2025年10月20日月曜日

AAEEネパールプログラム2025報告書(2) 「学び、考え、成長する12日間」上智大学 文学部 哲学科 2年 岩切 優空

  

Mero Sathi Projectでの12日間は、私にとって刺激的で、とても充実した時間だった。なかでもこのプロジェクトの大きな魅力は、ネパール人参加者6名と日本人参加者6名が共に生活をしたことにあると思う。夜に心を開いて語り合う時間や、その中で生まれた友情、そして異なる文化を生きてきた仲間の人生に触れる経験は、学びにあふれた、かけがえのないものであったと強く感じている。

だからと言って、このプログラムは全く簡単なものではなかった。私は英語力や知識量、自信など、学習者として不十分な部分が多く、一日のリフレクションでは、自分の考えを英語で言語化することに苦戦し、ディスカッションでは、周りは議論が盛り上がっているのにそのスピードについていけなかった。初めはその差の埋め方すらわからなかったが、優秀な学生と関わるにつれて、周りとの違いに気づいたり、ネパールで出会った方から「成長のためにはFrustrationが大切だ」と教えてくださったりと、徐々に自己をより理解し、次はこうしてみようと思えるようになっていった。

しかし、このプログラムは本当にあっという間で、最終日、最後のファイナルリフレクションでは、涙が止まらなかった。もちろん、この12日間をずっと一緒にいた11人とのお別れはとても悲しいものだったし、日本に帰りたくないという気持ちもあった。しかし、それ以上に悔しさでいっぱいで、やり遂げたという達成感無しにこのプログラムが終わってしまうことが嫌でたまらなかった。

ただ涙が出るほど一生懸命になったこのプログラムは、私にとって単なる短期研修以上の意味を持つ経験であったと思う。英語で思考を表現する難しさや、議論のスピードについていけない自分への苛立ち、仲間と励まし合いながら少しずつ前に進もうとする日々、、、そうした一つひとつの感情の振幅が、学びをより深く鋭いものにし、表面的な知見を越えて自分の学び方や価値観そのものを問い直すきっかけになったと思う。;;

とりわけ、このプログラムでは今回のテーマである「教育」について沢山の学びを得られた。プログラムの内容としては、ネパールの子どもたちの生活向上取り組むINGOSave the Children)を訪問してお話を伺ったり、都市部の私立高校から農村部のマイダン村の公立学校まで実際に足を運び、教育現場の実情を直接見たりした。さらに、現地に暮らす人々にインタビューを行い、彼らにとって当たり前となっている習慣や考え方を知ることもでき、どれも新鮮で大きな学びとなった。

私たちは「教育」という漠然とした共通の課題を持っていて、私たちはグローバルパートナーシップとして、その共通の課題に取り組もうとしている。しかし、実際にネパールに足を運んで、自分の目でその教育現場の現状を見てみると、そこには、私たち日本人が感じている日本の教育現場での課題とは全く異なる課題も持っていて、私たち日本人参加者そしてネパール人参加者が、それぞれの視点や考え方をお互いの課題に提供できる場合もあれば、そうでない場合もあることがわかった。

実際に、マイダン村で学校教育を受けた経験の無い方に出会ってお話を聞いた際に、村での生活をすごく楽しんでおり、幸せそうな様子を見た際に、勉強して大学に入って就職することが「普通」となりつつあり、「普通」が美徳とされる日本社会ではあまり想像ができなかった。

私は哲学科の学生でありながら、幸せについて熟考したことがあまりなかった。というのも、私は分析哲学といったより明確な論理や言語分析を通して考えていく哲学の方が考えやすかったため、幸せや幸福といったトピックを好まなかった。そのため、この幸せそうなおじいちゃんを見た時に、自分の中で、幸せ・幸福といった言葉を自分の中で腑に落ちる形で定義することが難しかった。

まず、幸福と教育と結び付けて考えた時に、広義の「教育」とは、人間らしさを形成する営みであり、幸福はその人間らしさの大きな要素の一つだと感じた。マイダン村でのインタビューや学校訪問を通じて、村人の教育(いわゆる学校教育)に対する重要性、学校の設備や学校を通して得られる機会などから、量的にも質的にも十分な学校教育ではないと感じた。しかし、そこに住んでいる人たち、子供たちも含めて、とても幸せそうで、「そのままでもいいのではないか」と思える瞬間すらあった。だからといって、学校教育が必要ない、いらないということでは全くない。学校教育というのは、教育の中でもほんの一部でしかなくて、人間らしさを形成する営みとしての教育は、もっともっと広い意味での教育であると感じた。実際、まだ学校が無かった時に、そこにいた子供たちが教育を受けていなかったというわけではない。つまり、「教育」とは、両親や周りの人間関係などの様々な活動を通して人が生まれたときから環境から受け取るものであり、相互作用であると考える。私たちはプログラム中、些細な日常的なことから「幸せとは?」といった哲学的な問いまで語り合った。話し合いを重ねるうちに、知識の受け取り方は人によって大きく異なることに気づいた。これは、「教育」とは、人が生まれたときから環境から「受け取る」ものだけではなく、それぞれが自分の中で「解釈し、選び取り、再構築する」営みだからであろう。教育は人間には必要不可欠で、価値観といった深い部分まで影響を与える。そして、学校教育は、教育の中でも、目に見え、私たちの手で改善し、比較対比できる領域である。だからこそ、政府やINGOが子供たちのために懸命に取り組み、私たち学生もまた、自分ごととして関心を持ち、声を上げる必要があるのだ。

この12日間を通じて、私は「教育」のみならず自分自身の在り方、考え方についても大きく揺さぶられた。先ほどの私なりの「教育」に関する定義が正しいわけではないが、ネパールでの様々な経験を通して、「教育」、「幸福」について熟考することができた。また、プログラムを共にした仲間や現地の人々と関わるなかで、自分の弱さや可能性に気づき、これからどのように学び、成長していきたいのかを真剣に考えるきっかけとなった。

同時に、プログラムを支えてくれたKshitizさん、Seki先生、共に学び合ったネパール人・日本人の仲間たちへの感謝の思いでいっぱいである。彼らと過ごした12日間は、私の人生において忘れられない時間となった。今後は、この経験を糧に、自分自身の学びをより広げ、教育や幸福について考え続けていきたい。

 


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