2021年4月2日金曜日

2021年春期 四か国(べトナム・バングラデシュ・ネパール)UNITE参加報告書(1)戸林雄斗(アメリカ Palomar College 1年)

  僕はアメリカの大学生だ。だがパンデミックの影響により、日本にいる。授業はすべて動画で配信され、僕は「喋る」機会を失った。なにせ英語でディスカッションをするなど、英語でのアウトプットを求めて海外大学への進学を決めた僕にとって、これは大きなロスだった。だから、英語圏の友達と数時間電話をするか、暇そうな友達がいなければ、インターネット上で見かけた人を捕まえて電話をかけることを毎日繰り返していた。狂ったように聞こえるかもしれないが、英語でのアウトプットが増えるなら何でもよかった。ある日、ベトナム人の友達と電話をした時に、このプログラムの存在を知った。彼女はプログラムのオーガナイザーの一人で、プログラムのおおまかな概要とAAEEが行う活動を説明した後、日本からの参加者が5人必要だが、1人足りていないと言った。先述の通り、英語でのアウトプットに飢えていた僕は、このプログラムに参加することを即決した。なによりトピックがアカデミックな内容だったから、大学で行われるディスカッションなどとそう変わりないだろうと思って、胸が高鳴った。

 そんな気持ちで迎えたこのプログラムであったが、全てが上手くいった訳でもないし、全てが上手くいかなかった訳でもなかった。分かりやすく言えば、学ぶこともあれば、自分の自信に繋がるようなこともあった、といったところだろうか。

 上手くいったことに焦点を当てて言えば、言語について。こういったプログラムの参加者からよく聞くフレーズに「言語の壁」があるが、僕自身、これについてはこのプログラムを通してもそこまで意識したことはない。「僕は英語が得意なんだ」とかそういったことを言いたいのではなく、このプログラムにおいて、そもそも言語は大した問題ではなかった、と勝手に思っている。まず、言語の壁が問題とされるのは、特定の言語(今回のプログラムでいえば、英語)への理解が極度に乏しい人がいる場においてであるが、このプログラムへの参加者は全員、ある程度の英語力を持っていた。さらに言えば、このプログラムへの参加者計20人、全員が英語を母国語としていないため、この場における英語はInternational Englishとなる傾向があった。それ故、言語自体が文化的背景等を持たず、言語そのものに対する認識の違いがほぼゼロに近く、コミュニケーションは円滑に進んだと言えた。

 ただ、コミュニケーションが上手くいったとしても、共同作業が上手くいくわけではない。共同作業とはたいていコミュニケーションを主軸として成り立つものであるが、この2つは、特にこのプログラムのように多国間でなされる交流がある場においては、切り離して考えなければならない。先ほど述べたように、今回のコミュニケーションには”異文化”は介在しなかった。だが、作業をする際には、意図せずとも異文化が垣間見えることがあり、そしてその異文化と接触した瞬間に、多文化共生における難しい部分にぶち当たることが幾度となくあった。コミュニケーションとは、単簡に言えば、誰かが言って、誰かが聴いて理解する、というものだ。これは2人もしくはそれ以上の人達によって為される。一方作業とは、聴いた側(共同作業においては指示を受けた側といえる)が行動に移すという、誰か1人によって為される行為である。そうなるとこのプロセスには、その誰か1人のパースペクティヴしか存在せず、彼の異文化的な裁量が他の人には予測出来ない事態を生むことがある。とても簡単な例をあげると、チームのリーダーとなる人物が他のメンバーに対して午後7時に○○に集合という指示を出したとき、6時50分に来るメンバーもいれば、7時30分になっても来ないメンバーだっている。日本人は傾向として時間を守る、もしくは遅刻をするにしても連絡を入れることはするし、僕が大学生活で関わることが多いアメリカ人も同じだ。だから僕は時間の感覚はみんなこのような感じなのだろうと思っていたが、今回のプログラムで作業を共にすることとなったネパール人とベトナム人は違った。彼らは連絡なしで遅刻をすることを繰り返したし、なんならそもそも来ないことだってあった。それが悪いと言っているのではなくて、それが彼らの国での時間の流れ方なのだ。だから仕方がない。僕は彼らが遅刻をしたときに、何を考えているのか理解できなかったが、同時に彼らも時間を厳しく守る人のことを不思議に思うかもしれない。何が言いたいのかというと、異文化交流において、いくらコミュニケーションが上手くいったとしても、そのコミュニケーションを経て相手がとる行動には予測不可能な要素があり、結果として共同作業に手こずったり、壁にぶつかったような感覚に陥ることがある。それを痛烈に実感させられた今回のプログラムであった。

 今回僕は大学の授業と並行しての参加となり、中々ハードスケジュールで疲れさせる一週間であったが、貴重な学びと経験が出来たから、参加したことに全く後悔はない。だからこれを読んでいる人の中でもしAAEEのプログラムへの参加を迷っている人がいれば、僕は挑戦してみることを強くお勧めする。 

 このプログラムは環境問題がテーマであったが、個人的には多文化交流における学びが強烈に印象に残っていたあまり、そのことばかり書いてしまったことを陳謝する。 

 最後に、このプログラムに参加する機会を与えて下さった関昭典教授と学生アシスタントの皆さんに感謝申し上げる。



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