2017年4月11日火曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 報告書 (3)  北野 宏晃(東京経済大学3年)「ネパール研修を通じて学んだこと」

「ネパール研修を通じて学んだこと」
東京経済大学3年
北野 宏晃

 2017年2月下旬~3月上旬までの2週間ネパール研修に参加した。私はこの研修多くの経験をし、たくさんのことを感じた。その中でも私は「現場の大切さ」と「異文化受容の大切さ」に焦点を当てて報告書をまとめた。
日本人メンバーとネパール人メンバーでパートナーシップの輪を築けた瞬間

1.現場の大切さ
私は先入観に囚われやすい人間である。だから、私はどこか訪れる前には必ず本を読んだり、インターネットで調べたりして最低限の知識や常識を頭に叩き込む。それでも、毎回現場へ赴くと、私の知識とのギャップに驚かされる。例えば、去年ミャンマーへ訪れた際、本では①宗教は日本と同じ仏教②ミャンマー急成長中といった事が書かれていた。しかし、実際に現場へ訪れると①については、現地の方はほぼ毎日寺院に行き、小学生の頃から仏教経典を唱えたりなどと、同じ仏教でも明らかに日本と異なるほど信仰心が熱かった。②については急成長中と書かれていながら、都市部でさえも建設中の建物などなく、明らかに発展途上国を彷彿とさせる外観であった。現場に訪れて本物を見ることで、1冊の本では収まりきらないたくさんの事実や発見を目の当たりにした。
今回のネパールも同じである。
そもそも私は、ネパールについて(1)とにかく貧しくてかわいそうな国。(2)後発発展途上国だから、教育のレベルも非常に低い。といったマイナスのイメージしか持っていなかった。また、本やインターネットで調べてもあまりプラスの情報を得られなかった。
しかし実際に現場へ訪れてみた結果、やはり私の常識を覆された。例えば、(1)はシックレス村という貧しい村へ行ったときだ。お世話になった現地の小学生やホストファミリーは、貧困で困っているとは思えなかった。むしろ、みんな温暖な性格で笑顔に溢れており、平和な日常に感謝していた。言葉で表現するのは難しいが、私は、ネパールに赴いて貧困を目の当たりにした。しかし、それと同時に「目に見えない心の豊かさ」を教えてもらった。(2)についても同様のことが言える。関わった現地の学生は全員流暢な英語を話す。それだけではない、自国の文化や習慣、さらには国際情勢などの時事ネタもしっかりと理解しており、それに対する自分の考えも持っている(英語で)。私は研修中、一緒の部屋になったネパール人学生に、ネパールの国歌について質問したら、私が理解するまでわかりやすく(もちろん英語で)説明してくれた。逆に、相手から日本の文化について質問されても、私は答えられないことが多く、ひたすら「Sorry」と言い続けていた。私は非常に惨めな気持ちになった。
実際に現場へ訪れることで、はじめに持っていた「貧しい」「かわいそう」などの固定観念が壊されていった。それどころか、「贅沢を求めすぎず日常に感謝すべき」「もっと勉強しないと取り残されてしまう」という考えに変わった。
先入観や固定観念に囚われてはいけない。しかし、本やインターネットで読んで調べて、原理原則を暗記するだけでは理解できたとは言えない。現場へ赴いて現実を目で見て肌で感じることが大切であると改めて考えさせられた。
交流した小学生に合気道を教えている風景

2.異文化受容の大切さ
現在、日本のみならず世界規模で多くの問題が起こっている。SDGsはこれらの諸問題を17個に分けたものである。もちろん、これらの問題は自分一人では解決できない。また、日本人だけで協力して解決することも不可能である。これら「世の中の課題」を解決するために、我々は国境・言葉・文化・宗教・価値観の壁を越えて全世界の人達と協力しなくてはならない。私は、SDGsの17項目の中で「パートナーシップの輪を築こう」は最も重要な課題だと思う。しかし、同時にこれは最も達成するのが困難な問題かもしれない。なぜなら、パートナーシップを形成する人は自分とバックグラウンドが異なる人である。だから、自分と異なる価値観、種族の人達とパートナーシップを結ばなくてはならない。
今回の研修でも、現地でカルチャーショックを受けた。それは時間の使い方であったり、食文化であったり、議論の仕方であったり、人との接し方であったりと多々ある。つまり、2カ国間でもこれだけの違いがある。しかし、こういった違い(カルチャーショック)を受けたとき拒絶をしたり、批判をしたり、自分の文化を押し付けていると、パートナーシップの輪を築けないだろう。大切なのは、相手の文化や習慣を差別せず、しっかりと尊重することである。そのうえで、礼儀をわきまえて相手のことを理解しようとすることが重要だと思う。
この研修中、私はネパール人メンバーに自分の行動や価値観、嗜好を一度もバカにされたことがない。それどころか、皆私に興味を持ってくれて、尊重してくれたのだ。また、私もネパール人メンバーの行動や価値観を批判することはなかった。むしろ、自分の意見を持っているところや、相手のことを家族のように接するなど、とても尊敬できる部分が多かった。
私は決して英語が堪能なわけではない。また、日本文化について聞かれてもうまく答えられないことが多々あった。それでも別れ際、私は涙を流しそうになった。そして、帰国後も彼らと連絡のやり取りが続いているパートナーシップを築くことに成功した。これはやはり「互いに相手の違いを尊重し合う」ことが起因していると思う。この研修を通じて改めて学べた。

私は今後もネパール人のみならず様々な国籍の人と交流していきたい。もちろん、その時は日本の常識では考えられない多くの異文化に衝突すると思われる。それでも、拒絶せずにしっかりと尊重して向き合いたい。そして、その人たちとパートナーシップの輪を築いて「世の中の困った」を解決できるように日々勉強しようと思う。
お世話になったホストファミリーへ日本からのプレゼント

2017年4月4日火曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 報告書 (2)  望月千里 (筑波大学1年・参加当時)  「考え、学ぶことの重要性」

「考え、学ぶことの重要性」

望月千里(筑波大学1年)

 きっかけは偶然だった。大学入学当初の私は、まさか自分が発展途上国と呼ばれる国、「ネパール」の地に足を踏み入れる日が来るとは思いもしなかっただろう。今、2週間のMero Sathi Projectを無事終了し、日本に帰国した私の心の中には様々な想いが立ち込めている。この報告書では私がネパールでの2週間を通して学んだことや心境の変化について述べていく。
 準備段階での一番の懸念材料は、日本人メンバーで女子が私ひとりであったということだ。出発前までは昨年ネパールに渡航された先輩や、大学内にいるネパール人留学生からアドバイスや注意すべき点を聞くことができたものの、日本を出発してからは自分1人で様々な壁を乗り越えなければならない、というプレッシャーと不安を感じていた。しかし、それらの感情は現地に着いてからさっぱりと私の心から消え去っていた。確実に言えることは、私を周りから支えてくれた日本人メンバー、そしてネパール到着後から帰国するまで暖かく私を迎え入れてくれたネパール人メンバーに助けられたからである。私は、今回のプロジェクトはこの人々の暖かさに助けられたおかげで成功したと言えるくらい、言語の壁を乗り越えた人との心のつながりが重要なものであったと感じる。
 この2週間の経験を経て、私は大きく2つのことを学んだ。
 まず、国際協力という言葉の重みについてだ。私は今まで日本で何不自由なく平和な生活を送ってきた。その一方で世界では貧困や紛争、人権搾取などで日々の生活を苦しめられている人がいる。いつからか私はこの現状にもどかしさを感じていた。今回、シクレス村に数日間滞在し、村の人たちへのインタビューを行うことで、「国際協力」という言葉自体に疑問を感じるようになった。村の人々に話を聞くことで村の実情を理解することは簡単だが、果たして自分たちに何ができるのかを考えたときに、私の頭には何も浮かばなかった。ネパールに色濃く根付いているカースト制度。それを根本から変えることは私たちのような外部から来た人間には不可能に近い。また、シクレスのような都市から離れている場所で、村の住人たち何かを始めることも簡単ではない。そう考えたときに、先進国である日本から来た私が、直接この国に何らかの形で支援をしようなどと考えること自体、あまりに安易な考え方であると気が付いた。
また、政府からの支援が本当に生活に困窮している人の手に届かないという実態を知ったときに、支援とは何なのか、誰のために行っているのか、果たしてそれが本当に必要なことなのか、様々な想いが頭をよぎった。このインタビューを通して、現地の人々の声に耳を傾けることは必ずしも解決策を導くものではなく、私にとってそれは現地に介入することをより慎重にさせるものとなったのだ。しかし、そういった答えの見えない問題について現地の学生と頭を悩ませ、議論する機会が与えられたことは非常に貴重な経験だと感じている。日本とネパールという違った視点からある問題について共に考えることで、現地の人だからこそ浮かんでくるアイディアや、逆に客観的にネパールを見ることのできる私たちだからこそ見えてくる新たな課題などを共有することができた。
 次に、Deaf organizationへの訪問だ。この活動は当初プロジェクトに含まれていなかったが、ネパールの社会事情について直接聞く良いきっかけとなった。Deaf organizationではAAEEのメンバー、そして通訳の方以外は耳が聞こえず話すこともできない。そのため、私たち日本人メンバーは現地の人とコミュニケーションをとる際に、ネパール語や手話を通訳してくれる人が欠かせなかった。今までこの通訳という立場を特別意識したことはなかったが、この時私は2回の通訳を経てやっと相手の言っていることが理解できる、というこのプロセスにもどかしさを感じた。もちろん、異国の地では誰かの手を借りなければ相手の伝えたいことを理解できないのは仕方がないことである。ただ、耳が不自由であること、ネパール人であること、というこのたった2つの差異がコミュニケーションをいかに複雑にしているのかを実感し、通訳の存在が今回のプロジェクトにおいていかに重要であるのかを再認識した。
 その一方で、同時にDeaf schoolに訪れたことで耳が聞こえなくとも、言葉を発せずとも心は通じ合えるのだということを学んだ。学校に着いた瞬間、興味津々に駆け寄ってくる子どもたち。普通の子どもたちと何ら変わりない様子で学校生活を送っていた。ただ、彼らは耳が不自由なだけなのだ。この学校へ訪れたことで私は耳が不自由なのは社会的に見ると一見大きな弊害のように感じるが、実際個人として関わるとそこまで大きな壁ではないのだと気が付いた。子どもたちのあふれんばかりの笑顔、異国の地から突然訪れた私たちをなんのためらいもなく受け入れてくれた暖かさ、耳の障害をもろともせずたくさんの質問を投げかけてくれたその姿勢。私がネパールで目にしたかったものとはこういうものであったに違いない。ここでの経験は、自分の今までの考え方を大きく変えてくれるものとなった。そしてDeaf schoolに訪問したことで、私たちが目を向けるべき対象は社会的弱者と呼ばれる人たちなのだと改めて気づかされた。今まで私は当たり前かのようにそれを認識しているつもりであったが、実際に社会で不自由な生活を送っている人々と触れ合うことで、本当の意味でこの大切さを理解できたような気がする。直接会い、話をすることで彼らの苦労や悩みを知り、それと共に彼らの団結力や困難な状況においても立ち上がる強さを目の当たりにした。
 今回、このプロジェクトに参加したことで得られた経験は、他の何にも変えることのできない貴重なものである。それを今後に生かすためには、学生の本望である自身の学びへ取り入れていく必要がある。答えのない問題に取り組み、頭を悩ませながら考えることで、その経験自体が今後自身の将来を決定するにあたり大きな影響を与えるものとなるかもしれない。
 そして最後に、今回プロジェクトに携わったすべての日本人、ネパール人に心からの感謝を伝えたい。

ネパール Mero Sathi Project 2017 報告書 (1)  山岡大地 (上智大学総合グローバル学部2年・参加当時)  「人」と「文化」




「人」と「文化」


    上智大学総合グローバル学部2年(参加当時) 
山岡大地


  私がネパールを訪れるのは今回が二回目でした。さらに言えば、カトマンズ、ヌワコット、シークレス、ポカラの四カ所すべてを前回のプログラムで既に訪問しており、「新しい世界と出会ったときの衝撃」というものはほとんどありませんでした。しかし、だからこそ、より自然体で考え、議論し、楽しむことができたと思います。そして、プログラム中に出会った現地の人々や、旅を共にした学生達など「人」をより重視した体験をすることができました。
この報告書では今回のプログラムを通して私が感じた事柄について、「人」と「文化」をテーマに書きたいとと思います。

1. カーストという文化
 シークレスを訪問した私たちは「参加型農村調査」として現地の人々の家を周り、簡単なインタビューを行いました。シークレスは街から離れた山中にひっそりと営まれている村です。雄大なヒマラヤに臨み、車の騒音も聞こえません。すれ違う人に挨拶すると、必ず笑顔で「ナマステ」と返事をしてくれます。まさに天国を体現したような村ですが、そこに住む人々の生活を知り、私は衝撃を受けました。
 私たちはゲストハウスのオーナーさんの計らいで、生活水準の異なる三つの家庭を訪問しました。印象的だったのは経済的に最も貧しい家族の暮らしぶりです。足を悪くした老人と、その息子の元妻、そしてその赤ちゃんが暮らしていました。息子本人は家族を養うことを諦め、逃げてしまったそうです。取り残された家族は物乞いで生活していると言っていました。ここで注目すべきはカーストの存在です。シークレスのような小さなコミュニティーにも(というよりむしろこういった都市から離れたネパールの農村地域には)カーストが深く根付いています。貧困に苦しむこの家族は「低いカースト」とされて、周囲の人々からの支援を受けられないどころか、家に入ることすら拒否されるといいます。前述のとおり、シークレスは天国のような場所で、一見するとすべての人が協力し合って生活しているような印象を受けます。しかし、実際には差別や貧困の問題が残っており、驚きました。

 私たちはこの調査を終えた後、村の学校で長年教師として働いていた方をお招きし、村の生活の向上のための「提案」をすることにしていました。元教師の方は老人、という印象でしたが、流暢な英語で私たちと受け答えをしてくれました。ところが、話が進むにつれ、話題はあの家族のことに移っていきました。日頃からカーストについて問題視しているネパール人メンバーにとっては最も神経を尖らせる話題で、その教師の方との意見の対立が目立ちました。そして、「もしその家族が訪問してきたとしても、私は家に入れないだろう」と元教師の方がはっきりと言うと、ネパール人メンバーは呆れた様子で、以降ほとんどその方の話に耳をかさなくなりました。私自身もなぜこのような人が教師として子供達を教育していたのかと残念な気持ちになりましたが、日本人メンバーの関愛生は別の視点を私に与えてくれました。彼はネパールに住んでいた経験があり、カーストの問題についても客観的に、より深く考察していたのだと思います。彼によれば都市で育ち、高等教育を受けたネパールの学生が、農村の老人の主張を理解しようともせず、突き放す姿勢にも大きな問題があると言います。
 その通りだと思いました。カーストは深い歴史背景があり、あの場で元教師の方を責めることは何の意味もありません。例えばネパール人がみんなダルバートを好きなように、農村に暮らす人にとってカーストは当然のことであり「文化」だと考えられます。これを単に悪とし、それに加担する人を悪人とするだけでは、問題解決から遠ざかる一方です。どんなに理不尽だと思っても、まずは相手の文化を理解するという姿勢はどんな場面においても重要だと感じました。

2. 再会した人々
 二回目の参加で最も嬉しかったことは、私のことを覚えてくれている人がたくさんいたことです。前回、シークレスでは「フクロウ祭り」に飛び入り参加し、ソーラン節を何百人もの方々の前で踊りました。当時は訳も分からずとにかく踊っただけでしたが、一年経っても覚えてくれている方が大勢いらっしゃって、とても幸せな気持ちになりました。ポカラにあるシャムロックスクールの生徒たちも、前回、私とサッカーをしたことを覚えていて、再訪を喜んでくれました。今回は異なる形式での交流だったので、より深く彼らを知ることができました。また、私たち自身についても興味を持ってもらえたことが何よりも嬉しかったです。
 プログラムに参加することを決めた時、「なぜ自分はまたネパールに行くのか」を問い続けましたが、正直、明確な答えを出すことができていませんでした。しかし、彼らが喜ぶ姿を見て、「この人たちに会うために来た」というのが答えだと感じました。何か大きなことを成し遂げたわけではないけど、二回目の訪問に大きな価値を与えてくれた出来事でした。

3. 人と文化
 私は「文化」という言葉があまり好きではありません。定義が曖昧で分かりづらいからです。正直、異文化交流というこのプログラムの目的にも、当初は違和感がありました。どこか表面的で、奥行きの無い活動に聞こえます。法被をまとい、ソーラン節を踊り、日本食を作り、学校の子どもたちに「日本の文化」を伝えることが、本当に異文化交流なのか。
 しかし、今回のプログラムで私が感じたことは「人」それぞれが異なる「文化」を持っているということです。確かに、ネパール人メンバーにのみ共通する習慣はあります。食事などはその典型で、みんなダルバートが大好きです。しかし、その人にしかない性格や特徴の方がより大きな割合を占めるのも事実です。ギターが得意な人、踊りが好きな人、耳が不自由な人、意見をはっきり言う人、場を盛り上げる人、夢を持っている人、…。こうした様々な「人」という「文化」が交じり合って、一つのチームになっていくことが、真の意味での異文化交流なのだと思います。そして、「○○人」という概念が、実はあまり大きな意味を持たないことにも気づかされました。
 たった十数人の大学生が二週間共に旅をしたところで、世界が変わるわけではありません。でも、今の世界ではすべての「人」の「文化」が交じり合い、仲間になることが求められているわけであって、この点において私たちの行った異文化交流の方向性は決して間違っていないと、誇りをもって断言できます。このプログラムが今後も継続され、Mero Sathiの輪が広がっていくことを期待しています。

2016年12月1日木曜日

ネパール NJEP 2016 報告書 (12)  藤本沙織 (上智大学文学部2年)  「ネパール≠途上国」

「ネパール≠途上国」

   上智大学文学部2年 
藤本沙織

 
 
 
 私はこの夏、ネパールスタディツアーに参加して、人生で初めて「途上国」を経験した。このスタディツアーに参加した一番の理由は、尊敬する友人が企画・実行しているプログラムであったことだ。Facebookで参加メンバー募集という彼の投稿を見て、何も考えずすぐに「行きたい!」とメッセージを送った。二つ目の理由は、途上国に行ってみたいという好奇心からである。「国際協力」に漠然とした興味を持ち、何か自分にできることがないか考えていた私が途上国でどんなことを感じるのか知りたいと思った。そして三つ目の理由は渡航前にメンバーとの勉強会を通して気付いた後付けの理由であるが、私のもう一つの関心テーマ「教育」にアプローチする方法として途上国の教育を知るためである。「途上国の子どもたちは、学習環境が悪くても、勉強しようという強い気持ちを持っている」というイメージがあったので、典型的な日本人の教育に対する受け身の姿勢と比較するヒントを得たいと思った。
 
 私はこのスタディツアーを通して、「途上国は○○」「ネパールは△△」と一般化することはできないと気付いた。ネパールという1つの国の中でさえ、全く異なるバックグラウンドで育ち、様々な価値観を持って生活する人々がいた。また、ネパールに存在する社会問題は日本にも存在し、“より良い社会”を実現するには途上国や先進国といった線引きをすることは本質的でないと感じた。
 
 アジア最貧国と言われるネパールでも、生活水準は上から下まで様々であった。例えば、一緒にスタディツアーに参加したネパールの学生たちは、私たち日本人メンバーと何も変わらないように感じた。スマホを持ち、毎日好きな服を着て、バスの中ではお気に入りの洋楽を聴き、大学に通いながらそれぞれの目標に向かう姿を見て、私の中の「ネパール=途上国」という固定概念が音を立てて崩れていった。一方でマイダンという村で出会った子どもたちは、同じネパールに住む彼らとは対照的にとても質素な暮らしを送っていた。村では全くお金を使わず、家の周りで農作物を育て、部屋にシャワーはなく電気もほぼ使わない生活を送っていた。日本での暮らしと全く異なる生活に驚きショックを受けたが、それ以上に同じネパールでもこんなにも格差があるということの方が衝撃だった。

 途上国というと「貧しさ」を思い浮かべる人が多いと思う。私もそのようなイメージを持っていたが、途上国“だから”貧しさが存在するのではなく、途上国にも日本にも、同じように貧しさが存在するのだと思った。私はこのツアー中に初めてストリートチルドレンに出会った。観光地で写真を撮っている時に子どもが近くに来たので、一緒に写真を撮って楽しんでいたのだが、帰り際にお金を求められた。私はどうすれば良いか分からず、お金を求められたという恐怖心と、私が今数百円のお金をあげても、目の前の子の現実は変わらないのではないかというある種の諦めの気持ちから、何もせずにその場から立ち去ってしまった。貧困という大きな問題を直視するのが怖くて、見て見ぬ振りをしてしまった。あの時どうすれば良かったのか、ホテルに戻ってメンバーと話し合い、自分でも何度か考えてみたが、まだわからない。しかし、日本に戻って気付いたことは、日本にも駅の周りや公園にはホームレスの人々は存在すること、そして途上国の貧しい人々を助けようという声は多く聞くのに、実際に日本で自分のすぐ近くにいる貧しい人々に意識を向け行動している人が少ないことである。貧困問題を、途上国だけの問題と考えてはいけないと思った。

 このスタディツアーは私に、「途上国」という便利な一言で表すこと自体が本質的でないことを教えてくれた。参加した理由の一つの「教育」というテーマについても、「途上国の子どもの、学習環境が悪くても勉強しようという姿勢を日本が学ぶべき」という前提に疑問を抱くようになった。確かに学習環境が悪くても、家族のため、生きるために必死に勉強する学生は途上国にはいる。しかしそれはネパールの学生全員に当てはまるわけではない。マイダンで一生を過ごす子どもにとっては、英語を勉強することに何の価値もないのかもしれない。そう考えると、そもそも教育とは何なのか、私は日本の教育を良くするためにどんなアプローチを取るべきなのかという新しい視点を持つことができた。

 最後に、初めての経験と新しい価値観の発見に溢れた二週間のスタディツアーに参加できて本当に良かったと思う。ここには書ききれない多くの気付きを得たこと、そして尊敬する仲間たちと出会ったことは私の価値観に大きな変化を与えてくれた。私の文章を読んで少しでもネパールスタディツアーに興味を持ってくださったあなたに、今すぐよしきにメッセージを送ることをお勧めしたい。




2016年11月21日月曜日

ネパール NJEP 2016 報告書 (11) 関愛生(上智大学総合グローバル学部2年) 「心の壁を崩す」

               「心の壁を崩す」

上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科2年
関 愛生


 2016年夏のNJEPスタディーツアーは、生涯忘れることの出来ないほどよい思い出となった。高校時代の一年間をネパールで過ごした私にとって、ネパールという国は人生の原点とも言える場所だ。中学3年時、高校受験前の最後の夏、受験勉強に勤しむ周囲の人々をよそにネパールに旅行に出かけ心底ネパールに惚れ込んだ私。帰国したその日に両親に頼み込みネパールの高校に進学することを認めてもらった。今考えてみると、当時の私はとんでもない決断をしたと我ながら驚いてしまうが、そこでの経験こそが私の人生を大きく変えた。
毎日長時間停電し、水不足で水道がほとんど使えなかったりなど、日本で生まれ育った私にとって生活面で苦労したこと多々あったが、それ以上にネパールの人々と毎日一緒に過ごし、語り合う中で多くのことを学ばせてもらった。毎日が忙しく時間との戦いである日本とは対照的に、ネパールでの生活は緩やかで時間に追われることはほとんどなかった。そんな環境だからか、ネパールにいると私は毎日のように人生を振り返り、自分自身についてゆっくり考えることが多い。不思議なことに、日本では全く気づくこともなかった私の心の奥底にある想いにふとした時に気付けたりするのだ。そういった意味では、私にとってネパールという国は自分に一番正直になれる場所で、だから日本に帰国してからも毎年のように通っているのかもしれない。 
 大学生になってからは、スタディーツアーの企画者、そして一参加者としてネパールを訪れている。私たちの企画するスタディーツアーの最大の特徴は、日本の大学生と現地の学生との交流に最も重きを置いているということである。ネパールに到着した日から帰国日まで、約20人の両国の学生から成る私たちのチームは、ツアー中はどんなことがあっても一緒に過ごす。朝起きる時も、ご飯を食べる時も、真剣に話し合う時も、冗談を言い合うときもいつも一緒だ。ここまで学生交流を重視しているスタディーツアーだからこそ、仲間の存在が何よりも重要となる。私にとって、企画段階から中心的に関わるのは大学生になってから2度目だったが、幸運なことに今回も最高の仲間に恵まれた。日本側のメンバーは、メンバー募集開始からなんと2日も経たずに決まり、高校生から大学生まで驚くほどに個性豊かなメンバーが集まった。ネパール側からは、壮絶な受験戦争を勝ち抜いてきた優秀な大学生がメンバーとして顔を揃えていた。
 ツアー初日、ネパールの空港で初めて顔を合わせた両国学生は、最初はぎこちない雰囲気になるかと思いきや、空港から宿泊先に向かうバスの中ですでに、みんなで日本やネパールの歌を歌って大騒ぎするほどになっていた。そんな最高の仲間たちと過ごした2週間で出来た思い出は星の数ほどあるが、その中でも私にとって一生忘れることのないだろう思い出をここに書きたい。
 ツアーの最中、日本人学生の一人が誕生日を迎えた。その時私たちは、2日間をかけて辿り着いた山奥の村でホームステイをしていた。その日の朝、村の公民館に集まってきたメンバーのひとりが今日がその日本人学生の誕生日であること、そして何かしらの方法で祝いたいということを誕生日である本人にバレないようにみんなに伝えた。すると、ネパール人学生たちが「ネパールで誕生日を迎えたのだからネパール式の誕生日の祝い方をしたい」と言い出し、リーダーシップをとって私たち日本人に指示を出しながら壮大なサプライズパーティーの準備を進めてくれた。誕生日である本人にバレないように、両国の学生が一体となって何時間も夢中になって準備したそのサプライズパーティーは、絵に描いたように上手くいき見事大成功に終わった。その瞬間、日本とネパール両国の学生の間にあった壁が一気に崩れ、私たちは本当の意味で一つのチームの仲間になれたと感じることができた。
   全く違う環境で育ち、全く違う文化や習慣を持った人同士が心の底から打ち解けられるようになるのは簡単ではない。今回のツアーでは両国の学生が出会ったばかりの頃から一緒に歌い、多くのことを話して表面的には仲良くなったように見えても、やはり最初は、お互いの違いを受け入れることが出来ず衝突することもあった。それでも長い時間を共に過ごし、様々な喜びや苦悩を共有することで初めて「心の壁」を崩すことができたのだと私は考えている。サプライズが成功したあの感動の瞬間にこそ、計り知れない価値があるのだ。一度心と心で繋がった友情は、国境や時間を超えて繋がり続ける。 
 日本で生活していると、グローバル人材という言葉を聞かない日はない。ではグローバル人材とは何か。私の知る限り、日本ではグローバル人材=語学力と単純に結びつける風潮があるように思う。確かに国際社会で活躍する上で語学力が重要であることは間違いない(例えば僕の場合、ネパール語を介せることのメリットは計り知れない)。しかし、語学力だけでは不十分である。私のこれまでの経験からグローバル人材になるために最も重要だと思うことは、世界の人と触れ合う時にその人と自分との差異を感じ取り、受け入れ、その上でその人を尊重できるようになるということだ。それが出来て初めて、相手の心に入り込み互いの気持ちを共有できるようになるのだと思う。 私を含め今回のツアーに参加した両国の学生は、このことを見事に体得出来ていた。そして今回の経験は参加者にとって、今後、国際協力、ビジネス、政治、どの道に進むにしても大いに役立つだろうと信じている。
 私自身は、今回のツアーを通じ、企画者の観点でいくつかの改善点も見出したので、次回に向けて構想を練り直し、さらにレベルアップしたプロジェクトを実現したい。SNSで世界中の誰とでも情報交換できる今の時代だからこそ、世界で活躍することを志す多くの若者にこのツアーの存在を知らせ、参加してほしいと願っている。そして世界中の仲間と切磋琢磨しながら、よりよい世界を目指し自分たちにできるアクションを起こし続けていきたい。




2016年11月14日月曜日

ネパール NJEP 2016 報告書 (10) 北原咲希(東京家政大学こども学部1年)「私にできること」

「私にできること」

東京家政大学こども学部1年
北原 咲希


写真を見返すたび、心の奥がぎゅーっと締め付けられる。キラキラ笑顔の子どもたち、エネルギーに満ちた仲間たち、生を感じさせてくれた美しく荘厳な自然、クラクションの鳴り響く道路、目を背けたかったあの光景…。ネパールでは、当たり前に続いている日常であるのに、一つひとつが“思いで”に変わってしまうことが怖くてたまらない。
「私にできることってなんだろう」ネパールでも常日頃考え続けていたことだ。目の前にある、変えていかなければならない現実と、変わってほしくない現実とが入り混じり、結局、私は無力であり、自分にできることはないのかも知れない…。そんな結論に至ってしまっていた。
   そんな私を変えてくれたのが、村の子どもたちである。このツアーで唯一胸を張っていえるのが、誰よりも子どもたちと思いっきり遊んだということだ。この村の子どもたちの為に、自分だったら何ができるか。そんな苦しい問いと無力感から逃れ、全てを忘れたくて無我夢中で遊んだ。シャイな彼らが一瞬見せる笑顔と、賢そうな眉をクイッとあげて私を見つめる瞳がまた愛おしくて、時間と我を忘れ、一緒になりはしゃいだ。
  子どもたちの無邪気な笑顔を見つめているうちに、ふと気づいた。これでいいのかも知れないと。私は、「自分にできること」を支援という枠組みの中で、形式的な型にはめ込もうとしていた。正解なんてないのだとわかっているつもりであったが、無意識のうちに求めてしまっていた。答えがないことは、確かに辛いことだ。しかし、目の前の子どもを笑顔にできなくて、何の支援ができるのだろうと考えると、これこそが今の自分にとっての最高の支援の仕方であって、それが始まりなのだと思う。言語の違う子どもたちとどのようにコミュニケーションをとったらよいか悩んでいたが、一緒に同じ目線になって遊ぶことが、こんなにも言語の壁を越え、心の距離を縮め、お互い笑顔になれる魔法なのだということをも、彼らが教えてくれた。素敵な笑顔と、大切なことを教えてくれた子どもたちに、心から感謝したい。
 また、私はこのツアーで、幸運にもネパールのCBRO(Community Based Rehabilitation Organization)の施設を特別に見学させて頂ける機会を頂く事ができた。障がいをもつ子どもたちの通うDay care centerである。

    私は、大学で特別支援教育を学んでおり、途上国の障がい児教育に大変興味がある。しかし、途上国の障がい児支援を本やインターネットで探してみても、あまり情報はなく、どういう支援を行っているのかというよりは、障がい児・者の状況や、問題点が多く語られていた。なので支援団体や施設があっても実際にどのような人が関わり、支援や教育をしているのか全くわからなかった。
 今回施設に実際にお邪魔し、一番感じたことは、とにかく先生方があたたかい、ということだ。途上国の障がいを抱えている人に対しての周りの目線は、ひどいものである。そんな思い込みが脳裏に張り付いていたが、CBROの先生方は、一人ひとりの能力を把握し子どものしたい、やりたい、という主体性を尊重し、向き合っているように思えた。
 もちろん、全ての人が同じ考えではないし、支援の仕方や環境に問題点や改善点も見られたが、それ以上に、障がいをもつ子どもにかかわる人々のあたたかさを感じられたことが、実際にお邪魔させて頂けたからこそ感じられたことであると思う。これまで、脳裏にあったネパールのマイナスイメージが完全になくなり、希望に変わった。私が見たのは彼らの生活のほんの一部であるが、もっともっと関わり彼らの未来を一緒につくりたいと本気で思った。
最後に、これらの経験は、ただただ、「行きたい!」「分からないので、全て感じて見てきたい!」という私の思いに、関先生を始め、青年海外協力隊の隊員さんや元隊員の方、ネパールで実際に活動されていた方…多くの人がたくさんのアドバイスやサポートをして下さり、実現できたことである。初めての地で、不安なく充実した時間をすごせ、私のこれからの人生に、大きくつながるような学びを得られたことは、多くの方々の協力があってこそ経験できたことで、決して自分ひとりでは得られなかった。だからこそ、支えてくださった方々の思いを無駄にはしたくない。これらの学びを“思いで”にするのではなく「今、自分にできること」「これから自分がしていきたいこと」を常に考え行動し、繋げていけるように、これからも学びを深めていこう。

2016年11月12日土曜日

ネパール NJEP 2016 報告書 (9) 笹川千晶(上智大学総合人間科学部教育学科1年)「見つめる」

「見つめる」
                     
 上智大学総合人間科学部
                      教育学科
                    1年 笹川千晶

  今年の8月、約2週間、私はネパールスタディーツアーに参加した。ご縁があって今回のツアーに参加することとなったが、初めはネパールが地図上でどこに位置するのかさえ定かではなかった。だが、ネパールで過ごすうちにどんどんネパールに惹かれていった。何を得たのかときかれると、正直答えに困ってしまう。スタディーツアーだからといって、何かを得なければいけないという決まりなどはないと私は思う。ただ、そこに行って暮らすことで必ず自分にとって大切な「何か」は感じることができる。かの有名なサン•テグジュペリがいった、まさに、「本当に大切なことは、目には見えない」のだ。
 私がネパールで感じた大きなものは、「愛」と「豊かさ」だった。ネパールには、ものの充足ではない、なにか他の幸せの視点が存在しているのだと実感した。そのことについて、ネパールでの日々を振り返りながら、この場をかりて伝えたい。都会で育った私にとって異国すぎるその国は、私を常に「考える」人間にさせた。「幸せ」とは?「生きるとは」?「愛」とは?難題を突きつけられたときその答えはいつも、ネパールにあった。カトマンズは様々なものであふれ、立ち止まることさえ許されない。一瞬たりとも鳴り止まない車のクラクションはそこにあるすべてのものの指揮者のようで、私の思考を疲れさせるには十分すぎた。だが、同時に居心地の良さを感じた。複雑なものに溶け込むことに、自由を感じたのかもしれない。ネパール人メンバーとの共生にも戸惑った。異なる背景を持っている人とうまく折り合いを付けていけるだろうと思っていたが、価値観や文化の違いを前に無気力になってしまうことさえあった。そこから生じる問題を「文化の違い」と簡単にまとめてしまうことはできる。だが、それはあまりにも浅はかな考え方なのではないか、と実際に異文化の背景を持つ仲間と共生する中で実感した。人はそれぞれ違うのに、お互いの違いを享受することは苦手だったりする。それは人間である以上、様々な感情があるわけで、仕方のないことであるが、大切なのは、自分は相手に対して先入観やある決まった価値観を抱いているということの認識を前提にそれらの人と向き合うことだと思う。そうすることで、相手を受け入れる自分の中の袋に余裕を与えてあげられるのだ。そして、異なる部分ではなく、共通した部分また、差異から得られる新しいものさらに、相手の持つ良さや魅力に気づくことができるのだとツアーを通じて実感した。
 心が豊かなことは、気持ちが豊かなことである。東京の騒がしく、めまぐるしく、そして自分中心な街で生活をしていると、時の早さに追いつかなくなってしまうことがある。心の安らぎ、小さなことへの気遣い•感謝も気づかぬうちに消え去っていく。だからこそ、人は「豊かさ」を求め、外へ出るのかもしれない。少なくとも、私はそうだ。3日間ホームステイをしたマイダン村での日々は特に「豊かさ」に溢れていた。朝はニワトリと子どもたちの声で目が覚める。小さなドアを開けると、太陽の光と子どもたちの笑顔が真っ暗だった部屋を照らす。そして、お母さんが温かいバッファローのミルクとビスケットを届けに来てくれるのだ。それを食べたら、歯を磨きに、顔を洗いにいく。山の絶景を見渡せるその場所は私のお気に入りの場所だった。ついつい太陽に向かって伸びをしたくなる。植物になったみたいに。目を覚ましてからの時間をこれほどまでに味わい尽くせたのはいつぶりだろうかと思った。確かに村での生活は過酷であった。だが、それ以上に魅力的であり、美しかった。私のホームステイ先のお母さんは「愛することに理由はない。ただ、そうしたいと思っているからそうしているだけ」と言った。私たちは「愛」について考えるとき、どうしたら愛されるのかについて考える。「愛する」よりも「愛される」ことを望む。「愛する」ことは時に大きな辛さを背負い、時に負担になってしまうと私たちは知っているからだ。しかし、「ただ、そうしたいからそうしているだけだ」と素直に真っすぐに言ったお母さんの心に涙がでそうになった。私は「愛する」人になれているだろうか。
 このツアーで最も自分にとって大きかった出来事がある。それは、生きているブタの首を切ったことである。これを聞いた人は一体どう思うだろうか。残酷だと思うだろうか。たしかに、残酷である。生きているブタの首を自分の手で切って殺すなんて生きている中でするとは思っていなかった。だが、実際、私はなんの躊躇もなくそれをした。小さなナイフでブタの首をきったときのブタの悲鳴や感触や感覚は今でも鮮明に覚えている。生き物の「生」と「死」を自分の手で、目で感じ、見たのだ。これこそ、文明の格差だ。あまりにも、原始的なやり方だった。かわいそうと嘆く声もきこえるが、今日もどこかで私たち人間が生きるために動物が殺されているのだ。「生きるとは、こういうことなのだ」と痛いくらいに突きつけられ、考えさせられた。私がしたことは残酷だ。だが、あの頃の私にとっては必要な経験だった。自分の強さを知った。そして、弱さを知った。


 ネパールスタディーツアーを通して、人の温かさを知った。これ程までに最高のメンバーに恵まれている自分が幸せだった。どこまでも「愛」に満ちた人たちなのだ。そして、自分の無力さも知った。私は無力だ。ちっぽけだ。だが、こんな私にもできることがある。そう教えてくれたのもこのツアーだ。知らないことは怖いこと。だが、知らないことを知ろうしないことはもっと怖いことだ。この世界は無情で、自分らしさなど守りきれない、なんて生きづらい世界なのだろう、そう感じることもある。だが、そんな世界にも、見つめれば、たしかに「豊かさ」は存在しているのだ。だからこそ、私はそんな世界には負けず、強い私でいたい。そして、今の私がこれから歩く未来はきっと誇れるものにしたい。「真っすぐな幹に、美しい花は咲く。」そんな真っすぐな自分で在り、移ろいやすく、儚く、ささやかなものを捉え見つめることのできる、そんな豊かな心でいたい。本当に大切なものはその先にある、と私は思っている。