2021年4月2日金曜日

2021年春期 四か国(べトナム・バングラデシュ・ネパール)UNITE参加報告書(1)戸林雄斗(アメリカ Palomar College 1年)

  僕はアメリカの大学生だ。だがパンデミックの影響により、日本にいる。授業はすべて動画で配信され、僕は「喋る」機会を失った。なにせ英語でディスカッションをするなど、英語でのアウトプットを求めて海外大学への進学を決めた僕にとって、これは大きなロスだった。だから、英語圏の友達と数時間電話をするか、暇そうな友達がいなければ、インターネット上で見かけた人を捕まえて電話をかけることを毎日繰り返していた。狂ったように聞こえるかもしれないが、英語でのアウトプットが増えるなら何でもよかった。ある日、ベトナム人の友達と電話をした時に、このプログラムの存在を知った。彼女はプログラムのオーガナイザーの一人で、プログラムのおおまかな概要とAAEEが行う活動を説明した後、日本からの参加者が5人必要だが、1人足りていないと言った。先述の通り、英語でのアウトプットに飢えていた僕は、このプログラムに参加することを即決した。なによりトピックがアカデミックな内容だったから、大学で行われるディスカッションなどとそう変わりないだろうと思って、胸が高鳴った。

 そんな気持ちで迎えたこのプログラムであったが、全てが上手くいった訳でもないし、全てが上手くいかなかった訳でもなかった。分かりやすく言えば、学ぶこともあれば、自分の自信に繋がるようなこともあった、といったところだろうか。

 上手くいったことに焦点を当てて言えば、言語について。こういったプログラムの参加者からよく聞くフレーズに「言語の壁」があるが、僕自身、これについてはこのプログラムを通してもそこまで意識したことはない。「僕は英語が得意なんだ」とかそういったことを言いたいのではなく、このプログラムにおいて、そもそも言語は大した問題ではなかった、と勝手に思っている。まず、言語の壁が問題とされるのは、特定の言語(今回のプログラムでいえば、英語)への理解が極度に乏しい人がいる場においてであるが、このプログラムへの参加者は全員、ある程度の英語力を持っていた。さらに言えば、このプログラムへの参加者計20人、全員が英語を母国語としていないため、この場における英語はInternational Englishとなる傾向があった。それ故、言語自体が文化的背景等を持たず、言語そのものに対する認識の違いがほぼゼロに近く、コミュニケーションは円滑に進んだと言えた。

 ただ、コミュニケーションが上手くいったとしても、共同作業が上手くいくわけではない。共同作業とはたいていコミュニケーションを主軸として成り立つものであるが、この2つは、特にこのプログラムのように多国間でなされる交流がある場においては、切り離して考えなければならない。先ほど述べたように、今回のコミュニケーションには”異文化”は介在しなかった。だが、作業をする際には、意図せずとも異文化が垣間見えることがあり、そしてその異文化と接触した瞬間に、多文化共生における難しい部分にぶち当たることが幾度となくあった。コミュニケーションとは、単簡に言えば、誰かが言って、誰かが聴いて理解する、というものだ。これは2人もしくはそれ以上の人達によって為される。一方作業とは、聴いた側(共同作業においては指示を受けた側といえる)が行動に移すという、誰か1人によって為される行為である。そうなるとこのプロセスには、その誰か1人のパースペクティヴしか存在せず、彼の異文化的な裁量が他の人には予測出来ない事態を生むことがある。とても簡単な例をあげると、チームのリーダーとなる人物が他のメンバーに対して午後7時に○○に集合という指示を出したとき、6時50分に来るメンバーもいれば、7時30分になっても来ないメンバーだっている。日本人は傾向として時間を守る、もしくは遅刻をするにしても連絡を入れることはするし、僕が大学生活で関わることが多いアメリカ人も同じだ。だから僕は時間の感覚はみんなこのような感じなのだろうと思っていたが、今回のプログラムで作業を共にすることとなったネパール人とベトナム人は違った。彼らは連絡なしで遅刻をすることを繰り返したし、なんならそもそも来ないことだってあった。それが悪いと言っているのではなくて、それが彼らの国での時間の流れ方なのだ。だから仕方がない。僕は彼らが遅刻をしたときに、何を考えているのか理解できなかったが、同時に彼らも時間を厳しく守る人のことを不思議に思うかもしれない。何が言いたいのかというと、異文化交流において、いくらコミュニケーションが上手くいったとしても、そのコミュニケーションを経て相手がとる行動には予測不可能な要素があり、結果として共同作業に手こずったり、壁にぶつかったような感覚に陥ることがある。それを痛烈に実感させられた今回のプログラムであった。

 今回僕は大学の授業と並行しての参加となり、中々ハードスケジュールで疲れさせる一週間であったが、貴重な学びと経験が出来たから、参加したことに全く後悔はない。だからこれを読んでいる人の中でもしAAEEのプログラムへの参加を迷っている人がいれば、僕は挑戦してみることを強くお勧めする。 

 このプログラムは環境問題がテーマであったが、個人的には多文化交流における学びが強烈に印象に残っていたあまり、そのことばかり書いてしまったことを陳謝する。 

 最後に、このプログラムに参加する機会を与えて下さった関昭典教授と学生アシスタントの皆さんに感謝申し上げる。



2021年4月1日木曜日

2021年春休み 多文化共生学習会報告書(6)五反田南見帆(早稲田大学1年)

 参加動機

苦痛の大学受験を乗り越え、希望に溢れて高校を卒業し、待っていたのは新型コロナウイルスによる今までとは違った非日常的な生活でありました。華の大学一年生のキャンパスライフはおろか、ほぼ全ての大学の授業がオンラインで行われ、淡々とオンライン授業とアルバイトを繰り返した1年でした。2021年度への不安もあったそんな時にSNSで偶然A A E Eの存在を知り、何か刺激的なものが得られるかもしれないと思い、参加しようと決めました。


3つの大きな学び

 勉強会では、想像していた以上に刺激を受け、私自身の現状、これからのライフプランや目標を考え直すきっかけになりました。特に勉強会を通してこれから大切にしていきたいと思ったことは、「何事もジブンゴトとして捉える」「大きなチャレンジのためにたくさん学んで吸収する」「自分の前提を周りの前提と考えない」、この三点です。

 まず、「何事もジブンゴトとして捉える」ということは、佐藤桃子さんの体験を聞いて感じたことです。現代ではSDGsという言葉は広く知られ、企業や自治体などSDGsを基にした取り組みを多く行っているように思います。実際、私も高校生の時からSDGsやサステナビリティについて興味があり、サステナビリティ教育について大学で学び深めたいと思っていました。佐藤桃子さんは、「学校ではSDGsを学ぶけれど、実際の生活では環境に配慮していない自分の生活に葛藤をしていた」と仰っており、その時自分もハッとしました。私自身も大学で学び教育現場で生かしたい、と考えていたのにも関わらず、生活の中では少ししか意識できていなかったからです。佐藤桃子さんはそう感じた時に、「自分の行動を通して子供たちに良い刺激を与えたい」と感じたと仰っており、非常にその言葉が印象的でした。どうしても多くの人が、知識を持っていることに満足したり、安心したりして、それを実際に行動に起こしたり言葉で伝えたりできないと思います。しかし、それでは社会は一向に変わらないし、前進しないのだと改めて感じました。学んだこと、知識として取り入れたことをそのまま頭に留めておくのではなく、考え、心で感じ、「ジブンゴト」としてアクションに移すことが大切だと思いました。

 次に、「大きなチャレンジのためにたくさん学んで吸収する」ということです。関愛生さんのお話から学んだことです。私は、関さんのお話を聞くまでは、何かを「学ぶ」時には、その道のプロフェッショナルになれるくらい深く、学び続けることが必要であると感じていました。一方で、「このままで良いのかな」「他に自分に適した分野はないのかな」と不安になることもありました。しかし、学生の頃からネパールに行って活動を行ったり、政治やビジネスに関わる場に出向いて多くのことを学び、自分のものにしている関さんの姿がとてもかっこよく見えました。と同時に、大学生は時間がたくさんあって学びたいことを学べる絶好の機会だから、いろいろな分野に興味を持って足を踏み入れていきたいと思いました。1つのことを深く学ぶことも素敵なことですが、もっと多くのことを学んで、それがいつか役に立つ時が来れば良いな、というモチベーションでいることも良いのかなと感じました。

 最後に、「自分の前提を周りの前提と考えない」ということです。多様性が認められる時代で、少し前よりも「こうであるべき」という固定観念がなくなっていると思います。その一方では、「多様性」という言葉はポジティブに感じがちですが、100人いれば100通りの考えがあるので、相手がどんな立場を持っているのかは話してみないとわからないし、その分生きづらさを感じている人も少なくないです。日本では、いわゆる「社会的マイノリティ」に属する人と接する機会や周りにそういった人々がいる、という状況が少ないように私は感じます。しかし、自分からは言い出せない人やマイノリティの立場であることを隠している人もたくさんいると思います。私も、もしそういった人から公表された時、どういった反応をし、何をいえば良いのかはわかりませんが、生きづらさを感じている人がいつかマイノリティである部分をアイデンティティとして生きられる世の中であれば良いのにな、と私は思いました。そのためには自分が今当たり前だと思っている前提は、必ずしも周りの人にとってはそうではなくて、いろんな人がいて、いろんな考えがあって、みんな間違いではないということを心に留めておきたいと思いました。


「教育で日本の子どもたちの生きづらさをなくしたい!」

 これは、私が勉強会を通して将来達成したいと感じたことです。私は教育に関わる仕事をしたいと考えていますが、それが教員としてなのか、何か別の形であるのか、具体的なことは決まっていませんが、前にも記したように、多様性が認められる社会において生きづらさを感じている人は少なくなく、これからの子どもたちはもっとその生きづらさを感じるのではないか、と私は危惧しています。そんな子どもたちを教育の力で救ってあげたい、それが私の目標です。時間はかかるだろうな、と思います。しかし、いつか達成できるよう大学生活で多くのことを学び社会に貢献できる人材になりたいと思っています。


最後に、勉強会を企画・運営してくださった関先生を始めとするA A E Eのアシスタントの皆さん、本当にありがとうございました。



2021年春休み 多文化共生学習会報告書(5)平松佳野(関西学院大学国際学部1年)

 春休み 多文化共生勉強会 参加報告書

関西学院大学国際学部1年 平松佳野


 コロナ禍で始まった大学生活は理想とは程遠く、無理やり自分で自分を納得させるようにして一年生を終えてしまった。そして何も新しいことを始められないまま春休みを迎え、このプログラムに出会った。また何もせずに過ごすくらいなら、何か一つくらいこの春休みに行動したい。こうして何気なく参加を決めた今回のプログラムで、これほど大きなものを得ることができるとは思ってもみなかった。ここでは、今回のオンラインプログラムに参加した、私の率直な思いを記していきたい。

 今回私が参加したプログラムの内容を大まかに説明すると以下のようなものだ。これからの多文化共生社会の実現のため、様々なバックグラウンド持った人たちの対談を聞き、参加者同士でディスカッションをして、日本の現状と課題について理解を深めるというものである。私にとってAAEEが主催するプログラムへの参加は今回が初めてであり、手探り状態でプログラム1日目が始まった。それぞれの自己紹介やアイスブレイクなどが行われ、プログラムは進行していった。この時点で私は、「大変なところに来てしまった」と硬直していた。オンラインで顔を合わせた人たちは、私にとってはあまりにも優秀な人たちだったからである。しかしこれこそが、オンラインの醍醐味なのである。ミーティングルームに入るまで、そこにどのような人たちとの出会いが待っているのかは分からない。これまでとは全く異なる環境に身を置くということは、多様な価値観の存在に気づき、考えを深める機会を与えてくれる。対面であればおそらく会うことができなかった他大学の学生や、ゲストスピーカーの方々との出会いは、私にとって本当に大きな刺激となった。積極的な参加者の人たちにつられて、私自身もとても真剣に取り組み、実りのある時間を過ごすことができた。

 そこで受けた刺激は、実際に私の心境の変化にも現れている。正直なところ、これまでの私は、国際学部という学部に所属しながら、国際的な活動に参加するなどの積極的な行動をあまり起こす方ではなかった。高校2年生の頃に学校主催のミャンマーへ行くプログラムに参加したことがあるが、友人の誘いがきっかけであり、誘われていなければ見向きもしていなかった。最初に記したように、今回のプログラムへの参加のきっかけもあまり積極的なものであるとは言えない。しかし現在、なんと私は一つのオンラインプログラムを主催しようとしている。きっかけは、このプログラムの最終日、最後のzoomでの関先生との会話である。話題はミャンマーでのクーデターの話になった。ミャンマーに行ったことがあり、現地に友人を持つ私は、ニュースやSNSを見ながら自分では何もできない現状に無力感を感じていた。そしてそれを関先生に話すと、プログラムの主催を持ちかけられたのである。私は一瞬、何が起きているのか理解できなかった。一参加者の私に、そんな話が持ちかけられることがあるのかと衝撃を受けたのだ。そして私は思わず、やりますと言ってしまった。半ば勢いで言ってしまったが、プログラムで出会った人たちの生き方や考えから受けた刺激が、私にこの決断をさせたのだろう。こうして始まったミャンマーに関するオンラインイベントは、現在まだ進行中であるが、確実に私を成長させる経験となるに違いない。

 「多文化とは、何も異国同士の間で考えられるだけのものではなく、国内においても人々のアイデンティティは多様なものであり、多文化は身近に存在する。」これが、今回プログラムで築いた私の新しい価値観である。今までも他人との考え方の違いを自分なりに受け止めていたつもりだったが、まだまだ知らないことがたくさんあり、無意識のうちに考え方が凝り固まっているところもあったのだと、雪解けのような感覚を覚えた。特に印象的だったのは、偏見や差別に関するディスカッションである。このトピックは7日間の中でも何度か話されたが、集団意識の高い日本社会において、無視できないものではないだろうか。また、多文化共生を実現する上で、解決しなければならない非常に大きな課題である。例えば、昨年大きく取り上げられたBlack Lives Matterや、ジェンダーの問題などである。これらに関して、平等な価値観が正しいという教育を受けてきた多くの若い世代は、差別をする人たちの考えをあまり理解できないかもしれない。しかし、差別をしている人たちにとっては、差別をしない人の考えの方が理解し難いのではないだろうか。その人がそれまで生きてきた環境や、受けた教育、周囲の人々との関わりなど、様々な要因によって人間の価値観は構成される。異なる価値観に出会ったとき、それをはじめから拒絶し批判するだけでは、多文化共生は実現できない。なぜその人がそのような考えを持つのか、互いに自己開示をし、歩み寄ることが唯一の糸口であると私は考えた。

 他にもここには書き切れないくらい多くの気づきをプログラムで得ることができた。さらに、参加しなければ繋がることができなかった人たちとの出会いも含めて、このプログラムへの参加は私にとって大きな意味を持つものとなった。大学生活1年目はどこか閉塞的だったが、これをきっかけにやりたいことにたくさん挑戦していきたい。7日間で気づいた学びも、これからどんどんアップデートしていく。多くの学びと素敵な出会いをくれた今回のプログラム、機会を下さった関先生と学生アシスタントの方々、参加者の皆さんに心から感謝している。



2021年春休み 多文化共生学習会報告書(4)淺井麻緒(啓明学院高校3年)

  この報告書を作成するにあたって、何を書くかすごく悩みました。勉強会で学んだことや印象に残ったこと、身についたこと、どれも多すぎて上手く言葉にできるかわかりません。また、ゲストの方々がくださった素敵な言葉がたくさんあるので、ほんとうは全部、ここに書き留めたいです。でも、これは私の報告書なので、今回は私が初日にぶち当たった「ディスカッション」という壁と自身の成長、そして「幸せ」について学んだことを書き記したいと思います。

 高校を卒業し、大学入学までの期間で何か新しいことに挑戦したいと思っていたところでこのプログラムを知りました。オンライン開催ということもあり、正直軽い気持ちで応募しましたが、勉強会が始まってみると参加者は大学生の方ばかりで、ディスカッションのレベルも想像以上に高く、ものすごいところに参加してしまったと、とても焦ったことを鮮明に覚えています。それまで私は、ディスカッションをほとんどしたことがなかったので、自分の意見をまとめて、発言するということに苦戦しました。さらに、皆さんの意見が深すぎて、発言を躊躇ってしまうことが何度もありました。そこで私は、自分の考えの浅さや、知識のなさを痛感し、初日の勉強会が終わった後には、残りの6日間をどう乗り切るかについての不安と、そんな自分への悔しさでいっぱいでした。しかし同時に、成長できるとても良いチャンスだと考え、最終日までに絶対に自分を変えてやる、と決めました。

 とはいえ、何をすれば良いのか分からなかったので、メモをたくさんとることから始めました。6回分のお話を記録するのに使ったノートは、20枚に渡っていました。他の方の意見を聞いているときは、脳みそをフル回転させて理解しなければいけないので、ディスカッションが始まるまでに内容を頭で整理しておくためです。すると、自分の中に少し余裕ができ、話に置いていかれるようなことはなくなりました。発言することに関しては、背伸びしすぎないことを意識しました。経験も知識も豊富ではない私だからこそ、高校生の私だからこそ、感じることも多いのではないかと思いました。だから、分からないことは素直に「分からない」と言い、難しい問いには違う視点からアプローチしてみました。自分で勝手に上げていたハードルを下げてみることで、かなり気持ちが楽になりました。また、回数を重ねるごとに緊張が解けたこともあり、少しずつ自分を出せるようになったと思います。自分から積極的に意見を言うといったことはあまり出来ませんでしたが、最終日を迎えた頃には、発言することに以前よりもストレスを感じなくなっていました。たったの7日間で、自分で成長を実感することができました。

 そして2つ目は、勉強会の中でも特に印象に残っているテーマ、「幸せ」についてです。中でも、ネパールの方々についてのお話に感銘を受けました。ネパールは日本ほど豊かな国では無いですが、悩みを持つ人が少なく、幸せを感じている人が多いそうです。物理的な幸福度は日本の方が高いけれど、精神的な幸福度はネパールの方が高いと聞きました。実際、自称ネパールのhappiest womanである女性の写真を見せてもらった時、画面越しでも心から楽しんでいる様子が伝わり、本当に幸せそうに見えました。なぜ、豊かな国である日本人より、ネパールの方々のほうが幸せなのか、すごく不思議に思いました。その答えは、「日本には選択肢や可能性が無限にあるため、現状に満足しづらく、幸せを感じるのが難しい」というものでした。とても驚きました。むしろ、選択肢の多さは幸福度の高さに比例すると思っていました。しかし、思い返してみれば私も、人と比べて劣った自分の現状を受け入れられなくなることが多いです。また、最新のスマホや服など、今持っているものでさえ、周りを見ると友達が羨ましくなって、もっと欲しいと思ってしまいます。その日のグループセッションでアシスタントの方から、コップの話をしていただきました。コップに半分水が入っている時、「半分も水が入ってる!」と思えるか、「半分しか水が入っていない」と思うかによって幸福度が変わる、というものでした。私はこの話を聞いて、すごく共感したと共に、自分だったらどうだろう、と不安になりました。きっと、後者なんだろうなと思いました。先ほども述べた通り、人と比べてしまうことが多いからです。例えばもし、隣の人のコップの水が自分よりも多かったら、自分の水の量に不満を持つと思います。自分は不幸だ、と思ってしまうかもしれません。しかし、幸せの基準は自分で作るものです。人に植え付けられるものではありません。同じ状況でも考え方を少し変えるだけで、幸せを感じられるということ、これからも忘れることなく生きていこうと思いました。

 今回この勉強会に参加して、様々な方のお話を聞いたことで、視野が広がり、考え方が大きく変わったのはもちろん、多文化共生について学んで、国際交流の基本となることをたくさん知ることができました。関愛生さんの、「その時々で一生懸命考え、答えを決め、毎日自分なりのベストを出していくと世界は広がっていく」という言葉の通り、これからも自分の目の前にあることを一生懸命、突き詰めていきます。

 最後に、素敵な勉強会を開催してくださった関先生、AAEEの皆様、そして参加者の皆様、本当にありがとうございました。参加して良かったと、心から思っています。



2021年春休み 多文化共生学習会報告書(3)本間さや香(上智大学総合人間科学部社会福祉学科1年)

 「多文化共生と自己愛」


はじめに


 高校生の頃から大学の長期休暇は夢だった。まさに人生の夏休み。自分がやりたいことをして、大学で仲良くなった友人と旅行に行き、新たな自分を探す。しかしこのコロナ禍で私の理想は未来に預けることになった。そんな中迎えた大学1年生の春休み。この巣ごもり生活、なんとしてでも無駄にしたくない。そう考えていた矢先に巡り会えたのがこの勉強会だった。AAEEに所属する親しい友人からこの勉強会について紹介され、参加を決意した。正直参加するか悩んだが、今振り返るとあの時の決断は本当に正しかった。それ程この勉強会は学びが多く、素直にとても楽しかった。7日間という短い期間ではあったが、参加者の皆さんと活発に議論を繰り広げ、「内から外」「外から内」を見つめることで、確実に自分の中に成長という2文字が現れた気がする。


オンライン開催について


 私はオフラインよりもオンライン形式の方が苦手で、Zoomでパソコン越しに発言することに多少抵抗があった。しかしAAEEのスタッフの皆さんが場を盛り上げ、アイスブレイクを通して場を和ませて下さったおかげで緊張がほぐれ、リラックスして受講することができた。また、参加者の定員を20名と少人数に限定することで、一人一人が埋もれることなく参加することができた。そして、大人数でディスカッションするのではなく、参加者20名を約3名ごとのチームに分散しブレイクアウトルームで話し合う形式だった。そのため全員が積極的に自分の意見を述べることができ、少人数で深い次元まで話し合うことができた。各チームには約2名のAAEEスタッフが配置され進行して下さったため、ディスカッションを円滑に進めることができた。

 オンラインのメリットとしては、学生が全国各地から参加できることだろう。私は実家に帰省していたがオンライン開催だったため気軽に参加することができた。普段は交流する機会のない関西地方や中部地方の学生とディスカッションを重ねることができ、非常に刺激的な経験になった。一方でデメリットとしては、参加者の皆さんと深い仲を築くことが難しいということだ。SNSが普及しているおかげでLINEやInstagramを通して参加者の皆さんと繋がることはできたが、やはり実際に会って様々な話をする中で相手のことを更に知ることができたらと強く思った。しかしオフラインとなると全国各地からの参加が困難になるため、このコロナ禍においてはオンライン開催が賢明な判断だったと考える。オンライン開催という異例な状況下にも関わらず、オフラインと何ら臨場感の差や受け取る学びの差を感じさせない工夫をして下さったAAEEスタッフさんには心から感謝を伝えたい。


多文化共生について


 私は高校2年の時にアメリカへ1年間留学し、多文化共生に関する知識や理解は一定数備わっていると勝手に思い込んでいた。しかし勉強会に参加したことで、如何に私が外の世界に無知で、如何に私が見ている世界が狭いか気づかされた。Day1からDay7で登壇されたゲストの方々は、皆私の知らない世界を見ていた。私の知らない視点や価値観を身につけていた。全ゲストの対談の感想や気づきを述べたいところだが、そうなると確実に字数を超過してしまうため特に感じたことの多かったDay6についての感想と私の考えを述べたい。

 Day6では多様な幸せの価値観や多角的なものの見方について学び、参加者の皆さんと深い議論を交わした。後発途上国と言われるネパールでは貧困に苦しみ、今日行うことや将来への選択肢が限られている人々が多く存在する。しかしネパールは、物質的幸福度は低いが精神的幸福度は高く、故郷への愛が強いのだ。彼らは自分を取り巻く環境や現状に満足し、心から幸福を感じているのだ。一方で日本は豊かな国であるが故に日常が選択肢で溢れ、可能性も無限に広がっている。よって現状に満足しづらく精神的幸福度が低い。選択肢が少ないネパール人は現状を受け入れ幸せになり、選択肢の多い日本人は常に何かに悩み周囲と比較し劣等感を感じている。私は多文化共生を学ぶことで多様な幸せの価値観の存在に気づき、それが自己愛にも通じる部分があると感じた。

 私はこの勉強会を通して他国には様々な文化や民族が存在し、世界中の人々一人一人に多様な幸せの価値観があると知った。そして自分の物差しや思い込みだけで世界を眺めるのではなく、自分が知らない世界や価値観や景色が存在することに気づき、その世界を否定するのではなく受容する。そしてその都度自分の価値観をアップデートすることが大切だと気づくことができた。多文化共生を理解することで「この世界は多種多様な人々や価値観で溢れているから、私は他者に合わせなくていい、他者とは異なる存在でいい。」と思えるのだ。そして自分自身が多文化社会の構成員の一人だと自覚することで、他者と比較して劣等感に苛まれることがなくなり、幸福度が高まるのではないかと考える。日本は同調圧力が強いが故に周囲に合わせてしまい、「みんなと同じ箱」から飛び出ることへの恐怖心を抱いている人が多いだろう。だからこそ多文化共生の視点が必要で、他者と違う自分、自分と違う他者を受容し、互いの「相違点」を尊重し合う必要があるのだろう。このように多文化共生を理解することは、単に多文化を知ることだけではなく、皆で互いを受容し自己愛と他者への愛を深め、皆で幸せになるための手段になると考える。

 私はここから学んだことをコロナ禍での生活に活かしていきたいと考える。コロナの影響で人々の生活に自粛と制限が付き纏い、幸福度が下がり孤独も感じやすくなった。海外への旅行も困難になり「内から外」に行くことが難しくなった。そんな時だからこそ視野を広げ、本や新聞、インターネット等を活用して多文化に触れ、この世界の広大さと多様さ、そして自分がその中の一員であることの素晴らしさを常に感じていたい。一歩外へ踏み出せば無限に広がる自分が知らない世界を想像し続けたい。そして今はその世界をいつか体験するための準備期間だと思い、コロナ禍で外に行けないからこそ自分の内と向き合い、まずは自分を愛し、受容し、多文化を受け入れる準備を整えておきたい。


最後に


 私はこの勉強会を通して新たな視点と深い学びを得ることができた。そしてそれと同時に自分の知識不足と経験不足を痛感した。残された大学3年間、少しでも多くの経験を積み、思慮を巡らせ、自分の世界を何度も何度もアップデートしたい。そしてまたいつかこの勉強会のような素敵なイベントに巡り会えると信じて未来に期待を寄せたい。

最後に、私たち学生を誰よりも応援してくださるAAEEの代表理事である関先生、この勉強会を企画し運営して下さったAAEEスタッフの皆さん、そしてこの勉強会に参加して私に多くの気づきを与えて下さった参加者の皆さんに心からの感謝を送りたい。この勉強会での様々な出会いを大切に、残りの学生生活を有意義なものにしたいと強く思う。



2021年春休み 多文化共生学習会報告書(2)山本 零士(豊田工業大学1年)

 選択肢の多さは幸せにつながるのか

山本 零士


参加しようと思った理由

一年間、完全オンライン授業で人と接する機会が減り、新たな価値観を得られる機会が少なくなっていた。そこで、オンラインでも意見交換はできるのではないかと思ってオンラインのイベントを探していた。

 そんな中でAAEEのアシスタントメンバーから多文化共生勉強会を開催するという話を聞き、なかなか接することがない話題について詳しく話を聞くことを期待して勉強会に参加した。


選択肢の数と幸福感の相関関係

望月千里さんと山岡大地さんをゲストに招いた「多様な幸せの価値観:ネパールの山頂からしか見えない景色」では、ゲストの方々がネパールにいる人は選択肢が少ないけれど、幸せに感じていると話しており、参加者との間で選択肢が多いと幸せになるのかという議論をすることになった。私はたくさんの選択肢の中から条件をじっくりと比較して、少しでも良いと思える選択をしたいという性格だった。そのため、数え切れないほどの選択肢の数でない限り、選択肢が多ければ多いほどいいという考えを持っていた。では、なぜ関さんが出会ったネパール人は選択肢が少ないのにもかかわらず幸せに感じていたのだろうか。参加者との議論や、ゲストの話を通して考えてみた。

幸せに感じない理由として一つ目に挙げられるのは、選択肢が少ないと選ぶときに負担を感じにくいという点である。これはある週に6種類、別の週に24種類のジャムを試食販売するという、コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授によって行われた実験によっても明らかになっている。このとき、6種類の週は30%の人がジャムを購入したが、24種類の週は選択するのが難しくなってしまい、3%の人しか購入しなかった。

また、服を選ぶときに候補が5個程度であればすべて試着して購入する服を決めることができる。興味のある服が何十個も並んでいると、どれを選ぶか決めるのに相当な労力をかけないといけない。それならば、すべての服から選ばずに5個くらいを適当に選んで、その中から購入する服を選べばいいと思った人もいるかもしれない。ところが、「見ていなかった服の中に自分にぴったりの服があったらどうしよう。」だったり、「5個から服を選んで後悔したくない。」という気持ちがあるため、すべての服を見たくなってしまうのだ。

二つ目の理由として、比較対象が増えるためどの選択をしても一部の条件で選んだ選択よりも上回っている選択肢があるため、自分の選択に満足できないことがある。加えて、選択肢が多いときはこれだけの選択肢の中から選んだという理由から、選択に対する期待値が高まってしまう。その結果、思ったより満足できなかったということが増えてしまうのだ。

 それでは、どうすれば選択肢が多い日本において幸せに生きていくことができるだろうか。それはネパールやバングラデシュで社会福祉事業に携わってきた関愛生さんの「やらなかったらいつか後悔するのではないかと考えて行動するようにしている。」という言葉が答えであった。日本では、良い(偏差値が高い)中学・高校に入り、良い大学に入る選択肢を増やし、良い大学に入って良い(年収が高い・知名度がある)会社に就職する選択肢を増やすことが幸せな人生だと考える人も多い。別の日のゲストの佐藤さんが勤務していた都内の中学校の生徒が学力は高いけれど、受験に失敗したため自信がない子供が多いとおっしゃっていたが、その原因も良い学校に入って選択肢を増やすことが幸せな人生であるという周囲の人の考えであるだろう。

ところが、良い学校に入るだけなのは受験勉強だけを続けて選択肢を増やすだけで、目の前の決断を後回しにしているだけではないのだろうか。そのせいで、日本の大学生には入学するまでは努力していたが、入学後は目標を見失ってしまう人が多い。

もちろん、お金を稼いだり勉強を頑張ったりして選択肢を増やすことも大事ではあるが、選択肢を増やして将来に期待するだけではなく、関さんのように目の前の生きがいのために全力を尽くしていくことが、日本で幸せに生きていくために重要なことである。そうしていくことで、自分にとっての幸せにつながる選択が見えてくるだろう。


最後に

私は今回の多文化共生勉強会を通して、幸せとは何かについて自分なりに考えることができた。さらに、参加者が各自の幸せの価値観を積極的に語ったり、ゲストの方々が海外で体感した外国人の幸せの価値観を丁寧に説明していたりしたおかげで人によってこんなに幸せに感じる瞬間が違うというのを知ることができた。そして、関先生が東京五輪の陰では低賃金で働いている外国人が多くいるとおっしゃっていたように、自分の幸せも多くの人の努力から成り立っている。これからは私が、選択肢がない人たちを幸せにしていけるように努力していかないといけないと強く感じた。

 

 この度はこのような機会を与えてくださったゲストスピーカー、AAEEアシスタントメンバー、関先生にお礼を申し上げます。そして、参加者の方々も積極的に意見を主張してくださり、ありがとうございました。



2021年春休み 多文化共生学習会報告書(1)吉田怜穏(新潟県立大学1年)

 


 春休みの半分が過ぎようとしていた時、「何もできていない」とふと思った。私はこのことに気づいたときひどく焦った。コロナの影響で何か行動することはとても難しい。さらに私が今いる場所は田舎のため、面白そうなことは見つけられずにいた。私はひどく悩んだ。そんな中、AAEEのオンラインプログラムである春休み多文化共生勉強会を偶然見つけた。このプログラムを知ったときの第一印象は良いと言えるものではなかった。なぜなら、オンラインで何かをすることに対して不満を感じていたからだ。大学の授業や友人と会話をすることですらオンラインだった。対面と比べたら、非対面の質は低いことを身にしみて感じた。オンラインに対してこのような印象だったが、「まぁ、やってみるか」と思い、何となく参加した。私は何も考えず知らないことに飛び込むことと、色々な人と交流をすることが好きなため参加を決意した。春休み多文化共生勉強会に参加した感想は、「とてもよかった」これに限る。オンラインの強みを活かし、どこにいても素晴らしいゲストを呼ぶことが出来ていた。さらに、後日知った話だが、私の想像よりはるか多くの人が陰ながらプログラム成功のために尽力していたことが分かった。だからこそ、クオリティの高いプログラムを成功させることが出来たと思った。私はAAEEのプログラムのおかげで、オンラインで何かをすることの全てがつまらないわけではないことを知れた。これは私自身にとって大きな収穫だ。AAEEには感謝しかない。

 春休み多文化共生勉強会で、私が答えを得られずに悩んでいたことに対するヒントを得ることが出来た。それはボランティアに関してだ。私は二つの疑問を持っている。一つ目は、ボランティアをするにあたっての罪悪感だ。ボランティアは最低限、対象に対して「助けたい」や「何とかしてあげたい」という気持ちがあって行われると思われる。ボランティアに慈悲や情けがあるといっても過言ではない。もし私が支援される側だった時、強者が弱者に対してこのような感情を持って助けられていると思うと、気に食わない。さらにそこに、ボランティアをする人には自己満足もあると私は考えている。本当に助けを必要としているかは分からない。もし助けを必要としていないのにボランティアをすれば、自己満足のみで動く気持ちの悪い状況になる。被災地の人や貧困地域の人へのボランティアなら、もしかしたら助けを必要としているかもしれない。しかし、地球や環境に対してはどうだろうか。無生物が助けを求めるだろうか。私にはそうとは思えない。私は自己満足のためという汚い動機でボランティアをしてもいいのかわからない。二つ目は、ボランティアで救えるのは、わずかに限られたごく一部しかないということだ。人生をどんなにボランティアに費やしたところで全体は救えない。ボランティアをする人全員がそのような考え方になれば出来るやもしれないが、実際はそんなことはない。そもそも、ボランティアをする人というのは世界の人口に比べてもわずかだ。目の前の人や物を救い、手の届かないところは助けない、これはあまりにも不公平だ。助けることのできない人や物は見捨てるしかないのか。私には、あまりにもひどいことだと感じる。しかし、どうすればよいのか思いつかなかった。前置きが長かったが、ここからは私が参加したプログラムで学び、現時点での考えを記したいと思う。

 一つ目は己の中で落とし込み、踏ん切りをつけられるかだと考えた。私の中では、ボランティアをする人は、ただただ助けたいということに一心の人、自己満足や他者からの評価を得るための人、この二種類の感情を同時に持つ人、この大きく分かれると考えている。罪悪感や不安や迷いがその人にないなら、行っていることは良いことであるため、どんな感情を持っていようとも関係がないと考えた。ボランティアに善意も悪意も関係ない、やることに意味があると考えた。二つ目は政治の力だ。大人数の人を動かしたり、考え方を変えることが出来る。そうして全体を助けることが可能だ。私が参考にさせていただいた方は政治家を目指すことを辞め、ビジネスに政治以上の希望を持っている。今の私では難しいが、いつかは分かりたいと思っている。

 このような素晴らしいプログラムを開催してくださったAAEEのアシスタントの方々には感謝しかありません。ここでは述べられなかった、たくさんの学びを得られました。ありがとうございました。