2016年10月10日月曜日

AAEEベトナムプロジェクト<8月>報告書(4) 三角真穂(明治大学農学部2年)

「ベトナムに行っことで私の中に起こった変化」

                                                         
                                                                                          明治大学農学部農芸化学科

2年 三角真穂
左が私、三角真穂

このプログラムに参加して、自分の中で変わったことは大きく3つに分けることができる。

1つ目は、自分の英語力の低さを痛感し、英語を学ぼうと心に誓ったことである。
2つ目は、自分の中の途上国に対してのイメージの変化である。
3つ目は、見事に破壊されてしまった過去の私のスローガンである。

1、英語力について
実は、私は(今となっては恥ずかしい限りなのだが)このプログラムに参加する前、途上国の人というともっと貧しくて、能力が低くて・・・というのを失礼ながら想像していた。しかし、このプログラムに参加して、私の考え方が全く間違っていたことを知った。もちろん、今回出会ったようなベトナム人とは違う劣悪な環境で暮らさざるを得ない人々も多いということは知っている。ただし、途上国=貧困、低い教育レベルというのは明らかにステレオタイプ的な誤った見方であるということを身に染みて感じた。
まず、このプログラムに応募したベトナム人が200人もいたというところから驚いた。合格倍率実に20倍。どれだけレベルの高い大学生が来るのだろうと思い、恐怖心を抱いていた。さらに、自分は英語も話せない日本の普通の学生なのに対して、一緒に行く日本人メンバーも英語が話せる人ばかりと知っていたからだ。私は恐怖心のあまり、事前にベトナムのコーディネーターに英語がうまく話せないと伝えて予防線をはった。また、関先生にも日本語の話せるベトナム人をプログラムに参加して頂くようお願いした。
実際、現地に行ってみて私の予想は当たった。空港を降りて、ホテルまでの移動のためにバスの前で待っていてくれたベトナム人を見つけた時、とっさに目立たないように日本人の間に隠れた。しかし、友好的なベトナム人はバスに乗るときに私に話しかけてきた。何を言われたのかよく分からなかった私はあいまいに笑ってごまかし、せっかく会えたベトナム人メンバーにも失礼な態度を取ってしまった。
私は今回のプログラムの間、いつも英語が話せないというコンプレックスを抱き続けて過ごした。自分のパートナーになったベトナム人のNaoには、いつも私がパートナーで申し訳ないと思っていた。他の日本人メンバーは自分のペアのベトナム人と普通の会話を楽しんでいるように感じたが、私はそれができなかったから。
一番英語が話せなくて悲しかったのは、夜にホームステイ(という名前のホテル)でした本音ミーティングである。モーターバイクの件や日本人の本当の気持ちは隠す点などについて話し合うという、いわゆる国際交流の真骨頂のような場であった。しかしながら私は、案の定皆が何を話しているのかよく分からなかった。日本人メンバーが日本語で何度も解説を挟んでくれたおかげで内容の半分くらいは理解できたと思うが、発言者やその発言に関係のある人の感情などをタイムリーに理解できなかった。自分にとって、深い部分での話し合いにおいて、言語の壁というのは本当に大きな障壁だと思った。英語が話せる日本人メンバーでさえ英語での議論は難しいと言っていたし、その上外国人であることで、その人自身がどういう考え方をする人なのかを判断する材料が少なすぎた。私には外国人と接した経験はほとんどないし、言葉も通じないから雑談レベルの会話さえ正確に理解はすることができない。
国際交流に興味がある以上英語が避けて通れない道だとは知ってはいたが、英語が話せないなら海外に興味があるなんて恥ずかしくて言えないほど、言葉というツールがどんなに大切なものか痛感した。通じる言語がないのに国際交流なんて論外である。たしかにパッションがあれば、とかボディランゲッジでいける、なんてことを言う人もいたけど、その人達は絶対に言葉が通じなくて悲しい思いをしたことがない人たちだと思う。相手のことを理解したいと思ったり、相手に感謝の気持ちを伝えたいと思ったりした時、必要なのは言葉のツールだった。
実際、私は帰国前、お世話になったバディのNaoや、日本語が話せるからと私をサポートしてくれたTuさんに自分の気持ちをきちんと伝えることができなかった。私が英語をうまく話せないのに、Naoがいつも私のことを気にかけてくれていたことやそのお陰で輪の中から離れずに済んだこと。また、Tuさんがいつも私のことを写真に撮ってくれて、最終日に私の写真ばかり写ったアルバムをプレゼントしてくれたこと。それがどんなに嬉しかったかを「Thank you」の一言とハグだけでしか表現できなかった。伝えたい感謝の気持ちはもっともっとたくさんあったのに。自分がプログラム中ずっと感じていた疎外感などいろいろな気持ちを伝え、その上であなたのこんな行動のおかげで救われたんだよ、とちゃんとお礼を言いたかった。
これから私はできる限り英語を学び、いつかこの時の自分の感情や感謝の気持ちをしっかりと彼らに伝えたい。

2、途上国に対してのイメージの変化
2つ目の途上国のイメージが変わった理由は、私が日本で見かける優秀な人々と優劣がつけ難いような優秀なベトナム人とたくさん出会ったことや、現地のベトナム人の感覚が日本人の私に似ていたことにあると思う。例えば、去年旅行でベトナムに来て私が最初に思った、トイレが汚いなどという感情は彼らベトナム人も持ち合わせていたし、路上で果物を買った時に中が少しでも変色していたら食べないで捨てる、といったような日本人の私と特に行動が変わらないことをしている彼らを見て、当たり前で失礼な考え方だとは思うが、途上国に住んでいるからと言って衛生状態が悪いことに慣れているわけではないんだ、という事実を知った。プログラムに参加したベトナム人が比較的裕福だったということもあるかもしれないけれど、そういったベトナム人がどうやらたくさんいるらしいと知ったことで、私の途上国の見方は大きく変わったと思う。
今までは、資料や日本の人の話しか聞いたことがなくて、実際に見ていなかったから現実をきちんと知らなかったのだとは思うが、曲がりなりにも国際交流に興味があると言っていたのに、実な現実を何にも知らなかったんだ、ということを思い知らされた。援助とか支援だとかいう言葉をよく聞くけれど、今回のプログラムに参加したベトナムメンバーに関して言えば、いわゆる「支援」をする要素はゼロだったように思う。国外留学など人生において大切だけれど死活問題ではないような支援は必要なのかもしれないが、物質的支援などはしなくても普通の生活ができる人々であった。逆に私は英語が話せないから、ベトナムにいる私は何かの役に立つ、というよりは周りの人に支えてもらってなんとかやっていける、という弱い立場だったように思う。

3、破壊されてしまった過去の私のスローガン
このプログラムに参加する前の私は、「食文化の国際交流を通じて、途上国の子供たちに世界のことを知ってほしい」と本気で考えていた。しかし、今となっては本当に恥ずかしいかぎりだ。例えば、一緒に行った日本人メンバーは大学の学部まで「国際」や「外国語」を選考し、国際問題に真剣に学んでいる人たちばかり、彼らに比べると私には国際問題や外国語に本気で取り組む時間も覚悟も足りないし、何よりそんな生ぬるいことを言う前にクリアしなければならない関門が山のようにあると感じた。
まず、コミュニケーションが取れる外国語を習得する→次に支援が必要な人の生活をこの目で見て、世界の子供がどんな状況なのかを理解する→さらに子供の教育について学んで→。そこまでして自分が本当に食文化の国際交流をしたいか、といったら、結局は「心に国境のない世界の実現」などという過去の私のスローガンは単に偽善でしかなかったように思えてきた。そんな簡単にできることじゃない!
世界とつながることは楽しいと感じるから、少しでも関わっていきたいと思うけれど、実際に見たわけでも感じたこともないのに、そんなに大それたことを言っていてはいけないと思った。去年もベトナムに旅行に行ったが、今回のプログラムで見たベトナムとは全く違っていた。実際にベトナム人と共に生活をしないと、ベトナムのことを知るのは不可能なのだと思った。観光で来ても、それは観光用の表面的なベトナムでしかなくて、実際に現地の人々が何を食べてどんな生活をしていて、何を考えて、というのを知ってこそ、ベトナムが一体どんな国なのかを知れるのだなと思った。

日本に戻ってきて日常に戻ったけれど、ベトナムに行く前の自分がどんな風に考えていたのか忘れてしまうほど濃い体験を夏にして、私の生活は心の意識レベルの中では大きく変わったと思う。これからどんなことをしていくのは、その方向性はまだ決まっていないが、きっとベトナムに行く前の自分とは違う選択ができるように思う。

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