「発展途上国の色眼鏡」
上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科3年
安生圭騎
私はいわゆる発展途上国と呼ばれる国に訪れるのはネパールが3か国目であった。初めていった国はカンボジアで、悲惨な歴史背景から今もなお孤児の問題や教育の問題など様々な問題を抱えている国だ。2か国目はバングラデシュであった。バングラデシュはいたるところにスラムやストリートチルドレンがおり、バスに乗っていると車が止まるたびにノックをしてきて新聞や果物などを売ろうとしている子供たちもいた。これらの国々に訪れたのは高校在学中に学校主催で行われた。そのため食事も安全に配慮して、現地の人々のごく一部の限られた富裕層や外国人観光客向けのホテルやレストランで過ごした。
現地では、観光地の見学やモスクの見学、学校の視察やスラム街に訪れるようなことも行った。私はこういった経験から、発展途上国は何となく危険で食事も注意していない限りすぐに腹痛を起こすと考えていた。そのためネパールに行く前までは同じようなことであろうと考えていた。しかしながらネパールに行くことで発展途上国という言葉の印象が変わった。なぜならネパールではそもそも現地の同世代の人々と生活を共にし、文化は違くとも、趣味嗜好は全く変わることなく同じ人間であると感じたからだ。また、食事に関してもローカルな食べ物を食べたとしても腹痛を起こすことなくいたって健康にアクティビティーを楽しむことができた。こういった点から私は発展途上国という言葉だけでマイナスのイメージを持っていたが、そもそも私が間違っていたと考えた。
しかしながら私はいわゆる先進国を中心とする国際協力は必要最低限、行うべきであると考えた。私がポカラで雨宿りをしていた時に見知らぬおじさんが日本人かと尋ねてきたことがあった。私が日本人だと答えると日本は震災の時や高速道路の建設など様々な援助をしてくれていると話してくれた。このことは、正直私はほとんど知らなかった。こういったところから日本のイメージがよくなっていると思う。その後も私はいたるところであなたは中国人かあるいは韓国人かなどと多くの場面で聞かれることがあった。しかし自分が日本人と答えると顔色も少し明るくなった理由なのかもしれない。これは日本が戦時中その国の人々に非人道的な行為を行った国ではまだまだ通用しないと聞いたことがある。こういった点から、国際協力をすることで日本の悪いイメージをよくすることのみならず相手国の問題の解決に少しでも関与できるお互いに良い関係を気づきあげるよいきっかけになると思った。
一方で、今すぐ行動しなけれればならない道義的な支援も必要であると考えた。なぜなら、いつの日かの夕食後のカトマンズで街を歩いてホテルに帰る際に、紙袋のようなものを口につけ吸ったり吐いたりしながら横たわっている少年を見かけた。おそらくシンナーか何かを使っているのであると考えられる。私はあまりの衝撃で写真すらとることはできなかったが、まだまだこういった現状が実際に起きていることが身にしみてわかった。
ただし、先進国と発展途上国という関係ではなくあくまで友好的にあるいは道義的な国際協力であって、現地の状況を変えすぎてしまうような国際協力は必要ないと考えた。なぜなら、私たちが訪れた村であるシクレスにはグルン族の人々が住み、いまだにガスを使っているところは少なくとも一度も見ることはなかった。また、道を歩いているときや寝ているときに気が付かないうちにヒルに刺されたり、街頭など一切なく夜は真っ暗で外に出るときには懐中電灯が必要であった。確かに我々の暮らしの中ではどれも必要不可欠なものや想像もできない状況かもしれない。しかしそのような環境下でも村の人々は地域で協力し合い生活していた。またホームステイをしていく中で生活していくことに特に困ることもなくむしろ満天の星空に囲まれる私にとって居心地が良い環境であった。こういった意味では、いわゆる先進国に住む私たちにとって必要なものも村では必要としないあるいはそもそも存在自体をあまり認知していないのかもしれない。しかしそのようなものがあることで環境問題を引き起こすなど様々な問題を抱えてしまっている。そのようなことがあるならばむしろ村の生活のほうが人間的であるかもしれない。
こういった点から私たちが当然としていることを強制的に押し付けいわゆる文明化をはかるのはどうかと考えた。つまり私たちが使うからあなたがたも使いなさい、といった国際協力や政府の考えが仮にあるとしたらそれは間違っているのではないかと考えられと思った。だからこそ現地の状況を変えすぎる国際協力は必要ではないと考えたのだ。一方で村でも出稼ぎに出かける若者や何か買い物するときは近くの大きな都市に出かけなければならないなど様々な問題があることが分かった。こういった問題は積極的に政府や国際協力などが参加し問題の解決につなげるべきであると考えた。
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