2016年11月10日木曜日

ネパール NJEP 2016 報告書 (8) 小笠原杏佳(上智大学総合グローバル学部1年) 「私は私でしかない」

「私は私でしかない」

上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科1年
小笠原杏佳



ネパールとタイでの暮らしは、毎日が驚きと発見の連続で、心臓が止まるくらいドキドキとワクワクでいっぱいだった。何をするにも“自己判断”で、“自己責任”そして、常に危険と隣り合わせだった。正直、私はこのスタディ・ツアーに参加して、明確に何が変わったかはわからない。だが学んだことは数え切れないほどある。
その中で最も大きな学びは「私は私でしかない」ことに気づけたことだ。そのことについて以下に述べる。

私には、小学生の頃から国際協力をしたいという夢がある。それを実現するために、留学、高校受験、大学受験、プロジェクトなど様々なことに挑戦してきた。だが「そもそも私はなぜ国際協力がしたいのか」という根本的な問いに自分で答えることができないでいた。また優柔不断で、周りの目を気にするし、自信がない自分が嫌いだった。そして、このままでは誰からも認めてもらえず、大切にしてもらえないと思い、変わりたかったし、変わらなければならないと思っていた。
今回のスタディ・ツアーを通して、私にとっての国際協力の意味を知りたかったし、これをきっかけにして自分の嫌いな部分を変えたかった。しかし、実際に参加して様々な経験をしたり、メンバーと交流したりしたが、国際協力することの意義は見出せすことはできなかったし、私自身が大きく変わったと感じることもなかった。この観点では、「分からないし、変わらない。」それが自分の出した答えだった。
一方で、自分は誰かの笑顔が大好きなこと、自分のことは嫌いではないこと、そして感謝すべきことがたくさんあること、に気づいた。また、今までは批判されたり、傷つけられたりしない「誰もが思う普通」でいることが最も良いと考えていたが、ネパールやタイでの様々な体験を通じ、誰もが思う普通など存在しないことに気づかされた。さらに、私たち人間には「自分には価値があり、特別な存在となり、認められたい、愛されたい」と思う自己承認欲求があるが、私にはその欲求が高いという新たな発見をした。
以上のことから、他人にどう思われるかを気にしすぎず、自分のやりたいと思うことをまっすぐに、全力で取り組んでいきたいと考えられるようになった。今の私には、自分の目標を実現させるのに必要な十分な知識や経験も、時間、資金も足りない。しかし、だからこそ自分には成長の伸びしろがあり、絶対にやってやる!というハングリー精神を強くもてるのだと考えている。正直、完璧だと思ったら、それ以上の成長はないと思うし、また、自分のやりたいことをはっきりと伝えなかったり、遠慮したりして謙虚になりすぎては何も変わらない。
人生はストーリー作り。これからは、やりたいと思ったことは、とりあえず挑戦し、成功したり失敗したり試行錯誤しながら必死に努力し、思わず手にとって読んでみたくなるようなページを日々作っていきたい。私は今回のスタディ・ツアーを通じ、これから生きていく上で大切なことに気づかされ、大切な仲間たちに出会うことができた。お世話になったすべての皆さんに心から感謝したい。





2016年11月8日火曜日

ネパール NJEP 2016 報告書 (6) 阿部充紘(上智大学総合グローバル学部2年)「求めよさらば与えられん」 

「求めよさらば与えられん」

上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科2年
 阿部 充紘



 ネパールで何をしたのか。報告書という時、そこに書くべきものは僕自身にあったのか。考えた結果→なし。
 たった2回目の渡航にもかかわらず、一歩引いたところでメンバーを支えていようといき過ぎた経験者面をした私は、そこで起こる事にただ浸り、流された。私の姿勢は、「そこにネパールがある。ネパールの文化や世界観があり、ネパール人がいる。」それだけだった。どの瞬間にも、新しく刺激的なものがあるのにそれらは自分からは隔絶された世界の中にある玩具でしかなかったのだろう。
そしてこうしてネパールでの経験を振り返ると、今年のネパールで何も出来なかったことを知り愕然とする。それはきっと上述のように私の虚栄心によって作り出された、いき過ぎた経験者面によるものだろう。一歩引くあまり、そこにあるリアルを食べて自分の血肉とすることをしなかった。
 このスタディツアーはなんだったのだろう。もちろんリーダーを任された私はその役目に対する自らの未熟さ、一方である程度の手応え、それらが今後の課題となっていること、幸福と発展の意味についての考察、自らの生活への懐疑などを得ることはできた。つまり全くの手ぶらで帰ってきたわけではないが、それでもなおネパールでのあの十日間を思い出すたびに掴み所のない虚無感?迷い?恐怖?のような感情が自分の中を曇らせるのを感じていた。
 私は特別な何かを望んでいたようだ。それも「自分の価値観を変えてくれるような壮大な何かをネパールという刺激に満ちた世界なら無条件に与えてくれる」と、無意識のうちに考えていたようなのだ。いき過ぎた経験者面をして目の前で起こっている出来事の味だけを確かめて吐き出していた。全く馬鹿馬鹿しいだろう。自分を大きく変えるまでのものが空からポっと落ちてくるはずもないのだ。
 「求めよさらば与えられん」という言葉があるが、全くその通りだと思う。求めるとはこの場合ただ指をくわえて待つのではなく、自ら進んでいくことを言う。自ら進んでいかなければ欲しいものは手に入らないのだ。
 やや逆説的だがこのことを考えてみると、このスタディツアーでは何も学ばなかったということから学べたのだろう。這いつくばって、しがみついて、悩んで、そうして欲しいものは手に入るのだろう。そうして目の前の出来事から何かが得られるのだろう。八月の私はかなり怠け者だったようだ。
 そうしてみると私が欲するその漠然とした何かはきっと日本のそこら中に転がっているのかもしれない。「求める」かどうか。

 また、ネパールに渡ってみようと思う。その時は本当に「求めて」みようと思う。

2016年11月7日月曜日

ネパール NJEP 2016 報告書 (5) 中村渚(上智大学総合グローバル学部2年) ~ネパールという地で~

          ~ネパールという地で~


上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科2年
中村渚


"Dhanyabaad."
「ありがとう」を意味するこのネパール語は、今でも私の口から無意識のうちに出てしまう。それくらい強烈な印象を与えた約2週間のスタディーツアーを通して、自分が何を学び、考え、感じたのかということを、正確かつ自分の言葉で人に伝えることがいかに難しいことかをひしひしと感じる日々を過ごした。今回のツアーのテーマは学生交流。ネパールと日本の学生が10日間共に過ごす中で、異文化理解や同世代の横のつながりを大切にしていくことが最終目標であった。私にとっては初めてのアジア。海に囲まれた島国の日本とは異なり、山に囲まれた内陸の国ネパールで、自分の目で見たこと、自分の鼻で嗅いだもの、自分の口で味わったもの、自分の耳で聞いたこと、自分の手で触ったもの、その全てがネパールでどれもが私にとって初めての連続だった。「人間が人間らしくいられる場所」と言うには大げさにしても、私にとってはまさに非日常の日々であったことは事実である。このレポートではそのいくつかを紹介したい。
まず、なんといってもネパールの街。これは、どの街に行ってもそれぞれ異なる魅力に溢れていた。ネパール到着直後に滞在した首都のカトマンズは、日本にいては体験することがないであろうほどの吹き荒れる砂ぼこりと、脳裏にこびりつくくらいの鳴り響くクラクションの音に包まれた街だった。建物同士も近く、まさに「ごちゃごちゃ」という言葉がぴったりな場所だった。一方で、ネパールでも特にオリジナルなライフスタイルが人々の生活に今なお息づいているマイダン村では、日の出とともに活動し日の沈みとともに休まるという生活を送っていた。村の長老たちのおしゃべりや家畜の鶏の鳴き声で目覚め、外に出ると、寝起きの体をキーンと包み込む朝のさわやかな風と太陽の光に包まれるだけで心が豊かになっていくのを感じた。そして街全体をゆっくりと時間が流れているポカラでは、映画のセットのようなハイカラな雰囲気を醸し出している店や雄大なヒマラヤ山脈を一望できるスタンドなど、個人的に最も好きな街だった。目の前に広がるヒマラヤ山脈を一望しながらのサンライズは、まさに格別だった。島国に生まれ、海から名前の由来を受け継ぎ、両親の影響でマリンスポーツばかりやっている私にとって、普段から山に行く機会が少なかったため今まで山に対しての興味がさほど湧いていなかったが、今回生まれて初めて雄大なヒマラヤ山脈を目の前にして、なにか話しかけたくなるような、自分が心から相談したくなる兄のような存在に思えた。毎回海に行ったときは波の音を聞いて心を落ち着けて物事の整理をしているが、山に対して前述のような気持ちに自然となれたことには自分でも驚きだった。

日本では忙しさに駆られて過ごす日々。自分が思う「素の生活」をこのツアーの中で過ごせていた。個性的な雰囲気を持つ街、と普段では気づくことができないかもしれない自然への感情を発見できたネパールという場所は、そこに行くたびに自分に何かを問いかける、もしくはヒントを見つけられる場所となるかもしれない。目に見えない小さな幸せを、心から喜び愛おしいと思える日々を過ごせた今回のスタディーツアー。きっとここでの経験はこれからの私の生活の中で、ふとその時の自分に何かしらのサインとなるものになるであろう。そう気づいた瞬間が、今回得た学びが活かされたことを意味するのかもしれない。

2016年11月6日日曜日

ネパール NJEP 2016 報告書 (4) 志牟田まりな(上智大学総合グローバル学部2年)「ネパールがもたらしてくれた出会いと幸せ」

「ネパールがもたらしてくれた出会いと幸せ」               


上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科二年

志牟田まりな
  
  
  
  何が決め手かわからないけれど、NJEPへの参加を決めたのは私の人生において大きな 成功の一つになったことは間違いない。私は周りの参加者のように途上国に対する意識が高いわけでもなく、国際協力にも無縁な私だったので、特別な目的意識を持っていたわけではな かったが、ここでの 10 日間は実に濃かった。もともと私は人と関わることが大好きな人間 なため、今回のメインが国際交流であったことはとても参加しやすい要因だった。人との関わり、またネパールでの10日間が私の心にもたらしてくれたものは今の私の考え方や生 活に影響を与えている。 
 ネパールでの 10 日間、多くの人や景色など様々な出会いがあった。シャムロック学校、マイ ダンの村の子供たちをはじめ、ポカラにステイしていたバックパッカーの人々、もちろん NJEP メンバーの全員。彼らの笑顔は底知れぬ美しさで、温かくて私に本当の「幸せ」とは 何かをつくづく考えさせた。これについては、またあとで触れる。そして、はじめて自然の偉大さを本当に感じさせてくれたヒマラヤ山脈やバス移動の窓の向こう側に見える山々や夕焼けなど、多くの自然との出会いがネパールにあった。これらは日本でも感じられることなのかもしれない。しかし、生活を朝から晩まで共にしている仲間と不安や期待の繰り返しの日々の中で、「完全ではないネパール」だったからこそ、物理的な豊かさ以外のところに目が行き、感動する心 が敏感になり、その美しさも日本にいるとき以上に濃い感動に結びついていたのだと思う。  
 先述したが、NJEP メンバーでもよく話し合う「幸せ」について。人間は死ぬまで「幸せ」 を求めて生きていく。決してこれが絶対に幸せなんだ!!と述べるつもりはないし、様々な 見識や経験を積むことで考え方も変化していくものだと思う。しかし、幸運なことに、私はたった 10 日間 ではあるが、「幸」について毎日考える機会をネパールで得た。OK バジさんの言葉を借りれば、「無いものに目を向け始めると、不足に対して文句を言うようになり、幸福感が薄れる」ということを身を持って感じた。「足るを知る」という言葉があるが、まさに私は我々日本人のような先進国に住む人々において薄れている感覚をネパールで自分の中に落とし込めたと思う。 「自然がこの地球にもたらしてくれる一瞬一瞬の美しさに敏感になり、それを体と心で目いっぱい感じること(大袈裟ではなく)。 」また、「 自分のいるコミュニティや毎日訪れる出会いに対して感謝の気持ちと幸せを感じること。」挙げればきりがないが、この2つの感覚を自分の中で大切にするようになったことで、物事をものすごくシンプルに捉えられるようになり、自分の気持ちにより一層向き合えるようになった。もちろん複雑な問題は山ほどあるが、自分の身の回りで起きている1つ1つの小さなことへの感動や感謝ができるようになり、自分の生活がさらに明るくなった。この感覚を覚えたとき、私はなん だかぞっとしたのを覚えている。この感覚を薄れさせたくない。  
 綺麗なものや便利なものばかりを追い求めるのではなく、そこら中に溢れているようで少ない人間くささ、人としてのアツさが自分は大好きなんだということを知れた。そして、そこからあふれ出てくる真の楽しさや仲間と共に生み出す「心に残る幸せ」「心の底から湧き出てくる幸せ」を大切に、自分の近い目標とその先にある目標のためにさらなる体験をす るべく、自分から一歩踏み出していきたい、今回 NJEP に参加したように。そのように日々 過ごしていった結果、気づいたら、人として女性として成長していたらいいなと思う。こう思えたのもこのツアーのおかげだ。ここで出会えたすべての人に感謝してもしきれない。
 来年の春には、ラオスにて職業技術教育の分野でのフィールドワークが決定している。NJEP と はまた一味違った刺激を求めて行ってきます!!

2016年11月5日土曜日

ネパール NJEP 2016 報告書 (3) 奥山りつ(立命館大学国際関係学部2年)「文明と心の豊かさの綱引き」

「文明と心の豊かさの綱引き」

立命館大学国際関係学部2年
奥山りつ

 本レポートでは、ネパールツアーから二か月経った今、一番頭の中に鮮明に残っているツアー中盤で訪れたマイダン村での3日間のホームステイでの自分の中の「幸せ」の認識の変化について記したい。
 マイダン村にはお風呂はもちろんシャワーはなく、トイレは何軒かで共有していた。それに加え、動物のフンがそこら辺中に落ちていたりしてお世辞にも衛生的とは言えなかった。ではなぜそんな場所にいて幸せを感じたのか。それは夜日が暮れると家に帰り、朝は鶏の鳴き声で起きるといったように自然と同居して暮らすといういわゆる原始的な生活に自分が癒されていたからだ。村の中で生活している限り、多くの部分は物々交換で賄える点や、家畜を屠殺した際も血や気管に至るまで無駄にすることなく食べ尽くし、村中に均等に配分する点で、金銭ではなく、生死のサイクル・人の繋がりがよく活用されているのを実感した。
 普段日本でかなり恵まれた生活を送っている私にとって、もしくはカトマンズやその他の都市で大学まで通って教育を受けているネパールメンバーにとっては、このような村での生活は十分非日常だといえる。私に限らず、このような非日常には多くの人が魅力を感じるだろう。ではその魅力を感じる心の根底にあるものは何なのか。マイダン村での生活に惹かれるのには、自分の日本での生活への不信や疑問が少なからずある。物質的な豊かさに恵まれ、さほど苦労せずに育ってきた私にとって、思い描く「幸せ」な生活の送り方は一つの決まったモデルがあった。しかし、その生活を実践しているにも関わらず、どうも精神的に満たされておらず、常に時間と追いかけっこしているような感覚に陥って焦っている。そこで全く違った環境に身を置いてみると案外精神的に安心している自分に気づいたのだった。疑いもしなかった自分の「幸せ」な生活のモデルが必ずしも絶対的なものではないということを自覚した瞬間だった。自分で自分を一つのモデルに縛り付け、気づかないうちにそれ以上考えるのを放棄していたのだった。
 私はネパール行きを決めた際に、この村でのステイを心待ちにしていたが、その理由を自分でもはっきりとは理解できなかった。今振り返ると、マイダン村には日本での生活では得られない癒しの要素が存在していたのだった。1つには、住んでいる人達の温かさだった。現地の言葉を理解できない私に対して、伝わらずとも話しかけ、挨拶してくれる村人たちは無条件によそ者の私たちを受け入れてくれただけでなく、おもてなしの精神に溢れていた。2つ目に、連絡取ることが全くできないことが大きかった。いつもアイフォンを持ち歩いていることで少なからず意識がそちらに向いていたが、マイダン村にいる間は全く使うことができず、鎖から解き放たれたような気持ちになっていた。つまり、自分が図らずも享受している物質的な幸せから一旦距離を置き、違った生活様式を持つコミュニティに飛び込んでしまうことで、その贅沢から一時的に解放され、実は自分もそれを切に望んでいることに気づく機会を得たのだ。
 これはOK Bajiさんの言葉を借りれば、文明と心の豊かさの綱引きといえる。物質的に豊かすぎると、ない方に不満を感じることが多くなりがちになる。一方で、小さいことに幸せを感じることができると幸せを感じる回数が自然に多くなるために幸せな気持ちでいる間が長くなるという話だ。これは実際にマイダン村滞在のあとに訪れた他の町のホテルでシャワーや洋式のトイレがあることに対してメンバーの何人もがとても幸せな気持ちになったことからもわかる。
 ただ、私が幸せだけを感じることができたのは、あくまでも3日という短期間であったからという可能性もある。山奥の村ならではの問題点が数多くあった。警察も病院もなく、一度けがなどしようものなら何時間もかけて山間の道をゆっくり進んでいくしかないという不便さは、心の豊かさがどうこうで済まされる話ではない。
 おそらく日本での生活に慣れ親しんだ私が、こうした「非日常」を「日常」にするのは容易なことではない。大切なのは、彼らの「日常」をこちら側の視点で勝手に「非日常」にしてしまうのではなく、「日常」の延長線上で心の豊かさを失わずに彼らの目線で発展していくことだ。



2016年11月4日金曜日

ネパール NJEP 2016 報告書 (2) 蓑島周(上智大学総合グローバル学部1年)「異文化交流の先にある、わたし」

「異文化交流の先にある、わたし」
                            
上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科一年
蓑島周


やりきれなかった。そしてやりきった。二つの思いが今も私を取り巻いている。次々と現れる困難を乗り切れるか否かは、きっとほとんどがそこに至るまでの準備で決まるのだな、と思った。
最初にそう感じたのはネパール人との会話においてである。日本人の中には日常会話程度なら難なくできる者もいたが、海外旅行経験さえなかった私は、拙い英語と大袈裟なボディランゲージでおどけることしかできなかった。どうやって気の許せる仲をつくることができるか考えた結果であった。ネパールメンバーは優しく応対してくれたし、自身も安堵感があったが、実のところは満足できていなかった。異文化交流において本当に相手を理解するためには、お互いの政治や経済、ひいては関心の深い分野まで話をするべきだと考えていたために、そのレベルの交流ができるだけの準備をしなかったことを悔やんでいた。
 ツアー全体を通してもそうであった。私はツアー全体の活動日程や構成、さらには現地の情勢等の情報さえ把握しようとせず、期待に胸を膨らませた状態でネパールへと渡った。結果は一目瞭然。ポカラで記者会見が開かれた際には、緊急に代表が不在となった私たちは満足に質問に答えることができず、おそらくほとんどの記者にはNJEPの活動意義を伝えきれずに終わってしまったように思えた。私はNJEPの一員であるにもかかわらず、どこかで他人任せにしていたのである。
そんな私にも良い出来事があった。首都から車で一日半かけ山の上にあるマエダン村に行き、村唯一の小さな学校に訪れると、そこには村中の人々が集まっていた。話しかけると照れてしまうシャイさを持つ、なんとも可愛らしい子供や大人がそこにはいた。言葉が通じない彼らと仲良くなりたい一心で、私はこれ以上ないほどにふざけた。思いつく遊びをとことん導入し、近づく私を嫌がる子供を容赦なく追いかけていく。後先も考えず全力でぶつかったことが功を奏し、のちに村人は私を「スー」と呼ぶようになった。なんだか認められたような気がして、素直に嬉しかった。それが“小便”を意味すると気づいたのは次の日だったが。
しかし仲良くなってしまえばこっちのもので、それから三日間は私が何もしなくとも向こうから寄ってきて、自然豊かな村を案内してくれるようになった。こんなところがあるよと、目をキラキラさせて寄ってくる彼らが愛おしくてたまらなかった。そして私は、こういう場所で子供と触れ合う時間が私にとって真の幸せなのかもしれないと思うようになった。今では子供と関わることまで視野に入れ、将来を見据えるようになった。

 ネパールという異土で五感を通して学んだこと、感じたことは、心の内に秘め、先の人生に生かしていかねばならない。そして失敗は、二度と繰り返してはならない。そのためには自覚と覚悟をもった“準備の鬼”になることが必至である。そしてそう気づかせてくれた仲間たちに心から感謝したい。

2016年11月3日木曜日

ネパール NJEP 2016 報告書 (1)  田中和磨 (埼玉県立本庄東高校2年) 「またネパールへ⾏く」


「またネパールへ⾏く」

 埼玉県立本庄東高校2年 
田中 和磨

  
マイダン村の子どもたちと
   現地での2週間は、私に『またネパールへ⾏く』という決意を固めさせてくれ る経験だった。それは、⼼温まる体験、考え⽅についての⼤事な発⾒、得たいことを得きれなかった不完全燃焼による決意だ。
 まず、不完全燃焼である理由は、⾔語と期間だ。ネパール⼈メンバーとの英語 での会話で、⾔われることを全ては分からなかったので当然⾃分の考えを表現 しきれなかった。だから、彼らが伝えてくれるリアルなネパールの⼈々の慣習や ⽂化を理解しきれなかった。また、異⽂化同⼠の会話で⽣まれるであろう、新た な考えも少なかった。英語だけでなくネパール語もだ。メンバー以外のネパール ⼈との関わりの中で得たいことがあるなら、現地の⾔葉を知らないと気持ちま では分からないからだ。さらに、そうした気持ちまで理解したいなら、かなりの 期間も必要だと感じた。現地の⼈々との関係を少しでも密にしながらでないと、 良いことも悪いことも本質は⾒えてこないと思う。ただ事前にいくつものネパ ール語の表現を覚えたこと、英語が分からなければ別の表現を求めて分からな いふりをしなかったことで、⾯⽩い発⾒や良い関係作りに繋がったのは良かっ た。そうした経験から次回はネパール語をある程度学んでから、もっと⻑い滞在 をしようと思うし、これからは必須の英語については、⾃分なりに努⼒していく。
 話は変わるが村では⼤きな発⾒があった。というより、これは違うのではない かと思っていたことが、やはり違ったと⾔ったほうが正しいかもしれないそれ は、。⽇本の⼈々からすると村の⼈たちは”恵まれない”と⾔う部類に判断されて しまうことだ。この考え⽅は⾃分の中にある意識や数値などで全く知らないこ とを結論付けてしまうことから起きると思う。私は村の⽅々と過ごし、幸せであ ろう部分をたくさん⾒つけた。確かに、直接お互いが分かる⾔語で話せなかった 分、潜在的な問題は発⾒できなかったかもしれないが、安易に恵まれないと⾔え るわけではないと感じた。街を歩けば他国の⽅がいる今の世の中では、⼀度⾃分 の価値観や基準を疑ってみることが⼤事だと思う。そこから新たな考えが⽣ま れてくるだろう。そう思える経験だった。
 最後に1つエピソードがある。⾃分はメンバーの中で唯⼀怪我をし病院へ⾏っ た。しかし、この怪我は⼤事な怪我だった。結論から⾔うと、ネパールメンバー との距離を縮めることができたのだ。  海外で初めての病院であり、⾻折かもしれないという不安もあった。 (結局⾁離 れだった)。そんな私に、付き添ってくれたネパールメンバーたちが『何も⼼配 するな俺たちがついてる』と何度も⾔ってくれた。ネパールでは終始、仲の良い⼈を家族のように扱う温かさを感じていた。ここでも、彼らのおかげで安⼼でき た。また、⽇本⼈、ネパール⼈メンバーの中で最年少だった⾃分は完全には⼼の 距離を縮めることが出来ないでいたが、それ以来ネパールメンバーとより多く の会話をした。
NJEPのメンバーたち
現地で『経験が⼈を⼤⼈にする』と⾔われたことがあったが、まさしくネパー ルでのすべての経験が私を成⻑させてくれた。この最⾼の経験が様々な形で最 ⾼の結果を⽣むように⾏動していこうと思う。すでに学校ではプレゼンをした。 さらにこれから新たな経験へと向かい、いつか社会に、⼈に影響を与えられるよ う努⼒したい。