2020年9月15日火曜日

ベトナム CVJ 2020 (Connect Vietnam-Japan, 2020) 報告書(3)沓名彩花(上智大学文学部英文学科2年)「オンラインという障壁を武器に」 


  
オンラインプログラムと聞くと、感動が生まれない、深い関係が築けないとイメージする人が多いかもしれない。大学のオンライン授業への移行によって「孤独感」「不安感」を訴える学生が急増したなどという報道を耳にすることが多い今日では、尚更そのようなイメージを抱きやすいだろう。実際私もオンラインプログラムでどれほどの学びを得ることができるのか、親睦は深まるのか、未知数だと感じていた。しかしプログラムを終えた今となっては、本プログラムは、2020年で最も印象的で学びの多い出来事であると断言できる。本報告書では、オンラインプログラムが成功に至った3つの理由に焦点を当て、これらを踏まえた上でオンラインプログラムの可能性について述べる。

 まずオンラインプログラムが成功に至った3つの理由について述べる。1つ目は、オンライン授業を経験した参加者がオンラインのデメリットを十分に把握していたので、事前に起こりうる事態を予測し、対策を練ることができたということ。2つ目は、プログラムによって拘束される時間が現地に赴くよりも少ないため、各自で時間を捻出し、プログラムの質の向上のために割り当てることができたこと。3つ目は、オンラインだからといって印象の薄いものにしたくないという思いが参加者全員にあったということだ。次にこれらの3点について具体的なエピソードを述べる。


 初めに、オンラインのデメリットを把握している参加者が多数いたことで未然にトラブルを防止できたことについて述べる。コロナ禍でオンライン授業でのデメリットは複数回メディアによって取り上げられ、オンライン授業内でそれらをテーマとして話し合う機会が与えられることもあった。主なデメリットとしては、コミュニケーションが希薄になることやオンラインの接続状態に不具合が生まれることへの懸念が挙げられる。これらのデメリットを把握した上で、一人一人がその障壁を越えようと行動した。例えば、プロフィール帳のような多数の項目が書かれた自己紹介テンプレートを用いて、自己紹介をした。そしてzoomを使って雑談トークルームを開き、プログラムの内容以外のプライベートな一面を見せ合うことで距離を縮めようと歩み寄った。ベトナムからの参加者ともプログラム前からS N Sを通じて頻繁に連絡をとり、距離を縮めた。オンラインの障壁をオンラインのメリットを駆使して対処することで、対面で同じ空間を共有できないギャップを埋めようとしたのだ。このような試みは見事成功し、その証拠にプログラム終了後も毎週プレゼンテーションのグループで定期ミーティングを行なっている。オンラインの接続状態の不具合も起こったが、過去に同じような不具合を経験した参加者がアドバイスをしたり、なぜそのような不具合が起こるのか状況から原因を分析したりして事なきを得ることができた。


 次に、各自の時間の使い方に柔軟性が生まれたことについて述べる。オンラインプログラムは拘束時間が現地に赴くよりも少ないため、各自の自由時間はいくらでもプログラムの質の向上に割り当てられた。環境の変化がないため、体調管理がしやすく、体力的にも余裕が生まれたことも一つの理由と言える。体力に限界を感じることがなかったため、睡眠時間を削り納得するまでプレゼンを作り続けたり、次の日の計画の作戦を立てたりすることができた。またプログラム中に得た新しい知識をより深めようと、その日中にリサーチすることもでき、一人でじっくりと向き合う時間が必要な私にとっては有意義な過ごすことができた。私は少人数のディスカッションでベトナムの参加者から聞いた山奥で暮らす少数民族の子供が学校に行けないという話が特に印象深かった。政府が少数民族のもとに出向き、親に子供に教育の機会を与えることの重要性を話しても、その重要性が理解されなかったり、貧困なために出稼ぎに行かせることを優先させてしまったりするという現状を聞き、教育と貧困は相互的に影響を及ぼすことを学ぶと同時に、富裕層であるベトナムの参加者との貧富の差を感じ、根深い問題の解決策をその日のプログラムが終わった後もしばらく考えていた。すぐに解決策が見つかった訳ではないが、その日話し合ったことをその日のうちにゆっくりと考える時間は大変実りの多い時間だった。現地に行けず、様々なものを目でそして肌で感じることができなかったことは悔やまれるが、このような時間の使い方ができたことはオンラインのメリットと言えると思う。


 最後にオンラインプログラムを印象の薄いものにしたくないという強い思いが参加者全員にあったことについて述べる。オンラインプログラムを充実したものにするために、参加者は様々な工夫を拵えた。ベトナムの参加者は、ホーチミン市に位置する大きい市場Bến Thành Marketやfloat market、水上人形やランターン通り、ストリートフードなどベトナムを代表するあらゆる場所を、プレゼンまたビデオを通じて発表してくれた。Bến Thành Marketでは値段交渉をすることが常識などベトナムの文化や慣習も学ぶことができた。対面で伝えられない分、発表はどれも手の込んだもので、まるで現地にいるかのような臨場感があった。日本ではベトナムよりもコロナの感染拡大が著しかったため、日本人の参加者同士で集まる機会がなかったが、プレゼンの中で、日本の伝統的な歌をバックミュージックとして使ったり、各自で恋するフォーチューンクッキーを撮って編集で繋げたり、関西出身の参加者が関西弁を教えたりと、それぞれの才能を存分に発揮し、日本の魅力を伝えることができた。日本の伝統衣装を担当した私も涼しい顔をして浴衣の着方ビデオを披露したが、実はこの発表のために一人で浴衣が着られるよう練習した。各国2名ずつの計4名で構成されるアウトカムプレゼンのグループでは、『ベトナムの高校生が将来の方向性を見据えるために私達ができること』というテーマをもとに約一ヶ月間ミーティングを重ね、より良いものを作り上げようと意見を出し合い、納得するまで質問をし合うという非常に貴重な経験ができた。オンラインだと英単語が出てこない際、近くの人に助けを求めることができないという障壁があるが、言葉が出てこない時にはゆっくり待っていてくれたり、言おうとしていることを予想して「こういうこと?」と言ったり、周囲の人の温かな心遣いのおかげでその壁は乗り越えることができた。


 このようにオンラインプログラムでは、障壁を武器に変え、その過程までも楽しむことによって最高のものが作り上げられる。この障壁は誰でも超えられる容易なものではなく、他ならぬ、輝いた才能と思いやりを持ち、影よりも光に焦点を当てる参加者、関先生、運営の方々、その他プログラムに関わってくださった全ての方々のおかげであり、感謝を送りたい。





ベトナム CVJ 2020 (Connect Vietnam-Japan, 2020) 報告書(2)木村奏(上智大学理工学部機能創造理工学科2年)「CVJを振り返って」 

  Connect Vietnam-Japan、通称CVJが終わって2週間が経った。たった一週間のプログラムであったが、国際理解・自己成長、二つの側面において、学ぶことの多いプログラムであった。そして、zoomという新しい形式での国際交流の可能性を感じさせる、そんなプログラムであったと思う。終了から2週間というこのタイミングで、改めてCVJ全体を振り返りたい。


ベトナムメンバー
ベトナムの学生はオフライン参加、うらやましい。

私がCVJに参加を希望したきっかけは、まぎれもなく、Covid-19によるパンデミックである。大学の授業がオンライン化され、緊急事態宣言でアルバイトがほとんどできなくなるなったことにより、私は多くの自由時間を手に入れることができた。この自由時間をどのように消費していくか、そこで考えたのが国際交流系のイベントへの参加である。高校一年生の時に留学した経験から、国際交流にはとても興味があり、高校時代にはそのようなイベントに積極的に参加していた。しかし、大学に入ってからは、授業に追われるあまり、そちらには手を出せていなかった。手を出すには今しかない、その様な思いから国際交流系のイベントへの参加を決意し、たまたま姉から紹介されたCVJに申し込みをした。偶然にも、一年生の前期にベトナム語の授業を選択しており、そこでの授業を通してベトナムに興味を持っていたが、そのベトナムとZoomを使って交流をするとはいったいどんなものなのか、キックオフ前は不安と興奮でいっぱいだった。



6月末、日本人参加者が全員決まり、初めてミーティングが行われた。そこで本番までに用意するよう出された課題が、日本紹介に関する8つの企画である。伝統衣装紹介や日本の童話に基づいた劇、日本語紹介などが含まれていた。CVJは毎年行われているが、Zoomでの開催は今年が初めて。言うまでもなく8つの企画をオンラインで行うのも初めてであり、前例がないものをいかにやりきるか、参加者全員で頭をフル稼働し考えた。中でも印象的だったのが、オンラインで商店街ツアーを行う“バーチャルフードツアー”という企画である。Zoomをつないだ状態で商店街に出向き、その映像を共有することを通して、ベトナム人参加者に日本の商店街の雰囲気を味わってもらう、という内容が想定されていた。しかし、そのディテールを決めなければならなかったのはまさに緊急事態宣言が解除された直後。外出すらためらわれる状況の中、そもそもなぜそのような企画が用意されているのか、そのような疑問が参加者の間で交わされた。そのさい浮かび上がってきたのが、ベトナムと日本のコロナウィルスの状況の違いである。日本が外出もままならない状況であった一方、ベトナムは当時、日本ほど事態はひどくなく、バーチャルフードツアーを行える状況にあったという。自国の状況だけですべてを決定できないこの事実に、改めて、国際交流の難しさを感じさせられた。国の状況の違い、という点については、コロナウィルスのみならず、教育についての話し合い中にも似たような体験をした。


今回のプログラムは、テーマが“教育”と設定されていた。そして、ベトナム人・日本人それぞれ2名、合計4名のグループを作り、チーム内で“高校生にキャリアを考えさせるためにはどのようなプログラムが必要か”を話し合い最終日にプレゼンをするという課題が与えられた。私たちの班はまず、各々が感じる高校教育に対する問題を共有したが、ここで出てきたのが各国の教育状況の違いである。私のグループでは、日本の問題として、塾などにより発生する教育格差を問題として取り上げようとした。学校があるにもかかわらず、塾という機関が存在してしまっている状況、そして、その存在により情報格差が存在してしまっていることを具体的に取り扱おうとしたが、ベトナムでは塾が一般的でないこともあり、深い議論に発展しなかった。ある国で問題にされていることが他国では全く問題とされていない、当たり前といえば当たり前のことであるが、このCVJの交流を通して改めて、その事実、そしてそれを乗り越えることの難しさ思い知らされた。


このようにCVJを振り返ってみて驚くのが、私に起こった主要な問題は、国際交流だから起こった問題であり、決してオンラインだから起こった問題ではない、ということである。オンラインだから起こった問題はほとんどないといっても過言ではない。通信状態の悪化により音声が乱れることなどもあったが、チャットボックスの活用で乗り越えることができた。おそらく日本で初めてのZoomを介した日越オンラインの国際交流は大成功であったのである。私はこの事実から、改めてZoomの可能性、そしてZoomを介した国際交流の可能性を感じた。もう誰だっていつだって世界とつながることはできる、あとは私たちのやる気と勇気だけ。そんな時代が来たことにとても興奮した。


5Gが実用化され、情報が今まで以上に大量、高速で送られるような時代になれば、上記にあげた音声の乱れの問題も解決されていくだろう。世界がオンラインで強く結びつく時代ももうすぐそこまで来ている。そのとき、私たちが行ったCVJプログラムは、様々な国際交流プロジェクトの手本となるだろうし、私はそのようなプログラムに参加することができたことを心から嬉しく思う。プログラム後、私はAAEEの学生ボランティアとしてこれからもAAEEと活動を共にすることを決意した。国際交流の体系が今後どのように変化していくか、AAEEとともに考え続けていきたい。





ベトナム CVJ 2020 (Connect Vietnam-Japan, 2020) 報告書(1)中島はな(関西学院大学3年)「虚無の味噌汁」

■CONNECT! VJ2020は大成功(?) 
 国際交流の意義とは、カルチャーショックを受け、言語の壁を乗り超え、価値観を超えた人々と出会い、自分の中の新しい側面に気づくことにあると思う。この点においてCONNECT! VJ2020は「大成功したオンライン国際交流プログラム」と言える。募集時からオンライン開催であることはほぼ決定していたし、オンラインということを前提において準備活動を進めていたこと、日本側ベトナム側どちらも柔軟にトラブルに対応できる素晴らしい運営・参加者ばかりであったことが幸いし、想像していた何倍もの達成感と充実感を得ることができた…が、 オンラインだからこその困難や素晴らしさについては他の参加者が詳細に報告してくれていると思うので、本報告書では国際交流の醍醐味を「食」に見出し、「やっぱ物足りな〜い!」となっている私なりの振り返りをしていきたいと思う。 

■食べることを諦めない 
 私は海外に行くと胃袋が際限なく広がっていくタイプの人間である。日本にいる時は普通の女子よろしくダイエットに日々励んでいるが、食への異様な執着と永遠に壊れない胃腸を持っているため、こうなる。「食わず嫌い」が一番この世で嫌いな言葉で、海外バックパッカーすると一日6食なんていうのはザラである。何故そうまでして食べたいのか?それは単に、日本ではできないことだからだ。ここに、本プログラムの惜しいポイントが詰まっている。
  文化を感じる手っ取り早い方法とは食べることである。食べることは生きることとも言われるように、人間の生活にとって食事は重要な意味を持つ。生命維持活動としての食事はもちろん不可欠だが、国際交流的意義からみてもその国々特有の文化が丸々現れているということから食について考える時間は必要だろう。食事内容だけでなく、価格設定や店の衛生状況、店員の態度や頼む順番、食べ合わせや飲み合わせなど、現地の人と一緒に食事をするだけで気付かされることは幾らでもある。それだけでなく、外国人としての我々がその文化に対して親しみを表す手段としても食事は有効である。一緒に料理するのも良い。1日3食、同じ釜の飯を食う。それだけで、異文化理解や親交も深まっていくのは神羅万象の理。という信念を持っていたのに、現実は朝10時から17時まで自室の机に向かい、お腹が空いたらミュートオン、ビデオオフにして納豆を取りにキッチンへ向かう。このように、食という武器を失った私にとってオンライン国際交流は挑戦だったとも言えよう。

 ■ワカメと豆腐と私 
 そんな私が心待ちにしていたアクティビティがFood ExchangeとCooking Contestである。先ず、Food Exchangeについて。日本・ベトナムの参加者が郷土料理やおすすめの店の紹介ビデオを流し、参加者同士がお互いの国の食べ物について質問、比較的和気藹々と進んでいった。朝一にフォーやステーキの映像が流れるなどしたこのアクティビティは、事前準備をバッチリしていたため難なく終了した。 
 午後に行われたのはCooking Contestである。コンテストと名の付くこのアクティビティは、日本・ベトナムが互いに料理のレシピを送り合い、それを実際に ZOOMを繋ぎながら料理するというものだった。評価基準は不明だったが、ベトナム側からは「バインミー(ベトナムサンドイッチ)とバンチャンヌン(ベトナムピザ)」、日本からは「味噌汁とおにぎり」のメニューが送付された。先攻は日本のキッチン。材料もバッチリ揃った、わからないことがあればベトナム人にも聞ける、意外とうまくできた、美味しい、今日のプログラムは全部楽しかったなー、となるはずだったが、オンライン国際交流では食の楽しみすらカオスに変わる。 
 突然だが、皆さんはこれまで、豆腐が漂うワカメに乗る瞬間を見たことがあるだろうか。明らかにおかしい量のワカメが入っているのは謎の水槽。水槽で泳がされる豆腐。ワカメの海に沈んでいく豆腐。次に映し出されたのは、米に酢を塗りこむベトナム人の姿。寿司か?寿司なのか…?「オニギリー」と楽しそうにする彼らを止められる人は一人もいなかった。「ノービネガー!」と叫んでも彼らの耳には届かない。モニター越しで行われるえげつない行為の連続。DASHIとはUMAMIとは、についての原稿はただの紙屑となった。 
 こんなの全然日本文化じゃ無い。


 ■この経験から考えたこと
  アクティビティ終了後、げっそりしていた自分がいた。謎の虚無感。味噌をお湯に溶かすだけなのに。米を丸い形にするだけなのに。おにぎりに酢はないだろ。なんで、どうして。という思いがぐるぐると頭の中を巡っていたが、当日の写真やビデオを見返してハッとさせられる。彼らはあんなにも楽しそうだったじゃ無いか。彼らなりに日本料理を再現しようとしてくれていたじゃ無いか。なんやかんや食べることができていたじゃ無いか。 
 先のアクティビティで感じたやるせなさは、日本文化(とされているもの)を日本人として手取り足取り教えることができなかったことに起因すると考えた。これまで数多の国際交流プログラムに参加してきた中で、日本を代表して日本文化を世界に紹介する機会が多くあった。日本には四季があります、日本食は寿司です、最近はクールジャパンに力を入れています、オリンピックに来てください。これらの文句を並べ立て、日本文化を表面化・形式化していたのは自分の方だったと気付かされた。本物の日本食とは、日本文化とは、日本人であるとはどういうことだろう。私は味噌汁とおにぎりのプロでは無い。日本人と言うだけで味噌汁やおにぎりの何がわかっていると言うのか。文化に対する向き合い方について考えさせられる出来事となった。 
 もう一つ、この経験から得たのは、オンラインだからこそのカオスを楽しむ力だ。これはプログラム中にも関先生が何度も仰っていたことだが、運営も参加者も皆手探り状態で最終的にどのようなプログラムになっていくかが未知数である以上、嫌でもこの力は養われたといえよう。ただ、不測の事態を受け入れる柔軟性が必要なのではなく、カオスは面白くなる余地があるだけで、受け流すことが重要だと言う考え方をしたほうが良い。何故なら、いちいち豆腐に対してツッコミを入れていたら一生国際交流は進まないからだ。でもいつかは一緒に味噌汁とおにぎりを作って、一緒に食べたいのでオンラインでは満足できないのだ。


2020年4月14日火曜日

ネパールMero Sathi Project 2020 2月プログラム 報告(5)上松蒼波(新潟県立大学 国際地域学部 国際地域学科 1年)

「変われなかった」

新潟県立大学 国際地域学部 国際地域学科 1年
上松 蒼波

このネパール研修は私に今までにない経験と、自分と向き合う機会を与えてくれた。このプログラムに応募したのは、今の自分を変えたい、いつもと違う場所に行って、何か違うことをしたいと思ったことが主な理由だった。その目的が達成されたかというと、正直ノーだ。新潟に戻れば、その場所の生活に戻り、特に変化なし。しかし、ネパール研修中に自分の弱点を見つけ、克服しようとトライした。そして、日本人、ネパール人メンバーからたくさんの刺激をもらった。
ここからは、ネパール研修やネパール研修の前後の出来事から感じた、ネパール人の心の距離と、貧富の基準の二点を述べたい。
 ネパール人は人との心の距離が近いと感じた。ネパール人はとにかく思いやりがあって、優しい。これを、ネパール研修中に起きた出来事を通して伝えたい。
研修初日、日本からネパールに行く途中、日本に留学していた一人のネパール人と席が隣だった。彼は「日本人ですか?」と私に話しかけ、会話が始まり、私たちは経由地の香港に着くまでずっと話していた。ネパールに行くのが初めてだと言うと、彼と、同じ飛行機に乗っていた5人の友達が一緒にネパールまでついて来てくれた。その一人は、携帯電話の充電がゼロで絶望的だった私に、彼も充電が少なかったにもかかわらず充電器を貸してくれた。なぜこんなにも親切なのかと彼らに聞くと、「人を助けることが好きなんです、だから」と返ってきた。
ネパール人メンバーと約10日間過ごしていて驚いたのは、ほぼ全員が両親と毎日電話をしていたことだ。なぜなら、私はネパールにいてもLINEのメッセージ機能で連絡を取り合うくらいで、電話するという考えが頭になかったからである。さらに、両親と電話をしていた日本人は二人のみでそれぞれ一度だけであった。私は何を話すのかネパール人メンバーに聞くと、「朝ごはん何を食べた?」「今何している?」といった簡単な内容だと言う。ネパール人メンバーとは今でも連絡を取り合っている。彼らが「元気にしている?」「今何している?」といったメッセージを三日に一度のペースで送ってくれる。日本人とネパール人の連絡の頻度の差、メッセージはいつもネパール人から来て、私が返信するという流れはなぜ起こるのだろうと疑問に思った。もちろん、日本人でもマメな人はいるが、実際にネパールに行ってマメな性格だからといって起こることではないと思った。私は心の距離が近いから起こるのだと思った。ネパール人は相手と交流したい、良い関係を築きたい、困っている人を助けたいというように、周りにいる誰かを視野に入れて行動していると感じた。一方、日本人は他者との関わりが少なく、一人一人が個々に生活しているように感じた。ネパールに来る前、私は積極的で相手との関りを大事にしていると思っていたが、人前で手を挙げて発言するために頭の中で自問自答を繰り返すし、バスでの移動中は英語での会話に疲れ、寝たふりをする自分本位な所があった。ネパールに来て、ネパール人の心の距離の近さとともに自分の弱さも相対的に知ることができた。
 次に貧富の基準について。このプログラム中にずっと考えていたことである。私たちは、4日間シクレスという村にホームステイをした。私は正直、この村の生活は貧しいと思った。村では蛇口をひねってもお湯は出ない、寒くてもヒーターはない、毎日毎食ダルバートという名前のネパールカレーを食べる生活である。この村で一生涯暮らしていくのはかわいそうとさえ思ってしまった。しかし、村の人たちに「経済的に、自分の家族は社会的においてどの位置にいると考えますか?」と聞いたところ、質問した二組の家族が平均以上の位置にいると答えた。驚いた。貧しいなんてこれっぽっちも思っていなかった。私は、村の人たちにとって、その生活が当たり前で、村の人たちの中に基準ができているのだと感じた。例えGDPや収入の低さから貧しいと言われても、その人が貧しさを感じていなければ、その人は貧しくないのだと分かった。貧しいか裕福かどうかは一人一人の価値観の中にあり、数字では表せないのだと気づかされた。シクレスでのホームステイは、今回のテーマである「ダイバーシティ」について深く考えさせてくれた。
ネパール研修の最後のプレゼンテーションが終わると同時に、私は頭痛と身体の熱さで倒れそうだった。解熱剤を飲んで少し良くなったので昼食を食べ、みんなと最後の夕食をとった。その夜高熱を出し、カトマンズで3日間入院をした。日本にいるときでさえ入院したことがなかった私が、ネパールという異国の病院に泊まることに不安とわくわくでいっぱいだった。入院中、面白いことがたくさん起こったので二つ紹介したい。一つは、看護師さんについて。私の高熱は細菌が原因で起こったそうなのだが、“What kind of bacteria?”と尋ねると、“general bacteria”と言われた。聞き方に問題があったのかもしれないが、細菌の名前が知りたかった。また、看護師さんが持ってきてくれる病院食には私が選んだメニューに、必ず頼んでいないものがついてきたり、熱を下げるからと言って、スプライトを持ってきてくれたり、何でもアリな病院だった。もう一つは、お見舞いに来てくれたネパール人について。彼は、私が入院中、毎日数回ずつお見舞いに来てくれた。しかし、いつも5分くらい部屋の中を歩いて、“Aoba, are you ok?”と体調を確認して帰る。彼は、私が入院中、毎日数回ずつお見舞いに来てくれた。しかし、いつも5分くらい部屋の中を歩いて、“Aoba, are you ok?”と体調を確認して帰る。彼は、忙しいのに毎日来てくれて、疲れているはずなのに顔に出さなかった。想定外の入院生活は奇妙で面白く、周りの人の支えや愛情を感じた。
最後に、私は自分を変えたくてネパール研修に参加したが、変われなかった。しかし、ネパールでたくさんの人と出会い、笑って、泣いて、怒って生活してきた中で、今の自分に満足している人はほとんどいないと思った。みんなもっとこういう風になりたいと一生懸命なのだと気づかされた。この旅で自分の決めた目標に貪欲に一生懸命に挑戦していこうと決めた。

2020年4月13日月曜日

ネパールMero Sathi Project 2020 2月プログラム 報告書(4)渡辺ひなの(上智大学総合グローバル学部総合グローバル学科 1年)

『「知る」ということ』

 上智大学総合グローバル学部総合グローバル学科 1年
渡辺ひなの

 私がネパール研修の参加を決めたのは、他の人がやらないような珍しいことに挑戦し、日本から飛び出して自分が知らないもっと広い新しい世界を知りたいと思ったからであった。ネパールでの約2週間の経験は、非常に新鮮で予測不可能なものであり実に発見が多かった。日本と異なる部分だけではなく似ている部分が多くあることにも驚いた。そして、普段日本で生活していて気づかないであろう当たり前のことや自分が無意識に持っていた偏見に気づかされたり、交流を通して自分自身と向き合い新たな自分を知ることができた。私は研修全体を通して非常に多くのことを経験し学んだが、主に「知る」ことの重要性と困難さについて述べたい。

 まず、貧困というと私たちは何を思い浮かべるだろうか。十分なお金がなく生きるために必要なものを手に入れることもできず、路上に暮らすかわいそうな人々を想像するだろうか。私もこのようなイメージを抱き、かわいそうな貧しい人々を助けなければならないと考えていた。確かに、首都のカトマンズでは少年が一人でものを売ったり、子供を連れたお母さんが物乞いをする場面を頻繁に見かけた。その度に私は心を痛めた。しかし、貧困=かわいそうという考え方は三日間のシクレスでのホームステイでは違っていた。シクレスは都市から離れており標高の高い場所に位置する小さな共同体の村であり、グルン族という民族が暮らしている。農業や家畜を育てて自給自足するほか、ホームステイで生計を立てている。頼りない電気は頻繁に止まり、出てくる水は凍えるほど冷たい。ここでの生活は非常に質素で決して便利ではなかったし、とても貧しそうに見えた。しかし、二日目にグルン族の家庭を訪問しインタビューを行ったところ、彼らは自分たちを決して貧しいとは感じておらず便利な生活ができる都市に住みたいとも感じていなかった。なぜなら、彼らにとってはシクレスは故郷であり日常であり人生であるからだ。話を聞いていると、近くに住む隣人が数人集まってきて嬉しそうに互いに話を交わしており、彼らは隣人との繋がりが強く相互に助け合って生きているということもわかった。とても穏やかで幸せそうだった。私たちは実際の状況や住んでいる人々の背景を知らずして、外から「助けたい」だの「かわいそう」と考えるのは間違っていると感じた。そして、私たちは無意識に自分たちの生活を基準に物事を考えているということに気づいた。
 次に、交流するにあたって私が非常に強く感じたことがある。それは、いかに自分が知識不足または能力不足であったかということである。最も私が知識不足を感じたのは、日本のことについて聞かれたときであった。ネパール人メンバーと会話をする際、彼らはネパールのことについて詳しく教えてくれた。私も日本の文化や社会について教えたりしたが、政治や経済の問題など深いことについては教えることができなかった。私が特に印象に残っていることは、ジェンダー問題について議論する際ネパール人メンバーはネパールの深刻な状態について詳しく説明しどのように解決するべきか語っていた時の熱意とその知識に圧倒された。一方で、私は日本における問題点を詳しく説明することができず自らの知識量の少なさを実感した。彼らは日本にはジェンダー差別が存在しないと思っていたと知り、私はますますマイナスの面を伝えたかったが表面的になってしまったことを後悔している。この経験を踏まえて、私はもっと自分の国について知らなければならないと感じた。しかし単に幅広い知識を身に付けるというのではなく、自分の国の問題点やマイナス面に焦点を当ての能動的に知ろうとしなければならないと感じた。
知識不足に加えて、能力不足を感じたのは主に英語力である。英語力不足は研修の最初から感じていたが、それが原因で私は話すことに自信を失いネパール人メンバーとコミュニケーション取ることを少し恐れていた。そして、私は英語を話すと内向的な性格に代わってしまい自分でも混乱していた。正直これほど自分自身の弱みに向き合うことになるとは想像していなかった。しかし、ネパールに来て三日目の夜、メンバーそれぞれが抱える不安や悩みを打ち明けて全員で共有した。私は英語力で自信を失っていることと内向的な性格にについて打ち明けると、ネパール人メンバーの中にも同じような悩みを抱えている子が多くとても安心した。この機会をきっかけに、他のメンバーが自分を気にかけてくれたり自分でも意識的にコミュニケーションをとることができ、一気に距離が縮めることができた。自分自身の不安を仲間が理解してくれることで私は失敗を恐れずに挑戦できたと同時に、私たちが仲間の不安を理解することで彼らの成長を感じることもできた。結果的に、私を一生懸命理解しようとしてくれた仲間の存在のおかげで、徐々に自信を取り戻し英語力は必ずしも全てではないと分かった。自分自身と向き合ってこそ他者という存在の重要性を実感させられるような国や言語を超えた相互理解ができ、このような深い交流ができたことを嬉しく思う。
 最後に、研修を通して私は非常に多くのことに気づき学ぶことができた。そして、日本では決して経験することができないような貴重な経験をすることができ、濃い充実した2週間を過ごすことができ参加して良かったと心から思う。ネパールは未だ発展途上であるものの、いつも笑顔で明るく情熱的なネパール人メンバーを始めとして、関わった全てのネパールの人々を見ていると、この国の将来はより明るく希望に満ち溢れているのだと感じる。私は同世代の彼らの熱意に感化されたこの機会に、より自分の知識と英語力の向上に励み何らかの形で将来につなげたいと思う。そして、ネパールでの生活で感じた一つ一つの感情や新鮮な気持ちを忘れずに、自分が日々の生活を当たり前に過ごしていることに感謝して生きたいと思う。


ネパールMero Sathi Project 2020 2月プログラム 報告書(3)關根ゆり子(上智大学文学部フランス文学科 1年)

「感性を取り戻す旅」


上智大学 文学部フランス文学科 1年
關根ゆり子

私はネパールへ行く前に、この旅の目標を決めた。題して、「感性を取り戻す旅」だ。理由は簡単で、ただ精神的に豊かな生活を取り戻したかったからだ。私は高校生の頃1年間ベルギーへ留学した際、道端に咲いたタンポポに感動し、綺麗な空を見るだけで涙を流すほど感性豊かだった。しかし、日本に帰国してからは毎日ぎゅうぎゅうの電車に乗り通学し、放課後は大学受験のための塾へ行き、せわしない生活に戻った。完全に東京に揉まれて感性など失っていたのだ。そこで、今回このプログラムで新たな世界を見ることで感性を取り戻せるのではないか、と考えた。この報告書では、私の心がどう変化したかについて述べようと思う。
 結果からいうと、滞在中は感性を取り戻すどころではなかった。あまりにも今まで私が訪れた国とは異なり、歩いているだけで質問で頭がいっぱいになる程刺激的な毎日だったからだ。感性を取り戻すのを超えて、新しいことに興味が湧き、新しい自分に気づいた旅となった。そんな旅をするうちに、感性を豊かにする方法を学んだことに気付いた。それは、日常のすべてを五感で感じることと、自分に自信を持ち命と環境に感謝することである。
 まず、五感を駆使することでより多くの文化を感じ取ることができる。例えば、聴覚。日本でイヤフォンで音楽を聞かない日はない私が、12日間1度もイヤフォンを使わなかった。常にネパールメンバーと話し、ネパール音楽を聞き、街の音を聞いた。車の走る音が夜も絶えず宣伝やアナウンスの音が大きい日本に比べ、首都カトマンズではバイクとクラクション音が大きく、小さな町シクレスでは鳥のさえずりの他は何も聞こえなかった。私が毎日音楽でシャットアウトしていた街の音だけでこんなにも違いを感じることができた。そして何より五感を使ったのは、人と会話する時だ。ただ聞くことに集中するのでなく、相手の動きをよく見たり、相手との距離感を感じることでどう返せば良いかを考える。そうすることで、新しいことに気付いたり感性も磨かれ、同時に相手と仲良くなることができた。また、仲良くなれたことでネパールの歴史や彼らの考えなども深く聞くことができた。私は幼い頃から、祖母に「何よりも友達を大切にしなさい、友達は何でも教えてくれるのよ。」と言われて育った。今回はまさに祖母の言葉を実感した旅となった。そして、ネパールメンバーは五感を使うのがとても上手い。彼らは日本メンバーへの観察力がすごく、何も言わなくてもこちらの気持ちに気づいてくれたり、とても気遣ってくれた。これが彼らの長けた想像力に繋がっているのだと考える。シクレスの学校での授業を準備していた時、私は彼らの想像力に圧倒された。一人一人のアイディアがとても面白く、相手の意見を取り入れながら新しいアイディアが次から次に出てあっという間にクラスの内容が決まっていった。説明するのに時間がかかる私の意見も時間をかけて一生懸命聞いて取り入れてくれた。私はこれから意識的に日常の様々なことに対して五感でアンテナを張ろうと思う。
 そして、二つ目に自分に自信を持ち自分の命と環境に感謝すること。私は物質的に豊かな生活ではなく、精神的に豊かな生活をしたいと思っていた。そのために今回のプログラムに感性と取り戻す旅、と名前をつけた。実際シクレスという小さな村の人々は日本人よりも物質的には豊かとは言い難かったが、精神的に豊かな生活をしていると感じた。私はネパールに行くまで、彼らは他の世界を知らず選択の自由がないから彼らの生活に満足できるのだと思っていた。なぜなら、新しいものに興味が湧くのは人として当然のことだからだ。しかし、彼らは先進国の生活を知っていた。ではなぜ彼らの生活に満足できるのか。それは、自分たちの生活に誇りを持っており、さらに自分の環境に感謝できる心を持っているからだと考える。歴史を知っているからこそ自文化に誇りを持てるし、自分がその環境にいるからこそ、その経験ができるということを知っている。その経験は自分以外誰も体験できない唯一無二なものであり、まさに小さな奇跡、そして幸せである。この考えが彼らに深く根付いているのだと思う。対して、日本人はこの気持ちを忘れていると思う。衣食住に困らず、趣味に時間も費やせる。家族と一緒に暮らせて、学校に行ける。このありがたさを常に忘れてはいけない。つまり、物質的豊かさと精神的豊かさは対義語ではない。結局は物質的に豊かでもそうでなくても、自分に自信を持って自分の命と環境に感謝することが、感性を豊かにして幸せに生きる術なのだ。
 日本に帰ってからたまに思う。今頃シクレスの人々は何をしているのだろうかと。その度に、彼らと私たちが幸せに暮らせていることに感謝する。このプログラムで学んだ感性を豊かにする方法をこれからも実践して、幸せに生きてゆこうと思う。

ネパールMero Sathi Project 2020 2月プログラム 報告書(2)中村華乃(上智大学文学部英文学科 1年)

『「違い」を知ること』

上智大学文学部英文学科 1
中村華乃

 今回のネパールでの研修を通じて、実に様々なことを経験し、分かち合い、学んだ。これまでの人生の中で学びの面でも、気持ちの面でも最も激動な11日間であり、良い経験も悪い経験も含め渡航前の私の想像をはるかに超える研修であったことは間違いない。本報告書では、環境について、シクレスの村での気付きについて、の2点のテーマで述べていく。

 初めに環境についてであるが、環境と一言に言ってもたくさんの意味合いがある。本報告書では生活環境や国そのものの環境について、ネパール人の生徒、学生が置かれている環境についての2点に分けて話す。まず一点目のネパールの生活環境、国そのものの環境について、ネパールの首都であるカトマンズについて初めに私が感じたのは空気が濁っている、ということであった。また空港から宿泊していたホテルまでの道中、信号機が非常に少ないこと、車線もほとんど存在しないことにとても驚いた。それでも一人一人が気をつけているため事故が多発しているわけではなく、これが「違い」なのだと初めに体感した。また、街にはストリート犬や物乞いをする子供たちも多く見られ、彼らが置かれている環境は彼らのせいではないけれど、無力な私でさえもその環境をどうにかしていかなければならないと感じた。次に二点目のネパール人の生徒、学生が置かれている環境についてであるが、このことについて考えさせられたのはカトマンズにあるShamrock Schoolを訪れた時だ。Shamrock Schoolの生徒たちのプレゼンテーションや、私たち日本人のプレゼンテーションに耳を傾ける姿を見て、彼らは熱心で、教育のレベルも高く、集団でいることに長けていると感じた。私は当初もっと悪い教育状況や学校の状況を想像していたため、何も問題ないように思ったが、お昼ご飯を生徒たちと食べている時に彼らに話を聞き、質問をしてその考えは変わった。Shamrock Schoolの学費は月に500ルピーで、生徒は共同生活を送っており、この学校に入学するため面接試験や筆記試験を受け、合格した生徒たちが集まっている。家が貧しいから家の近くや良い私立の学校に通うことができないため、学費が安く教育が良いShamrock Schoolに遠くから通う生徒も多い。彼らが家族と会えるのは月に1回程度で、学校では自分たちでお皿を洗ったり、掃除をしたり、ご飯の用意を年齢問わずみんなで助け合って行っていた。まだまだ幼い生徒もたくさんいて、彼らは家族に会いたいと口々に言っていた。良い学校へ行くことが簡単ではない。私たちは当たり前に周りにたくさんの学校があり、選択肢も多い。私立の学校も公立に比べると高いが親が学費を払ってくれ、通うことができる。学校で学ぶことができる、学校に通うことができるということに対する価値観の「違い」がここまで学ぶ姿勢に繋がるのだと思った。

 私たちはシクレスという村で4日間ホームステイを経験した。高校生の時にニュージーランドで約1年間の留学をしていたが、その時のホームステイの印象とはいい意味で全く「異なる」ものであった。3日目に村で家庭訪問をした際に主に家族についての質問をしたが、その中でも私がとても印象に残っているのは「この村に何か足りないものはありますか?」と質問した時の答えである。答えてくれたおじいさんは「医療、医者と薬がこの村にはない。それが足りないものだ。」言った。彼の奥さんは糖尿病と他にも病気を患っていて、先は長くないと言っていた。病気のための薬を手に入れるため、1ヶ月か2ヶ月に1度、4時間もかけてガタガタの道を下り、ポカラまで行く必要がある。ポカラまでの交通費や高額な薬代、高齢な夫婦にとって金銭的にも身体的にもその負担は大きすぎる。私はこの質問への回答として最初予想していたのは何かもっと便利なものが欲しい、引っ越したい、豊かな暮らしがしたい、などといったことだと思っていた。しかしそれは全くの「間違い」であった。発展途上国と決めているのは私たちであり、彼らはそう思っていないかもしれない。最近の私たちは勝手に発展途上国を支援すること自体に満足し、彼らが本当に必要としていることに目を向けられていないのではないだろうか。ここに私たちと彼らとの認識、考えの「違い」が生じているのだと思う。私たちが少し豊かな生活をしているだけで、彼らにとって彼らの生活は当たり前であって、むしろ我々より幸せや家族との関わりを深く感じているのかもしれない。本当の意味での発展途上国支援について考えていく必要があると思った。

 これまで2つのテーマについて述べてきたが、ここに共通することは「違い」を知るということである。「違い」を完全に受け入れるのは難しいかもしれない。それでもお互いに「違い」を知り、その「違い」を認め合うことが大切なのである。国際交流においてこのことは最も重要であると私は考える。Mero Sathi Projectの関係者のみなさんにお礼を申し上げたい。
このプログラムで何を学んだかと聞かれ一言で答えることはできない。しかし大切なメンバーとかけがえのないと経験を通して確実に見る世界が変わり、私の人生に大きな影響を与えてくれたと胸を張って言える。これからの人生において今回のプログラムでの経験は必ず生きていくと信じている。この場をお借りして関教授をはじめとするMero Sathi Projectの関係者のみなさんにお礼を申し上げたい。