Mero Sathi Project 2017 8月 報告書(7)
「物の豊かさより、心の豊かさを」
上智大学 2年
SHIN JIHYE
「ネパール」と聞いたら、おそらく多くの人が思い浮かぶのはヒマラヤ山脈やエベレストであるだろう。私もその中の一人であった。ネパールに関する情報があまりにも少なく、人々はどのような生活をしているのか、町はどのような姿なのか、想像しにくいものであった。
私が初めてネパールのカトマンズ国際空港についたとき、「ここがある国の首都の国際空港?」とびっくりした記憶が生々しい。じめじめしている空港では停電が頻繁に起こり、クーラーなどは考えられなかった。コンベヤーベルトの床の工事を目の前でやっている業者の姿。映画でも、ドラマでも見たことがない姿で、カメラのシャッターを忙しく押し続けていた。空港から街に出てからは、さらに衝撃を受けた。道には交通信号のないなか、車、バイク、自転車、人さらに牛までがいじり混ざって行き来をしていて、とても複雑だった。砂と排気ガスがのどを刺激し、何回もせきをださなくてはいられなかった。「本当にここでの生活ができるのか」。この問いとともに私の12日間のネパールでの生活が始まったのである。
食事の時には、20人ぐらいの私たちの食事がそろうに大体2時間ほどかかった。コーヒーを頼むたび、いつものようにあふれた状態で出された。お店のファンをかけるために何も了解をもとめず私が座っていた椅子を靴のまま登ったり、町に出てからは何か一つものを買おうとしてもありえない金額を最初に呼ばれたりしていて、一から十まで私が慣れていた生活とは正反対であった。これが日本、あるいは私の母国である韓国であったら、絶対に許されない行為だ、と何回も思っていた。無意識のなかで私は、「これは常識ではない」と考えていたに違いない。
しかし、時間がたつにつれ、私の考え方が大きく変わっていった。「常識ではない」と考えていたその世界では、私こそが「常識ではない」存在であるかもしれないと思うようになったのである。異常に考えすぎていて、ほかの人々の行動を計算し、自分が常識だと思っている型にはめようとしている自分を出くわしたとき、自分の考え方、そして自分のこころがどのように小さなものであるのか、どれぐらい私が「違い」を受容できないのかと実感したのである。
100を超える民族が違う文化、言葉、生活様式を持っている国。だからこそ、彼らは「受容」することを自然と学んでいて、どんな時でもほかの人の行動をジャッジしないのかもしれない。考えてみれば、12日間わたしたちと同行していたネパールのメンバーたちも、彼らと違う私たち日本人メンバーの行動をすべて受け入れ、受容してくれた。小さい虫ひとつにも大げさになってしまったり、ネパールの食べ物を全く食べれなかったり、彼らにとっては常識ではない私たちの行動を、彼らは常に暖かく受け入れてくれた。
ネパールの幸せ指数は、先進国に比べてそうとう高い水準であるといわれている。彼らが幸せな理由は、物質的なものではなく、心の豊かさから生まれたのではないだろうか。「それでも大丈夫だよ」と私が何者なのかにかかわらず友達になってくれたネパールのメンバーたちから、カメラを向けたら抵抗感なくいつも笑ってくれる道で出会った多くの子供たちから、そして言葉一つ通じなかった村で、かぜにひいてしまった私のために毎あさ薬草でお茶を出してくれたおばあさんのほほえみから、私は心からの幸せと豊かさをみて、学んでくることができた。
「ネパールはネパールという名前で一つの国になっているけれど、なかを見てみるとバラエティー豊かでとても面白い国だよ!」とネパールのメンバーの一人は、私がネパールについた最初に言ってくれた。12日間の日程を終えて、その言葉の意味を非常に理解するようになった。一つであるが、一つでない国。その多様性を受け容れ、ハーモニーを創っていく国。物の豊かさより、心の豊かさを持つ強い国。ネパールから学んできたその心の豊をここ日本でも実現していきたい。
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