「またネパールへ⾏く」
埼玉県立本庄東高校2年
田中 和磨
マイダン村の子どもたちと |
まず、不完全燃焼である理由は、⾔語と期間だ。ネパール⼈メンバーとの英語 での会話で、⾔われることを全ては分からなかったので当然⾃分の考えを表現 しきれなかった。だから、彼らが伝えてくれるリアルなネパールの⼈々の慣習や ⽂化を理解しきれなかった。また、異⽂化同⼠の会話で⽣まれるであろう、新た な考えも少なかった。英語だけでなくネパール語もだ。メンバー以外のネパール ⼈との関わりの中で得たいことがあるなら、現地の⾔葉を知らないと気持ちま では分からないからだ。さらに、そうした気持ちまで理解したいなら、かなりの 期間も必要だと感じた。現地の⼈々との関係を少しでも密にしながらでないと、 良いことも悪いことも本質は⾒えてこないと思う。ただ事前にいくつものネパ ール語の表現を覚えたこと、英語が分からなければ別の表現を求めて分からな いふりをしなかったことで、⾯⽩い発⾒や良い関係作りに繋がったのは良かっ た。そうした経験から次回はネパール語をある程度学んでから、もっと⻑い滞在 をしようと思うし、これからは必須の英語については、⾃分なりに努⼒していく。
話は変わるが村では⼤きな発⾒があった。というより、これは違うのではない かと思っていたことが、やはり違ったと⾔ったほうが正しいかもしれないそれ は、。⽇本の⼈々からすると村の⼈たちは”恵まれない”と⾔う部類に判断されて しまうことだ。この考え⽅は⾃分の中にある意識や数値などで全く知らないこ とを結論付けてしまうことから起きると思う。私は村の⽅々と過ごし、幸せであ ろう部分をたくさん⾒つけた。確かに、直接お互いが分かる⾔語で話せなかった 分、潜在的な問題は発⾒できなかったかもしれないが、安易に恵まれないと⾔え るわけではないと感じた。街を歩けば他国の⽅がいる今の世の中では、⼀度⾃分 の価値観や基準を疑ってみることが⼤事だと思う。そこから新たな考えが⽣ま れてくるだろう。そう思える経験だった。
最後に1つエピソードがある。⾃分はメンバーの中で唯⼀怪我をし病院へ⾏っ た。しかし、この怪我は⼤事な怪我だった。結論から⾔うと、ネパールメンバー との距離を縮めることができたのだ。 海外で初めての病院であり、⾻折かもしれないという不安もあった。 (結局⾁離 れだった)。そんな私に、付き添ってくれたネパールメンバーたちが『何も⼼配 するな俺たちがついてる』と何度も⾔ってくれた。ネパールでは終始、仲の良い⼈を家族のように扱う温かさを感じていた。ここでも、彼らのおかげで安⼼でき た。また、⽇本⼈、ネパール⼈メンバーの中で最年少だった⾃分は完全には⼼の 距離を縮めることが出来ないでいたが、それ以来ネパールメンバーとより多く の会話をした。
NJEPのメンバーたち |
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