慎重にならざるを得ないし、行動するためにあげる腰も重くなる。視点を増やし続けて、本当により良い答えに辿り着けるのかは甚だ疑問だ。…この文章を書いていて、自分の言葉に自信がなくなってきてしまった。でも、私の内部で起こった変革を、敢えて思考の発酵と呼ぶことにする。ベトナムで得た経験から派生した様々が、より良い私にしてくれることを信じている、いや、信じていたいからだ。  最後に。  今回報告書を書き足すにあたって、タイトルも変更した。(思)考/(発)酵/後(悔)/行(動)するしかないから。全くの蛇足だ。



 


 

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