ネパールで出会った人は自分とあまりに違いすぎて、到底理解できないと諦めそうになった。私と比べて、遠慮や躊躇がなく、そして人との壁を作らない。例えば、毎夜ギターをかきならし、歌ったり踊ったり、肩がくっつきそうな距離で話しては大きな笑い声をあげる。私の心が折れそうになったのは、マイダン村での歓迎会のダンスで、他の人に気圧されながら一生懸命参加していたとき、ネパール人学生の一人が私を押しのけて輪の中心に入っていったことだ。私が努力して踊っても、本気で楽しめる他の人と同じ熱量ではないし、同じ経験はできない。それでも努力する意味があるのか、よく分からなくなった。
考えが変わったのは、OKバジさんの話を聞いてからだ。バジさんが教えてくださった、相手との信頼の大切さは強く響いた。ネパールの人と一緒に活動するとき、バジさんは取り付けた約束を証明するポストカードを手渡すという。資金の用途、期日など、相手との信頼がなければ、一緒に活動できない。気になったのは、ネパールの人の時間の感覚と日本人との違いだ。例えば、学生の一人は集合の5分前に出発する私を引き留めて、自前のアクセサリーを紹介してくれるといった具合で、スケジュールが正しく運ばない。私は正直、時間を守らない人を信用するのは難しい。しかし、バジさんは、村の家の昼食が予定から30分以上遅れても動じず、村の人を信用して「もうすぐできると言っていますから待ちましょう」と私たちに声をかけた。その後、学校を訪ねるとバジさんが村の子供たちと手遊びをしていた。私たちには恥ずかしそうにしていた子供たちが、声をそろえて歌い、バジさんの一挙手一投足に注目し、笑っている。その姿が感動的で印象に残った。そして、他者を信頼することは、自分が他者から信用を得ることに繋がるのだと感じ、まずは自分から心を開いてみようと思った。翌日、学校を訪ねたとき、私は子供たちに変顔をしたり、追いかけっこをしたりと行動で示した。子供たちは少しずつ慣れてきて、構ってほしそうに何度も私の名前を呼んでくれた。このことを自信にして、ネパール人参加者に対しても、違和感を覚えたことを自分で吞み込まずに、共有するようにした。最後に贈ってくれた手紙に書いていた私の人物評価を見て、相手を信頼して自分を表現してよかったと思えた。
今回のテーマは教育だったが、多文化共生教育はこれから特に重要になると考える。ネパールの学生と一緒に歌い踊り、村のダルバートを手で食べて、訪問した学校の子供たちと遊んだり話したりすることで得たものは、日本の学校では手に入らない。一方で、ネパールの教育現場では、文化の多様性を感じさせるものが多くあった。自分の民族の伝統衣装を着ている生徒や、校舎にネワール族の彫刻を飾る都市部の学校、参加者の学生も公用語のネパール語、英語以外に、自分の民族の言葉を話すトリリンガルだった。村には、目に見える形の文化多様性はなくても、文化的に豊かだった。例えば、農村部出身の参加者が、村で炊飯に使う道具について、都市部では圧力鍋を使うそうだが、それより美味しいと嬉しそうに教えてくれた。親から子へ、生活を通じて継承される「教育」が、村の文化の豊かさを作り出していた。このように、国家の中に多様な文化を含む国であるから、他人との壁をつくらず、他人に頼り、頼られるという関係性を築くことが容易なのだと考える。
ネパールプログラムを通じて、相手を信頼し、また信頼してもらうために、他文化を理解するという異文化理解の価値を再認識した。近年の政治トレンドである自国の過ちを外国人のせいにせず、互いに信頼しあうには、多文化共生教育が不可欠であり、ネパールの教育現場や生活環境で見た文化的な豊かさの伝え方を私たちは考えるべきではないだろうか。
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