2017年11月8日水曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 9月 報告書 (11) 加藤裕貴(東京経済大学経営学部経営学科 3年)経験と交流の重要性

経験と交流の重要性
東京経済大学3年 加藤裕貴

 私はネパール研修で多くの事を学んだ。ただ、私の心がけ次第ではもっと多く学べたプログラムであったと思う。そう思うともったいない、出会った人たちに申し訳ないという気持ちも残る。しかし、いずれにせよ、まずは、関昭典先生や、ネパールのコーディネーターなどMero Sathi Projectに関わってくださった全ての方に感謝を申し上げたい。
本報告書では、私が何を経験し何に気付き何に感謝しているのか、数ある中から2つに絞って述べたいと思う。

1.経験と交流   2.村人が絶対に譲れないもの

1.経験と交流
研修初日、飛行機の乗り継ぎのためにタイに降り立ちタイの学生と夕食を共にした。彼らは、ラムカムヘン大学で日本語や日本文化などを専攻しており、日本語での会話が可能な学生が多かった。中には囲碁が得意という学生もいた。私自身、人生の中で碁を指した事など数回しかない。ある学生は、日本の歴史の話(武士や〇〇時代の類)をし始めた。聞いたことのない名前などを出してくるのである。私は、恥や焦り(日本の事をタイ人よりも知らない)と尊敬(日本の事を日本人よりも知っている)の気持ちが同時に込みあげてきた。私の教養レベルを基準としてしまうのも如何なものかと思うが、彼らの教養レベルは確実に高いと感じた。タイに降り、タイの学生と交流することで気付いた貴重な経験であった。1日しか時間がなかったのは惜しかったが、この経験が、私をまた彼らと交流したいという気持ちにさせたのは紛れもない事実であることはここで強調しておきたい。
翌日、ネパールへ移動し不安と期待が50/50の状態でプロジェクトが始まった。この世の中、ありとあらゆる情報は様々な媒体を通じて世界中に存在している。しかしながら私は、ネパールという国について参加前は全く知識がなくイメージもなかった。そのため、全てが新鮮だった。初めてネパールの町を目の当たりにした時、ただただ周りを見渡し驚かされていた。汚染された空気、無秩序な交通事情、鳴り止まないクラクション。正直に表現すれば、日本では見当もつかないほどひどいありさまだった。空港到着後、舗装されていない道路を車で移動し、最終日まで寝食を共にするネパール人学生と初対面した。彼らはダンスと歌で我々を暖かく迎えてくれた。彼らはただのネパール人学生ではない。このMero Sathi Projectに応募した約190名の中から選ばれた選りすぐりのエリート集団である。そのため、英語は不自由なく使いこなすのはもちろんのこと、中には将来国連で働きたいという18歳の学生もいた。彼らの「頭の良さ」を痛感したのは3日目、UN(国連) WOMENを訪問したときであった。持続可能な開発目標の1つでもあるジェンダー問題について激しい議論が交わされたが、ネパール人学生たちの具体的かつ的確な着眼点、そして、自分の意見をあたかも英語が母語であるかのように堂々と話すさまに私は釘付けであった。私は、一つの疑問を抱いた。なぜ後発発展途上国と呼ばれているネパールという国でそんなにも英語教育が進んでいるのだろうか(実際には英語が流暢に話せる学生はネパールの全学生の20パーセントにも満たないということも関先生から学んだが)。
リンネラハ村という村で2日間ホームステイをした。そのご家庭には息子さんがいた。彼はわずか9歳にして英語での会話が満足にできる英語力を備えていた。ここの村は貧しい村であるから、もちろん彼は留学などしたことはない。私は驚愕した。
翌朝6時頃、目が覚めて外の空気を吸いに何気なく家の前に出た。するとその男の子が本を片手に玄関前にいた。何かを読みながらつぶやいていた。
「何を読んでいるの?」
私が聞く。英語の教科書だという。朝の音読である。これは日々の日課で、様々な科目を毎朝やるという。他の教科書もボロボロに使い古されており、勉強に対するモチベーションの計り知れないほどの高さを感じた。ネパールでは、学校で毎年進級試験があるため幼い頃から競争しなければならないのだそうだ。知らなかった。また、彼には2つの夢があるという。1つは、パン屋。2つ目は、医者だという。なぜ「パン屋」になりたいのか不思議に思ったので詳しく聞いてみた。
彼によれば、村の人たちにとってパンは高級食材でなかなか食べることが出来ないのだそうだ。しかし、彼はパンが美味しいという事を知っておりいつでも食べたい。さらに、家族のために自分のお金でパンを買い、家族みんなで食べるのが夢なのだそうだ。2つ目の医者について理由を聞くと、村から病院までが遠く容易ではないのだそうだ。そこで、共に暮らす家族親戚が体調悪くなったら自分が治療してあげて一日でも長く一緒に暮らしたいとのことだった。
「これが9歳の子が抱く夢か?」
私は感動で胸が熱くなった。私が9歳の頃、このように家族のことを想う夢などなかった。自分勝手だった。


2.村人が絶対に譲れないもの
前述したリンネラハ村の他に今回のプロジェクトではもう1つ、マイダン村という村でもホームステイを経験した。この村の人たちは、誰も英語がわからないためネパール人学生メンバーを介して会話をした。そして、私がふと思って「人生の中で絶対に譲れないものは何ですか?」と質問したときの彼らの返事が印象的だった。
「私たち自身の今の生活です。」
私は、彼らは貧しいので今の生活から一刻も早く脱出したいに違いないと勝手に思い込んでいた。そう思うのはおそらく私だけではないだろう。後発発展途上国と聞けば、かわいそう、救ってあげたい、と善意で考える人々は決して少なくないはずだ。それだけに、「今の生活を守りたい」という発想は印象的で、今でも頭から離れない。しかし、日本の大都会での生活経験しかない私からしたら、ここまで不便を強いられているのにどうしてなのか不思議で仕方なかった。彼らは、こう続けた。
「この生活や文化はかつて自分たちの親や先祖が頑張って築き上げてきたものだ。私たちにはそれを引き継ぎ、守る義務がある。君たちがすごく豊かで便利な世界に生きていることはしっているよ。君たちは、君たちの親、先祖が築き上げたものの中で幸せに生きなさい。私たちは、今ここに生活できているということに満足しているし幸せだ。」
私は強い衝撃を受けた。彼らを深く尊敬するようになったと同時に、自分の考えの至らなさに愕然とした。ゼミの授業で「ステレオタイプ」について学んだが、まさか、自分の後発発展途上国に対する見方が「ステレオタイプ」に塗れているとは思いもしなかった。幸福を感じている人々を勝手に不幸に仕立て上げていた自分が本当に情けなくなった。私は勉強も経験も足りない。


この他にも大変多くの経験・交流をした。日本では起こりえないことや見当もつかないことが次から次へと発生した。生育文化や、生活環境、言語の違いなどにより、物事の解釈の方法が異なると、ゼミの授業で学んだが、実際にメンバー間で物事の考え方や捉え方が180度に近いほど違う場面にも遭遇し、「あ、そういうことだったのか」と腑に落ちることも多々あった。
このプロジェクトを通して学んだことは、現地に出向き、多様な文化を「経験」し、「交流」する事の重要性である。この研修の前に学習していた多文化理解に関する様々な知識や理論というのは実際に経験し交流することによって初めて意味を成すものであると考えるようになった。
また、今回はネパールというアジアの後発発展途上国に目を向けた内容であったが、同じことは日本国内でも言えるのではないかと感じた。リンネラハ村にてホストファザーやプログラム・コーディネーターと、日本に対する彼らの意見を元に議論を交わした。例えば彼らの日本人に対する考え方はこうだ。
「日本人はよく働くが働きすぎて仕事が嫌いになって悩んだりして、退職や自殺をする人が多い。これは大きな問題だと思う。」
「日本は島国で独自の発展を遂げており、隣国との接触や競争にさらされていないため、日本人は自分の国を近隣諸国と比較検討することに慣れていない。」

これらに意見に、それは違うと言い切れなかったし、自分自身の明確な意見もうまく述べることができなかった。
私はこのプロジェクトを機に、自分自身の学びを深めると同時に、周りに目を向け視野を広げ「経験」と「交流」を通じてさらに飛躍していきたいと強く感じた。

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