「求めよさらば与えられん」
上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科2年
阿部 充紘
ネパールで何をしたのか。報告書という時、そこに書くべきものは僕自身にあったのか。考えた結果→なし。
たった2回目の渡航にもかかわらず、一歩引いたところでメンバーを支えていようといき過ぎた経験者面をした私は、そこで起こる事にただ浸り、流された。私の姿勢は、「そこにネパールがある。ネパールの文化や世界観があり、ネパール人がいる。」それだけだった。どの瞬間にも、新しく刺激的なものがあるのにそれらは自分からは隔絶された世界の中にある玩具でしかなかったのだろう。
そしてこうしてネパールでの経験を振り返ると、今年のネパールで何も出来なかったことを知り愕然とする。それはきっと上述のように私の虚栄心によって作り出された、いき過ぎた経験者面によるものだろう。一歩引くあまり、そこにあるリアルを食べて自分の血肉とすることをしなかった。
このスタディツアーはなんだったのだろう。もちろんリーダーを任された私はその役目に対する自らの未熟さ、一方である程度の手応え、それらが今後の課題となっていること、幸福と発展の意味についての考察、自らの生活への懐疑などを得ることはできた。つまり全くの手ぶらで帰ってきたわけではないが、それでもなおネパールでのあの十日間を思い出すたびに掴み所のない虚無感?迷い?恐怖?のような感情が自分の中を曇らせるのを感じていた。
私は特別な何かを望んでいたようだ。それも「自分の価値観を変えてくれるような壮大な何かをネパールという刺激に満ちた世界なら無条件に与えてくれる」と、無意識のうちに考えていたようなのだ。いき過ぎた経験者面をして目の前で起こっている出来事の味だけを確かめて吐き出していた。全く馬鹿馬鹿しいだろう。自分を大きく変えるまでのものが空からポっと落ちてくるはずもないのだ。
「求めよさらば与えられん」という言葉があるが、全くその通りだと思う。求めるとはこの場合ただ指をくわえて待つのではなく、自ら進んでいくことを言う。自ら進んでいかなければ欲しいものは手に入らないのだ。
やや逆説的だがこのことを考えてみると、このスタディツアーでは何も学ばなかったということから学べたのだろう。這いつくばって、しがみついて、悩んで、そうして欲しいものは手に入るのだろう。そうして目の前の出来事から何かが得られるのだろう。八月の私はかなり怠け者だったようだ。
そうしてみると私が欲するその漠然とした何かはきっと日本のそこら中に転がっているのかもしれない。「求める」かどうか。
また、ネパールに渡ってみようと思う。その時は本当に「求めて」みようと思う。
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