2017年10月14日土曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 8月 報告書 (7) 松下菜夏(上智大学総合グローバル学部3年)「新しい世界で知る新しい自分」

Mero Sathi Project 2017 8月 報告書(7)

『新しい世界で知る新しい自分』

上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科3年 松下菜夏

「必ずまた行く。」と心に誓ったあの日から、2年の時を経て、ようやく戻って来ることができたネパール。2年前のスタディーツアーでは、ネパールという未知の世界で見るもの、起こること全てが刺激的であった。しかし同時に、ネパールの自然の豊かさや人の心の温かさは、故郷宮崎と重なりどこか懐かしさを感じるものもあった。2年ぶりに訪れたネパールには、変わらない自然豊かな景色とスパイスの効いた独特の香り、そしてナマステと手を合わせ笑顔で迎え入れてくれる温かい人々の姿があった。私はそれらに親しみと懐かしさを感じながら、これから出会うであろう人々や出来事を想像し胸を躍らせた。

 今回のスタディツアーの中で私が最も楽しみにしていたのが、2年前に訪れたシックレス村での滞在、そして村の人々との再会である。ネパールの第二の都市ポカラから想像を絶する程の過酷な山道を約6時間ジープで駆け上がると、ようやく美しいシックレス村にたどり着く。私たちは今回、ホームステイを通して村ならではの体験を沢山させて頂き、より深く村の人々と関わることができた。いわゆるキッチンとリビングが統一された大広間で、アマ(母)やディディ(姉)が夕食(専らダルバートというネパールの伝統料理)を作ってくれる側で、私たちは土床に敷いた座布団に座りながら、二時間でも三時間でも他愛もない話をしながら待つ。すると日本人が来たと聞きつけた隣人たちが次々と訪れ、話に花が咲いた。村の夜の静けさと、アマガ料理をする包丁や火の音が心地よく私たちは皆時間を気にせずのんびりと過ごす。今思えば、ネパールで過ごした日々の中であんなにもリラックスできた時間はなかった。
 ネパールの山奥で自然と共生し、親戚や友人と集まり日が暮れるまで話す彼らからは人間の本来の姿が見える。また私自身も、彼らと過ごす中で次第に携帯に触れる機会が減り、村で起こるもの感じるものをその場で見て肌で感じようとしていた。
   日本で生活をしている私は、毎日時間に追われ目の前のことを考えるだけで精一杯だ。しかしシックレス村を訪れると「生きることとは何か」「人間らしさとは何か」と立ち止まってゆっくり考えることができる。

そんなシックレス村で私が心待ちにしていたのが村の学校への訪問と2年ぶりの「再会」
である。学校に着くと真っ先に教室へ行き、前回一緒に写真を撮った子供たちを探す。すると、私が手にしていた写真を見て、「それ私。」「これは僕だよ。」と嬉しそうに次々と駆け寄って来た子供達。彼らは2年経っても変わらない純粋な眼差しで私を迎え入れてくれた。また、2年前より少し大人びた彼らを見て、時の長さを感じながら再会の嬉しさを噛み締めた。すでに上級生へと成長しもうすぐ卒業するであろう彼らにはどんな未来が待っているだろう。あの村を出てネパールの都市部あるいは海外へ出るのだろうか。楽しみである反面、次またこの村を訪れても彼らに会えないかもしれないと思うと少し寂しい。いつかまた、さらに成長した彼らに会いたい。

 次に、このスタディーツアーのテーマである「学生交流」について述べたい。

 今回のスタディーツアーで二週間ネパール人学生メンバーと共に過ごす中で、日常会話の際に彼らが言った何気無い一言やふとした時に見せる表情から学ぶこと、考えさせられることが多くあった。その中で、最も印象に残っているのが、以下の2点である。
 一つ目は、ネパール人メンバーの愛国心の強さと深さである。彼らはネパールの歴史や文化、自らが属している宗教や神様にまつわる話などについて深く理解しており、それらの多くを私たちに教えてくれた。そしてその時の彼らの表情は、いつも誇らしげに見えた。しかしそんな愛国心のある彼らでも、日本人メンバーの普段の生活や周りの環境とを比べ、不満や窮屈さを感じている様子を伺えた場面もあった。では私たち日本人はどれほど深く日本という国について理解しているだろうか。彼らにどれだけ日本について伝えることができただろうか。自国を愛し、また自国に足りないところまでも深く理解している彼らと向き合うことで、自分自身が情けなくもあり、また同時に心得るべきものも知った。
 二つ目は、ネパールにおける「ダイバーシティ(多様性)」についてである。あるネパール人メンバーと話している時のことである。ネパールの文化について質問を重ねていると突然彼女が「あなたたちはみんなネパール人ネパール人というけれど、私たちは文化も宗教もカーストもみんなそれぞれ違っていてとてもダイバーシティーなの。」と強く言った。そしてその後も「ダイバーシティ」という言葉を私たちに訴えかけるように繰り返し言った。私はネパールやその他様々な国で「多様性」に触れる機会が多くある。それらは主に文化や言語、習慣などであるが、一つの国で多様な人々が存在しそれを受け入れる多様な考えである。一方日本では地方間における言語や文化の多少の差異はあるものの、日本人の多くが特定の共通認識や画一的な考えの中で生活しており、「多様性」という考えに対する理解が浅いと感じることが多くある。そして私自身も気づかないうちに、彼女が「日本人は私たちの多様性を理解していない」と思われるような失礼な発言をしてしまっていたかもしれない。それが心残りである。

 私は今回ネパール人学生メンバーやシックレスでの村の人々との会話を通して、異文化交流をする上で最も重要なのは「コミュニケーションを図ろうとする姿勢」だと改めて感じた。しかし同時に、より深い関係を築くには英語(共通語)の言語能力は必要不可欠であることも痛感した。今回のスタディーツアーでは2年前よりも様々な人と多くのコミュニケーションを取れたからこそ、言語の壁の大きさを強く感じた。特にネパール人学生メンバーとは二週間ともに過ごす中で、自分の語学(英語)力不足から彼らと思うように意思疎通が図れずわだかまりが残ることが多くあった。私は彼らともっと話したかった。そしてもっと知りたかった。これもまた今回のスタディーツアーで後悔していることだ。

 最後に、私が2年前のスタディーツアーで後悔したことについて話したい。
 2年前ネパールについて何も知らずに現地を訪れた私は、彼らの宗教や価値観についてもまた無知だった。するとツアー中、一人のネパール人メンバーが私が何の宗教に属しているか聞いてきた。宗教に属していない私はこの質問自体初めての経験であり、また英語力も乏しかったため焦って上手く説明がすることができず、「私は宗教に属していない。多くの日本人がそうである。」と答えた。すると彼は非常に驚いた様子で、また腑に落ちない表情を見せたのを覚えている。私が彼に言ったことは決して間違っていたわけではないが、今改めて考えると宗教が生活の軸となり考え方の基盤となっている彼らに対する答えとしては不十分であったように思う。また帰国後、大学で多様性や宗教について学べば学ぶほど自分がどれほど無知であったか、誤解を与えてしまうような回答をしてしまったか反省しモヤモヤしていた。
 今回のスタディーツアーはバスでの長距離移動が多かった。カトマンズからポカラへ移動するバスのなかで隣に座ったネパール人メンバーとは、お互いの大学での勉強や将来の夢、またネパールの文化、カースト制度、そして宗教について話した。そこで彼女から、2年前の彼と同じ質問をされた。私は答えた。「多くの日本人が特定の宗教に属しているわけではないけれど、神様を信じていないわけではないよ。私自身も宗教というものには属してはないけれど、神様も信じているし、あなたたちに近い考えもあるよ。」すると彼女は、納得した様子で深く頷いてくれた。

新しい世界に行けば、自分とは全く異なるバックグラウンド、文化、価値観を持つ人々
に出会う。彼らと私たちには共通のものもあれば異なるものも多くあるだろう。またそれらを知った時に面白さを感じる時もあれば、なかなか受け入れられず戸惑うこともある。しかし私はそれも含めて、新しい世界で多くの人々と出会い、まだ知らない自分の思いに出会うことが好きである。
 そして私は今回のスタディーツアーで後悔したことを晴らすためにも、またネパールへいかなければならない。

 最後になったが、関昭典先生をはじめとしたAAEE関係者の皆様、コーディネータのKshitiz Bhattarai dai、リーダーの関愛生くん、そして何よりも二週間ともに過ごしてくれたネパール人日本人両メンバーのみんなに心から感謝するとともに、私の報告書を終わらせていただきたい。
素晴らしい二週間をありがとうございました。


松下菜夏

P.S.
2度目の参加者の特権として、前回のスタディーツアーの親友と再会してきました。
一晩夕食をともにしただけで多くを語ったわけではありませんが、だだ隣にいて手をつないでいるだけで十分でした。彼女と私はネパール人と日本人という関係ではなく、ただ隣にいるだけで心が通じ合える親友です。そんな貴重な友人と出会えたのもこのスタディーツアーのおかげです。
次回、今回のスタディーツアーで出会ったメロサティ(私の友達)に再会するのが楽しみです!





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