2016年10月8日土曜日

AAEEベトナムプロジェクト<8月>報告書(2) 町ひなた(立命館アジアパシフィック大学 アジア太平洋学部1年)

「表面的なつきあいを超える国際交流って難しい」

立命館アジアパシフィック大学
アジア太平洋学部 環境・開発学科1年
町 ひなた




   もともとAAEEという団体をなにも知らぬまま、リーダーの吉田梨乃から誘いを受けて参加することになったこのVJEPプログラム。スタディーツアーと一言聞いていてイメージしたものは、団体で現地観光をし、それを通して文化に触れ、歴史的背景などを調べて回るというものだった。しかし、実際に参加してみるとその内容は私の予測とは大きく異なり、2週間のプログラムのあまりの濃さに驚いた。同時にそれはとても有意義な時間となった。ベトナムの道路をバイクで移動することも、ベトナム戦争の枯葉剤被害者ドクさんとお会いしたことも、クッキングコンテストを買い物からするところも、山奥での突然のキャンプも、何もかもが予想外で予想以上のもので、ベトナムの人々を身近に感じることのでき本当に貴重な経験になった。ベトナムも日本も過去に大きな戦争を経験したという点では共通しているが、ベトナムでは日本とは違い、都市部でありながら後遺症を患った人々を街中でよく見かけ、戦争の爪痕までもすごく身近に感じた。
 ツアーが始まり前半、プログラムは順調に進んでいた中、自分はベトナムメンバーと言葉は通じたはずなのに、なぜかもう一歩近づけそうなところがあり、最初から親しく交流する他の日本人メンバーとは違う感覚で一線置いて接していた。そのことが心の中でわだかまりとなっていた。今までの海外での生活やAPU(私の在学する立命館アジアパシフィック大学)での生活を通して、他のメンバーよりも同年代の外国人と関わる機会は長くあったが、そういった経験をたくさん積むほど、逆に日本人同士でいることの安心感や、心の奥底にひそむ外国人に対する薄い壁の存在に気づくようになっていた。それ故、短期間で文化と言語の違いを乗り越えて打ち解け合うことは困難であるという意識が、経験的に私の心に根付いていたのだと思う。初日からパーティーのように騒ぎ合い、日本人メンバーとベトナムメンバーがお互いに楽しく関わってはいたが、どこか表面的な部分があるのではないかと自分は思っていた。現に、お互いに何とか打ち解けようと元気に振る舞うことに互いに疲れる様子も見られ、バスの中では必ず同国人同士で座るなど、どこかで国同士で固まってしまう瞬間があり、英語を使うことで疲れを感じることもあった。
ダラットでのバイクツアー
プログラムの5日目、フィールドトリップで滞在したダラットでのバイクの小事故がきっかけとなり、それまでため込んできたお互いの蟠りや不安が一気に表面化した。「言っても状況判断や考え方も文化によって違うから、それは言っても意味がないんじゃない?」「きっとこれは文化的な違いだからしょうがない」「相手を不信な気持ちにさせるかもしれない」などと悠長なことを言っているわけにはいかない状況になってしまった。そしてその夜に、「本音で話す」という条件で両国メンバーによる大ミーティングが開かれ、涙を流すメンバーもいれば、揉めて不機嫌になり出すメンバーもいる中、納得するまで話し合った。
この話し合いは私にとって大変貴重な文化学習の場となった。なぜならば、ベトナム人メンバーの発言の中に「ベトナム人だからきっとそう考えるだろう」という予想を見事に外されることが何度もあったからだ。このとき私は、自分がこれまでベトナム人をひとくくりにステレオタイプ化してしまい、一人一人の人間性にまで心が及ばなかったことに気付いた。事故を起こしてしまったフンさんは、「ベトナムではよくあることだろうからベトナム人はそんなに大事だと思っていないだろう」という私の予想とは反対に、本当に落ち込んで、「もう私を一生信用なんてできないよね、本当に申し訳ない」とひどく自分を責めていた。また、ダー君が自分のバイクの運転が下手だとジョークを交えて言いいながら運転するのも、後ろに乗っていた日本メンバーを楽しませ、不安を与えないようにするためだったという。私の周りにはこれまで沢山の外国人の友達がいたが、このとき以上にお互いの文化、価値観を超え深く意見や思いを交わしあえたことはなかった。この夜のみならず、この二週間を通して理解したのは、異国間のメンバー同士で交流し、打ち解け合う中で「文化が違うからきっと考え方も違う」という予想や警戒心をもって関わることが、逆に余計な壁を作っていたのだということだ。
英語でのコミュニケーションについても考えさせられた。英語の会話というだけで自分と相手の間に壁を感じて疲れてしまっていたのは、英語コミュニケーション=「勉強」「国際交流」という硬い認識であったからではないかと思うようになった。また、他の日本人の前で英語を喋るということの緊張感も違和感の原因だったということに気付いた。ただ、いずれにせよ、英語でのコミュニケーションばかりだと私はやはり疲れる。
そんなとき、私の疲れや緊張を解いてくれたのが歌や踊りやちょっとしたゲームだった。歌ったり踊ったりして自分の疲れを解放している内に、ようやく関先生にツアーの前に言われたことの意味がわかってきた。
実は、このツアーへの参加を決めた4月の段階では、このプログラムは勉強をするためだと思っていたため、みんなで一緒に踊ったり歌ったりする時間があるとは思っていなかった。だから5月に私がAPUで踊ったベトナムダンスをフェースブックで投稿した時に、それを見た関先生から「このダンスをベトナムでやってほしい!」というコメントが届いたときには、「この人は何を言ってるんだ?」と思った。関先生は日本出発当日にも空港に着くなり私を呼び出し、「大人でも、どんなに偉い人でも、お互いが知り合い、仲良くなり、心を許すようになるには踊ったり歌ったりして笑い合うことが必要。それはコミュニケーションなんだ。だから他のすべてのメンバーにそれを理解し感じてもらいたい。」とおっしゃった。関先生は、私がダンスが得意であることを知っていたから、私を個人的に話してくれたのだろう。でもベトナムに来る前には、いまいち実感が沸かなかった。
しかし、驚いたことに、大議論の夜にあれだけ深刻に互いの問題点を指摘しあっていた私たちが、翌日から踊りの練習を騒ぎながら始めた途端に、前夜のことは忘れてしまったかのように、皆の笑顔が増え、心理的な距離感があまり感じなくなっていることが明らかに見て取れた。
「踊りの力ってすごい!」
私は、このプログラムを通じて、私がこれまでに取り組んできたダンスやチア・リーディングの活動の意義をより深く実感することができた。
唯一カメラを見ているのが私、町ひなた
さらに、プログラム中、まほ、まり、爽太など、英語が得意・不得意に関係なしに、深くベトナムメンバーを理解し仲良くなった日本メンバーを目の当たりにした。彼らを見ていて、異国間同士の言語や文化の違いはそれほど大きな問題ではないのだということを感じた。むしろ言語や文化が違うから、という警戒心をもって彼等と関わっているようでは、いつまでも相手を理解することなどできないし、表面的な付き合いで終わってしまうのだと思った。実際このプログラムの雰囲気は良く、普段は日本語で話すメンバーの前でも英語を使うことに対して恥ずかしいという感情や、間違えてはいけないというプレッシャーはなかった。それほど日本人のメンバーも積極的で社交的な人が多く、明るく包容力もあった。なのに私は最初から自分で無いはずの壁を作っていたのだ。
 関先生がおっしゃっていた、「本当にごちゃ混ぜに国や言語なんて関係なく混ざり込んでしまうほど打ち解ける」ということは今回のプログラムを通しても、私にはまだ出来なかったのかもしれない。表面的なつきあいを超える国際交流って難しい。しかし、プログラムの最後には、再び一緒にみんなで旅行に行きたいと話しが盛り上がるほど、お互いに仲良くなっていた。
最後に、全ての企画をベトナムの学生コーディネータが事前に足を運び調査をしながら準備をしていたということに感動し、彼らの実行力は本当にすごいものだと思った。このプログラムを通して本当にたくさんの気づきと学びがあった。今回このプログラムに参加できたことは本当に価値のあることだと思う。企画してくれた、関先生、ベトナムのコアメンバー、そして梨乃に感謝したい。


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