2017年10月15日日曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 8月 報告書 (8) SHIN JIHYE(上智大学2年)「物の豊かさより、心の豊かさを」

Mero Sathi Project 2017 8月 報告書(7)

「物の豊かさより、心の豊かさを」

上智大学 2年
SHIN JIHYE

 「ネパール」と聞いたら、おそらく多くの人が思い浮かぶのはヒマラヤ山脈やエベレストであるだろう。私もその中の一人であった。ネパールに関する情報があまりにも少なく、人々はどのような生活をしているのか、町はどのような姿なのか、想像しにくいものであった。
 私が初めてネパールのカトマンズ国際空港についたとき、「ここがある国の首都の国際空港?」とびっくりした記憶が生々しい。じめじめしている空港では停電が頻繁に起こり、クーラーなどは考えられなかった。コンベヤーベルトの床の工事を目の前でやっている業者の姿。映画でも、ドラマでも見たことがない姿で、カメラのシャッターを忙しく押し続けていた。空港から街に出てからは、さらに衝撃を受けた。道には交通信号のないなか、車、バイク、自転車、人さらに牛までがいじり混ざって行き来をしていて、とても複雑だった。砂と排気ガスがのどを刺激し、何回もせきをださなくてはいられなかった。「本当にここでの生活ができるのか」。この問いとともに私の12日間のネパールでの生活が始まったのである。
 食事の時には、20人ぐらいの私たちの食事がそろうに大体2時間ほどかかった。コーヒーを頼むたび、いつものようにあふれた状態で出された。お店のファンをかけるために何も了解をもとめず私が座っていた椅子を靴のまま登ったり、町に出てからは何か一つものを買おうとしてもありえない金額を最初に呼ばれたりしていて、一から十まで私が慣れていた生活とは正反対であった。これが日本、あるいは私の母国である韓国であったら、絶対に許されない行為だ、と何回も思っていた。無意識のなかで私は、「これは常識ではない」と考えていたに違いない。
 しかし、時間がたつにつれ、私の考え方が大きく変わっていった。「常識ではない」と考えていたその世界では、私こそが「常識ではない」存在であるかもしれないと思うようになったのである。異常に考えすぎていて、ほかの人々の行動を計算し、自分が常識だと思っている型にはめようとしている自分を出くわしたとき、自分の考え方、そして自分のこころがどのように小さなものであるのか、どれぐらい私が「違い」を受容できないのかと実感したのである。
 100を超える民族が違う文化、言葉、生活様式を持っている国。だからこそ、彼らは「受容」することを自然と学んでいて、どんな時でもほかの人の行動をジャッジしないのかもしれない。考えてみれば、12日間わたしたちと同行していたネパールのメンバーたちも、彼らと違う私たち日本人メンバーの行動をすべて受け入れ、受容してくれた。小さい虫ひとつにも大げさになってしまったり、ネパールの食べ物を全く食べれなかったり、彼らにとっては常識ではない私たちの行動を、彼らは常に暖かく受け入れてくれた。
ネパールの幸せ指数は、先進国に比べてそうとう高い水準であるといわれている。彼らが幸せな理由は、物質的なものではなく、心の豊かさから生まれたのではないだろうか。「それでも大丈夫だよ」と私が何者なのかにかかわらず友達になってくれたネパールのメンバーたちから、カメラを向けたら抵抗感なくいつも笑ってくれる道で出会った多くの子供たちから、そして言葉一つ通じなかった村で、かぜにひいてしまった私のために毎あさ薬草でお茶を出してくれたおばあさんのほほえみから、私は心からの幸せと豊かさをみて、学んでくることができた。
 「ネパールはネパールという名前で一つの国になっているけれど、なかを見てみるとバラエティー豊かでとても面白い国だよ!」とネパールのメンバーの一人は、私がネパールについた最初に言ってくれた。12日間の日程を終えて、その言葉の意味を非常に理解するようになった。一つであるが、一つでない国。その多様性を受け容れ、ハーモニーを創っていく国。物の豊かさより、心の豊かさを持つ強い国。ネパールから学んできたその心の豊をここ日本でも実現していきたい。

ベトナム VJEP 2017 報告書 (8) 清水琴未(立命館アジア太平洋大学 2年)「VJEPを振り返って」

VJEP 2017-ベトナムプロジェクト報告書 (8)
「VJEPを振り返って」

                          立命館アジア太平洋大学 2年
清水琴未


 私は前年度に同じ大学の友達がVJEPのプログラムに参加していたのを見て、このプログラムに参加することを決意した。初めにもらった情報は「ベトナムで2週間、ベトナムの学生たちと交流しながら過ごす」というものだけであった。こうして5月くらいにメンバー全員が決まり、プログラムのための研修会が開かれることになったが、私が住んでいる場所が九州だったため、すぐに東京に行ける距離ではなかった。プログラムが開始する一週間前の集まりにしか参加することが出来ず、準備段階をみんなと一緒にできなかったことが悔やまれる。VJEPのプログラムではプレゼンテーションやダンスパフォーマンス、歌など日本で準備していかなければならないことがたくさんあったが、実際には東京へ行く少し前になるまで私は何の準備も行っていなかった。なんとかなるだろう、大丈夫だ、と思っていたのだ。夏休みが始まって集まりに参加したものの、2日間で集まったのはたったの4、5人だった。何一つ全員で合わせたことがない状態でベトナムへ行くことになってしまい、このことがのちにチームに悪い影響を与えることになったのだ。

 ベトナムに着いた次の日から、早速パフォーマンスを披露する場があり、私たちは初めて全員で揃える時間を作ることが出来た。歌は個人で歌詞を覚えればいいものの、ダンスはバラバラだった。特に劇の練習をした時はチームとしてのまとまりがなく大変だった。みんなでやろう!と声をかけ同じ部屋に集まっているにも関わらず、自分のプレゼンテーションの準備をしている人もいれば全く違うことをしている人もおり、全体の時間になぜ個人のことを優先しているのか私には理解できなかった。そもそもプレゼンテーションは各個人が日本で準備しておかなければならないものなのに、どうしてそれを今やっているのだろうかという気持ちが自分のイライラに繋がっていた。チームとして、いくら自分の仕事が小さいものでもみんなが集中してパッとやればすぐに終わるのに…と思いながらもダラダラと一時間ほど練習を続け、みんな部屋に戻った。自分がチームに迷惑をかけていることを理解していない人がいる時、リーダーはその人にどう働きかければよいのだろうか。こんな時にどうすればみんながチームに協力的になるようにできるのか、私は分からずイライラする態度で示してしまっていたが、もっと他にやり方があったのだと思う。それに比べて、ベトナムメンバーたちのパフォーマンスは全てが素晴らしかった。ダンスも歌もプレゼンテーションも劇も、どれを取っても見ていて面白く完成度の高いものだった。彼らは練習をするときもコミュニケーションをよく取っており、何度も集まって、そのチームワークの良さがパフォーマンスの質の良さにも繋がっているのではないかと思った。

 VJEPプログラムの後半で今回のプログラムを振り返る時間を作るのか、作らないのか、という話が出た時があった。日本に帰国してから集まればいいじゃん、という人もいれば、今日やっておくべきだと思う、という人もいてまずその話し合いをやるのかやらないのか決める話し合いをしなければならなかった。関先生からの提案でその話合いを設けるかの話題が出たのだが、先生はやってもやらなくてもどちらでもいい、全て君たち次第だ、とおっしゃっており、私はその時にこのプログラムは学生と、参加者の私たち自身で創り上げているのだということを改めて実感した。結局話し合いは行われ、そこで各自が今まで思ってきたことや言いたかったことを素直にぶつけ合う時間になったのだ。みんなそれぞれに人に対して思うことがあったり、自分の反省面を話す人もいたりで、このような時間をもうけ、振り返ることが各自の成長や学びに繋がるのではないかと思った。

 このプログラムの中で一番印象的だったことについて話したい。それはビンフックに行った時に目の当たりにした社会主義の実態だ。いくら予定が変更になったとしても、自分のやりたくないことがあったとしても、逆らえず従うしかないと耐えている人が数人いた。ベトナム人メンバーはホームステイをするよりも日本人メンバーと過ごしたいという想いが強く、数人はホームステイをしたくないと言っていた。また、私たちを受け入れてくださるホームステイ先のホストファミリーもこのホームステイを失敗させてはいけない、なんとか日本人メンバーを喜ばせてあげよう、という必死の想いがあり、私たちには至れり尽くせりであった。それは政府の人からのプレッシャーや、自分の地位を守るためであるという話もしていた。メンバーの1人が「僕たちが今我慢しなかったらこのプログラムは終わってしまう…」と話しているのを聞いた時、初めて日本とは違う国の社会体制について知ることができた。私は今まで他の国の政治体制を勉強してこなかったため、全く知識がなかったのだが、これから大学での勉強において今回ベトナムで実際に見た社会主義国家の現状についてもっと知りたいと感じた。

 最後に私がこのプログラムに参加して得た最も大きなものは、ベトナム人メンバーとの絆である。2週間共に毎日過ごし、いろんな話をし、それらを共有できた彼らとは一生の友達でいたいと思えた。彼らのアグレッシブさやひたむきさは自分のモチベーションアップに繋がり、わたしも彼らのようにこれからもいろんなことに挑戦し、経験していこうと思えた。このプログラムを作ってくださった関先生、夕葉さん、オーガナイザーなどサポートしてくださった全ての人に感謝をしたい。

2017年10月14日土曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 8月 報告書 (7) 松下菜夏(上智大学総合グローバル学部3年)「新しい世界で知る新しい自分」

Mero Sathi Project 2017 8月 報告書(7)

『新しい世界で知る新しい自分』

上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科3年 松下菜夏

「必ずまた行く。」と心に誓ったあの日から、2年の時を経て、ようやく戻って来ることができたネパール。2年前のスタディーツアーでは、ネパールという未知の世界で見るもの、起こること全てが刺激的であった。しかし同時に、ネパールの自然の豊かさや人の心の温かさは、故郷宮崎と重なりどこか懐かしさを感じるものもあった。2年ぶりに訪れたネパールには、変わらない自然豊かな景色とスパイスの効いた独特の香り、そしてナマステと手を合わせ笑顔で迎え入れてくれる温かい人々の姿があった。私はそれらに親しみと懐かしさを感じながら、これから出会うであろう人々や出来事を想像し胸を躍らせた。

 今回のスタディツアーの中で私が最も楽しみにしていたのが、2年前に訪れたシックレス村での滞在、そして村の人々との再会である。ネパールの第二の都市ポカラから想像を絶する程の過酷な山道を約6時間ジープで駆け上がると、ようやく美しいシックレス村にたどり着く。私たちは今回、ホームステイを通して村ならではの体験を沢山させて頂き、より深く村の人々と関わることができた。いわゆるキッチンとリビングが統一された大広間で、アマ(母)やディディ(姉)が夕食(専らダルバートというネパールの伝統料理)を作ってくれる側で、私たちは土床に敷いた座布団に座りながら、二時間でも三時間でも他愛もない話をしながら待つ。すると日本人が来たと聞きつけた隣人たちが次々と訪れ、話に花が咲いた。村の夜の静けさと、アマガ料理をする包丁や火の音が心地よく私たちは皆時間を気にせずのんびりと過ごす。今思えば、ネパールで過ごした日々の中であんなにもリラックスできた時間はなかった。
 ネパールの山奥で自然と共生し、親戚や友人と集まり日が暮れるまで話す彼らからは人間の本来の姿が見える。また私自身も、彼らと過ごす中で次第に携帯に触れる機会が減り、村で起こるもの感じるものをその場で見て肌で感じようとしていた。
   日本で生活をしている私は、毎日時間に追われ目の前のことを考えるだけで精一杯だ。しかしシックレス村を訪れると「生きることとは何か」「人間らしさとは何か」と立ち止まってゆっくり考えることができる。

そんなシックレス村で私が心待ちにしていたのが村の学校への訪問と2年ぶりの「再会」
である。学校に着くと真っ先に教室へ行き、前回一緒に写真を撮った子供たちを探す。すると、私が手にしていた写真を見て、「それ私。」「これは僕だよ。」と嬉しそうに次々と駆け寄って来た子供達。彼らは2年経っても変わらない純粋な眼差しで私を迎え入れてくれた。また、2年前より少し大人びた彼らを見て、時の長さを感じながら再会の嬉しさを噛み締めた。すでに上級生へと成長しもうすぐ卒業するであろう彼らにはどんな未来が待っているだろう。あの村を出てネパールの都市部あるいは海外へ出るのだろうか。楽しみである反面、次またこの村を訪れても彼らに会えないかもしれないと思うと少し寂しい。いつかまた、さらに成長した彼らに会いたい。

 次に、このスタディーツアーのテーマである「学生交流」について述べたい。

 今回のスタディーツアーで二週間ネパール人学生メンバーと共に過ごす中で、日常会話の際に彼らが言った何気無い一言やふとした時に見せる表情から学ぶこと、考えさせられることが多くあった。その中で、最も印象に残っているのが、以下の2点である。
 一つ目は、ネパール人メンバーの愛国心の強さと深さである。彼らはネパールの歴史や文化、自らが属している宗教や神様にまつわる話などについて深く理解しており、それらの多くを私たちに教えてくれた。そしてその時の彼らの表情は、いつも誇らしげに見えた。しかしそんな愛国心のある彼らでも、日本人メンバーの普段の生活や周りの環境とを比べ、不満や窮屈さを感じている様子を伺えた場面もあった。では私たち日本人はどれほど深く日本という国について理解しているだろうか。彼らにどれだけ日本について伝えることができただろうか。自国を愛し、また自国に足りないところまでも深く理解している彼らと向き合うことで、自分自身が情けなくもあり、また同時に心得るべきものも知った。
 二つ目は、ネパールにおける「ダイバーシティ(多様性)」についてである。あるネパール人メンバーと話している時のことである。ネパールの文化について質問を重ねていると突然彼女が「あなたたちはみんなネパール人ネパール人というけれど、私たちは文化も宗教もカーストもみんなそれぞれ違っていてとてもダイバーシティーなの。」と強く言った。そしてその後も「ダイバーシティ」という言葉を私たちに訴えかけるように繰り返し言った。私はネパールやその他様々な国で「多様性」に触れる機会が多くある。それらは主に文化や言語、習慣などであるが、一つの国で多様な人々が存在しそれを受け入れる多様な考えである。一方日本では地方間における言語や文化の多少の差異はあるものの、日本人の多くが特定の共通認識や画一的な考えの中で生活しており、「多様性」という考えに対する理解が浅いと感じることが多くある。そして私自身も気づかないうちに、彼女が「日本人は私たちの多様性を理解していない」と思われるような失礼な発言をしてしまっていたかもしれない。それが心残りである。

 私は今回ネパール人学生メンバーやシックレスでの村の人々との会話を通して、異文化交流をする上で最も重要なのは「コミュニケーションを図ろうとする姿勢」だと改めて感じた。しかし同時に、より深い関係を築くには英語(共通語)の言語能力は必要不可欠であることも痛感した。今回のスタディーツアーでは2年前よりも様々な人と多くのコミュニケーションを取れたからこそ、言語の壁の大きさを強く感じた。特にネパール人学生メンバーとは二週間ともに過ごす中で、自分の語学(英語)力不足から彼らと思うように意思疎通が図れずわだかまりが残ることが多くあった。私は彼らともっと話したかった。そしてもっと知りたかった。これもまた今回のスタディーツアーで後悔していることだ。

 最後に、私が2年前のスタディーツアーで後悔したことについて話したい。
 2年前ネパールについて何も知らずに現地を訪れた私は、彼らの宗教や価値観についてもまた無知だった。するとツアー中、一人のネパール人メンバーが私が何の宗教に属しているか聞いてきた。宗教に属していない私はこの質問自体初めての経験であり、また英語力も乏しかったため焦って上手く説明がすることができず、「私は宗教に属していない。多くの日本人がそうである。」と答えた。すると彼は非常に驚いた様子で、また腑に落ちない表情を見せたのを覚えている。私が彼に言ったことは決して間違っていたわけではないが、今改めて考えると宗教が生活の軸となり考え方の基盤となっている彼らに対する答えとしては不十分であったように思う。また帰国後、大学で多様性や宗教について学べば学ぶほど自分がどれほど無知であったか、誤解を与えてしまうような回答をしてしまったか反省しモヤモヤしていた。
 今回のスタディーツアーはバスでの長距離移動が多かった。カトマンズからポカラへ移動するバスのなかで隣に座ったネパール人メンバーとは、お互いの大学での勉強や将来の夢、またネパールの文化、カースト制度、そして宗教について話した。そこで彼女から、2年前の彼と同じ質問をされた。私は答えた。「多くの日本人が特定の宗教に属しているわけではないけれど、神様を信じていないわけではないよ。私自身も宗教というものには属してはないけれど、神様も信じているし、あなたたちに近い考えもあるよ。」すると彼女は、納得した様子で深く頷いてくれた。

新しい世界に行けば、自分とは全く異なるバックグラウンド、文化、価値観を持つ人々
に出会う。彼らと私たちには共通のものもあれば異なるものも多くあるだろう。またそれらを知った時に面白さを感じる時もあれば、なかなか受け入れられず戸惑うこともある。しかし私はそれも含めて、新しい世界で多くの人々と出会い、まだ知らない自分の思いに出会うことが好きである。
 そして私は今回のスタディーツアーで後悔したことを晴らすためにも、またネパールへいかなければならない。

 最後になったが、関昭典先生をはじめとしたAAEE関係者の皆様、コーディネータのKshitiz Bhattarai dai、リーダーの関愛生くん、そして何よりも二週間ともに過ごしてくれたネパール人日本人両メンバーのみんなに心から感謝するとともに、私の報告書を終わらせていただきたい。
素晴らしい二週間をありがとうございました。


松下菜夏

P.S.
2度目の参加者の特権として、前回のスタディーツアーの親友と再会してきました。
一晩夕食をともにしただけで多くを語ったわけではありませんが、だだ隣にいて手をつないでいるだけで十分でした。彼女と私はネパール人と日本人という関係ではなく、ただ隣にいるだけで心が通じ合える親友です。そんな貴重な友人と出会えたのもこのスタディーツアーのおかげです。
次回、今回のスタディーツアーで出会ったメロサティ(私の友達)に再会するのが楽しみです!





ネパール Mero Sathi Project 2017 8月 報告書 (6) 安生圭騎(上智大学総合グローバル学部3年)「発展途上国の色眼鏡」

Mero Sathi Project 2017 8月 報告書(5)

「発展途上国の色眼鏡」
上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科3年
安生圭騎


私はいわゆる発展途上国と呼ばれる国に訪れるのはネパールが3か国目であった。初めていった国はカンボジアで、悲惨な歴史背景から今もなお孤児の問題や教育の問題など様々な問題を抱えている国だ。2か国目はバングラデシュであった。バングラデシュはいたるところにスラムやストリートチルドレンがおり、バスに乗っていると車が止まるたびにノックをしてきて新聞や果物などを売ろうとしている子供たちもいた。これらの国々に訪れたのは高校在学中に学校主催で行われた。そのため食事も安全に配慮して、現地の人々のごく一部の限られた富裕層や外国人観光客向けのホテルやレストランで過ごした。 
 現地では、観光地の見学やモスクの見学、学校の視察やスラム街に訪れるようなことも行った。私はこういった経験から、発展途上国は何となく危険で食事も注意していない限りすぐに腹痛を起こすと考えていた。そのためネパールに行く前までは同じようなことであろうと考えていた。しかしながらネパールに行くことで発展途上国という言葉の印象が変わった。なぜならネパールではそもそも現地の同世代の人々と生活を共にし、文化は違くとも、趣味嗜好は全く変わることなく同じ人間であると感じたからだ。また、食事に関してもローカルな食べ物を食べたとしても腹痛を起こすことなくいたって健康にアクティビティーを楽しむことができた。こういった点から私は発展途上国という言葉だけでマイナスのイメージを持っていたが、そもそも私が間違っていたと考えた。
 しかしながら私はいわゆる先進国を中心とする国際協力は必要最低限、行うべきであると考えた。私がポカラで雨宿りをしていた時に見知らぬおじさんが日本人かと尋ねてきたことがあった。私が日本人だと答えると日本は震災の時や高速道路の建設など様々な援助をしてくれていると話してくれた。このことは、正直私はほとんど知らなかった。こういったところから日本のイメージがよくなっていると思う。その後も私はいたるところであなたは中国人かあるいは韓国人かなどと多くの場面で聞かれることがあった。しかし自分が日本人と答えると顔色も少し明るくなった理由なのかもしれない。これは日本が戦時中その国の人々に非人道的な行為を行った国ではまだまだ通用しないと聞いたことがある。こういった点から、国際協力をすることで日本の悪いイメージをよくすることのみならず相手国の問題の解決に少しでも関与できるお互いに良い関係を気づきあげるよいきっかけになると思った。
 一方で、今すぐ行動しなけれればならない道義的な支援も必要であると考えた。なぜなら、いつの日かの夕食後のカトマンズで街を歩いてホテルに帰る際に、紙袋のようなものを口につけ吸ったり吐いたりしながら横たわっている少年を見かけた。おそらくシンナーか何かを使っているのであると考えられる。私はあまりの衝撃で写真すらとることはできなかったが、まだまだこういった現状が実際に起きていることが身にしみてわかった。
 ただし、先進国と発展途上国という関係ではなくあくまで友好的にあるいは道義的な国際協力であって、現地の状況を変えすぎてしまうような国際協力は必要ないと考えた。なぜなら、私たちが訪れた村であるシクレスにはグルン族の人々が住み、いまだにガスを使っているところは少なくとも一度も見ることはなかった。また、道を歩いているときや寝ているときに気が付かないうちにヒルに刺されたり、街頭など一切なく夜は真っ暗で外に出るときには懐中電灯が必要であった。確かに我々の暮らしの中ではどれも必要不可欠なものや想像もできない状況かもしれない。しかしそのような環境下でも村の人々は地域で協力し合い生活していた。またホームステイをしていく中で生活していくことに特に困ることもなくむしろ満天の星空に囲まれる私にとって居心地が良い環境であった。こういった意味では、いわゆる先進国に住む私たちにとって必要なものも村では必要としないあるいはそもそも存在自体をあまり認知していないのかもしれない。しかしそのようなものがあることで環境問題を引き起こすなど様々な問題を抱えてしまっている。そのようなことがあるならばむしろ村の生活のほうが人間的であるかもしれない。
 こういった点から私たちが当然としていることを強制的に押し付けいわゆる文明化をはかるのはどうかと考えた。つまり私たちが使うからあなたがたも使いなさい、といった国際協力や政府の考えが仮にあるとしたらそれは間違っているのではないかと考えられと思った。だからこそ現地の状況を変えすぎる国際協力は必要ではないと考えたのだ。一方で村でも出稼ぎに出かける若者や何か買い物するときは近くの大きな都市に出かけなければならないなど様々な問題があることが分かった。こういった問題は積極的に政府や国際協力などが参加し問題の解決につなげるべきであると考えた。

2017年10月12日木曜日

ベトナム VJEP 2017 報告書 (7) 新谷 稜(専修大学経済学部1年)「VJEP ベトナムプログラム 報告書」

VJEP 2017-ベトナムプロジェクト報告書 (7)

「VJEP ベトナムプログラム 報告書」
この報告書を読めば、あなたによって世界が少しだけ平和になります(新谷君による)。
専修大学経済学部
国際経済学科1年 新谷 稜

 はじめに、この報告書では「社会主義」という言葉が使われます。自分自身、社会主義について専門的に勉強しているわけではありませんので、読者の皆様を不快な気持ちにさせてしまう可能性があります。しかし、社会主義について、賛成反対が記載されているわけではありません。今回の自分が皆さんに伝えたい本質は、社会主義でも、ベトナムでもなく、世界がちょっとだけ平和になる方法を知ってもらうこと、です。それを踏まえて、この報告書の先に進んでくれると自分が心から喜びます。^—^ご理解とご協力宜しくお願いします。

 2017年9月29日現在、今の自分の行動軸になっているのは間違いなくベトナムでのとある出来事がきっかけです。そのとある出来事を話す前に、その経験を踏まえて自分が今後どうなりたいのか、そのために今何をやっているのか、を話させていただきます。簡単にいえば自己紹介です。もし、とある出来事を読みたい方は、自分の自己紹介は、この後用事があるときに声をかけてくる渋谷のキャッチの人をシカトするかのごとくすっ飛ばして、読んでくださって結構です。宜しくお願いします。

 ということで、自己紹介させていただきます。専修大学経済学部国際経済学科1年の新谷 稜(しんたに りょう)と申します。まだ大学に入ってから半年ですが、今現在の自分の行動軸を言語化したものと、それを叶えるためにヴィジョン(全然抽象的ですが)がありますので、この場を借りて発信させていただきます。
自己理念は、「相手の正義を尊重し合える社会を創る」です。なぜこのようなか考えになったかは、後々話します。それを叶えるためにヴィジョンとして、「過去のオリンピック跡地に、スポーツ施設、宿泊施設、カフェ、コワーキングスペース、をつけたスタジアムを作ること」です。そこで世界平和について触れるイベントや相手の気持ちを考えざるを得ないような施設を創りたいと思っています。さらにいえば、プロのスポーツ選手がそこのカフェやスポーツジムで働いている、なんていうのも面白いかなぁと思っています。まだまだ、女性が彼氏とデートに行く前にお化粧をするときくらい細かく、繊細に、ブラッシュアップが必要だと感じます。(自分女性になった経験がないので、正確にはわかりませんが)
 そのために、今何をやっているのかというと、学生団体の共同代表、無限島(無人島)の運営や、平昌オリンピックプロジェクトというものに、関わらせていただいています。
それらを、いちいち全て1から話していると時間が勿体無いので、省略させていただきます。
 知りたい方や、興味を持ってくれた方は、11月の12日にこのプログラムの報告会をJICA地球広場にて開催ことが確定しておりますので、そちらへの参加をお勧めいたします。

ということで、お待たせいたしました。自分がベトナムで何を感じ、なんか平和とか言っているが、今後具体的に何をどうしていきたいかを書いていこうと思います。
ベトナムで何を感じたか、それはとても簡単にいえば、紛争や対立、もっと身近なものに例えると、口喧嘩や噂話、それらが生まれる原因を突き止めました。はい。それは何か、もう最初に言っちゃいます。
「正義」の反対は「悪」ではなく、「正義」の反対は「もう一つの正義」が存在するということ。
 皆さんは、日頃の生活で自分の正義(自分にとっての幸せ、自分にとっての利益、自分にとって良い価値観)だけを考えてしまい、相手の正義(おそらく自分の主観とは違う、相手の価値観や守りたいもの)を理解せずに発言や行動してしまってはいませんか?
ベトナムは社会主義です。立場的に、社会のシステム的に、政府の人間や国の人間は一般民と比べて圧倒的に上の立場にあります。おそらく日本よりも理不尽という言葉が当たり前な国だという印象を受けました(あくまでも、私の主観です)。社会主義の国と聞いて最初に思い当たる国は、北朝鮮なのではないでしょうか?ベトナムと北朝鮮を比較すると、ベトナムは北朝鮮ほどしっかりとした教育を小学校などに導入していません。すると、どうなるのかというと、今回のプログラムに参加したベトナムメンバー10人は全員、政府に対して、社会主義というシステムについて、不満を持っていました。それと同時に、自分たち日本メンバーを心の底から羨ましく思っているような表情や言葉を使っていました。さらにそれと同時に、ベトナムに生まれた運命を本当の意味で感じているようでした。
 そんな政府に対してマイナスイメージが強いベトナムメンバーと政府の方々が、多少対立する場面がありました。ベトナムのオーガナイザーと政府の方が喧嘩する、みたいな。そこらへんも書いているとキリないので、省略させていただきます。自分自身は、ベトナムメンバーと一緒にいる時間の方が圧倒的に長かったし、ベトナムメンバーの意見を聞いていたので、ベトナムメンバーよりの物事の捉え方をしていました。色々ありすぎて、自分は政府の人のことが嫌いになっていました。
しかし、後々知ったことがありました。それは、政府の方々も社会主義というシステムがベトナム人の一部を苦しめていることを知っている、ということです。そのとき、もしもこのプログラムを政府の思う通りに動かすことができなかったら、政府の人の幸せが危ないのだと、そのとき肌で感じました。そうです。ちゃんとその人にも正義があったのです。その瞬間自分は自分自身のことがものすごく未熟に感じました。相手の正義を理解していないのにも関わらず、勝手にその人のことを嫌いになっている自分がそこにいることに対して。そこで感じたことが、争いや対立、口喧嘩や噂話は「正義」と「正義」の食い違いで生まれてしまう、ということです。自分自身のことを嫌いになると同時に、知らないって怖い、と感じました。
 一体、自分の身の周りに、日本に、地球上に、相手の正義を尊重した上で物事を発言したり、行動したりしている人は一体何人いるのだろうか、ものすごく怖くなったと同時に、これだ、と感じました。
この考え方(相手の正誤を尊重する)を世界中に発信することで、世界がいつか平和になるのではないかと。自分はこの仮説を、人生を通して表現し、検証していくつもりです。
しかし、日頃見るニュースや専門家の意見、実際に肌で感じたベトナムのリアル。どんなに偉い人たちでも解決できない、世界平和を実現するには超えなければならない大き過ぎる壁を、自分は超えることはできないと感じてしまいました。それと同時に、世界平和は実現できないと感じました。あまりにも、人間の力ではどうこうなる問題ではない。人間が作り出した問題なのにも関わらず。しかし、この経験は、自分の価値観を大きく変えました。

 世界を変えることはできない、それでも自分と関わる人をちょっとだけ幸せにすることはできるのではないだろうか?そうすることで、地球の中の日本という国の中に立っているたった少数の人間が変わる。これで、少しだけ世界が平和になっていると思います。それで良いのかなと思います。
今後自分がすることは、自分と関わる人の輪を広げること。より多くの人と自分が関わることで、より多くの人が少しだけ幸せになり、少しだけ世界が平和になる。
うん。これで良いと思います。だから、この報告書でもあえてこの話をしました。
この報告書を読んでくださった方々の中から、少しでも多くの方が「相手の正義を尊重できる人」になってくれることを祈っています。

 そしてさらにさらに、自分は望んでいることがあります。それは、この報告書を読んでくださった方々の中から、他人にこの価値観を広め、「相手の正義を尊重できる人」を世の中に排出する人が生まれること、です。最後に、自分が好きな言葉を書いて終わりにしようと思います。
「恩送り」ご存知ですか??この言葉。
とあるアメリカの小学校の総合の授業で、世界を平和にするにはどうしたらいいか、という議題に対してある男の子が唱えた、世界平和を叶える方法です。
簡単にいえば、恩返しではなく恩送り。良いことされたら、その人に恩を返すのではなく、同じことをあなたの身の回りの3人の人に恩をあげてください。その3人にも、同じようなことをさせてください。すると、良いことをしあう最高な社会が創れるよね、
という考え方です。

 自分は、これを検証してみたいのです。実際に自分が行動して見ることや発信すること、この報告書を書くことによって…。

 いかに多くの人と関わり、いかに多くの「相手の正義を尊重できる人」を世の中に排出することができるかが、自分の人生の価値だと思っています。

今後も発信し続けていきます。


 もしも、万が一、いや500万が一、みなさんが2000円札と出会うくらいの確率で、自分と一緒に世の中に良いものを作っていきたいと、少しでも感じてしまったかたがいらっしゃいましたら、11月の報告会か、Facebookで自分を追加してください。関わる人との関係は、強ければ強い方が良いので。フェイスブックで追加してくれると、心の底からニヤつきます。メッセージくれると、飛び跳ねて喜びます。本当に飛び跳ねます。なんなら、飛び跳ねている動画送ります。そのくらい、本気です。

 以上で、「世界がちょっとだけ平和になる方法」講座を終了したいと思います。
この報告書を読んだあなたが、あなたによって世界をちょっとだけ平和にしてくれることを心の底から願っています。

 読んでいただき、本当にありがとうございました。

写真は、大切なメンバーとの写真と
いろんな想いがこもってる、写真です。



2017年10月9日月曜日

ベトナム VJEP 2017 報告書 (6) 匿名希望(上智大学総合グローバル学部1年)「一番大切なことは何か」

VJEP 2017-ベトナムプロジェクト報告書 (6)

「一番大切なことは何か」

上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科1
                            匿名希望

ものすごく充実した二週間、毎日本当に忙しく、朝から晩まで新しい経験ばかりを積み上げた二週間だった。新しいことを経験するのに精いっぱいで、私のベトナムでの経験はそれだけで終わってしまったような気もする。忙しすぎて毎日の予定をこなすだけの二週間。
帰国後に数人のメンバーと会い、今回のプロジェクトについて話し合った。そこで初めて見えてきたものや、気付いたことがたくさんあった。ベトナムにいるときから自分の中でもやもやとしていた感情の霧が晴れ、整理された心の中には後悔が多かった。しかし学んだこともそれと同じくらいあった。後悔が学びだったともいえる。
ベトナムに行く前、私は不安だった。自分の英語力や、具体的なスケジュールが分からないことも一つの不安要因ではあったがそのことが大部分を占めているわけではなかった。一番不安だったのは事前準備で全員が集まれなかったこと。みんなが自分と同じ気持ちや理由でこのプロジェクトに参加しているとは全く思っていなかったし、もちろんそれが当たり前だが、だからこそみんなの気持ちを知っておきたかったし、どんな人なのか会って話しておきたかった。日本メンバーにはその時間が足りな過ぎたように思う。
そのことが二週間ずっと私の不安要因だった。みんな精いっぱい頑張っていたし、何とか日程をこなしていった。しかし私はそのことに気を取られすぎていたのだと思う。「何とかやり切らなきゃ」「失敗しないように」「そのために自分ができることは」そういうことばかり考えていたような気がする。状況を見て必要なことを考えてこなすことができるのは、今まで漠然と自分の長所のような気でいた。しかしそうではないことに気付いた。それが成功へのたった一つの道ではなかった。失敗なく、プロジェクト自体を成功させることはもちろん大切だが、「失敗なくこなす」ということを達成することは自分の中での成功を意味するのだろうか。パフォーマンスのような、人に楽しんでもらうことは失敗なくやることが大前提だ。しかしこのプロジェクト全体は?自分は何のために参加したんだっけ?
私の後悔は、プロジェクトに純粋に『参加』できなかったこと。不安要因ばかりに気を取られることで、やり逃したことがたくさんあったのではないかと思った。
たくさんのことを学んだ。ベトナムにいればいるほど、またベトナム人と関わり、話をすればするほど、頭で知っていただけの知識がかけがえのない経験として自分に刻まれた。実体験を通して考えが変化した。自分でベトナムに行き、実際に経験したり目の当たりにしたり、様々な新しい経験が私の中に自分の一部として刻まれていくのを実感した。ちょっとした日常の出来事が日本では絶対に起こりえないことで驚くことも多かった。自分が持っていた知識が表面上のものでしかなく、自分がそのことに関して意見を述べられるほどの立場には程遠いことも実感した。ベトナムメンバーは、本気で何か一つのことにみんなで向かっていくとき、それぞれの個性や得意分野を一つの団体としての強みとする術を示してくれたし、一人一人との会話も価値ある大切なものだった。観光では決して得られない経験と仲間。仕事は誰かがやらなきゃいけないし、実際スケジュールをこなすことも最低条件だ。しかし私はもっとこのような価値ある時間を優先すべきだったのではないか。もう少しわがままを通してもよかったかもしれない。そうしたら今回学んだこと以上を得られたかもしれない。それがもやもやした気持ちの正体だったのだ。同じ気持ちのメンバーがいたこともわかったし、ベトナムメンバーでそれに気づいていて帰国後に長い労いのメッセージをくれた人も数人いた。頑張ってよかったと思うと同時に、もっと会話すればよかったと思った。次は絶対にそうしようと心に誓った。
あるベトナムメンバーの帰国後送ってくれたメッセージ、私が今回の後悔を伝えると、「今回のVJEP、プロジェクト自体は終わったけれど、それは僕たちの関係の終わりを意味するわけじゃない。これからのためのVJEPでしょ?」ベトナムでもっと話したかった思いはお互いにあった。でもそれは全員にあてはまることだった。今はこれからの関係のきっかけに感謝している。後悔しなかったらこの関係をこんなに大切に思えなかったかもしれないし、自分の弱点に気付かないままだった。
後悔はあってもこの二週間は間違いなく私に大きな変化を与えたし、大切な経験だったことに変わりはない。このプログラムにかかわったすべての人に感謝している。将来国際協力に関わることがしたいと考えている私には実体験としてのはじめの一歩となる大きな出来事だった。また、国際協力といっても結局は人と人とのかかわりに過ぎず、日本人同士でさえみんな違って難しいということも再確認した。違うのだということをお互い納得して協力すれば、うまくいかなくても違いのせいですれ違っているのかも、と話し合いができる。結局私のプロジェクトを通しての不安もそこからきているように感じたのだ。しかし違いをお互い認識することで心のどこかに遠慮が生じ、率直な議論ができなくなる時もあるから面白い。この発見も今回の収穫だ。

様々な経験ができたこと、自分を客観的に振り返られたこと、素敵なメンバー、二週間の出来事、帰ってからの話し合い、全部を今の自分が経験しているというだけで変われたなと思う。これから先この後悔や発見を最大に活かしていくことで、参加するにあたって支え、応援してくれた人への感謝としたい。

2017年10月8日日曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 8月 報告書 (5) 小谷風葵(上智大学総合グローバル学部3年)「ネパールだから学べたこと、スタディーツアーだから学べたこと」

Mero Sathi Project 2017 8月 報告書(5)
 

ネパールだから学べたこと、スタディーツアーだから学べたこと

上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科3年 小谷風葵


ネパール滞在中、その場にいて皆で時間を共有し、お互いに名前を呼びあうことが心地よく、非日常的な経験から刺激を受け、それらの中で明確な何かを得ることはなくても、ぼんやりと、しかし確実に存在する何かを得た。この何かはあまり明確にはしたくない。それほど複雑で繊細なものであると思うからだ。しかし報告書においてそれでは何も伝わらないため、ネパールだから学べたこと、スタディーツアーだから学べたことの2点を記述したいと思う。
 ネパールだから学べたこととして、幸福についての私の考えを述べたい。以前から幸福について興味や考える機会を持ち、何がどうなったら幸せなのだろうと問うてきた。その際、主体的であることが少なからず関係しているのではないかと考えた。主体的であることによって、そこに自分が存在することの証ができ、それに伴う責任、またそこから派生する達成感や充実感が人々の幸福度を高くするのではないかと考えたからだ。しかし今回ネパールでの生活の中で私の答えに一歩踏み出しかけていた見解はまた振り出しに戻ったのだ。
 今回のネパールスタディーツアーの中で、シックレス村を訪問し、2日間ホームステイという形で滞在した。あえて比較すると、日常の自分の生活に比べて不便なことは多くあった。しかし、部屋の木製の窓の隙間や、木を透けさせるように入ってくる光と、心地良いぐらいの足音や話し声で目覚め、部屋を出るとひんやりと澄んだ空気が全身を包み、すっきりとした心で、肩を並べるように大きく聳える山を眺め、雲を見下ろす朝。この、あるがままの姿、なにも考えずに澄んだ気持ちで居られる感覚、生活の中の添えられた自然ではなく、自然の中に添えられ一体化している生活に対し、幸せを感じずにはいられなかった。そして、幸せは定義してはいけない、定義することができないものであると私の中で落ち着いたのだった。そして定義できないものであるからこそ、幸せを感じるか否かは自分次第なのだと言えるのではないだろうか。またそれは、幸せはなるものではなく、するものであるとも言えるだろう。
 スタディーツアーだからこそ学べたことは、ネパール人メンバーとの交流の中の学びにあった。ネパールでの生活初日は、3年越しであったネパールにやっと来ることができたという喜びや、初めて見る景色や空気、そこから受ける刺激に自分の気持ちが対応しきれていなかった。国に対しても、人に対しても、過剰にネパールを意識してしまっていたのかもしれない。そしてこの意識は、何かにつけて「ネパールだから」と、受け入れているようで少し距離をとった見方をさせた。薄いがかなり頑丈な壁を作り、異国であるということを理由に自分の中でフィルターを持った状態で関わってしまっていたのだ。それは、本質や個性を見逃してしまう、もしくは一般化してしまうことに繋がりかねない。
 しかしそれは毎日寝食を共にし、時間や経験を共有したネパール人メンバーたちによってあっさりと取り払われていた。知らず知らずにしていた普段の生活との比較を知らず知らずに止め、あるがままのネパールとあるがままの自分との関係性が構築されていったのだった。彼らが何か特別なことをしてくれたわけではない。ただ、彼らとの関係がネパール人と日本人ではなく、同じ学生、参加者、友達、そして兄弟姉妹のようになっていき、その変化は不思議なほどであった。私は私自身であり、それ自体が特別なこと、だからこそありのままでいてほしいと言葉を贈ってくれたのも彼らの中の一人である。私たちはネパール人、日本人である以前に友人であり、家族のような存在なのだ。ネパール人メンバーという情報でなく、その人自身との関係を築く美しさを彼らから学んだのである。
 ある女性は、世界で最も美しいものは心で感じなければならないと言った。冒頭で述べた通り、ネパールで過ごした時間は私にとって非日常であった。そういった環境が私に様々なことを感じさせ、学ばせたのかもしれない。しかしそれは間違いなく日常であっても同じはずだ。非日常の中で美しいものにであった際に感じる必然性は、もしかすると日常にこそ多く存在しているのかもしれない。