2016年11月12日土曜日

ネパール NJEP 2016 報告書 (9) 笹川千晶(上智大学総合人間科学部教育学科1年)「見つめる」

「見つめる」
                     
 上智大学総合人間科学部
                      教育学科
                    1年 笹川千晶

  今年の8月、約2週間、私はネパールスタディーツアーに参加した。ご縁があって今回のツアーに参加することとなったが、初めはネパールが地図上でどこに位置するのかさえ定かではなかった。だが、ネパールで過ごすうちにどんどんネパールに惹かれていった。何を得たのかときかれると、正直答えに困ってしまう。スタディーツアーだからといって、何かを得なければいけないという決まりなどはないと私は思う。ただ、そこに行って暮らすことで必ず自分にとって大切な「何か」は感じることができる。かの有名なサン•テグジュペリがいった、まさに、「本当に大切なことは、目には見えない」のだ。
 私がネパールで感じた大きなものは、「愛」と「豊かさ」だった。ネパールには、ものの充足ではない、なにか他の幸せの視点が存在しているのだと実感した。そのことについて、ネパールでの日々を振り返りながら、この場をかりて伝えたい。都会で育った私にとって異国すぎるその国は、私を常に「考える」人間にさせた。「幸せ」とは?「生きるとは」?「愛」とは?難題を突きつけられたときその答えはいつも、ネパールにあった。カトマンズは様々なものであふれ、立ち止まることさえ許されない。一瞬たりとも鳴り止まない車のクラクションはそこにあるすべてのものの指揮者のようで、私の思考を疲れさせるには十分すぎた。だが、同時に居心地の良さを感じた。複雑なものに溶け込むことに、自由を感じたのかもしれない。ネパール人メンバーとの共生にも戸惑った。異なる背景を持っている人とうまく折り合いを付けていけるだろうと思っていたが、価値観や文化の違いを前に無気力になってしまうことさえあった。そこから生じる問題を「文化の違い」と簡単にまとめてしまうことはできる。だが、それはあまりにも浅はかな考え方なのではないか、と実際に異文化の背景を持つ仲間と共生する中で実感した。人はそれぞれ違うのに、お互いの違いを享受することは苦手だったりする。それは人間である以上、様々な感情があるわけで、仕方のないことであるが、大切なのは、自分は相手に対して先入観やある決まった価値観を抱いているということの認識を前提にそれらの人と向き合うことだと思う。そうすることで、相手を受け入れる自分の中の袋に余裕を与えてあげられるのだ。そして、異なる部分ではなく、共通した部分また、差異から得られる新しいものさらに、相手の持つ良さや魅力に気づくことができるのだとツアーを通じて実感した。
 心が豊かなことは、気持ちが豊かなことである。東京の騒がしく、めまぐるしく、そして自分中心な街で生活をしていると、時の早さに追いつかなくなってしまうことがある。心の安らぎ、小さなことへの気遣い•感謝も気づかぬうちに消え去っていく。だからこそ、人は「豊かさ」を求め、外へ出るのかもしれない。少なくとも、私はそうだ。3日間ホームステイをしたマイダン村での日々は特に「豊かさ」に溢れていた。朝はニワトリと子どもたちの声で目が覚める。小さなドアを開けると、太陽の光と子どもたちの笑顔が真っ暗だった部屋を照らす。そして、お母さんが温かいバッファローのミルクとビスケットを届けに来てくれるのだ。それを食べたら、歯を磨きに、顔を洗いにいく。山の絶景を見渡せるその場所は私のお気に入りの場所だった。ついつい太陽に向かって伸びをしたくなる。植物になったみたいに。目を覚ましてからの時間をこれほどまでに味わい尽くせたのはいつぶりだろうかと思った。確かに村での生活は過酷であった。だが、それ以上に魅力的であり、美しかった。私のホームステイ先のお母さんは「愛することに理由はない。ただ、そうしたいと思っているからそうしているだけ」と言った。私たちは「愛」について考えるとき、どうしたら愛されるのかについて考える。「愛する」よりも「愛される」ことを望む。「愛する」ことは時に大きな辛さを背負い、時に負担になってしまうと私たちは知っているからだ。しかし、「ただ、そうしたいからそうしているだけだ」と素直に真っすぐに言ったお母さんの心に涙がでそうになった。私は「愛する」人になれているだろうか。
 このツアーで最も自分にとって大きかった出来事がある。それは、生きているブタの首を切ったことである。これを聞いた人は一体どう思うだろうか。残酷だと思うだろうか。たしかに、残酷である。生きているブタの首を自分の手で切って殺すなんて生きている中でするとは思っていなかった。だが、実際、私はなんの躊躇もなくそれをした。小さなナイフでブタの首をきったときのブタの悲鳴や感触や感覚は今でも鮮明に覚えている。生き物の「生」と「死」を自分の手で、目で感じ、見たのだ。これこそ、文明の格差だ。あまりにも、原始的なやり方だった。かわいそうと嘆く声もきこえるが、今日もどこかで私たち人間が生きるために動物が殺されているのだ。「生きるとは、こういうことなのだ」と痛いくらいに突きつけられ、考えさせられた。私がしたことは残酷だ。だが、あの頃の私にとっては必要な経験だった。自分の強さを知った。そして、弱さを知った。


 ネパールスタディーツアーを通して、人の温かさを知った。これ程までに最高のメンバーに恵まれている自分が幸せだった。どこまでも「愛」に満ちた人たちなのだ。そして、自分の無力さも知った。私は無力だ。ちっぽけだ。だが、こんな私にもできることがある。そう教えてくれたのもこのツアーだ。知らないことは怖いこと。だが、知らないことを知ろうしないことはもっと怖いことだ。この世界は無情で、自分らしさなど守りきれない、なんて生きづらい世界なのだろう、そう感じることもある。だが、そんな世界にも、見つめれば、たしかに「豊かさ」は存在しているのだ。だからこそ、私はそんな世界には負けず、強い私でいたい。そして、今の私がこれから歩く未来はきっと誇れるものにしたい。「真っすぐな幹に、美しい花は咲く。」そんな真っすぐな自分で在り、移ろいやすく、儚く、ささやかなものを捉え見つめることのできる、そんな豊かな心でいたい。本当に大切なものはその先にある、と私は思っている。

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