自分について理解が深まった
違いを認識することができる。
2.相手の意見を否定するのが怖い。
考え方の違いから価値観が合わないことがあったが、人の価値観を否定することに抵抗があった。→裸の王様になっていたのではないかと思う。
仕事を振るのが下手。
どうしても自分ですべて背負い込めばいい、自分さえわかっていればいいと思い、説明が足りない状態で人に自分の考え、意見、やり方を押し付ける場面があった。これではやる側は納得ができず、かつ私の思っていたもの、あるいは私が求めているものを理解しにくい。説明を丁寧にするべきであった。
やる必要性がわからないこと、納得できないことがすごく苦手。ダンスを録画して提出するように言われたが気が乗らなかった。気が乗らないが、参加してすぐのことで非常に嫌とはいいがたかった。また、これは慣れないことをして自分の「できる」を増やすいい機会かもしれない、とも思ったため、できることを増やす、自分の価値を高める、そういった目的でやってみることにした。しかし、やったあとに気づいたことだが、それは結局「できる」ではなく、「耐えられる」という段階でしかなかった。しかも、終わった後にどっと心労が押し寄せてきて結構しんどかった。そういう点を踏まえると、「できる」を増やすこととして始めた取り組みとしてはいささかストレスが大きすぎたのではないかと思う。得られた広がりに対してストレスは見合っていないように感じられた。この学びは、今後できないと感じたことを素直に言いやすくすることにつながった。また、どうしてやらなければいけないのか、何が求められているのかという意味をただ与えられるだけでなく、与えられた情報を基に自分で意味を見出す、自分で活用する道を探求する、という力が身についた。結構辛かったけど無駄じゃなかったよ。過去の自分、よく頑張った。君の努力は明日の自分の糧になったよ。どんまい。
私は多対一のコミュニケーションが苦手である。理由は2つある。第一に、聴衆が増えることで各自の発言にかかる責任が重くなり、話すべきなのかということに悩んでしまうからだ。私は基本的に話すのが好きなので、話したい!という気持ちがあっても話すべきか悩んで話せないことはストレスだった。第二に、どう伝わっているか、誰に伝わっているか、説明は足りているかなどといった相手の反応を確認する際、聴衆の人数分の情報を認識する必要があり、処理が間に合わないからだ。どうしても全員に伝わっているか、どう伝わっているかがわからず不安になり、説明を追加して冗長になったり、逆にあまり長く話しても困らせるに違いない、と考え情報量を最小限に抑えたりした。これらの不安はさらにオンラインであるということにより増幅されたように思う。
オンラインについて
表情が見えない。
温度差が大きい。
すべての発言が基本的に全員に発信されてしまう。→隠れた発言(チャット機能や別のアプリを用いたもの)は見えない。→人同士のつながりが見えない。
反応が得られにくい→ラグや接続不良のため、反応すると話を邪魔しうる。
沈黙の時間がしんどい。→一度しらけると厳しい。
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