2016年10月13日木曜日

AAEEベトナムプロジェクト<8月>報告書(7) 山森美保(上智大学総合グローバル学部1年)

「ベトナム学生交流で打破された私の先入観」

上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科1年
山森 美保

右が私、山森美穂。左はダー君
「ベトナム行くならボランティアのひとつくらいしてこいよ~」
これは私がバイト先の方に夏にベトナム行くと伝えた時に言われた言葉だ。なに言っているんだ、と思う一方でベトナムは途上国で先進国からの支援が必要であるという考えが先行する人は多くいるのだなと改めて思った。(たぶん私も心のどこかにもその考え方はあったと思う。)

1、先進国、途上国、支援 
しかし実際にベトナムを訪問して思ったことは、「先進国」「途上国」と簡単には区分できない複雑さがあるということだ。確かに「途上国」としてのベトナムは、トイレの水洗機能がついていないところが多いことや、バイクの使用による大気汚染が進んでいるなどの問題を抱えており、街中で物乞いをしている人にも出会った。しかし、ベトナムで出会った学生たちは(トップ層の大学に通っていることも大きな要因ではあるが)、英語は私よりも確実に得意で、学習意欲も高く、その上仕事も早く、いわゆる「途上国」の「支援が必要な人々」ではないことは誰の目にも明らかであった。そして、ベトナムツアーが始まりほんの数日で「途上国の人々=能力が低い、かわいそう」という固定観念が一気に崩れ落ちた。
またここで先進国からの支援という点についても考えさせられた。実際に「途上国」と言われるベトナムには、尊敬すべき素晴らしい伝統や文化があった。それを十分に理解しない人々が自国の発展した技術を(もしかしたら自国の利益のために)途上国に押し付けるような支援はあってはならないと強く思った。その土地にあるもので、その環境に合わせたライフスタイルで暮らし、周りに大切な家族や知人がいて、それで幸せに生活できていること。これは、経済発展は十分に果たしたが、その一方で膨大な数の自殺者が生み出している日本と比べてどちらが本当の「幸せ」なのだろうと強く考えさせられた。ちなみに、ある統計によれば、人口10万人あたりの自殺者数は、日本が18.475人で、調査対象175ヵ国中18位。一方でベトナムは5,016人で125位だそうだ。(2012年の世界保健機関(WHO)のデータを元に世界ランキング国際各付けセンターが割り出した人数)1

2、他者への自己表現について
次に、自分の思っていることをどこまで相手に素直に言うべきか、という観点での学びもあった。私は中学・高校時代、主に部活動において自分の意見をかなり厳しく言っていたように思う。しかし大学受験期を経て言うことよりも考える時間が増えて、大学入学後は思ったことを素直に言うことは減った。本プログラム中に、自分も関わる互いの行き違いをきっかけに日本・ベトナム全メンバーが本音で議論する時間があった。その時も、ベトナムメンバーが嫌な気分をするなら正直に言う必要はないだろうとい自分から積極的に言葉を出さずにいた。自分の本音を言ったからといって必ずそれを相手が受け入れてくれて和解するとは限らないと考えていたし、またこのツアーを平和に終わらせたいという、ある意味の「逃げ」の姿勢が先行したことも否めない。ベトナムメンバーに真正面から向き合うことを避けたと言い換えることもできる。しかし、その後、周りの日本人メンバーから思ったことは伝えるべきと促され、結局自分の気持ちを正直に話した。案の定、伝えた日の夜は雰囲気が悪くなり、「あーあ、この後のツアーどうなっちゃうのだろう。ここまで言う必要はあったのかな。」などと思った。ところが翌日自分のバディであるDaくんに呼び出され、二人きりで話し合った。すると彼は、前日の本音ミーティングの段階では表現しなかった本当の気持ちを直接言ってくれた。そして、そこから完全に打ち解けることができた。晴れ晴れとした気持になった。またプログラムの終盤では、Daくん以外のメンバーとも言葉や国籍の壁を超えて本当の友達になれたことが嬉しく、日本人メンバーと同じくらいにベトナムメンバーに対しても、心の底から出会えてよかったと思えるようになった。

3、挑戦心の大切さ
さらに、私はベトナム戦争で使用された枯葉剤の被害者、グエン・ドク氏の講演会の担当を任されたのであるが、これもとてつもなく貴重な体験であった。ドク氏は「ベトちゃん、ドクちゃん」として有名な方で、学校の教科書にも出てくるまさに歴史の証人である。今月10月には枯葉剤被害者代表として広島を訪問し、安倍首相と面談するほどの方だ。そのドク氏のご講演に先立ち、ご本人の前でプレゼンテーションをできたことは一生の財産である。実はこの任務は日本出国の直前に決まり、自分にこの大役を担えるのかという不安と、自分でやると立候補したからには絶対成功させたいというふたつの思いが交錯していた。ドク氏の講演会はプログラムの初日ということもあり、メンバーも互いに打ち解けてはおらず緊張感に包まれた中で行われた。私自身も直前までは緊張してがちがちであったが、いざプレゼンを終えると、今までにないほどの強い達成感を味わうことができた。この経験を通じ、積極的に挑戦することの大切さを学んだ。これまでの私には、自分の能力を自分で勝手に決めつけ、やれることを自分で狭めるようなことはしていたように思う。自分にもやればできる!このことは今後の生活の中でも活きていくことだと思う。

4、現場に行くことの大切さ
私は高校生の頃からアフリカの児童労働問題を解決したいという夢があり、現在在学する上智大学総合グローバル学部に入学することを決意した。それは、「子供には子供らしく笑顔でいてほしい」という思いや「生まれた国が違うだけで、その子自身の人生における選択肢が極端に減ってしまうのは不条理だ」という思いから生まれる気持ちであった。しかし、ベトナムを訪れ日本より経済的発展が遅くとも、笑顔で幸せそうに暮らす人々を見たとき、現地に行ってそこで人々の実際に暮しを見ない限り本当のその国の姿は見えてこないし、メディアなどを通して先入観のように植え付けられてしまった「途上国=かわいそう」という考えはぬぐえないのだと気づいた。
アフリカの中でも私はマラウイ共和国に関心がある。そこは世界最貧国の内の一つであるが、その一方でthe warm heart of Africaとの別名があるほど人々が親切で笑顔にあふれているという。今この国に行きたいと強く思う理由は決して「最貧国で衛生環境やインフラも整っていなくて可哀想だから」というものではなく、一人の人間としてその国の人々の暖かな人間性に触れてみたいと純粋に思ったからである。このように今までとは異なる視点から自分の関心のある地域、問題について目を向けられるようになったのも、ベトナムでの様々な経験があったからだといえる。
ベトナムから帰国し、一ヶ月以上がたった。今でもベトナムの土地の独特の空気感、におい、食べもの、そしてそこで出会った人々のことを写真や動画見て思い出し、戻りたいなと思う。これは、ベトナムの表層的な面だけでなく、現地の学生と二週間ずっと一緒に過ごせたことが大きな要因だと思う。もちろんうまくいかないこともあったが、それがあったからこそ単に観光旅行で行くのとは違う体験ができたのだと思う。
最後に、このような貴重な機会をくださった関さん、たくさん悩みながらもリーダーとして私たちを引っ張ってくれた、りのに心から感謝申し上げます。


1)世界ランキング国際格付けセンター(2015)人口10万人あたりの自殺者数(年齢調整値)ランキング<172カ国>  http://top10.sakura.ne.jp/WHO-GHE161.html

2016年10月12日水曜日

AAEEベトナムプロジェクト<8月>報告書(6) 森雄大(中央大学商学部2年)

「このプログラムで得られたこと、必要だったこと」

                       中央大学商学部商業貿易学科2年
   森 雄大

 このプログラムはほとんどの人がお互いを全く知らない状態で始まり遠慮した話し合いから始まると思いきや、皆積極的な議論を展開できるとても優秀なメンバーでした。
何よりも皆のすごいところは、厳しいスケジュールの中でも常に相手と話すときには明るく笑顔でいれることでした。一見他により重要なことがあるように思えますが、今回のプログラムの目的であった国際交流を行うにはそれは不可欠なことでしょう。そもそもこのプログラムでコミュニケーションをぞんざいにするようであれば国内の座学で事足りるからです。


ベトナム人メンバーも明るく積極的で、遊ぶ時と真面目にやるときの切り替えがうまく、何より日本人メンバーのことを常に考えてくれていました。ベトナムメンバーの人たちは普段は勉強で忙しいそうで遊ぶ機会が滅多にないそうです。そのため、プログラム中遊ぶ時には全力で楽しむ姿勢が見られ、限られた時間の中で如何にしてたくさんのことができるか、時間を有意義に使えるかを考えているのかがとてもよく感じられました。
そしてベトナムの国自体も活気に満ち、町中に溢れる車とバイクに建ち並ぶ海外企業のビルは圧巻で、その街中をバイクで走るなど興味を惹かれる楽しいことばかりでした。
しかし、予測していない事態が多く起きたこともありました。例えば思うように準備が進まなかったことや、現地での急な予定変更、ベトナムメンバーとの対立などがありましたが、この事態の中でも皆悩みながらも結果的には解決でき、トラブルは逆に良い成長剤になりました。予測不能の事態に直面した際の決断力や精神力は社会で求められる大切な能力の一つで、日常生活の中で身に着けることはなかなか難しいと聞いたことがあったので良い機会でした。ただ、その事態をリーダーに任せきりになることが多く、リーダーの負担は許容量を超えるものとなってしまっていました。それの原因としてはメンバーとリーダーとの信頼関係がうまく創設されていなかったからであると考えられます。この原因の一因には自分にも大きな責任があります。団体としてすべき仕事を個人的なものとしたために不信感が生まれ、仕事を任せるに値しないと判断され仕事が個人に偏るという悪循環が生まれたことについては反省すべき点でした。
ところでその他にも自分個人の反省点がいくつかあります。一番の反省点は英語力の低さでした。ベトナムメンバーの人たちも国内で英語を勉強しているという点で自分と同一条件であるにもかかわらず、あれほどの英語力の差があることにベトナム人の学習意欲に驚かされるとともに自分の甘さに改めて気づかされました。他には前述した非協力的な姿勢は、途中まで自覚がなかった分余計に意識していかなければいけない部分だと深く反省しました。
しかしながら今回のプログラムはベトナムメンバーにとってはもちろんのこと、我々日本人メンバーにとって大変貴重な経験になったと思われます。それはただ新しい環境に置かれたからということではなく、例えば企業などの何かを得るために能動的に動く団体の中で行動できたからです。普段能動的に行動しているつもりであっても大学に通い、時給制で働いている学生には中々めずらしい機会であったと思います。このプログラムの特徴的な点は留学や学校などの様に金を払い「教えてもらい」にいくのではなく、自分で「学びに行く」ところにありました。実際には先生に学生には対応できない事態の際に、また自分たちの至らなさ故に起きた問題もフォローして頂きましたが、基本的に先生は責任者ではないという考えに基づき自己責任で行動することは、今までで初めての体験であった人もいるのではないかと思います。
結論として、今回のプログラムの様々な経験やアクシデントを通して学んだ中で特に重要なのは、礼儀、責任感、そして他者への気遣いなど社会に関わる人間としての基本的なことこそが、言語や文化の理解と並んで国際交流に必要だということ。それに尽きます。


2016年10月11日火曜日

AAEEベトナムプロジェクト<8月>報告書(5) 吉川夕葉(上智大学総合グローバル学部2年)

「一員という意識と、学生交流の今後の可能性」

上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科2年
吉川 夕葉

 はじめに、このAAEE主催のプログラムは、アジアに住む学生同士の交流促進を目的として企画されたものである。それぞれ同じ人数の日本人学生とベトナム人学生が寝食を共にし、ベトナム国内を移動しながら2週間交流をはかるという内容である。さらに今回は「伝統産業を残すべきなのか、またどのように継承していくべきか」というテーマで、プログラム終盤に予定されていた発表に向けてリサーチを重ねる、というグループワーク課題が課されていた。
 今回私がこのプログラムに参加した理由は、前回のネパールでのプログラムに参加した際に学生交流の大切さを実感し、もう一度体験したいと思ったため、そこから派生して人間同士のつながりに関心を抱いたため、の2点である。本稿ではこれらの動機に基づき、私がプログラムを通して考えたことについて述べたい。
 まず、プログラム中に考察したことの一つが、社会の動きと人間の関係性についてである。プログラム中の様々な出来事から、人間同士のつながりで「社会」が生み出されるということを実感したため、このことについて考察した。プログラム中の出来事というのは、例えばメンバー同士で踊り、チームの雰囲気を盛り上げる、という場面があげられる。この場面において、当事者である各メンバーは踊るか、または手をたたくなどして盛り上がっている雰囲気作りに貢献する必要がある。メンバーである限り雰囲気作りに貢献することは義務であるといえるだろう。しかし誰かが盛り上げようと決めたわけでもなく、雰囲気を盛り上げなければならない状況になったわけでもない場合、この盛り上がっている雰囲気作りは自然と生じたものであり、いわばメンバー間で暗黙下での合意や目的の一致がなされ、それぞれが自発的に雰囲気作りに貢献している状態であると言える。そしてそれぞれの貢献する行動が積み重なり、雰囲気が盛り上がるという結果およびチーム内の雰囲気の変化へとつながっている。
 つまりメンバーは、雰囲気作りへの貢献という義務を、義務だと認識することなく自然と行動に移していたことになる。また、メンバーとしての義務を果たしているということは、自分がメンバーの一員であるということを自覚しているともいうことができる。さらにその義務を無意識的に果たしているとすれば、無意識のうちに自らがメンバーの一員である認識していると考えられる。
 このような一連の流れを社会という大きい規模に置き換えると、まずこの社会の中に生き、労働や消費活動などによって少しでも社会に影響を与えている私たちは、社会の一員であると言える。社会の一員である私たちは、社会の動きに対して、社会を動かしている一員であるという自覚をもち、当事者意識に基づいて社会を動かす活動に参与する義務がある。社会の動きはチームの雰囲気作りと同様に、社会を動かすための行動や、方向性が決められているわけではないため、一員である私たちの行動の積み重ねによって成立している。そして、当事者意識をもつということは、その社会で起こった出来事を自分事として捉えなくてはならない。チームの動きに比べ、社会規模では自分には関係ないと感じられることが多いだろう。規模が大きくなるにつれて自分事のように捉えにくくなるのである。その社会という規模がより大きくなった例が、世界全体である。どこかの国で戦争が起きていても、自分事のように捉える人は少ないだろう。日本国内でさえも、東京に住んでいる私たちにとっては北海道で起きた地震はどこか他人事のように感じるのではないだろうか。
 しかし、なぜチームの動きだとほぼ無意識のうちに自分事のように感じて、チームの動きに貢献することができるのだろうか。この、規模の大きさによる差や自分事のように捉えることが難しくなる境界線は一体どこであるのだろうか。おそらくその境界線の位置は個人差があると推察できるが、その境界線の幅は経験によって変化するのだろうか。私自身がチームの動きにメンバーとして貢献するということが苦手であると感じているため、このプログラムを通じて他のメンバーが無意識に行動できている様子に強い関心を持った。これらの疑問に対する自分なりの結論を見出し、改善していきたいと思う。
 上記のようなことを考えたのには、もう一つ理由がある。それは、ネパールでの学生交流活動とベトナムでの学生交流活動において、私の関わり方や見えてきたものが全く異なったことである。ネパールでの活動では、私は学生リーダーという立場であり、チームのことを主体的に考えていた。しかし、ベトナムでの活動ではいちメンバーとして存在し、振舞う必要があり、このメンバーとしての行動に非常に苦難した。メンバーであるという意識を持つことにより、ネパールでの活動時よりもチームを内部から見つめることができたことは私にとって有意義な体験であったが、半年に及ぶ活動では、結局うまくメンバーとしてチームに貢献することができなかったと思っている。しかし、メンバーとして持つべき意識に気づけたことは、私がこのプログラムで得ることのできた大きな学びの一つであったと思う。
 次に、グループワーク課題をこなしていく上で感じたことについて述べたい。
最初に述べた通り、今回のグループワーク課題は「伝統産業を残すべきなのか、またどのように継承していくべきか」というテーマに沿って、実際に伝統産業を現在も行っている工場などを見学した。リサーチ活動については省略するが、リサーチ後にグループとしての結論を出すために行った議論を通じて感じたことがある。それは、日本でもベトナムでも、考えている解決策は同じものである、ということだ。世界的には、日本は先進国、ベトナムは発展途上国であるという認識がされている。しかし、このテーマについて議論する際に出てきた意見は、ほぼ教科書通りであると感じてしまうほど同じであった。ここで考えたのが、先進国に住む学生も発展途上国に住む学生も同じことを思い浮かべるほどその解決策が普遍化しているのにもかかわらず、未だに解決されない問題が残っている、ということである。そうすると、その解決策はもはや良い解決策であるとは言えないか、もしくはその解決策をうまく実行できていないかのどちらかであると考えられる。グループ内だけではなく他の大学の学生とも議論する機会があったが出てくるのは同じ意見であり、新鮮味がまるでないように感じられた。その解決策についてさらに深く議論することでより良い解決策を見出すことができる可能性もあるため、今後の学生交流活動では、他国の学生同士が意見を交わす、ということに焦点を絞りすぎるのではなく、ある一つの問題や解決策についてより深く一緒に考察していくことが重要となるのではないだろうか、と考える。そうすることで、世界的な問題に対するより良い解決策を見出すことができるのではないだろうか。

 これらの考察をまとめると、私は今回のプログラムを通じて、ある一員としての意識や社会に対する義務への気づきと、今後の学生交流活動ではより深く発展した議論が重要であるという2点を学び得ることができた。今回のプログラム終了後も社会の一員としての行動や、世界の一員である学生同士の交流の可能性について考えていきたい。

2016年10月10日月曜日

AAEEベトナムプロジェクト<8月>報告書(4) 三角真穂(明治大学農学部2年)

「ベトナムに行っことで私の中に起こった変化」

                                                         
                                                                                          明治大学農学部農芸化学科

2年 三角真穂
左が私、三角真穂

このプログラムに参加して、自分の中で変わったことは大きく3つに分けることができる。

1つ目は、自分の英語力の低さを痛感し、英語を学ぼうと心に誓ったことである。
2つ目は、自分の中の途上国に対してのイメージの変化である。
3つ目は、見事に破壊されてしまった過去の私のスローガンである。

1、英語力について
実は、私は(今となっては恥ずかしい限りなのだが)このプログラムに参加する前、途上国の人というともっと貧しくて、能力が低くて・・・というのを失礼ながら想像していた。しかし、このプログラムに参加して、私の考え方が全く間違っていたことを知った。もちろん、今回出会ったようなベトナム人とは違う劣悪な環境で暮らさざるを得ない人々も多いということは知っている。ただし、途上国=貧困、低い教育レベルというのは明らかにステレオタイプ的な誤った見方であるということを身に染みて感じた。
まず、このプログラムに応募したベトナム人が200人もいたというところから驚いた。合格倍率実に20倍。どれだけレベルの高い大学生が来るのだろうと思い、恐怖心を抱いていた。さらに、自分は英語も話せない日本の普通の学生なのに対して、一緒に行く日本人メンバーも英語が話せる人ばかりと知っていたからだ。私は恐怖心のあまり、事前にベトナムのコーディネーターに英語がうまく話せないと伝えて予防線をはった。また、関先生にも日本語の話せるベトナム人をプログラムに参加して頂くようお願いした。
実際、現地に行ってみて私の予想は当たった。空港を降りて、ホテルまでの移動のためにバスの前で待っていてくれたベトナム人を見つけた時、とっさに目立たないように日本人の間に隠れた。しかし、友好的なベトナム人はバスに乗るときに私に話しかけてきた。何を言われたのかよく分からなかった私はあいまいに笑ってごまかし、せっかく会えたベトナム人メンバーにも失礼な態度を取ってしまった。
私は今回のプログラムの間、いつも英語が話せないというコンプレックスを抱き続けて過ごした。自分のパートナーになったベトナム人のNaoには、いつも私がパートナーで申し訳ないと思っていた。他の日本人メンバーは自分のペアのベトナム人と普通の会話を楽しんでいるように感じたが、私はそれができなかったから。
一番英語が話せなくて悲しかったのは、夜にホームステイ(という名前のホテル)でした本音ミーティングである。モーターバイクの件や日本人の本当の気持ちは隠す点などについて話し合うという、いわゆる国際交流の真骨頂のような場であった。しかしながら私は、案の定皆が何を話しているのかよく分からなかった。日本人メンバーが日本語で何度も解説を挟んでくれたおかげで内容の半分くらいは理解できたと思うが、発言者やその発言に関係のある人の感情などをタイムリーに理解できなかった。自分にとって、深い部分での話し合いにおいて、言語の壁というのは本当に大きな障壁だと思った。英語が話せる日本人メンバーでさえ英語での議論は難しいと言っていたし、その上外国人であることで、その人自身がどういう考え方をする人なのかを判断する材料が少なすぎた。私には外国人と接した経験はほとんどないし、言葉も通じないから雑談レベルの会話さえ正確に理解はすることができない。
国際交流に興味がある以上英語が避けて通れない道だとは知ってはいたが、英語が話せないなら海外に興味があるなんて恥ずかしくて言えないほど、言葉というツールがどんなに大切なものか痛感した。通じる言語がないのに国際交流なんて論外である。たしかにパッションがあれば、とかボディランゲッジでいける、なんてことを言う人もいたけど、その人達は絶対に言葉が通じなくて悲しい思いをしたことがない人たちだと思う。相手のことを理解したいと思ったり、相手に感謝の気持ちを伝えたいと思ったりした時、必要なのは言葉のツールだった。
実際、私は帰国前、お世話になったバディのNaoや、日本語が話せるからと私をサポートしてくれたTuさんに自分の気持ちをきちんと伝えることができなかった。私が英語をうまく話せないのに、Naoがいつも私のことを気にかけてくれていたことやそのお陰で輪の中から離れずに済んだこと。また、Tuさんがいつも私のことを写真に撮ってくれて、最終日に私の写真ばかり写ったアルバムをプレゼントしてくれたこと。それがどんなに嬉しかったかを「Thank you」の一言とハグだけでしか表現できなかった。伝えたい感謝の気持ちはもっともっとたくさんあったのに。自分がプログラム中ずっと感じていた疎外感などいろいろな気持ちを伝え、その上であなたのこんな行動のおかげで救われたんだよ、とちゃんとお礼を言いたかった。
これから私はできる限り英語を学び、いつかこの時の自分の感情や感謝の気持ちをしっかりと彼らに伝えたい。

2、途上国に対してのイメージの変化
2つ目の途上国のイメージが変わった理由は、私が日本で見かける優秀な人々と優劣がつけ難いような優秀なベトナム人とたくさん出会ったことや、現地のベトナム人の感覚が日本人の私に似ていたことにあると思う。例えば、去年旅行でベトナムに来て私が最初に思った、トイレが汚いなどという感情は彼らベトナム人も持ち合わせていたし、路上で果物を買った時に中が少しでも変色していたら食べないで捨てる、といったような日本人の私と特に行動が変わらないことをしている彼らを見て、当たり前で失礼な考え方だとは思うが、途上国に住んでいるからと言って衛生状態が悪いことに慣れているわけではないんだ、という事実を知った。プログラムに参加したベトナム人が比較的裕福だったということもあるかもしれないけれど、そういったベトナム人がどうやらたくさんいるらしいと知ったことで、私の途上国の見方は大きく変わったと思う。
今までは、資料や日本の人の話しか聞いたことがなくて、実際に見ていなかったから現実をきちんと知らなかったのだとは思うが、曲がりなりにも国際交流に興味があると言っていたのに、実な現実を何にも知らなかったんだ、ということを思い知らされた。援助とか支援だとかいう言葉をよく聞くけれど、今回のプログラムに参加したベトナムメンバーに関して言えば、いわゆる「支援」をする要素はゼロだったように思う。国外留学など人生において大切だけれど死活問題ではないような支援は必要なのかもしれないが、物質的支援などはしなくても普通の生活ができる人々であった。逆に私は英語が話せないから、ベトナムにいる私は何かの役に立つ、というよりは周りの人に支えてもらってなんとかやっていける、という弱い立場だったように思う。

3、破壊されてしまった過去の私のスローガン
このプログラムに参加する前の私は、「食文化の国際交流を通じて、途上国の子供たちに世界のことを知ってほしい」と本気で考えていた。しかし、今となっては本当に恥ずかしいかぎりだ。例えば、一緒に行った日本人メンバーは大学の学部まで「国際」や「外国語」を選考し、国際問題に真剣に学んでいる人たちばかり、彼らに比べると私には国際問題や外国語に本気で取り組む時間も覚悟も足りないし、何よりそんな生ぬるいことを言う前にクリアしなければならない関門が山のようにあると感じた。
まず、コミュニケーションが取れる外国語を習得する→次に支援が必要な人の生活をこの目で見て、世界の子供がどんな状況なのかを理解する→さらに子供の教育について学んで→…。そこまでして自分が本当に食文化の国際交流をしたいか、といったら、結局は「心に国境のない世界の実現」などという過去の私のスローガンは単に偽善でしかなかったように思えてきた。そんな簡単にできることじゃない!
世界とつながることは楽しいと感じるから、少しでも関わっていきたいと思うけれど、実際に見たわけでも感じたこともないのに、そんなに大それたことを言っていてはいけないと思った。去年もベトナムに旅行に行ったが、今回のプログラムで見たベトナムとは全く違っていた。実際にベトナム人と共に生活をしないと、ベトナムのことを知るのは不可能なのだと思った。観光で来ても、それは観光用の表面的なベトナムでしかなくて、実際に現地の人々が何を食べてどんな生活をしていて、何を考えて、というのを知ってこそ、ベトナムが一体どんな国なのかを知れるのだなと思った。

日本に戻ってきて日常に戻ったけれど、ベトナムに行く前の自分がどんな風に考えていたのか忘れてしまうほど濃い体験を夏にして、私の生活は心の意識レベルの中では大きく変わったと思う。これからどんなことをしていくのは、その方向性はまだ決まっていないが、きっとベトナムに行く前の自分とは違う選択ができるように思う。

2016年10月9日日曜日

AAEEベトナムプロジェクト<8月>報告書(3) 櫻井爽太(上智大学総合グローバル学部1年)

「ベトナムで知った自分の貧しさ」

上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科1年
櫻井爽太
右端が私、櫻井爽太
 今回のVJEP は私にとって初の東南アジア訪問であり、プログラム前から不安と期待が入り混じっている日々を過ごしていた。いざ、プログラムが始まってみるとコミュニケーションツールが英語であるというストレス、朝早く、夜遅いというスケジュールや長距離の移動という怒涛の日々を過ごし一種のランナーズハイのような、疲れすぎて逆に空元気という日々であった。そんな中でわたしは様々なことを学んだ。しかし、その学んだことの大多数は海外だから学べたことというよりはむしろ日本にいても学べるが、海外というある種の異常な状況下にあるからこそより深く学ぶことができたことであった。また、海外だからこそ学べたことは無意識のうちに日本と比較して認識したことだということに日が経つにつれ気付くようになった。私たちの価値基準は日本での生活の上に成り立つものであると強く感じた。
 今から私がこのツアーで学んできたことを記述していこうと思う。第一に笑顔の大切さである。ベトナム、日本それぞれの参加者がコミュニケーションを取る際に用いられる言語は英語であった。しかし、参加者(特に私を含めた日本人)の中には英語を不得手とするものが数名いた。しかし、英語が苦手であったとしても私たちはベトナム人と良好な関係を築いていた。それができた要因はやはり笑顔が大きいと私は思う。私の好きな歌の歌詞に「いま世界の共通言語は、英語じゃなくて笑顔だと思う」という歌詞があり、今まで私はその歌詞をポエム気質なキャッチーな歌詞でしかないと思っていた。しかし今回のプログラムで笑顔の大事さを認識した。もし英語でうまく言葉が出てこず支離滅裂なことを言ってしまったとしても、笑顔で接すれば敵意を持っていないことは相手に伝わる。また、相手が英語を話せない人の場合であってもほほ笑めば微笑み返してくれる。これは言語よりもっと原始的な人間の行う普遍的なコミュニケーションでありどんな言語よりも早くかつ、深く交流することができることを可能にしている。アイデンティティの全く違う者たちが笑顔一つで距離を縮められるとは、とても素晴らしいことではないだろうか。無駄のない究極のコミュニケーションは笑顔であると強く感じた。
次に私が感じたのはアイデンティティの異なる相手の立場になって物事を考えることの難しさである。これは本当に私にとって難しいものであった。というのも、バイクでの小事故をきっかけとして開かれたベトナム、日本のメンバーがそれぞれの本音を話すミーティングで、一方が当たり前であり、慣れっこであるというものが、他方にとっては全くの未知のものあるいは非常識的な物であるということがあるというのを話し合いの中で感じることがあった。先ほども述べたが人間というものは己の価値観を日々の生活の上で成立させ、それに当てはまらないものに対しては違和感や嫌悪感を感じる。現に私もミーティングの中で違和感を感じることが数度あった。国際協力や国際貢献といったフィールドで物事を考える際にはもっと複雑なアイデンティティに関する問題がおこるのだろうと感じ、多国間で一枚岩になることがいかに難しいか、学生レベルの国際交流で相互のすれ違いが起きるというのだから国際機関のステージではより困難を極めるのであろうと改めて認識した。
そして、次に書く内容がこの報告書のメインになるのだが、私は裕福さ、貧しさ、先進、途上とは果たして一体何なのかを今回のプログラムを機によく考えるようになった。
 日本は確かに、経済的な面で見た場合、先進国である。しかし、ベトナムはいまだ発展途上国という扱いである。そしてプログラム参加前の私はそのことを念頭に置いてばかりいた。発展途上国の現状を見るとかそんなことを考えたりしていた。しかしそれはあくまで国という評価基準に基づくものでしかない。その国にどういう人々が住み、どのような生活、光景が広がっているかなどというものは先進国とか途上国だとかという枠組みからはうかがい知ることはできないのである。
ベトナムの私たちが交流した学生たちはとても優秀であったし、向学心もとても強かった。果たしてそんな彼らに先進国だの途上国だのというものは何の意味があるのか?またそれと同様に先進国や途上国というものは何の意味があったのか?確かに町にはストリートチルドレンや物乞いがおりその面では日本との違いは見受けられた。しかし、現地の学生と交流する際にその国を評価基準としたものは全く何の意味もなかった。むしろそんなことを意識してプログラムに望んだ自分の心はとても貧しかったと思う。このような国際交流のプログラムはどこの国とどこの国の学生が交流するかという“国”に意識が行きがちだが、英語を介してしまえば国籍なんかは関係ない一個人同士の交流である。そこには先進国、途上国というクライテリアは意味をなさないということを強く感じた。優秀な人々はどの国にも存在している。しかし、そのような人々も一歩国から出れば○○人という括りにひとまとめにされてしまう。そんな現状がある中で自分は国籍や民族というものを超えた個人をしっかり見なくてはならないと強く感じた。
 今回のプログラムは私にとってカルチャーショックの旅だったと言える。バイクでごった返す町、あまりにフレンドリーなホテルのボーイ、水シャワー、etc.….しかしそんな中で過ごした日々は具体的に私の何を変えたかと言われれば難しいが、しかし確実に私の何かを変えた。人とより深く触れ合うこと、言語の壁の克服。いかにそれらがこれからのグローバル化社会で重要なことであるかが肌で感じられたプログラムだった。
 自分の貧しい内面としっかり向き合っていこうと思う。

2016年10月8日土曜日

AAEEベトナムプロジェクト<8月>報告書(2) 町ひなた(立命館アジアパシフィック大学 アジア太平洋学部1年)

「表面的なつきあいを超える国際交流って難しい」

立命館アジアパシフィック大学
アジア太平洋学部 環境・開発学科1年
町 ひなた




   もともとAAEEという団体をなにも知らぬまま、リーダーの吉田梨乃から誘いを受けて参加することになったこのVJEPプログラム。スタディーツアーと一言聞いていてイメージしたものは、団体で現地観光をし、それを通して文化に触れ、歴史的背景などを調べて回るというものだった。しかし、実際に参加してみるとその内容は私の予測とは大きく異なり、2週間のプログラムのあまりの濃さに驚いた。同時にそれはとても有意義な時間となった。ベトナムの道路をバイクで移動することも、ベトナム戦争の枯葉剤被害者ドクさんとお会いしたことも、クッキングコンテストを買い物からするところも、山奥での突然のキャンプも、何もかもが予想外で予想以上のもので、ベトナムの人々を身近に感じることのでき本当に貴重な経験になった。ベトナムも日本も過去に大きな戦争を経験したという点では共通しているが、ベトナムでは日本とは違い、都市部でありながら後遺症を患った人々を街中でよく見かけ、戦争の爪痕までもすごく身近に感じた。
 ツアーが始まり前半、プログラムは順調に進んでいた中、自分はベトナムメンバーと言葉は通じたはずなのに、なぜかもう一歩近づけそうなところがあり、最初から親しく交流する他の日本人メンバーとは違う感覚で一線置いて接していた。そのことが心の中でわだかまりとなっていた。今までの海外での生活やAPU(私の在学する立命館アジアパシフィック大学)での生活を通して、他のメンバーよりも同年代の外国人と関わる機会は長くあったが、そういった経験をたくさん積むほど、逆に日本人同士でいることの安心感や、心の奥底にひそむ外国人に対する薄い壁の存在に気づくようになっていた。それ故、短期間で文化と言語の違いを乗り越えて打ち解け合うことは困難であるという意識が、経験的に私の心に根付いていたのだと思う。初日からパーティーのように騒ぎ合い、日本人メンバーとベトナムメンバーがお互いに楽しく関わってはいたが、どこか表面的な部分があるのではないかと自分は思っていた。現に、お互いに何とか打ち解けようと元気に振る舞うことに互いに疲れる様子も見られ、バスの中では必ず同国人同士で座るなど、どこかで国同士で固まってしまう瞬間があり、英語を使うことで疲れを感じることもあった。
ダラットでのバイクツアー
プログラムの5日目、フィールドトリップで滞在したダラットでのバイクの小事故がきっかけとなり、それまでため込んできたお互いの蟠りや不安が一気に表面化した。「言っても状況判断や考え方も文化によって違うから、それは言っても意味がないんじゃない?」「きっとこれは文化的な違いだからしょうがない」「相手を不信な気持ちにさせるかもしれない」などと悠長なことを言っているわけにはいかない状況になってしまった。そしてその夜に、「本音で話す」という条件で両国メンバーによる大ミーティングが開かれ、涙を流すメンバーもいれば、揉めて不機嫌になり出すメンバーもいる中、納得するまで話し合った。
この話し合いは私にとって大変貴重な文化学習の場となった。なぜならば、ベトナム人メンバーの発言の中に「ベトナム人だからきっとそう考えるだろう」という予想を見事に外されることが何度もあったからだ。このとき私は、自分がこれまでベトナム人をひとくくりにステレオタイプ化してしまい、一人一人の人間性にまで心が及ばなかったことに気付いた。事故を起こしてしまったフンさんは、「ベトナムではよくあることだろうからベトナム人はそんなに大事だと思っていないだろう」という私の予想とは反対に、本当に落ち込んで、「もう私を一生信用なんてできないよね、本当に申し訳ない」とひどく自分を責めていた。また、ダー君が自分のバイクの運転が下手だとジョークを交えて言いいながら運転するのも、後ろに乗っていた日本メンバーを楽しませ、不安を与えないようにするためだったという。私の周りにはこれまで沢山の外国人の友達がいたが、このとき以上にお互いの文化、価値観を超え深く意見や思いを交わしあえたことはなかった。この夜のみならず、この二週間を通して理解したのは、異国間のメンバー同士で交流し、打ち解け合う中で「文化が違うからきっと考え方も違う」という予想や警戒心をもって関わることが、逆に余計な壁を作っていたのだということだ。
英語でのコミュニケーションについても考えさせられた。英語の会話というだけで自分と相手の間に壁を感じて疲れてしまっていたのは、英語コミュニケーション=「勉強」「国際交流」という硬い認識であったからではないかと思うようになった。また、他の日本人の前で英語を喋るということの緊張感も違和感の原因だったということに気付いた。ただ、いずれにせよ、英語でのコミュニケーションばかりだと私はやはり疲れる。
そんなとき、私の疲れや緊張を解いてくれたのが歌や踊りやちょっとしたゲームだった。歌ったり踊ったりして自分の疲れを解放している内に、ようやく関先生にツアーの前に言われたことの意味がわかってきた。
実は、このツアーへの参加を決めた4月の段階では、このプログラムは勉強をするためだと思っていたため、みんなで一緒に踊ったり歌ったりする時間があるとは思っていなかった。だから5月に私がAPUで踊ったベトナムダンスをフェースブックで投稿した時に、それを見た関先生から「このダンスをベトナムでやってほしい!」というコメントが届いたときには、「この人は何を言ってるんだ?」と思った。関先生は日本出発当日にも空港に着くなり私を呼び出し、「大人でも、どんなに偉い人でも、お互いが知り合い、仲良くなり、心を許すようになるには踊ったり歌ったりして笑い合うことが必要。それはコミュニケーションなんだ。だから他のすべてのメンバーにそれを理解し感じてもらいたい。」とおっしゃった。関先生は、私がダンスが得意であることを知っていたから、私を個人的に話してくれたのだろう。でもベトナムに来る前には、いまいち実感が沸かなかった。
しかし、驚いたことに、大議論の夜にあれだけ深刻に互いの問題点を指摘しあっていた私たちが、翌日から踊りの練習を騒ぎながら始めた途端に、前夜のことは忘れてしまったかのように、皆の笑顔が増え、心理的な距離感があまり感じなくなっていることが明らかに見て取れた。
「踊りの力ってすごい!」
私は、このプログラムを通じて、私がこれまでに取り組んできたダンスやチア・リーディングの活動の意義をより深く実感することができた。
唯一カメラを見ているのが私、町ひなた
さらに、プログラム中、まほ、まり、爽太など、英語が得意・不得意に関係なしに、深くベトナムメンバーを理解し仲良くなった日本メンバーを目の当たりにした。彼らを見ていて、異国間同士の言語や文化の違いはそれほど大きな問題ではないのだということを感じた。むしろ言語や文化が違うから、という警戒心をもって彼等と関わっているようでは、いつまでも相手を理解することなどできないし、表面的な付き合いで終わってしまうのだと思った。実際このプログラムの雰囲気は良く、普段は日本語で話すメンバーの前でも英語を使うことに対して恥ずかしいという感情や、間違えてはいけないというプレッシャーはなかった。それほど日本人のメンバーも積極的で社交的な人が多く、明るく包容力もあった。なのに私は最初から自分で無いはずの壁を作っていたのだ。
 関先生がおっしゃっていた、「本当にごちゃ混ぜに国や言語なんて関係なく混ざり込んでしまうほど打ち解ける」ということは今回のプログラムを通しても、私にはまだ出来なかったのかもしれない。表面的なつきあいを超える国際交流って難しい。しかし、プログラムの最後には、再び一緒にみんなで旅行に行きたいと話しが盛り上がるほど、お互いに仲良くなっていた。
最後に、全ての企画をベトナムの学生コーディネータが事前に足を運び調査をしながら準備をしていたということに感動し、彼らの実行力は本当にすごいものだと思った。このプログラムを通して本当にたくさんの気づきと学びがあった。今回このプログラムに参加できたことは本当に価値のあることだと思う。企画してくれた、関先生、ベトナムのコアメンバー、そして梨乃に感謝したい。


2016年10月7日金曜日

ベトナム、ネパールで3つの学生交流プログラム、充実した夏でした!

しばらく更新が途絶えていましたが、AAEEは何もしていなかったわけではありません。8月から9月にかけてベトナムとネパールで計3つの2週間学生交流プログラムを開催しました。AAEE史上もっとも忙しく、かつ充実した夏となりました。

まずはネパールでは恒例のNepal-Japan Exchange Program (NJEP) 2016。ネパール地震復興Mero Sathi Projectを引き継ぎ、日本ーネパールの学生が共に辺境の地において現地の方々の濃厚な日々を過ごしました。AAEE理事でネパール支援家OKバジこと垣見一雅氏も、準備段階から熱心にご支援くださいました。



   次にベトナムでの8月プログラム Vietnam-Japan Exchange Project (VJEP) 2016。日本学生10名とベトナム学生10名がベトナムホーチミン、及びダラットにて行動を共にしました。ベトナムでは応募者が殺到(200名)。ただ、新プログラムだけあって予想外のアクシデントの繰り返し、参加者もコーディネータも対応に必死で、涙あり、ベトナム vs 日本の大議論に発展してしまう場面もありましたが、この大議論こそが「真の国際理解」のきっかけとなり、終わってみれば大・大・大成功。「次はいつ?」という声が既に現地では上がっています。ベトナム戦争で使用された枯葉剤被害者のグエン・ドク氏(日本ではベトちゃん・ドクちゃんとして知られている)もご講演くださいましたが、「こんなにモチベーションの高い学生は初めて」というありがたいお言葉をいただきました。







 最後にベトナムでの9月プログラム Vietnam-Japan Youth Exchange (VJYE) 2016。VJYEは東京経済大学の学生がベトナムの外国貿易大学の学生と共に2013年に始めたベトナムではお馴染みにプログラムです。ベトナム南部では非常に人気の高いプログラムで、ベトナム外務省に紹介されたり、テレビや新聞各紙でも必ず取り上げられてきました。今年のVJYEは東京経済大学と現地ホーセン大学の学生がタッグを組み、今話題のSDGs(昨年、国連で採択された持続可能な開発目標)について真剣に検討しました。グエン・ドク氏も再び参加してくださり、今後の協力も約束してくださいました。







3プログラム合わせて70名の学生さんが参加。学生コーディネータなど関係者を含めると100名以上が関わってくれました。誇らしいのははこれだけ大きなプロジェクトをほぼすべて学生だけで組み立てて実施し、大成功させたということ。学生だけでこれだけのことをやってのける団体は他にはあまり見当たらないのでは・・・と胸を張っています。

帰国後に参加した皆さんが報告書を作成してくださいました。次回からはその報告書をご紹介します。AAEEの学生交流活動についてよくわかっていただける素晴らしいものばかりです。お楽しみに!