2021年4月1日木曜日

2021年春休み 多文化共生学習会報告書(1)吉田怜穏(新潟県立大学1年)

 


 春休みの半分が過ぎようとしていた時、「何もできていない」とふと思った。私はこのことに気づいたときひどく焦った。コロナの影響で何か行動することはとても難しい。さらに私が今いる場所は田舎のため、面白そうなことは見つけられずにいた。私はひどく悩んだ。そんな中、AAEEのオンラインプログラムである春休み多文化共生勉強会を偶然見つけた。このプログラムを知ったときの第一印象は良いと言えるものではなかった。なぜなら、オンラインで何かをすることに対して不満を感じていたからだ。大学の授業や友人と会話をすることですらオンラインだった。対面と比べたら、非対面の質は低いことを身にしみて感じた。オンラインに対してこのような印象だったが、「まぁ、やってみるか」と思い、何となく参加した。私は何も考えず知らないことに飛び込むことと、色々な人と交流をすることが好きなため参加を決意した。春休み多文化共生勉強会に参加した感想は、「とてもよかった」これに限る。オンラインの強みを活かし、どこにいても素晴らしいゲストを呼ぶことが出来ていた。さらに、後日知った話だが、私の想像よりはるか多くの人が陰ながらプログラム成功のために尽力していたことが分かった。だからこそ、クオリティの高いプログラムを成功させることが出来たと思った。私はAAEEのプログラムのおかげで、オンラインで何かをすることの全てがつまらないわけではないことを知れた。これは私自身にとって大きな収穫だ。AAEEには感謝しかない。

 春休み多文化共生勉強会で、私が答えを得られずに悩んでいたことに対するヒントを得ることが出来た。それはボランティアに関してだ。私は二つの疑問を持っている。一つ目は、ボランティアをするにあたっての罪悪感だ。ボランティアは最低限、対象に対して「助けたい」や「何とかしてあげたい」という気持ちがあって行われると思われる。ボランティアに慈悲や情けがあるといっても過言ではない。もし私が支援される側だった時、強者が弱者に対してこのような感情を持って助けられていると思うと、気に食わない。さらにそこに、ボランティアをする人には自己満足もあると私は考えている。本当に助けを必要としているかは分からない。もし助けを必要としていないのにボランティアをすれば、自己満足のみで動く気持ちの悪い状況になる。被災地の人や貧困地域の人へのボランティアなら、もしかしたら助けを必要としているかもしれない。しかし、地球や環境に対してはどうだろうか。無生物が助けを求めるだろうか。私にはそうとは思えない。私は自己満足のためという汚い動機でボランティアをしてもいいのかわからない。二つ目は、ボランティアで救えるのは、わずかに限られたごく一部しかないということだ。人生をどんなにボランティアに費やしたところで全体は救えない。ボランティアをする人全員がそのような考え方になれば出来るやもしれないが、実際はそんなことはない。そもそも、ボランティアをする人というのは世界の人口に比べてもわずかだ。目の前の人や物を救い、手の届かないところは助けない、これはあまりにも不公平だ。助けることのできない人や物は見捨てるしかないのか。私には、あまりにもひどいことだと感じる。しかし、どうすればよいのか思いつかなかった。前置きが長かったが、ここからは私が参加したプログラムで学び、現時点での考えを記したいと思う。

 一つ目は己の中で落とし込み、踏ん切りをつけられるかだと考えた。私の中では、ボランティアをする人は、ただただ助けたいということに一心の人、自己満足や他者からの評価を得るための人、この二種類の感情を同時に持つ人、この大きく分かれると考えている。罪悪感や不安や迷いがその人にないなら、行っていることは良いことであるため、どんな感情を持っていようとも関係がないと考えた。ボランティアに善意も悪意も関係ない、やることに意味があると考えた。二つ目は政治の力だ。大人数の人を動かしたり、考え方を変えることが出来る。そうして全体を助けることが可能だ。私が参考にさせていただいた方は政治家を目指すことを辞め、ビジネスに政治以上の希望を持っている。今の私では難しいが、いつかは分かりたいと思っている。

 このような素晴らしいプログラムを開催してくださったAAEEのアシスタントの方々には感謝しかありません。ここでは述べられなかった、たくさんの学びを得られました。ありがとうございました。


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